主体性と幸せの探求
こんにちは、とある夫婦の個性談義。今日もキャラクターズ始めていきます。パーソナリティのナーミンと
福民です。 今回は前回からの続きです。
ではどうぞ。 もっと幸せな人を増やしたいから、その幸せを増やしたいためには、もっとやっぱ自分の理念だったりとかさ
何かこう大切にしているものっていうのが普及するといいなって思っていて、そのためにどんどん事業をスケールしていきたいみたいな感じだったら違和感はないの?
もうちょっとその幸せとは何かっていうのを突き詰めてたら納得いくかもしれない。 なるほどね。
なんか幸せって道にでも解釈できるから、幸せという名の暴力をすることもできるわけだなと思ってて。
これが幸せだろみたいな。 そうそう。幸せを強要されたらもうそれは幸せではないと思うから。
なるほどね。 あなたの幸せはそうかもしれないけど、それは世界の幸せとイコールかどうかは分かんないよねっていうところに疑問を持てない人は無知の地がないなと思う。無知だなと思う。
なんか自分勝手じゃんって思っちゃうのよ。だからそこは人の話聞こうねとか、なんか人のことちゃんと見ようねっていう最初のさ、その主体性発揮してるけど自分が自分がみたいな人も周りの反応を見ようよって思うわけ。
まあ確かにね。 でもなんかそれをしすぎると逆に周りの反応しか見なくなるから、ちょっとバランス感は大事なんだけど、なんかそうじてその自然かどうかみたいなので。
なるほど。自然かどうかね。なんかそれはこのホモサピエンスの世界でさ、すごく難しい生き方だなって思うわ。
その心はなんですか? なんかやっぱりさ、すごく飛躍するかもしれないけどさ、やっぱこの世界って戦争で成り立ってきてるじゃん。奪い合いで成り立ってきてるなーって思うわけよ。
もう奪い合ってる時点で自然じゃないじゃんって思うわけよね。でもそれでこの成長してきたこの人間たちだからさ、やっぱその概念が身に染みちゃってるというか身についちゃってるというか、特に現代社会。
国際関係がそれのね、そういうパワーバランスで成り立ってるからね。
しかもこの資本主義社会においてはさ、お金持ってる奴が偉いみたいなさ、そもそもの考え方があるわけじゃん。
その中でやっぱりこのナチュラルに生きるっていうのは、それをしてる人たちはやっぱりすごく解き放たれてるなって思うし、なんか羨ましいなって思う一方で、なんかじゃあ自分にそれができるのかっていうと、やっぱまだまだ縛られてるなって思うし。
そうなの?思うんだ。
うん。思う。全然思う。なんか俺は結構承認欲求が強いからさ、やっぱ人に認められたいみたいな気持ちがすごい強いのよ。だからこそなんかこう主体性があるというか、自分でこれをやりたいっていうよりかは、なんかこれをやりたいって言ってる人のサポートをしたいみたいなふうに考えるわけよね。だからなんか主体性がないっていうふうに思うし。
でもさ、そこに対しては主体性あるわけじゃん。人に。
いや、そうなんだけど、なんか前も話したことあるかもしんないけどさ、交流会とかさ、SNSの発信とかさ、もう全然やる気出ないのよね。でもやっぱりもっと自分のやってることみたいのをさ、他の人にもいろいろ知ってもらいたいっていうふうには思うわけよ。でもやりたくないんだよね。そういうなんかこう広告みたいな活動みたいなところは。
これは何なんだろうなって。これをなんかこうやりたいって思いを持って、やっぱ突き進むのが主体性かなって思うわけよ。
自分から広めてまで伝えたいことがまだないんじゃないの?それで言うと。
それはそうかもしれない。
私もそれはずっとあって、ようやくこれは伝えたいっていうものにやっと出会い始めたっていう感覚だから。
なるほどね。
なんかそれまでは別に、何も別に伝えたいことがないのに、頑張る理由ってそんなないと思うから。
そこは別に主体性がないっていう話ではなく、ある意味すごく自分に正直な状態だと思うのよ。別に何もないみたいな状態も。
確かにね。
なんかそこを認めれない人が私は一番見苦しくて。見苦しいって言い方すごいダメだね。
刺さる、刺さる。
なんていうの?なんかあるふう?なんかすごい偉大なものを自分は持ってるふうな人が、私は一番リアクションに困るから。
確かにね。
なんか、あ、あ、なんだ。
はいはい、それでわかるわかるみたいな。
そうそうそう。いや、浅みたいな。なんかこう、なんか話聞いてもうすごい底が見えるのよね。
浅い人嫌いなのか?
