一緒にやっていこう。
はい、お願いします。
じゃあそもそも分かち合いはさ、なんだろう、個性が尊重するだとしたら、分かち合いは何なの?
分かち合いは何なの?分かち合いという動詞かな、それにすると。
分かち合うだもんね。個性は名詞だから動詞がその後つくけど、じゃあ何を分かち合うの?
なんかそこはあらゆる番物みたいな感覚かな。一番やっぱ自分自身が大事にしたいのは感情を分かち合うっていうことだけど、
別にそれにとらわれず、食べ物とか、家とか、着ている洋服とか、すごい小さいところで言うと充電器を分かち合うみたいな。
一人じめするんじゃなくて、一緒に共有するみたいな感じのイメージかな。
分かち合うはさ、いろんなものが分かち合えるじゃん。分かち合うの逆説的な言葉って今出てきた一人じめみたいな感じなの?
そうだよね。分かち合ってない状態って独占してるというか、占領してるっていう感じ。
なるほどね。独占か。
なんか結構さ、歴史系の映画とかアニメとかを見てると、アニメというか普通に歴史を知るとさ、植民地支配みたいな感じでさ、
そこに住んでた人たちを支配して、もううちの国ですみたいな、うちのものですみたいな感じになることで、いろんな恨みの感情とか復讐心とかが芽生えたりとかするなと思うし、
でもそれって、いろんな事情が絡み合ってるとはいえ、奪った結果だと思うから、それって、もともとはそれぞれ平和に暮らしてたのに、
奪っていくことによって、どこかが独り占めできる状態になっていくと、世の中ってすごく歪んでいく感じはしていて。
なるほどね。
今時というか、今の時代で言うと、それがなんかすごい資本家が資本を独占するみたいな、
独占してるよね、みたいな株という形で、資本を一定のすごい数パーセントの人たちに集まっている、集約されてて、ほとんどの人は言ったら手元にその資本がないっていう状態で苦しんでいるみたいな。
なるほどな。確かにね。今言ってきたことって、ずっと歴史上繰り返し来てるじゃん。奪い合いみたいなところって。
今、植民地みたいな話が出てきたからわかりやすく言うと、土地を奪い合ってるわけじゃん。
でもそもそも土地って誰のものかみたいなのって、決まってないわけだよ、一番最初は。
だからなんか、それこそみんな最初は仲良くさ、みんなで使おうね、みたいな感じになってたかもしれないけど、なんでそれを独占しようって思う人たちが現れてきたわけ?って思って今。
やっぱ一番は防衛心やと思うけどね。
守りの気持ち?
なんかそれで言うと、一番たどっていった時にさ、狩猟スタイルか農耕スタイルかみたいなので、大きく歴史が変わったっていうのがあると思って。
狩猟の時って、その日食べるものさえあれば別によかった。そのものを蓄積しなくてよかった。
けど、だから色んな場所を練り歩いて、その今日の獲物を見つけて、それを獲ってきた獲物をみんなで分けて食べて生き延びていくっていう、すごく原始的な生活だったのが、
どこかの土地に定住することで、そこの土地を耕して、その農作物とか、米とか麦とか、そういうものを採取して、それを言ったらたくさん持っている人に力が備わる。
それにすることによって、例えば自分の命を守れるとか、生き延びる確率が上がるっていう、自分の家族だったり、自分の領地の人間っていう風に優先順位ができちゃう。命に。
その誰かに力が、パワーが集まることで、その人を起点に、どの命がより大事かっていう序列ができることによって、その人たちは守らなければいけないっていう、次その理由が読まれて、一番最初は自分を守るっていうところだと思うし、
逆に言うと、襲われないために先に襲うみたいな、っていうのも含めて、そういう奪い合いの構図でできていくのかなと思うね。
たしかにね。それが要は現代までずっと続いてるわけじゃん。その濃厚社会が出来上がって、蓄える人ができて、その蓄える人が偉くなって、その蓄えを守るためだったりとか、自分たちの家族を守るために、どんどんそれを広げていかなきゃいけないだったりとか、奪っていかなきゃいけないみたいなさ。
なんかそういうふうに、もうちょっとミニマリストみたいな言葉も流行ってきたじゃない、っていうのも、なんかやっぱ過剰になったからこそ、なんかそのリバウンドにみたいな感じで、こう減らすところにシェアっていうのが入ってきてるのかなっていうのも、ちょっと感じた、今の話の延長線だけど、なんかすごい難しいな。
いや、でもさ、その、やっぱ今でこそその分かち合いが生まれやすいようになってるってことはそういうことだよね。
うんうんうん。
なるほどね。なんか結構さ、今までなんかこれ分かち合ってきたなみたいなさ、経験とかってある?
