1. COCOAトーク〜夫婦で語る、わかちあう暮らし〜
  2. #49 「他人」から「私たち」へ..
2025-04-17 38:07

#49 「他人」から「私たち」へ。夫婦で考える、わかちあいの未来

【今回の内容】 

・感情の共有と共感の深化

・利他的行動と分かちあいのジレンマ

・「他人」から「仲間」へ:認識の変化と行動


<毎週火曜 朝9時配信>

この番組は、「自分の個性を活かして活躍したい人」「人の個性を活かせる自分になりたい人」「個性を活かすことに興味がある人」に向けて、コーチングを仕事にしているなーみんの考察を元に「個性」をテーマに探求し、よりワクワクできる生き方を考えていく番組です。

なーみん、ふくみん夫婦が普段からシェアし合っている、日々感じている課題やモヤモヤや感動した話など、時には真面目に、時にはぶっ飛んでる、夫婦の会話をお楽しみいただければと思います。

▼パーソナリティ

なーみん(https://nami-coaching.studio.site/)

ふくみん(https://1staid-hp.studio.site/)

▼番組への感想や質問などお便りはこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠forms.gle/o5bJdHWxeFHBEvxU7⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠



#コーチング

#キャリア

#複業

#副業

#個性

#夫婦

#わかちあい

#COCOA

#シェア


サマリー

このエピソードでは、夫婦が「分かち合い」の重要性を掘り下げます。個性を尊重し、感情や物事を共有することが社会の歪みを解消し、より良い未来につながる可能性について語られます。夫婦は分かち合いの重要性やその感情的な側面を考察し、物理的なシェアとの違いについて触れます。また、情報の共有やその動機について探求し、共同生活の意義や心の繋がりの重要性に焦点を当てます。他人から自分たちへの変化を考え、奪い合いの社会から分かち合いの社会に移行する際の重要な認識について議論します。特に、他者を同じ人間として捉えることの重要性や、家族や仲間の概念を広げることで、より豊かな人間関係を築く可能性に焦点を当てます。最後に、夫婦は「他人」から「私たち」への視点をシフトし、分かち合いの重要性について語ります。