人間関係と主体性
嫌いっていうかさ、おもろないのよね、喋ってて。っていうのは一つあるんだけど、別にそれはなんか、それ悪いとかっていうよりは、もう私の好みの話なんだけど、
なんかこう浅かろうが深かろうが、なんか自分に正直であるっていうのは、なんかすごく、なんだろうな、どちらにせよ大事だなって思う。
なるほどね。自分に正直であるね。そういう意味では、俺は自分に正直に生きてる。やりたくないからやらないっていう。
私は今の自分の正直な気持ちは、お花のワークショップとか、とはそのリクソーっていうものに、なんか触れてくれる人が増えてほしいし、
自分はそれを伝えていきたいっていうのが、今の正直な気持ちなわけよね。なのに、そこを、でもあの人はまだ、そこを受け切れてくれないんじゃないかとか、
周りの状態とか、みんながきっとこうだろうみたいな、なんか自分の中の判断で、先送りにしてるっていうのは本望ではないというか、したいではないというか。
じゃあ、やっぱあれなんじゃない?ちゃんとこう、自分自身に正直に生きてるか、みたいなところが主体性だったりするのかな。
ああ、そうね。能動的であるっていうことが、私の中で主体的であるっていうことではないのよね。
自分に、なんかまっすぐかどうかみたいな、ちょっとうまく言葉が出ないけど、確かに自分に正直だな、その周りにもいるのよ。
なんかすごい適当に生きてます、みたいなことを言う人がいるんだけど、なんも思わんの。すごく正直だなと思うから。
で、そこでいろいろこう、センシティブなものがあるかもしれない。なんか自分の中で蓋を閉じてるものがあるかもしれないけど、なんかそういうのも含めて、
まるっと自分は今こうっていうのを持っている。だから私は今こんな感じで適当に生きてるよ。でもそれは自分で選んでるんだよっていうものを感じると、なんも思わないの。
でも、どっか自分に嘘ついてるというか、ごまかしてる。例えば、福民が交流会にめちゃくちゃ、本当はその行ってまでやりたいことって特にないし、
交流会で出会った人なんてクソくらいとか正直思ってるけど、でも交流会に行ったらこんな素敵な出会いがあってとか、ご縁は大事とか言ってると、きしょって思う。
ほんまかいなとか思っちゃうから、なんかそれは能動的かもしれないけど、主体的ではないなってすごく思う。
なるほどね。そういうことか。
だから福民が自分で自分主体的じゃないっていうのに違和感がある逆に。
確かにね。そういった意味で俺は結構今さ、行きたいように生きてるし、やりたいようにやってるわけよ。
おかげさまでいろいろいい御縁に恵まれたりとかしてさ、いろいろやらせてもらってるけどさ、だからこそ結構楽しいんだよね。
なんかさ、こないだミーティングのアイスブレイクでさ、最近あった楽しいことなんですか?みたいなアイスブレイクあったのよ。
なくて、特に言いたいことが。でもそれってなんか、あ、毎日楽しいってことなんだなって思って。
なんか特段さ、イベントとかもちろんあるけど、なんかそれがすごい楽しかったみたいな感じじゃなくて、なんかもういつも楽しいみたいなさ。
なんか今そういう状況なんだろうなと思って、それをそっくりそのまま言ったんだけど、それってすごい素敵だねみたいな感じでみんな言ってくれて。
なんかそれに、なんか飽きてきてるのに、例えばよ、もうそれが当たり前になって、楽しい、楽しいと思ってないと何か失っちゃうかもみたいなことを、例えばふくみんが感じ始めたときに、
いやでも毎日楽しいんで。ってなんか言ってたら違うでしょって多分思うのよ、私は。
なるほどね。
