今回の特集は「いまこそ、ネガティブ・ケイパビリティ」。3回目の今回は帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』の第3章、第4章、第5章を読み進めて行きます。
前回は「答えの出ない事態に耐える力」を意味する「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念が詩人キーツにより発見され、精神科医ビオンにより再発見されたエピソードを、二人の人生を追体験しながら紹介しました。
今回の第3章では「分かりたがる」性質を持った脳を抱える我々人間が、いかに危うい存在なのか、を紹介。つづく第4章、第5章では概して「ポジティブ・ケイパビリティ」が蔓延している医療現場において、ネガティブ・ケイパビリティが果たす役割について考えていきます。
さぁ、カタラジオの二人と一緒に病棟回診をはじめましょうか!
じっと待っていること、ある?感想・お便りは「お便りポスト」まで
🪟コンテンツ🪟
オープニング:ラグファントム / 特集シリーズ: いまこそネガティブ・ケイパビリティ / どんな本を読むの? / 第3章:分かりたがる脳 / 第4章:ネガティブ・ケイパビリティと医療 / 第5章:身の上相談とネガティブ・ケイパビリティ / エンディング:とある患者さんの話
📻カタラジオとは?📻
ひょんなきっかけで、突如ラジオをやってみたくなってしまった中高時代の同級生の二人。医師と企画者という異色で異職の二人が、新しい「概念」と対峙し、そしてインストールしていく様子をお届けする、概念獲得リアリティ番組です。
🤝出演 🤝
ヤマガミ:金沢在住の医師、不遜な方、ベシャり担当。
ミント:東京在住の企画者、横柄な方、ゆる進行担当。
⛓こちらもどうぞ⛓
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参考文献
00:01
カタラジオ!
はい、よろしくお願いします。
意思と企画者がゆるく語らう概念獲得リアリティ番組、
カタラジオの時間が今週もやってまいりました。
ルシンコのミントと、
ベハリ担当のヤマガミです。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
どうですか?今週はラグくないですか?
いや、最高だよ。このぴょんぽんぽんぽん返ってくる。
ミンティーから返ってくる感じさ。
いやー、このリーバー最後に帰ってきましたよって感じですよね。
帰ってきましたね。いいですね。
トラウマになりそうだよ。
俺、今日最初、ラグなかったのにさ、
ちょっとラグくないって思ってしまったっていう、
俺のもう心理状況が。
そうだよね。なんかあれ、ちょっとやだよね。
あの感じね。
そうなんだよね。
なんか遅れて帰ってくるっていうか、
レスポンスがなんか遅いんだよ。
いや、そうなんだよ。
結構確かにトラウマになるね。
トラウマになった?
あれ、今遅れてないって、
今ちょっといい気持ちしてるもん。
そう、なんかね、
ミンティーが普通にちょっと考えて、
返してるだけなのに、
それがあれこれラグじゃんっていう風に
ちょっと思ってしまうような、
なんかメンタリティができてしまった。
いやー、恐ろしいですね、これはね。
なんかあれだよね。
あのさ、スマホ依存症のさ、
一個のさ、現れとしてさ、
振動してるバイブレーション。
ファントムバイブレーション。
ファントムバイブレーション。
なんかあれに近いね。
ファントムラグ。
ファントムラグだね。
ラグファントム。
ラグファントムみたいなビーズの。
ラグファントム。
ラグファントム。
やばいっすね。
いやいやいや、
それぐらいこの、
なんていうんですか、
タイムラグに僕らは日々ね、
敏感になってるっていうことですよね。
そうだね。
だからよほど上質な収録環境でね、
収録させてもらってるってことですよね、これ。
ルギーこんぼいんこさんじゃないけどさ。
本当ですよね。
これ、もしリバサイの劣化だとしたら、
めちゃめちゃ僕らなんかがっかりだよね。
それやばいね。
それずっとまた収録場所変えなきゃいけないです。
いや本当にこれ以上の収録場所を未だにね、
見つけられてないんでね。
いや本当に最適化よね、
序盤に見つけた、
このリバサイに関しては。
いや本当ですよ。
でもリバサイドもあれだよね、
よくよく思い返してみるとさ、
今やもうスポットファイに買収されてしまいましたけど、
もともとアンカーっていうね、
ポッドキャスター向けの配信サービスというかがあって、
その中で確か紹介されてたんだよね、
リバサイドの。
あ、そうだったね。
そうそうそう、
ここから直接連携したらアップロードできるよ、
みたいな話がありましたね。
懐かしいな。
聞かなかったよね、
このリバサイドっていう名前、
そこで知るまでさ、
なんだこのリバサイドっていうサイトって感じじゃなかった?
名前も聞いたことなかった?
出会うきっかけないもんね。
使うきっかけもないしさ。
ラジオやろうって思わなかった。
結構なかなか触れない、
意外とニッチなね、
ウェブサイトというかリバサイドって。
いやそうなんですよ、
そうなんですよ、
音声を後から上げるなんていうのはね、
レコーディングすることが前提になってますから。
面白いソフトウェアだよね。
そうなんだよね。
いやいや、ということで、
03:00
なんかちょっとビクビクしながらやってますけれども。
いやでもリハビリだね、
今のオープニングはリハビリって感じ、
ちょっとですね、
慣れてきた、
リハビリ通りに最近、
年末に直接会った時の会話感と、
このリバサイドの微妙なラグにも俺ら戸惑ったじゃん。
はいはいはい、ありましたね。
そうそう。
今度はリバサイドがバグった時のラグと、
この正常のラグに戸惑うっていう、
両方向からのラグに戸惑ってるっていう結構ね、
面白い状態になっておりますよね。
確かにね。
確かにね。
これ環境が変わることの、
なんかいい側面かもしれないですね。
全然話がある。
僕、車あるじゃないですか。
車さ、
実家用車になる前、
ずっとカーシェア使ってたんですよ。
隣だとカーシェアを使う人結構多いと思うんだけど、
カーシェアってさ、
その時々で空いてる車を取るから、
毎回車違うんだよね。
あ、確かに確かに。
そうそう。
アクセルの感覚とかブレーキとかハンドルとか、
車体の感覚もそうだけど、
毎回違うからさ、
違うことにアジャストするっていうのが、
そもそも運転し始めのさ、
ファーストステップとしてさ、
完全に擦り込まれていくじゃん。
それをやってると、
楽しい。
楽しいんですよ。
毎回違うなっていうのが前提になるからさ。
はいはいはいはい。
あ、今回こんな感じねとかさ、
あ、今回はこうなのとかってやってくんだけど、
ある時それが実家用車に切り替わった瞬間に、
そこにさ、最適化していくじゃない。
過適用みたいな。
あー、はいはいはいはい。
そうそう。
そうなった状態で他の車を乗ると、
全然うまく乗れないみたいなことがあって、
なんかこう環境が変わらない?
