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Morning breaks, with a golden hue, a spark of joy, it feels so new.
Electric hum, in the air I breathe, life abundant, I can't believe.
Daily has been…
はい、どうも皆さんこんにちは。めぐり…あ、間違えた。
Jyun-kan radioだ。カットしなくていいですよ。
グローバルホームの紹介
Jyun-kan radioの第1回目やっていきます。本日は佐藤さんにグローバルホームという企画でインタビューをしていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ということで、いきなり始まって、右も左もわからないまま撮っていきますが、ことの発端は、佐藤さんが一つの企画としてグローバルホームっていうことをね、やるっていうことをお聞きしまして、
今日はそのプロジェクトが一体どんなプロジェクトなのかってことをちょっと気になったので、そちらについて話を伺っていこうかと思います。佐藤さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いきなり始まったラジオではございますが、今の気持ちなんかありますか、佐藤さん。
そうですね、なんかこう、いつも私インタビューする側なので、この形ってすごい、ちょっとなんか、なんて言うんだろう、恥ずかしいというか、慣れながらいい感じです。
ごめんね、それで言うとさ、それで言うと僕あれだわ、MC力がさ、佐藤さん慣れてるからさ、素人さがすごい出ちゃって申し訳ないんだけど。
そんなことないよ。
そんなことない。
うん、そんなことない。自然にありがとうって思って聞いております。
はい、その言葉を期待しながら、ちょっと自信のなさを見せましたけども、今回ですね、インタビュアーを務めさせていただきます。ゆうきと申します。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さっとです。
佐藤さんとゆうきでやっていくんですけども、そもそもグローバルフォームっていう企画自体をお聞きしたんですよ。で、そもそもじゃあこれ何なのっていうのを聞いていいんで、ちょっと佐藤さんの今しゃべりたいこと、グローバルフォームに関してしゃべりたいことを今お聞きしてもいいですか。
自己肯定感とコミュニティ
そうですよね。
まずその、グローバルフォームっていうのが結構、違和感に立ち上がったもののように、もしかしたら捉えられてしまってるかなっていう感覚もあって、でもなんかずっとあるんですよ、これが私の中にずっと。
最近立ち上がったように見えるけど。
そう、ずっとあるんです。
え、面白い。どういうこと。
いやなんか、なんて言うんだろうな、私はすごく自己肯定感が低いんですね。
確かに。
確かに、そこは同意なんだ。それで、なんて言うんだろうな、やっぱり自分の存在自体があっていいのかっていうところで悩んだりとかするっていう時に、もう地球自体がフォームだったら、もう全然そういう、もっと豊かに生きられるというか、
自分はもう地球に、この世界に身を投げ出しても大丈夫なんだみたいな感覚で生きられると、すごく幸せだなっていうふうに思っていて。
素敵。
っていうのがあって、で、このJUNKANっていう活動自体は去年あたりからスタートしていって、今ね、ちょっとあまり注力できてなかったけど、ちょっとここからスタートさせていきたいなっていう、今タイミングなんですけど。
みんなでJUNKANの言葉を決めたんですよね。で、それが全てあるっていうところが中心に据えられていて、この世界って全部あるよねっていう、この十分だっていうことの感覚自体を私たちは大事にしていて、
だから何かしなきゃいけないという、何でも欠乏感から成長しなきゃいけないとか、企業についても売り上げ利益が毎年拡大しなきゃいけないとか、そういうところで世界が回っているところから、もう全てあるんだよっていうこの世界を、だからそれをみんなで分かち合って、
何か足りないっていうところが足りないっていう人には回していったりだとか、いろんなリソースをぐるぐるぐるぐる回し合いながら私たちは、だから世界は全部あるから大丈夫っていうところで生きていくっていうのがこのJUNKANの世界観としてずっとあるよねっていうところは、多分みんなシェアしてるというか、そこをみんな大事にしてるなっていうふうには思っているんですよ。
