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2023-09-16 1:20:58

共感は病である ~なぜ家族に共感してはいけないのか?~【あなたも私もサイコパス!? vol.4】

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特集シリーズ「あなたも私もサイコパス!?」4回目の今回はブルーム『反共感論』の4章を読み進めていきます。

これまでパブリックな領域での意思決定や公共政策に関する判断基準として「共感って思ったよりフェアじゃないよ?」という話をしてきましたが、4章ではプライベートな領域・親密な関係性に絞って「共感」の是非を考えます。

「人の気持ちが痛いほど分かる」のは善いことなのだろうか?え!?家族に共感しちゃダメなの?そんなちょっぴりギョッとする問題提起から、他者との理想的な関係性のあり方を考察する、鋭い考察に迫ります。

共感して失敗したなあって経験、ある?感想・お便りは「⁠⁠⁠⁠お便りポスト⁠⁠⁠⁠」まで


🪟コンテンツ🪟

  • お便り紹介のコーナー - 情動的共感と認知的共感 / お便りの要約と質問への答え / 2つの共感は対立するか?
  • 特集: あなたも私もサイコパス!? - 何を読んでるの?/ 前回の振り返り/ 幕間I.「共感に基づく公共政策」/ 第4章「プライベートな領域」/ 病的な利他主義の罠 / 菩薩は人の苦しみに共感しない / 感情の逆張りと信頼感 / 共感されてたまるか! / 自己+身内+赤の他人=100%


📻カタラジオとは📻

ひょんなきっかけで、突如ラジオをやってみたくなってしまった中高時代の同級生の二人。医師と企画者という異色で異職の二人が、ゆる〜く語らう、似非インテリジェントな実験型ラジオ番組です。


🤝出演 🤝

ヤマガミ:金沢在住の医師、不遜な方、ベシャり担当。

ミント:東京在住の企画者、横柄な方、ゆる進行担当。

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📚参考文献📚

サマリー

カタラジオは、概念獲得リアリティ番組で、認知的共感と情動的共感の対立について話し合っています。リンゴさんのお便りによると、リンゴさんは自分は認知的共感をするタイプで、家族や職場での認知的共感と情動的共感の対立に悩んでいることが明らかになりました。この本のテーマは共感についての反共感論であり、共感の構造を明らかにするとともに、共感に基づく公共政策とプライベートな領域についての議論を展開しています。医者の話や家族の共感についての議論が進んでいる中で、過度の共同性という概念が注目されます。過度の共同性を持つ人は他者の気持ちや苦しみを自分のものとしてしまい、悪影響を及ぼす可能性があると言われています。また、共感は病であることが議論され、家族に過度の共感を持ち込むことの問題性や共感する側の消耗、思いやりの理想的な形について考察されています。さらに、医療現場での共感のリスクと患者に対する共感の重要性について考察され、共感する側と共感される側のバランスが大事であることが示唆されます。共感される側は助けてもらいたいと思い、共感する側は適切な距離感を持つことが重要であると述べられています。このエピソードでは、共感は病であるという考え方について話されており、自己、身内、赤の他人という三つの要素に対する共感度合いのバランスが重要であることが示唆されています。また、本エピソードでは小脳と大脳の関係についての議論が展開され、共感についての興味深い視点が紹介されています。

