1. COCOAトーク〜夫婦で語る、わかちあう暮らし〜
  2. #48 「個性を尊重する」 夫婦..
2025-04-09 34:07

#48 「個性を尊重する」 夫婦で語る、個性の深堀り

【今回の内容】 

・個性の多様性と全体性の理解

・個性のシェアがもたらす相互理解と協力

・対話を通じた自己理解の深化と個性の認識


<毎週火曜 朝9時配信>

この番組は、「自分の個性を活かして活躍したい人」「人の個性を活かせる自分になりたい人」「個性を活かすことに興味がある人」に向けて、コーチングを仕事にしているなーみんの考察を元に「個性」をテーマに探求し、よりワクワクできる生き方を考えていく番組です。

なーみん、ふくみん夫婦が普段からシェアし合っている、日々感じている課題やモヤモヤや感動した話など、時には真面目に、時にはぶっ飛んでる、夫婦の会話をお楽しみいただければと思います。

▼パーソナリティ

なーみん(https://nami-coaching.studio.site/)

ふくみん(https://1staid-hp.studio.site/)

▼番組への感想や質問などお便りはこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠forms.gle/o5bJdHWxeFHBEvxU7⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


#コーチング

#キャリア

#複業

#副業

#個性

#夫婦

#わかち合い

#COCOA

#シェア

サマリー

このエピソードでは、夫婦が個性の尊重について考察し、個性を生かす意義を深掘りしています。特に、個性が社会に与える影響や自分自身をどう活かすかについて意見を交わしています。また、フィードバックの在り方やアート作品に対する感受性、自分自身の個性を大切にすることに関しても様々な視点が交わされています。さらに、個性を尊重することの重要性について夫婦が語り合い、個性に対する理解を深める過程が描かれています。特に、個性の流動性と相互理解がテーマとなっています。

