2025-07-02 10:33

heldio #347. 「何カ国語話せますか」と「アイヌ語は外国語」 ?

#英語史 #英語教育 #英語学習 #術語 #言語政策 #社会言語学
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/650f4aef0bc9d6e1d67d6767

サマリー

今回のエピソードでは、「何カ国語話せますか?」と「アイヌ語は外国語?」というテーマを通じて、母語と母国語の違いを探求しています。特に、日本語における言語の捉え方やアイヌ語の位置づけについても触れられています。

00:00
おはようございます。英語の歴史を研究しています堀田隆一です。 このチャンネル、英語の語源が身につくラジオheldioでは、英語の先生もネイティブスピーカーも、辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
新しい英語の見方を養っていただければと思います。毎朝6時更新です。 フォローしていただきますと、更新通知が届くようになります。
母語と母国語の違い
ぜひフォローしていただければと思います。また、コメントやシェアの方もよろしくお願いいたします。 今回取り上げる話題は、「何カ国語話せますか?」と、「アイヌ語は外国語?」
何か変では?という話題です。 何のことかと言いますと、昨日の放送
346回の放送だったんですが、話題は、母語と母国語は違います。 というものでした。
日本語では母国語という言い方が非常によく定着していて、 本来母語というべき文脈で、それとほぼ同じ意味で母国語と言ってしまうという現象について、昨日は話をしまして、
これ、母語と母国語というのはだいぶ違う概念であり、用語なんだという話をしたんですね。
端的に言えば母語というのは、自らが習得した、第一に習得した、そして第一に日常的に用いる言語ということで、典型的には親であるとか、身内から小さい時に習った、そして自然に習得した言語ということになります。
一方、母国語というのは国が間に挟まっているという話でした。 つまり社会的、政治的な問題が関わってくるんですね。
このように概念としてはわかったとしても、あまりに日本語の中では母国語というのが使用頻度が高いですし、日常的に使われるので、
ついつい母国語、母国語と言ってしまうんですね。つまり国を経由させて初めて言語のことを考えるという習慣が身についてしまっているというんですかね。
国とは関係なく親から直接、個人から個人へ伝わって習得したはずの言語である日本語ですね。
多くの日本人にとってはそうだと思うんですが、そうではなく、一回国の方に戻して話を。
国の公用語が日本語だからという理屈で、例えば私個人と日本語という言語が結びついているというような間接的に、間に国を挟んで言う表現が本来は母国語なんです。
この国を経由させるという発想、言語感といいますかね、これがあまりに強すぎると、実は世界の様々な民族であるとか言語を喋る人々から見ると、それが前提でないというようなケースが非常に多くあるので、話が食い違ってしまうということがよくあると思うんですね。
例えば世の中には母国がない、祖国がないというような人、民族っているわけですよね。そうすると母国がないということになると、当然母国語もないという理屈になります。
ですが、その人だって何らかの言語は母語として、第一言語として使いこなしているでしょうから、母語と母国語が異なるといいますか、母語はあるのに母国語はないというケース、これがあったりするわけですよね。
国単位で考えてはいけないということなんですけれども、日本の場合、たまたま国と言語というのは限りなく100%近い確率でイコールで結びついてしまうという特殊事情があるために、日本語の文脈の中では母語と言いようが母国語と言いようがどっちでも通じるということなんだと思うんですね。
アイヌ語の位置づけ
この問題と関係して、外国語という言い方がありますね。これも国を経由しちゃってるんですね。
それで言うと、じゃあアイヌ語っていうのは外国語になるんでしょうかっていう話ですね。外国じゃないでしょう、つまり日本の外の外国で使われていた、あるいは使われている言葉ではないわけですが、日本語には言い方がないんですよね。
母語に対して非母語という作ったような言葉はあるかもしれませんが、アイヌ語はじゃあ何語なのかというと、しょうがなく他に言い方がないので外国語ですという言い方をするかもしれませんが、つまり日本語じゃないぐらいの意味でですね。