で、このグローバルフォームっていうプロジェクト、プロジェクトなのかもちょっともはやどうしていくのかっていうところも今話し合い中ですけど、それが立ち上がったきっかけは、やっぱり私がこっち、今オランダ在住なんですけど、
ずっとNVC、非暴力コミュニケーションっていうものをちょっとずつ学んでたりだとか、そういうところの中で、カルチャーとか国境とか人種とか性別とかいろんなものを違いの中で人種の列号に自分がいて、
で、やっぱり、何て言うんでしょう、引用のない劣等感だったりか自己肯定感を持てない時とか、やっぱりあるわけですよね。マイノリティなんで、どうしても。
そうした時に、大丈夫だって思えたらいいよなっていうのはずっと思ってたんですよ。そのきっかけがこの間あって、それはなんかそのNVCの9個間のドイツの合宿っていうのがあったんですけど、
それが、私は目的は抜いて走れていたりなりたいなと思って、それはきっかけとしてあったんだけど、裏目的でやっぱり、いや大丈夫っていうか、世界に身を委ねても大丈夫だっていうふうに思えるような、そういう体験ってチャレンジってできるのかっていうのが裏目的としてあった。
で、実際にその9日間、体験して、なんかもう、今もその写真を、集合写真があるんですけど、見ると涙があふれてくるぐらいの、
なんか、この人たちは何を言っても何があっても大丈夫だって思えるような仲間というか、センスオフビロンギングっていうか、所属感だったりとか、共同体感覚だったりとかっていうことが感じられた体験があったんですよね。
いや、これだなと思って。
で、日本に住んでると、日本は別にその人種が、多様な人種がいるわけではないといえ、
同じカルチャーの中にいても、なんかその同質性を前提にコミュニケーションしてしまうので、どうしても。
隣の人は同じ、そうそう。考えたいよねっていう前提で思っちゃうと、なんかそこの価値観の押し付けになって、あるいはそういうコレクティブシンキングって、そういう集団の考えっていうのが自分の考えだと思って、そこにそぐわない、行動してしまう自分は良くないとか。
っていうふうに思ってしまうんですけど。
でも本質的にはやっぱり違うものは違ったりとかするじゃないですか。やっぱり隣の人と全く同じのことを考えていますかとか、全く同じ思考を持っていますかというと違ったりしますよね。
全然違う。
そう、なんかそれを違うって言っていいし、お互いの違いってすごいありがたいっていうこと、自分の存在がむしろそれを引き立たせてくれたりだとか、あるいは助けてくれる、自分ができないことを助けてくれるとか、
なんかそんなふうに世界が作られてるんだよなっていうことを、もっともっと体感できるといいなっていうのがあって、それを日本の内側で考えてると、なかなか難しいと思うんですよ。
多様性とつながりの重要性
だって見た目にはそんなに変わらないから、しかもみんな同じように考えるよねみたいな空気があるから難しいんですけど。
確かに。
でも、例えばウガンダに住んでいる、今回ね、ドイツの文化館のプログラムに参加してる人にウガンダの人がいたんですけど、ウガンダでそういう子どもたちの支援をしている人が目の前にいたときに、絶対違うじゃないですか。
全部違う、自分と違うって思うと思うんだけど、
最初から全然違う人として認識するよね。
そうそうそう。
だからそこに対してちょっと恐怖感とかもしかしたら、あるいは嫌悪感だったりとか感じるかもしれない。あるいは劣等感も感じるかもしれない。
でも、その人の大事にしていることとか聞いていくと、同じ人間じゃんっていうところに絶対たどり着くんですよね。
それでしかも、自分がその人の生きている環境に生まれて、そんなふうに育って、そんなふうに生きていたら、そういう考え方になるよな、そういうことを大事にするよなっていうこともわかってくるというか。
だからむしろその違いの中に同じ人間を見てほしいっていうのがあって。
それを持っていると違いが怖くなくなるというか、
でか違いって素晴らしいって思ったかっていう風になってくるなと思っていて。
なんでちょっと今、いろんな言葉を修正したり何とかして、グローバルホームのマガジンにしようかなっていうふうに思ってるんですけど、
なんか自分とつながるとともに世界とつながるっていうような、自分の中に世界を見て、世界の中に自分を見るっていうような、そんなことがこの、
例えば記事のコンテンツだったりだとか、あるいは今後そのイベントだったりとかも行っていくかもしれないですけど、そういうところで体感できるといいなっていうふうに思っていて。
それがそうですね、今後やっていきたいっていう思いとして立ち上がっている感じですね。
うわぁ。めちゃくちゃ素敵。
それって佐藤さんにとってのそのホームっていうのは、なんだろうな。
言い換えるとどんな感じなんですか、そのホーム。
言い換えると?
