2025-09-12 16:57

heldio #419. 23 が「three and twenty」!?

#heldio #英語史 #英語教育 #英語学習 #hel活 #英語史をお茶の間に #数詞 #複合数詞 #古英語 #ゲルマン語
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サマリー

ポッドキャストでは、英語の数字表現、特にオースティンの『プライドと偏見』に見られる「3&20」の使い方について詳しく解説しています。この表現は小英語に由来し、年齢以外にも一般的に使用されていたことが説明されています。また、英語が大陸言語の影響を受けた経緯についても考察されています。英語の数字表現の変化と、言語の標準化をテーマにした生放送の告知があります。特に、MKさんの研究に基づいて、言語の進化に関する深い問いについて掘り下げています。

リスナーの質問
おはようございます。英語の語源が身につくラジオのパーソナリティ、そして英語史を研究しています。堀田隆一です。
7月24日、日曜日の朝です。 暑い日が続いていますね。ただ、夏のまだ始まりにすぎませんよね。
これから1ヶ月、2ヶ月くらい、これが続くわけなんですけれどもね。 この暑さに負けないように体を作っていきたいと思います。
今朝も元気にいきたいと思います。 本日の話題は、
昨日に引き続き、リスナーの方からのご質問に答えたいと思います。 23、数字の23が
3&20という話題です。 一昨日、金曜日の夜にリスナーのユキさんから頂きました質問です。ありがとうございます。
おはようございます。堀田先生、いつも楽しい放送ありがとうございます。 今日は数字について質問させていただきます。
Pride and Prejudice を読んでいたら、She is almost 3 and 20 という表現が出てきました。
23 years old と同じ意味だと思うのですが、この時代はこういう言い方が普通だったのでしょうか。
それとも年齢を強調するために使われているのでしょうか。 あるいは、オースティン独特の言い方なのかなとも感じます。
また、1の位を先に言うこの言い方は年齢に限ったことなのでしょうか。 私の不勉強かもしれませんが、今までに見たことのない表現だったので、少し気になりました。教えていただけたら嬉しいです。
ということで、ユキさん、ご質問ありがとうございました。 昨日の質問に続きまして、これ非常に英語詞的にはありがたい質問なんですね。
3&20の歴史的背景
英語詞が答えるのに得意とするタイプの問題なんですね。ですので、危機としてお答えしたいと思うんですけれども、
私がこの答えを知っているというよりも、実は、とりわけ嬉しいのは、私の大学院で一緒に勉強している学生のMKさんと言っておきたいと思うんですけれども、
この大学院生の研究テーマなんですよ。この数子の話ですね。ですので、断るごとに、私もこの院生のですね、MKさんの発表、研究内容っていうのを聞くので、私も勉強したということで、これは私の口から言うというよりも、
MKさんの口からですね、本当はお答えした方が説得力があるんではないかと思われるんですが、今日は、いわば代理人として、この問題にお答えしたいと思います。お答えする前に一言なんですけれども、寄せていただきまして、ユキさん、本当にありがたく思っておりますが、
疑問っていうことですね。素朴な疑問です。とりわけ。これ本当に大事なことだと思っているんですよ。疑問に思ったら、質問したいなと思ったら、絶対すべきだと思うんですね。っていうのは、疑問ってすべての指摘活動の始まりだと思うんですよ。
どんなたわゆるのないことでもよい。これを質問する、疑問を抱くということによって、その後に、回答に向けて調べてみようとか考えてみようということになるわけですよね。最終的には答えたいということで、この目標が立つんですよ。疑問。
いられた瞬間に。その目標が、最終的なゴールといいますか、正解が、いろいろやってもわからないことって結構あるんですね。学術の世界なんかそうです。問いを立てても、それについて結局、答えがわからないということも実は多いんですけれども、そこがポイントではなくて、わかるかわかんないかっていうのは、これはやってみないとわからないんですよ。
そこが重要というよりも、やはり疑問を抱くということによって、目標設定がされるんですよ。ゴールにたどり着きたいっていう。ここから能動的な動きが始まるということで、やはり疑問なくして成長ないんですよね。一歩進めないっていうことで、私は本当に重要だなと思ってるんです。