分かち合いの意義
こんにちは。とある夫婦の個性談義。今日もキャラクターズ始めていきます。パーソナリティのナーミンと福民です。
この番組は、個性を生かすことに興味津々なわかちあいチューナーのナーミンと、サラリーマンをしながら副業に取り組んでいる旦那の福民が、普段からシェアし合っているテーマで語り合う夫婦の個性談義です。
個性を生かすという考えに共感してくださる方や、エピソードを聞いて面白いと感じていただけたら、ぜひフォローをお願いします。
はい。ということで、今日もキャラクターズ始めていきますが、ついについに49回目になりました。
イエーイ!
4、死の苦しみ49やね。
まだやってんの?心合わせみたいなやつ。
そうね。
まさか出てくると思わんかったけど。
確かにね。ついにあと2回、50回まで。
50回までだし、キャラクターズ最終回までだし。
大詰めですね。
大詰めカウントダウンって感じよね。
いや、今日花粉やばいよ。
今日花粉やばい?
今日花粉やばい。
毎日言ってるような気もするけどね。
なんかさ、やっぱね、感じるのよね。
あ、今日やばいなとか、あ、今日大丈夫だなっていうのは、なんか普通に感じる。
やっぱあれなの?雨の日は大丈夫な感じなの?
全然雨の日は、ハピーって感じ。
ハピー?
これ多分花粉症の人はね、みんなわかると思う。そうよねってのわかると思う。
いや、俺別に花粉症じゃないけど、たまたま今年はちょっと花粉に弱いだけ。
いや、それ多分、私それ言ってる人ね、5人ぐらい聞いた。
なんか、そう、同じようなこと言ってるみんな。
まだ認めたくないのに。
そうそう、私は花粉症じゃない、でも鼻水が止まらないみたいな。
もう諦めた。
登場際が悪い。
薬物投与してるから。
まあちょっとね、あの鼻声ですが、春を感じながら聞いてもらえればと思います。
はい、ということで、今日も進めていきたいと思います。
はい、今日はね、前回さ、個性だったりとか、ココアトークのテーマの分かち合いっていうところに対して、
なんかこう、要素分解とか深掘りしていこうみたいな話をさせてもらって、前回それ個性の話をしたんだけど、
結局なんか要素分解とか深掘りっていうよりかは、俺の中での、個性弱者の俺の中での解像度を上げるみたいな。
はいはい。
感じになって、なんか個人的にはすごく納得感がいったよね。
個性に対しての尊重するっていう言い方がね。
今日はその分かち合いで、それと同じようなことをしていきたいなって思ってます。
できるかな。私自身がその分かち合いへのこの解像度がまだまだ荒い可能性があるか、
ちょっとそこもチャレンジということで、やっていきたいなと思います。
歴史と独占の構図
一緒にやっていこう。
はい、お願いします。
じゃあそもそも分かち合いはさ、なんだろう、個性が尊重するだとしたら、分かち合いは何なの?
分かち合いは何なの?分かち合いという動詞かな、それにすると。
分かち合うだもんね。個性は名詞だから動詞がその後つくけど、じゃあ何を分かち合うの?
なんかそこはあらゆる番物みたいな感覚かな。一番やっぱ自分自身が大事にしたいのは感情を分かち合うっていうことだけど、
別にそれにとらわれず、食べ物とか、家とか、着ている洋服とか、すごい小さいところで言うと充電器を分かち合うみたいな。
一人じめするんじゃなくて、一緒に共有するみたいな感じのイメージかな。
分かち合うはさ、いろんなものが分かち合えるじゃん。分かち合うの逆説的な言葉って今出てきた一人じめみたいな感じなの?
そうだよね。分かち合ってない状態って独占してるというか、占領してるっていう感じ。
なるほどね。独占か。
なんか結構さ、歴史系の映画とかアニメとかを見てると、アニメというか普通に歴史を知るとさ、植民地支配みたいな感じでさ、
そこに住んでた人たちを支配して、もううちの国ですみたいな、うちのものですみたいな感じになることで、いろんな恨みの感情とか復讐心とかが芽生えたりとかするなと思うし、
でもそれって、いろんな事情が絡み合ってるとはいえ、奪った結果だと思うから、それって、もともとはそれぞれ平和に暮らしてたのに、
奪っていくことによって、どこかが独り占めできる状態になっていくと、世の中ってすごく歪んでいく感じはしていて。
なるほどね。
今時というか、今の時代で言うと、それがなんかすごい資本家が資本を独占するみたいな、
独占してるよね、みたいな株という形で、資本を一定のすごい数パーセントの人たちに集まっている、集約されてて、ほとんどの人は言ったら手元にその資本がないっていう状態で苦しんでいるみたいな。
なるほどな。確かにね。今言ってきたことって、ずっと歴史上繰り返し来てるじゃん。奪い合いみたいなところって。