第1章: 認知的共感と情動的共感の対立
スピーカー 1
カタラジオ
スピーカー 2
はい、始まりました。
意思と企画者が緩く語らう概念獲得リアリティ番組
カタラジオの時間がやってまいりました。
ヒルシンコー担当のミントと
スピーカー 1
ベシャリ担当のヤマガミです。
さあ、今日も概念を獲得してまいりましょう。
はい、やっていきましょう。
スピーカー 2
はい、ということでね、いよいよ特集シリーズももう4回目ですね。早いですね。
スピーカー 1
ついに折り返したかな、ようやく。
スピーカー 2
まあ、ちょっと終わり決めてないんでね。
折り返してるかどうかさえわからんっていうのが正直なところですけれども。
スピーカー 1
すごいよね。折り返したかどうかそれもわからない旅ってなんか面白くもあり。
スピーカー 2
いやいや、そうなんですよね。
エッチなことやってるのでね、楽しくやっていきたいなと。
スピーカー 1
はい、やっていきましょう。
スピーカー 2
今日はね、ちょっとコンテンツ盛りだくさんなのでね。
早速次のコーナー行っちゃいましょうかね。
スピーカー 1
行っちゃいましょうか。
はい、お願いします。
お便り紹介のコーナー。
スピーカー 2
いいですね。なんか聞き慣れない感じが楽しいですね。
スピーカー 1
だって初めて言ったもん。
スピーカー 2
ということでね、今回からお便りしっかりコーナーとしてピックアップしていきたいなと思っておりますけれども。
早速行きましょうか。
スピーカー 1
行きましょうか。
スピーカー 2
はい、それではお便り紹介します。
ラジオネームりんごさんからのお便りです。
はい、山上さんみんとさんこんにちは。
スピーカー 1
こんにちは。
スピーカー 2
いつも楽しくカタラジオを聞かせていただいております。
あなたも私もサイコパス2回目の浄土的共感と認知的共感の話を聞いて自分なりに考えさせられました。
私はどちらかというと認知的共感をしている方かなと思います。
人から相談されることもよくあり、まとまりのない話でも主層を理解しようと努め、問題に対する解決を提案することが多いです。
なるほどね。これはビジネスでは役に立つかもしれませんが、家族関係ではあまりうまくいきません。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
家族の言いたいこと、主層を理解して問題解決法を提案しても、そんなことを聞きたいんじゃない、あなたは分かってない、生意気、上から目線、などなど散々です。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
家族でもなかなか分かり合えないなぁと残念に思う今日この頃です。
職場の人間関係を見てても同様、認知的共感者VS情動的共感者の対立になることがあり、そのような場合私は傍観します。
論点が噛み合わないまま延々と議論を繰り返した逆、情動的共感者は気持ちを分かってもらえなかった、パワハラされた、など悲劇の昼になって周囲の登場を誘います。
いずれにせよ両者の会えなさは養老さんの馬鹿の壁なんて思ってしまいます。
質問ですね。
認知的共感はどちらかというと肯定的に習得する対人技術で、情動的共感は本能的に有する気質のように感じます。
お二人の意見はいかがでしょうか。
またこのような悩ましい場面に遭遇することはありますか。
コメントいただけると参考になります。
はい、ということですね。
スピーカー 1
ありがとうございます。
スピーカー 2
ありがとうございます。
スピーカー 1
すごい長々と素敵な文章を送っていただきましたね。
スピーカー 2
長々とってちょっと怒ってないですか?
スピーカー 1
日本語が下手なもんで。
面白いね。
スピーカー 2
長文ありがとうございます。
非常に面白いって思いますよね。
実はこれね、今日の伏せにぴったりのお便りなんだよね。
スピーカー 1
すごいよね、まさにこの第四章を見越して送ってくれたかのような。
第2章: 家族や職場での認知的共感と情動的共感の対立
スピーカー 2
これちょっとね、フライングするとあれなんだよね。
今日のテーマは実は親密な関係の相手にも反共感的なテーマって当てはまるのかっていうね、そんな感じの話なんですよね。
スピーカー 1
まさに今日は使うテーマになっちゃってるんだよね、この質問が。
スピーカー 2
まあね、だからそのあたりはね、ちょっとブルームさんの見解というところで後半のお楽しみにしつつ、僕らの方でもちょっとね、答えていきましょうかというところで、後半その答え合わせみたいな感じになると。
スピーカー 1
この章全体がこの問いの答えみたいになっちゃってるからね。
スピーカー 2
そうだよね、確かに確かに。
ちなみに今日初めて聞いている方もいるかもしれないので、あと大事な用語なので改めて説明すると、今出てきましたね、浄土的共感と認知的共感出てきましたけれども、浄土的共感っていうのはこの特殊のテーマでブルームが言っている反対すべき共感のあり方っていう方に属するものなんだよね。
これは感情に立脚してて、ある種自動的に起こる反応みたいな、そういった類の共感のことです。
これに対比されているのが認知的共感ということで、これはブルームが擁護している、守っている側の共感のあり方のことで、ある種理性、推論でもって相手の感情を理解しようとする、理性的な態度のことです。
こういったことをこれまでのシリーズでも紹介してきましたというところですよね。
気になった人は是非ボリューム1から聞いていただければなと思いますが、一旦こういった情報を前提に回答していければいいのかなというところですね。
これちなみに質問の内容を覚えてます?
スピーカー 1
質問というか、そうだね。質問、むしろ家族の中での立場みたいな話になってる。
スピーカー 2
ありましたね。
スピーカー 1
関心がいっちゃって、質問の内容のその前半の方。
スピーカー 2
ちょっとサクッとまとめましょうか。
リンゴ様とかあれなんだよね、さっき今の2つでいくと認知的共感者の方を辞任されてますよと。
言いたいことを理解して解決策を提案するタイプの方ですと。
なんだけど、この方法が何か家族には通用しないなっていうふうに感じてる。
何か分かり合えないなと感じてるよということを言ってるわけですよね。
職場でも同じように認知的共感と情動的共感の対立になるというふうに言ってて。
質問2つあって、認知的共感は肯定的に習得する対人技術。
情動的共感、感情の方は本能的にする技術などに感じるけどどうですかっていうのが1個目の質問だね。
スピーカー 1
なるほどね。本能的と対人技術か。どうなんだろうね。
でも認知的共感って肯定的に。認知的共感は対人技術なのかな。
スピーカー 2
技術か。確かに技術かどうかみたいな話で言うとわかんない。
スピーカー 1
でも確かに、情動的共感が本能的な陰謀なものかっていう答えに関しては、
なんか俺はもしかしたらイエスなのかもしれないなと思ってしまって。
半分イエスで、イエスの側面もあるけど、トレーニングによっては、
ちょっとこの4章でも何か触れてるじゃん。マインドフィルムスの話とかに触れてるんだけど、
特殊なトレーニングをすれば、情動的共感を抑えて認知的共感によることもできるから、
イエスな側面もありながら、それは修正可能な感情、能力ですよっていうのが俺の今回4章を読んでの見解かな。
第3章: リンゴさんの質問と見解のまとめ
スピーカー 2
もはや先取りしてくれてる感じですね。でもね、実はもうすでにボリューム2の中でもね、
情動的の方は自動的あるいは感情的な反応で、認知的の方は理性的あるいは人為的な反応だよみたいな話はあったから、
スピーカー 1
穴勝ちこの対比の整理は間違いないんじゃないかなって気はしますよね。
ちなみにこの場面に遭遇することありますか?山上君。
全然俺はあるけど、俺はいつも非情動的共感者を辞任してるから、むしろ別に俺に対して情動的共感を求めてくる人がもはや俺の周りにあんまりいない状態になってしまってるから、
逆に最近はこういう状態にはならないかも。なんかなってたこともあったよ確かに。もうちょい若かりし頃。
スピーカー 2
期待されてないってことね。
スピーカー 1
別にこいつに何言っても無駄だみたいな、それこそバカの壁じゃないけど壁を、情動的共感に対するブロックみたいなのを自分の周りに。
スピーカー 2
周りから壁立てられてるみたいな。
スピーカー 1
そうかもしれない。やばいやばいやばい。晴れ者扱いじゃん。どう?ミンティーはある?こういうこと。
スピーカー 2
質問に答えるのであれば、情動的共感本能で認知的共感好転だよって多分その通りだろうなと思うし、あと二つ目の質問でいくと、こんな場面あるかってことでしたけど、
普段僕は企画者としてお仕事してるんで、企画をやるって基本的にめちゃくちゃ努力されるので、いろんなステークホルダー関係者の中に挟まれて、あっち立ててこっち立ててみたいな。
なんとか着地点探すみたいなお仕事。なんなら毎日こんなことばっかりですっていう気持ちになりながら読みましたというのが回答なんだけど、僕気になったのはそもそも質問に至る手前のところなんだよ。
これちょっと僕の見立て話してもいい?
どうぞ。
このリンゴさんは自分のことを認知的共感者だって思ってるよっていうことなんだけど、途中でさ、認知的の人VS情動的の人でバチバチやってます。
スピーカー 1
職場とかでね。
スピーカー 2
話があったじゃないですか。これちょっと改めてポール・ブルームを降臨させながら読んでみると、これさ認知的か情動的かっていう共感スタイルの対立の話じゃないんじゃないかなと思いながら読んでたんですよ。
スピーカー 1
もう一歩掘り下げてもらってもいい?
要はこれさ、認知的共感者と情動的共感者の対立に見えて、合理的に物事を捉える人と感情的に捉える人の間の溝の話なのかなって思いながら読んでましたよって。
なるほどね。
スピーカー 2
これはたぶん似てんだけど、ちょっと違うんじゃないかなって思ったっていうのがまず僕の見立てなんですよ。
なんでそう思ったかっていうと、例えば家族との会話で、もしそんなこと聞きたいんじゃないよとか、全然わかってくれてないじゃんみたいなことを仮に言われてしまってるのであれば、このリンゴさんが実践されている解決策を示すよって方法は、実は認知的共感者の振る舞いじゃない可能性があるんじゃないかと思ったんですよ。
スピーカー 1
そういうことか。
そうそうそう。
認知的共感できてると自認されてるけど、もしかすると適切な認知的共感ができていない可能性があるってことか。
スピーカー 2
そうそうそう。これたぶんきっと、できてないって言うとちょっと失礼かもしれないけど、たぶんきっとこのリンゴさんって状況がめちゃくちゃよくわかる人だと思うんですよ。で、全体感をパッと掴める。だから解決策がパッと見えるタイプの人だと思うんだよね。だからこれが解決策じゃんって伝えたくなるんだと思うんだけど、相手が望んでるのが解決策ではない可能性っていうのをもう一個掘れるんじゃないかと思ってこの文章を読んでたんですよ。
スピーカー 1
わかる。これを後より見たときに、ミンキー知ってるかな?車のエンジンがかからないコピペっていう有名な、ある男女が出てきて、これ一応何の例えかというと男の人の男の男と女の女の違いっていうのの例えでよく出てくる比喩なんだけど、車のエンジンがかからないコピペ。
あるカップルが電話してて、女の人が車のエンジンがかからないのって言うわけよ。で、男の人はそうなんだ、じゃあライトはつくっていう風に言うんだけど、いや昨日からかからなくてって女の人はずっと話すよ。全く合理的なことを言わずに、男の人は延々とじゃあライトはつくのっていう風に問題解決の方に言うんだけど、女の人はいやこのエンジンがかからないと友達とご飯行けないんだよね。だからライトはつくのみたいなことを延々とやり取りして。