これ当たり前で、あまりに意識しないことかもしれませんが、全ては疑問から始まるんだと思ってます。ですので、この放送でも皆さんに本当に疑問を寄せくださいっていう、つまらない疑問っていうのは基本的にないんですよ。
もう少し言いますと、一見するとつまらない質問も、ひねることによってものすごく面白い疑問になるっていうことがしばしばあるんですね。ここから能動的な歩みが始まるということで、疑問を抱くことって本当にポジティブな未来志向の営みだっていうふうに思っています。
これは私、学生にも常に奨励していますし、そしてこの番組でもいつでも疑問くださいって言ってるのはそういうことなんですね。私が本当に答えられるかどうかっていうのは、二の次で、だいたい答えられてないっていうか、うまくいかないことのほうが多いんですけど、疑問を共有して一緒に考えてみるっていうことが大事だっていうことなんですね。
すみません、前置きが長くなりましたが、今回の質問ですね。23と今では普通に言うところ、3&20とオースティンは言ってるっていうこの問題に関してなんですが、大さかな概要ですけれどもね、今日はお話ししたいと思います。
まず、端的にお答えしますと、小英語ではまさに3&20っていう言い方、これが普通というかデフォルト、基本的な言い方だったんですね。つまり何十何っていう二桁の数ですけれども、これは1のくらいプラス10のくらいっていう言い方。
これをするんですね。なので3&20という言い方、小英語的には3&20なんて言ったんですけれども、それがそのまま残ったのがオースティンが言っている3&20っていうことで、これは年齢に限った話ではなくて、むしろ年齢だけではなく、本当に一般にこういう言い方をしていたっていうことなんですね。
それの名残です。この一見すると直感に反するような1のくらいを先に言うっていうパターンですね。この形は小英語でそうだったということなんですが、実はゲルマン語一般の特徴なんですね。なので、現代のドイツ語でもこういう言い方をします。
これは普通に、ドイツ語でもっとも普通に言う言い方は3&20っていうふうに3&20みたいな言い方をするわけですね。他には、デンマーク語なんかも同じゲルマン語の一つなんですけれども、これも3&20というふうに言うんですね。これも3&20という言い方です。
つまり、ゲルマン語には広く残っているんですけれども、英語では小英語、そして中英語くらいまでは普通にですね、この言い方、つまり3&20という言い方が一番普通だったんですけれども、おそらく大陸の言語ですね。
ラテン語であるとかフランス語の影響によって、今風の23と、ある意味非常に三分的にですね、表現する方法というのを英語は取り入れたんですね。他のゲルマン語はそのままだったんですけれども、英語はこちらを取り入れて、こちらに転向したと言いますかね。
表現の変遷
ただ、古風な表現であるとか、その昔ながらの3&20という言い方も残っていなくはないので、近代英語、ポースティンの時代にまで残っていますし、現代でもですね、普通ではないですけれども、ある種の古風な表現、格式のある文体なんかでは用いられたりするっていうことがあるんですね。
ただ、中英語期以降ですね、徐々に英語に関しては、これがあまり使われなくなってですね、ひっくり返った形ですね。最初は20&3みたいにですね、1の位、10の位という言い方だったの。これをひっくり返して&で結ぶような20&3みたいな言い方もありましたし、そしてこの&が消えて、
23という非常に端的な表現も定着してきて、そして近代英語、現代英語と至るっていう感じで、英語はつまりですね、本来のゲルマン語的な言い方から少し離れていってですね、
ドイツ語であるとか、デンマーク語、先ほど挙げたようなところからですね、離れていって、いわば大陸の言語と言いますか、ラテン語であるとかフランス語のような方式を採用するに至ったということなんですね。
ということで、改めてユキさんのご質問に答えるとしますと、決して年齢だけに限った言い方ではないっていうことですね。オースティンの時代にも既に23という言い方の方が普通だったということはありますが、文体によってであるとか、少し格式ある文体、それから古風な文体においては、
