着物を日常に
はい、本日は1月の14日の朝ですね。
今日もいつものお散歩コースである明治神宮の外苑をぐるりと回っています。
今、暖かい芝生の上とは言っても、今の時期はもう枯葉がたくさんで、日陰の草はもう霜で白く染まっている感じですが、
ちょっと日向ぼっこしながら、こちらの録音をしています。
冬場になったら静かになると思ったらですね、結構鳥がですね、本当に鳴くんですよね。
というか、この葉が少なくなって、むしろいつもの鳥のざわめきが葉っぱとかに遮られずに聞こえるようになっただけかもしれませんが、
というわけで、ちょっとBGMにいろいろ鳥とかの声が入るかもしれませんが、ご容赦ください。
前回ですね、「下駄で世界に触れる」というタイトルで配信をさせていただきました。
その時の最後に、次はなんで着物を着ているのか、というか着物をなぜ普段着にしているのかというお話は、
次回にてというお話をしましたので、今回はそのお話をしたいなと思っております。
今言った通り、僕は着物を普段着にしてまして、とはいっても洗濯しやすいデニムの着物とかなんですけども、
そうですね、もう丸3年ぐらいですかね、着物を普段着で生活をしています。
僕はエンジニアですので、平日はプログラムを書いたりしているわけですが、着物で会社に出社しまして、
そのままオフィスのデスクに座りまして、着物のままでキーボードをカタカタと打っております。
もちろん同僚にそんなことをしている者は一人もおりません。
着物を着ている姿は正直珍しいので、現代日本だと、
なんでそんな格好してるんですかとか、毎日着物って大変じゃないですかとか聞かれたりするんですね。
着物を普段着にされている方っていうのはもちろん、僕以外にもいらっしゃるので、
その方たちが着物を着ている理由っていうのはそれぞれかなと思います。
例えば本当にお着物関係とか、いわゆる日本の伝統文化系の関係ということで、
お仕事の関係で着ていらっしゃる方もいらっしゃれば、着物が好きです、趣味で着ていますですとか、
あるいはいわゆる昔ながらの着物そのものというよりは、着物の生地を使った服を自分で作られたりとか、
最近はそういうのを販売されているお店とかもありますので、
そういったものをファッションとして楽しんでますという方、いろいろいらっしゃるかなと思います。
あと僕が受ける質問でよくあるうちの一つが、やはりお茶をされているので、
伝統文化とかをすごい大事にされてるんですね、普段から着物なんてみたいなことを言われたりすることもあるんですが、
正直ですね、そういうことは全然なくてですね。
今まで挙げたいろいろな方々が着物を着ている理由に、実は僕は一つも当てはまっておりません。
エンジニアですので、普段から着物を着る必要は一切ないですしね。
じゃあなんで着物を普段着にしているのかというのはですね、大きく分けて3つぐらい理由がありまして、
楽さと合理性
一つは、まず楽だからですね。
そして2つ目が、これはまあどちらかというと着始めて分かってきたことなんですが、
めちゃくちゃ合理的やんっていうのが2点目ですね。
そして3つ目が、これが個人的には実は一番でかい理由で、
僕が着物を普段着にし始めるきっかけにもなったんですが、
変身できるということですね。
じゃあこの3つそれぞれどういうことなんだというのをちょっとこれからお話ししたいと思います。
まず最初の楽っていう話なんですが、
着物を着ているとですね、大変ですねってよく言われるんですよ。
これはですね、おそらく着物を着るっていう風になった時に、
真っ先に多くの人がイメージするのが、女性の着物の着付けだからだと思うんですね。
女性の着物着付けって本当に大変なんですよ。というか大変らしいんですね。
僕は女性の着物を着たことがないので正直実感はできないんですが、
やはり一人ではまず初見では着れない。
着付けができる人のところに行って、
そういうあるいはサービスにお金を払って着物を着させてもらわないといけない。
それは不便だからということで、
自分で着付けができるようになりたいと言っても、
