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こんにちは、とある夫婦の個性談義、今日もキャラクターズ始めていきます。パーソナリティのナーミンと
福民です。
この番組は、個性を生かしたいフリーランスのナーミンと、サラリーマンをしながら副業で右腕支援をしている旦那の福民が、普段からシェアし合っているテーマで語り合う夫婦の個性談義です。
個性を生かすという考えに共感してくださる方や、エピソードを聞いて面白いと感じていただけたら、ぜひフォローをお願いします。
お願いします。
はい、ということで今日も始めていきたいと思います。
よろしくお願いします。
お願いします。もうあっという間に2月に入りました。
そうですね。収録してる日はもう2月ちょっと手前。
そう。
でも1月は怒涛だったね。
そうやね。
お互いさ、イベントがあったじゃん。
奈美も1月の中旬ぐらいにイベントあったし、俺も1月の末ぐらいに企画してたイベントがあったし、お互い忙しかったよね、結構ね。
ほんとにね。あっという間すぎて、もう1ヶ月経ったの?っていう。
そうやね。お正月長かったじゃん。
休みがね。
そうそうそう。で、なんかさ、1月末ぐらいになると本業の方でさ、目標どうなの?みたいな感じで月末でさ、3月の積み込みこれですみたいな話をするんだけどさ、ついこの間やったよなみたいな。でまた詰められるみたいなさ。
また詰められる。何そのお決まりパターン。
だからなんか、ほんとあっという間だったなって感じだった。
ねえ、なんかこのキャラクターズもさ、いろいろ試行錯誤していきたいよねっていう話をしてるけど、今日はある意味、なんか初めての取り組みかもしれない。
確かに。
台本というか、なんかいつもちょっとはね、こういうこと話そう、こんな感じで話そうっていうのをやるんだけど、
はい、そうやね。
今日まじで何もないよね。
何もない。
どうする?
なんかさ、いろいろ1月頭とかさ、前回とかもなんかちょっと企画会議的な感じでさ、こういうのやっていこうぜみたいなことを話したばっかりでこれだからさ。
大丈夫かみたいな。
なかなかチャレンジャーだよね。
そうね。じゃあ今日どうするっていうところからちょっと話していきますか。
そうだね。でもそもそも今日台本というかアジェンダとかがないのは、なんかこれについて語りたいっていうさ、熱い思いがあるわけじゃん。
熱い思いがあります。
だからそれを存分に引き出してやる。
引き出してやる。
引き出してやる回にしようと思って。
何その意気込みすごいの。引き出してやるみたいな。
主体性の重要性
そう。なのでちょっとそれについて語っていきたいと思うんですけど、じゃあ本日のテーマ。
テーマ。
テーマって言っていいのかわからないけど、なんか最近ナーミンがすごくなんかフラグが立ってるというか大事にしていきたいって思っている主体性。主体性ね。
主体性。
主体性についてちょっと今日は語っていきたいと思います。大事なことだから3回言いました。
2回じゃないんだ。3回言っちゃう。
3回言いました。
主体性っていうワードが自分の中ですごくキーワードというか、なんか個性っていうワードをさ、結構このポッドキャストでは大事にして。
そうやな。個性談義やから。
そうそうそう。で、そこは別に変わんないんだけど、そこを大事にするためにも大事だよねって思ってるのが主体性っていうワードで、なんかそこについてあんまりまだまとまりきってはないんだけど、なんか話せたらいいなみたいな風に思ってます。
なるほどね。じゃあ壁打ち会みたいなそんな感じにもなるってことね。
どんな感じになるやろ。だから全然どういう会になるかが自分でもわかんない。
出たとこ勝負だね。
出たとこ勝負な感じやから。
ライブ感大事にしていこう。
なんか最近毎回ライブ感すごい。
確かに。
じゃあ今回もそんな感じで。
じゃあその主体性についていろいろと聞いていきたいんだけどさ、そのナーミンが思う主体性ってそもそもどういうものなのかなと思って。
ちなみに俺が思う主体性っていうのは、なんかこう自分の意思を出すみたいな、なんかそういうイメージなんだけど。
うんうんうん。
それは合ってる?
