いいきっかけやったね。
いや、ほんまにね、なんかすごい感謝してる。自傷とか、そういう、なんかその前の段階、すっごいもやもやしてたけど。
確かにね、すっごいもやもやしてたもんね。
けど、なんか結果的にこういう考え方に出会えたから、なんか感謝感謝っていう気持ちなんですが、そういったちょっと経緯もあり、そのNVCっていうものを今回テーマに上げてみようかなっていうふうに思いました。
はい、なるほどね。なんか確かにさ、すごい、なんかNVCについてって軽くさ、事前に説明してくれたじゃん。
俺もなんかいろいろ気づきがあったというか、なんかもうちょっと後で出てくると思うんだけど、やっぱその前提条件、この人が他人なんだって捉えて何かをするのと、あとこの人とはその共に生きていきたいからこうするんだっていうのって全然変わってくるじゃん。
そうね、確かに。
だからなんかそこが、なんかやっぱこうNVCの前提条件みたいなところを大切にすると、なんかやっぱり人とのコミュニケーションのあり方とかって結構変わってくるんだろうなと思って。
確かに確かに。いや、なんかコミュニケーションって、なんかすごい私は、その人間の幸福度、なんか人生においての幸福度の8割ぐらいを占めてる感覚があって、なんか実際にその生活の豊かさみたいなところにすっごい直結することだと思っていて、
なんかそれに自分の人生の豊かさを再現していくためにすごく大事な考えがたくさん詰まってるなって思うから、なんかそういう目線で、なんか自分には関係ないじゃなくて、なんか自分の人生にNVCから何を学ぶかっていうのをなんか念頭に聞いてもらえると、なんか面白いのかなっていうふうに思います。
確かにね。なんか今のコミュニケーションが8割みたいなところとかってさ、極端な言い方かもしれないけどさ、なんかこう何かを成し遂げたとてさ、なんか誰ともコミュニケーションが取れてない状態とかだったらさ、幸福度めちゃくちゃ低そうじゃん。
例えば何だろう、お笑い芸人で言うとさ、サンドイッチマンとかさ、ちどりとかってなんか楽しそうじゃん、すごい。テレビとか見ると。
すごい、いきなりなんか具体的な名前で。
なんかやっぱ見てるほうも楽しいし、やってるほうも楽しそうだなって思うやけどさ、なんか俗に言うこう仲の悪い芸人さんみたいなさ、のを見たときはなんか感じるものがやっぱあるよね。
へー。
なんかこの人たち仲良くなさそうだなーって思うとか。
あー、感じるんだ。
うん。
なんか私そこまで繊細にこう芸人さんを見てなかったかもしれない。
なんかやっぱそこはプロだからさ、なんかこう人を笑わせるみたいなところはなんかしっかりとやっぱやっていくんだけど、なんかちょっと裏側を見てみたら、じゃあ本当にその人たちは幸せなのかと。
一緒にコンビを組んでやってることに対して幸せなのかみたいなところは、なんかやっぱり本人にしかわからないかもしれないけど、なんかやっぱちょっとこう滲み出てくるものもあるなーって感じがする。
確かに。なんか外から見ててもわかるんだろうし、やっぱ本人たちは良くないみたいなのは感じてるのかもしれないしね、どこかで。
なんかそういうところを考えると、このNVCのなんかこう世界観みたいなところは、知っておいて損はないんだろうなって感じがするよね。
確かに確かに。なのでちょっと3回に分けて、ちょっと今回と次回でちょっとNVCの基本的な重要な考え方とか、基本概念みたいなところを伝えていって、最終的に3回目では色々ディスカッションができたらなと思ってます。
はい、お願いします。
じゃあ早速NVCとは何かみたいなところに入っていきたいんですけど、さっきも言ったようにNVCは英語で言うとNon-Violent Communicationっていう言葉の頭文字を取ってNVCっていう風に呼ばれていて、これは日本語に訳すと非暴力コミュニケーション。
なるほどね。
暴力的ではないコミュニケーションっていう直訳すると意味。
なんかここで言う暴力は、こういうオラみたいなパンチとかキックとかっていう感じの暴力ではないよね。
言葉でさ、人のことって傷つけられるじゃん。そういう意味での暴力なのかなって私は。
攻撃的みたいな、そういう感じのものなのかね。
攻撃的ではないもの。
そうだね。