結構なお金と時間をかけてちゃんと学ばないといけない。
そしてそうなったとしても、自分で着れるようにしてもやっぱり本当に時間がかかると。
ということでめちゃくちゃ大変そうです。
やはり着物を着ていらっしゃる僕の周囲の方の女性のお話を伺っても。
なんですが、男性用の着物っていうのは非常に楽ちんなんですね。
もちろん中にいわゆる肌着の上にちょっと序盤って呼ばれる着物の下につけるアンダーウェアみたいなものをつけたりとかありますが、
それほとんどTシャツ着るのとあんま変わんないような感じですし、
なので着物を着るっていう行為はほとんど一枚の布を、もちろん袖とかの穴はついてますが、
それを体にパッと巻きつけて帯でキュッと締めたらOKっていう感じなんですね。
だから本当に慣れてきちゃうと下手に洋服を、
例えば部屋着とかパジャマの状態から洋服に着替えるっていうよりも全然早く着替えられちゃうぐらいな感じなんです。
実際ですね、着てみるといろいろ時点もありまして、
例えば僕はもちろん元々洋服を普段着にしてたわけなんですが、
前々職ぐらいの会社では僕は毎日スーツだったんですね。
前職でもそうか、後半は。
スーツって結局西洋人の、特に男性のやはり体型をベースにして作られているので、
逆三角形が美しいとかかっこいいとか言われたりしますよね。
だから肩がバーンとシルエットちゃんと張ってて堂々としててみたいな。
基本ですね、スーツのジャケットとかって肩で着るんですよね。
これめっちゃ窮屈だし、首肩凝るんですよ。
僕、そもそもあんまり肩が張ってるような感じもないので、
なんかいまいち自分にもフィットしないんですね。
なんかいまいちちょっと、自分にすごいフィットしない服を着てる感が拭えなくてですね。
その後、スーツとかじゃなくて私服にはなったんですが、
やっぱり洋服のコンセプトってそういう感じなんですよね。
首とか肩にかけて前で留めて着るっていう感じなので、
なんかいまいちフィット感がないなっていう気持ちはずっとあったんですが、
これが着物になるとですね、めちゃくちゃフィットするんですね。
着物は結局、布を首とか肩にかけてるのはもちろんなんですけど、
腰で締めてそこで着てる感じなんですよね。
だから結局どっちかっていうと、腹とか腰周りで安定をするし、
首肩の周りがめちゃくちゃ楽なんですね。
帯をしてると、椅子とか座るとき、後ろの結び目とかぶつかっちゃいません?
とか聞かれたりするんですけど、これも帯にも結び方がいろいろありまして、
片ばさみって呼ばれるような、結び目にならずに平たくなるような結び方をすればですね、
椅子とかでも全然大丈夫です。長時間座ってられます。
また僕はエンジニアで基本的には座り仕事なので、
やはり長時間ずっとやってると腰痛みたいなのがね、職業病だったりもするんですけれども、
言ったら帯してるって常時コルセットしてるような感じなので、
腰回りとかもすっごい楽なんですよね。
なので結構身体的にも、あとさっき言った洋服だとずっとつきまとってたフィットしない感が取れて、
心身ともにすごい楽だっていうのはもう一つありますね。
それ以外の楽ちんな面だと、
普段の洋服だと、僕は結局、普段にとか前はユニクロとかだったんですけれども、
日常に流行とか合わせ方とかあるじゃないですか、いろいろ。
だから情報を探ったりとか、
新しいものを、これはさすがにもうあんまり2年前のものとか今更着るのは恥ずかしいなって感じで、
じゃあちょっと新しいの買うかとか、
今日はちょっと組み合わせどうしようかとか、
ユニクロとかだと待ち行く人と被ってるみたいなことがあったりとか、
いろいろあって、結局何か考えたり、いろいろ物を揃えたりとか、
そういうことがどうしても必要になってたりしたわけなんですが、
着物は周りに着物着てる人がいないんで、そういうことをごちゃごちゃ考える人が一切ないんですよ。
もう被るとか流行とかそういうの一切考えなくてよいと。
だからイメージとしては学生服に近いですね。
だから僕ももちろん着物にもシーズン、夏用冬用みたいな感じのものがあるので、
