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2025-03-04 10:00

heldio #227. なぜ規範文法は18世紀に流行ったの?

#英語史 #英語学習 #英語教育 #英文法 #規範文法
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サマリー

18世紀における規範文法の流行について、ラテン語への憧れ、階級社会、帝国主義の3つの背景が影響を与えていると考察されています。特に、言葉のルールが社会的地位の象徴となり、人々が熱心に規範文法を学ぼうとする理由が示されています。

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おはようございます。英語の歴史を研究しています。慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。
規範文法の誕生
今回取り上げる素朴な疑問は、 なぜ規範文法は18世紀に流行ったの?
というものです。 昨日の放送で、英語の理屈っぽい文法事項は18世紀の産物であるということを話題にしました。
英語の理屈っぽい文法項目として挙げたのは、 自動詞likeと他動詞likeの区別について、それから
whichの所有格として、whoseを用いるべからず。 これ関係ないイメージについての話ですね。
それから、it's meではなく、it's Iというのが本当は正しいんだ、 ということ。それから、文末に全知を置くべからず。
そして、2つ以上のものの間にはbetween、 3つ以上のものの間にはamongを使うべし。
こういった、ある意味ではトリビアルな文法項目がたくさん生み出され、 そして定着したというのが、大体18世紀だったんですね。
他に、例えば二重否定というのは使うものではないであるとか、 もう一つ有名なのは、分離不定詞。
toと動詞の原型の間に副詞みたいなものを挿入してはいけないということですね。 不定詞の2つの要素、toと動詞が分離してしまうだろう。
ということで、例えばto fully understandのような、 分離不定詞は使うべからずとか、いろいろあるわけですよ。
このべき宗、べからず宗ということですね。 語法に関するべきべからず宗、これが、いわゆる規範文法ということなんですが、
これが18世紀に急速に成長してですね、 規範文法が整ったという経緯があります。
その中でもっとも有名なのが、昨日の放送でも触れましたが、 A Short Introduction to English Grammar という規範文法書で、これはロバート・ラウスという人がですね、書いたものです。
1762年に出版されて、世紀の終わりまで22半を重ねた、 というベストセラーの規範文法書です。
文法書がベストセラーになるということはですね、 ちょっと今の時代だと考えられないわけですし、
本当にそんなにみんな熱狂的に買い求めて、 それを読んだのかということなんですね。
ただ実際22半重ねたわけですから、 みんな少なくとも買ったわけですよね。
この熱狂は何なんだということが知りたくなります。 なぜとりわけ18世紀なんだろうかということも含めて、
これ背景がないわけがありませんね。
3つの社会的背景
ではどういう背景、潮流があったのかといいますと、 私は3つぐらい大きな歴史の動き、社会の動きっていうのがあって、
これは18世紀に始まったというよりも、 その熱狂はですね、近代期になってから16世紀以降芽生え始めて、
17世紀、そして18世紀に一気に吹き出たということであって、 ふつふつとですね、種みたいなものはもう16世紀、7世紀からあったんだと思うんですけれども、
大きく3つの潮流があったんではないかと。 この3つの潮流一種のイデオロギーですが、これが集まった時に一気に宗教的情熱と言ってもいいかと思うんですが、
みんながですね、寄手たかって文法書を買うなんていうことは普通ないわけなんで、 ある種の宗教的情熱と言っていいと思うんですよね。
この背景には3つぐらいの流れがあったのではないかと考えています。 まず1つ目は、
ラテン語への憧れというものです。 2つ目は階級社会。
そして3つ目は帝国主義というこの3つのある種のイデオロギーですよね。 これが集まってしまったのが、そして勢いを全体として得てしまったのが18世紀になったというふうに考えています。