今、植民地みたいな話が出てきたからわかりやすく言うと、土地を奪い合ってるわけじゃん。
でもそもそも土地って誰のものかみたいなのって、決まってないわけだよ、一番最初は。
だからなんか、それこそみんな最初は仲良くさ、みんなで使おうね、みたいな感じになってたかもしれないけど、なんでそれを独占しようって思う人たちが現れてきたわけ?って思って今。
やっぱ一番は防衛心やと思うけどね。
守りの気持ち?
なんかそれで言うと、一番たどっていった時にさ、狩猟スタイルか農耕スタイルかみたいなので、大きく歴史が変わったっていうのがあると思って。
狩猟の時って、その日食べるものさえあれば別によかった。そのものを蓄積しなくてよかった。
けど、だから色んな場所を練り歩いて、その今日の獲物を見つけて、それを獲ってきた獲物をみんなで分けて食べて生き延びていくっていう、すごく原始的な生活だったのが、
どこかの土地に定住することで、そこの土地を耕して、その農作物とか、米とか麦とか、そういうものを採取して、それを言ったらたくさん持っている人に力が備わる。
それにすることによって、例えば自分の命を守れるとか、生き延びる確率が上がるっていう、自分の家族だったり、自分の領地の人間っていう風に優先順位ができちゃう。命に。
その誰かに力が、パワーが集まることで、その人を起点に、どの命がより大事かっていう序列ができることによって、その人たちは守らなければいけないっていう、次その理由が読まれて、一番最初は自分を守るっていうところだと思うし、
逆に言うと、襲われないために先に襲うみたいな、っていうのも含めて、そういう奪い合いの構図でできていくのかなと思うね。
たしかにね。それが要は現代までずっと続いてるわけじゃん。その濃厚社会が出来上がって、蓄える人ができて、その蓄える人が偉くなって、その蓄えを守るためだったりとか、自分たちの家族を守るために、どんどんそれを広げていかなきゃいけないだったりとか、奪っていかなきゃいけないみたいなさ。
現代のシェア文化
フのスパイラルなのか、フじゃないかもしんないけど、スパイラルなわけじゃん。それをやめて分かち合おうっていう風になった時に、どうやったらそれが実現できるのかみたいなさ。
すごい難しいと思うんだよね。
難しそう。
でも、その中で俺が思うのは、これだけ物が溢れてるから、蓄えなくても良くねみたいな感じになってるのかなと思っていて。
今が?
溢れすぎちゃって、要は物の価値だったりとか情報の価値みたいのが低くなってるから、それを要は抱え込む必要性だったりとかも薄れてるみたいな。
だからこそ、これって別にみんなでシェアしてもいいかなみたいなさ、感じになってんのかなと思って。
それこそ、中途半端に物が溢れてた時代よりかは。だからこそ、分かち合いだったりとかさ、そういうのが良しとされてるというよりかは、できるようになってきたのかなっていう感覚。
進化の結果、進歩の結果みたいな。
確かにね、いろんな物が民主化、生まれて、最初は特定の人たちのための物だったけど、それによって格差が生まれるからこそ、それを民主化しようみたいな動きがあって、それで一般層というか一般市民まで技術とか物が降りてくるみたいな流れとしてあるからさ。
あらゆる物が民主化されたっていう意味では、今の話は確かに納得感がある。
それこそWeb3とかブロックチェーンとかってそうじゃん。もうこいつらに任せてらんねえみたいなさ。
こいつらに任せてらんねえ。
みんなで監視し合おうだったりとかさ、そういう感じになってきてるわけじゃん。
なんかあれってさ、昔はなかったなと思って。それこそ俺の子供の頃でさえさ、ちょっと極端な言い方をするとさ、ファミコンとかスーパーファミコン持ってるやつに人は群がるわけよ。
権力者になるんだ。
そう、権力者になるんだよ。でも今みんな持ってるじゃん。だから、あいつ持ってるんだ、すげえとはならないじゃん。
確かに確かに。
それと同じ感じかなと思って、構図としては。みんな持ってるから、別にこれを持ってるから偉いってわけでもないし、みんな持ってるからじゃあこの楽しみをシェアしようみたいなさ。
そんな感じかなと思って。
なるほどね。
なんかそれで言うと、みんなが持っているっていう状態になったことで、大事にする対象に地球も入ってきてるみたいな。
なんか今までは人のためのこう、なんて言うんだろうな、進歩とか、人がよりよく暮らすためのあれこれみたいなのがあったかもしれないけど、なんかそもそもじゃあその私たちが住んでいる地球が今後もこう住める場所であり続けるための、結局はだから人間のために帰ってくるんだけど、