ちょっとここを少し読んでいくというか紹介をすると、NVCは平和の言葉、命の言葉とも呼ばれるコミュニケーション方法です。
なるほどね。なんかその善悪とか正義と悪とかではなくて、みんな違ってみんな良いじゃないけど、
なんかそれぞれその内面にはいろんな思いがあって、それに基づいて行動してるよねっていう話よね。
なんかさみんな違ってみんな良いって言葉ってさ、なんかさちょっとさ薄っぺらく感じひん。
確かにね。
なんかねそれは私の中ではちょっと違和感があって、なんかみんなが良いっていうことを言いたいっていうよりは、
みんなそれぞれ内面にあるよねっていうのを認識しようっていう、それを大事にしようっていうことだと思っていて、
何があるのかっていうと、たぶん次回かな出てくると思うんだけど、ニーズっていう言葉がNVCの中にはあって、
ニーズを満たすということが誰にとってもすごく大事。で、そのニーズを自分のニーズ、人のニーズをそれぞれ大事にするっていうことを目指してるなって私は思うから、
みんながそれぞれでいいよねっていう、なんかこうみんな一位みたいな、なんかそういうことを言いたいっていうよりは目を向ける場所を変えようよっていう。
その人が言ってる言葉の整合性とか性格性みたいなところに、なんか話を持っていくんじゃなくて、
その人の言葉の背景、奥底にどんなニーズが、なんかその言葉を言わせたんだろうかとか、そういった言葉を選ばせたんだろうかっていうことを、
潜って見に行くみたいな。で、それは自分に対してもやれることだよねっていうのが、なんかすごく提案されてるのかなって私は感じた。
なるほどね。そうだね。なんか内面とかってさ、わかんないじゃん。その何考えてるのかとか、どういう思いで聞いたのかだったり、言ってきたのかだったりとかさ、それを読み取るみたいなそういう感じのイメージじゃん。
聞くとかじゃなくてさ、なんでこの人はこういうふうなことを言ってきたんだろうかみたいなところに目を向けるみたいな。だからコミュニケーションって言うとさ、なんかこう結構キャッチボールじゃないけどさ、なんかそういうイメージがあるわけじゃん。
たとえばなんか、自分とは違う考えの人がこういうことを言ってきたことに対して、なんでそう思ったのってさ、聞くものなのか、それともそういう考え方もあるんだなっていうので受け止めるってものなのか、どっちなのかなと思って。
そのNVCかってこと?
そうそう。NVCのコミュニケーションっていうぐらいだからさ、手法みたいな感じなのかなって捉えてるんだけど。
なんか手法は次回話すんだけど、ここで話してることは、どれがNVCでどれがNVCじゃないみたいな話ではなく、NVCの基本的な目指している世界とか、基本概念みたいなところだから、なんかそれはNVCでそれはNVCじゃないって、分けるものではないのかなって思うかな。
なんか結構、世界の見方を変えようって言ってるように私には聞こえる。コミュニケーションのノウハウではないなって感じがする。
世の中、世界とどう見るかっていう見方を変えようよっていうのを提案されてるような感じがするかな。
なるほどね。OKです。
これが正解っていうわけではないから、私がこのNVCの考え方を聞いたときに受け取ったものはそんな感じです。
そのNVCの中では2つの重要な問いっていうのが紹介されていて、さっきも言ったように、1つ目が私たちの内面で何が息づいているか。
What's alive in usっていうのが1つ目の問い。
で、2つ目が人生をより素晴らしいものにするために何ができるのか。
What can you do to make life more wonderfulっていう、この2つの問いが常に真ん中にあるというか、すごく中心にあるようなものだよっていうふうに紹介されています。
この私たちの内面で何が息づいているのかっていうのは、自分の自身の内面、内側で何が生き生きとしているのか、どんな感情やニーズがあるのかに意識を向ける問いであって、
日常的に今日元気?とか、どう?っていうような、この言葉の挨拶的なものも、この内面で何が息づいているのかっていうことに目を向ける問いになるよ。