ではそれぞれについて簡単にですが説明していきたいと思います。 まず1点目、ラテン語への憧れというのはどういうことかというと、
16世紀以降、近代になってからですね、ルネッサンスという動きがありまして、 これは古典のものが大好きなんですね。
古典といえば西洋の世界ではラテン語とかギリシャ語、 その文学文化のことを言いますね。 とりわけラテン語というのは非常に権威があった。
ですので西洋の近代国家はですね、自分のところの言語、イギリスであれば英語ということになりますが、 これをとにかくできるだけラテン語に近づけたいという方向で、異常なラテン語への憧れ、ラテン語志向ということを目指すわけですね。
これなかなか目標が高すぎて、ただなかなか行き着かないんです。 なぜかというと、目標が高いというか夢のような言語だからなんですね。
一つはラテン語ははっきり言って母語話者はいません。 ローマ帝国の時代、古代ローマ帝国の時代に確立した書き言葉がそのまま話す人はいずにですね、いなくて、 あくまで書き言葉の中で固定化して温存されて、もう千年以上の時間が流れているわけですよ。
ですので変わりようがない、変化しようがないですし、ある意味完璧な、 崇め立てまつる対象として固定化されているわけなんですね。
ですが現役の英語であるとかフランス語であるとかドイツ語、現役の言語というのはどうしても 死語ではないので変わっていくわけですよ。
だからラテン語のような固定化された言語を目指すんですが、こんなことはかなり来ないわけですね。 さらにラテン語というのはかなり複雑な名詞であれ動詞であれ語尾がですね、屈折するわけです。
英語はもうこの時までにですね、だいぶ名詞とか動詞の語尾を失ってしまって、ラテン語とは遠くなっている。
つまりタイプの違う言語になってしまっているということなんですね。 この距離があればあるほどですね、むしろ憧れが募る一方ということでですね、英語はこの16世紀以降ですね、ラテン語への異常な愛着であるとか憧れというものを示すに至ったわけですね。
ラテン語のようになれればこれはパーフェクトラングイッチであるというふうに英語をある意味磨いていくということに躍進になるわけです。 その一つの流れと言いますかゴールが規範文法ということですね。
理屈っぽいだけで実際中身はなかったりするんですけれども、ラテン語のようなちゃんとした理性に基づいた少なくとも風貌、見栄えは欲しいということで、これが場合によってはトリビアルであることも多い規範とか規則の定式化という方向に英語は向かったということなんですね。
ラテン語に憧れても決してラテン語になったわけでもなく、ラテン語に近くなったわけでもなく、ただ強い規則があるんだということですね。このゴールを目指したということになります。
2つ目、階級社会ということです。17世紀そして18世紀のイギリスは階級が分かれた社会で、上流階級、中流、下流というふうに今よりもずっと階級差がはっきりした社会です。
そして階級の高い上流階級というのは立派な人々というふうに社会的には目されるわけですね。彼らはただ立派なんではなくて、喋り方も立派である。つまり持っている財産であるとか地位であるとか教養であるとか、それと密接に結びつけられる形で言葉遣いとか、
しっかり言葉のルール、マナーを守る人こそが上流なんだというふうに階級と上品な言葉遣いということがイコール関係になる。そういう時代なんですね。実際に上流階級になるのは非常に難しいです。
身分、教養、それから財産ですかね。これ簡単に手に入るものではありません。ですが言葉遣いはしっかり学べさえすれば、比較的短時間に洗練させることができるわけですよ。努力次第で。そして言葉遣いが丁寧であって、そしてルールにのっとっていれば、それは上流社会にいるも同然だというようなイコール関係みたいなものがありますね。
そこで人々は躍起になって、この規範文法、正しい英語を身につけようとしたわけです。この熱狂ですね。つまり一つ社会の梯子を上っていく手段として言葉のルール、言葉のマナーというものが手段としてあったということですね。
言葉と帝国主義の関係
3点目、帝国主義。17世紀、そして18世紀にイギリスは非常に急速に力をつけてきました。この中で国の内外に威信を見せつける必要があります。その威信を見せつける道具として採用されたのが言葉ということなんですね。こうして規範文法がブームに乗ったということでした。ではまた。
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