で、男の人がなんかちょっと喜劇味になったら女の人がえ、怒ってるって喧嘩になるみたいなそういう男の人と女の人の違いっていうのでよく出てくる例えなんだけど、ちょっとそれを思い出したこの話を聞いて。
スピーカー 2
だからその求めてるものが何なのかっていうこととちょっとギャップというかね。それから物事の捉え方のギャップがそもそもこの間に横たわってんじゃないかっていうことだよね。
そういうことだよね。
スピーカー 1
俺が今言った話は男側の目線に立ってみるといやいや全然合理的じゃねえなっていう風にもうそんなライトつくかどうか早く試せよって思うんだけど、女の子側の目線に立ってみるといやいや私が求めてる女の子が求めてるのは話聞いてほしいってことで別にそのライトつくのっていうのは結構不適切な質問なんだぜってことをこの例えから言いたかったんだけど。
スピーカー 2
なるほどね。じゃあ今回のこのリンゴさんは今の例で言うとこの男の側の目線に立ってとにかく解決策は次のステップはこれを確認したってことを聞いてるっていうそういうことなわけだ。
スピーカー 1
だからもしかしたら女の側の人にとってはちょっと不適切というか求めてないアドバイスなのかもしれない。
スピーカー 2
これ今日の特集につなげようというところでいくと今日まさに話題出てくると思うんだけど認知的共感者は持ち上げられてて情動的が一旦下げられてるじゃんこのブルームさんの主張だと
でも認知的共感者とはいえ共感者属性なんだよね認知的共感者っていう人も含めて。ここ結構大事なポイントで
ってなった時にこの人どういう振る舞いかっていうと相手の感情と相手の距離感を持ちつつある種聞き手みたいな立ち回りをしながら相手のことを理解しようみたいな風に務めるっていう振る舞いが大事じゃんってことをブルームは言いたいんだと思うんだよね
スピーカー 1
そうだね
スピーカー 2
そうすると今回みたいな場面では実はその問題の解決の何歩が手前だと思うんだけど相手のことを聞くとか耳を傾けるとか傾聴したりとかそういうスタイルある種それは分かる分かるみたいな共感じゃなくてああそうか一旦引き受けるみたいなそういう共感が大事なんじゃないかと
スピーカー 1
今回の割とまとめ的なとこじゃん
そうなんですよね
共感してるっぽいけど実は別に全然共感してない行動をできる友人関係が家族関係が大事だよねみたいなのも俺今日のショーとして思ったことかな
スピーカー 2
そうなんですよねっていうのがなんかこのお便りから非常に受け止められてめちゃくちゃねこの議論が広がるめちゃくちゃ面白い
スピーカー 1
すごいいいなんていうかこのトップフックを作ってくださったリンゴさんありがとうございます
スピーカー 2
というのがねちょっとね僕らのなかなかまとまらん回答だったのでちょっとここからねブルームがどういうふうに言うのかっていうところですね
音痴の席のショーを通じてね掘っていければなと思います
ということでお便りありがとうございました
スピーカー 1
ありがとうございました
あなたも私もサイコパス
スピーカー 2
もうだいぶ痛いについてますね
スピーカー 1
サイコパスになってきてるよサイコパスに
スピーカー 2
ということで先週に引き続きまして特集本編入っていきたいと思います
冒頭でもお伝えしましたけど今回は4回目ですね
もう4回やってきたんですね
スピーカー 1
早いね楽しいから早いね
スピーカー 2
今回もまたいいよねペースがねポンポン
スピーカー 1
俺らも前回くらいからだいぶこの本の世界観に没入してきてるというか
スピーカー 2
そうね結構前回エンジンかかった感じありますよね
スピーカー 1
そうだねそうだね
なんか概念がだいぶこの体の中に注り込まれてきてる感が
まさに概念獲得リアリティの今すごいハイライトみたいなところにいるのかなみたいなことを思ってみたい
スピーカー 2
いい感じに獲得されてきちゃいましたね
スピーカー 1
そうそうそう
スピーカー 2
ということでねちょっと中身入っていきたいなと思いますけれども
改めて特集のテーマをご紹介しておきますと
今回の特集はあなたも私もサイコパス反共感論を読むということでですね
この特集では社会一般にポジティブなイメージとセットで語られることの多い共感について
その光彩やネガティブな側面にも光を当てながら
僕らの中の共感概念をアップデートしていきたいなというふうに思っております
ということでね僕らも既にお馴染みですけれども
テーマとなる本を複数回に分けてゆっくり読みながら
お互いが感じたことや驚いたことを気づきを脱線しながら語っていくと
そういうスタイルでやっていきたいなというところでございます
はいじゃあ入っていきましょうか
お願いします
と言いつつね一応毎回今回初めての方もいらっしゃるかもしれないので
本の紹介をねまたやっておきましょうかね
今読んでいる本ある種テーマ本なわけですけれども
こちらがポールブルームさんというですねイエール大学の心理学教授で
道徳心理学の世界的権威の方が2016年に書いた反共感論という本ですね
こちらを読んでいきたいなと思っております
この本は全部で6つの章それから2つの幕間で構成されているよというところでして
前回まではねちょうど3章まで読み終わったというステータスなんだよね
スピーカー 1
はいそうですね
スピーカー 2
なのでここに続く幕間1つ目の幕間と
それからこれに続く第4章を読んでいこうというのがですね
今回の位置づけになっておりますというところですね
前回覚えてますか
スピーカー 1
前回面白かったね前回もね
共感の具体的な共感を2章はあれだよね
脳科学的な情動的共感と認知的共感の脳科学的な違い
実際この頭の中で光る部分が違いますよってことを出して
そこを理屈に3章では情動的共感と認知的共感の連れを挙げていろいろ深掘っていく
よりよく聞けるためにはどうするかって結論も3章では出ているという
スピーカー 2
ありましたね
一応タイトルだったりとかをさらっとおさらいしておきましょうかね
2章が共感を解剖するというテーマでしたね
これは共感の持つ驚異的な力について
神経科学的な知見をもとに解剖すると
そんな章でしたというところで
なんかねあれだよね
共感はいい行い良き行いを促すトリガーになるよってことを一旦認めるんだけれども
とはいえっていうところでね
さっき山上くんが言ってくれたように神経科学の知見を用いて
共感ってこういう条件だとなんかこうちゃんと機能しなくないとかね
その条件の限定性みたいなところを紹介していくというのが
2章の共感を解剖するっていう章でしたね
スピーカー 2
続く3章では良きことをなすというタイトルで紹介されてましたけれども
だいたい共感にも動機づけられた行動っていうのは
道徳にそぐわない場合が結構あるんだと
ということでいろんな実証的な結果だったりとか
様々な角度から検証するというところで
ある種共感が策闘した結果に至るような事例のパターンってこんなのがあるよねっていうのを
ひたすら列挙して確認していくと
そんなとこでしたね
でこれ踏まえて良き人であるにはどうやったらいいの
っていうところをなんとか導こうみたいな
なんかそういう努力をするっていうのがね
3章のプロセスだったかなというところですね
ちょうどね無知のベールみたいなキーワードだったりとか
スピーカー 1
自分下げとかね
そうそうあとアイロニーみたいな話もありましたね
スピーカー 2
面白かったね
あとあれだよね
ヒーローみたいな振る舞いする人がさ
共感を煽る能力あるんじゃないのみたいな
マザーテリーさんの
そうそうマザーテリーさんねありましたね
そういう話をちょっとピックアップしながら
どのあたりが共感にできることなのかみたいな
なんかそんな話をねやってきたかなというところですね
でなんかねこの3章までの流れでいくと
なんだかんだねこの共感っていう概念
そのものをちゃんと正しく理解できるように
認識できるように整理する
いわば理論編みたいな続きだったのかな
スピーカー 1
っていう感覚があるんですよ
スピーカー 2
でなんかここから先
どうするのってところでいくと
これがね生活の中で
どういうふうに理解できるんだろうねとか
っていうねある種実践的な目線に立って
入っていくっていうのがここから先の
っていうのがねちょっと全体を
俯瞰してみたときの位置づけかなというふうに
理解してますという感じですね
大体思い出してきましたかね
スピーカー 1
そんな感じですよね皆さんね
スピーカー 2
というところで
じゃあもう今回のどこ読むのか
というところに入っていきましょうかね
はいお願いします
今回読むのは
ざっくり外観していきますと
共感に基づく公共政策
スピーカー 2
幕愛1とそれから第4章の
2つ読んでいきたいなと思ってます
幕愛1の方を
ざっくりとまとめると
タイトルがまず共感に基づく
公共政策というところで
これがね
共感とそれから
政策の間の関係性について整理した
幕愛の章になってますよ
共感と政策
特にその政策の中でも
スピーカー 1
左派右派みたいなのあるじゃないですか
スピーカー 2
リベラル寄りの人と保守寄りの人
みたいなのあると思うんですけど
ある程度相関関係あるんじゃないの
ってことが分かってると
なんだけど研究の結果は一般に
考えられてるほどそれが強いものじゃないよ
ってことが分かってますということが
表明されるんですね
例えば冒頭から何度も例に出てるけど
銃乱射事件ありましたよね
コネチカット州で
ちっちゃな子供が
亡くなったっていう事件がありましたけど
ここに対して共感的態度を取ったオバマ
みたいなのも筆頭にある州
左派リベラル寄りの人の方が
共感に依存してるんじゃないか
っていう風に見えることが多いよってことが
まず紹介されますと
そういう風に言うと
じゃあ左派の人が共感側の人なのね
みたいな認識になっちゃうじゃない
だけどそうじゃなくて一方で保守派の人物も
実はリベラルとは違った側に対して
共感を示すことによって
政治的主張を行っていると
そういったことが対立されるというところですね
これまとめると
要は共感してる相手が
どっち側かっていうだけで
離脚してる共感の構造っていうのは
結構似通ってますよ
ということがですねブルームさんから
スピーカー 1
主張されますというところだね
だから一生か何かであった
サッカーの敵チームのメンバーには共感しない
みたいな自分の
サッカーチームの自分のチームのサポーターの
痛みには共感するけど敵チームのサポーターの
痛みには共感しないみたいな例があったけど
スピーカー 2
それと同じような
そうそうそうまさにそういう感じなんですよね
誰に対して共感するかっていう
ところだけが違うだけなんだみたいなね
そういう話をするわけですよね
だからある種
共感に対して反挙を広がす
っていう旗を掲げると
なんていうかね今の政理だと
若干左派に不利なんじゃないのみたいなことを
思う人もいるんじゃないかなというところなんだけど
この本の意図っていうのは実は
左派を攻撃するところには実はなくて
どんな政治的信長を持ってても
手を取り合って共感に反対することができる
っていう全然手取り合ってないようなね
国家的ではないニュアンスの感じの主張で
終わってるよというところでね
だからざっくりイメージとしては
誰の側に共感するかによって変わるよね
もっと雑にまとめるなら
ちょっと弱者寄り
被害者寄りに共感する人たちが左派で
強者寄り加害者寄りに共感してるのが右派みたいな
なんかざっくりそういう構図で
でもいずれも共感に立脚してんじゃん
だからこの水埋まんないじゃん
スピーカー 1
っていうことがですね整理されると
両方とも共感してるから結局
両方とも上等と共感してるから
そこの水が埋まらないってことか
スピーカー 2
そうそうそうということが紹介された
でここまでが
なんかねちょっとパブリック領域に
寄った整理なんだよね
でここから先がですね
まさに今日冒頭でもね
りんごさんの紹介しましたけれども
