借用語を受け入れる言語
おはようございます。英語の歴史を研究しています、慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
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今回取り上げる話題は、借用の多い言語と少ない言語、という話題です。
英語は借用語が多い言語であるということは、昨日の放送でもオープン借用とムッツリ借用と題してお届けしましたが、これは非常に英語であるとか、そして我々の日本語もですね、他の言語からたくさんの語彙を借りてくる、歴史的に借りてきたという事実がありまして、非常に借用語の多い言語の部類に入ると思うんですね。
一方で、借用語をほとんど取り入れないという言語もありますね。真ん中ぐらいの程度の言語というのもあります。
様々な言語があるわけなんですが、これは何によるのかということですね。この辺りについて考えてみたいと思います。
世の中にはたくさんの言語があるわけなんですけれども、この借用語を比較的よく受け入れるのか受け入れないのかという尺度でですね、3つぐらい段階を設けますと、まず借用語を取り込むのに積極的な言語というのをいくつか挙げてみたいと思うんですね。
これが英語であり日本語であり、すでに述べた通りなんですけれども、他にはフランス語も結構多いんですね。それからアルバニア語とかルーマニア語なんかが例えばですが挙げることができます。
英語はですね、本来の語彙語に由来する単語はもちろんあるわけですが、その上にフランス語から借りてきたであるとかラテン語から借りてきた、コーノルド語、ギリシャ語、そして多くはありませんがケルト語。
それからオランダ語であるとか、非常に多くの言語から多くの尺用語を取り込んできたという言語ですね。
それに比べるとフランス語というのは比較的ホモジーニアスと言いますかね、あまり外から受け入れない言語じゃないかというイメージが英語に非するとそういうイメージがあるかもしれませんが、それは必ずしも当たっていなくてですね、ラテン語からたくさん取り入れてます。
そしてさらに先立つ時代にはですね、フランク語、ゲルマン系の言語なんですが、相当多くの単語を取り入れてるんですね。
ケルト語からの尺用語というのも非常に多いという意味で、比較的積極的によそから単語を取り込んできたタイプの言語の一つなんですね。
それからアルバニア語というのを挙げましたが、これはイリュリア語とかラテン語、スラブ語、トルコ語あたりからたくさんの語彙を取り込んでます。
そしてルーマニア語というのも挙げましたが、このルーマニア語はじゃあどこから単語を借りてるかというと、ラテン語であるとかスラブ語、スラブ系言語ということですね。
それからフランス語あたりからたくさん取り込んでいます。
そして日本語についてですけれども、日本語は漢語、中国語ですね。
様々な時代に、各時代に取り込んできましたし、そして中世、後期から近世、近代、現代にかけて西洋語ですね。
各種の西洋語、ポルトガル語、スペイン語に始まり、そしてオランダ語、英語、フランス語、ドイツ語と非常に多くの言語から借りてきたというタイプの尺用に、
積極的な言語の部類に入ると思います。
消極的な借用語の言語
その一方で借用に消極的な言語、ゼロとは言いませんが、非常に借用が少ない内向的な言語があります。
あくまで相対的にということなんですが、よく挙げられるのはドイツ語ですね。
それからアイスランド語、それからチェコ語、ギリシャ語、現代のギリシャ語ですけれども、
こういった言語は比較的内向きで外からの借用語を容易には受け入れない。
全くないわけではもちろんないんですけれども、容易には受け入れないということで、先ほどの借用に積極的な言語と比較すると対極に位置づけられるようなものですね。
もう一つはその中間的な段階ということで、この中間にも程度はあるんですけれども、
例えばポーランド語、デンマーク語、スウェーデン語、オランダ語あたりが例に挙げられます。
世界の言語ですね、こういうふうに大雑把ではありますが、3つぐらいの段階にしたくように積極的か否かという観点からですね、どこにプロットすることができるかと思うんですね。
これは何によるものなのかと。
一つには受け入れ側言語の言語体系、語彙体系であるとか音韻体系であるとか、さまざまな言語内的な要因っていうのがあるんではないかと。
つまり外から入ってきた単語が入ってこようとしてもですね、それを拒むような頑強な内に固まっている一種の語彙体系みたいのがあると、
外から入ってくるのは受け付けないっていうような、そういった言語内的な語彙体系に内在する特質のために受け入れやすかったり受け入れにくかったりということがあるんだろうかということも言われたりはしますが、
これはおそらく現在の言語学者はですね、多くの言語学者はこれを信じていません。私も信じていません。
それよりももっと重要なのは、簡単に言えばまさに積極性ということですから、これは言語の積極性ではなくその言語の話者ですね、受け入れ側言語の話者、あるいは話者集団と言いますかね、話者の思い入れと言いますかね、外から来るものに対して受け入れるのに積極的なのか、
あるいは受け入れるのを拒む、なるべく受け入れないようにするということなのか、いわば話者であるか話者集団の心理とか態度というものに大きく依存するだろう。
どんな語彙体系言語体系であっても結局のところ受け入れることはできてしまうので、それを気持ちとして受け入れるか気持ちとして受け入れないかという最終的にやはり態度、社会的な社会心理的な態度ということに最終的にはそこに行き着くのではないかと考えている言語学者が多いと思います。
ではそうした態度、積極性、消極性というものは何に依存するのかというと、これはなかなか難しい話です。
言ってしまえば国民性とかですね、ある文化の担い手の精神的特徴とか、そう言ってしまうとそこまでですね、それ以上なかなか議論が済まないことになってしまうんですけれども、ある程度そういうところがあるかなとは思っていますね。
例えばアイスランド語というのは非常に釈用の受け入れに消極的拒むという傾向を示すわけなんですが、釈用語使用を忌避する、回避するということですね、避ける強い言語純粋主義の考え方を持っているというふうにされたりですね、典型的にそのように捉えられていると思うんですね。
一方、英語であるとか、そして日本語もそうなんですが、むしろ言語純粋主義どころかですね、言語ハイブリッド主義とでも言うんですかね、様々な言語を取り込んできた歴史もありますし、比較的受け入れに寛容と言いますかね、外からどんどん流れ込んできたものを受け入れて、ある意味語彙を豊かにしてきたタイプの言語であると。
これどちらが良い悪いということでもないわけなんですけれども、どちらでも言語生活をやっていけるわけですよね、現に実用的に使われているわけですから、どちらが正しいとか間違いということではありません。
ただですね、一つ言えることは、昨日の放送でオープン釈用とむっつり釈用というふうに2つの釈用のタイプがあるという話をしたんですね。
オープン釈用は形、意味、諸とも借りてくるので、釈用語であるということが、つまり外から入ってきた語であるということがすぐにわかる。これがオープン釈用。
一方でむっつり釈用はあくまで意味だけ借りてきて、形は自分でこしらえたり、自前で自分の言語の要素でこしらえるというタイプですので、見た感じではですね、見ただけではこれが釈用語なのかどうかというのはわからない。
だけど意味はしっかり外から借りているというタイプ。これをむっつり釈用と言いました。
アイスランド語のような釈用に消極的という言語と一般的に言われる言語ではですね、実はオープン釈用が少ないだけでむっつり釈用は非常に多く行っているんです。
つまり意味は外から借りてくるんだけれども、アイスランド語の既存の形、要素で構成して、形状はいかにもアイスランド語っぽくしているので、釈用語であるということがすぐには見えづらいというだけで、実際にはむっつり釈用は相当程度しているという意味では、結局すべての言語はですね、大量に釈用語を受け入れている。
ただ釈用語の種類がちょっと違うというだけなんですね。ではまた。