固定化してしまうことによる、
なんかこう弊害もきっとあるんだろうなっていうのはね、
今回のこの事件によってなんかこう明らかに。
あー、車に関してそれを感じたことはなかったわ。
むしろなんかね、
カナダだと結構車で飲みに行って、
帰り代行で帰るってことが多いから、
代行業者の方が、
自分の車で運転とかをなかなかできなくて、
プロならすっかりどこでアクセル掛かるとか、
覚えておかないかいって思うことあるけどさ、
なかなか難しいものなんだね。
いやー、そうね、確かにね。
そうそう。
例えばね、国産車と外国車でもさ、
ウィンカーの位置が逆だとかってのもよくある話ですよね。
そうそう。
それはあるよね。
でも結構ブレーキの感覚とかも、
アクセルの感覚とかも、
よくよく乗ってみると全部違うんだよね。
やっぱりね。
そうだわな。
浅いとか深いとかさ。
同じ車種でもなんか個体騒ぎそうだもんね。
いや、そうね。
全部同じ車なんてないもんね、絶対。
うん、そうですよね。
そんな話もありますけど。
だからちょっとね、環境が適宜変わっていくというのは、
実はね、意外といいことなのかもしれないですよね。
我々が適応能力高いか低いかはね、
もうアップロードされてるのかな。
ラグっていう、語らずショーツ。
聞いていただければよく分かると思いますので。
確かにね。
一つ前のショーツですね。
そうだね。
このラグ環境に適応できているかどうかをちょっとね、
検証したショーツになってますので、
こちらも面白いのでぜひ聞いてみてください。
ぜひぜひよろしくお願いいたします。
はい。
06:02
さてここから特集でございます。
はい。
新年一発目の特集ということですけれども、
今回のシリーズ特集では、
今こそネガティブケイパビリティということで、
今回シリーズ3回目の収録ですかね。
そうですね。
やっていきたいと思いますけれども、
今回のシリーズは、
このタイトルにもなってます。
ネガティブケイパビリティということですけれども、
答えが出ないこと、
どうしようもない事態に耐える能力、
これを指すですね、
ネガティブケイパビリティという言葉があるんですけれども、
日本語に訳してね、
負の概念みたいな役になるかなと思いますけれど、
この概念を獲得すべく、
一冊の本を通じて、
この概念に向き合っていきたいなというシリーズでございます。
毎度僕らお馴染みですけれども、
一冊ね、テーマになる本を決めて、
これを読みながら、
概念を獲得していこうということで、
今回ね、僕らが読んでいるのは、
博家であり精神科医でもあります、
ハハギギホウセイさんという方が書いた、
ネガティブケイパビリティ、
答えのない事態に耐える力、
こういうタイトルの本があるんですけれども、
この本を取り扱っておりますということですね。
いや、3回目ですよ、山岸さん。
いや、もう3回目か、早いな。
早いね。
でも今回さ、全部で、
実は10章あるじゃない、今回。
10章あるからさ、ちょっと山が高いかなと思ったら、
今日ね、もう5章までいきますからね。
ちょうど折り返しです。
今日一気に3つ進むもんね、今日ね。
そうなんだよ、そうなんだよ。
いやいやいや、楽しみなところでございます。
ちょっと簡単にね、
なぜネガティブケイパビリティなのかみたいな話に触れておきますと、
この概念をね、ちょうど今年の年始、
新年初っ端の収録で、
どうするかたらしをということでね、
どっち方向のテーマについて
僕ら触れていくべきなんだろうかっていうこと自体を
そもそも考えるみたいな回があったんですけど、
その中でね、またまた出会った概念として、
ネガティブケイパビリティというものがあって、
すごく震災があったりとか事故があったりとか
いろいろありましたけれど、
それを乗り越えて、あるいはそういう事態に対して、
じっくりと向き合っていく態度みたいなね、
そういったアティチュードがインストールできるといいんじゃないかな、
みたいなところからね、上がってきたのがこのキーワードでしたよと。
そんな流れで3回やってきたわけですけれども、
ちょっとあれですかね、
簡単に振り返っておきましょうかね、前回。
そうですね。
ボリューム1、初回ですけれども、
第1回目の収録では、
僕らね、もうお馴染みになってますけれども、
この本を読むことにしたきっかけの確認と、
本の冒頭の始めにを読むだけの回というのを毎回やってますけれども、
これを初回ではやりましたというところですね。
この回ではあれだね、ネガティブケイパビリティという概念が、
どういったところを捉えようとしているのか、
どんな射程を捉える概念なのかみたいなことを、
09:00
ちょっとざっと触れていったかなという感じでしたね。
というのが初回。
で、前回のボリューム2では、
1章と2章を読みましたけれども、
この2章を通じてね、
ネガティブケイパビリティという概念を発見した
詩人であるキイツさん、
そしてネガティブケイパビリティという概念を、
医学の文脈で再発見した精神科医ビヨンさん、
この2人の人生を追いかけながらですね、
この概念の出自みたいなところを追ってきたよというところでしたが、
これ面白かったですね、前回ね。
面白かったね。
これまさに概念獲得リアリティ番組、
カタラジオの概念獲得リアリティ回と我々は表していましたけど、
まさにこのキイツさんとビヨンさんという2人の医者が、
ネガティブケイパビリティという概念を獲得していく様を
追体験するという回でしたよね。
本当でしたね。
僕ら自身がネガティブケイパビリティという概念を獲得していく様を、
今多分皆さんに聞いていただいていると思うんですけど、
それ以前にね、もともと発見した人たちというのも
この概念を獲得した瞬間があったわけだから、
そこに向き合おうというような回だったわけですよね。
なかなかこれまでないタイプのショーだったかもしれないね。
面白いよね。
だからキイツさんがネガティブケイパを発見して、
ビヨンさんがそれを再発掘、広めて、
我々がこのネガティブケイパに関して何をするかというところを
また問われているかもしれないね。
確かにね。
しかもこれ面白かったのはね、
キイツさんがこの言葉を使ったのは実はね、
最後の手紙の本当に一回だけなんだよね。
そう、弟に向けた手紙の一回だけっていう、
それを170年後にビヨンさんが再発掘したっていう奇跡だよね。
いやそうなんですよ。
しかもビヨンさん全然詩人と関係ないし、
精神科医としての文脈で拾ったっていう話で、
これもあったんで、面白い話でしたね。
そう、しかもさらにさっきからの患者さんと
いろいろ対話を深めていく中で
ネガティブケイパって概念を互いに深めていくっていう、
そういうやり取りもあって、
ちょっとネガティブケイパが広まっていく様を、
我々次第的にできたんじゃないかなって感じですよね、2章は。
確かに確かに。
ノーベル文学賞を取ったベケットさんだったかな。
ベケットさんだね。
そうそうそう。
あれ面白かったですね。
そういう対話の中で概念を獲得していくっていう様を
見てきたわけですけれども、
今日どこ読むのかというところですが、
今ねちょっと2章まで来たよというところだったので、
改めてちょっと目次をざっと見てみますと、
今回全部で10章あるんですけど、
今前回ボリューム2までで2章まで読めましたというところで、
今回読むのが3章から5章ですと。
で、第3章これが分かりたがる脳というタイトルですけれども、
いよいよね脳の話にやってきましたね。
そうだね、なんかこう気持ち感があるというかさ、
毎回の特集で脳に立ち戻るっていうフェーズがあるからさ、
また今回このフェーズが来たかっていう感じですよね。
確かにね、そのメカニズムを知ろうと思ったときに、
やっぱり脳に戻らないといけない瞬間がやってくるんでしょうね。
12:02
概念を獲得するってことは脳は切っても切り離せない関係なんだよね。
確かにそうかもしれないですね。
このね、ちなみに分かりたがる脳では、
分かるってどういうことなのっていうのが結構テーマになってくるわけですよね。
分かるっていうことについて考察をしながら、
なぜ人の脳は分かりたがっちゃうのか。
そういう分かりたがるっていう脳のスタンスに対して、
僕らどういうふうに応じていくべきなのか。
みたいなことについて考えるのがこの3章ということですね。
まず一旦ね、分かるメカニズムを把握した上で、続く4章。
これはタイトルがネガティブケーパビリティと医療ということでですね。
これちょっとビヨンさんもまさに精神科の文脈で引っ張ってきたよってお話でしたけど、
今回著者のハーキガホセさんも精神科医ということで、
医療文脈にネガティブケーパビリティを持ってくるにはどうしたらいいのか。
ということで、さまざまな実例を交えながらですね、
どうやってネガティブケーパビリティが活用されていくのかというところに迫る章になっているというところですね。
最後第5章ですけれども、ここは少し軽めの章なんだけれども、
タイトルは身の上相談とネガティブケーパビリティということで、
著者のハーギーさんご自身も精神科のかつ会議用意としてね、
多分お仕事されてるのかなっていうその日々の診療の中からですね、
身の上相談というキーワードが出てきてますけれど、
精神科として日々患者さんと向き合うそのプロセスが限りなく身の上相談に近いよという話をですね、
実例を交えながら教えていただけるというところなんですが、
まさにそのアプローチそのものがネガティブケーパビリティなんじゃないのっていうような、
そういう示唆に飛んでる章になっているよという、
全3章を今日はね読んでいきたいなというところでございます。
どうでしたか全部ざっと読みました?
今日は。
今回はもう読んできましたよ。
読み読まわせないから大丈夫。
読んでない本について読まずに語ってみたわ。
基本的にこの収録ではしませんのでご安心ください。
いつもねワードで読んだ内容まとめてくれてるんでね。
そうそうそう。今回はでもねやっぱり
母切先生がドクターってこともあり、やっぱりすごい自分にナイフを突き立てられてる感覚というか、
自分の心療スタイルだったりに、すごいお前それでいいのかっていうのを先輩医師から語りかけられてる感覚で、
ちょっとね背筋が引き締まる思いというか、そんな感じで僕読んでましたね。
今回あったような末期患者を見とるとかさ、
がん患者を見るとかそういった状況も俺なくもないからさ、
なるほどねっていうこれはちょっといろいろ考えることがあるなっていうような感じでしたね今回。
なるほどな。なんか前回チラッとねお話ししてくれたけど、
循環器という分野というのはさ、特にさ、ポジティブケイパビリティの権限みたいな判断が求められるって話もしてたじゃないですか。
15:06
そういった話と今回の話がどういうふうに対比されるのかみたいなところね、ちょっと興味深いところではあるよね。
まさに前回俺が話したようなことがブーメランになって帰ってきて首に刺さってるような、そんな収録になってるなっていう、なるんじゃないかなっていう今回は。
その山場はまさに今回で言うと第4章ですからね。
医療との絡みというところな。
そうなんですよね。
じゃあ早速中身読んでいきましょうかね。
では早速本編入っていきたいと思います。
まず最初が第3章の分かりたがる脳ということですけれども、これ結構切り口として面白い入り方だなと思いましたね。
なんか最初さ、実はビヨンさんの引用から始まるんだよね、この章はね。覚えてます?
