英語文法の歴史
おはようございます。英語の歴史を研究しています、堀田隆一です。 このチャンネル、英語の語源が身につくラジオheldioでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
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ぜひフォローしていただければと思います。また、コメントやシェアの方もよろしくお願いいたします。 今回取り上げる話題は、
総合的な古英語から分析的な現代英語へ、英文法の一大変化というトピックです。
英文法の歴史ですね。千数百年という長い歴史が英語にはあるんですけれども、その中でも語彙とか発音とか文法、いろいろと言語を構成する要素ってあるわけなんですが、
文法ですね。いわゆる英文法に注目した場合、この千数百年の歴史に一貫して流れる潮流って言いますかね、方向性を一言で
指摘してくださいと言われたら、間違いなく、これどの英語史の教科書にも載っているんですが、総合から分析へという言い方をするんですね。
総合的な言語だった古英語から、分析的な言語である現代英語へ変化してきた。
英文法のポイント、最も重要なポイントは、総合から分析へであるということですね。
例えば、大学の英語史の試験で英語史の文法変化を解説しなさいという問いがあったら、このフレーズ、総合から分析へというフレーズを一言書いておけば、
100点中60点、合格点は取れるというぐらい肝なんですね。キーワードです。
そんな質問は、実際私も出したことはありませんけれども、ここだけ押さえておけば、とりあえず合格と言えるぐらい重要だということなんですね。
そのキーワードはわかったんですが、じゃあ中身、それどういう意味なんだと。総合から分析へということで、英語で言うとSynthesis to Analysisということなんですね。
総合というのがSynthesis、そして分析というのがAnalysisですね。これ、形容詞形にすると、つまり、From a Synthetic Language to an Analytic Languageというのが、英語の文法詞の要訳ということになりますね。
From Synthesis to Analysisということになります。さあ、この意味なんですね。
このSynthesisを総合、そしてAnalysisを分析というふうに日本語に訳してしまったわけなんですが、これが分かりにくい。これがあんまり良くない訳語ということで、意味が分からない人が多いと思うんですね。最初に聞いて。
説明を受けても、これ何をもって総合で、何をもって分析と言っているのかよく分からないというふうな、英語の歴史に関する用語の中では、かなり良くないなという訳語、用語の代表格だと思うんですね。
実際、今回この話題を選んだのは、まさにその質問が寄せられたからなんですね。総合から分析へって、総合って何なんですか?分析って何なんですか?というようなことです。
今回は、それに答えるという趣旨で、この英語詞における文法変化の一大潮流ということになるんですが、これを理解していただければと思います。
総合から分析へ
さて、まず、Synthesis。これ、総合と訳するんですが、この訳語は一回忘れた方がいいですね。
これ、Synthesisっていうのは、例のSynthesizerがありますね。あれは音を合成するわけですよ。合成みたいな意味合いですね。
そして、もともとはおそらく化学用語、化学用語で物質を合わせて合成する。その化学用語を言語に応用したということだと思うんですね。
ポイントは、合わせて一つのものにする。もともと異なっているはずのものを合わせて一つにしてしまい、もはや分割できない状況にしてしまうと。
そんな感じです。一緒来たにしちゃうということですね。混ぜて合成するみたいなイメージです。
一方、反対語であるAnalysisですね。これ、分析というふうに訳しているんですが、これもまた良くない用語で、Synthesisに対してAnalysis。
確かに分析というのが一番普通の訳語だと思うんですけれども、これもやはり化学用語、化学用語で、これはある化合物を構成しているそれぞれのパーツ、要素に分解するということなんですね。
なので、分析と考えるのではなくて、分解とか分割とか、一緒になっているものを分けてやるというような考え方です。
当然、SynthesisとAnalysisというのは反対語の関係だということが分かるんですが、これを日本語、漢語で総合分析としてしまう、その途端に分かんなくなるんですよ。
もともとはパーツに分けるということがAnalysisで、パーツを一つのものにまとめてしまうということがSynthesisという、こういう意味の反対語だということですね。
では、これが言葉の問題、英語の文法の一大潮流ですね。文法変化の一大潮流にどう関係するかということなんですけれども、
現代英語の、そうですね、じゃあ、to stonesという、toは前置詞です。to stones、つまり、石たちに、そのまま直訳すると、石たちにという意味になりますね。
to stones、なんてことのないフレーズ、前置詞句ということになりますが、ここでポイントは、これ現代英語の場合ですけどね、to stonesといったときに、
3つの要素からこのフレーズが成り立っているということがわかるでしょうか。形としては2語ってことになってますが、パーツは3つあります。