3 and 20という言い方も現役と言いますかね、マイノリティかもしれませんが、一応使われているし、現代だっていうことは可能ということです。デフォルトではないぐらいの意味ですね。ご英語の伝統を引き継いだ言い方だということになります。ユキさんご質問ありがとうございました。
昨日、今日といただいた質問っていうのは、英語士が本当に得意とするところなので、私もお話ししていて気持ちいいって感じなんですね。一方、英語士であるとか英語学の観点からも、どう考えても難しいっていう問題もあって、そのような場合は、いただいてもすぐにお返しできずに、悩みながら最終的にお返ししたり、あるいは、結局うまくいかないのでお返しできないというような状況になります。
今日のご質問ですね、この数字の話題に関しては、移り変わりっていうことがある程度記述されていますか、分かっていることが多いのでお答えできたという次第です。
これはまさに大学院生の、先ほど述べましたけれども、MKさんの研究があって、これを何度か私自身も聞いているからお答えできるっていうタイプの質問ですね。私の話というよりも、MKさんの話であるということかと思うんですけれども。
いかがでしたでしょうか。このチャンネル、英語の語源が身につくラジオヘルディオでは、このようなご質問、それからご感想、ご意見も含めてですけれども、いつでもお寄せください。
チャンネルで取り上げてほしいトピックなどもお寄せいただければ幸いです。Voicyのコメント機能、あるいはチャンネルプロフィールに貼っていますリンクを通じて、専用フォームよりお寄せいただければと思います。
最後に、Voicyの生放送のお知らせです。1週間後になりますが、7月31日の日曜日、午前の11時から12時という枠で、私初めてのトライなんですけれども、このVoicyのチャンネルで生放送をお届けしたいと思っています。
こちらは対談という形でお届けする予定で、5月に大週刊書店より出版されました、言語の標準化を考えるという本があります。
こちらの偏者の1人として、私が参加しているんですけれども、他の偏者お2人、学習院大学の高田博之氏、そして明治大学の田中牧郎氏と私、ほったりゅう一、3人で対談を行い、それを生放送で流すということを考えています。
実はこの対談は第2弾ということになっていまして、第1弾は7月8日に収録しまして、その翌日7月9日のこのVoicyのチャンネルで公開しています。
そちら第1弾を聞いていただくと面白いかと思うんですけれども、そちらを受けまして、今度来週の日曜日ですね、7月31日日曜日の11時から12時という午前中です。お昼の時間ですね。
第2回、対談を行うことになっております。こちらは初めて生放送ということですね。本書なんですけれども、こちらの案内、ヘログであるとか、このVoicyでもかつてしておりますけれども、この本をですね、既に手に取ってみたという方も、そうでないという方もですね、
ぜひ言葉の標準化、日本語であるとか、英語であるとか、ドイツ語であるとか、語言語の標準化の過程ということをですね、考えて、各執筆者が論考を寄稿したという、これを集めてあんだという、そういう本なんですけれどもね、難しそうに考えられるかもしれませんけれども、
英語の標準化、これ、現代の英語が世界標準となっているという現実であるとか、あるいは日本の共通語ですね、これ、この辺りの話題も合わせてですね、議論したいと思っています。
それらをですね、複数の言語を対象して言語史を語る、対象言語史のアプローチということを売りにしている本なんですけれども、偏者3人がそのあたりの話題について、自由にトークしたいというふうに考えています。
既に生放送の予約もしておりますし、そちらの情報をですね、このチャプターにURLとして貼り付けておきますので、そちらから詳細を得ていただければと思います。
それから、その生放送までに1週間ほどありますので、その間にですね、本書を読んでいただいた方も、そうでない方も、この対象言語史であるとか、言葉の標準化というキーワードから思いつくようなですね、話題、質問、コメント等をいただければ、それに対して偏者3人、生放送の中でなるべく取り上げたいと思っておりますので、
ぜひお寄せいただければ幸いです。
本日も最後まで放送を聞いていただきまして、本当にありがとうございます。
暑い日曜日ですけれども、本日も皆さんにとって良い1日になりますように、ほったりうちがお届けしました。また明日。
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