分かち合ってきたなっていう経験?えーどうやろう。
なんかナーミンはさ、感情とかさ、経験とかはすぐシェアしたからじゃん。なんかあれは、なんか分かっちゃってるなって感じはするのよね。
へー。
なんか、自分だけ、このノウハウ知ってんのは自分だけですみたいな感じとか一切ないじゃん。
うん。なんかあんまりそれをすることに喜びがないかもしれない。
うん。
教えたい、でもこれどっから来てんやろうね。なんかこう教えたいってなっちゃうのよね。教えたい、知らせたい、なんか知ってほしいみたいな風になる私は。なんか独り占めしようっていう気持ちはあんまりないかも。
えー、俺どっちかと言うと逆でさ、
あ、そうなんだ。
俺結構情報は否得するタイプで、
手引き部?
なんか、ちょっと性格悪いなと思うんだけどさ、俺知ってるでそれみたいな、なんかすごい好きなの。
あー。
例えばさ、今の時期とかだとさ、その3月から4月に年度が切り替わるから、その人事情報とかいろいろ入ってくるわけよ。
俺組み合いもやってるからさ、なんかそっち系でもいろいろ情報入ってきてるのね。で、知ってんのよ、この人は異動になるとかって。
でも、手引き部がもちろんあるからさ、
まあまあそうね。
言わないんだけど、もうその情報を先に掴んでるっていうことに対して、なんかすごく優越感。優越感とは違うかな。なんか、
ニヤリみたいな。
情報強者みたいなさ。
これ完全に分かち合いとは別の話よね。
そうなんだって感じ。なんか、でもそういう人はいるよね、普通に。なんか私も言われたことあるもん。なんか、ナーミンさんは人がいいですねみたいな。僕だったらそれ黙っておいて自分がやるとか、なんかなんとかかんとかみたいな言われたこともあって。
なんかその人という単語でくくってしまうと、やっぱ人の本質はさ、やっぱその収集心とかさ、その蓄えたいみたいなものがあるんじゃないかなって思って。やっぱさっきの防衛本能じゃないけどさ、なんかそういうの自分だけ知ってたらさ、じゃあ例えば明日地震が来ますって自分だけ知ってたらさ、自分は防衛できるじゃん。とかね。
そんなひどくはないけど、俺がそれ知ってたらさすがにさ、拡散はするけど。
確かに。でもさ、なんかSNSとかってさ、言ったらあんなのシェアの塊じゃん。
確かにね。
でもあれはさ、なんかいろんなものが絡み合ったシェアっぽいよね。なんか純粋にさ、分かち合いたいみたいなものだけじゃなくて、なんかこう正義ずらしたいみたいなものもありそうだし、なんか人を叩きたいみたいな、人をなんかこう落とし入れたいみたいな、なんかそういうのもありそうだし、すごいこうシェアといってもその動機は人それぞれというか、拡散するっていうことに対して。
シェア自体はやってたとしても、その動機は人それぞれな気がするし、私も別になんか、話したい、しゃべりたい、シェアしたいっていう、なんかすごい純粋な気持ちだけじゃないと思うよね。
なんか他にもいろいろある気がする。なんか自分がさっきの情報強者でありたいみたいなのと同じように、シェアすることによってなんかメリットを得てるような気はする。何のメリットかはちょっと今パッと出てこないけど。
なんか俺もさ、分かち合いたい気持ちもあるのよね。例えば、なんかこないだ行ったお店めちゃくちゃ良かったよみたいなさ、ものとかはシェアしたいのよ。なんかこうプラスの感情というかさ、そういうのはすごくシェアしたい気持ちになるんだけど、なんだろう、そのプラスもマイナスもない、ネガティブもポジティブもない感情っていうのは一旦なんかため込むみたいな感じなのかな。