うん、すごく近いというか、なんか意思を出すみたいな、そのなんか行行しい感じじゃなくても、自分ごとで考えたりとか、自分ごととして取り組んだりとか、なんか人ごとにせずに、なんか自分のこととして捉えて取り組むみたいなイメージかな、主体性を持つみたいな。
自分ごととして捉えるみたいな感じ。
うん。
なるほどね。
うん。
サラリーマンの立場
いやなんかさ、それで言うならさ、サラリーマンは主体性がないってこと?
サラリーマンは主体性がない。
ちょっと極論かもしれないけどさ、サラリーマンってさ、要はなんだろう、会社があってのサラリーマンじゃん。
会社がこういう方針でやりたいとかさ、こういう風に成長したいとか、このぐらい売り上げを伸ばしたいみたいなものに対して、なんかじゃあ一緒に頑張りましょうみたいなのが社員だとするじゃん。
そうするとさ、一人一人の主体性があるかっていうと、なんか自分がこうしたいとかそういう感じっていうよりかは会社がこう言ってるからみたいなさ、なんかそういう文脈の方が強くなるかなと思っていて。
県益サラリーマン。
そうよね。
国民的にもそう思う。
結構うちの会社とかはさ、規模が大きいからこそなんだろうな、結構そういうやらされ仕事みたいなものがやっぱり多くて、この目標なんやねんみたいなさ、っていうのとかもやっぱりあったりするから、なんかこう自分がこの目標を決めてこのために頑張りますみたいな、そもそもの流れができてないのよね。
ってなった時に、じゃあそこに主体性があるのかって言われるとどうなんだろうなと思って。
なんかあんまり一括りで語るの難しいなと思うけど、一つ思うのは、雇用されている立場の人って、主体性をすごく持ちづらい状態になってる可能性はすごく高いなと思っていて。
なんかそれは個々人がやる気がないみたいな感覚ではなくて、必然とそうなっていくよねっていう、自分ごとにしにくい状況ってできていくよねっていう、なんかそういう感覚の方が強いかもしれない。
なるほどね。確かに自分ごとにしにくいよね。
なんか今日主体性について話したいってなったのは、今日お昼に、今夜に撮ってるんですけど、コーチングを相互で今やっている人がいて、それで自分が受け入れてた時、セッションをしてもらってた時に、すごく主体的みたいなワードがそこでも出てきて、
なんか人の反応とか、なんか周りの状況とかに、私自身が結構合わせちゃう側面があって、なんかこの人今忙しそうだから、今やめとこうとか、なんか今すごいこういう状況だから、今じゃないなみたいな、なんか自分がやりたいこととか、自分が言いたいことがあったとしても、なんか周りの状況に合わせちゃうというか、それが必要な時もあると思うんだけど、
そうだね。
でも、全部が全部合わしてたら、何も自分の意思って発揮されないだったりとか、結局自分がこう、なんかその主体的に進められることってすごく少なくなっていっちゃうなと思うと、なんかそれって、なんか周りに合わせてるとか、周りに調和してるって言ったら聞こえはいいけど、なんかそれって、なんか責任逃れじゃないってなんか思う部分もあるんだよね、自分に対して。
なるほどね。
それで言うと、そのサラリーマンの人が置かれてる立場って、自分のことよりやっぱ会社のことを優先的に考えざるを得ない、なんかこう文脈とかがあると思うんだよね。会社の売り上げがとか、会社が今こういう状況だからとか、なんかそこをこう主語が会社になっちゃってる状態って、主体的になりづらいよなとか、主体性を発揮したら迷惑がられるとか、なんかそうじゃないだろうっていう、なんか圧を感じるとか。
確かにね。
そう、なんかそこを私自身も察しちゃう部分があるから、なんだろうな、そういう主体性発揮してほしいし、自分もしたいのに、なんかできてない部分があるよなっていうのをちょっと気づいたのよね、今日。