ですが意味を考えると外国の言葉っていうのが外国語ですから、アイヌ語が外国語っていうのは、これとんでもない誤解を招くというか、むしろ誤った表現ということになりますね。
と同じように、例えば何カ国語話せますかっていう言い方がありますよね。これ英語だとHow many languages do you speakみたいな言い方になって、いくつの言語ということですね。やはりこういうのが適切だと思うんですね。
というのは何カ国語というと、例えば日本語とアイヌ語をしゃべる場合ですね、これ2言語しゃべれるっていうことになるんですが、やはりさっきの問題ですね。アイヌ語は何カ国語ということは、アイヌ国という国があるんですかという話になってしまうわけですよね。
国を経由させて言葉を考えるという習慣があまりに日本語では染み付いているので、ふと出てしまうんですね。何カ国語を話せますかであるとか、そういう表現が出てきてしまう。
この国、国家と言語というものですね。確かに結びつきは強いっていうのは事実なんですけれども、絶対の関係ではないっていうことですね。ですが、日本ではそれが事実上100%に近いぐらいイコールの関係で結ばれてしまっているので、他の言語や国や民族について語るときも、この100%結びついているっていう感覚をそのまま持ち越して、
言ってしまうっていうことがあるんですね。ですので、言葉の話題を取り上げる場合、言語学の話題ですけれども、のときには普通、言語名で語るっていうことで、国名で語るんではないっていうことですね。
これは基本になっているんですけれども、例を挙げますと、日本語ではガソリンスタンドって言いますけれども、英語ではガスステーションとかペトロステーションって言うんですよね、というような和製英語に関する話ですね。
今のような言い方であれば全く誤解ないんですが、こういうことがあります。日本人はガソリンスタンドって言ってるけれども、アメリカ人はガスステーションって言うんだよね、というような話。これはですね、正確ではないっていうことです。
つまり、日本人だって日本語を母語としない、あるいは日本語をそもそも喋らないという国籍としては日本人だけれども、日本語を喋らないっていう人はいるかもしれません。なので、日本人と言ってしまうと、インクルーシブではないっていうことですね。
せめて日本語和射という言い方であれば正しいと思うんですね。同じように、アメリカ人はガスステーションって言うんだよねっていう言い方ですけれども、アメリカ国籍を持っていても、英語を母語としない、あるいは英語を喋らない人っていうのはいくらでもいます。その人は当然、ガスステーションとは英語を喋らないわけですから言わないので、先の文は正しくないっていうことになりますね。
アメリカ人で英語和射を代表させるっていうのも、これも妙な話です。イギリス人もいますし、カナダ人もいますし、それ以外の世界中の国々に英語を母語として、あるいは非母語として、第二言語として喋る人も英語和射なわけですよね。
この辺り、国名みたいのを引っ掛けると話がわかんなくなるっていうことは往々にしてあるんですね。なので、言葉について話題にする場合には、言葉についた名前、例えば日本語とか英語、あるいはそれを喋る人と明示するならOKだと思うんですね。日本語和射とか英語母語和射っていうような言い方ですね。
これだと誤解はほとんどないかなと思うんですが、日本語母語和射はといちいち言ってるのが面倒なんで、私もやはりついつい日本人はっていう言い方をしてしまうことはあるんですが、これは気をつけなきゃいけないなと、あまりショートカットをしてはいけないなという部分なんですね。
ただ、日本語母語和射はやっぱり長いっていうことで、例えば日本語射とか英語射みたいな言い方が流通してくれると、とっても言語学的には話しやすくなるんだけどなと思いながら、全くそういう言い方は流行っていませんし、流行る気配もありません。
ですので、私は日本人とかアメリカ人という言い方は、言語の話をするときにはあまり使わないで、日本語和射、英語和射とか、あるいはアメリカ英語和射みたいな言い方をすることはあるんですが、このなんとか和射っていうのが多いですね。
ただ、自分で言っていて、くどいなとは思うので、この問題なんとかならないだろうかと思っているんですが、皆さんはどうお考えでしょうか。それではまた。
10:33

コメント

スクロール