それぞれでカラーバリエーションで大体3,4色ぐらい揃えておいて、
それをデニムの着物を着ているので、洗濯機とかで洗えるんですね。
それを着間順番に切り替えながら、帯の色とか、
あと帯がリバーシブルのものを使ってるんで、
それのバリエーションとかで結構パターンが付けられるんですね。
だから本当に何を着ようかとかあんまり深く考えずにパッと着て、
それでいて、着物素敵ですねとか、
いいですよね、やっぱり日本人って感じでっていう感じでポジティブに言われる。
という意味で、金銭的とか朝の身自宅の時間的にもすごい楽っていうのがあります。
ちなみにですね、意外とお安く買えるんですよ。
もう楽天とかで男性ものデニムのいわゆる着物だったら、
たぶん6,000円とか8,000円とか、サイズとか品質とかに若干ありますけど、
1万円しなくても買えちゃうので、
ユニクロの上下買ったりとか、さらにベルトとか付けたりみたいな話になったらですね、
ほぼ変わんないですね、金額的に。
それでいて、そんなに高頻度でたくさん買い替えたりとか揃えたりみたいなこともないということで、
めちゃくちゃ楽でございます。
アイコンとしての存在
そして2点目の合理的っていうところなんですが、
ここはちょっとエンジニアチックというか、こういうところがすごい合理的だなって思うのは、
まず一つはアイコンになりやすいってことですね。
コロナ禍の時のZoomとかがすごいわかりやすい例かなと思うんですけど、
例えば僕が着物を着た状態でZoomの会議に参加してビデオをパッとオンにすると、
おおってみんななるわけですね。着物の人がいるわってなって、
アイコンとして一発で覚えてもらえるんですよ、初対面の人同士の会議とかでも。
これは最近になって、例えばリアルで普通に交流会ができるようになったので、
そういうところに行っても一緒ですね。
初対面の人にも着物素敵ですねとか、どうして着物を着られてるんですか、お仕事なんですかみたいな感じで、
それで会話が始まったりもしますし、やっぱりそこでも覚えていただきやすい。
あと、本当に着物ってどこでもいいんですよね。
例えばフレンチの、イタリアのちょっと良いレストランに行ったりとか、
例えばホテルのバーとかに行こうとすると、何着てこうみたいな風になったりするじゃないですか。
僕は結構このデニムの着物って本当にどこでも行っちゃいますね。
着物が着られてる人からしたら、デニムの着物なんてもうちょっといいの着てこいやみたいな風に思われる方いらっしゃるかもしれませんが、
基本的には皆さんポジティブに素敵ですねみたいな感じで迎えてくれます。
だから言ったらホテルのバーとか行っても、バーテンダーの方とかがちょっとどうこいつ扱ったらいいんだっていうのも半分あるんでしょうけども、
かなりポジティブに定調に扱ってくれる感じで、どうぞどうぞみたいな。
僕は心の中で、服装の値段でいうと、あちらの席に座ってらっしゃるビシッとスーツで着めてらっしゃる方が多分僕の数倍とか10倍ぐらいの装いをされてらっしゃるんですが、
その方と同等ぐらいに扱っていただいてすいませんみたいに思いながらちょっといただいたりしてるんですが、
結構どういう場面に行っても本当に目立つ、声をかけてもらいやすい、覚えてもらいやすいみたいなところですごい合理的だなというところがありますね。
着物を着るきっかけ
最後の変身というところなんですけども、これが実は一番言いたいところで、
これはですね、冒頭に話したように僕がそもそも着物を普段着にしようと思ったきっかけでもあるので、ちょっとそのお話からさせていただきます。
もともとはですね、僕も普段着は洋服を着てまして、でもお茶を始めた後も普段は洋服。
お茶の稽古があるときはちょっと時間があれば頑張って手持ちの数少ない着物を着ていくというようなことをしていました。
その頃はもう全然普段着物着てないわけなんで、着方もあんまりビシッとできないですし、
下駄とか履いせても割とすごい歩きづらいし、袴とかつけてたらめっちゃ裾踏むなみたいな感じで袴の一部が破れちゃったりみたいなことはあったんですけど、