なるほどね。
そう、っていう流れがあって、ずっと主体性主体性って言ってるっていう。
周囲との調和と発信
確かにさ、ナーミンはさ、周りを見るよね、すごく。
いや、そうなんよね。
なんかそれは本当にその通りだと思う。空気を読むっていう言い方の方が正しいのかわからないけど、空気だけじゃないな、なんかその人のメンタル状況だったりとかさ、将来やりたいこととかも踏まえた上で、今このタイミングじゃないだろうな、この人だったりとか考えたりするじゃん。
なんかでも、実際は本当は背中を押してもらいたかったりとかすることとかもあるんじゃないかなとも思うわけよね。
なんかそういう時にやっぱり大事なのは主体性。この人にはタイミングじゃないとかじゃなくて、この人には自分のサービスを受けてほしいとかさ、そういう主体性は発揮した方がいい場面もあるよなっていうのは今までのナーミンを見て思ってた。
すごくこう、なんだろうな、これよく言っちゃうとすごいニーズ優先なのよね。なんか相手の、なんか自分がやりたいからとか売りたいから提案するっていうのが、なんか気持ち悪くてさ、なんかどっちかっていうと、その相手が困ってるとか、相手が求めてるっていうのが、なんかわからないと、なんか提案するっていうのが、なんか自分の中であまりこうフィットしなかった。
から、その福民から見ると、なんかめっちゃ待ってるなみたいな、なんかすごい様子を見ているみたいなふうに、なんか見えるんだろうなって思うけど、なんかそれってある意味主体的じゃないなっていうのも、今日すごい感じて。
なんか押し付けになるとはまた違うんやけど、なんか自分の中ですごくこれは受けてほしいなとか、伝えたいなって思うことがあるのに、なんか伝えないまま、なんか自分の胸の中に留めておいて、タイミングを伺うっていうのは、そんなんやってる間に死んでまうなって、純粋に思ってさ。
でもさ、そのタイミングを伺って待ってる時っていうのは、別になんか、そわそわしたりとか、もやもやしてるとか、そういうわけではないんでしょう?
ない、全然ない。言いたい、言いたい、みたいなのも、なんかその場面では特にないのよ。でも、たぶんこの私の発信欲求っていうのは、伝えたいことはあるから、それを出せる機会が欲しいっていう、作りたいっていうのはあると思う。
なんか一方的に、人の状態とかを気にせずに、自分はこう思う、私はこうっていうのを、なんか言える環境が欲しかったっていうのは、なんか発信したいってとこにすごくつながってると思うんだよね。
でもさ、今聞いてて思ったんだけどさ、結構紙一重だなと思って。その主体性を発揮するっていうのと、タイミングを伺うってさ、別にどっちが悪いとかそういうわけではないんだけど、どっちかが強すぎるとうざかられたりとかさ、なんかこいつうっせえなみたいな感じになってくるじゃん。
まあね、でもそれに怯えてたら何もできひんなとは思うから。 まあ確かに。いやでもちょっとさ、前このポッドキャストでもさ言ったと思うんだけどさ、結構空気読まずにガンガン行く人みたいなやつが会社にいるわけよ。で、やっぱりさ、みんなから煙たがられてんのよね、すごく。
なんかすごくなんだろうな、一生懸命ではあるんだけど、ちょっと話す内容がずれてたりとか、ここでその話するだったりとか、なんかそういう人がおるわけよ。で、まあ俗に言う空気読めないよねって言われてる人。でもやっぱこう、その人は自分の思いがすごい強いのね。自分が自分が、自分はこう思いますとか、そういう方だから、まあ主体性発揮してると言えば発揮してるのよ。
じゃあ果たしてそれが良いのかっていう。なんかもう良いも悪いものみたいな言われないけど。
主体性の欠如についての考察