プライベートな領域
スピーカー 2
プライベートな領域というテーマで
話が展開するのが4章と
ここどうですか
スピーカー 1
読んでみておもろかったですか
これ面白いねやっぱこのプライベートな領域は
まあまあ自分の仕事
途中で医者の話がすごい出てくるじゃん
スピーカー 2
出てきたね
スピーカー 1
そうだから結構自分の仕事だったりとか
今まで患者さんと自分のやり取りとか
自分の上級医だったり
その同級生の
医者だったりの
行動とすごい重ねてみることが
多くて
いろいろこうなんか
共感って言うのおかしいな
あの時のあれはこうだったのかみたいなことを
答え合わせしながら読んでたね4章は
スピーカー 2
だから結構あれだよね
過度の共同性とは
スピーカー 2
それこそさ医者の話もめちゃくちゃ多かったし
あとそもそもね
共感っていうのは家族の中でどう
適応していくかみたいな話じゃない
誰が読んでも自分のね
実体験に照らしてちょっとビビってくる
スピーカー 1
ポイントがあるよね そうだこの章は
確かにみんな共感できるわけだ
スピーカー 2
そうそう共感なのか
それはねポジティブな共感もあれば
痛みを伴う共感の可能性もあるんですけども
ちょっとそのあたりを
簡単に冒頭にまたまとめておこうかな
で4章ではですね
ここまで
政策だったりとかまさにね今幕開の話でも
あったけどパブリックな意思決定
判断について共感っていう
そこの領域での共感って
どんな問題があるのっていう問題提起を
やってきたっていうところなんだけれど
ここから先はね親密な関係性が
生じるプライベートの領域では共感って
どういう風に機能するんだろうかというところを通ってる章ですよと
で共感の
話をするときにスポットライト性
みたいなのが結構話題になってたじゃない
なってたね あそこでも
わかったと思うんだけど実は
プライベートの領域って例えば家族とか
例えば奥さん妻とか
そういう関係の人を
多税のうちの一人って
見る必要って全然なくてむしろ特別な
存在っていう風に見るのが
理想的な姿なように思うじゃない
スピーカー 1
まあ一般的にはそうだよね
スピーカー 2
そうそうっていうときにさ
共感の提起する特性
あるいはスポットライト的な特性って
めちゃくちゃバチッとはまるじゃんっていうのが
スピーカー 1
一般的な感覚だと思うんだよね
スピーカー 2
だから親密な関係の
領域こそ共感の得意領域
なんじゃないかっていうのが
あらかたな予想なわけですけれども
ウルムさんはここに対しても反旗を
翻していくというところなんだよね
ここで何を言ってるかというと
他者が経験している感情を自分の経験として
感じるっていうある種
この本の前半で扱ってきたような
浄土的な共感っていうのは
親密な関係において必要不可欠であるかのように
見えるんだけれども
この領域においても
共感っていうのは利益よりも買えないことが
大事だという主張をブラスキーはないです
って言ってるのがこの書の
ウルムさんの主張ですよと
これは面白いですよね
スピーカー 1
今回は共感と
理解を区別するっていうことが
重要だっていうふうに言ってるよね
これは面白いなと
なるほど今回の共感の
区別すべき対象は理解なんだと思って
スピーカー 2
そうだね
共感と理解っていう言葉は
前章までの言葉で言うと
共感に対しての浄土的共感で
理解に対してしたら実は
認知的共感みたいなそういう関係性が
少しずつ浮き彫りになってくる
スピーカー 1
プライベートよりは
認知的共感を理解というふうに
スピーカー 2
読み替えてるね
ちなみにこれがなんでなのか
っていう話をどう分解して
切り崩していくのかっていうところで
ざっくり見取り図を
与えてくれてて
こういうところでネガティブ
害なんですよっていうところがね
共感と家族の関係
スピーカー 2
二つの側から紹介されますと
共感する人の側にとって
こんなネガティブなことがあるよ
っていう話題がありました
例えば共感って本当に
心からやりたくて共感してますかって話があって
冒頭でも浄土的共感の
説明であったけど結構自動的だったり
とか反応しちゃうみたいなところが
あるじゃないですかそういった癖を深掘って
いくと実は共感と
言いつつある種
ポジティブな感情だけじゃなくて苦しい感情
苦痛に対しての感受性
という意味での共感っていうのに
借り立てられてしまっている可能性があるんじゃないかと
そうすると
他者の苦しみを受け止めるってことは結構
しんどいじゃないですかそうすると
効果的に継続して
他者を助けられなくなっちゃうよ
その意味で共感する側にとってネガティブ
なんですよっていう論点が一つありましたと
もう片方が共感される側の
話だよね
例えばここにさっきの医者の話も出てくるんですけど
むしろ例えば
患者さんの例でいくと自分が怖い
とか悲しいとか思っているときに
その気持ちで医者も来られたら
その人の判断で信頼できる
スピーカー 1
って話が出てくるんですよ
スピーカー 2
そこでいくとむしろ
そういう感情とは距離感を取ってもらった方が
公正なジャッジメントだ
という風に評価されやすいって話だったりとか
あるいは育児の例を取ってみると
子どもの成長みたいな長期的な目標と
短期的な子どもの欲求
どっち取るっていったときに
短期的な欲求にばっかり共感したら
長期的な養育ってできないじゃんみたいな
こういうある種調和しないような
ことに対してどちら側に立つべきなのか
という議論を踏まえて
共感というのはある種善悪の概念に反しているから
公正ではないんだよ
ということを言っているのがブルームさんの
スピーカー 1
4章の主張でした
スピーカー 2
というのが全体の
見取り図かなというところですけれども
ここからはまた
オープンなディスカッションというか
気になったポイントポイントを拾いながら
ちょっとここどう思うって話をやっていければな
と思いますけれどもどうですか山上くん
スピーカー 1
山下 この4章の
前半のまずキーワードがあれだよね
過度の共同性という
スピーカー 2
言葉 ありましたね過度の共同性
って出てきましたね
これちなみにどの文脈でできた言葉だったっけ
スピーカー 1
自分が満足するには他者も満足しなければならない
誰かに助けを求められると断れない
他人の問題に悩むことが多い
というこの尺度を
満たせば満たすほど過度の共同性が
高いというふうに表現しているんだけど
なるほどね
この過度の共同性が高い人は
配偶者が心臓病にかかると過度に
保護的になることが
不良者による報告によって判明している
という文脈があるのよ
スピーカー 2
これあれだよね
過度の共同性っていうのは要は
度過ぎた共同性
ってことだよね
逆に言うと過度じゃない
共同性もあるってことなんだよね
スピーカー 1
そうそう共同性
共同性の中にもポジティブネガティブがあって
過度の共同性はネガティブで
適度な共同性はポジティブですよ
というふうに表現しているくだりで
今のたとえが
配偶者が心臓病にかかると
過度に保護的になるというたとえが出てくるんだけど
まさに俺は配偶者が
心臓病にかかって過度に保護的になっている
奥さんの
主事をしてたことがあって
スピーカー 2
なるほど
スピーカー 1
まさに心臓病
旦那さんが心臓病なわけ
心不全という病気なんだけど
心不全って何かというと
簡単に言うとかなり生活習慣が
絡む病気で
心臓の動きが悪くなるんだけど
普通の人より心臓の動きのベースが悪いから
ちょっとしたことで
心臓に水が溜まって入院しちゃうと
入院するために
弱っていって最終的に死んじゃうから
入院させないのが目標だから
家での生活の
コントロールがすごく大事になってくる病気なんだけど
要は
共同性とネガティブな共感
スピーカー 1
塩分が濃い食物とかを食べちゃうと
スピーカー 2
すぐに悪くなって入院しちゃうわけよ
スピーカー 1
その人は
すごくわがままな旦那さんで
これ食べたいあれ食べたい
帰ったらラーメン食わせろみたいな
スピーカー 2
そんなことを言う人だったわけ
スピーカー 1
お食事管理するのは奥さんだから
奥さんがやっぱりキーになってくるわけじゃん
食事管理をするという面においては
毎回俺は退院するときの説明で
奥さんに
旦那さんに絶対塩辛いもの食べさせちゃダメだよ
っていうふうに説明するんだけど
もう2,3週間すると
また再入院してきて
何食べてました?って言ったら少しだけラーメンとか焼肉を食べさせて
あげましたみたいなことを
奥さんが言うわけ
これぞまさに過度の共同性だなと思って
スピーカー 2
それはだから要は
旦那さんに対して
満足な食事食べてもらいたいな
とか
逆に言うとそうじゃない食事は味気ないの
嫌だって言われたらそこに対して
ある種
共感というのか浄土的共感に近いのかな
だから
スピーカー 1
長期的な患者さん
旦那さんのメリットを考えずに
目先の旦那さんが
塩辛いもの食べたいとか
美味しいもの食べたい
ラーメン食べたい
共感しちゃって
過度の共同性が
すごいネガティブになっている
スピーカー 2
なるほど
それはおもろいですね
ここちょっとあれだよね
過度の共同性が何なのかっていう話を
スピーカー 1
ちょこっとしておいた方がいいのかな
スピーカー 2
そもそも
共同性という概念がどこから出てきたのか
って話なんだよね
すごい大事なのが
で旦那の事例ってやつだよね
スピーカー 1
共同性
スピーカー 2
この旦那の事例って
これ何かっていうと
心理療法士の人の例が
出てくるんですよね
この人は
共感力という
バロメーターがあるとしたら
共感力っていうのが高い人もいれば
低い人もいると
それはそうだろうと
その中で心理療法士である旦那さんというのは
共感力が最大レベルにあるという風に定義されるんだよね
この旦那さんは
誰もが自分の心を開けるぐらい
人に
共感してもらえるような
タイプの人であるという風に定義されると
この人は
一般的な価値観
価値尺度で見ると
すごく人に共感するのが得意で
優れた心理療法士であり
みたいなことを
言うわけなんだけれど
このポルブルームは
この旦那に対して
本当に大丈夫って思うわけなんだよね
そうだね
その大丈夫って思ったポイントが今
山上くんがキーワード出してくれた過度の共同性
って話でこれ何かっていうと
共感せざるを得ない
抑えようのない共感に借り立てられて
他者の経験っていうのを
が常に
彼女の頭の中を占めているような状態
っていうのを過度の共同性であるっていう風に
そういう話なんだよね
スピーカー 1
もう他人の
気持ちがもう99自分の気持ちになっちゃう
っていう状態
普通の人間は自分が90だったり他人が
10とかだったりするけど
過度の共同性がある人は
他人の自分の夫の
気持ち苦しみが
自分の苦しみ
99になってしまうというのが
スピーカー 2
過度の共同性
スピーカー 1
なるほどね
過度の共同性がある人は
結局いろんなところで
悪影響を及ぼしてしまいますよと
スピーカー 2
これさちなみに
ここまでの文脈で
言ったときに
他人に過剰に共感するってことが
結局どんな悪いことが
スピーカー 1
あるんだろうね
俺が今例で出したのは
例えば
医者患者関係で
人質的共感者であるはずの
俺の話を
見つけず
過度の共同性を持って
旦那さんに接しちゃって
旦那さんの病気を悪くしちゃうというのが
スピーカー 2
結果のところが問題だって話
スピーカー 1
そうそう
例えば最近の例で
思い出すのは毒親って言葉をよく聞くじゃない
あんまり聞いたことない
共感する側の問題性
スピーカー 1
子供の害になってしまう
親のことを毒親って表現したりするんだけど
結局あれは
あれじゃない
私が自分の時間を
犠牲にしてあなたの教育をした
自分が
してあげたことに満足して
いやいやそんなことないって拒否すると怒り狂っちゃう
簡単に言うと
自分の人生を子供に投影しちゃう
ような人っている
まさに子供の人生こそが自分の人生だ