ポジティブケイパな教育を受けてきてるけど、それを後押ししてるのが教育者じゃなくて人の脳だっていうところだっけ。
そうなんですよそうなんですよ。そういう議論から始まるんだけどさ。
ちょうどさ、ネガティブケイパビリティ養うのってなんだっけみたいな話題から入るんですよね、この章ね。
ネガティブケイパとは何みたいな話でさ、記憶がない、理解もない、欲望もないみたいな状態っていうのがさ、ネガティブケイパビリティを培うよりはすごい大事だみたいな、結構大きなテーゼから入ってくるなっていうのが結構印象に残ってましてですね。
記憶、それから理解、欲望みたいなさ、その三つの概念って実は全部さ、教育で獲得しようとしているものそのものなんだよね。
そうなんですよね。
近代学校教育でね、教えられることだよね。
これはさ、教育と逆なんだけど、別に教育が求めてるからこれが必要だって話なわけでもなくて、山上くんがさっき指摘してくれた通り、これを施行してるのは人の脳であるよっていうのがですね、最初の切り口になってるわけなんですけれど。
これどうですか、もう思い当たる節はビンビンなんじゃないかと思いますか。
いやビンビンだよ、そりゃもう、むしろ俺らはポジティブケイパーな教育を受けてきたって話を前回か前々回の収録でしてきたけど、これは教育じゃなくて脳が人間の性質に割と沿ったような教育だったんだって考えたら、一概に教育システムだけを攻めるのもよくないなっていうふうに思ったね。
まあそうだよねそうだよね、何ならわかることっていうのがやっぱ大事なわけじゃないですか、何か知識とかがあるとかね、理解しなきゃいけないみたいな、なんかそこに対してそれを克服するっていうのもなんか不思議な話だけど、そういうことが必要なんじゃないのっていう問題って日から入るということなんですが。
ビンピンは昔さ、分けるっていう言葉がさ、分割するってことから来てるよっていう主体的な言葉だよっていうふうに言ってたじゃん。
その時点で、このディバイド、ディバイド的なのがインディビジュアルだみたいなくだりから、分けるって言葉自体がもう結構主体的な言葉になってるっていうふうに言ってたけど、
18:02
それがだからもうネガティブ経過ともう逆になってんだなっていう、もう分けるって言ってる時点でもう耐える、理解しなくていいやって姿勢とはもうすでに真逆になってるなって、だからわかるって概念はやっぱネガティブ経過とは逆なんだなってことをちょっともう言葉の成り立ちから感じたっていうのがあったね。
なかなかシンクった話題から入ってきましたけど、あれっすね、これなんか面白かったのはさ、その人の脳がどうまず感じるかみたいな話があったじゃない。で、そこでさああったのはさ、わからないっていうことがやっぱりどうしても不安とくっついちゃうっていう指摘がありましたよね。
ああ、あったあった。
その通りだよなと思いながらいたわけですけど、どうですか?わからない場面置いとくってさ、実際できます?
できないね、実は。言った通りミスったらポジティブ経過なんで、俺はもうすぐに解決しようとするし、しかもわからないまま置いとこうってじゃなくて、後々いついつまでに解決しようとか、いつやろうっていう日程を設定するから、結局時間差ポジティブ経過みたいなことはするけど、ネガティブ経過はしてないね、あんまり。
なるほどね、なるほどね。
不安だよね、やっぱね。
そうね、確かにね。不安なんですよね。これがさあ、人に固有のものなのかみたいな話でいくと、実はそうじゃないよっていうのがね、この3章の冒頭で明かされるわけですけれど。
ああ、そうそうそうそう。
それこそ精神科医も使うのかな?セラピー犬っていうのはいるんだってね。これ僕はあんまり知らなかったんですけど。
いる。俺もあんまり知らなかった。うん、いるんだね。
いるみたいですけど、この犬もさあ、よく人のことがわかるんだって言うんですよね、このハーゲキさんは。で、そういう状況を見るにつけても、わかるっていうのは実は全ての動物に共通する根源的な欲求なんじゃないかみたいな話があって。
このわかるためにはやっぱり記憶が大事だと思う。で、面白いのはこの記憶の中には本能的な記憶、本能とそれからいわゆる経験に基づく記憶って2つあるんだみたいな話があってさ。で、経験の方はあんまり理解しやすいと思うんだよね。
こういうことがあった、だからこれを覚えておこうとか。あ、湯気が出てる夜間触ったら暑い、だから危ないんだと思っておこうみたいなさ。そういう記憶、経験に基づく記憶みたいなものもあれば、一方で本能も実は記憶だっていう指摘をしてて、ハーゲキさんはね。
これ面白かったね。
これ面白い。本能は進化的に獲得された記憶なんだみたいな話があって、これはなるほどなって感じでしたね、猫はね。
確かにこれはすごいロマンがあるなって思ったんだけど、このハーゲキ先生は種の記憶と本人が獲得した記憶は、本能のことを種の記憶っていうふうに呼んでて、後天的に得た記憶のことを本人が獲得した記憶って呼んでるけどさ、結局種の記憶って何かっていうと、結局その種の記憶の正体を俺たちは説明できるわけよ、進化論で。
発端の種が出現して、発端の種の一つの記憶がその高度に環境に適合的だったから現在まで残ってきたわけじゃん。
はいはい。
ってことは、俺たちが今獲得した記憶がさ、数千年後には種の記憶になってるかもしれないって考えた猫ロマンがあるなっていう。
21:04
いやあ、そうなんだよね。そこはそこでめちゃくちゃ面白いんだよね。
そうね。確かに。
何千年万年前にご先祖様が行った一つのアクションが種の記憶として我々にね、引き継がれてきてるっていう風に考えたら結構面白いなって思ったりしてます。
面白いですね。なんかその本能みたいなさ、生物的に組み込まれた記憶の一つのパターンってあると思うんですけど、ここでハーキーさんが一個指摘するのは人間の中でユニークな記憶って何なのって話になっていくわけですよね。
そこで登場するのが記号っていう概念が登場するのだと。
出てきましたね。
記号も実は僕らのラジオの中でも一個重要なテーマの一つではあるんですけど。
シギフラのシギフェですよね。
ですね。人間にとってユニークな記号っていうのは何で生まれたのかっていうと、記号を介して何かを記憶するっていうのは人間の脳にとってめちゃくちゃ効率的なんだという話がありましたね。
例えば文字は代表的な記号だけど文字を通じて物事を理解したり記憶したり、あるいは図形を通じて記憶したり、もうちょっと複雑なものだと地図みたいな概念図を使って物事を記憶したりみたいな、そういうプロセスの中で人間は記号を発展させてきたんだよみたいな、そういうくだりがあったのが、これは結構今回の特集の中で面白いところだなと思いましたね。
記号っていうのは分かるための結局デバイスってことなんだよね。
分かるために我々が作ったそういうツールなんだよね。
そうなんだよね。
このじゃあ何を分かるために記号っていうのは発明されてるのかっていうと、これは一つは全体をつかむっていう話があったりとか、あるいは法則を見出すみたいな話があったりとか、単純に1対1対1でこれってこういうことだよねみたいな単純な理解じゃなくて、もうちょっと複雑的な複合的な事柄を理解するために必要なのが記号なんだと。
そういうことを萩さんは言うわけですよね。
というのがこの章の入り口で描かれるわけですけど、なんか僕らの関心がありそうな領域にちょっと隣接してるなみたいな話から入ってくるわけですが、その権限として槍玉に上がるのがマニュアルなんだよね今回ね。
マニュアルになれたのってのをまずこうディスることから始めなんだよね。
そうなんですよ。これは一般的に言うとマニュアルってネガティブな評価も一方であると思うんだけど、マニュアルって必要なものだよねみたいな理解はなんとなくあるじゃない。
この本の中でもわかりやすさの最大の便利帳みたいなキャッチーな言葉で表されてましたけど、マニュアルっていうのは基本的にはわかりやすいものだし、誰がやっても同じような結果が得られるよみたいなことを得る上で大事なツールだよね。
多分これってさ普通にさあの前なんか不老チャートみたいな話が出てきたけどさ診療の現場でもさある種マニュアル的なプロセスって絶対あるよね。
24:03