個性のテーマについて
こんにちは。とある夫婦の個性談義。今日もキャラクターズ始めていきます。パーソナリティのナーミンと福民です。
この番組は、個性を生かすことに興味津々な分かち合いチューナーのナーミンと、サラリーマンをしながら副業に取り組んでいる旦那の福民が、普段からシェアしあっているテーマで語り合う夫婦の個性談義です。
個性を生かすという考えに共感してくださる方や、エピソードを聞いて面白いと感じていただけたら、ぜひフォローをお願いします。
はい。ということで、今日もキャラクターズ始めていきたいと思います。
48回目ですね。残り3回となりました。
あっという間。
あっという間だね。
あとちょっと今日は、2人ともちょっと声がね。
そう。
少し。
なんか2人して体調を崩すっていうね。
何だろう、花粉症なんかな?
いや多分ね、俺これは風邪だと思う。
あ、そう?
なんか花粉症じゃないのよね。なんか症状が。
うんうんうん。
なんかこう、花粉症って基本は顔周りみたいな感じなんだけど、ちょっとこう体もだるいみたいなところが若干あるから、これ普通に風邪だと思ってます。
私は結構喉がね、今ちょっとやられてて、でもなんかすごい前触れなく、なんか昨日の夜ちょっとコンってしたら、あ、なんか痛いぞってなって、どういうこと?ってなってる。
まあ、風邪が流行ってる時期だからの。
まあでもさ、肝炭素はすごいもんね、最近ね。
すごい。
3月末からさ、4月頭にかけてさ、26度になったり9度になったりさ。
ね。
なんか忙しいねんけど。
個性の発揮と影響
確かに。
肛定症激しくて耳気になるよね。
だってもう、衣替えしようかなと思った瞬間またさ、コート必要みたいな感じになっちゃう。
確かに。
まあ風邪も吹くよねっていう。
そうね、あの、服間違えるよね。
皆さんもね、服装にはちゃんと気をつけて、温かくして寝ていただければ。
そうね、出かける時も。
そうだね。
まあちょっとその、天気予報を見て、適した服でみんなお出かけしていただければなと思います。
はい。ということで、今日は、今日と次回かな。
ちょっと似たような方向性で進めたいなと思っていて。
残り3回しかないので、もうここでこれやるのかって話かもしれないんだけど。
キャラクターズはさ、個性をテーマにするわけじゃん。
で、次回の、次回っていうかリニューアル後のココアトークはさ、分かち合いみたいなところをテーマにするから。
なんかこの個性と分かち合いっていうものについて、ちょっとこれを機に要素分解じゃないけど、深掘りだったりとか、なんかそういうのをちょっとしておきたいなと思って。
はい。
っていうのを今日は個性の回でやりたいなと思ってます。
何を聞かれるんだろうっていう、ちょっとそわそわしてますが。
なんかさ、ちょっと早速入っていくんだけど、個性ってさ、誰にでもあるだったりとかさ、っていうものだったりして、それを発揮していきましょう。
個性を活かしていきましょうみたいなふうによく言うじゃん、俺らって。
なんか世の中的にも言われてると思うんだけど、その個性ってさ、個性もあるし、強みもあるし、才能もあるし、なんかいろんな呼ばれ方をするのよね。
で、その中でその個性って何なんだろうってなった時に、一番最初の頃に覚えてるかわかんないけどさ、なんかこうヒロアカの話したの覚えてる?
覚えてる、覚えてる。ヒロアカの前の方、なんていうの、ヒロアカの部分の話が長すぎてカットされたのまで覚えてる。
ちょっとね、熱くなりすぎて。
実際2倍ぐらい喋ってるもんね。
そう。ぜひまだ聞いてないよっていう人は何話か忘れたけど。
2話ぐらいじゃないかな。
結構序盤だって。
序盤やったと思う。
あの時のさ、なんかその、俺は個性ってこう思ってるよみたいな風に挙げた内容ってなんかこう能力的な感じだったのよね。
能力ってこういいもん、いい能力も悪い能力もあって、それをどう発揮していくかみたいなところやってこう社会に与えるインパクトが違うみたいなさ、なんかそんなところあると思うんだけど。
なんかこう改めて個性を生かすってこう今いろんな話をさしてきた中で振り返ると、なんかどういうことなんだろうなっていうのをちょっと改めていろいろ聞いていきたいなって思うわけよ。
個性を生かすってなるとさ、外向けのなんかこうイメージがあるんだけど。
生かすっていうのは。