みたいな感じで
そういう毒親とかもまさに
過度の共同性の例なんかなって
スピーカー 2
思いながら読んでた
なるほどね
ちょっと自分を重ねすぎちゃってる
スピーカー 1
そう
本当なら親子と言えども
お互い自分の人生を生きるべきだと思うわけよ
結局別の人格なわけだ
別のペルソナなわけだから
でも親
人によっては親が完全に子に
投影しちゃう人はいるじゃない
子育てこそが
人生で
自分の人生どうでもいいから
私の子供さえ成長してくれればいい
みたいなのは
この過度の共同性が高い
という観点で言うと
あまりよろしくないんじゃないかな
スピーカー 2
という
っていうのは山上くんの意見で
スピーカー 1
そうそうそう思いますよってこと
スピーカー 2
これなんか
本の中でどう紹介されたかって話でいくと
共同性ってどういう概念と
対立する概念として描かれてたかって
話は結構大事かなと思ってて
共同性って
要は共に同じくする性質って書いてある
共同性ってやつは
人との結びつきを
強調するよっていうような性質です
さっきの男性の女性の
みたいな話がちょっと正しいかどうかわかんないけど
どちらかというと性質的には女性的な性質
これと対立するのが
主体性って話があって
自分との分離
自分と違うんだってことを
強調しているっていうのが
主体性っていう特徴としてあって
これもある種男性的な特徴だよという風に評価されてるんだよね
この主体性と
共同性どっちもが
健康に生きていくために必要じゃんみたいな
という話が出たんじゃないかなと思ってますよ
そん中の
先ほどの過度の共同性ってやつは
主体性がなくなるつまり
自分と他者の分離っていうのはどんどんなくなっちゃって
人との結びつきを強調する
共同性が生きすぎてる状態ですよと
というのが
この過度の共同性っていうところなんだよね
これになると
結果として
何が悪いのかって話でいくと
さっきの山上くんが
言ってくれた事例だと
共感する対象に対して
短期的な
利益と
長期的な利益のバランスでいくと
要は目先のことしか考えられなくなるみたいな
欠陥のあるさんみたいな話があるよ
っていう山上くんが
言ってくれた指摘だと思ってて
それは当然ありそうだなと思いつつ
この本の中でさ
どこが問題か
問題とされてるかっていうポイントも結構面白いなと思ってて
これがさ
要は共感する側の人
その人の
苦痛に対する感受性に
借り立てられてるっていうところが問題だ
っていう風にさ
山上さんは言うわけだよね
要はさ
自分が
私の夫が苦しんでる
美味しいもの食べられなくて
しんどそうだと
そこに対して自分も苦しいって感じちゃう
だからその苦しさを取ってあげたいと思う
っていう行動が
塩辛いものを食べてもらうとかそういうアクションに繋がってるわけだよね
これは
誰のためを思ってやってる行動なのか
っていうところがぼやける
っていう点で問題なんだっていうのが
ブルームの指摘だと思ってて
思いやりの理想的な形と認識共感
スピーカー 1
なんか上手に認識共感できてないってことだよね
認識共感も対象がいないと認識共感できないから
スピーカー 2
そうそうそう
結局
この人が避けたいのは何かっていうと
夫が苦しんでるのと
同じ苦しみを
自分も受け取って自分が苦しい
っていうところから解放されたい
っていう動機で
その行為をしてることが課題なんだ
っていうのがブルームの指摘してることなんだよね
スピーカー 1
一応ここでは病的利他主義って表現してるけど
これは利他主義でありながら
結構利己主義なんだよね
もはや自分なんで夫はもう自分で
あなたが私だから
結局
旦那さんの苦しみを取り除かないと
自分が楽になれないから
スピーカー 2
そういうことをやってる
だから利他主義の形を取った利己主義っていうのが
スピーカー 1
病的利他主義って言葉で整理されてる
難しいのは例えば
でも今我々は医者の立場で
心不全で病気で
食べさせることが悪くなるって分かってるから
どんどん悪くなっていくけど
それが例えば別にそういう
甘やかすことが
そんなに悪い結果に結びつかなかった場合って
それは結果から見ると
デメリットにはならないからそういう場合ってどうなのかなって
スピーカー 2
これ今大事なポイントだと思ってて
これって今
病的利他主義がなんで悪いかって話の
秘訣は
その結果がどっちかって話じゃないんだよね
スピーカー 1
なるほど
スピーカー 2
共感する側つまり病的利他主義的な
行為をする人の側が
結果
どんな結果であれ
その人がその
苦痛を取り払いたいと思うみたいな
気持ちで走っていった結果
あるところまで来たらその体力がなくなって
バーンアウトしちゃう
これが問題だっていうのがここでの指摘なんだよ
だからこれは結果がどっちかって話
とは実は独立に問題だよって言ってるのが
この章の指摘のポイントなんですよ
スピーカー 1
共感する人側の問題か
スピーカー 2
そうそうそう
スピーカー 1
ここの例で言うと共感する人は
結局
あまりにも今の例で言うと
旦那さんのケアをすぎるあまりにも
自分自身のケアがおろそかになるみたいなデメリットが
スピーカー 2
出てきますよっていうことね
自分自身のケアがおろそかなるってこともそうだし
福祉的なこととして
要はロングタイムで
見た時に正しい結果を選択できなくなってますよ
ってことも当然あるかもしれない
スピーカー 1
確かにその人自身が
正しい結果を選択するかどうかじゃなくて
その人自身がもう完全に
ドッペル玄関になっちゃうような状態になってることが
問題ってことだ
スピーカー 2
そうそうっていうのが
身近な人に対する共感の危うさ
つまりそれって例えば
家族に対する共感の危うさ
スピーカー 2
赤の谷にはそういう共感の仕方しないわけじゃん
人の痛み苦しいから
取ってあげたいとなかなか思わないわけで
より身近な人だからこそ
起きやすいという意味で
家族みたいな親密な関係性の中でも
共感を持ち込むっていうのは
リスクあるよねっていう話的なのかな
っていうのが共感する側の話だよね
ここの話の後に出てきた例も
結構面白くてさ
このブルームさんが
僧侶か何かと対話する話あったじゃない
スピーカー 1
あったねそれね
スピーカー 2
あれもちょっと面白くてさ
書者の体験これも書者自身
ブルームさん自身の体験で
ありましたけど
心理学やってる人に
いや反共感論を
唱えてるんですよみたいな
ぶつけた時の話が書かれてたんですよね
この仏教者は地球上で
最高に幸福な人だ
っていう風にみなされてる僧侶であり
神経科学者の人がいるらしくて
あまり日本では名の知れてない人なんじゃないか
という気がするんだけど
この人にその書者の反共感論の
見解をぶつけてみたと
で書者は実は
仏教者に対してそんなこと言うのは
やばいことやってるんじゃないかと思ったんだよね
スピーカー 1
タブーを犯したような気持ち
スピーカー 2
突っ込んだわけだよね
むしろ慈悲深いみたいなことが大事なんじゃないですか
って思いながら反共感
共感ってダメだと思うんだってぶつけてみたら
書者の予想に反して
反共感的論的な見解は
むしろポジティブだみたいなことを
その仏教者が言った
っていうところの驚きが鮮明に書かれてるんですよね
スピーカー 1
なんかあれ仏教的には
思いやりを感情的な
思いやりと偉大な思いやりに分けてるみたいな
スピーカー 2
そうそうそう
スピーカー 1
感情的な思いやりが浄土的共感で
その認知的共感的なのは
偉大な思いやりというので
我々も分けてますよって実は
根本的にはブルームさんと
我々もやってることも同じなんですよ
っていうことで意外とそこで
スピーカー 2
共鳴してたみたいな結論じゃないですか
そうなんだよねここでのポイントは
何かというとあれなんだよね
思いやる側の方を
思っての話なんだよっていうところが
ここもまさに共感する側の話として
取られていてこれ何かというと
要は仏門ってさ
菩薩になったりとか悟るという
ところに至るまでのプロセスの話じゃない
だけどさっき言ってたみたいな
ある種感情的な思いやり
先ほどの言葉で言うと病的な
利多主義とかそれから
過度の共同性みたいな
度合いの程度の
共感をもし用いてしまうと
その人自身がどんどん
消耗してしまうと
スピーカー 1
菩薩を消耗させるのに避けるべき
そう面白いよね
スピーカー 2
菩薩を消耗させるから
菩薩は消耗したらならんと
菩薩はむしろ長く
歩み続ける必要があるんだということで
思いやり
いわゆる思いやりと言われているものって
別に共感すること
他の人の苦しみを共有することは
前提とされてないんだよってことを
ここでからっていうわけなんですよね
これは結構
気づきがあるポイントだなというか
要は思いやりっていうのは
他者に向けられる
感情だっていう風に言うんだよねこれ
これ結構面白いなと思ってて矢印が
自分から相手に向かっているものだと
これ図描けるよね
理想的な思いやりは
自分と他者がまず2つ分かれていて
自分から相手に矢印向かっているのが思いやりですよと
さっき言ってた
感情的な思いやり
つまり共感
浄土的共感のことなんだけど
浄土的共感っていうのは他者と共に同じことを感じて
一緒に沈んでいくみたいなパターンなんだけど
これはポジティブではないんだよね
スピーカー 1
ネガティブフィードバックですねこれはね
スピーカー 2
だからこの自己と
他者を分けた上で
他者に対して矢印出して
思いやるっていう
一方向のやり取りをするってことが
理想的な思いやり
ある種は浄土的共感ではなくて
認知的共感なんじゃないかと
スピーカー 1
そういうことを言うわけですよね
いかなる場合もその人になっちゃいけない
またその人になってはいけない
スピーカー 2
そうやね
できるとこっちがくたびれちゃう
消耗するから
そりゃそうだって話なんだけど
スピーカー 1
まさに牢牢介護の問題とかさ
結局その
未婚の娘さんがこの
年老いた両親を介護してる問題で
結構医療現場だとそういうのよく見るんだけど
結局介護する側がめっちゃ消耗してるわけよ
結局お子さんとかも
自分の幸せ追求できず
年老いてく両親の世話で
どんどんどんどん疲れてその人が病んじゃったりとか
よく見るからさ
これは本当この医療現場に欲しい概念だわ
スピーカー 2
本当だね
スピーカー 1
患者さんに話してあげたい
医療現場の共感
スピーカー 1
この話を
すごい良い概念を獲得してるなって
スピーカー 2
はいはいはい
これはだから
そうだね
ある種ちょっと
医療現場でどれくらい共感って言葉が
もてはやされてるのか分かんないけれども
何だろう
他者のことを思いやるってことと
他者に自分の身を重ねるってことは
別に全然別のレイヤーであっていい話だし
なんなら一定距離を持って
今の自分の立場から
相手のことを最大限
引き上げてあげるのか分かんないけれども
ポジティブな働きをする
それがもうシンプルに思いやりだっていう
そういう受け止め方をしようやと
スピーカー 1
そういう話ですよね
医者はある意味しやすいんだよね
治療治療の要素要素でしか患者さんと喋らないから
医者って結構
認知的共感しやすいというか
常にできる何の障害もないんだけど
看護師さんとか
ソーシャルワーカーの人とかって
すごい常に患者さんの話を常に聞いている人だな
ソーシャルワーカーっていう
職種があって
患者さんの退院支援とか
退院支援を行う職種
俺が次行った後に
家族の問題とかを聞いて
じゃあ今後どこは家で暮らすの?
施設行くの?みたいな
患者さんだったりとか
家族の話をわーって聞く職種があるんだけど
そういう人とかって
すごい浄土的共感に流されやすい
スピーカー 2
立場にいるのかなと思う
なんかこの話はあれだね
それこそ野田君呼んで話したいよね
スピーカー 1
そうだね看護師ですね
スピーカー 2
めちゃくちゃ一家分あると思うなこの領域に関しては
スピーカー 1
確かに確かに
看護師さんはすごい思うところがあると思う