に、なんかその大事にするものの対象として地球もポンと出てきて、ポンとは出てきてないけど、入ってきたときにたくさんものが溢れてしまって、そのフードロスとかも含めて、なんかいろんなものがこう、なんて言うんだろう、ちょっと上手い言葉が出ないけど、
なんて言うんだろうな、なんかたくさんある状態から、なんかよりそのベストフィットというか、なんか本当はこんなにいらないんじゃ、作らなくていいんじゃないとか、本当はこんなになくてもいいんじゃないっていうものを叶えるために、そのシェアっていうことをすることで、別に数が少ない、本当に数が少ないんだっけ、実は適量で別に1人1個じゃなかったんじゃないとか、
分かち合いの重要性
なんかそういうふうに、もうちょっとミニマリストみたいな言葉も流行ってきたじゃない、っていうのも、なんかやっぱ過剰になったからこそ、なんかそのリバウンドにみたいな感じで、こう減らすところにシェアっていうのが入ってきてるのかなっていうのも、ちょっと感じた、今の話の延長線だけど、なんかすごい難しいな。
いや、でもさ、その、やっぱ今でこそその分かち合いが生まれやすいようになってるってことはそういうことだよね。
うんうんうん。
なるほどね。なんか結構さ、今までなんかこれ分かち合ってきたなみたいなさ、経験とかってある?
分かち合ってきたなっていう経験?えーどうやろう。
なんかナーミンはさ、感情とかさ、経験とかはすぐシェアしたからじゃん。なんかあれは、なんか分かっちゃってるなって感じはするのよね。
へー。
なんか、自分だけ、このノウハウ知ってんのは自分だけですみたいな感じとか一切ないじゃん。
うん。なんかあんまりそれをすることに喜びがないかもしれない。
うん。
教えたい、でもこれどっから来てんやろうね。なんかこう教えたいってなっちゃうのよね。教えたい、知らせたい、なんか知ってほしいみたいな風になる私は。なんか独り占めしようっていう気持ちはあんまりないかも。
えー、俺どっちかと言うと逆でさ、
あ、そうなんだ。
俺結構情報は否得するタイプで、
手引き部?
なんか、ちょっと性格悪いなと思うんだけどさ、俺知ってるでそれみたいな、なんかすごい好きなの。
あー。
例えばさ、今の時期とかだとさ、その3月から4月に年度が切り替わるから、その人事情報とかいろいろ入ってくるわけよ。
俺組み合いもやってるからさ、なんかそっち系でもいろいろ情報入ってきてるのね。で、知ってんのよ、この人は異動になるとかって。
でも、手引き部がもちろんあるからさ、
まあまあそうね。
言わないんだけど、もうその情報を先に掴んでるっていうことに対して、なんかすごく優越感。優越感とは違うかな。なんか、
ニヤリみたいな。
情報強者みたいなさ。
これ完全に分かち合いとは別の話よね。
そうなんだって感じ。なんか、でもそういう人はいるよね、普通に。なんか私も言われたことあるもん。なんか、ナーミンさんは人がいいですねみたいな。僕だったらそれ黙っておいて自分がやるとか、なんかなんとかかんとかみたいな言われたこともあって。
なんかその人という単語でくくってしまうと、やっぱ人の本質はさ、やっぱその収集心とかさ、その蓄えたいみたいなものがあるんじゃないかなって思って。やっぱさっきの防衛本能じゃないけどさ、なんかそういうの自分だけ知ってたらさ、じゃあ例えば明日地震が来ますって自分だけ知ってたらさ、自分は防衛できるじゃん。とかね。
そんなひどくはないけど、俺がそれ知ってたらさすがにさ、拡散はするけど。
確かに。でもさ、なんかSNSとかってさ、言ったらあんなのシェアの塊じゃん。
確かにね。
でもあれはさ、なんかいろんなものが絡み合ったシェアっぽいよね。なんか純粋にさ、分かち合いたいみたいなものだけじゃなくて、なんかこう正義ずらしたいみたいなものもありそうだし、なんか人を叩きたいみたいな、人をなんかこう落とし入れたいみたいな、なんかそういうのもありそうだし、すごいこうシェアといってもその動機は人それぞれというか、拡散するっていうことに対して。
シェア自体はやってたとしても、その動機は人それぞれな気がするし、私も別になんか、話したい、しゃべりたい、シェアしたいっていう、なんかすごい純粋な気持ちだけじゃないと思うよね。
なんか他にもいろいろある気がする。なんか自分がさっきの情報強者でありたいみたいなのと同じように、シェアすることによってなんかメリットを得てるような気はする。何のメリットかはちょっと今パッと出てこないけど。