全然あるからもう医学現場はそんなもんばっかだよ。もう常に医者はポケットの中にマニュアルを200個か300個くらいこう家でマニュアル帳持って歩いてるからさ。
白衣のポケットに大量に詰めて。看護師とかもそうだし、医療現場はねもう壁にマニュアル貼ってあるからさ。ポンって人が倒れたらどうするかみたいな。そういう現場で働いてるんですよ我々は。
だからもうチクタクチクタクロジカルにさAかBかみたいなことを判断し続けていくみたいなそういうプロセスなんだよね。
だからまさにねあの慣れてくると本当何も考えなくてもね朝から夜まで何も考えなくてもマニュアル通り動いてれば最悪現場は回せるみたいな感じじゃん。
いやそうだよねそうそうそうだからなんか僕もそういうことを思い描きながら言ったからいやむしろ医師にとっての診断ってマニュアルに従ってこう判断することじゃないみたいな。
まさにまさに。
そうそう。
そうなんだよね。でただここに対してそうハーキーさんはいや弱点もありますって話をするっていうところがこの本の転換点なわけですよね。
これ面白いのがこのマニュアルっていうのは接客の例が挙げられてるじゃん。
接客マニュアルっていうのがあってその接客するときのマニュアル通りに接客してるといざちょっと変わった事態が起きた時に対応できなくて本当の接客マインドが消失してしまうっていうふうに表現されてたけど
これまさにこの医者の世界でいうとガイドラインってものがあるんですよね。我々の医者の世界で。
例えば心筋梗塞になったときはまず何をするかカテーテルをします。次は何を取ります。薬はこれこれこれを入れますっていうのが全部フルワークチャットで決まってこんな検査をしてこんな治療をしますっていうガイドラインってものがあって全部の病気についてあるのよ。
だから究極に日本語さえ専門用語さえわかれば資料とかにても一応患者を治せる何をするかわかるようなそういうものが公開されてるんだけど。
それに従って治療を行うことをエビデンスベースとメディションEBMっていうふうに言って我々は基本的にEBMを実践しないと保険診療ができないっていうそういうふうに決められてるわけよ。
基本的に医者もガイドライン通りにやればいいんだけどやっぱり患者さんもいろいろいるからガイドライン通りの一筋縄ではいかなくてガイドラインってのはいろんなデータを集めて検証した結果の集まりなわけで全患者にそれが当てはまるわけではないのよ。
だからそこを忘れてガイドライン通りにやっちゃうと悪い結果になっちゃうような明らかになっちゃうような患者さんにもガイドライン通りの治療をポッとやってしまう脳筋的な医者がいるわけ。そういうのが多分このマニュアルに慣れた脳というか接客マインドが消失した状態なのかなっていうふうに思った。
なるほどね。だからそのケーススタディというかそこで想定されているケースだったりとか事象に100%当てはまってるならば一定ワークはするんだろうがそこから逸脱する事例だったりとか直接的に書かれていない事例みたいなことに出会ったときに脆いというか弱いみたいなそういう感じなのかね。
27:06
例えば統計でデータ取ってるわけだけど要はハズレつきの人には対応できないだったりとか。要はガイドラインってだいたいこの80歳までの人を扱ったりしてるから90歳の人が来たときにその人に対してはもう個別会議をするしかないという状態なんだけどその人にも80歳までで取ったデータを当てはめちゃったりするみたいなそういうそこが起こっちゃうっていうのが面白いとか。
なるほどね。例えば正常とされる基準値がちょっとずつずれていったりするようなものがある年齢を境にちょっとパーンと外れちゃったりとかそういうことだよね。
そうそうそうそう。そういう人にも正常な人間だけであった今20歳から80歳までの平均で取ったデータを90歳であったり10歳の人に当てはめていいんですかっていうのがガイドラインが弊害だったりするわけ。
面白いですね。みたいなマニュアルに慣れた脳っていうものをこのハーキーさんは批判しているわけですけれど、そのねあのなんというか象徴的な事例がピロリ菌の発見というところで出てきましたね。これどんな事例だか覚えてます?
これあれだよね。ピロリ菌っていうのはヘリコパクターピロリっていう菌なんだけどこれ日本人の二人の一人が家にいるんですよ。ミーティも調べたほうがいいと思うんだけど何かというとこれがピロリ菌っていう菌がいると胃がんになりやすいの。胃がんになるリスクが上がっちゃうから見つけなきゃいけないんだけどこのピロリ菌何が厄介かというと菌っていうのはいろんな環境で生きれるんだけどさすがに胃酸の中では生きれないってされてたの。
なんでかというと胃酸ってめちゃくちゃ共産性ですごくこう生き物にとって過酷な環境だからこんなところに菌がいるはずないじゃんっていうふうにもうみんな医者だったり研究者がもう思ってしまってたから胃カメラとかしたときになんかいるんじゃないっていうふうに言う人もいたけどいやいやそんなのもうゴミでしょとか見間違いでしょっていう風に流されてきてたわけよ
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ
なんかそういうことじゃなくてねこれはね
そうそう専門家が言ってるんだから言うわけない患者さんがまさかピロリ菌しなくてって言うわけないし
誰も気づかないっていうそういう状態になってで結局誰か疑って見つけたんだけど
そのみんながそういうふうに菌がいるわけないじゃんって思ってるせいでピロリ菌の発見がめちゃくちゃ遅れましたよっていう
日本の世界の医学にとって大きな損失がこのバイアスによって生まれてしまったよっていうのが
この画一的思考が遅らせたピロリ菌の発見っていうエピソード
30:01
なるほどなるほどそういうことですね
そうかそうかだからそのマニュアルというものがなんかある種その世の中で起きている事象をすごく
あの単純化して捉えるようななんかそういうものになってるってことなんですねここで言うと
そうそうそうだからどういうふうにマニュアルが生まれたかみたいなとこまでこう
札に思って考える櫛をつけないとこういったミスが生まれてしまうんじゃないかっていうふうに俺は思うんだけど
なるほどねでも逆にさマニュアルを作った人も一方でいるわけだから
それはそれで開拓されてきてるわけだもんねこれまでの歴史の中でね
そうそう逆にだからマニュアルを作るのはどんなかというと
俺がこないだ書いた論文みたいなこういう遺伝子の異常がありますよっていうのを
誰かが目に留めてじゃあその遺伝子異常から薬作ろうよってその薬が効いたら
その薬がどんどんマニュアルになっていくっていうそういう感じで出来上がっていくんだけど
こうせえ薬のガイドラインだけ見た人はその山神が遺伝子をこうこう研究したって
背景を知らずに薬だけ使うみたいなそういう状態になっちゃうっていうのが
悩ましいとこだよねじゃあ毎回毎回考えてたら適切なスピードで処置できるかってそういうわけでもないからさ
いやそうなんだよ
要法要領を守りくださいみたいな世界の
いやまさにまさに本当に本当にそういうことですね医者側も要法要領を守らなきゃいけないということなんだよね
みたいなことをちょっと茶化してこの医者は創始からの引用で混沌っていう神様がいるんですけど
この人の話めちゃくちゃ面白かった
この話俺どっかで聞いたことある国語の授業かなんかで聞いたことあるな
はいはい混沌っていうのがまず神様の名前なんですよね
混沌には目も耳も鼻もないんだよね
ただこの混沌は他の神様を呼んでご馳走を振る舞うんだよね
でも南の神北の神
そうそうご馳走を振る舞えるのはなんでなのかとかよくわかんないんですけど
そういった話を聞いといていろんな神様がやってきてご馳走を振る舞ってくれてありがとうって言ってじゃあお返しを送れよって言って
目と耳と鼻を送るんだよね目と口の鼻か送るんだよね
それでこう穴を開けて目をこう形作ってとかやってる間にこの混沌が死んじゃうっていうすげえシュールなストーリーが乗っかってるんだけど
これ面白いよね
これは何のメタファーなのかっていうと生き過ぎた知性が何かを殺すぜっていうメタファーとして
この創始の時代からこんなことが言われてるってすごいよねさすがこの古代中国というか
面白いよねこの事例は文脈とどれくらい合ってるのかよくわかんないんだけどすごい印象に残ってましたね