ただそんな僕に比べて、うちの師匠とかですね、長年お茶をされている先輩方だったりとかっていうのはやっぱりビシッと決められてるわけですよ。
そういう姿にはやっぱり憧れて、僕もちょっともっと着物たくさん着て、ああいうふうにちゃんとスッと着れるようになりたいなっていう思いはあったんですが、
やっぱり当時の僕はですね、着物普段着ってなかなか厳しいよなっていう精神的ハードルがなかなか高くてですね、踏み切れなかったんですね。
そんな時にちょっとある一冊の本を読みまして、どういう本かというとですね、これは著者はフランスの方なので法訳、それを日本語訳したものなんですが、
本のタイトルがですね、「助走して1年間暮らしてみました。」というタイトルでして、これはクリスチャン・ザイデルさんという、
もともとテレビ業界の方で、いわゆる結構プロデューサー系でブイブイ言わせた方だったようなんですが、
ちょっとですね、やっぱり逃げかけとかお仕事のゴタゴタとかで、いろいろちょっと疲れてしまわれたようで、
ちょっと第一線を退いてっていうようなタイミングの頃からのエピソードで始まるんですけども、
このザイデルさんですね、めちゃくちゃ冷え性らしいんですね。
昔から冬場になると、すごい冷えて困るとはいえ、例えば暑気すればいいのかっていうと、
今度暑気すぎるとちょっと動いただけで汗をかいて、今度はそれで風邪をひいてしまうと、これどうしたらいいんだみたいな風に悩んでたところに、
この方、ご結婚もされていて、奥様がいらっしゃってですね。
で、ある時、ふと気づいたと。女性は冬場でも、男性から見ると非常に寒そうな格好で、街中を平然と歩いていると。
これどういうことだと。なるほど、ストッキングというものがあるらしいということに気づいたそうなんですね。
これを試してみたいと思ったらしいんです。
すごいですね、チャレンジャーですね。僕はそう思ったことはないんで、すごいなと思いながら読んでたんですけど。
とりあえず、まずは試してみようということで、ご自分で女性のストッキング売り場に行って、
妻への贈り物なんですが、何かいいのありませんかみたいな感じで、ちょっとドキドキしながら、
店員さんに聞きながら、店員さんにいぶかしがられながら、買ったと。で、履いたと。
なんで素晴らしいんだと。あったかい。汗もかかない。冬場も思いっきり活動ができる。
なんでこんな素晴らしいものを、男性は今まで履いてなかったんだぐらいの感動だったらしくてですね。
この方、好奇心も強いらしく。
その映画発端で、いろいろと女性の装いっていうものを試すようになっていって、それがやがて女装。
これがかなりガチめのやつで、装いだけじゃなく、自分の女性としての呼び名とかもつけて、本当に女性として振る舞って、
もともとの男友達とも、本当に相手が女性とデートしてる感じで、なんか奇妙な気分だわみたいな感じぐらい、かなりガチな女装をされていてですね。
で、その時に、女装をして普段の生活をしてみたら、周りの目がまず変わったと。
例えば、今までご近所さん、ご近所の奥様とかはですね、ちょっと見かけたら軽く挨拶するぐらいの関係性だったんですけど、
もう女装を始めて、それが周りにも慣れるぐらいになったら、普通にご近所のママ友になったと。
だから言ったら、ママ達が集まるような会に呼ばれて、普通に女子トークをしたり、来やすく相性で呼んでもらったり、みたいな風にもなったし、
自分の中での意識も変わったと。だから自分の生活圏は全然変わってないのに、すごい世界がまるで違うと。
だから女装をして生活してみることで、周りが変わり、自分も変わり、世界そのものが変わってみえた、みたいな体験談を書かれていってですね、
これめっちゃ面白いなって思ったんですね。
タイトルにある通り、この方は1年間ぐらい女装をされたら、ひとしきり、なるほどということで、満足したということで、そこで女装はやめられたそうなんですけれども、
この本を読み終わった後に、あーなるほどね、ちょっとじゃあ僕の場合だったら、着物を日常着にしてみるってのありなんじゃない?