スピーカー 2
これに関して
だから要はこれは
助ける側というともしかしたらおかましいかもしれないけど
支援する側というか
共感する側の人にとっての消耗っていうのは
結構クリティカルやでという話がね
スピーカー 1
看護師さん結構やめちゃうんだよね
それで自分が消耗して
特に1年目とかの
這い立ての看護師さんって結構やめちゃうんだけど
多分これだよね
過度に患者さんに共感すぎて自分が消耗しちゃって
ライフゼロになってやめていくっていうのは
そういうことなんだろうなっていう
スピーカー 2
なるほどね
この領域の最後の締めですごいいいこと書いてますよね
他者の苦しみを自分自身で感じることによって負担が生じ
結果として効果的に他者を助けられなくなる
裏返すと
ここが大事で
共感の度合いが小さい方が
より親切になるということが
スピーカー 1
これいい言葉だよな
スピーカー 2
これはね金言ですよ
これ気づきだよねこれ
共感の度合いが小さい方が親切になれるっていう
要は相手と自分をちゃんと分けましょうと
で自分の立場から相手のことを考えたときに
できることをやりましょう
これが親切ですよっていう
スピーカー 1
現場で生きるよねこれ
スピーカー 2
すごいこれはポータブルワードだと思う
スピーカー 1
ポータブルワード
スピーカー 2
持ち運ぶでしょこれは
スピーカー 1
確かに反共感論を病院に持ち込むなら
この言葉は持ち込むじゃん
すげえいい言葉
スピーカー 2
これがみんなできたらね
みんな菩薩になれると思いますよ
スピーカー 1
菩薩になれる
スピーカー 2
消耗すね菩薩に
この章の後半は若干ね
このね菩薩色が強いっていうのがね
スピーカー 1
なるほど
菩薩色が強い
スピーカー 2
これは大事な気づきだね
ここまでが共感する側にとっての
菩薩側面の紹介でした
ここから先が
共感の対象となる人
共感する先方向の人にとって
どんな良いことどんな悪いことがあるかっていうのを
親密な関係性の中から見ていく
共感される側の視点
スピーカー 2
最初の例が医療現場の例なんだよね
スピーカー 1
そうだね
スピーカー 2
これどう?山上くん的にピックアップしたい事例とかありました?
スピーカー 1
これまさに結局まとめると
俺は医者だから医者の立場で言うけど
医者が患者さんに過度に共感しちゃうと
治療どころじゃなくなっちゃいますよって話だよね
だってそもそも手術って痛いからさ
絶対麻酔はするけど麻酔だって
そもそも注射させてくれるわけだから痛いから
患者さん痛いから絶対やってあげれないって
そういう風に思って過度に共感しちゃうと
そもそも手術できないからさ
スピーカー 2
ちょっと山上くんはすでに勘違いしてますけどね
ここのセクションはあれなんですよ
共感の対象となる人
つまり共感される側の人の話だから
スピーカー 1
でもそうすると患者さんが
手術を受けられなくなるから
共感される側の人も
スピーカー 2
ああそういうことね
それはあれだよね
医者が共感しちゃダメだって話だよね
ここで出てるのは
むしろ治療される側の人にとって
共感してもらえることが嬉しいかどうか
っていうところが問題になってるっていうのが
ここのセクションのポイントだと思うんですよ
スピーカー 1
そうだね
スピーカー 2
つまりこれ一番最初の例が
基本的にわかりやすいかなと思って
がの治療を受けた
おじさんの事例が出てくるんだよね
この人は
要はがの治療を受ける必要があるよ
っていう状態の中で
普通だったら共感してほしいって思う人も
多分いるのかなと思うんですけど
この時に
すごい大事な一説があって
おじが不安な時には冷静に対処してくれたし
おじさんに自信がない時には
確信を持って対応してくれる
つまり不安があるよとか
自信がないっていう感情に対して
医者の側は共鳴してくるんじゃなくて
むしろ逆再に張っていくわけだよね
不安な時はその逆再の冷静側に張ってくれるし
自信ない時は確信を持ってくれるしっていう
この振り幅の方がむしろ
信者につながるって話をしていて
共感される側にとっても
別に例えば治療のタイミングで
共感してほしいか別に共感してほしいわけじゃなくて
適切な治療を施してほしい
そういう話が最初に紹介されるんですよね
これは確か患者側の目線に立ってみたら
そうだなって気がするよねここはね
スピーカー 1
そうだね
俺つい最近患者になったことがあって
言ったっけ?
喉がすごいしみるみたいな
なんかない?
スピーカー 2
ラジオで言ってくれない?
スピーカー 1
つい2週間ほど前なんだけど
俺結構
自分自身心肺症だから
ちょっとして体の不調で
やばい自分がんかもって思っちゃう人間の昔からね
生辻医学的な知識があるから
意外とそうそう
アテリケートなんだけど
なんかねお酒飲むと
やたらここしみるみたいな食道がしみるみたいな
あれ?って思って
俺すぐ顔赤くなるの
お酒飲むとそういう人って食道がんのリスク高いから
俺もしかして若年で食道がんになったんじゃないの?
と思って
すげえ不安になって
で病棟って
普通に俺仕事すべき場なのに
普通に看護師さんとかに
いやちょっとなんか飲むとしみるんだよ
僕食道がんかもしんないっすみたいな
みたいな話を結構病棟の
看護師さんのほうに
吹腸して歩いてたわけよ
スピーカー 2
履く生きながらね
めんどくさい奴が来ましたね
スピーカー 1
そこで例えば
もし浄土的教官が俺されてたら
どんどん気が沈んで
仕事どころじゃなくなってたら
いや先生それは食道がんだよとか
やばいねそれはとか
かわいそうにって言われてたら
あーってどんどん落ちてったと思うんだけど
でもプロの看護師さん達はやっぱり
いや大丈夫だよそんなわけないじゃん
要は俺が
凄い凹んでる時に酒張りしてくれて
ですげえ
勇気づけ減れたっていうエピソードが
つい最近ありますね
最近これを思い出すんだから
スピーカー 2
恥ずかしながら
確かにその通りだな
今ちょうど清人さん酒張りって言ってくれましたけど
まさに同じ方向で
当人の気持ちがどっちかによって
結構変わると思うんだけど
ネガティブな場合に共感してほしいことが多いじゃない
それでいくとネガティブな時に
一緒にネガティブになっちゃうと
ここで落ちちゃうから
ダメなんだよね
だからむしろ良い方向に牽引してくれるような
要はアンチ共感なわけで
反共感のスタンスで来てくれた方が
むしろ患者にとっては
ハッピーなことが多い
共感に求められるもの
スピーカー 1
ここで疑問なのが
ネガティブな時に共感してほしい
って気持ち確かに俺もあったわけよ
話聞いてほしいというか
俺の不安を解き除いてほしいって気持ちがあったけど
それって
そもそも
共感してほしいってどういう共感を
俺は求めてたのかなっていう
ネガティブな方に
いく共感を求めてて
ポジティブが来ておーって思ったのか
最初からポジティブを求めてたのか
どっちなのかなって
そもそもネガティブな方にズンズンいく
共感を求めてる人っているのかなって
スピーカー 2
思ってどうなのか
なるほど
スピーカー 1
頭を放り込んでいきます
スピーカー 2
そうそう
でもなんかさ
変に同情してくれるなみたいな
ほっといてくれみたいな気持ちになる時あるじゃないですか
あるあるある
あの時は共感してほしいとかどうとかではなくて
そもそも
自分の
それこそさ
棚取りの時にさ
スピーカー 1
死を需要するプロセスみたいになったじゃない
スピーカー 2
秋ブララストですね
あれと一緒で何かのインシデントが起きた時に
それを自分の中で
受け止めるプロセスとして一旦悲しむとか
そういうのを得たい
みたいなそういう欲求は
素朴にあるんだろうなっていう気がするな
スピーカー 1
っていうのが一つ
スピーカー 2
あって
僕個人でいくとそういう時に
共感してほしいってあんま思わないな
思わないなって思っちゃったむしろ
スピーカー 1
共感
でもどう話してきてほしいって思わない?
でもなんか
俺も今ミンティーと話しながら思ったけど
俺は何かしらポジティブな解決策をくれ
っていう気持ちで望んでる
スピーカー 2
人に言うってことで
スピーカー 1
一緒に沈んでほしいわけじゃなくて
一緒に沈んでる現場
もし一緒に沈まれたらすぐ多分自分から
ポジティブになってそういうのいいわ
ってなってしまう人間だから
だってミンティーも自分病気
結局もや
見た目だして何もなかったんだけど結局ね
ミンティーも自分が
俺みたいな状況になったらさ
どうだって言わない?
身近な奥さんとかにやばいかも
スピーカー 2
どうだろうな
もちろん身近な人に言うだろうけど
その
言って何を期待してるかみたいな
話で言うと
なんかその共感とはちょっと
違うかもし
らんな
ちょっと今回の話で若干ずれちゃうかもしれない
なるほど
共感のスタンスと関係性
スピーカー 2
どうだろうね共感してもらいたいのかな
なんか僕結構
ネガティブ感情系の話で
いくと
共感されればされるほど
なんか共感されてることが
嘘なんじゃないかって思ってくる
逆説的な感じ
気持ちがあって
ちょうどこの
4章で言ったら謝罪の話
スピーカー 1
覚えてる?
スピーカー 2
謝罪の話があって
そこをつながるんでめちゃくちゃ面白い
紹介したいんですけど
謝罪が受け入れられるための
道径みたいな話が出てくるんですよ
共感の話まで
で面白くて謝罪がリアルであるためには
謝罪ってことは被害が起きた
ってことだと思うんだけど
犠牲者が経験した被害を加害者も経験し
理解していると示すことが
必要っていう指摘があるっていう指摘があって
すげえ面白いなと思いながら
読んでたんですよ
共感につながる部分はどこかっていうと
同じだけしんどい思いをしたいんだからお前も同じだけしんどい思いをしろよ
っていうのが謝罪の裏側にある
メンタルモデルなんじゃないかみたいなそういうことを
やってるんだよね
これめちゃくちゃ面白いなと思いながら読んでいる
一方で
謝ってほしい側の人のスタンスと
僕がネガティブな
気持ちを感じた時のスタンスがすごい似てるな
と思ってこれ読んだんですよ
つまりお前が今どんだけ謝ろうが
絶対に
こっちが受けた
ネガティブな気持ちだったり
っていうのは絶対にあなたには
経験できないよっていうスタンスじゃない
謝罪しろって言ってる人のスタンス
そうだね
別に今回は謝罪ケースじゃないんだけど
僕が自分でネガティブなことを思った時に
他者に対して
共感された時に最初に
反応的に沸き上がってきてしまう
スピーカー 1
気持ちはそういうものに近いな
スピーカー 2
お前じゃ俺の感情は分からねえよ
そうそう分かるわけねえじゃんみたいな
だから下手に共感されるとか
というよりはむしろさっきの
逆張りじゃないけど
そういうスタンスの方が
しっくりくるかなって
スピーカー 1
この謝罪の
フレーズの最後の方にさ
結局あなたの気持ちは
分かるわけないから結局
加害者と被害者の間で
不名誉と権力が交換されるっていう風に
まとめてるじゃん
これ正加害とかの問題は結構
最近流行ってるけど
思い浮かべたんだけど例えば
加害する側は正加害っていう問題を
考えた時に加害する側は結構偉い人の
ことが多いじゃん
で被害者は結構
社長と社員だったり
そういう弱い立場の人のことが
多いわけだ
権力のある人が
食ってて
不名誉を
立場の弱い人が追ってしまったと
そこで謝罪
世間に向けて謝罪とかすることで
要は偉い人は
権力のある人は不名誉になるわけじゃん
その瞬間
謝罪されてる瞬間被害者側には
多少なりでも権力みたいなものが
宿ってくるわけじゃない
だからこの被害者と加害者の間で
不名誉と権力の交換ってすごい面白いな
ってこの謝罪の考え方って
面白いなって思ったんだけど
スピーカー 2
謝罪の構造と紹介されてたよね
スピーカー 1
そうそう
ラミンティの謝罪に似たような
俺の気持ちわかるわけないじゃんっていう
へこみへこんだ時の考え方にも
謝罪の
構造的なのを
当てはめて