そう、なんていうのか、話を聞いてて、なんていうのかな、外が怖いじゃないですか、外が怖い。
うちがホームだとしたら、全部が外もうちも全部がホームみたいに安心できる場所だったらいいなっていうふうな、なんかそういう願いも込められてるように聞こえて、
佐藤さんにとってそのホームっていうのを言い換えると、どんな感覚なのかなっていう。
そうですね、なんかでも、それでいくとちょっとふるさととかに近いかもしれないのかな。
なんかその、帰ってくる場所というか、帰ってくると安心できる場所みたいに、いつもそこにある場所っていうのがあるかもしれないですね。
なんかその自分の、自分がこの世界にいていいと思える場所。
何をしても受け入れられるし。
そっか、そういうことか。
それで言うと、佐藤さんにとってのホーム感っていうのは、何をしても受け入れられているというか、周りの存在とか人が自分のことを受け入れてくれているっていうふうに感じられるところがすごい、なんていうの。
自分の肯定感じゃないけど、自分自身も自分を信じられるような場所からなんかホーム感があるってことなのかなって聞いてて。
そっか、でも一歩外に出ちゃうと、そもそも違いをあんまり良しとしてないような日本の雰囲気は逆にホーム感どころか、逆で自分の中の巣を出しちゃうと、ちょっと釘を打たれるみたいな感じになっちゃって、逆に自分の肯定感も下がっていっちゃうし、
なんか苦しくなっちゃう。佐藤さん自身がすごい苦しくなっちゃうなって感じて、そっか、だったらみんながみんな違いを嫌なものとして拒否するんじゃなくて、みんなが違いをもっと美しいものとして見れるような、そういう、何ていうのかな、みんながそこに美しいものとして受け入れることができるような世の中になれば、
世界がどんどんホーム化していって、みんな安心感に包まれた、あるものを分かち合っていくような世界に到達できるんじゃないかっていう、そういうふうな、何かこと?
そうですね。
そんな感じ?僕は何かちゃんと考えてるかな。
結局、じゃあ周りの人が攻撃してますかって、自分のことを今回も、私は結構批判されるとか評価されるみたいな恐れを持ちながら日々生きていたなと思うんですけど、それは全部自分の中の声というか、
本当に評価してる人はいるのかもしれないですけど、身近な人とか、あるいは道行く人があなたのことをジャッジしてますかって言うと、実はそれは全部自分が作り出してたりとかするっていうことだったりとかすると、
ホームって自分が作り出すものだよなっていうのは本当に思うから、
誰かが作ってくれて、そこにありがとうって言っていくっていうことよりかは、もう既にあるっていうか、グローバルホームってここにあるよねって思えるかどうかっていう、これだなってすごく思う。
変な人がいると言うか、どこにいるかじゃなくて、今自分のいる場所、グローバルホームだよねっていう風に、うちから出る安心感だったりとかを育んでいけるっていうことが大事なんだ、すごく。
そう、大事だね。
そっか、それで言うと、なんかすごいそのグローバルホームの、やっぱホームの感覚っていうのがすごい大事だと思っていて、
確かにふるさととか家とかって言うと、安心感あったりとかしたりするけど、なんか多分佐藤さんが感じてるのって、人からあなた素敵だよとかって言われるような、
そういうこう、ある意味自己肯定というか承認をされるっていうよりは、なんか多分、相手の奥深くのところと自分の奥深くのところが震え、響き合う。
言葉とかっていうよりは、なんか私たちなんか今すごい同じ感覚を共有してるよねっていう感覚に近いのかなっていう話を聞いてて思ったんですけど。
それはほんとそうかも。
ただ肯定してくれるとかじゃなくて、さっき言った合宿、涙がすごいね。
ホームの感覚とコミュニティ
合宿で感じたその温かさとか、佐藤さんはどういうふうに、そこにたどり着いたというか、
なんかそういう感覚をどういう時に感じたのかってことをちょっと聞いてもいいですか。
そうですね。
確かにその評価されるとかではないってことなんだろうな。
そこはなんか、確かに言ってしまったんですけど、そのホームの中で言っている感覚っていうのは、
自分の大事なもの、自分が本当に大事にしていることっていうところで会話してるっていう感じに近いかもしれない。
結城くんが言ってくれた、ほんとそうだな。そこがなんか響き合ってるっていうのはまさにそうだなと思っていて。