っていう風に、ここで僕の中でつながって、じゃあちょっと普段から着物を着てみるかっていう踏切がついたわけですね。
着物を着る難しさ
とりあえず楽天とかAmazonでいろいろググったら、先ほどお伝えしたように、もう全然結構思ったよりお手頃価格なデニムの着物とか帯とかあったので、それを購入して着始めましたと。
最初はですね、やっぱり大変でした。とにかくですね、現代日本は着物のためにできてないなっていうのを痛感しました。
まず最初に感じたのが歩きづらい。
僕は結構洋服を着た頃は、そうですね、大股とまでは言いませんが、普通に結構足を広げて歩いていたので、その慣れのままで着物を着だすとですね、足がこう突っ張るんですよ。
結局着物を着るときって布で自分の体全体を春巻きのように包み込む感じになるんで、足を前に出そうとするとあるところまで行くと着物の革につっかかって動かせないんですね。
だから2,3割ぐらい足の振り幅が小さくならざるを得ないっていう感じでしたね。
あともう一個が袖ですね。長いところあるじゃないですか、着物って。手の下のところに。
まあ、たもとって言うんですけど、それがですね、めちゃくちゃ引っかかるんですよ。ちょこっちゃに。
特にドアノブ。最近ドアノブって言っても、昔ながら丸くてガッて掴んで回すだけじゃなくて、レバー型のとか多いじゃないですか。
あれがですね、洋服だと何ともないんですけど、着物で例えばレバーを押します、下に向かって押します、そのままドアを前に向かって押して開けます。
じゃあこのドアを通り抜けるぞってときに、レバーと手が接近してる状態で、スッとその横を通り抜けようとしたときにですね、このたもとの穴にレバーがよくスポッと入り込んで引っかかるんですね。
だから、おーって進もうとしたら、おーってなんかすごい後ろから引っ捕まえられたような感じで、よくバランス崩したりとかしていました。
それで改めて気づいたんですけど、今の現代社会ってめちゃくちゃ出っ張り多いんですね。
で、これがもちろん、例えば普段のお茶の稽古もやってるところとか、あるいはいわゆる和室とか、和の建築だともちろんたもとがどっかに引っかかったりってないわけですよ。
なんでなんだろうって思い返してみると、もともとの和風の扉って全部へっこんでるんですね。
障子にしろ、襖にしろ、ちょっとへっこんでるところに手を引っ掛けて開けるじゃないですか。
だから出っ張りじゃないんですよ。だから和の建築は、へっこみとスライドの文化で、
今の現代社会にあふれてる建築物、いわゆる洋風の建築っていうのは、出っ張りと押す引くなんですね。
だからめっちゃ引っかかるんです。
だからこの2点が最初はとにかく慣れるまで大変でしたけども、逆にそれは慣れちゃえば、今は着物を着ながら小走りすることぐらいはできますし、
あとはたもとも、今でもたまに引っかかりますけどね、初めてのところ行くと。
基本的にはあんまり引っかからずにスッとドアは通り抜けられます。
それはどういうことかというと、あんまり足を前に振り出せないとか、手の下に物に引っかかりやすいパーツみたいのがあるっていうのが、
僕の体の一部みたいになってるんですよね。それを僕は変身と呼んでるわけです。
つまり洋服を着た頃の僕と和服、着物を着てる時の僕は、ある意味別の生き物みたいな感じなんだなっていうふうに思うようになりました。
着物を着ることの変化
だから僕は生活空間は全く変わらないんですが、着物を着始めたっていうだけで、先ほどのように全く感覚が変わるんですね。
世界を感じるとか、世界の中でどう動くかというものが。やっぱり世界の見え方が変わるんです。