本当に本当に
という中で知性によって物事を理解するみたいなことにどれくらい可能性があってどれくらい限界があるのかみたいなところがね
もうおそらくこの章で言いたいことなんだろうなということがなんとなくわかってくるわけですけど
一方で神経心理学者の山鳥先生かなっていう方のコメントを引用しながら理解にもいくつかパターンがあるんだという話がですね紹介されるわけですよね
33:06
理解つまりわかるということについて2つのパターンがあって一つが浅い理解
これはどういうことかっていうと浅い理解だからしょうもない理解なんだろうって話なんだけど
我々が比較的理解はこれだろうと思っている大半のものはこっちに分類されるんじゃないかなと思うんですけど
重ね合わせ的理解っていう言葉で言い換えられてるんですけど
例えば今のフローチャートを通じて理解するってまさにこの一種だと思うんだけど
教科書みたいなものを読んでこれってこういうことなのねって現実の事象と対応関係を理解して重ね合わせてわかりましたっていうタイプの理解だよね
これ多分学校でやる大部分の理解ってこっちだよね
そういうことだそういうことだ
っていう理解を浅い理解というふうに呼ぶんだと
もう一個理解があって浅いの対義語ですけど深い理解というものがありますよ
これは山取先生曰く発見的理解であるということなんだよね
これは既存の理解っていうのはつまりある種教科書的なものであって
教科書っていうものはこの発見的な理解には役に立たないんだというふうに言うんですよね
これ具体的にじゃあどういうところでこの発見的理解が必要になるかっていうと
例えば自然を理解しようと思った時に自然にはおそらく何かしらの法則があったりルールがあったり物理法則によって駆動したりすると思うんだけど
それを誰もどこにも明文化してくれているわけじゃないから探索的発見的に理解せざるを得ないというようなことが出てくるわけですよね
この時に使えるのは過去の事例やマニュアルや教科書じゃなくて
自分の己が立てた仮説でしかこれを理解することができないんだと
これを通じて理解するものが発見的理解なんだみたいなことですね
はいはいはい面白いよね
これ思ったのが今ミンティが重ね合わせの理解は学校教育でよくやるって言ってたけど
特に理系と言われる人たちに多い気がするこの重ね合わせの理解っていうのはね
我々理系と文系って深いところでは違うんだろうけど
我々がよく口にする程度の学校教育レベルの理系と文系っていう分類でいくと
理系はよく考えるとか文系は暗記であったとかいうふうに言われるじゃん
それ本当かと思ってむしろこの重ね合わせの理解っていう意味で考えると
理系こそポジティブ経過で文系こそネガティブ経過なんじゃないかなっていうふうに思ったのよ
だからちょっと現代の学校教育に提言したいんだけど
むしろ理系こそ研究者として体制するためには文系的なネガティブ経過が
必要なんじゃないかってことを一時研究者として思ったスリラでございます
なるほどなるほど面白いですね
だからつまりもしかしたら文系それこそ歴史だったりとか世界史日本史みたいなところは
もしかしたら暗記科目団みたいなふうに見られてる可能性もあるかもしれないけど
36:01
むしろ理系の方が公式を覚えてそれをパターンにおいて適応するみたいな
比較的当てはめ型の重ね合わせ型の理解をして
むしろ歴史の読解の方がよっぽど発見的な読解を要するかもしれないみたいなね
そういう指摘ってことね山上くん
そうそう理系を考えたら気になってるけど実は
文系のこうなんでこういった歴史事件が起きたかっていうふうに考えることの方が
ネガティブ経過なんじゃないかなっていうふうに思ったということだ
確かにですねだからその理系的な問題を解くときに
ちょっとこれ以前もチャットGPTみたいな話が出たけど
もしかしたら数学的な問題はさやっぱりコンピューターは解きやすいじゃない
ロジックがそこに当てはめたら答えパーンって出ますよみたいな問題で解きやすいけど
そうじゃないこうなんか読解が必要だったりとか文脈理解が必要だったりとかってなると
やっぱりちょっと機械には解きづらいよねみたいな話があるっていうのとちょっと似てるかもしれないね
まさにそうだね重ね合わせ理解が機械でもできるってことなんだね
機械がまさに得意とする部位なんてことだよね
そうだよねそうだよねだからチャットGPTも過去の大量の統計的なデータを処理しながら
要はどの事例に一番近いかなっていう重ね合わせを人間にはできないぐらいの規模でやってるから賢そうに見えるってそういうことだよね
そうそうそう究極の理系ってことだね
まあそう究極の理系で文系を克服したみたいなことだねすごい気がかしてますけど
つかない技だね
今みたいな話実は結構次の話題にさ重なる部分あるなと思ってて
ああそうだねそうだね
音楽と絵画に分かりたがる脳っていうのは音楽と絵画に戸惑うんじゃないかっていう指摘が今度は筆者から出てくるわけですけど
ここでいうこの分かる分からないみたいな話結構僕も思えたりとかあるなと思ってて
例えばさあの著名な現代美術の体感みたいな人のさ絵を見た時にさ
この絵が分かる分からないみたいなコメントを言いがちなんだと思うんですよ多分人類
何が書いてあるか分かるとか何を表現しようとしてるか分かるみたいな言い方をしてしまうんだよね多分ね
それはナンセンスなんじゃねえのっていう指摘をしてるのがこの3章の最後に書いてる最後じゃないかちょっと手前に書いてるところですけど
これクラシックが分かる分からんみたいなことをこの人は例に書いてるよね
書いてあるね
それで分からんとか分かるとかっていうのはナンセンスじゃね分かるんじゃなくて味わうでしょみたいなことを言ってて
それだけ見るとそんなもんかって思うけどここまでの文脈を踏まえてみると確かになっていう感じがしてきますよね
これはね俺がピンときたのがこの人の例で晴れた日の山頂からの景色を見て分かったという人はいないはずです
なるほどって思った
これすごいいい例だったよね
そうそうそう
だから人間の作ったものに対して何か意味があるって勝手に思っちゃうんだけど
自然とかを見たときにそれを分かるか分からないかみたいなことを言うのはめちゃくちゃナンセンスだっていうことを言ってるんだよね
そういうことだね
これは確かに面白いなと思いましたし逆に言うとその景色はもっと味わっていいじゃんみたいなことをここでは言ってるんですよね
39:07
これ俺まさにすごくピンときた例があってこれショーツでも収録したけど全感覚祭の話をちょっとしてもいいですか
そうこれここに書いてあるのがもともと音楽は分かることなど前提としていませんっていうふうに書いてあるわけよこの記載にね
で俺その全感覚祭の感覚がまさにここに表現されてて俺はあの全感覚祭で何をしてたかというと分かることを拒否してたんだよね
はいはいはい
でこの本の表現から言うとあの川崎のつより公園で感じた感覚こそがこの自分が閲覧と進化した喜びであったっていうことだ
なるほどなるほど
ここに書いてあるじゃん
ありましたね一段進化した脳の喜びを味わっている
そうそう分かること拒否した上でさらなる高みの感覚にいったことを感じるのが自分が一段と進化した喜びを味わっているって
俺はあのつより公園で自分が進化した喜びを味わってたんだってほんまに
まさにだからさ分かることなんて前提とされていなかったあの祭りで
季節して俺は割とあの祭りに正しい向き合い方してたんじゃないのかなってちょっとこの本読みながら感じます
話を聞けば聞くほどそうだなって気がするよね
だからよくなんかそれこそさあの音楽の中でもさ難解な音楽みたいなことをさ言ったりするじゃない
あいうねそういう表現あるよね
めちゃくちゃダサい表現だよねつまり
確かにね
難解とか分かるつもりで作ってねえしみたいな
解くこと前提としたコメントはやめろよって言うんすよね
いやそうそうでもなんかこの今のさ難解とか分かるとかって話の下りで思い出すのはさ
あの前回の収録で出てきたベケットさんがさ演劇にさ自分の書いた作品を転換する時にさ役者がさここはどういう意図でこういうコメント言ってるんですかわからないんですけど聞いたら書いてある通りに言えばいいんだよみたいなさ回収したの覚えてる?