なんかそろそろ飽きてきてるんじゃないとか、そろそろなんか新しいことやりたいんじゃないとか、なんか新しい数入れたいんじゃないのとか。
多分思うけど、そこでそれを気づけるかっていうことと、そっちを選べるかっていうことは私は勇気だと思うから、
そこに踏み込める人はすごく主体的だなってその瞬間も思うし、でもそうじゃないタイミングもあっていいわけで、
なんか今毎日楽しくて、それが幸せですだったらもうどうぞやってくださいって思う。
なるほどね。でも幸せである一方さ、もう常にプレッシャーにさらされてるわけよ。
なんかこうやっぱりなんだろうな、結構その自己評価、自己肯定感は高いけど自己評価は低いからさ、
なんかこれで大丈夫かなだったりとか、こんな俺でもできんのかなみたいなプレッシャーに常に襲われてるわけよね。
なんかそれが自分のなんかこう主体性を育んでる感は、言われてみればあるかなって思うな。
いいバランスなんじゃない?だから今すごく興味ある。
ありがとうございます。
私はそこがなんかバランス良くないなって思う。
なんかだからさ、俺のことずっと羨ましいって言ってんのかもね。なんか俺がそういうふうにしてさ、色々主体的に行動してるように見えるから、羨ましいってなってんのかもね。
うん、なってる気がする。なってるかもしれない。
自分はなんかこうやりたいって思ってることがあるのに、うまくこの主体的に動けてない。一方で隣でふいふいって楽しんでる旦那がおるみたいなさ、なんやこいつみたいな。
いや、なんやこいつか思って、すごいなと思いつつ、やっぱり羨ましいなって思う感情もある。
いいなって。まあ自分は自分だからなって。
まあ確かにね。なんかそれに対してさ、人から指摘されたりとかってどう思うの?
人から指摘されたり。
例えば今日、コーチングでさ、言われたわけじゃん。なんかそれ主体性発揮できてないんじゃない?みたいなさ、それ言われてなんかムカッとかは来ないの?
誰に言われるかにはよるけど、でも今日はすごく、私がね、何をじゃあこの時間で得たいかっていうゴール設定をした時に、なんかやりたいから、やらねばに変えたいって言ったのよ。
なんかやりたいはもうあると。しかも言ってると。でも、やらねばっていう状態にはなってないのね。
それは自分で期限を作ってないとか、なんか人と約束してないとかっていうのもあるけど、なんかそれ以外にも要因あるんじゃないかなと思って、
やらねばっていう状態に自分を持っていきたいっていうのをテーマに話したから、なんかすごくそこの自分自身が主体性をみんなに持ってほしいとか、
なんか主体的に、何をやるにしても主体性がないと吸収なんてできないよねって思ってるから、なんかそれをお花というツールできっかけとして、なんか与えたいっていう気持ちがあるのに、
その取り組みを主体的にやれてない自分って、超ダサくない?みたいな感じに言われて、間違いねえとか、ダッセーみたいな感じになったから、なんかそれはそんなになんかムカとか全然ない。
うーん、なるほどね。
確かにすぎるみたいな、それかーみたいな感じになったけど、お前はどうやねんって思う人に言われたら、イラッてすると思う。
まあまあ誰に言われるかって話ってだけね。
うん、それはあるかもな。なんかそこは自分がまだその誰の言葉でもそういう風に受け止めれるみたいな器がないから、やっぱ誰にどう言われるかっていうのは結構大事だったりする。
いやーでも誰にどう言われるのかだったりとか、やっぱ誰と一緒に仕事するのかだったりとか、なんかそういうのはやっぱコミュニケーションにおいて一番大事だなって最近思うけどね。
あ、そうなの?なんで?