なんか俺もさ、分かち合いたい気持ちもあるのよね。例えば、なんかこないだ行ったお店めちゃくちゃ良かったよみたいなさ、ものとかはシェアしたいのよ。なんかこうプラスの感情というかさ、そういうのはすごくシェアしたい気持ちになるんだけど、なんだろう、そのプラスもマイナスもない、ネガティブもポジティブもない感情っていうのは一旦なんかため込むみたいな感じなのかな。
なんかそれがどう作用するか分からないじゃん。その情報を出したら。例えばお前異動になるんだぜって言ったらさ、ショック受けてやめちゃうかもしれない。でも喜ぶかもしれない。分からないじゃん。だからため込むとかなのかな。
相手のリアクションが分かんないから、一旦保留みたいな。でもさ、相手のことを思っての言わないなの?それともさ、なんか自分が知ってるということの時間が長い方が嬉しいみたいな、自分だけが知ってるみたいな状態が長い時間が嬉しいから言わないなのか、なんか言わない理由。
情報の共有と動機
言わない理由は言っても何も変わらないからかな。
逆に?
逆に。なんかいつか分かるじゃん。絶対。その心事情報だったらね。だとしたら別に今俺が言わなくてもよくないっていう感じかな。でもここのご飯おいしかったねっていう情報は俺が言わないと伝わらないじゃん。
うんうんうん。
俺の気持ちだから。そこかな。俺の気持ちだからなのかな。情報っていうさ、俺の気持ちが何もないものと、あと俺の気持ちが乗っかってるシェアみたいなところ。
でも私もそれで言うと、なんか大体さ、これがいい、あれがいいとかさ、なんかどう思うみたいな感じで言うことってさ、大体感情乗っかってるような気はする。
ああ、そういうことか。やっぱシェアって感情を伝えることなんだね。
確かにね。それはあるかもしれない。なんかシェアすることによって、なんか苦しみが軽減されるとか喜びが2倍になるみたいなさ、なんか嬉しいことは2倍で、なんか悲しみは半分こみたいな。そういう名言あるくない?
ある。
なんかそういう感じな気がするね。
なるほどな。
だからどっちかっていうと、ナーミンがやりたい分かち合いは、その気持ちのほうなのかな。
気持ちのほうもあるし、なんかそれによって精神に影響があるっていうのはすごく、やっぱ今までやってきて、そのコーチングとかをやってきて思う。やっぱなんか、ただただうんうんって聞いてるだけで、自分で答えを見つけるっていうこともあるし、そのクライアントさんがね。
やっぱでも話せたっていうこと自体がすごく救いになることもあるのよ。で、それがやっぱ今まで周りに話せる人がいなかったっていうことが、やっぱすごくその人の心の枷みたいになっていて、なんか孤独感とか抱えてたけども、こう、なんか誰も傷つけるわけでもない、誰にも話さないってわかっている人に話せたっていうことがすごく救いになるっていうのはあるんだなって思ったことあるし、
それはちょっとカウンセリングに近いのかもしれないけど、そういう作用はあるなっていうのは感じてた。
なるほどな。
けど、それとちょっとまた別で、さっきの地球の話。リソースって限りがあるって私は思っていて、たくさんあったとしても、いつかは尽きる。石油とかにしてもさ、水とかにしてもさ。
はいはい。
無限じゃないっていうのがあるから、その限りあるものをどうみんなで分配していくかっていうのを考えたときに、一緒に使ったらよくないって思うのよ。分けたらよくないって思う。
っていうのがさっきの家とか食べ物とか、本とか服とか、そういういろんなものをシェアするっていうことが大事じゃないと思ってるところ。
それによってその共同体として作られていく感覚はあるかもしれない。その感情的な部分に入る。
それで言うとさ、順番があるのかなと思って。分かち合いとかシェアって。まずは気持ちとか感情とかの分かち合い。それは言葉で伝えられるものなのかなと思っていて。
それがあって、さらにその先に物質じゃないけど、家とか服とかっていう分かち合い、土地とか広がっていくのかなってちょっと思った。
いきなりこの家シェアしようぜみたいなこと言ってもさ、知らない人だったらもう嫌じゃん。
嫌だね。
だからその感情とかシェアしてさ、めっちゃその気持ち分からんこいつとだったらフュージョンできるみたいな風になったら、別に一緒の家シェアしてもさ、障壁はあんまりなかったりするじゃん。
なんかそういう順番がありそうだなって今聞いてて思ったな。
共同生活の意義
確かにね。なんかその共同生活みたいなものは究極だと思う。それこそ家族みたいな文脈だと思うから。究極のシェア活だと思うんだよね。
確かにね。
家族だから一緒の家に住んでるっていうのはさ、ある意味固定概念じゃん。家族の中で家をシェアしてるって考えるとさ、なんかシェアじゃん、それすらも。
確かに。