覚えてる覚えてる
あそことかはまさにさその分かるっていうことをさ拒否してるっていうある種の一つの姿勢の表れだよね
そうだね芸術はだから分かることを拒否するっていうところにこうたどり着くのが真の真のって言ったらおかしいけど芸術の一つの側面なのかもしれないね
まあ少なくとも脳の進化した喜びを感じることができる
そうだね
いやいやいやっていう話がありましてここから最後ちょっとね逸話みたいなところが出てくるんですけどこれ面白かったねあの黒井さんという方の随筆知りすぎた人っていうのが紹介されてて
これもうこの書の最後ですけどなんかあのあるね大学教授にさいろんなことをこの黒井さんって方が尋ねるんだよねエッセイションとかね
で尋ねると大体あらゆるその質問に対してパッと答えちゃうとでそのやり取りを何往復かした暁にこの黒井さんが言ったのが
何を聞いても知らないものがないからつまんないっていうコメント残してそれを随筆としてこの人は落とし込んでるわけですけどこの感覚はなんか
わかるなと思っちゃいましたねこれはねつまり困ることがないというかさこれってのはこういうことなんですよ理解してるように見えるんだよねその尋ねた大学教授は
42:06
でもそのこと自体に何かしらこう味わいを感じなくなってしまうみたいな
要はだからミンティがさ語らずよチャット随筆としてでも全然面白くないっていう風に
一周年企画の時かなそれ山上であったら面白いという風に言ってくれてたけどそれはチャット随筆では答えを返すことには積み重ねの理解から答えはすぐに返しちゃうけど
俺は答えを返せないからってそこの差だって言ってたけどまさにそれのことじゃない
いや本当だね確かに確かにそうだねそうだね
分からないという答えが一つのコミュニケーションになりうるんだみたいななんかそういう面白さまではやっぱり踏み込めないんだよね
そうだねそうだね
いやそうなんですよでこれ最後に締めくられてるのが哲学者の引用とそれかビヨンさんの引用で2つ引用があって答えは質問の不幸である
これ哲学者のブラウンショーさんの答えは質問の不幸である
文法合ってるって感じなの
質問の不幸である
まなんかこの答えとか質問が一般的に使われる文脈で考えると間違ってそうに聞こえちゃうね
いやこれ面白いねこれちょっとめちゃくちゃ僕好きだなと思う
答えは質問の不幸である
いや俺も好きだ
ヤバいです 声に出して読みたい日本語だよこれ
これ何回読んでもうんうんってなる
そうそうそうそう分かるよ
答えが不幸であるってすごい定義の仕方ですよねこれはね
そうだね
だって答えってのは質問のために用意されたものっていうかこの言い方もおかしいけど
答えは質問のついて言うなら幸福というか質問の後に用意されているものであるじゃん
質問は答えを要求するものだってみんな思ってるね
そうそうそうだから質問の定義ががらりと変わってしまうよねこの言葉によって
そうだねでもなんかこのラジオのことを思い返してみると
これって何なんだろうねとかこれってどういう意味なんだろうかって僕らが言ってる時に
全くその答えを求めてない瞬間って結構あるじゃないですか
あるある問いね問い
問いそうそう問いと言ってその質問っていうものをさなんか
QとAみたいな感じで考えると一体値対応しないといけないのかと思うけど
純粋に問いなんだよね問いっていうものが問い単体として成立してでいいんだみたいな
ことをちょっと言わんとしてる言葉でこれちょっといいなって思いましたね
これ素敵だよね
素敵だねでもう一つビヨンさんはもうちょっと常人にも分かる表現で言ってますけど
答えは好奇心を殺すっていう表現でね
分かりやすい
書いてくれてますねこれ分かりやすいですねまあそうだね
では答えっていうものが登場することによってそれ以上問うことをやめてしまうみたいなねニュアンスをちょっとここでは感じられるよね
まさにこの語らず世のスタンスというか
あの我々別に答えを求めてやってませんよっていうところを代弁してくれた感じじゃない
そうだよね答えないことによって好奇心を生かすことができるっていう
45:04
まあそういう逆を言うこともできるかもしれないよね
まあ答えが出ない世のテーマを我々扱ってるからまあそこは幸いというか逆に答えさんね
出そうとしても出せない世のとこにいるんだけどねいつも
まあだから味わってるわけですね僕ら問いをね
そうだねだから景色を眺めてる書作と似てるわけだこのラジオ収録は
そうですねそれは
だから言いやすいというか回復というかそうそうそうそう
確かにな
なるほどね
ああ面白いですね
分かってきた
理解することもできる
繋がってきたと
分かること拒否してないですけどね
そうだねプライベートだ
というのが3章でしたということで
まあだからいかに我々が分かりたがってしまうのかというところと
分かることを拒否することがさらに一段進化した脳の喜びに繋がるんだというですね
非常に崇高なテーゼが登場しましたというのが3章でございました
はいということで4章に入っていきましょうかね
4章ネガティブケイパビリティと医療ということで
いよいよ山上くんの本丸の医療の領域に入ってくるわけですけども
ついに来ましたねベッドサイドに
来ましたね
はい
ようこそ病院に
病院の話の前にねこの話の入り口は何かというと
医学の教育現場でネガティブケイパビリティというのがどう扱われているのか
という話から入ってくるんだよね
そうだね
最初の指摘が教育でネガティブケイパビリティが
変えられ見られてないじゃんっていう指摘から入るんだよね
これどうですか山上くん
これさまさに俺がこのこの間の収録で話したことだけど
循環器内科医である俺はミスターポジティブケイパビリティだ
何でかというと小中高大医師国家助けとずっとこう
いつも一等を強いられた上に循環器内科医になっても
さらにこう血圧が下がった小圧薬
心臓が止まった電気ショックってもうそういうポジティブケイパビリティを続けた人間ですよ
って話すとまさにこう重なって
だからこれ言われたと思ったこれ俺が言ったことでやっぱこう
医者って同じことを考えてたなってことが思った
なるほどね
なんか彼がねここで言ってるのもまさにね
教育っていうのは問題を早急に解決する能力のことだという風に
信じられてきましたって話だし
例えばねあらゆるチェックポイントで試験っていうね
ゲートウェイが設けられるわけですけど
試験って基本的にいかに早く効率的に問題を正確に解くかという
そういう分野ですから
これはまさにポジティブケイパビリティの権限であろうと
そうなんですよね
でここで登場するのが
医療現場で使われてるあるツールというか
フローチャートと言いますか
なんて言うんですかこれは記載方法って言うんですか
SOAP
SOAPこれSOAPって読むのでいいんですか
そうそうこれはもうなんかね
SOAP正式な読み方は知らないけど
毎日これ多分1日100回200回書いてると思う
48:01
外来の患者さん1人に毎回書いてるし
入院患者さんにも書いてるから
外来の方にも同じスキームで書くんだ
そうそう
どういうものか説明してもらっていいですか
SOAPっていうのはカルテを書くときの決まりごとみたいな
こういう風にカルテ書きますよっていう
カルテによってはSOAPで電子カルテを書く欄が勝手に分かれていくような電子カルテもあるぐらい
医療現場に浸透した書き方なんだけど
何かと言うと
Sはサブジェクト
主訴
患者さんの訴えってことだね
そうそう
Oがオブジェクト
客観的には証券だね
何書くかは後から説明するとして
Aがアセスメント
今アセスメントだよ考えたこと
判断みたいな
そうそうそう
Pがプラン計画
例えば
例えば今日俺さっき
心筋梗塞の患者さんが来てて患えてる人だから
まさにどんなことを書いたかというと
ピーポーピーポーと救急車が来ましたと
患者さん胸に痛がってる人が来ましたと
でSのとこに
主訴胸が痛い胸が痛いよって
患者さんの言葉そのまま書くわけよ
胸が痛いですってSに書いて
O客観的に証券に
血圧とか書くの
要は看護師さんが測ってくれたデータとか
検査データ
血圧120の60脈拍不正
データはCKって心筋梗塞の
梗塞が上がってます心電図はこうこうこういう変化が起きてますって
O
誰が取っても同じものって書くんだね
そうそうそう
Aっていうのがアセスメント
それを見て俺が考えたこと
心電図でこの23AVFのST分が上がってます
これは梗塞だ
心電図の
どこの心臓の部分が
おかしいかというのを当てて
心筋梗塞だというふうに
推測すると
それがアセスメント
かつ血圧が下がっているから
これは小圧剤を使わなきゃいけないというのも
Aに書くと
そこまでAに書くんだ
そう使わなきゃいけないかもしれないみたいな
小圧が必要かみたいなことをAに書いたりして
Pでプランは
緊急仮定でいる
小圧剤必要ってのをPに書くみたいな
そんな感じの
SOAPを書いて
一人の患者さんの
訴えから
訴えと初見から治療方針を決めるための
すごいわかりやすいフローチャットを
一人一人に
オーダーメイドに作っていくっていうのが
このSOAPのカルテの書き方なんだよね
何となくわかった?
分かりました分かりました
その中で切れるナイフって書かれてて
面白いなと思う
切れるナイフまさにまさに
患者さんの症状を診断して
パッと回答を与えるみたいなそういうことですよね
これがないと正直
自分の頭の考えまとめながら書いてるから
これがないと正直
俺らでも
パッと胸痛い患者さんに次何するってのを
51:01
体系的に
筋ができないかもしれないから
すごく助けられてる書き方ではあるね
なるほど
自分に従って書いていくという
その整理の仕方自体がすごく意味があるということなんだよね
そう頭の中をすごく整理する上では
役に立ってる
だから患者さんのことを分かるために
ってことなんだよね
母ケギさんがここで指摘してるのは
このSOAPが
マルチで切れるナイフだとすると
現実の患者さんの状態
っていうのはナイフで切れるのかという
問題提起がある
そうなんだよな
これはどうですか?