いやーなんかさ、これも実体験なんだけどさ、なんかやっぱ俺右腕みたいな形でやってるから、やっぱ誰とやるかってすごい重要なのよ。
すごいなんか相性が良くて、この人のために頑張りたいってさ、思う人からさ、言われるこれやってよとさ、なんかもう全然なんかこいつなんやねんみたいな風に思ってる人から言われるこれやってよ、じゃあ全然俺の受け取り方が違うわけよね。
だからこれは本当にその誰と仕事をするかっていうところだけだなと思ってて。
確かにね、スキル的にできるできないって話じゃないもんね。
そうそうそうそう。なんならその後から言われた方のやってよの方がもうすぐ終わるのにさ、やる気にならないみたいな。
ボリューム的に全然ないのに。
だから副業の方は頑張ろうってなるけど、本業の方は頑張ろうってならないみたいな。
わかりやすい。
そういうわかりやすい事象が今日勃発してさ。
だからそこもさ、言ったら主体性がなぜ育まれる育まれないかみたいなところってさ、
まあ一個はその人間関係っていうのは絶対的にあるなと思うし、
仕事における主体性
なんかそれ以外でも、なんかいくつかある気がしていて、そのこの仕事の先に得たいものが見えないとか、
得たいものが見えないのにやってよって言われるとか、なんかそれって結局自己理解の領域になってくるなと思うんだよね。
なんか得たいものがあるなら、まあちょっと嫌なやつだろうが、やろうってなるかもしれないけど、
うん、なんか別にこの先、この仕事をやったとて、とか思っちゃってる状態だと、
じゃあそこからまた新しい何か仕事を生み出そうっていう気分にもならないし、
なんかそれを求められても、なんかうざいなで終わっちゃうというか。
で、なんかそれが結構組織に起こってる、その経営層は社員に主体的になってほしい。
でも社員は、いや、今持ってる仕事をやってんだから文句言うなよみたいな、なんかこうそういうその意識の違い、
それを経営層から見ると、すごくこううちの社員は言ったことしかやらないし、全然その前向きじゃないし、みたいなふうな評価になるけど、
なんかそれって、その人が本来そういう人なのではなくて、なんか人のそういう側面を引き出してる、その環境だよなって思う。
いや、めっちゃ今のわかる。
え、なになに、なにが?
しびれるわ。
しびれる、私は喋るのに必死でさ、何が?って。
いや、なんかね、今のはマジで本質だなと思っててさ、やっぱ上のメンバーから見るとさ、
本当になんか働けみたいなふうに思ってるんだろうなと思うわけよ。でも実際みんな一生懸命働いてるんだよね。
そうなんだよ。
そう。実際はやっぱ自分に与えられた仕事だったりとか、お客様のためだったりとかに、一生懸命頑張ってるんだけど、それがなんか要はマクロで見たら全然伝わってないなっていうのはあって、なんかそれがやっぱミスマッチ生んでんだろうね。
ミスコミュニケーション?
まあ、そうやね。でも、それってなんか伝わるべきなのかなとも思うわけよ。なんか役割が違うじゃん。
役割の理解
うん。
その、求められてる役割が違うと思うし、やっぱ発揮する才能とかも全然違うと思うから、何だろうね、どうしたらいいんだろうかちょっとわかんないけど。
だから、そういうのを結構ほぐしていくのがディクソーなのね。
うん。
だからそこは、なんかディクソー入れたから、なんか全部がこうフラットになって完璧っていうわけではないけど、でも、じゃあこの目の前の仕事って何のためにやってるんだっけっていうところを、こう一人一人が見つめ直すことで、全体としての繋がりを、こう輪郭をね、浮き彫りにすることができたりとか、
ってなったら、自分と違う仕事をしてる人、経営も現場も役割って考えるとさ、違う役割を担ってるっていうふうに捉えられるから、
うん。
それをワークショップ通じてやることで、なんかこう足りない足りないっていう発想から、あ、今ここをあの人は頑張ってくれてるんだなとか、になってくれてるんだなっていうふうに、なんかこう捉え方が変わったりするっていうのは、ワークショップワークの中でこうできていくことだなとは思うから、
うーん、なんかそれも結局その、さっきのその上は働けと思ってるけど、下は一生懸命働いてるっていうのって、結局なんか上と下っていう表現も私は問題だと思うの。
まあ確かにね。
うん。なんか隣りんちとかじゃないわけじゃん。
そう。
上があって下がある。
まあヒエラルキー構造になってるもんね、会社ってね。
そこが、もうこう、それが常識になってると、やっぱそのミスコミュニケーションって起こり続けるよなと思うし、なんかそれがダメではないけど、なんかナチュラルにヒエラルキーがあっても不快じゃない場合ってあるじゃん。
そうだね。
うん。なんか副業とかそうじゃない?
うん、確かに。
なんか別に自分はさ、横とも思ってないでしょ?その今関わっている、副業で関わっている。
そうだね。業務委託の分際でみたいなふうには思ってないね。自分のことをね。一緒の仲間だと思ってるね。
でもなんか、自分が上だとか相手が上だみたいな感覚ってある?
上だとかはないけど、まあ責任者だったりとかリーダーだったりとか、そういう感覚はあるけども、なんか明確に部下とかさ、なんかそういう感覚は全くないね。
うんうん。なんかそれってすごいナチュラルなヒエラルキーな感じ?