なんかそれがどう作用するか分からないじゃん。その情報を出したら。例えばお前異動になるんだぜって言ったらさ、ショック受けてやめちゃうかもしれない。でも喜ぶかもしれない。分からないじゃん。だからため込むとかなのかな。
相手のリアクションが分かんないから、一旦保留みたいな。でもさ、相手のことを思っての言わないなの?それともさ、なんか自分が知ってるということの時間が長い方が嬉しいみたいな、自分だけが知ってるみたいな状態が長い時間が嬉しいから言わないなのか、なんか言わない理由。
例えば、ご飯を通じて感情を伝える。例えば、自分が、なんだろうな、言葉で直接伝えるよりも、ご飯を提供するというか、作ってあげることで、自分の気持ちとか感情っていうのをデリバリーするっていうのは、これはご飯という媒体を通じて感情、なんか私は乗っけてるような感じがするのよね。
とか、洋服を作るとか、絵を描くとか、なんかそういうものを、なんか媒体があって、なんか自分の思いとか、価値観とか、価値観というか感情とかを伝えるっていうのが、すごくデリバリーの手段としてやりやすい人と、それそうじゃなくて、ストレートに、私はあなたに、なんかこれ伝えたいっていうふうに伝えたい人と、2パターンあるような気がしてる。
で、それパターン分けをする必要もないのかもしれないけど、言葉も一つの媒体と思えばさ。
確かにね。でもさ、言葉で伝えるはさ、媒体を介してるか介してないかは置いといて、感情のシェアなわけじゃん。
このご飯おいしいよねとかさ、この洋服素敵だよねみたいな、なんかそれはどっちかと言うと、俺の中では感情のシェアの一部って感じかな。
なんか、このご飯おいしいよねっていうシェアと、このご飯一緒に食べようみたいなさ、ものはまたちょっと違うじゃん。
なんか難しいな。難しいけど、なんか解像度上がってきてる感じする。
ほんとね。私はなんか、何を言ってるんだろう、自分はってなってる。
そうだな。まあでもちょっとさ、話戻るかもしれないけどさ、今までは奪い合いの社会でしたと。
でもこれからは、その分かち合いをしていきましょうってなった時に、なんかこう、一番やっぱここは大事だなみたいなところってあったりするの?
他人かどうかみたいなところかな、その相手が。
だからその奪い合うにしろ、分かち合うにしろ、一人ではできないじゃん、大前提。
誰かがいて、その人から奪うのか、その人と分かち合うのかっていう違いだと思うんだけど、その相手のことを他人だと認識するか、同じ人間だと認識するかっていう、そのなんか認識な気がする。
なるほどね。
が、なんか一番大事だと思う。
はいはいはいはいはい。いやなんかおもろ。
いやなんか今の話聞いて思ったのはさ、アメリカ大陸の話を思い出して。
アメリカ大陸ってさ、要は後から来たじゃん。大英帝国さんとかがさ。
なにその人の名前みたいな、大英帝国さん。
いろんなヨーロッパ諸国からさ、押し寄せたわけじゃん。
でも先住民っていたわけよ。で、なんか最初はなんか仲良くしようとしてたんだって。でもなんかあいつらはちげえぞってなった瞬間、その奪い合いが始まった、略奪が始まったんだって。
どっちがなったの?