結構、私これ見たときに、アメリカに留学するときにさ、アメリカでさ、日本でも言うけど、おはようとか元気?とかって言うけど、アメリカやとさ、ハワイユー的な挨拶をするわけよ。
みたいな感じで挨拶するんやけどさ、普通に最初の頃は、今日は普通かな?とか、今日は元気?とか、今日は微妙?みたいな、今日はちょっと体がしんどいみたいなことを、毎回そのハワイユーに対してちゃんと考えてたの。
そしたら向こうで出てきた友達が、正直あなたがどう思ってるかは、みんな興味がないよって言われて、それはその子の解釈だから、別にアメリカ人全員がそう思ってるわけじゃないけど、そのハワイユーに対しての答えはグッドなのよっていう。
どんだけグッドじゃなくても、グッドっていうのでも定型文みたいな、目があったら言う言葉みたいな感じで、使ってる人が多いっていう、ちょっと皮肉も入ってたと思うけど、私はそれを聞いたときに、じゃあ別の言葉でよくないって思ってんけど、
そうそうそうそう、はいはいでなんかいいのに、What's up?みたいな、Doing well?みたいな感じでさ、別にどんだけウェルじゃなくてもウェルっていうみたいな感じで、だんだん口からそういうラリーみたいな感じで出るようになってんけど、
本来はそういったハワイユーっていう問いっていうのも、やっぱその自分の内面で、今何がグッドなのかバッドなのか、悲しいのか嬉しいのかみたいなことを見つめる問いであったはずっていうのが、なんかすごい言葉って日常で使われれば使われるほど、そこの本来の意味っていうのをなくしちゃうんだなってすごい思ったことがあって、
本来の聞きたかった意味っていうのをなくして、その言葉だけがかわされるようなことって、なんかどこでも起きるんだなって思ったことがあって、なんかこの内面で何が息づいているかっていうのにの問いがあるよっていうことを聞いたときに、すごいアメリカに行ったとき思い出したよね。
なんか全然違うかもしれないけどさ、ちょっと極端な例かもしれないけど、いただきますっていうことってあるわけじゃん。なんかあれってさ、いろんな解釈があってさ、なんかその命に感謝していただきますっていうふうに捉えて言っているのか、もしくは早くご飯食べたい、いただきますって言わなきゃみたいなさ、感じでただ単にいただきますって。
確かにね。
言ってるのか、同じ言葉なんだけどさ、なんかやっぱ全然違うじゃん。その中で、その人の中で息づいているものが。
うんうんうん。
なんかそういうことなんだろうなと思って。
そうそうそう、そういうことだと思う。
それをなんかそのコミュニケーションの中でどう捉えていくのかみたいな、そういう話よ、きっとな。
そうね、なんか今の紹介したのは、NVCを考えていくときに常に立ち戻る問いとして今の2つのやつがあって、じゃあ実際に人と話したときとか、実際に自分自身の日々のコミュニケーションに活かしていくってなったときには、もっともっと何かがあったときに立ち戻るっていう意味で今の問いが使われる。
じゃあ私の中で何が息づいてるんだろうねっていうことを立ち戻っていくための問いっていうところがまず1つ目、紹介したっていう感じです。
もう1つが人生をより素晴らしいものにするために何ができるのかっていうことなんやけど、この人生っていうのは、なんか私の人生っていうよりは私たちの人生っていうニュアンスがすごいあって、私とあなたがの人生をより素晴らしいものにするために何ができるのかっていう、
すべての命をより素晴らしくするために何ができるのかっていう意味が込められてるよっていうふうに聞いたんだけど、だからなんかすごい前提が主語がWEだなと思って、私のってなったらさ、なんかまたちょっと考え方変わってくる。
けど、私たちの人生をっていうところに立ちながら捉えていく物事っていうのは、なんかすごく1人として同じ人間はいないからさ、意見が合わないとか分かり合えないっていうことって絶対起きる。
けど、そうなった時に私の意見を通したいとか、私に言うこと聞いてほしいっていうことをするんじゃなくて、私たちにとってのより良いって何だろうかっていうのを考える姿勢をすごく作ってくれる問いだなって私は思って、この2つの問いが真ん中にあるよっていうのは、なんかその問いを見るだけでなんか世界観を表してる感じがするなって思ったかな。