うん、確かに。
そう、自然にヒエラルキーがあるのよ。
三角ではないよね、間違いなく。
うんうんうん。
なんかこう平らにちょっとポコンってあるみたいな。
なんかそんな表現は面白いけど。
だからそういう関係性で仕事ができる人が増えたら、もっとその最初に言った、最初じゃないか、なんか言ってたその自然?
うん。
組織が自然になるなってすごく感じるのよね。
なるほどな。
なんかそれの一手がフラワーワークショップだと思ってるから。
うん。それはやらねばだよ。
そうなの。
だからこのやりたいが、やらねばに、まあ私が変わったっていうのが。
そのやらねばっていうのは、それをやっぱりもっといろんな人に知ってもらいたいから、私がやらねばっていう、なんか使命感みたいな、そういう感じってこと?
使命感、あんまり使命感って言葉好きじゃないけど。
そうやな。
ごめんごめんごめん。いいよ、全然。いいよ、好き好き。好きじゃないわ、ごめん、そう。
なんて言うんだろう、なんか別にこの考えが正直正解だと思ってないっていうのが結構ね、自分にブレーキをかけやすいのよ。
それこそガンガンもう管理型でやっていってる世界があってもいいと思うし、MLMでどんどんその固定資産、固定資産、その権利収入みたいなものを獲得していこうぜ、みたいな世界があってもいいと思うけど、なんか私はその世界あまり好きじゃないっていうだけなのね、前提として。
ラーミンの好きな世界を広げていきたいって思いがあるってことな。
なんかね。
違うのね。
なんか広げていきたいってよりは、苦しそうな人とかに、とかなんか行き詰まってる人に、こういう世界観どうっていうのを、なんか知っててもらう。
で、それを取り入れるかどうかは、どっちでもいいのよ。
でも、知っててもらうことで、何か選ぶときに、その主体性を発揮するときに、選択肢にあるとないとでは、なんかその人のこう選択肢、人生で選択できるものが変わるから、なんかそこはやっぱり、なんか自分の中でこう独り占めしてる理由はないよなって思うって感じかな。
独り占めしてるっていう感覚なんだ。
独り占めっていうか、自分の中にその世界を留めてるみたいな、そんな感じ?
それはあるね。
じゃあ、それを伝播させていきたいみたいな感じ?
好めかしていきたいみたいな感じかも。
あの、好めかして、お、いいなってなった人がいたら、広がった、広がったなみたいな。
でも、なんか、いいだろうこれってやりたいわけじゃないのよ。
ブルーロックで言うと、この世界型みたいな感じの話。
いや、分かる。分かるけど。
でも、さっき言ってた、その幸せの暴力の話をしたじゃない、さっき。
その幸せの暴力をしたくないのよ。
これがいいよねっていうことをしたくないってことだよね。
なんか、その人にはその人のいいよね、これが幸せっていうものが確立してほしいっていうほうが近い。
じゃないと主体性も発揮できひんよねって思うから。
なるほどね。
そう。
選択肢を増やしてあげたいみたいな、そんな感じか。
まあ、そう平たく言うと。
だけど、なんか、主体性を求めるのであれば、私のイメージしてる世界観とか、
ディクソンもそうだし、お花のワークショップとかは、役に立つんじゃないかなって思うから、
なんか、それはリアクションじゃなくて、アクションで、自分から発信していくべきことではあるなって、なんか今日気づいた。
なるほどね。
まあ、確かに話は繋がってたよね。
なんか、こう、投資で聞いてたら。
あ、そこでディクソンを繋がってくるんだとかあったし。
うーん。そう、私の中で全部の活動繋がってるからさ。
なんかさ、あのホワイトボードに書き出してたじゃん。
なんかもうすごい、触手がすっごい多分いっぱい向いてたもんね。
そうそうそうそう。
すごい繋がってんやなって思った、あれ見て。
そうね。なんか、なんだろう、外から見たらぶつ切りなんだろうなと思って。
なんか、いろんなことをやって、分散してる人みたいなふうにきっと見えてるんだろうなって思って、まあ、しゃあないかと思う。
まあ、でもそれがさ、人から見ても、その、ナーミンってやっぱ全部繋がってるよねみたいなふうにさ、
見せるため、見せるって言い方もあれだけどさ、そういうふうに感じてもらうためにはさ、やっぱり自分はこういうことやってますとかをさ、やっぱ主体性を持って取り組んでいかなきゃいけないわけじゃん。