まずto、これ1語でそのまま前置、これまず一つ目のパートですね。それからstoneという、今回の句で一番重要な実質的な意味を持つ名詞です。石というものを表すわけですね。
stoneっていうのがあります。これがもう一つのパート。そして最後に、ずっていう部分。
stonesに合わせて1語ということには縦前上になっていますけれども、実際にはstoneたすずという形になってますよね。発音上もそうですし、五字字上もそうです。
sの部分が付け加わってますね。そしてこのずっていうのは、ほかならぬ、複数という意味なわけです。
つまり3つパートがあって、それぞれが役割分担しているわけです。ですので、それぞれを組み合わせれば自然と意味が出てくるっていうことになってますね。
toは何々に2という前置です。stoneが最も実質的な意味を持つ名詞になります。そしてずはその名詞を複数化するという、それぞれの役割、意味っていうものを持っています。
3つのそれぞれが自分自身の役割をしっかりと持っていてこなしている。to、stone、ずということです。
1つが独立して1つの役割をしっかり持っている。そんな1つが×3ですね。3つ集まって1つのフレーズ。
意味的にもそのまま役割を足し合わせて、石たちにというふうに解釈できるわけですね。
つまり、to、stoneという全知識ですね。これはきれいに3分割できる。分割のアナリシスですね。
3つの部分にきれいに分けることができる。そしてそれぞれ分割された1つ1つはちゃんと役割がはっきりしている。他とマージしていないということです。
toは2、stoneは石、ずが×というふうに、1対1で形と機能が対応している。きれいに分割できるということなんですね。
これが現代英語の特徴で、だからanalytic language、分析的な言語と呼ばれるわけです。
だから用語、訳語として分析的というのはあまり良くなくて、きっちり形態と意味との関係ですね。
これががっちりと結びついた3パーツ、3つのパーツにきれいに分割することができるフレーズだということなんです。
一方では、小英語にいきましょう。1000年ほど前の小英語という言語では、この石たちにという表現ですね。
これを何と言ったかというと、一語で済んじゃうんですね。
スターヌムという形です。スペルアウトをすると、スターヌムと書いて、最初の母音は長いんですけれども、スターヌムというこの一語で石たちにという意味を表すんですね。
つまり、toみたいなものが出てこないわけだし、複数形の今で言うsみたいな語尾もないですね。
石を意味する、ストーンに対応するものはスターヌムですから、ちょっと母音がなまったりしてますが、当然ストーンを意味するんだろうなということはわかると思うんですね。
このスターヌムというところなんですが、これも一応分析、分割はできます。
ただ、どういうふうに分割されるかというと、スターヌ、S-T-A-N、この部分がまさに石なんですね。
ストーンに相当しますから、事実的な名詞の役割を担っている部分。
そして語尾のUMと呼ばれる、このUMの部分ですね。
ここにこの一つの語尾です。2文字、2音ではありますが、UMというのが一つの語尾なんですね。
この一つの語尾の中に、2の意味と図の意味、つまり〇〇2という全知事っぽい意味と複数という意味が、このUMの中に一色他に埋め込まれちゃっているということです。
スターンはわかりやすいんですが、このUMの部分に注目すると、UMのこのUが全知事の2に相当して、Mが複数形に相当するというわけではないんです。
これがその逆でもないんです。UMというこれ以上分割できない一つの塊。UMという塊の中に単位としては一つなんです。
この中に2つの機能、つまり2という全知事の意味と複数形の意味、2つが分割できない形で埋め込まれちゃっている。
これを合成シンティセスと言っているんですね。
文法変化の具体例
訳としては総合という言い方で、とてもわかりにくいんですけれども、そういうことです。
UMに2つの役割が詰め込まれちゃっている。1つの形態なのに2つの役割が詰め込まれているということを指して、合成されてしまっている。
決して、UとMにそれぞれの役割が付されているわけではなく、UMという1つ流れのものに2つの機能が根前一体となって埋め込まれちゃっている。
このことを合成、総合と言っているわけです。
改めてまとめますと、現代英語のTwo Stonesというのは3つのパートからなっていて、
それぞれが形態と意味、あるいは役割、機能と言ってもいいですが、これがきれいに一対一で対応しているんですね。
Twoというのは2の意味で、Stoneというのが石の意味で、Zというのが複数の意味だよというふうに、きっちり3つのパートに分けることができる。
ところが対応する小英語は、スターンヌムという一語です。
パートに分ければ2つです。スターンという部分とUMですね。
そしてスターンの部分は、さすがにこれは石という名詞であって、この点では現代語とあまり変わらないんですが、ポイントはUMの方です。
このUMという2文字、2音ではありますが、これで1つながる。この形態の中に2の意味、前置の2の意味と複数形の図の意味が埋め込まれて、セットでUMという語尾になっているんだということです。
この辺りの発想の違い、言語の作りの違いですね。これが全く正反対ということで、総合的な小英語から分析的な現代英語へとなるわけですね。ではまた。