グサグサ刺さるみたいな
これはグサグサ刺さるんですよ
これまさに前回の収録で
不定収束といって切り捨てる患者さんの
訴えがあるっていう風に言ってるけど
ナイフバキバキのやつじゃないですか
それつまり
これ例えば
胸が痛い患者さんが
先生背中にも何か出来物があるとかいう風に
おっしゃる患者さんがいるんだけど
俺はその時に
背中の出来物は後でいいんでとりあえず
心臓を治しましょうよ
という風に言っちゃってばさっと患者さんの
訴えを切り捨てたりすることが
往々にしてあるわけよ
それがまさに
そうせざるを得ないもんね逆に言うと
そうそう
そうしないと患者さん死んじゃうから
しょうがないとはいえども
患者さんからするとめちゃくちゃ気になることだし
例えば
テレビのテレビカードが消えたとかさ
隣の患者さんがうるさくて
眠れないとかそんなの後でいいですよ
みたいなこと俺も言っちゃうわけよ
とりあえずもう癖で
それがだからちょっとね
例えばさ
テレビのテレビカードが切れたってのもさ
もしかすると本当は切れてないけど
テレビカードが切れたように見えてしまう
幻覚が見えてるかもしれないわけじゃん
本当は切れてないけど
切れてるように
思ってしまうという脳の病気かもしれないけど
そこの可能性をまず
俺は見落としてしまってると
そんなような
テレビカードが切れそうなことを忘れちゃうみたいな
そうそう認知症だったりするかもしれない
そういったことを全部全部
切り捨てた上で
俺はもう心筋梗塞で家庭手術をする
っていうところに向かって
ひたむきに走り続けてるようなことをしてるから
これは確かにね
ポジティブ経過してるなってのを
ハーキリ先生に
教えてもらえるよね
今の話を聞きながら
思ったのはさ
お医者さんってそもそもさ
大きく分類がもう分かれてるじゃない
関係ないかもそうだしさ
かっていうものでさ
何に対応できるかって分かれてるじゃないですか
確かに確かに
僕らからするとこれは何かに行けばいいのかな
っていうようなさボーダーラインの
ジャッジメントってさ大部分患者に
委ねられてるところってあるじゃない
あるよね
でも多分さお医者さんの分類ってさ
どういう方針を立てれるかとか
どういうアセスメントを下せるか
っていうどちらかっていうとさ
さっきのSOAPでの後半側にさ
だいぶフォーカスしてさ
かが分かれてるじゃない ああそうそうまさにそうだと思う
54:01
でも前半側ってさ
意外とさこうファジーでさ
曖昧で境界線どこにあるか分からんみたいな
症状とか手術とかいっぱいあるわけじゃないですか
ああそうそうそうそう
そこにすごく構造的な難しさ
あるなっていうのはねすごい今
話を聞いてて思いましたね
それもでも結局専門家によって
同じ患者さん見ても
王に書くものは全然違う要は
何を拾うか
皮膚科の先生とかは皮膚の処刑ばっか書くだろうし
俺循環器ないか
脈白とか血圧とか
血管の処刑ばっか書くだろうし結構それはね
科の先生によっても
王に書くことは違うから
王に書くことが違えば英に書くことも違うし
っていうことで全然もう
科の色が出ちゃうんだよね同じ科で書かせても
そうかそうかそもそも
どの科の視点で見るかによって
何が不定で何が不定じゃないかが
そうそうそう
結局俺らにとってはめちゃくちゃ
重要な動機が
ドキドキする症状も他の科の先生にとっては
不定思想になりうるっていう
そういう問題があるんですよね
それはそうだよね
面白いですね
そうなんですけどね
それはちょっとね前回の収録であった
それこそ
あれビヨンさんだっけ
見方がいくつもあるよ
っていう言い方を拒否したいんだ
みたいなことを言ってたの覚えてます?
あったね
絡みるような見方をしないと
視点ではなくて頂点で
精神分析療法の話だよねたしか
ですですですです
視点が複数あるという言い方を
前提としてはいけないんだ
みたいなことがありましてちょっとその話を思い出しながら
今聞いてましたけど
今の話ももしかしたらその一つかもしれないけど
基本的な医療教育というものは
どういう性質なのかってことが
ここには少し示されてて
端的に言うと
正常と異常を瞬別するトレーニングを
ひたすらした人たちのことを
医者だというわけだと
ああなるほど
これすごい面白いなと思った
何が正常かさっきさっきも言ってくれてたけどね
正常の範囲っていうのをある程度知ってるからこそ
それが異常領域に振り切れてた時に
それをこっち側に戻しましょう
多分そういうことをやってるんだろうな
ってことはなんとなく想像できたんだよね
ああそうそうそうそんな感じですね
はい
そうなった時にさ
じゃあなんで異常なのとかっていうのをさ
原因を特定していかないとさ
手立てが打てないわけじゃん
うんうんうん
おそらくねこれ完全に想像で喋ってる
そうだそうだ
その時面白いなと思ったのがさ
いずれにしても分からないってことを
積極的に避けるような性質があるんだみたいな
ことを書いてたのがめっちゃ面白いと思ってて
あるんだよ
診断名の中にさ
読み方わかんない本能性新鮮
本体性
本体性新鮮か
新鮮っていうのの
症状に本体性っていう
言葉がくっついてるんだけど
この本体性は原因不明であることだって
書いてあってマジかめっちゃおもろいなと思ったんですけど
いやこれはね
俺らの領域にもあるんだけど
血圧が高い人って循環器内科が見るのよ
57:01
で
血圧が上がる原因って色々あって
腎臓の血管が狭いとかホルモンの異常とか
色々あるんだけどその原因がわかってる
高血圧のことを二次性高血圧
という風に言うんだけど
一次要因があるってことね
そうそう一次があって二次なんだけど
原因がわからない高血圧のことを
我々は本体性高血圧という風に呼んでる
なるほど
なるほどわかりませんよっていう
名前があるわけですね
そうそうそう
この記号の使い方が
原因不明であることを名前をつけることによって
隠してるってすごいよ
そうそうそう
外来とかで原因不明の高血圧
って言うと患者さん不安じゃん
患者さんもある意味分かりたいから
分かりたいという需要自体は
患者側と医者側で
マッチしてるのかなっていうところがあるかもしれない
分かったことにしたいってみんな思ってる
そうそうそう
なるほどね
そうなんね
なるほどなるほどいやおもろいですね
みたいな話が
医者あるいは医療教育の
現場で起きてるんだ
っていう中でさっきの切れるナイフ
S.O.A.Pみたいなものを使いながら
例えばマッキガンの患者を前に
切れるものあるんですか
っていう問題提起をしてるんですよね
そうなんだよな
これはどうですか
まずそういう患者さんにこう接することって
あるんですかヤンヤン
マッキガンは今はないけど
マッキガンは研修院の時に接したことはあるんだけど
今って言うと
マッキシンフゼンっていう
病態シンフゼンっていう病気が
病態があって
いろんな心臓の原因で最終的に心臓が
ボロボロになっちゃってどんな薬を
使ってもどんどんどんどん心臓に
水が溜まっていって徐々に徐々に
理屈で溺れていくような状態になって
最終的にはもう理屈で溺れていくみたいな
言い方があれだけど
呼吸ができなくなって呼吸止まっちゃうっていう
シンフゼンっていう病気があって
それはもうしょっちゅうそういう患者さん見てるわけ
最終的にシンフゼンの患者さんに
大事になってくるのは何かというと
緩和ケアっていう苦しみをどういう風に
とるかとか
どういう風に死っていう概念で向き合うかとか
家族がどう受け入れるかとか
ってとこがすごく重要になってきてて
薬でどうこうできないからね
だからそういう患者さんは
よく見る
そうなんだそういう患者さんに対して
どう接するの山上くんは
いやそれがね結構
反省すべき
問題だけど
すごく向き合ってた時期もあったのよ
そういう人たちの話をちゃんと聞いて
ベッドサイドに行って
こうこう苦しいですよね
いろんな話をしてた時期があったけど
最近で言うと家庭が
めちゃくちゃ忙しくなって
そういう人の話をしっかり聞いてあげられない
話を聞いてあげるのは看護師さんだったり
とかにお任せして
自分はもう
この本に書かれてる
要はアセスメントは苦しい
プランがもう
お見とりみたいなそういう風に書いてしまってる
ことがあるから
1:00:01
アセスすべきだと思う
逆に言うと問題解決
っていうナイフが
役に立たないこともあるんだってことだよね
そうそう解決できないからね
だって医師は基本的に
何かしらの
症状だったりとか
病気だったりとかを
改善する直すってことが
職能だけだから
ソリューション提供できることが前提だ
みたいなところがあるじゃないですか
そうそう
これでも俺たちは
なんかね
緩和ケアっていうのをプランに書いたりして
処方した気になってる
何かを出した気になって自分を
慰めてるような感じだねこれはまさに
なるほどね
これなんかちょっと僕も全然知らなかったんですけど
緩和ケア診療課さんみたいなのが
ここ20年くらい前に
導入されたんですよね
その中でその