ポジティブなことを
言ったかどうかわかんないけど
不名誉と権力の交換みたいな
代償の何かがあれば
ミンティはすっきり気持ちがするんじゃないかな
スピーカー 2
って思った
その不名誉と権力の
交換の話でいくと
僕がネガティブな
感情を抱いてる時に
そこに共感してくれる
第三者がいるとして
その人と僕が今感じてる
感情の間に
因果も関係性もない
っていうところが謝罪とは
構造的に違う部分だと思ってて
別にお前に交換するもんねえじゃん
スピーカー 1
そういうこと
スピーカー 2
あなたが不名誉を追ったところで
僕の権力感が上がるわけでもないし
ここのネガティブな
スピーカー 1
そっか謝罪はそこが上がっちゃうんだもん
スピーカー 2
上がるから
ある種被害と加害
っていう関係性が明確にあるから
加害側が不名誉を追うことで
この価値を
転倒させることができるっていうのが
スピーカー 1
謝罪の構造だと思ってて
まだ関係性があるだけ何か介入する予定があるってことで
スピーカー 2
そこの被害者感情
っていうものに対して共感を
求めるっていうのが被害者の
メンタリティだっていうのは
僕は逆に被害者ではなくて
何かしら
もしかしたらネガティブなことを
こう思ったかもしれんが
被害者だと思ってないってなった瞬間に
共感を求めるっていうスタンスからは
なんかちょっと一個
置いちゃうんだろうなと思うな
スピーカー 1
ああなるほどね
だからまあ
共感の効果とリスク
スピーカー 2
ほっといてくれという風に
そうだね
これちなみにね自分に対して
共感してほしいケースってこんなのがあるよね
みたいな話がさちょっと紹介されてたの覚えてる?
その謝罪のちょっと直前くらい
ここの今の文脈ってさ
共感される側にとって
共感がポジティブですかネガティブですかって話だったんだけど
自分が他者から共感してほしい
っていう場合ってどんなケースがあるかしら
っていう考察がちょこっとあって
でなんかパターンとしては
自分がポジティブな感情を抱いたとき
よっしゃみたいなときって
一緒にそれを分かち合いたいみたいな
まあそういうのあるじゃんみたいな話があったりとか
一方でネガティブな感情
例えば痛みみたいなものを持ったときに
それを分かち合いたいみたいな話があったな
っていうところが書かれてるんだけど
この戦略が意味あるかないかみたいな話
グルームさんがしてて
これ結構クリティカルだなと思って
スピーカー 1
読んでたんですよ
スピーカー 2
共感してもらう側としては
要はなんで共感してもらいたいかというと
より助けてもらいたいから
共感してもらいたいと思うんだよね
これは反対の立場の人に立ってみると
2章3章か
3章の冒頭とか2章の冒頭とかかな
でもちょっとあったけど
共感した相手に対しては
よりその人助けたいって思う気持ちが
働きやすいよって話は
2章でも出てきたじゃない
10秒の女の子がさ
に共感させるようなシチュエーションに持っていくと
ケアのさ
ウェイティングリストの上に
ちょっと割り込ませちゃうみたいな
そういう話があったと思うけど
そういう悲喜にされるっていう効果を
期待して共感を誘う
みたいなことは戦略としては
間違ってないよねって話が
ある一方でさっきの
なんだ
病的リタ主義みたいな話に
課されたところだけど
共感させすぎてしまうと
こっちの痛みがめちゃくちゃ重かったら
共感することによって
あなたの痛みに共感するとこっちもしんどいんで
ちょっとって言われちゃうみたいな
そういうリスクも抱えてるよっていうのが
共感を誘うことの
スピーカー 1
ネガティブとポジティブ
これだからさ
ネガティブに共感するのは
もちろんネガティブフィードバックしていくからさ
良くないと思うんだけど
傷つく菩薩の例になっちゃうわけだけど
これポジティブに共感する分には
別にいいよっていう考えでいいのかな
スピーカー 2
いいんじゃない
スピーカー 1
それはそれでいい
唯一ブルームさんが共感に関して
いいかもと思ってるところは
ポジティブに対する共感に関しては
スピーカー 2
許容するってことなのかな
そうかもしれないね確かにね
でも一方で
議論をややこしくするようであれだけどさ
ブルームはさ
ポジティブな感情に対する共感っていう場面においてさ
嫉妬っていう別の感情が
共感の発露を妨げるよねみたいな
めんどくさいやつは1点差し込んでしてさ
スピーカー 1
これはでもはしゃぐっていいよね
そう気持ちになりますね
要はあれでしょ
要は俺の同級生とかがすげえいい論文書いて
なんかクソみたいな素直に喜べねえみたいなそういうのでしょ
スピーカー 2
そうそう共感できるのには
適切な距離感が必要だとかさ
全然関係ないことぶっ込んできやがってふざけんなって
ねえ
まあまあそういう話もある
でも今の話でいくとねポジティブな感情に共感する分には
いいじゃんっていうことにはなりそうだよね
そうだね
でもそれってやっぱりさっきのさっきじゃないや
前回の話題にもなってたその共感っていうものを
ネガティブな範囲とダメな範囲とか
共感が有効な範囲ってやっぱり限定的じゃん
要はポジティブな場合にはいいけど
ネガティブな場合よくないじゃんみたいな
そういうとこにも結果たどり着くんだろうから
共感に寄ってたかっていうのは
プライベートの教育においても
ちょっと厳しい側面あるんじゃないの
っていうのはそんな感じになりそうですよね
親密な関係における共感
スピーカー 2
ちょっとねまとめっぽい話になっていきますけれども
親密な関係性における
その共感というところで
グルームさんが考察としてまとめているところが
ページでだいたい
ページでだいたい183ぐらいかな
みなさんにちょこっと書いてあって
いずれにしてもね
友人とか家族とか
親密な関係性の人においては
赤の谷以上に自分のことを
気遣ってほしいんだって望みがあるよ
これをまあ認めましょうと
みんなそう思う
ただこの望みっていうのは
さっき挙がってたネガティブな例にあるような
感情のミラーリングっていう望みとは
実はちょっと違うから
勘違いしない方がいいよっていうのが
ブルームが言っている大事なポイントかなと
思っていて
要はさっきのねおじさんの例に
これはブルームのおじさんなんだけどね
自分を気遣ってくれる人っていうのは
自分の委託婦の感情を
緩和する方に動いてほしいと思っていると
そのためには実は
感情をミラーリングするんじゃなくて
むしろ逆方向に感情を引っ張ってくれるとか
自分のことだったり
自分の置かれた立場を理解しつつも
それとは別の方向性に
動かしてくれるような
対応を期待しているんじゃないかっていうのが
この親密な関係における
ブルームさんの考察
それこそ
スピーカー 1
いい友人関係を持つためには
そうあるべきだよねって思うんだよね
そうね確かに
例えば俺直近で言うと
ミンティーに同じことを思って
共感は病であるという考え方
スピーカー 1
具体的な話じゃないけどちょっとほら
俺いろいろトラブってさ
ミンティーどうしようって
言ったことがあったじゃない
やばいんだけど俺みたいな
その時ミンティー友達と飲んでて
すげえ明るい声でいやいやそんなの
大丈夫だなんちゃって全然
全く別の観点から面白い
選択肢を俺に提出してくれて
これだと思って
スピーカー 2
俺が求めてるのはこれだって
一切浄土的という
スピーカー 1
みたいな共感はしなかったです
だからいらないんだよね
俺も別に浄土的共感求めてるわけじゃなくて
ミンティーに電話してあの一言で
俺はめちゃくちゃ救われたから
まさにブルームさんがまとめて言ってるのは
先日俺がミンティーに電話して
あんな感じの
スピーカー 2
はいはいはいはい
確かにそういうことありましたね
だからね
一切感情をミラーニングしてないもんね
スピーカー 1
そうそうミラーニングされてもって感じだわな
スピーカー 2
やばいなーみたいな
そうそうそう
それは言わなかった
確かにねちょっとあんまりね
男子でそういう関係性あんま見ないかもしれない
スピーカー 1
そうだね男って確かに
スピーカー 2
そういうところすごいドライバーとかもあるからね
スピーカー 1
いやだからこれは
ブルームさんの言うところの良い親密な関係なわけでしょ
スピーカー 2
確かにねそうかもね
スピーカー 1
そうそうこういう関係ってとこで
スピーカー 2
確かに
ということでねあれなんだよね
ここ大体ザクッと読んできたと思うんだけど
最後に
すごい面白いなんか
数式みたいなやつが出てきてましたね
スピーカー 1
いきなり数式出てきたよね
スピーカー 2
全然数式というとハードルがただ上がるだけで
数式じゃないんですよ
結局共感っていうのは
共感っていうのは公正じゃないんだ
っていう主張を固く何も
ブルームさんは繰り返したわけですけど
ここまで見てきた中でいうと
そんなもんかなという気持ちにもなるような例が
多かったんじゃないかと思うんだけど
これをちょっとある種の図式で
表してみると至った結論は何かというと
自己と
身内と赤の他人
っていうこの三つの要素に対する
悲喜度合いというのかな
ケアする度合いみたいなものの
足し算が100%になる
自分が共感したりとか
共感っていうのか
思いやりを配ることのできる
範疇として定義されるわけですよね
自分自身が自分の周りの人
で完全に関係ない人
みたいな
当たり前だけど自分のアテンションは100%しかないから
この100%をどこに振り分けるか
っていうことが大事ですよと
で想像に固くないけど
自分に100%集中させると
身内も含めて
無視みたいな
そういう声質ですよと自己中
モンスターって書かれてる モンスターですね
逆に自分が
0%みたいなケースって
基本的に成人だけど
逆にちょっと信用できないみたいな感じだよね
スピーカー 1
そうだね これがさっきの
スピーカー 2
病的リター主義でしょ
そう病的リター主義
つまり自己破壊してしまう
みたいなことにも繋がりかねない
バーン落としちゃうみたいなことだよね
で基本的にその他
大多数の人はこの間にいるわけで
グラデーションがあるわけですけど
ここでブルームが指摘するのは
多くの人は自己
身内 赤の他人って3つの段階があったとしたら
赤の他人0%で来てる人
多いんじゃないですかっていうのがね
スピーカー 1
ブルームの指摘なんだよね
スピーカー 2
これはなるほどなと思いまして
確かに自己100%だったら
あまりにもエゴイスティックだし
かといって自分0だったらそれは
自分で潰れちゃうわみたいなのはよくわかるけど
じゃあどこにバランスするんだって言った時に
身内を取り組みたいね
って思うのは確かにそうだけど
ここに赤の他人も入れるのが
健康なんじゃないのっていう提案を
スピーカー 1
最後にぶっ込むわけですよ
これはだから赤の他人に振り分けるというより
むしろ自分100をやめる手法として
赤の他人に振り分けた方が
いいんじゃないのっていう
スピーカー 2
そうそうそうそうなんだよね
前回の取り上げた最後に出てきましたけど
自分下げの話とかね
まさにそこか
無知のベールかけようみたいな話って結構これで
自己と身内が入れ替わったとしたらどうだろうとか
身内赤の他人入れ替わったとしたらどうだろう
って議論をここでもやってみなはれ
スピーカー 1
って話だよねこれ
だからこの数式なわけね
簡単に入れ替えやすいように代入しやすいように
スピーカー 2
そうすると自分3分の1身内3分の1
赤の他人3分の1みたいな
人数とちゃんと合ってるかどうかで言うと怪しいんだけど
でも多分アテンションの振り分け方としては
そういう振り分け方が
いい可能性あるよねみたいなことが言えんじゃないの
っていうことを言っててはなるほどな
と思いましたねここはね
バランスの取り方
スピーカー 1
そうだね面白いねこれね
スピーカー 2
ということでちょっと全体
読んできましたけど
どうすかこの最後に至った
結論とは言わないかもしれないけど