そうね。だからそれが、やっぱその、自分がフリーランスから経営者に変わっていくために必要なことだと思う。
うん、確かにね。いや、確かにそれはそう。正しく自分の思いをさ、伝えていきたいみたいな。
ものがちゃんと形になった時に、やっぱ初めてなんかこう、ナーミンで言うところの経営者じゃないけどさ、
になっていくんだろうなーって、今はちょっと初めて感じた。
うんうんうん。だからなんか、登記してるかどうかみたいなのが、別に経営者かどうかっていう判断軸ではなく、なんか自分の城を築いてるかみたいなところ、家があるかみたいなところが、
なんか家があるから庭ができてとか、隣の家ができてとか、それが、まあ比喩で言うとさ、その、今比喩的に言ったけど、
要はそれが、なんか自分の会社の社員が広がったりとか、その新規事業がさ、プラスでできたりとかっていうさ、その会社が広がっていくっていう現象に、なんか繋がるなと思うけど、
それって何かから始めないといけない。
そうやね。
今、それがまあ、要はコアな部分になっていくと思うから、なんかそれをこう、なんか既にあるんだけど概念としては、なんか形に落としていった時に、自分は経営者になっていくんだろうなーって思うし、
それにはやっぱ、人のこう、意見とかを踏まえて何かをするんじゃなくて、私はこうっていうものを、その先出し、できるようにならないと、一生それって形になっていかへんなっていうのはすごく感じました。
自分の世界観の伝達
はい、やってこう。
やらねば。
やらねば。
そんな話を永遠としてたら、1時間くらい経ってきた。
まあ、ちょっと今回は間で切ってもらってると願っているので、2本目も終わりになっていく形ですが、
そうやね。
ちょっとエンディングに、じゃあ行きますか。
はい、入っていきましょう。
はい、行きましょう。
はい、ではエンディングになりますが、
はい、いっぱい喋ったね。
すごいね、好き勝手喋った今日。
そうやね。なんか話題も結構あっちゃこっちゃいっただん。
大丈夫かな。不安になってきたような。
不安になってきたけど、でもなんか最終的には帰ってきた感はちゃんとあるから、大丈夫だと思う。
なんか俺はディクソンに繋がった時に、ハッとしたもん。ちゃんと繋がって帰ってくるんやって。
ナーミンはやっぱね、話すと話すほどちゃんと繋がってんなってのがわかるからさ、面白いよね、話しててね。
そう?嬉しいわ。なんか繋げてくれてる?
いや、でもね、なんかこう、今日聞いてて思ったのはさ、やっぱこう今までやらなかった理由みたいなものは別に特にないじゃん。
でも、なんつーんだろ、主体性を持ってやれてるの?みたいなところの疑問っていうのは、なんかすごく必要な概念だったなーって感じがするね。
いや、でも今日自分で喋りながら、主体的であることと能動的であることは、なんか明確に違うっていうことが。
ね、それはよくわかったね。
そう、出てきた時に、なんかすごく解像度が上がった気がする。
良かった。
だから、ふくみんは主体的なんだよなーって、なんかずっと思ってたから。
そうだよね、なんかずっとさ、違和感感じてたじゃん。俺は主体性じゃないからな、主体的じゃないからな、みたいなさ、話を今日夜ご飯食べながらさ、話しててさ、んー?みたいな感じだったじゃん。
そうなの?って、わかんないみたいな。
主体性と正直さの関係
だから、そこはなんか自分の、みんながこう思ってる定義と自分の定義は、もしかしたら違うのかもしれないから、なんかそこを定義を落としていった時に、よりそのフラワーワークショップで意図していることとか、
そのDIXOを通じて自分が何をこう、そのメッセージとして思ってるのかっていうのが、なんかもっと一貫性が出てくるような気がしたから。
いやー、ほんとに、なんか俺がやっぱフラワーワークショップですごくいいなーって思うのはさ、やっぱ作品作る感じになるわけじゃん。
うん。
やっぱ作品作りってあんまり嘘つけないなって思うわけよ。
いいこと言う、泣ける泣ける。
なんか言葉のコミュニケーションっていくらでも嘘つけるじゃん。
いや、めっちゃわかる。そう、自分で、私もたまに嘘つくもんね。
そう。