絶対その、何て言うんでしょう。自分を生きるとか、私もすごい自分ってことに下手したらこだわってしまっている時とかってあるんですけど、
あんまり考えてみると自分って境界線って本当なくて、日々何かに影響されて変わっている。
すごく変動的なものというか、ずっと移り変わっていくものだなっていうふうに思っていて。
だからそこも移り変わっていくことに対して不安っていうよりかは、そういうものだっていうか、むしろその波に揺られるように移り変わっていくことも楽しんでいくというか。
だから影響されるし、自分は影響するし、そういうふうに捉えていくっていうところかな。
そっか。本当にこう、なんていうのかな。僕らってさ、将来のことってすごい心配するじゃんな。
例えば老後、アルマがなかったらどうしようとか、貯金をこんだけしないといっても、全部不安から来るのを予定を立てて、計画を立ててっていうふうにやっぱ知っちゃいがちだけど、
それってある意味、変化をなんていうのかな、世界を信頼してないみたいなイメージだけど、自分が移り変わるもので、そこをすごい、世界の移り変わりとかをすごい信頼しているように聞こえた。
バンジージャンプの体験
今、佐藤さんの言葉が。みたいなふうな印象を受ける。
これの話をいつもするときに思い出すのが、1年、2年前かな。バンジージャンプをしたんですよ。2年前か。
バンジージャンプ?
その時、複数人でみんなで行ったんですけど、私チキンなんで、一番最後で。みんなバンバン飛んでいくんだけど、自分だけ飛べない。
すごい、飛ぶまでに私が一番時間かかったと思うんですよね。でもなんかその飛んだときに、もういいやと思って飛んだときに、なんかその自分がもう全部をその世界に委ねたっていうか、っていう感覚があったなって思って今思い出した。
そっか。いやいや素敵。そうだよね。なんかさ、自分はこれだとかって、なんか固定化してないから、なんていうのかな。なんか変に力みがなくなっている感じは、今すごいしたかな、佐藤さんから。
でも撮られちゃったばっかりだけどね。だから自分を思い出すためにも、大切なことを思い出すためにも、これをやるのかもしれないとは思いますけど。
そういうことね。前に戻ってくる場所なんだ。このプロジェクト自体もそうだし。
そうだね。そうですね。これ、だから実際この中でやろうとしていることなんですけど、これは今こちらの生活で私がつながった人たちにインタビューをしていったりだとか、コミュニティに訪問していったりだとか、
そういったところの記録っていうのを記事にしていこうかなっていうのは当面考えているところではあるんですけど。
なので、よくその記事、めちゃめちゃの今だとね、AIも出てきているから、いろんなメディアがすごくある中で、なぜやるのかっていう風になるけど、
あんまり成功体験っていうか、この人の生き方って素晴らしいなっていうことを伝えたいわけではない。
共感はする。だから共感するっていうか、この人は素晴らしいなっていう感覚もあるけど、そこで終わるっていうよりかは、
だからその人の中に自分の大切なものを見るっていう体験をぜひしてもらいたいなと思っていて、それってどうやってやるのかっていうのが全然わかんないんですけどさ。
具体的に何に焦点を、インタビューしていこうみたいなことってあったりするんですか、その記事に向けて。
その人自身がどうやって自分とつながるっていうことをしているかっていうことは聞こうかなと思っているんですよね。
面白い。
日常生活の中で、そうそう。だから、どんなふうに生活をしているかっていうのはあるんだけど、どうやって自分とつながるっていうことをしているかっていうのが一個テーマとしてあって、
でもそれが、どうやったらその人はその人でしょっていうふうに、すぐにやっぱり他者は他者として見てしまうとは思うんですけど、
それを自分の中にあるよなっていうふうに思えるためにはどうしたらいいのかなっていうのはまだ正直見えてないです。
ちょっとやりながら考えていこうと思ってるとか。
そういうことか。
そっか、そっか、そっか、そっか。
なんか、doingというか外側だけ見てると違うってなるけど、実は内側掘っていくと、そういう思いから来てるの?私もそういう思いあるよっていうところまで探っていけばいいかっていうところはまだわかんないけど、
でもなんか、世の中の違うと思ってる人たちが、実は同じなんだ、同じ思いを抱えてるんだっていうふうにわかれば、外に出るのが怖くない。
