1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-07-02 08:57

#328 「ラジオ」をしよう!/カタカナ語が多すぎる!? from Radiotalk

ラジオをしよう!
カタカナ語が多すぎる!?

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました。志賀十五の壺。 皆さん、かがお過ごしいでしょうか。志賀十五です。
お便りいただいておりますので、 まずそちらをご紹介したいと思います。
ラジオネーム、ココさんからいただきました。 ギフトと一緒にいただきました。
いつも楽しく配聴させていただいております。 ありがとうございます。
ささやかですが、ギフトを送らせていただきます。
これからも配信を楽しみにしております。 ということで、ココさんどうもありがとうございます。
まあね、こういうふうにお便りなり、 ギフトなりね、送っていただけるのは
本当にありがたいことですよね。 僕の意識ではこの番組は
ポッドキャストっていうか、ラジオっていう意識でやってるので、 自分が子供の時ラジオを聴いてて
お便りを送ったことがあるかって考えるとね、 まあ当時そのメールとかをね自由に送れる環境じゃなかったっていうのもありますけど
なかなかね、そのお便りを送るっていうのが なかったので、そういうことを思い返すと
こうやってねお便りいただけるだけでも非常にありがたいことだと思います。 思いますし
あんまりお便りを期待しすぎるのもラジオらしくないかなという気もするんですよね。
やっぱり片手間に聞くっていうか、ながら聞きするようなものが ラジオではないかなぁと
僕は思っているので、 僕はっていうかねそう感じている方も多いと思いますし
ラジオトークっていうね、僕はラジオトークをメインに配信してますけど、 ラジオトークを使っている方にもそういう意識の方が
多いんじゃないかなと思います。 そういう点で言うとラジオトークでできるライブ配信っていうのはラジオではないですね。
あれはまた別物だと僕は思っているし、 僕自身苦手だっていうね、そういった
負け惜しみ的なところも多少ありますけど、 まあライブ配信はライブ配信でね、あれはラジオではないので
僕はね、画前収録トークの方に力を入れてやっていこうと考えているので、それを聞いてくださった方が
わざわざお便りをくださったっていうのはね、非常にありがたいことでございます。 さて今回のテーマは
言語の釈養ということで進めていこうと思います。 日本語に限って言えば外来語みたいな言い方もすることがありますよね。
昨今の日本語は英語が溢れ返っているみたいな言い方をされることがありますけど、 まあそれは間違いと言っていいと思いますね。
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英語は全然溢れ返ってないと思います。 正しくは英語からの釈養が溢れ返っているということですよね。
まあへ理屈に聞こえるかもしれませんけど、 もう日本語に入ってきて
しまった時点で、 その日本語の体型の中に組み込まれているっていうかね、
元の英語の形を保持しているわけではないので、 あくまで英語からの釈養が多いということですね。
特に日本語の場合はこの釈養っていうのがやだらめたら、 なんていうかな批判の的になっているとこはあると思います。
やり玉に挙げられているっていうかね。 まあなぜならこれは日本語の表記上の特徴と関係してて、
日本語において釈養というか外来語っていうのはカタカナで書くっていうことになってますよね。
だからまあ初期上ではパッと見で何が釈養であるかっていうのがわかってしまうということです。
もし日本語が文字を1種類しか持ってないような言語だったら、 ここまで外来語が多すぎるとかカタカナが多すぎるみたいな論争みたいなのはね、
巻き起こっていないと思います。 見た目でわかってしまうからってことですね。
一番目立つ釈養っていうのはやっぱり英語ではないかなと思いますね。 ただ先ほども言ったように釈養しているのは英語そのものではなくて、
ある意味日本語風にアレンジされた英語っていうことですよね。 これはいろんな側面で言えますけど、まずは発音上の改変というかアレンジみたいなものがあって、
日本語は基本的に音節がシーンと母音からできてなきゃいけないので、 シーンで終わる発音みたいなのはできないんですよね。
例えば何でもいいですけどピークっていうこの外来語は当然もともとはピークっていうシーンで終わる発音ですけど、
日本語の制約上シーンで終わることができないので、 母音をウっていうのを足してピークとして我々は使っているっていうことですよね。
あるいは音声上の制約で言うと、 日本語より英語の方がはるかに母音の数が多いので、
日本語にやってくるときは5つの母音のどれかに当てはめなくてはいけないっていう問題もありますよね。
これは母音だけでなくシーンの場合も当てはまって、 英語でTHで書くようなザっていう発音も
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日本語には対応するものがないので仕方なくザっていう発音に取っ替えてますよね。
今までお話ししたのは音の側面ですけど、 文法上でもそうで、当たり前といえば当たり前ですけど、
例えばテーブルっていう外来語が日本に来たからといって、 その複数形をテーブルズっていう風に
ズをつけて複数形を作るみたいな、 文法までは取り込んでないんですよね。
むしろテーブルがとかテーブルをっていう風な 日本語の格助詞っていうのをつけて
我々は使っているので、 まあこれは当たり前すぎてわざわざ考えるまでもないですけど
釈用っていうのは確かにありふれているように見えますけど、 その音声の側面では日本語のルールに従っているし、
文法の側面でも 日本語の文法そのものを揺るがすようなものではないということですね。
今お話ししたように確かにカタカナで書かれる釈用っていうのは 日本語にありふれているように見えますが、
そこまで日本語の根幹を揺るがすものではありません。 ただ歴史的には
中国からの釈用っていうもの、つまり漢語ですね。 この漢語は
日本語の根幹をかなりね、揺るがしたものと言ってもいいかもしれません。 まあある面ではですけど、そのある面というのは音声面ですね。
漢語が入ってくる前の日本語の発音はもっとシンプルで、 「ん」っていう発音もなかったし、
濁音や羅行で始まる単語っていうのもなかったんですね。 そういったものが中国からの釈用によって出てきたので、
まあこれは日本語の音声、音韻の側面を変えたと言ってもいいかもしれません。
ただ文法の方はそんなに影響を与えてないんではないですかね。 というのが中国語っていうのはSVO語順ですけど、
日本語の語順を変えるにはいたらずに、漢文の訓読文みたいな感じでね、 日本語の語順に合わせて読めるような工夫をしたりしてますよね。
というわけで、日本語は外来語が多すぎるみたいなことが時々言われたりしますけど、 そこまで言語の根幹に関わることではないんではないかというお話でした。
というわけで次回のトークでまたお会いいたしましょう。 ごきげんよう。
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