で、なったらなんか究極だなと思うから、その共同生活っていうものが。ただなんか一日だけとかさ、なんかこの時だけとかだったらさ、なんかもうちょっとハードル低かったりするじゃん。
でもそれシェアじゃないよね、なんかね。その単発は。
え、ほんとに?
うん、なんかシェアじゃないなって、分かち合いではないなと思った。なんかお裾分けみたいな。
お裾分け?
違うな、なんだろうな、貸すみたいな感じの感覚かな。
貸すはシェアじゃないの?
なんか俺の中で貸すとシェアは違う。
無償かどうかみたいな?
いや、なんかね、シェアはなんだろうな、一緒に使おうみたいな感じ。でも貸すは一時的にどうぞみたいな、そんな感じ。
それで言うと、私のなんかシェアって言葉を使う時の解釈としては貸すも入ってるかも。
あ、そうなの?
その一時的にどうぞっていうのもなんか入ってる気がするけど、これは別に個人のね、あの話だから、どっちが正しいとかはないけどさ。
確かにね。確かにそう言われたらそうだなとも思うから。
そこはあんま大事じゃないような気もする。
うん、確かにね。
あと一個思ったのは、言葉での交流、シェアが好きな人と、好きというかやれる人、やりやすい人と、物とか、ことを通じてシェアするっていうのができるとか、その方がすごくやりやすい人っていう、
なんかタイプがあるような気がするね。
えー、その後者の方はどういうイメージなの?そっちの方がやりやすい人って。あんまイメージできないな。
感情のシェアと媒体
例えば、ご飯を通じて感情を伝える。例えば、自分が、なんだろうな、言葉で直接伝えるよりも、ご飯を提供するというか、作ってあげることで、自分の気持ちとか感情っていうのをデリバリーするっていうのは、これはご飯という媒体を通じて感情、なんか私は乗っけてるような感じがするのよね。
とか、洋服を作るとか、絵を描くとか、なんかそういうものを、なんか媒体があって、なんか自分の思いとか、価値観とか、価値観というか感情とかを伝えるっていうのが、すごくデリバリーの手段としてやりやすい人と、それそうじゃなくて、ストレートに、私はあなたに、なんかこれ伝えたいっていうふうに伝えたい人と、2パターンあるような気がしてる。
で、それパターン分けをする必要もないのかもしれないけど、言葉も一つの媒体と思えばさ。
確かにね。でもさ、言葉で伝えるはさ、媒体を介してるか介してないかは置いといて、感情のシェアなわけじゃん。
このご飯おいしいよねとかさ、この洋服素敵だよねみたいな、なんかそれはどっちかと言うと、俺の中では感情のシェアの一部って感じかな。
なんか、このご飯おいしいよねっていうシェアと、このご飯一緒に食べようみたいなさ、ものはまたちょっと違うじゃん。
なんか難しいな。難しいけど、なんか解像度上がってきてる感じする。
ほんとね。私はなんか、何を言ってるんだろう、自分はってなってる。
そうだな。まあでもちょっとさ、話戻るかもしれないけどさ、今までは奪い合いの社会でしたと。
でもこれからは、その分かち合いをしていきましょうってなった時に、なんかこう、一番やっぱここは大事だなみたいなところってあったりするの?
他人かどうかみたいなところかな、その相手が。
だからその奪い合うにしろ、分かち合うにしろ、一人ではできないじゃん、大前提。
誰かがいて、その人から奪うのか、その人と分かち合うのかっていう違いだと思うんだけど、その相手のことを他人だと認識するか、同じ人間だと認識するかっていう、そのなんか認識な気がする。
なるほどね。
が、なんか一番大事だと思う。
はいはいはいはいはい。いやなんかおもろ。
いやなんか今の話聞いて思ったのはさ、アメリカ大陸の話を思い出して。
アメリカ大陸ってさ、要は後から来たじゃん。大英帝国さんとかがさ。
なにその人の名前みたいな、大英帝国さん。
いろんなヨーロッパ諸国からさ、押し寄せたわけじゃん。
でも先住民っていたわけよ。で、なんか最初はなんか仲良くしようとしてたんだって。でもなんかあいつらはちげえぞってなった瞬間、その奪い合いが始まった、略奪が始まったんだって。
どっちがなったの?
そのヨーロッパ側が。
うんうんうん。
だからなんか例えば、まぁ同じさ、目が2つあって、手が2本あって、足も2本あって、っていうのは一緒なわけじゃん。
でも例えば肌の色だったりとか、あとはその。
しゃべる言語とか。
しゃべる言語とか、文化の違いだったりとかっていうので、別物って認識した瞬間に奪い合いが始まるわけよね。
だからやっぱそれっていうのは、あ、こいつらは自分たちとは違う他人なんだっていう風になった瞬間になるわけじゃん。だからやっぱそこなんだろうね。