逆にみんなのこと知ってるから、自分の中を見ればみんなを知ってるから、私は外にいようが敵は誰もいないし、みんな仲間だし、みんな同じ存在なんだってことを思い出させてくれるような、そんな記事を書いていきたいってことなんですよね、きっと。
インタビューの計画
そうですね。
もうなんかパパッと、こんな感じですっていうふうに聞こうかなと思ったんですけど、なんかどんどん声が溢れてきてしまうんですが、
それで言うとさ、どうやって自分とつながっているんですかっていうのをさ、自分とつながるっていうのがそもそも何かみたいなの。多分人によって結構違うと思って。
そうですよね。
そうそうそう。自分の解釈もさ、人によって違うから。それで言うと佐藤さんにとっての自分とつながるとか、自分っていうのはどういうふうに、どんなもんなんですか。佐藤さんの自分とつながる方法は何ですか。
心にいくというか、なんかそのやっぱり私とか、本当に人の評価だったりとか、そういうのは全部頭の声だっていうふうに言ってたと思うんですけど、そういう頭の声がうるさいんですよね。
すぐにやってることにいい悪いを評価したりだとか、これは優れてるとか、これはくだらないとかね、そういうふうにジャッジしてしまう声が強かったりとかするんですけど、
そうすると本当に自分が何を大事にしてるのかだったりとか、自分と存在のありがたさだったりとか、美しさっていうところに気づけないなっていうのは思ってるから、やっぱりそれを日常生活の中で心の声を聞くっていうことを、
例えば書き出してみたいだとか、あんまやってないなでも。でも私はやっぱり人と話すっていうのが一番かも。自分の中では難しいから、よくテムさんに話聞いてもらってます。
そういうことね。
あと、やっぱりそのこのつながりで、なんかね、本当に仲間うちでエンパシーってこう、共感の、共感ワークってなくて、なんていうんだろう、エンパシーリスニングって言うんですけど、みんなお互いやるんですよ。
だからちょっと今、もう本当にしんどいっていう時は、誰か15分空いてる?っていうのが、WhatsAppグループがあるんですけど、いろんなところがあるんですけど、そこにメッセージが来て、誰か聞くっていうのがあって。
全然そういうのを自分一人で抱えなくていいんだって思う。
そっか、じゃあ本当に自分がいっぱいいっぱいになるときは、ちゃんと、今余裕がある人にそれを吐き出させてもらえるし、逆に自分が余裕あるときは他の人が抱えてるものを自分に寄てて、スペースを空け渡すっていう、そういうことをやられてくる。
そうですね。
あー、そっか。
そうすると思い出してくる。
そうそう。
なに?
そうそう、それを吐き出すことによって思い出してくるっていう。
あ、そうだったって自分が。
なんでこんな状態になってるかっていうと、こういうことを大事にしてるんだっていうことに辿り着けてきて。
あー、そういうことか。
めっちゃわかった。
そっか、その記事とかを読むことによって、その人、たぶんインタビュー、佐藤さんがインタビューすることによって、たぶんその人自身が自分の奥深くに触れていくようなインタビューされると思うんですね、きっと佐藤さんが。
その、なんていうのかな、その人の奥の奥から出た言葉が記事化されて、僕らの目に触れることによって、そっか、私もこれ大切にしてたんだっていう、読者がそれに気づいていけるような、そういうメディアになっていくっていう感じなんですね、きっと。
うん、そうですね。
そっか、で、そのハウの部分、どうやって自分の源に帰っていくかっていう部分も、そうやればいいんだっていうことを学べていくっていう。
うん、なんか思い出していく感覚に近いでしょうね。すでに自分の中にあるんですよね。それがなんか引き出されていくっていうか。
新しい、新しい観点を得るっていうものっていうよりかは、やっぱすでにあるものを気づいていくっていうか思い出していくっていう体験に近いんじゃないかなって思います。
いやー、めちゃくちゃ、えー、ちょっと早く記事化されるの楽しみです。
ありがとうございます。これでちゃんと動かさないとね、スケジュールとか引かないとって。
いや、でもなんかそれうまくこれを伝えられなくて、それで。
そうだよね。
うん、こんな形で結城くんに引き出してもらってめちゃめちゃ嬉しいなと思って。
これはね、難しいよ伝えるの。いやなんかそのやることはさ、インタビューしていたします。