あの、無理してるよねって言われて、確かに無理してた。
なんか無意識でやっぱさ、嘘ついちゃうんだよね。
嘘って言い方もあれかもしれないけど、なんか自分を守るためになんか違う表現を使ったりとかしちゃうけど、やっぱ花もそうだしさ、今俺アートのさ、事業に携わってるから、なんか余計思うんだけど、やっぱ作品は嘘を絶対、絶対ってわけじゃないけど、つきにくいのがすごい。
うんうん。
なんかそこに思いを乗せたり表現をしたいって気持ちがあるから。
うんうん。
なんかそれがあるからこそ、今日で言うとこの主体性が育まれやすいみたいな、やっぱさっき言ったじゃん、その自分に嘘をついてないってことが主体性なんじゃないのみたいな、なんかまさにそこがつながってくるんだろうなと思って。
うんうんうん。だからその結果、なんか私はもうこれ以上働きたくないですっていう人が出ても受け止めれる組織文化って、私めっちゃ素敵やと思ってて。
うんうん。
あとこんだけはするけど、これ以上私やりたくないですっていう人が、なんか1点も良くないって思うし。
まあそうやね。
でもやりたい、やりたい、もっとやりたいっていう人も出てくるかもしれない。
なんかそうやって、総合的になんか循環すれば、なんか組織って成り立つよね。
確かにね。
っていうことを、なんかやっぱみんな均一に目標達成させないといけないとか、なんかみんな同じレベルまで持っていかなきゃいけないっていう、ちょっとその学校教育っぽいところ、その平均を上げるみたいな。
はいはいはい。
考え方は、もうそろそろちょっと限界があるよなって思うから、なんか私はその組織の部分に持っていきたいっていうのは、なんかやっぱそういう、やりたくないもやりたいも等しく主体性であるっていうこと。
報酬設計の重要性
そうやね。それはそう。なんかそれが発揮されて、じゃあ会社辞めますって言うんだったら、それは結構喜ばしいことだよね。
うんうん。だし、周りもさ、変に期待せへんやん。その子に、やりたくないって言ってる子に、なんとかやらせなきゃみたいな風な手間も省けるから、なんか辛労も減ると思うんだよね。
確かにね。それはそう。
それに沿った報酬形態を設計さえできれば、誰も文句言わないはずなの。
うん。
なんかめちゃめちゃ頑張ってやってる人と、もうやれませんって言ってる人が、例えば全く同じ給料とかだったら、不満って溜まってくるけど、そうじゃなくて、その活動に見合った報酬を自分で決めたりできれば、なんか別にそうだよねで終わる話。
まあ、報酬なんてのは結局は自己満だからねって思う。なんかその報酬で自分が満足できるかどうかだけの話だなって思うから、例えばなんか3万円の報酬でもさ、自分がめっちゃ楽しい、やりがいがあるって思ってんだったらやるじゃん。
うんうんうん。
でも20万とかでもさ、なんかすげえやっててつまんないなって思うんだったらさ、なんかやってるだけでつらいじゃん。
うんうん。
だからなんかその報酬設計みたいなところは、なんか難しいけど、やっぱシンプルなのかなって思うよね。
そうね。
なんかそれがやっぱ組織とか会社とかになってくるとさ、やっぱその設計がすごい難しいじゃん。やれ、なんか同一労働、同一人間だみたいなさ、言葉組合が騒ぎ出したりとかもするし、だからね、なかなかハードルは高いけど、すごく…
パズルみたいな感じでさ、なんかこれさえやればこう、みたいなものはないけど、なんかこうコアな部分で大事だなと思うのは、さっき言ったその、やりたくないもやりたいも等しく主体性であるというふうに認めた上でどうするかっていうのを考えること。
そうね。
うーん、なのかなーってなんか、すごくなんかそれに気づけたのは、なんか話しながらなんか出てきたからさ、助かりますっていう。楽しかったです。
ナイスカフェ打ち会だったということで。
ちょっと聞き応えがある会になってたらいいなと思います。
そうだね。
はい、なんか聞き飽きたわってならんかったらいいなと思いつつ、まあ話したいことは話したんで、はい、じゃあこんな感じで終えていきたいと思います。
はい、この番組は毎週火曜日朝9時に配信しています。リスナーの皆さんからのお便りも受け付けておりますので、質問や相談がある方はお気軽にお送りください。
それじゃあ、またねー。