先ほど挙げた歩きづらいとか、たもとが引っかかるっていうのは、物理的な身体の話ですけど、これが結構意識的なところでもあって、
具体例を挙げると、僕着物を着だしてから、街中で着物を着てる人をめちゃくちゃ見かけるようになったんですよ。
もちろん大勢の中に時々パラパラっているって感じはあるんですけど、着物着てる人最近めっちゃいるやんみたいなふうに思うようになったんですね。
ただ、もちろんこれは、たまたま僕と同じタイミングで着物を普段から着てる人が増えたってわけではもちろんないですね。それは確率的にありえないので。
どういうことかというと、以前からそういうふうに着物で街中を歩いてらっしゃる方はいたわけですよ、僕の生活空間の中に。
でも、僕は洋服を着た頃は、そういうのを全く意識してなかったんですね。
つまり、目に映ってはいるけど、視野には入っているけど、全然存在してないのも一緒ぐらいの感じで思ってたのが、
自分が着物を着だすと、やっぱりそういう人たちに目が行くようになるんですね。
どんな着物を着てるんだろうとか、なんかあの着方かっこいいな、歩き方、ああいうふうにスムーズに行きたいな、みたいなふうになると、
つまり、これでも世界の見え方が変わっているわけですね。
というふうに、本当にこれは僕にとって変身なんですね。
で、この変身、不便なところだけじゃなくて、めっちゃ便利なこともあって、
一つは冒頭で楽だって言ったような、ああいう面もあるんですけど、
とにかくね、収納性ですね。
先ほど言ったように、手の下にダラーンって垂れ下がっている田元の部分、これ引っかかったりもするんですけど、収納力は半端ないですね。
もうだから、例えばハンカチとかマスクとかイヤホンとか、あるいは文庫本ぐらいだったら、もう普通にしまえますし、
だから僕、めちゃくちゃ最近手ぶらで動けるんですよ。
で、あと、おまけにこう、懐っていうのがありますね。
だから合わせているところですね。
いわゆる時代劇とかで、よく懐から財布を取り出してとかありますけど、もうあの感じですよ。
だから、僕はスマホとか財布とか、大事なものは懐のところにしまっておくと、
もうこれが絶対なくさないですね。
なんでかというと、肌に密着しているわけですよ、懐に入れるってことは。
だから、もう、あるなしとかすぐわかるんですね。
しかも、ちょっと手を懐に入れたらすぐ取り出せますし、めっちゃ便利。
で、これ、もうね、優待類の気持ちがわかります。
カンガルーとかね、お腹の袋に子供とか入れとく動物ですけど、
わかるわ、ここに大事なもの入れといたら絶対なくさないし、めっちゃいつも見守れるもん、みたいな感じで。
だから、これも本当にある意味変身ですよね。
優待類の気持ちがわかる。
で、今言ったように両手のたもとと懐、この3つの収納が常にある状態なので、結構何でもしまえるんですね。
で、例えば僕、風呂敷も持ってるんで、
行き場手ぶらで、例えば畳んだ風呂敷とかをたもととかに入れとくわけですよ。
別に全然平気で入れられるんで。
で、例えば行った先で何か物を買って、じゃあこれを持って帰ろうかって言ったら、
風呂敷を取り出して、で、それで買った物を包んで、で、下げて、
あ、じゃあ、失礼しますって言って、こう帰ってくればいいわけですね。
ということで、もうめちゃくちゃ便利、なんですね。
で、あと、体感の温度みたいなところで言うと、
着物はですね、基本的に夏暑くて冬寒いです。
全身コート着てるようなもんなんで、
夏場はどうしても暑さがこもりがちになりますし、
その分、夏には露とかシャって言われる、