生かすっていうのは、なんかこう社会に対して影響を与えるとかさ、人に対して影響を与えるとか。
でもなんかそれ以外にもあるかなと思っていて、なんか自分の個性を生かす方法みたいな。
なんか例えばさ、筋トレ大好きなんですみたいな、あれなんかもう自分の体に影響を与えるわけじゃん。
体が変化するってことだよね。
そうそう。なんか筋トレ大好きってのも一つの個性なわけじゃん。自分の成長みたいなところ。
だからなんかその生かすっていうのって、なんか別に外向けじゃなくて、なんか誰かに関係なくても生かすっていう状況になるのかなと思って。
でも私、今のその影響与える与えないみたいな話で言うと、なんかこれはそもそもの思想みたいな話になっちゃうんだけど。
私ちょっとどっかで聞いた言葉で、生きてるだけで人は影響を与えるんだみたいな話を聞いたことがあって、何をしようとしまいと存在するだけで影響を与えてるっていう。
なんか引きこもりの人も社会に影響を実は与えていて、なぜかっていうと引きこもりという存在があることによって社会の中に引きこもりという存在が認知される。
それによってそれが問題視されたりとか、それが社会現象として捉えられたりとか、捉えられなかったとしても、なんか社会にその引きこもりが存在するということの自体が何かしらの影響を与えているっていうのは、っていう考えを聞いたときに、私は結構それにすごい賛成というか。
何かをしないと影響を与えられないっていうよりは、なんか存在していること自体に影響力っていうものはあって、その程度だったりとか、どのような影響なのかっていうのはそれぞれだと思うんだけど、さっきの筋トレの話にしても、その人自体が細身から筋肉ムキムキになったとしても、
なんか直接的に影響を何か与えないように見えるかもしれないけど、確実にそれの変化による、ムキムキの人が存在するということによる影響ってあると思うんだよね。
個性の尊重に関する考え
なるほどね。確かになんかあいつがムキムキになったから、俺もムキムキになろうみたいな影響がもしかしたらあるかもしれないもんね。
それはもしかしたら、その人が影響を与えたのか、その人が何かから影響をもらって与えられた反動で筋肉ムキムキになったのか、そこって明確な線引きはできないと思っていて、っていう意味では、そもそもの前提として、生かすっていうのは対外的なものに必然的になるのではと思っている。
なるほどね。じゃあ、そういうことか。じゃあ、その個性ってさ、何の動詞が一番適してるんだろう。発揮するとかさ、生かすとかあるわけじゃん。なんか生かすはどうなんだろうな。
分かった。分かったというか、なんかパッて思いついたのをパッと言うね。個性を生かすっていうのも、そんな違和感はないんだけど、私的には個性を尊重するっていう動詞がすごく結構フィットしていて、フィットって言い方悪いよな。なんか結構なんだろう。
しっくりきてるみたいな。
なんか良い流れっていう感じ。なんか個性を尊重するっていうものは、さっき最初に言ってくれた強みとか才能とか、そういう言葉とはちょっと違う文脈で使われているような気がする。
確かにね。なんか才能を尊重する、強みを尊重するってあんまりしっくりこないもんね。
発揮するじゃない。強みとか才能って。なんかそれって言ったらポジティブな影響を何かしら与える特性であるっていう感じだけど、なんかそれも含めて個性だよねっていう話をしたことがあると思っていて、
なんかそのいろんな要素が集まったもの自体が個性であり、それはその人でしか生まれないその唯一性みたいなものを保持するよねっていうので、いろんな要素の塊として個体があって、それが個性にあふれてるっていう理解をしてるのね、まずその個性とは何かっていうところが。
だからなんかこれが個性みたいなものって言い切れない。その言い切れないっていうのが個性だよねっていう話したじゃん。っていうのを考えると、なんかその人はその人でしかないみたいな感覚なのよね。
他の人と似てる部分もあれば違う部分もあって、その人をその人たらしめてるものっていうのは世界でたった一つみたいな。
まあ確かにね。
っていう風な観点で見たときに、その人を尊重するっていうのはその人の個性を尊重するっていうことでもあるのかなって思うから。
じゃあなんかこうなんだろうイメージとしてはさ、なんか人っていう感じなの?個性イコールその人唯一の人みたいな。