なんでこの記事を出して、何を届けたいのかってことをエネルギーとともに誰かに伝えるのはやっぱりすごい難しいことだと今思ったし、
佐藤さんにとってホームは何かもそうだけど、みんなにとってのホームも何かがあるから、
多分佐藤さんがその合宿で感じたことっていうものを、ほぼね、こんな言い方して悪いけど、
今別に家族とか日本の社会の家族とかもたくさんいろんな家族があるけど、
必ずしもさ、一番近い家族だからといって心がすごい通じ合ってる瞬間を経験してる人って一体どれだけいるんだろうって思ったら、
分かんないし深さもあるし、自分はあるよって言っても、なんか多分その深さによって人それぞれだと思っていて、
だから佐藤さんが経験した深さ、本当に涙が溢れてしまうような心の響き合いみたいなものを、
人にすごい伝えるのって難しいって言いながらも、でもこういうふうにたくさんいろんなところに佐藤さんが出て、
いろんな自分の思いとこのプロジェクトとともに発信していくと、徐々にみんなにこういう世界があるんだっていうのが分かっていて、
そこにアンテナが立ち始めると、なるほど佐藤さんが言ってたのってこういうことかってなっていく気がしたので、
ぜひ今回一回で伝わらなかったとしても、引き続きいろんなところで発信できたらいいなと思いました。
ありがとうございます。
いいえ。そんな感じで、ビルパルフォームについていきなりぶつけ本番台本もなしにお話ししていきましたけども、
最後に佐藤さんが聞いてくれてる人に伝えたメッセージでもいいし、
もしこんなことを助けてほしいでもいいし、コメント欲しいでもいいし、何でももしあればお願いします。
そうですね。だからみんな助けてっていうのは本当そう思います。
でもこれ協力してくれる、例えばインタビューいいよって、今回9日間で、この9日間の中で私も立ち上げたプロジェクトなんですよ。
やりたいと思ったのはやっぱり、これ自分の中から生まれてきて、その9日間の間で、
でもこれは言ってるようにずっと私の人生の中にあるわけですよ。あるものは形として表出したのが今このタイミングだったんだけど、
その時にやっぱりいろんな人が私にインタビューを協力するよって言ってくれたんですよね。
だから待ってる状態なの。早くしなきゃって思ってるの。
そうなんだ。何を待ってるの?
インタビューをされるのを待ってる人たちがいるってこと?
待ってる人だけど、インタビュー自体はまだしてないんだ。
そう。だからこれくらいしてないといけないんだけど、これをちゃんと伝えたいと思ってウェブページも貼って、それでグループにも案内はしたんだけど、
多分これだけだと全然伝わんないなと思ってて。
そういうことね。
だからこれから勇気を持って、個別でもいいのかな、ちょっと一人一人連絡取って行って、インタビューしていきたいなと思ってます。
インタビューをされるのを待ってる人たちにもまだどういうことをインタビューするのかがわかんないのかな。
グローバルホームのページは送ったりはしてるんですけどね。
そういうことね。じゃあその人たちにも聞いてもらえるんだ、これ。
ちょっと英語にしないといけない。
インタビューの意義
そうか、海外の人だもんね。
いやでもめちゃくちゃ面白い。
もうぜひ海外の方々も、どんな人たちのどんなコミュニケーション。
でも佐藤さんの周りの人だからこそ聞ける特権のある人たちだから、
別にすごい、そういう意味でもいいメディアだよね。
大衆系を狙ってるわけじゃなくてさ、著名人に話を聞くわけじゃなくてさ、佐藤さんが素敵だなって思った人たちにインタビューしていくってことだもんね。
うん、てかさ、別にさ、なんか著名人とかそういうのを作りたくないわけよ、私の世界観として。
なんかそこでの人たちにみんな笑っていくじゃん。
みんな同じ人間なんだよなって。
本当なんかでもその違いっていうのが、平列ではないんだけれどもデコボコしてるんだけど、
なんかその人だけこの人は優れててこの人はっていうのってやっぱないんじゃないかなと思っていて、
だからそれぞれの命の美しさっていうことを感じに行くっていう風に近いから、私は誰でも行くって思ってる。
ちなみに、とはいうものの、なんかこの人にインタビューをお願いしたいとかっていうことは特にないの。
なんかこういう人にインタビューをしたいなとかは特になくて、
インタビューしたいですって言った時に応募してインタビューしてほしいって言ってくれたら誰でもなんかインタビューしますってことでもないでしょ、たぶん。