スピーカー 1
この
スピーカー 2
数式 この数式ないしはさっきのね
ブルームの考察のところにも
関連するかもしれんけど
納得感あります
スピーカー 1
まあ確かにね
俺は自分どうなんだろうって思っちゃって
俺赤の他人に対する優しさとかあったかな
みたいなことを思って
もしかしたら俺
ずっと自分100だったのが結婚して子供できて
結構身内に重みができて
むしろ多分かなり
64か55くらいまでいけたかもしれない
みたいなでも逆に
逆に今までは
自分がワンチャン自分が
98で赤の他人に
とか
逆に俺は身内の
身内の感触を広げてすごい仲良い
友達の身内まで持ってって
なんかしてたのが
本当の身内ができたおかげで
せいで分かんないけど
自己と身内がガッチリしたって赤の他人には
もうやらねえみたいな
のになってしまってるかもしれない
そうはならないようにしたいね
スピーカー 2
確かにね
このちょっと配分どうすべきかみたいな
事実はあんまり明かされないんですよねこの小説
スピーカー 1
そうだね自分で考えるところだよね
スピーカー 2
だから僕が唯一
引っかかってるとしたら
今回出てきた事例に関しては
確かにアグリなんですよ理解できると
思ったんだけど
やっぱりブルームが主張するのは
教官は善悪の概念に反していて
公正ではないという主張を繰り返しているわけですよ
この正末に至ってもなお
なんでそこに対して掘り下げないんだ
っていうところばかりは
ちょっと拭えない
善悪に対するこだわりというのを
感じてブルームさんは固くなだな
スピーカー 1
って思いながら
これはもうこの人の個性
こればかりはもう
これは受け入れた上で
この本を読むしかないのかなって
俺は思っちゃった
個性と共感
スピーカー 1
こういう主張する人だから
このレールに乗っかって読むかみたいな
スピーカー 2
ほんとだよな
ちょっとそのあたりが
この本を最後まで読むと明かされるのかどうかというところが
ちょっと折り返しを
経ての
この本の楽しみ方なんじゃないかなという気もしてますけど
そうだね
そのところかな
大体押さえたいところは
スピーカー 1
押さえられたかな
スピーカー 2
面白かったね今回も
ほんとだね
というところで一旦この問いのところを
スピーカー 1
閉めましょうかね
語らずよ
スピーカー 2
いやいやお疲れ様でした
スピーカー 1
お疲れ様でした面白かったね
スピーカー 2
面白かった今回もまた
キレキレでしたねブルームさん
スピーカー 1
なんかさ
さっきの問いのとき
スピーカー 2
ちょっと言い忘れたことがあって
何ですか全部言ったって聞いたじゃない
スピーカー 1
言い忘れたっていうか
この業界でどうしてもちょっと言いたいことがあってさ
自分のさ
スピーカー 2
おればあちゃんのカテーテルしたことあるの
スピーカー 1
身打ちね
カテーテルって要は針刺して
自分のばあちゃんの心臓の血管に管を入れるっていう
スピーカー 2
ようなことをしたことがあるんだけど
スピーカー 1
それはなかなかない経験ですか
そうなんか違和感があって
なんか説明できない
なんだなんかこの嫌な感じなんだっていう
カテーテルって
頭骨動脈って
首首にある動脈に針をピッて刺して
そこから始めるんだけど
全然普段こんなことないんだけど手が震えたの
なんかなんだなんで
こんなことになってんだっていうふうに思っちゃって
でもその答えは
やっぱりこの本読んで
分かって
家族にはやっぱ共感しやすいわけじゃん
身打ちには共感しやすいわけじゃない
でばあちゃんが共感される側になって
共感される側はさ
スピーカー 2
ガイしかないって書いてあったじゃん
理性的にね
気持ち的に共感してほしいってことですよね
スピーカー 1
そうそうだから俺は
ばあちゃんに対して冗談的に共感してしまう
自分を自分の中に見出して
このプロとしての自分の描写意識で
戦ってたんだなと
その戦いはこんな風だったんだなってことを
スピーカー 2
ちょっと思って
スピーカー 1
揺さぶられたってことだね
揺さぶられたの
結局最後までうまくやったんだけど
なんかずっともやもやしながら
なんだこの感情と思いながら
気持ちよくはない嫌な気持ちで
ずっと勝ててる姿なんだけどそれは
この情動的共感と
この印象としてのプロとしての気持ちが戦ってたんだなって
スピーカー 2
なるほどね
その話はちょっと
パッと片付けたい話ではないけれど
なんか今の話を聞きながら
思ったのは
冒頭でねお便りでリンゴさんから
いただいたじゃないですか
情動的共感と認知的共感が
結構してる
バーサスだバーサス感
そういうこともあるかと思いながら
読ませてもらってる中で
今の話を踏まえると
多分情動的共感ってやっぱり
本能的なものなんだろうなっていうのは
やっぱり今改めて思ったんですよ
その情動的共感を
みんな持ってる
それはもう働かさざるを得ないような
種類の共感が
情動的共感なんだろうなって思った
確かに
スピーカー 1
だって俺情動的共感しない人間だとか冒頭で言ったけど
普通に助けるねん
スピーカー 2
だからそのなんというか
根底にはきっとあるわけだよね
ピコンと反応する瞬間があって
あっ共感しちゃうわみたいな
あると思うんだけど
それをある種その
意思なりにプロフェッショナルとして
なんていうかな
理性的に状況を
ハンドルできるようにトレーニングしてるわけじゃない
そういうその
小脳と大脳の関係についての議論
スピーカー 2
理性のレイヤーみたいなのが
上に向かってきてる
この関係性なんかに似てるなと思いながら
僕読んでたんですけど
脳なんですよ
スピーカー 1
スピーカー 2
小脳と大脳の関係に
スピーカー 1
めちゃくちゃ似てないこれ
スピーカー 2
進化的にはさ
小脳ゾンビ
意識を宿してない
小脳っていう存在と
それからそこから進化の糧で発達した
大脳神秘室側の
外側を持ってる方ですよね
こっち側には意識が宿っていて
これっていうのは
僕らの理性的な
ジャッジメント意識を司ってるわけじゃん
で仮に
すげー適当なこと言うよ
なんなら神経生理学的な
知見を援用しているブルームさんに
大変失礼かもしれないが
情動的評価っていうのは
なんとなく進化的には古くて
本能的で本来持ってる
小脳が抱えてる機能なんじゃないか
その上で人間が
進化してくる中で
理性的な何しやロジカルな
判断っていうのを
後で獲得した
それは大脳側になってると
この大脳側を
ちゃんと使えるようにするためには
ちゃんとトレーニングしないといけないし
進化的には新しいものだから
むしろ古いものの方がやっぱり軸としては
強靭だから
これを克服するようなやり取りしなきゃいけない
そんな関係性にあるんじゃないかと思うと
どっちの側面も
あるっていうことを素直に受け止められそうだし
ちゃんと武器として
その
理性的何しや認知的共感
っていうのを手に入れようぜっていう気持ちに
なれそうだなって思いながら
山上くんで今の話をちょっと
スピーカー 1
聞きました
すごい適当な医学的な意見に
すげえ俺も
医者として乗っからでもどうかと思うけど乗っからせてもらうけど
この本に
元々浄土的共感は
適切な親子関係を
育てるために生まれた
感情じゃないかって考察されてたじゃん
そう考えたら
ミンティがさっき言ったみたいに
一番最初に備わった関係が
備わった共感が
浄土的共感でも何らおかしくないというか
だって親子関係が適切じゃなかったら
そんなシュートして早めにしていかないわけだから
だから
何かついその性能が
浄土的共感をつかせとってるっていうのは全然
間違ったコースじゃないんじゃないかなって
スピーカー 2
思っちゃうよね
進化的に獲得された
二つの共感特性があって
親子関係で言ったら浄土から始まったんだろうが
それと同じことを僕らも
生まれてから大人になるまでの
成長過程の間で獲得していく
っていうことがあるわけですから
このあたりがウルムさんが
発達心理学と合わせて
善悪という概念をどう獲得していくか
っていうテーマに挑んでたりとか
そういうとこにも繋がりそうなんだな
共感についての興味深い視点
スピーカー 2
と思って改めて
彼の研究領域と
に河天が行ったみたいな
そんな感じの回ですね
スピーカー 1
あの時の結論も
俺覚えてるけど
小脳が結局
最終的に小脳的に生きると
惰性で生きちゃうんだよな
小脳に任せるんじゃねえ
すっかり大の働かせろっていうのが
スピーカー 2
確かあの時結論の回があったと思うけど
スピーカー 1
今回も浄土的共感に
任せちゃいけねえって
しっかり人的共感を鍛えて
浄土的共感ばっかりしてる人間は
古いというか本能にしか
従ってないから
人的共感のトレーニングをせえ
スピーカー 2
っていうのが今回の結論か
なるほどなるほど
だからあれか僕らは
小脳と大脳の間の葛藤を
ずっと戦ってるわけですね
スピーカー 1
そういうことだね
だから俺はその家庭テレビで
まさにその葛藤が手の振るようになって現れてたわけだな
セレブってんね
セレブってないのかこれは
スピーカー 2
違うか
いやいやいや
こういう喫好関係に僕らは置かれてるんだ
ってことを知るだけでも
なんかそういう葛藤があるときの
肥やしになるかもしれないですからね
スピーカー 1
ってかこの浄土的共感と
人的共感の対立っていうのは
この本にあまり書かれてないけど
これ結構面白くない
今の家庭テレビの事例もそうだけど
こういうことで結構日常で意外と起きてる
スピーカー 2
かもしれないね
ちょっとそのあたりについては
もしかしたらこの本を読み終えた後に
ちょっと別途触れてもいいかもしれないですけどね
対立関係みたいな
ということで
ここまで読んできましたけど
ここまでちょうど4章までが
終わったということで
次回これ幕合の2って
ちょろっと見た?これすごい短いんだよね
スピーカー 1
ごめん全然見てない
スピーカー 2
ちらっと見てもらうと分かるんだけどすごい短いので
幕合の2と
それから第5章か
第5章が今回は重たいですね
暴力残虐制というところで
ちょっとここに
ゴリッと入っていけると
いいかなと思ってます
で幕合の2がまさに
この章の今の章の最後の
テーマでもあったなんでこんな
善悪の概念にこだわってんだこの人は
っていうところに対する
ある種のアンサーじゃないですけどとして
道徳基盤としての共感
というテーマについて扱います
第5章では今もちょっと触れましたけど
暴力と残虐制ということで
それこそ共感が
戦争だったりとか
そういった大きな悪みたいなもの
を借り立てる原動力になるんじゃないか
みたいな話題に対して
このポールブルームがどう切り込んでいくのか
というところを読んでいきたいなという
スピーカー 1
ところですね
結構これサイコパスに触れてるね今パラパラ見ると
サイコパス診断テストとか出てる
なんかその表が載ってる面白そう
スピーカー 2
いいですねちょっとね僕らも
まさにリアルタイムで読みながら進めているので
このハラハラ感を
来週までどうまとめようかみたいな
このハラハラ感を楽しんでいただければなと
ライブは大事ね
ということでねここまで
ぶち読んでまいりましたけれども
ちょっと最後新聞のお知らせというところでね
カタラジオでは改めましてですけどね
お便りお待ちしております番組の概要欄には
リンク貼っておりますのでね
あとyoutubeからのコメントも
ウェルカムですので質問や感想
あとはお叱りの言葉なので
何でもウェルカムでございますので
どしどしお待ちしております
ということでね
今回の特集はここまでと
なりますけれども
スピーカー 1
もう何かありますか大丈夫ですか?
もうないですね大丈夫大丈夫ありがとう
スピーカー 2
では今日はこの辺で
スピーカー 1
次回もお楽しみに
おやすみなさい
01:20:58

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