でも今まで話してきた個性は人だよね。人のことについて話してる。
確かにね。スキルとかじゃないよね。
うん。スキルというかなんかそれ以外のなんか自然みたいなものとかの話は別に対象にはなってないから。
ごめんなんかそういう人じゃなくてさ、その例えばさ、個性イコールさっき言ったヒロアカの能力みたいな感じではなくて、その一部分ではなくてその人たらしめてるものが個性だよねっていう話。
うーん、そうね。なんか私は全体性として見てるかな。その他で突出してる部分とかその一定の場の中で他の人にはない何かっていうのが個性的って言われるなと思う。
あーなるほどね。
なんかみんなと違うイコール個性的みたいな風に言われるけど、別にそれだけがその人の個性ではなくて、その人には違う側面もあるっていうのは大前提、理解しておかないといけないものだと思うから、
その突出してる部分だけを、他の人と違う部分だけを見てあなたはこうだよねって決めつけるとかそう言い切ってしまうのはあまり尊重しているように私は感じなくて。
確かにね。いやなんかさ、それで言うとさ、なんか個性的ってさ、ちょっと俺のイメージかもしれないけど、ちょっと嫌味にも使われる。
ちょっと皮肉。
そうそうそう。例えばなんかさ、料理とかでさ、なんかここの店マジ美味しいんだよみたいな風に連れて帰って、あんまり自分は美味しく感じなかったみたいな時とかに、なんか結構個性的な味だねみたいなことを言ってさ、誤魔化すじゃないけど、言ったりしちゃうんだよね。
うんうん。なるほどね。
そう。
美味しいとは言うとちょっと嘘になるみたいな。
そうそうそう。だからそれって変なのし、なんか尊重してないなって今思って。その個性ね。個性的とは言ってるけど。
いやなんか難しいっていう言葉もあれだけど、なんかなんだろう、世の中的にさ、その自分らしさとかさ、なんか自分を大事にしようみたいなのはすごい今主流になってきてるわけじゃん。
そうだね。
今の個性の話で尊重するってなった時もさ、なんか自分はそう思わないけど、でもそれを違うって、なんか美味しくないとか、ここはダメだっていうことによってその人を否定してるみたいな風にならっちゃうんじゃないかっていう懸念をよぎった結果、
個性的とか。
個性的とか、なんやろ、なんかいいんじゃないみたいな、なんかこう許容しなきゃいけないみたいな。なんか本当にいいんじゃないって思ってて言ってるんじゃなくて、どっちかと言えば良くないと思ってるけど、良くないっていうのは言いづらいから、まあいいんじゃないみたいな感じ。なんか妥協したこうコミュニケーションは結構生まれやすくなってるような気がする。
今の世の中?確かにね。
一人一人を大事にしようとか、なんかその常識を押し付けるのはやめようみたいな。例えば、今4月だからさ、昔だったらその新入社員とかはさ、スーツ黒いスーツで髪の毛もひとくさくくってみたいな、なんかそれが普通だったけど、そういうの押し付けるのやめようよみたいな。
常識からどんどん脱却しようぜっていう世の中の流れがあって、それ自体は全然いいんだけど、それをすることによって、なんかこれってダメだよねっていうのをなんか言いづらくなってるというか。
確かにそれはあるね。
で、それを思うのもその人の意見なわけじゃん。で、それをなんか古い人間みたいになんかジャッジされやすくなってるというか、っていうなんかそういう雰囲気はすごい感じるよね。
なるほどね。
でも、だからといって何でもかんでもいいじゃん、いいじゃん、もう私はなんかすごく気持ち悪いのよね。いや、よくないこともあるでしょみたいな。
いや、なんかそれで言うとさ、そのマイジーニアスの時とかにさ、フィードバックをみんなでしましょうみたいな時間があるわけよ。で、俺すごいフィードバック苦手なのね。
なんかいいこと言わなきゃっていう気持ちになっちゃうの。
すごく出来上がった作品だったりとかを見てさ、何も感じないこととかってあるわけよ普通に。なんかすごい上手いなみたいなさ、綺麗だなみたいなふうに思うことはあるけど、うわすごいとかさ、そういうふうに感じない時もやっぱりあって。
フィードバックの重要性
まあそれは自分のコンディションだったりとかも普通にあるんだけど、なんかそういう時ってどうフィードバックしたらいいのって聞いたのよ、そのメンバーにね。