そうだね、でも今あんまりそんな基準を持ってるわけじゃないな。
この人、こういう人じゃないとダメっていうのは特にない。
てかみんな人間だから大丈夫じゃないですかって。
すごいね、それはめちゃくちゃ、もっとなんか行きたくなった。
これね、でも一回、長島さんから言われたように話されてたことなんですけど、
自分の二面性があるっていうことに気づくっていうか、
私ね、自分の中に殺人者もいるし、
自分の中に、なんていうの、
成人のような、成人君子のような人もいるかもしれないって思う時があって。
だから、この人はこういう人っていうのって、実はそんなにないんじゃないかっていうか、
グラデーションだからこっち寄り、どっち寄りとかっていうのはあると思うんですけど、
相手に、だからそうだね、
コミュニケーション自体が難しかったら、そこまで話すのが難しいかもしれないんですけど、
コミュニケーションが取れる人であれば。
めっちゃ面白い、
なんかやっぱり、好き嫌いって自分がね、自分の中で許せてるところとかが、
ところが出てる人は好きって思うし、自分が自分の嫌いなところを出してくる人は嫌だって思っちゃうけど、
そうだね、なんか本当にいろんな自分の中の殺人鬼的なところとか、
なんかそういうところも自分の中で受け入れていけば、
インタビューをする相手からも本音が聞こえてくる。
殺人鬼に対するね、聞こえてくるから、
確かにそれで言うと、里さん自身もなんか恐ろしいことになってきそうだね。
このインタビューを通じてさ、いろんな人のいろんな心に触れていくわけだから、
その中で自分の中からもすごいいろんな自分の中の面と共感していくわけだから、
これはなんか里さん自身にとってもなんかすごい器が広がっていってしまうし、
そして聞ける僕らにも器が広がっていくような、そんなインタビューになるような気がしてきました。
プロジェクトの進行
ありがとうございます。
なんかそう言ってもらうとちょっとなんか大変だなと思ってたところが楽しくなりそうで、ありがとうございます。
すごいよね、これは。めちゃくちゃ面白いと思います。
じゃああれですね、
じゃあ今から、今僕らはインタビューをしてほしいっていう人とかがもしいるなら、
ぜひ声を上げてほしいし、
なんかインタビューを何する?記事にしたりする?みたいなね。
それをなんかわかんないけどやってみたいって人も、
なんかこれを聞いてて、したい人もいたらなんか里さんに連絡してほしいし、
あと何がある?なんか手伝えること他にあるのかな?
そうだね。
手伝えること。
その、
携わりたい人。
そうなんです、私だからその片付け整理が苦手なので、
プロジェクトマネジメントというのが難しい人間なので。
それってさ、プロジェクトマネジメントって言うとさ、めっちゃ大きいけど、やることとしてはスケジュール切って?
そう、切ってでも整理していくっていうか、記事にもするし、
そうそう、だからその、いつまでにね、何にしていいのもあるし、
他のコーナーっていうか、企画を考えているからスポットをどうやって調整するかとか、
いろいろある。
まあでも全部一気に始めなくていいかな?なんだろうね。
まあちょっとずつね、確かに自分が自然体でいられなくなっちゃったら自然体なものが引き出せなくなっちゃいそうなので、自然体でいれるくらいのキャパでいけるといいですよね。
そんな感じで大丈夫だよね。
そっかそっか、そんな感じでじゃあ、もしねこれ聞いて、なんか面白そうってなって、なんかやりたいってなったら是非お問いかけくださいということで、
はい、だいぶ突っ込んで話しちゃいましたけども、インタビューというか普通に聞きたくて聞いちゃいましたが、
ありがとう。
グローバルホームのことについては、循環ラジオということで持っていきました。
また次回があれば、これがどんなふうに形を整えていって形が変わり、どんなふうにインタビューがされていくのかなどもね、
ちょっと追っかけていきたいと思いますので、またお話を聞ける機会を楽しみにしております。
はい。
はい、というわけで、ありがとうございました。
そして聞いてくださっている皆さんもありがとうございます。
ありがとうございます。
明日もあたっても素敵な一日が訪れますように。
ということで、本日は佐藤さんと結城でした。
はい。
じゃあこんな感じでいいですか、佐藤さん。
もちろんです。ありがとうございました。
またね。
またね。
はい。