そのヨーロッパ側が。
うんうんうん。
だからなんか例えば、まぁ同じさ、目が2つあって、手が2本あって、足も2本あって、っていうのは一緒なわけじゃん。
でも例えば肌の色だったりとか、あとはその。
しゃべる言語とか。
しゃべる言語とか、文化の違いだったりとかっていうので、別物って認識した瞬間に奪い合いが始まるわけよね。
だからやっぱそれっていうのは、あ、こいつらは自分たちとは違う他人なんだっていう風になった瞬間になるわけじゃん。だからやっぱそこなんだろうね。
だってさ、その白人って括るのもあれだけどさ、ヨーロッパがさ、黒人を奴隷にしてたのってさ、黒人は違う生き物だっていう、自分と同じ人間って認識しなかったからできたわけじゃん。
そうやね。
じゃないと、そんな残酷なことできひんくない?
できひんよね。
自分と同じ人間なんだって思ってたらさ、できないじゃん。できないと思うのよ、たぶん。
できないと思う。やっぱなんだかんだね、人は優しいからね。
優しいかどうかちょっと言っておいて、わかんないけど、おいておいて、同族と認識するかみたいな、どこまでを同族と認識するかっていうのが大事な気がしていて、
それこそ国という単位で自分たちその他で分けるのか、性別で分けるのか、私たち、あいつたちみたいな感じで分けるのか、人種で分けるのか、人間、動物で分けるのか、
ニワトリとかは鳥肉として食べてるわけじゃない。でも、ニワトリを同じ生き物だよねっていうふうに捉えたときに、たぶん、ただただ食べられるためだけに育てるっていうのは倫理的によくないよねっていう話が出てくると思うね。
動物の人権、人権、動権、権利みたいな、生きる権利みたいなことを考えだすと、権利の行使する範囲って結局地球に生けるすべてのものに広がると思うのよね。
確かにね。
それをどこまで広げるかに関しては、明確な正解はないと思う。だけど、一緒に生きてるっていうのは事実だと思うから、なったときにどう生きるかっていうときに奪うのか、その目の前の人を奪うのか、分かち合うのかっていう選択の差な気がする。
確かに。すごい今、理解深まった。
本当に。
確かに他人というか、分かりやすく言うと家族みたいな定義を広げると、その人たちも大事にするじゃん。逆に言うと、こいつ家族じゃねえなみたいになった瞬間、すごいドライになるとか冷たくなったりもする。
切り捨てれるよね。
そうそう。この間、会社の先輩が、最近娘が冷たいんだよねみたいなこと言い始めて、一緒に洗濯物入れないでとか、ついに言い始めたみたいな。あれは何も気になってなかったのが、この人敵だみたいなさ、こいつはなんか嫌だなって、家族じゃないってなった瞬間、洗濯物一緒に入れないでっていう風になるわけじゃん。
だから、どこまでを他人として見るかみたいなところが、要は逆に言うと、それって狭まっちゃったパターン。それを広げていけばさ、みんな一緒に洗濯しようぜっていう風になるわけじゃん。
確かに、しややかった。
一緒の洗濯物、どうぞ一緒に洗濯機使いましょうみたいな。
そしたら水が節約できますみたいなね。
そうやね。
でもさ、一個さっきの思春期の女の子の話で言うと、ある意味、自分と家族じゃないっていう認識っていうよりは、どっちかっていうと、男性として認識したと思うのよ、私は。
お父さん。
今まではお父さんだったけど、お父さんも一人の男性なんだっていう風に、中年男性なんだっていう風になった時に、自分とは違う存在なんだっていう、ある意味認知をしたっていう風にも捉えられるから。
確かにね。
それは逆に言うと、順調に成長してるっていう風にも捉えられるよね。って思うと、それはそれでいいのかなとも思ったりする。
確かにね。
絶対的にシェアしているっていうのが正解でもないと思うの。人生いろいろじゃん。
そうね。
状況とか環境によると思うから、その時の選択の詞の一つに、奪うっていうことじゃなくて、分かち合うっていうことがあるかどうかが、豊かさの違いな気がしている。