良いも悪いもないんだけど、結果がどうなのっていうところかなと思う。さっきの紙一重の話でも、自分が自分がで言ってて、結果得れてるんだったら、自分が得たい結果、それでいいと思う。どんだけ煙たがられようが、なんか成すものは成してるわけじゃん。
そうやね。
そう。で、なんかタイミングかかうっていうのも、タイミングかかった結果、得たいものを得れてるんだったら、良いじゃんって思うよね。でもなんか私は、それで言うと、お花のワークショップをこれからやっていきたいっていう思いはあるんだけど、結構それを対企業とか組織とかそういう、なんか自主開催だけじゃなくて、いろんな会社さんとかに提供していきたいなっていう思いがすごいあって、
なんか提案をしていきたい気持ちはあるけど、なんかその企業の話を聞けば聞くほど、今なのかなとか思っちゃう。なんかそこでその提案のタイミングを先送りにしてる自分がちょっと想像できちゃったのよ。
でもそれは別にさ、ビビってるわけじゃないんでしょ? ミレイ なんかビビってんのかなとも思った。 ああ、そうなんだ。
ミレイ うん、でもこう、なんだろうな、どっちかっていうと、今なのか?みたいなタイミングを伺って、なんか様子を伺っているみたいな感覚の方が近いかもね。
強者ムーブやな。様子を伺うみたいなのは。
ミレイ 強者ムーブ?どういうことどういうこと? 例えばすごく追い詰められてて、ミッチもサッチもいかない状態だったらさ、待ってらんないじゃん。様子なんか伺ってらんないじゃん。いや本当にいいんですよ、これはみたいなさ、感じになるだろうなと思って。
でも、その余裕があるとかそういうわけではないけど、なんかやっぱりこの追い詰められてる立場の人じゃないムーブだなとは思うわけよ。
ミレイ 様子を見てる人。 だから、様子を見て腕組んで、はいはい、そのタイミングね、みたいな感じで様子を見てる。 ミレイ えっ、なんか嫌なやつ、嫌だ。
別にそんな感じではないけど、でもなんか様子を伺うって、なんかその余裕があるからできる人なんやろうなってのはちょっと思った。 ミレイ あ、そうなんだ。そうか、そうなのかもしれないね。
だから、なんか余裕があるっていうのは別に悪いことじゃないと思っていて、なんだろう、タイミングを伺えるってさ、すごくいいことだと思うのよ。もう俺こんな偉そうなこと言ってるけど、俺はめちゃくちゃ主体性じゃないから。
ミレイ そうなの?じゃあ、その話もまた。 そうやね。だから、なんか気持ちはめちゃくちゃわかるし、俺もなんかどっちかというと空気をね、ジャブ打っていくタイプだったりするし、だからこそなんか主体性に生きるってどういうことなんだろうなっていうのは、やっぱ思うんだよね。
ミレイ なんかやっぱその、昔さ、このポッドキャストでアクション、リアクションみたいな話したね。私は今リアクションに回っているなっていう感覚なのよね。そのアクションとリアクションで、そのアクションに対して反応するのがリアクションだよねってなったときに、どっちが先に何かを生み出してるかというか発信してるかって、やっぱアクションしてる人。アクションしてる人がいないとリアクションする人って生まれない。
確かにね。
ミレイ そこのアクションを自分は今できてないなっていう感覚があった。
そういうことね。
ミレイ そうそうそう。
なるほど。何かを生み出すためには、やっぱアクションが必要だよね、主体性が必要だよねっていう話なわけね。
ミレイ そこで主体性にいきなりはつながんないのよ、私の中で。今のは自分の今の状態を見つめたときに、何でこんなに自分のスタンスを決めきれてないんだろうとか、やりたいと口では言ってるのに、やらねばみたいな状態になってないのは何でなんだろうなみたいなことを見つめていったときに、
リアクションをしてる状態だなって自分が思って。でもそれって要は、人の目を見て自分の見なりを決めているというか、自分の動き方を決めてるっていう反射してる感じ?