別になんか思ったことそのまま伝えたらいいよって言われて、別にその否定をしてるわけじゃないし、自分はこう思いましたっていうそのアイメッセージだから、なんかそれがフィードバックになるから思ったまま言えばいいよって言われたのよ。
なんかそれすごく自分の中でそのフィードバックが苦手イメージをなんか払拭してくれてさ、確かになと思って言われてみれば別になんかいいことを求めてるわけでもないし、どう感じたかっていうのを伝えればいいなって思ったことを今思い出してある。
そうね。なんかフィードバックって別にいいことを言うことでもなければ、指摘をすることでもないので、結構コーチングやってて最初の頃に、なんかすごい私の周りにいた人とかも結構こうフィードバックって結構その日常だとなかなか言ってもらえないことを言ってもらえるものみたいな。
それじゃダメだよみたいな。
そう、なんかそれをされることによってこういうふうに感じる人もいるんだよみたいなことってさ、大人になればなるほど言ってもらえなくなっちゃうじゃん。で、それをそのギフトとしてこう伝えるっていうのはなんか大事だよねみたいな雰囲気があったのよね。雰囲気とか風潮というか。だからその言いづらいこともちゃんと伝えようみたいな。で、その言いづらいことを言わないっていうのは愛がないよねみたいな。
こうなんだろう、自分の保身になってるじゃんみたいな。で、それもすごい確かにそうだなと思うけど、でも別にだからといって、相手がグッとさ苦しいってなることをさ、言わないといけないものでもないと思うのよ。
そうね。
なんか要はそれを伝えることで何を出したいのっていうなんか目的の部分だと思うから、なんかいいことを言う必要もなければ、なんかきついことを言う必要もなくて、なんかただフィードバックとしてこうリアクションをしてあげるっていうことが目的だと思うし、で、それの結果なんか何を受け取るかは、こうフィードバックした側はコントロールができないから、
結局なんか私もさ、さっきの作品を見て何も思わないみたいなことも全然あるし、その時にどういう伝え方するかはまた別だと思うんだけど、でもそういう時ってだいたいなんだろう、割と何も考えてないことが多いの、自分の中で。その作品とかを見るときに自分の中で何もセットされてないというか、こう。
フラットな状態ってこと?
いや、なんていうのかな、真っ白な状態みたいな感じかな、どっちかっていうと。
真っ白いキャンバスみたいな。
真っ白いキャンバスみたいな感じで、それをそれとしか受け止めてないみたいな感じで、なんか別に良いも悪いもないみたいな、なんかあるみたいな。
辞書として捉えてる。
でもここから何かを読み取ろうっていう自分の意思とか主体性が出た時に、その話とかその作品を見た時に、こういう意図を持って書いたんだ、じゃあこうだなとか、ここのピンク可愛いみたいな風に感想が出てくるというか、初めて。
じゃあナーミンの場合はもうそれはリアクションなわけだ。
リアクション、そのフィードバックが?
いやなんか出てきて初めて感じるって言ってたじゃん。だからなんかその何も出てこなかった、その場にものがあっただけだった、それは辞書で、なんかそれをこういう思いで作ったんですってそれを聞いて初めて、あ、そうなんだって感じでリアクションで感情が返ってくるみたいな。
結構アート作品に関してはそうかもしれない。なんかこうなんだろう、その作品だけを見て感想を言ってくださいって言われても、なんかわかんないのよね。
確かに解説欲しいって言ってたもんね。
解説すごく欲しいし、そのバックストーリーみたいなのを聞きたいし、聞いた時に絵にちゃんと魂が宿る感じがする私的に。
っていうことはさ、物体だけだったらそこに個性もなければ伝わってくるものもなくて、なんかそれを元にしたバックストーリーとか背景とか思いだったりとかを感じた時に初めてそこに魂とか個性が宿るっていう話ってこと?
アートと個性の理解
私はそうなのよ。でもそうじゃない人もいると思っていて、それをそうなんだって思うことが私は尊重するってことだと思うの。
私みたいなタイプの人がいるっていうことを、それを感性がないよとか、そんなんじゃダメだよって言っちゃうと、私はそこはなんか私の何かが間違ってるって言われてるように感じる。
なるほどね。