メッシュになった感じの半分シースルーっぽいような着物ってあるんですね。
そういうのを気はするんですが、基本的にはやっぱ熱はこもりがちになりますし、
冬場は冬場で、隙間風がね、風が吹くととにかく寒いです。
その辺は中にユニクロのヒートテック着たりとかですね、防寒対策をしつつ、
逆に言うとそれは季節感を感じられるっていうこともあるので、
そういう意味で楽しみもあったりします。
で、これも思ったのも、
僕結構寒いのはOKなんですけど、暑がりだったりするんで、
今までだと暑ければすぐ冷房のあるところに行き、
でも寒さが苦手じゃないって言っても得意なわけじゃないんで、
時はすぐ暖房つけて、手袋つけて、寒寒寒寒みたいな感じでやってたんですけど、
そういうのをちょっと一旦取っ払って、
まあ言ったら暑いんだけど、ちょっと夏場も着物で過ごしてみるかとか、
寒い時々風吹くと辛いんだけど、着物で着てみるかって言うと、
逆にもう気温の変化とか、季節の変化とか、天候とかにめちゃくちゃ敏感になりますね。
だから本当に、この季節の中を生きてるっていう感じがすごいするんですね。
だからなんていうか、閉じていた感覚器が本当にエンフィニーになったような感じがするんです。
そういうことで着物っていうのは僕にすごいいろんな変身をもたらしてくれて、
トータルとして僕はそれで、ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、
人生が豊かになっているなという気がしています。
こういうようにですね、人は結構身につけるもの一つで、全然別のものに変身できちゃうんですね。
変身っていう言葉が大げさに聞こえるかもしれませんが、
道具との関係性
例えば皆さんが普段やってることとかで例えるなら、
雨が降ってきた。じゃあ傘を持ちます。傘を開きます。これも変身です。
つまり傘を持って使うことによって、雨を避けて濡れずに済むっていう、
僕らは身体能力を獲得しているわけですね。
あるいは野球のバットを持ちます。
それでそうすると、ちっちゃくて固いボールを打って遠くに飛ばせるという能力を、
身体能力を身につけるわけです。
あるいは包丁を持ちます。それで野菜とか肉をスパスパ切ります。
これも変身です。
つまり、さっき僕が言ったようなニュアンスの変身というのはそういうことです。
言ったら、道具との付き合い方みたいなところですね。
道具との関係性って言ったほうがいいかもしれません。
ただ、僕らはですね、さっき僕が言ったような、
例えば傘を刺すとか包丁を使うみたいなことを、
いや変身とか大げさでしょみたいな、ただ道具使ってるだけじゃんみたいなことなんですが、
僕はこの人間と道具の関係性っていうのをちゃんと見つめ直すのが、
現代すごい大事だなと思っています。
例えば僕らはもう今スマホが必須の生活をしていますけど、
今録音してるのもスマホですけど、
スマホのいろんな性能を僕らは結構自分の能力と勘違いしがちだと思うんですよ。
例えばいつでも誰とでも連絡が取れる、情報発信ができる、録音とかもできるみたいなことを、
知らず知らずのうちに、僕らは自分の能力みたいだと思っちゃってますが、
スマホを一旦手放したときにそれを思い知るわけですね。
ナビもできない、連絡もできない、1時間後の天気もわからない。
でも普段から身の回りあるものって、人間は自分と一体化して考えちゃうんですよ。
それを言ったら寒くなったからダウンジャケット着て暖かいなっていうのと一緒ですね。
それはダウンジャケットを着た自分は冬場も寒くなく過ごせるっていうのは自分の能力じゃなくて、
ダウンジャケットの防寒能力を一時的に借りて変身してる自分みたいな感じですね。