だってさ、その白人って括るのもあれだけどさ、ヨーロッパがさ、黒人を奴隷にしてたのってさ、黒人は違う生き物だっていう、自分と同じ人間って認識しなかったからできたわけじゃん。
そうやね。
じゃないと、そんな残酷なことできひんくない?
できひんよね。
自分と同じ人間なんだって思ってたらさ、できないじゃん。できないと思うのよ、たぶん。
できないと思う。やっぱなんだかんだね、人は優しいからね。
優しいかどうかちょっと言っておいて、わかんないけど、おいておいて、同族と認識するかみたいな、どこまでを同族と認識するかっていうのが大事な気がしていて、
それこそ国という単位で自分たちその他で分けるのか、性別で分けるのか、私たち、あいつたちみたいな感じで分けるのか、人種で分けるのか、人間、動物で分けるのか、
ニワトリとかは鳥肉として食べてるわけじゃない。でも、ニワトリを同じ生き物だよねっていうふうに捉えたときに、たぶん、ただただ食べられるためだけに育てるっていうのは倫理的によくないよねっていう話が出てくると思うね。
動物の人権、人権、動権、権利みたいな、生きる権利みたいなことを考えだすと、権利の行使する範囲って結局地球に生けるすべてのものに広がると思うのよね。
確かにね。
それをどこまで広げるかに関しては、明確な正解はないと思う。だけど、一緒に生きてるっていうのは事実だと思うから、なったときにどう生きるかっていうときに奪うのか、その目の前の人を奪うのか、分かち合うのかっていう選択の差な気がする。
精神状態と成長
確かに。すごい今、理解深まった。
本当に。
確かに他人というか、分かりやすく言うと家族みたいな定義を広げると、その人たちも大事にするじゃん。逆に言うと、こいつ家族じゃねえなみたいになった瞬間、すごいドライになるとか冷たくなったりもする。
切り捨てれるよね。
そうそう。この間、会社の先輩が、最近娘が冷たいんだよねみたいなこと言い始めて、一緒に洗濯物入れないでとか、ついに言い始めたみたいな。あれは何も気になってなかったのが、この人敵だみたいなさ、こいつはなんか嫌だなって、家族じゃないってなった瞬間、洗濯物一緒に入れないでっていう風になるわけじゃん。
だから、どこまでを他人として見るかみたいなところが、要は逆に言うと、それって狭まっちゃったパターン。それを広げていけばさ、みんな一緒に洗濯しようぜっていう風になるわけじゃん。
確かに、しややかった。
一緒の洗濯物、どうぞ一緒に洗濯機使いましょうみたいな。
そしたら水が節約できますみたいなね。
そうやね。
でもさ、一個さっきの思春期の女の子の話で言うと、ある意味、自分と家族じゃないっていう認識っていうよりは、どっちかっていうと、男性として認識したと思うのよ、私は。
お父さん。
今まではお父さんだったけど、お父さんも一人の男性なんだっていう風に、中年男性なんだっていう風になった時に、自分とは違う存在なんだっていう、ある意味認知をしたっていう風にも捉えられるから。
確かにね。
それは逆に言うと、順調に成長してるっていう風にも捉えられるよね。って思うと、それはそれでいいのかなとも思ったりする。
確かにね。
絶対的にシェアしているっていうのが正解でもないと思うの。人生いろいろじゃん。
そうね。
状況とか環境によると思うから、その時の選択の詞の一つに、奪うっていうことじゃなくて、分かち合うっていうことがあるかどうかが、豊かさの違いな気がしている。
確かにね。
いやー、おもろ。なんかちょっとだいぶ熱くなってきちゃったけど、ちょっとそろそろ結構いい時間になってきたから、ちょっとエンディングでいろいろまとめていきたいなって思います。
お願いします。
はい。
じゃあ、エンディングいきます。
はい。では、エンディングに入っていきたいと思います。
お願いします。
なんか、最後の話ですごい俺の中で分かち合いのイメージがめちゃくちゃ広がったんだけど、どういうふうになれば分かち合いってできるのかなっていうのを今日はいろいろと考えたかったのよ。
だから今日のテーマとしては、この歴史、奪い合いの歴史から分かち合いはどういうふうに生まれていくのかみたいな。
だから俺の一個の答えとしては、なんかやっぱ認知を広げるというか、なんかみんな家族、みんな知り合いっていう認知を広げていくことによってやっぱ分かち合いって生まれていくんだろうなって。
だから要は自分が大切にしたい人とかをどれだけ広げていくかみたいなさ。
さっきの例えばさ、移動の話もさ、例えばその移動する人が自分の子供とかだったら絶対伝えるじゃん。
とかね。
自分のめちゃくちゃ大切にしてる人で、でもこの人が悲しむか悲しまないか分からないけど、伝えてあげたくなるじゃん、それって。