作品を見て何も感じ取れないっていうのは感性が乏しいんだよって言われてるようにも感じる。でも、あ、そうなんだって別にそれが感性が乏しいかもしれないけど、一旦そうなんだって受け止めてもらえたら、それはその最初の話で言うと尊重されてるなっていうふうに思うし、逆にそうじゃなくて私と全然違うタイプの、なんか目に見えないものが見えるみたいな。
共感覚的なやつ。
そうそう。みたいな話を聞いたときに、実際わかんないけど、あ、そうなんだって思うのよ。あなたはそうなんだって思う。それが実際どうなのかわかんないけど、なんか正しいか正しくないかっていうことじゃなくて、その人が言ってることとか主張してることを一旦別に肯定も否定もせず、あ、そうなんやって受け止める力を私は個性を尊重するためにすごい必要だと思っていて。
なるほどな。なんかいいね。すごい尊重するって。なんかこれから分かち合いにもすごいつながってくる言葉だなって思うわ。
うん。なんかその上で、さっき言った、ダメなものをダメと言えない雰囲気とか、それ違うでしょって言えない雰囲気のままだと、すごい表面的な対話とか、見かけだけはいい感じみたいな、なんかすごい取り繕っているようなコミュニケーションが増えちゃうような気がしていて。
確かに。
ただ、なんかじゃあズバッと言えばいいのかって言うと、私はそれもちょっと違うような気がするのね。なんかこう奇抜な意見がOKみたいな、なんかそういうものでもないと思ってて、ワンクッション受け止めるっていうものがあった上で、さっきのアイメッセージ、その上で私は、あ、そうなんですね。
でも、私はこう感じましたとか、私はこれは良くないと思いますっていうのが、なんか主張できるっていうのが、すごく意味のあることな気がする。
個性を尊重するっていうこともそうだし、本当の意味で自分らしさとか、一人一人の個性を大切にするというのを目指すのであれば、ワンクッション受け止めるからの、その上で本当に何を思ったのかをちゃんと伝える。そこは無理に褒めようとか、無理に否定しようっていうものをするんじゃなくて。
なるほどな。なんかやっぱ個性って受け取るものなんだね。
ほう。
って思った今。
その心は何?
いやなんかさ、生かすとかだとさ、伝えるものじゃん。どっちかっていうと、俺は個性を生かしていくぜ。
うわーみたいな。
個性の尊重と環境
でもなんか尊重するとかってさ、なんかそこに個性があって、それを尊重しようみたいな。理解しようだったりとかさ、っていう感じになるわけじゃん。だからもう個性は個性でそこにもう佇んでいて、それを煮るのも焼くのも、要はその相手次第。
うんうんうん。
だからその個性ってものに対してはその相手が受け取る必要があるのかなって思って。
あー確かにね。確かに確かに。だからその上で大事なのが、自分で自分の個性を殺さないっていうことをよね。相手次第なんだからさ、分かんないわけじゃん。
確かに。
迫害されるか受け止められるか。
うん。
その上でその迫害を恐れて個性を殺しちゃうと、それはなんか自分で自分をこう、なんか無くしてるようなものでもあると思うから。
確かにね。
なんか殺さない勇気というか、自分の個性を。
いやでも難しいよね。
めちゃむずいよ。
自分の個性ってさ、自分でも殺しちゃうし、人からも殺されるじゃん。
うーん。
なんか自分は例えばこういうのが得意だとか思っててもさ、相手からいやお前全然それダメやみたいなこと言われたらさ、自分ダメなんだみたいなふうにして殺されちゃうし。
でもそれを判断してるのは自分じゃん。人から言われたものをダメだと認知するのは自分の判断じゃん。
確かにね。
意味では本当に個性を殺せるのは自分しかいないわけよ。人からどんだけ言われようとさ、無傷の人もいるじゃん。
確かにね。
そういう人って自分の個性を自分が一番尊重すると思うのよ。
それはやっぱ自分にしかできないことでもあると思うから。
確かにね。
だから環境もすごく大事なんだけど要因として。大事なんだけど最終的には自分次第だなと思うのはなんかそういう側面にあるかもねって思った。
自分でしか生かすも殺すもできないんだから環境が何であれ。
はいはいはい。
だから殺さない勇気が大事になってくるし、それを世界観として共通認識。こういう世界の方がいいよねっていうのを叶える。