でも自分がやりたいことって、何か新しい点を持っていきたいっていう、こういうことをしませんかっていうのを言っていきたいはずなのに、何かすごくごてごてしてるというか。
なるほど。
なと思って、そういうアクションリアクションの話を出したんだけど、主体的にっていうのは、何かその文脈でいくと、ごてかせんてかみたいならしいだし、何かもっと大きく言うと、自分がやりたい、むしろ何かやると決めてることを、何て言うんだろうな、やらない理由を探すじゃないけど、やらない理由を作るのはさ、超簡単やん。
そうやね。
時間がないとかさ、準備が整ってないとかさ、超簡単だけど、何かそれやってる時って、すごい何か言い訳してるなというか。
確かにね。何かさ、気分も乗らないよね。何かこう、分かってんだよねみたいな状態になっちゃう。
そうね。
やらなきゃいけないのは分かってんだけどねって言ってる自分にまたテンション下がるみたいなさ。
私の中で結構、お花のワークショップはすごく、めちゃくちゃいいものだなっていう確信は割と得てるのよね。
でも、それを広げていきたい、もっと活動をやりたいってなった時に、今何か主体的になってねえなっていうのは感じていて、
でも、ワークショップを通じて伝えたいことっていうのも、結構キーワードが主体性だから、
なんかすごい自分に問われてるなっていうのを、今何か感じながら過ごしている。
リアクションとアクションの違い
なるほどね。確かにこないだナーミンのワークショップ参加させてもらってさ、めっちゃ主体性を促すようなワークだったよね。
そうなの?そう感じた?
感じた。
どこどこで感じた?
例えば、テーマがさ、抱負みたいな感じだったじゃん。
2025年の自分に送るみたいな感じ?
自分は一年間こういう風に頑張っていきますよみたいな感じのやつでさ、それをシェアするみたいな感じだったじゃん。
で、できれば話しかけたことがない人だとか、話したことない人に5人ぐらいにシェアしましょうみたいなさ。
俺あれ陽キャのやることだと思ってるわけよ。
陽キャのやること?
なんかあれって、自分の話を聞いてもらいたいっていう主体性がないとなかなかさ、言えないと思ってて。言えないっていうか、5人も集められないと思っていて。
で、俺はさ、結構焦虐的な人間だからさ、ドギマギしてたらさ、なんかやっぱ話しかけてくれるよね、陽キャたちが。
陽キャたち、言い方言い方。
めちゃくちゃさ、いい人たちばっかりでさ、明るい人たちばっかりで、だからこそなんかこう思う存分自分も出せたみたいなところはあったりするけど、
なんかああいうのを、要は自分の抱負をシェアしようみたいなところは、やっぱ主体的な活動だと思うんだよね。
自分の話を聞いてくれとかさ、自分の思いを見てくれとかさ、自分を見てくれみたいなところってさ、やっぱ主体性がないとできないと思うんだよね。
だからそういうのも含めて、なんかやっぱそういう主体性を感じられるワークだったなっていうのは思う。
なんか、福民からさ、話しかけた?誰かに。
なんかね、3人目ぐらいからは話しかけられたのに。
へえ、いやそれすごい嬉しい。なんか、私全体を見てたしみんなもあったからさ、誰がどう話しかけてるとか全然キャッチできんかったんやけどさ、
なんかそういうのを作りたかったのよ。なんか最初はそういうの得意な社交的な人がどんどん聞いてくださいみたいな感じで行くけど、
なんかそれをしてもらった結果、自分も次行こうって思える体験になってたんだとしたら、なんかめちゃくちゃ嬉しい。
だってさ、ほとんどの人初めましてだったじゃん。なんか最後の方さ、めっちゃ仲良くなってたじゃん。
なんかそれこそこのキャラクターズのことについてみんな一生懸命ワイワイワイワイ考えてくれてたじゃん。
なんかやっぱすごくいい雰囲気だなとも感じたし、仲良くなってんなってのも感じたし。
仲良くしたかったわけではないんやけど、でも自分の考えとか思いを知っている人たちと同じ時間を過ごすのか、
自分のことなんて誰も知らないし興味もないよねっていうふうに思ってる状態で同じ時間を過ごすのって、なんか全然体感違う。
いや全然違うよ。マジ交流会とかすげえ苦痛だったもん。早く終わんねえから時計もう一本気に見るみたいなさ。
おもろない授業みたいな。
そうね。なんかそれが自分としてはすごく大事な要素だったなと思っていて、その主体性を発揮するっていうのも、さっきそのサラリーマンの人が発揮しづらい環境だよなみたいなのが、