なんかそういうことなんだなと思って。
そうだと思う、私も。
私なんかそれを、私は結構初対面というか、初対面の人でも割とそういうカテゴリーに入るの。
そうね。
うん、入るんだけど、それ入れすぎると次、自分がすっごいしんどくなる経験をしてるから、一概にそれが正しいと思ってなくて、なんか時にはこうドライであるっていうことも大事だと思ってるのね。
そうね。
だからそこは、やっぱ一番大事なのは自分の精神状態だと思うから、なんかそこを、だから自分の器がまだおちょこみたいな状態なのに、なんかいろんな人をこう、なんていうの、仲間に入れるというかさ、
あの人もこの人も守る対象みたいな、シェアする対象みたいに入れちゃうと、自分が壊れるなと思うから、なんかそこの、だからそこでなんかね、私は、なんだろうな、自分の無力さみたいなのを結構痛感するの。
で、それを、じゃあそのために力をつけようとか、そのためにレベルアップしようっていう、なんかこう成長したいっていう欲求が芽生えるのが、なんか人間のすごくこう純粋な成長意識というか、もっともっとこういうふうになりたい、こういう自分でありたいから、とかいろんな人を他人って切り捨てるんじゃなくて、仲間として受け入れたいというか、受け入れたいというか認知したいから、
なんか自分の器広げていこうっていうふうになってくのかなって。
なるほどな。
いうのが、なんかとりあえず28年生きてみて、どうやってこう、なんだろう、何かを犠牲にせずに成長していけるかっていうところの一つの答え。
たどり着くときに、そのシェアっていう概念は自分の中ですごい大事なことの一つ。
確かにね。
なーって思うね。
なんかやっぱさ、今大事にしてることってさ、ナーミンが結構知らず知らずのうちにやってたことだったりするじゃん。
なんかそれが言語化されてさ、これって大事だよねみたいなふうに言ってるだけで、なんかナーミンはやっぱそういう個性があるんやろうね。
子供心は残しときたいみたいなのはあるかも。
なるほどね。
なんか仕方ないよね。こういうもんだよね。世の中ってこうだよねっていう言い訳をしたくないのよ。自分の中で。
なんかそれをしちゃうと、なんか自分の良さが消えちゃう感じがする。
確かにね。諦めないもんね。そこ。
よく立ち止まるけどね。
でもまたいつもフェニックスのように復活するじゃん。
それをね、あの、ふくみのおかげですよというところで言うときます。
ありがとう。じゃあ、どうですか?
すごい、ひと仕事した感じが。
いや、俺はね、腑に落ちてるから今。なんか温泉使った気分。
整った?
整った。
分かち合いの重要性
なんか今日さ、分かち合いをちょっと深掘っていこうよっていう話をさ、してくれて。
なんか私は正直何を喋ったらいいのかよく分かんなくてさ、なんか個性よりも分かち合いの方がまだなんかね、非言語な感覚なのよ。
いろんなものが感覚的にいいじゃんみたいな。その方がいいじゃんみたいな感じだったけど、なんか話をしていく中で、まだまだ解き明かせてないことたくさんあるんだけど、
最後にさ、言った、なんか他人と思うかどうかみたいなところはパッと出てきた。
あ、そこ良かったよ、すごい。
なんか聞いてくれて、何が一番やってくれて大事なのって言われたときに、なんかそれをどういうふうにみんながそれぞれ、自分の家族だけとかじゃなくて、
出会う人たちを、人間とか動物とかそういうものを、人ごととか、自分とは関係ない人、自分とは違う人じゃなくて、同じ人間、同じ生き物みたいな、同じ地球に住んでいるみたいなふうに、なんかこう視点というか視野を開けていけるかみたいなのに、
すごくシェア活っていうコンセプトが大事だと思っているし、一人一人の精神的な成長というか、見つめるみたいなものが必要なんだなって、なんか気づけました。
良かった。なんかさ、俺の解像度も上げたいっていうのもあったけど、やっぱナーミンにちゃんと言語化してもらいたいみたいなところもあったから、
狙い通り?
狙い通り。この49回目にして、狙い通りに。
50回目が楽しみですね。
そうね。ちょっと50回目はさ、マジでキャラクターズとしての最後だから、ちょっとどんな内容になるか楽しみにしておいてもらいたいなと思います。
ぜひ楽しみにしてください。ということで、49回目に関しては、こんな感じで終えていきたいと思います。
この番組は毎週火曜日朝9時に配信しています。リスナーの皆さんからのお便りも受け付けておりますので、質問や相談がある方はお気軽にお送りください。
それじゃあ、またねー。
38:07

コメント

スクロール