上では一人一人が個性を持っているものに対して受け取るっていうさっき言ってた。受け取っていくっていうのはすごいリテラシーとして必要になってくるなと思う。
でもそのリテラシーで言うとさ、やっぱリテラシーが高まってきてるよねってのを感じる?
うんうん。高まってきてる。なんか一概には言えない。なんかどこの観点から見るかで下がってるようにも見えるし上がってるようにも見える。
なんかさっき言ってた自分らしさ大切にしようねみたいなところの文脈につながるかなって思って。
で、それが要は許容される世の中になってきたわけじゃん。早くさ、もう業務時間終わったんで早く帰りますみたいなさ、言う人もなんか言いやすい世の中になってきたわけじゃん。そういった意味ではなんかリテラシーって高まってるのかなって思って。
どうなんやろね。なんか何とも言い切らんよね。
なんか最近俺がそういう生き方をしてるからそう感じるだけなのかな。
人の顔色を伺わないというかさ、っていうことがなんか最近結構増えてきたかな。だからなんか自分自身生きやすくなってるからそう感じるだけなのかな。
でもそれはすごい大事なことだと思うし、そういう人が増えるのがどうなのかみたいな話でもあると思うから、だけどその全体の話を今聞かれてるのかなと思って。
世の中ってこうなってると思うって言われた時に、なんか何もわかんないから正直。だから良くなってるといいねぐらいの感じかな、今は。
何とも言えないって感じ。ちょっと切れ味悪くて申し訳ないけど。
いやでもなんかさ、最近その法人にさ、副業の方でさ、なんかこう法人に対して営業をしようみたいな風になった時に、なんかこう人事の担当者の人とかと話す機会とかってあったりするのよ。
やっぱりやっぱ興味関心度が高いのは、そういうなんかまさきた個性だったりとか、自分らしさだったりとか、なんかやっぱそういうところって今ビットがすごい立ってるらしいよね、会社としても。
なのでそういうのが提供できる会社と一緒に何かやりたいだったりとか、そういうのを大事にしてるところと一緒に何かやりたいみたいな風なことを言われてきてるから、なんかその世の中的にもそういう風な動きになってるのかなって最近感じてるわけよ。
確かにね、なんか純粋にそういうことを掲げないと人が来なくなってきてるっていうのあるかもね。
逆説的にね。
私はそっちの方が有力だと思う。会社が気づいたっていうよりは気づかされてるだけだと思う。
人が離れていく辞めていく理由が若い人が定着しない理由がそういうとこにあるんじゃないかっていうのを会社がようやく気づき始めて対策をしないとってなっているけれども、既に今まで培ってきた文化とか歴史とかを踏まえると一筋縄では変わんないよねっていうのがみんな葛藤してるところだと思うから。
確かにね。
そういう意味では、みんな動き出そうみたいな気概は確かに感じる気がする。
なるほどな。確かにね。だって今ってさ、優秀な人材は奪い合いなわけじゃん。
何を持って優秀なのかみたいな価値観も変わってきてるしね。AIがすごい発達してきて。
確かに確かに。
IQ的な仕事は割とAIの方が上手くできるからさ、AIを上手く使える人が求められてたりとかさ、そうじゃなくてAIにできない仕事をできる人が求められてたりさ、っていう求められるスキルセットみたいなのもすごい変わってきてるから。
確かにね。
そういうのも相まって、やっぱ会社としての在り方、生き残っていくための在り方っていうのは、やっぱ結構価値観の変化はあるなと思うね。
いや、おもろ。
おもろい?
いや、なんかすごくさ、今俺がやってる副業にもなんか活かせそうだなと思って、今今日した話とかって。なんか尊重するってことを俺すごい好きかもな。
本当に?私も好きやね、そのことは。
なんかあんまりさ、日常で使わないじゃん。私はあなたを尊重してますみたいなさ。
もうちょっと固いよね。
固いけど、なんかすごくいい言葉だなって改めて感じた。
確かにね。
個性は尊重するものですと。
わかりやすい。
個性の深堀り
なんかそれはそれでなんか大事なものが今抜けちゃってる気もするから。
それだけ言うの?
それだけ言うの。やばいやばい。もうやっぱなんか私端的に話すの苦手やわと思って。
今日はさ、その要素分解というかさ、深掘りみたいなところが目的ではあったけど、俺的にはなんかそこまでその要素分解されたとかさ、深掘りができたって感じではないけど、なんか個性の取り扱い方みたいなところがなんか習熟されたっていう感じがあるわ。