確かにね。
いやー、おもろ。なんかちょっとだいぶ熱くなってきちゃったけど、ちょっとそろそろ結構いい時間になってきたから、ちょっとエンディングでいろいろまとめていきたいなって思います。
お願いします。
はい。
じゃあ、エンディングいきます。
はい。では、エンディングに入っていきたいと思います。
お願いします。
なんか、最後の話ですごい俺の中で分かち合いのイメージがめちゃくちゃ広がったんだけど、どういうふうになれば分かち合いってできるのかなっていうのを今日はいろいろと考えたかったのよ。
だから今日のテーマとしては、この歴史、奪い合いの歴史から分かち合いはどういうふうに生まれていくのかみたいな。
だから俺の一個の答えとしては、なんかやっぱ認知を広げるというか、なんかみんな家族、みんな知り合いっていう認知を広げていくことによってやっぱ分かち合いって生まれていくんだろうなって。
だから要は自分が大切にしたい人とかをどれだけ広げていくかみたいなさ。
さっきの例えばさ、移動の話もさ、例えばその移動する人が自分の子供とかだったら絶対伝えるじゃん。
とかね。
自分のめちゃくちゃ大切にしてる人で、でもこの人が悲しむか悲しまないか分からないけど、伝えてあげたくなるじゃん、それって。
なんかそういうことなんだなと思って。
そうだと思う、私も。
私なんかそれを、私は結構初対面というか、初対面の人でも割とそういうカテゴリーに入るの。
そうね。
うん、入るんだけど、それ入れすぎると次、自分がすっごいしんどくなる経験をしてるから、一概にそれが正しいと思ってなくて、なんか時にはこうドライであるっていうことも大事だと思ってるのね。
そうね。
だからそこは、やっぱ一番大事なのは自分の精神状態だと思うから、なんかそこを、だから自分の器がまだおちょこみたいな状態なのに、なんかいろんな人をこう、なんていうの、仲間に入れるというかさ、
あの人もこの人も守る対象みたいな、シェアする対象みたいに入れちゃうと、自分が壊れるなと思うから、なんかそこの、だからそこでなんかね、私は、なんだろうな、自分の無力さみたいなのを結構痛感するの。
で、それを、じゃあそのために力をつけようとか、そのためにレベルアップしようっていう、なんかこう成長したいっていう欲求が芽生えるのが、なんか人間のすごくこう純粋な成長意識というか、もっともっとこういうふうになりたい、こういう自分でありたいから、とかいろんな人を他人って切り捨てるんじゃなくて、仲間として受け入れたいというか、受け入れたいというか認知したいから、
なんか自分の器広げていこうっていうふうになってくのかなって。
なるほどな。
いうのが、なんかとりあえず28年生きてみて、どうやってこう、なんだろう、何かを犠牲にせずに成長していけるかっていうところの一つの答え。
たどり着くときに、そのシェアっていう概念は自分の中ですごい大事なことの一つ。
確かにね。
なーって思うね。
なんかやっぱさ、今大事にしてることってさ、ナーミンが結構知らず知らずのうちにやってたことだったりするじゃん。
なんかそれが言語化されてさ、これって大事だよねみたいなふうに言ってるだけで、なんかナーミンはやっぱそういう個性があるんやろうね。
子供心は残しときたいみたいなのはあるかも。
なるほどね。
なんか仕方ないよね。こういうもんだよね。世の中ってこうだよねっていう言い訳をしたくないのよ。自分の中で。
なんかそれをしちゃうと、なんか自分の良さが消えちゃう感じがする。
確かにね。諦めないもんね。そこ。
よく立ち止まるけどね。
でもまたいつもフェニックスのように復活するじゃん。
それをね、あの、ふくみのおかげですよというところで言うときます。
ありがとう。じゃあ、どうですか?
すごい、ひと仕事した感じが。
いや、俺はね、腑に落ちてるから今。なんか温泉使った気分。
整った?
整った。