会社がどうしても主語になるっていうところもそうだし、なんかやっぱ授業とか仕事とかお客さんのこととか、なんか今自分たちがミッションとしてやらないといけないことを中心に会話をするっていうのは、
意見を持ってる持ってないとか、スキルがあるないとか、そういうのもあるんだけど、でもなんか根本こうどういう思いでそれを言ってるのかとか、最終的にその人のバックグラウンドとか、その人が大事にしてることからそういう話が出てくると思うけど、そこって見えないし、そこって考慮されないし、
なんだろうな、なんかその発信した言葉は、なんて言うんだろうな、なんかうまく言えないけど、その人から出てきたものではあるんだけど、でもやっぱその自分のことではないわけだから、結局その自分自身がどうしたいかみたいな観点で、会社とかの中にいると、どんどんどんどん、なんかね小さくなっていく感覚があるのよ、私の中で。
なんかそれは会社で話すことじゃないみたいな、仕事で持ち出すものではないみたいな、自分がどうしたいかとかどう生きたいかとか、何が好きで嫌いでみたいなところって、仕事がうまくいってるんだったら話してもいいけどみたいな、でも仕事がまずうまくいくのが先だよねとか、
自分の中での優先順位が、自分のことがどんどん下がっていく、優先順位の中で、結果的に主体性を奪っているのではと、なんか私はすごい思うよね。
サラリーマンにおける主体性
確かにね、なんか今の話を聞いてさ、すごく感じたのは、やっぱね、自分で決めてないんだよね、何も。サラリーマンって。ま、ひとくぐりに言っちゃ申し訳ないけど。
なんか大きいなと思う。しるこが大きい。
たとえば、自分で言うのは一番わかりやすいと思うんだけど、今、俺ほとんど何も自分で決めてないのよ。ほとんどリアクションなの。
たとえば部下のメンバーがトラブルを起こしました、それに対してリアクションします、だったりとか、っていう繰り返しなんだよね。
あとはなんか上から目標降りてきました、それに対してリアクションして行動に起こします、みたいなさ。っていうのが今なんだけど、ひと昔前はもうちょっと大きな組織の組織長みたいなさ、部層任せられてたみたいな感じだったから、あの時は結構自分で決めてたんだよね。
たとえば目標は降りてきたけど、その目標に対してこういうふうにやろうだったりとか、あとはまあその人によって目標を変えたりとか、なんか結構この自分に裁量があった時って自分で結構決めて主体性を発揮してたなって今ちょっと聞いてて思って。
なんかその、何だろう、立場だったりとかそういうのもあると思うんだけど、やっぱこう自分で決めてそれを実行できるっていうのがすごくその主体性を発揮するにおいて重要だろうなって思うわけよ。
ってなると、やっぱこう何かを決めて行動するってさ、基本的に何かを生み出したりとか、ゼロイチみたいな感じの考え方じゃん。そういう場面だと、やっぱ主体性って逆に発揮しないとやっていけないっていうか。
そうね、何も生み出せない。
そうそうそうそう。でもなんか既存のことを、なんだろう、淡々とこなすだけみたいな仕事であれば、極論主体性なんて邪魔になるだけだったりするじゃん。
なんかそのフェーズだったりとかさ、役割とかだったりとか、何かそういうのによってだいぶ主体性の必要度合いみたいなのは変わってきそうだなって。
いや、それはすごい思うし、何かだから業務の中でその主体性を発揮させるみたいなのって結構難しいと思っていて。
なんか別に発揮させなくてもいい場面で発揮させようとするじゃん、なんか。
なんかね、とにかく主体性だって。
もっと頑張れよみたいなさ、もっと自分の意見ないの?みたいな。
だってないよ、ないんだもんみたいなね。
そうそうそうそう。
なんかないものはないで、なんかそれをないってだめだよねっていうのも私は不自然だと思う。
いや、それはそう、ほんとに。
ないものはないっていう。
別になくてもええやんみたいなさ。
なんかそれって文化だと思うのよね。なくてもいいよね、別に。だってこの人は別に今意見がない、ただそれだけだよね。ある人はあっていいけどっていう。
そこのこう、なんだろうな、なんかでこぼこ感というか、なんかみんながみんな均一に、なんか会社に対してこう思いがあるわけでもないしとか、会社にいる目的もさ、ちょっとずつ違ったりするわけで、なんかそこをこう、なんだろうな、なんか見つめ合いつつ、でも自分はこうなんですっていうのが言える状態が一番こう、
なんか私ね、すごい組織に求めてるものが自然かどうかなの。
ナチュラル?