そういう感覚がすごい大事だなっていうのはお茶を通じて感じました。
お茶っていうのはとにかく道具と向き合わなくちゃいけなくて、お茶の道具っていうのはかなり扱いがそれぞれ特殊です。
例えばお茶碗一つ取っても、今何にも意識せずにガシャガシャ洗剤とかスポンジで洗っていいようなプラ製のお椀とかとは違って、
扱いだったり、乾燥させないとかだったり、持ち方だったり、こういったことがお茶の道具のいろんなことになります。
それらを道具とちゃんと向き合って、道具とちゃんと友達になって、あるいは使うときは道具と一体化する。
だからこの一体化っていうのは難しいんですけど、自分と道具は違うもので、自分は道具の機能を借りてるんだが、
それでもなお今、例えば秘釈を持ってお湯をすくうというとき、僕と秘釈は一体だみたいな感じになると、すごいスムーズなお茶が立てられるんですね。
だからこの当たり前のように自分と同じものに考えるんじゃなく、違うものなんだが、
時として一体になるし、あるいは時として手放せば別のものにまた戻れる。
こういう関係性っていうものをちゃんとやらないと、いい茶の湯にはならないなっていうふうに個人的に思っていて、
それを感じさせてくれたのは茶の湯の素晴らしい男の一つだなと思っています。
AIとの付き合い方
今後、人間が使う道具で付き合い方を非常にどうするか考えなきゃいけないものっていうのは、やっぱりAIですよね。
人間とAIの関係性が今後どうなっていくのかっていうのは、本当に今後の人間社会を左右するすごい重要な問題だと思うんですけど、
今例えばチャットGPTとかいろいろ僕も使ってますけど、
例えばAIを使ってすごい仕事を非常に効率的にやってますみたいな人は、
AIを使える俺すげえみたいなふうに、
AIの能力を半分自分の能力と勘違いしちゃってるような感じの方を見かけたりもします。
個人的にはそのように感じています。
逆に、AIは単なるツールであって別に人間とは全然違うもんだよみたいなある意味、
スパンと完全に切り離してる方もいらっしゃいます。
僕はどっちも違うかなと思っていて、
僕らはAIとちゃんと向き合って、
AIのちゃんと能力とか人間とは違うものをちゃんと分かった上で、
ある時は彼らの力を一時的に借りつつ、
そうじゃない時は彼らの存在をある意味隣人として認めつつ、
一緒の社会とか生活圏で彼らとやっていくっていう方法を生み出していかないと、
そういう社会実装に軟着力をさせないと、
ハリウッド映画でよくあるような、
AIが暴走して人間を支配してうんちゃらみたいなディストピア感まっしぐらなシナリオ、
結構ありがちなんじゃないかなみたいなふうに思っておりまして、
ということで先ほど言った人間と道具の関係性みたいなところはとても大事だと思っていて、
着物の意義
その文明から着物での変身というのは、
僕にとって着物で自分が新しい機能を身につけて、
別の生き物になったかのように感じつつ、
これは着物を着てるからこそ僕が身につけているものだという、
道具と付き合っているという感じ、
両方を感じられるという意味で、
僕は着物を普段着にしている意義があるかなと思っています。
そういうことを常に感じさせてくれるっていうところでですね。
この人間と道具と関係性っていう意味については、
僕が好きなイヴァン・イリーチって方のコンビビアリティのための道具みたいなあたりの本とかを引用しつつ、
また機会があればお話をしたいかなと思っておりますが、
今回は長くなりましたので以上とさせていただきます。
お聞きいただきありがとうございました。