なるほどね、確かにね。ありがとうございます。
いえいえ、こちらこそ。なんかこれからもお互いのね、個性を尊重しあってやっていきたいと思います。
ってことでそろそろエンディングに入っていきたいと思います。
お願いします。
いやなんか、今日の目的はさ、さっきも言った通り要素分解とか深掘りだったけどさ、なんか次回これをさ分かち合いでやろうと思ってたわけよ。
なんかちょっともう少し変えてもいいのかなって思い始めた。
例えばどういう?
なんか今日さ、俺めっちゃ質問したじゃん。俺ってどう思う?だったりとか。
で、ナーミンの考え方だったりとか、認識だったりとかを聞いて、俺の中の解像度が高まっていくみたいな。
で、俺って要はその俗に言う個性弱者だからさ。
いえいえ、おらんよそんな、個性に強者も弱者もないから別に。
個性という単語に対しての解像度が低い弱者。
なるほどね。
だからまだまだその分かち合いという単語に対して解像度が低い弱者なんだよ。
だからそれをやっぱこう高めるっていうことをぜひナーミンには次回してもらいたいなと思って。
だから今俺個性強者になってるからちょっと。
あ、そうなの?
でもすごいさ、誰にとっても曖昧な言葉であるのは間違いないと思うのよ。
なんか私としても個性ってこうだよねっていう絶対的な答えがあるわけじゃないし、常に何か揺らぎがあるものではあるなと思うから、
なんかその揺らぎを自分自身楽しめるかみたいなのは結構すごい向き合う上で大事だと思っていて、
それはすごい今の時代っぽいなと思うのよ。固定化されてないじゃん。
いろんなものが働き方もそうだしさ、住む場所とかもそうだしさ、
なんかいろんなものが流動的になってきてるっていう意味で、この言葉に対する定義もやっぱ流動性は結構あると思うのよね。
なるほど、確かにね。
これはこういうものですっていうのをカッチリカッチリさ定義をつけることによって一気に脳みそが固くなるっていうのはすごいあると思うの。
実はこういう定義もあるんじゃないみたいなのを常に揉んでいくみたいなのがすごい大事な気がする一番。
なるほど、また最後に熱く語れそうなテーマ持ってきたね。それだけでいけそうだけど、ヒップホップ。
なので、私も個性とは何かっていうのもそうだし、尊重するっていうのは今今日出てきたワードだけど、なんかまだ全然他にも出るような気がするなと思って。
思考の流動性
今日だからこそ出てきた言葉なのかもしれないし、流動性っていうところはまた違う考え方だったりとかがナーミンにインストールされてたら、また新しいいい言葉だったりとかいい説明だったりとかができるかもしれないしね。
これを繰り返していくことが大切な感じするよね。
そうね、なんかあの螺旋階段のイメージだと思う。同じとこぐるぐる回ってるように見えて、ちょっとずつ円のサイズが大きくなりながら高く上がっていってるみたいなイメージだと思う。物事への解像度が上がる。
なんかいいね、円が大きくなりながらってのがいいね。なんか同じサイズじゃない?
そうね、なんかすごいパフェみたいになっちゃうよね。同じサイズだと。
行き着く先は無限大の大きさみたいなね。
でもなんか物事の理解を深めるってそういうイメージだな、私の中で。
確かにね。
回数じゃないのよ。
最初の頃はさ、何もよく知らないからわーって一気に上に登っていくけどさ、なんかだんだん理解が深まってくる。あれなんか全然上がってねえなって思いつつもちょっとずつ上がっていってるみたいな。
いろんなとこで、これあの時のあれやみたいなことがすごく増えるのよね。で、そうやってまた確信度も高まれば疑問も増えていってみたいな。また方向性がそれで少しずつ変わっていったりしていくものが極めていくっていうことな気がしている。
だから、なんかこう果てしない旅路を、あのぶくみは私に強制的にさせられているっていう結論になってます。
一緒に頑張りましょう。
お願いします。
はい。
はい。じゃあ今日はそんな感じで終えていきたいと思います。この番組は毎週火曜日朝9時に配信しています。リスナーの皆さんからのお便りも受け付けておりますので、質問や相談がある方はお気軽にお送りください。
それじゃあまたねー。
34:07

コメント

スクロール