ナチュラル。なんかね、アンナチュラル嫌なの。不自然。
どういうのが不自然なの?
例えば、強制的に人を動かすとか、お金とかでモチベになって動くとか全然いいんだけど、それも自然だなと思うから、お金もっと欲しい、頑張るみたいなのって自然だけど、例えばやりがいを強要したりだとか、あとはこういう会社ってこういうもんだから、みたいな感じの固定概念で人を縛って、
なんかそこにはめようとするようなことだったり、あとは結構その、私MLMあんまりこう、なんかね、昔からあんま受け付けないのよ、なんか感覚的に。で別になんか制度自体、紹介で広げていくみたいなものだと思うから、そのマルチレベルマーケティングってさ、その
名前の通りやもんな。
そうそう、なんかこう、一人の人から派生していって、どんどんその、何その人のレコメンドでいいなってなって、どんどん連鎖していくっていうものだと思うから、なんかそれ自体は普通の自然のこと、いいと思ったものは進めたいよねっていう自然なことだなと思うけど、なんか不自然だなと思うのは、なんかランキング形式になっていくこと、そのマルチレベルっていう、なんかレベルをつけられていく。
だからその、たくさん紹介出した人が偉いみたいな感じの、その構造になっていくっていうのが、私は不自然だなと思うのよね。
なるほどね。
でもある目的においては、必要なことかもしれないけど、例えばその商品を浸透させる、もういろんなところに手を伸ばすためには、マーケット広げるためには必要かもしれないけど、自然か不自然かで言うと、私は不自然だなって感じるのよ。
だって、なんか偉いも偉くないもなくないっていう、そのたくさん紹介出した人が偉いっていうのは、なんかその会社のためにはなるかもしれないけど、その人にとってはどっちでもよくない、紹介出そうか出さないかっていうのが自然だなと思うのよね。
なるほどね。
でもこれはなんかすごい感覚的なものがすごい多いから、なんかあんまりうまくしゃべれてる気がしないけど。
まあでも自然か不自然かって言ったらさ、なんかどこかに歪みを生むような仕組みだなって思うから、なんかやっぱそれは不自然だよなって思うよね。
そうね、なんかやっぱ自然の節理というか、なんか自然界と同じ法則で。
弱肉強食みたいな感じ?
弱肉強食もそうだし、なんか例えば森があって、森の中で生物の弱肉強食とかあるかもしれないけど、でも全体として調和しつつ、朽ちるものもあれば生まれてくるものもあって、それが何かものとか種を運んで、なんか新しい生命を生み出したりとか、なんかその流れの中に私たちっているよねっていう、
なんかその循環の中にいるかどうかみたいな。
なるほどな。
それこそMLMもそうだけど、なんか不自然だなと思うものって、マンパワーで領地拡大してるみたいなイメージなの。
マーケットを拡大するみたいなのって、私の中ではすごく違和感のある言葉だよね。
へえ、そうなんだ。
そのじゃあ、事業をスケールするとか、そういうのも違和感あるの?
何のために?とは思っちゃうかも。何のためにスケールするの?とは思う。
例えばさ、もっと幸せな人を増やしたいから、その幸せを増やしたいためには、もっとやっぱり自分の理念…
今回はここまで。次回に続く。