末期患者さんを見ること自体も
加点の要件になりますよ
みたいな精度の変更が
ありましたという中で
そういうところに向き合っていく必要も
医師の仕事の一つに
取り込まれたんだというふうに僕は理解したんだけど
それはあっているのかな
まさにあってて
アドバンストケアプランニングっていう概念があって
ACPって俺は呼んでるんだけど
何かというと心不全って診断された時点で
徐々に徐々に弱っていって
心不全が
悪くなって亡くなるっていうことが
多いのしかもある程度までも怪談踏み外しちゃうと
確実に数年以内に心不全で
亡くなるっていう状態になる人が結構いるのよ
なるほどね
でもその人自身はその段階では普通に
生活できてるけどこの人はもう数年以内に
心不全で亡くなっちゃうっていう人に
早い段階から
どういうふうに死と向き合うか
みたいなことを医療チームで
介入するって考え方があって
それは結構ね
医者個人じゃなくて
チームで患者さんに
どう死と向き合うか
みたいなことを話すことはある
なるほどね
なるほどね
そういう状況になった時に
いずれにしても向き合わなければいけないのは
死に対する不安だったりとか
恐怖みたいなところ
いかに向き合うかみたいな
僕らが半年以上前です
1年近く前に棚取るみたいな言葉で
表現してたようなことってさ
そこに改めて立ち現れてくるな
と思ったんですけど
結局死っていうものは
永遠に治療できない
ある種の病なわけじゃないですか
そういうふうに呼ぶのが正しいかどうか
わからんが
何をどう頑張ったって
克服できないみたいな
現代の技術の限界だと思うんで
そこに対してどう向き合うのか
みたいなところに対して
切れるナイフがないっていうのが
現代の医師が向き合っている状況だってこと
そうなんですよ
なるほどね
僕すごい面白い記述だなと思ったのは
正常と異常を
瞬別でトレーニングを受けた人らみたいなことがあったじゃない
あったあった
そういうものかと思って僕が受け止めたんだけど
週末期のね
死に対する不安っていうのは
1:03:01
正常だっていうふうに判断されるから
異常の範疇に入らないから
ケアの対象に入ってないんだみたいな書きっぷれがあって
めちゃくちゃ面白い
これ面白かったよね正常な不安だって書いてあったよね
そうそう正常な不安だから
別に特にケアする必要もないみたいな
言い方がなるほどと思いましたね
そう
だから正常な不安に対しては
だからプランが立たない
医者が介入できるエリアじゃないんだよ
そういうことか
プランが立つってことは
異常から正常に戻すための三つ筋を
描くことができるって意味なんだ
そうそう
例えば不安障害っていう変な
異常な不安だったら薬処方できるけど
死の不安っていうのを書いても
それは別にもう
話を聞くことしかできないってことになっちゃうわけだ
なるほどね
なるほどね
なんかちょっとこの辺りの話題が
徐々に多分この
筆者の本領の部分に
少しずつシフトしていくんだと思うんですけど
じゃあ今みたいな例えば
心臓もそうだしガンに対峙している
お医者さんとかも多分今みたいな
話題って向き合うと思うんだけど
じゃあ精神科医はネガティブケーパーとか
どうするってのはその次に書かれてることなのね
うんうんうん
ここで書かれてた
大事だなと思ったところは
目の前の事象に
拙速に長寿流合わせにいかないというのが
精神科医においてはすごく大事だと
いうふうに書かれてました
長寿流合わせるっていう
言い方がなんか僕は非常にしっくり
きてて面白いなと思ったんですけど
なんかこの感覚ってあるんですか?実際の患者さん
そうだね長寿流
合わせるまあ
確かに我も
患者さんの弱さを我らが不定周測と
言っているようなことに関しては
すぐに処方せずに
すぐに処方することを長寿流合わせる
っていうなら
入院中に良くなるかもしれないからもうちょっと
様子見ましょうよ経過観察って書くこと
はある
もうちょっと様子見ようっていうふうに
すぐに長寿流合わせにいかない態度かもしれない
ああそうかそうか
もう一回時間を置いて見てみましょうみたいなことね
そうそうそう
なんかちなみにこの精神科医
がどうするのかっていうセクションで
ヤマガミ君がビビってくるポイントってあるんですか?
ヤマガミ 人の病の最良の薬は
人であるっていうくだり
ああそうそうそこに行く手前のところだね
ヤマガミ はいはい
これはすごく思うことがあって
その
俺がよくさ
医者プラス何か
っていう話をしてるじゃない
それで料理回しをするっていう話をしてたけど
これ俺その料理回し
してるつもりになってるだけで
医者下ろす側になってたなってことを
この本を読んで気づいて
どういうことかというと
患者さんが皮膚かゆいとか言ってます
っていうふうに言ってそれを
いやかゆいのはほっとけばいいよでも今日勝ててるし
心臓大丈夫だからなんかかゆみでも出しといて
って言って帰ってラジオするのはそれはもう
正しいネガティブ競馬のあり方ではなくて
それはただ
分けてるだけなんだよ
その医者プラス何かになってなくて
医者と何かをただ
両方やってるだけで料理回しできてないんだな
1:06:01
ってことを気づいている
ヤマガミが半分になってるんだね
ヤマガミが2分の1ずつにしてるだけで
統合してないなってことに気づいて
何がどうやって料理回しできるかってところで
ラジオで得た知見だったり
ネガティブ競馬的な概念がありましてですね
みたいなことを
患者さんのベッドサイドで立っていってこそ
ネガティブ競馬なんだなっていうことに
これ話ですごく最近思ったのが
最近の若い世代って
若い世代の医者って
医者は仕事だっつって
QOLとか働き方改革とか言われてる
時代だからしょうがないんだけど
医者とプライベートってのはすごく分けがちなんだよ
若い医者って
でもおじいちゃん世代の医者って
結構医者とは人生だって言う人が
結構多いんだよね
医者ってのはライフワークで
お前の人生が医者なんだってことを
言う先生らがいて
結構若い人だからすると敬遠されるわけだけど
何言ってんだこの人ってなるわけだけど
まさにちょっと意味が分かったっていうか
この人生で得たものを
医者の仕事に還元する
それこそ真が両輪回しなんだな
だから医者だけやってる人に見えてたけど
むしろそういう人が両輪回ししてるんだなっていう
逆転の発想で見えたなっていう
なるほどね
なるほどね面白いね
だから一輪車
二つ回しても意味がないと
両方に車輪がついてて
一個のものが走ってないと意味がないんだって
そうそう
俺はだから二個回してどうだ
二個回してんぞお前一個しか回せねえじゃん
って言ってただけで実はその人の方が
ちゃんと駆動して回せてたってことに気づいて
これがちょっと本業に
しっかり向き合わなきゃなっていう風に
思いました
面白いですね
さっき山上がちゃんと触れてくれた
人の最良の薬は
人の病の最良の薬は人であるっていうのは
これ最後のセクションのタイトルでもあるんですけど
これはなんかねセネガルの
言い伝えだっていう風にこの本には書かれてましたけど
この葉劇さんが
この精神科として
精神科として患者さんに向き合う上で
なんか二つ
大事な薬があるという
指摘があってこれ面白いなと思いましたけれど
皮薬と目薬
って書いてあるんですよ
あーあったね
これ皮薬っていうのは時間が解決してくれると
つまり皮を置きましょう
経過観察ももしかしたら一つかもしれないですけど
皮を置きましょうっていうのが一つ
でもう一つ目薬って
書いてありましてこれは
見てるよっていう状態
を続けることによる解決だと
これもある種観察
経過観察の観察の方がこれかもしれないです
この二つが大事だと
でこれってなんか多分積極的に解決
してるわけじゃないんだよね多分ね
自分が自力で
持って解決するっていうスタンスと
多分ちょっと違うなっていう風に思いますし
なんていうか
ある種判断保留みたいな態度
でもあるのかもしれないけど
そのちょっと前のとこにさやっぱ患者さんは
例えばこれ以上どうにもならん
どうにもならんってなった時に一人で
苦しみに耐えられる人っていないんだと
でかつ
より近しい家族には
1:09:01
家族だからこそ距離が近いからこそ
心境を通しづらいのだと
その時に第三者である
医者みたいな人がいて
である種関係性的
特権的な地位にいるわけじゃないですかそういう人が
そういう人たちがやってきてただ見てるよ
ただ見てくれてる
っていう状況自体が
実はすごく意味があるんだみたいなことを
言ってありまして
これは僕が思ってる石像とは
ちょっとやっぱ違うというか
面白いなと思ったんだよね
そういう向き合い方もあるんだなっていうところは
すごく新鮮だなと思ってみましたね
なるほど
そうなんだよね患者さん
やる機会があるのかな
みたいなところがすごい気になってるんだよね
そうそう患者さんって
ベッドサイダーに行くだけで喜んでくれるからさ
別に特に処方しなくても
来てよっていう
毎日毎晩来てよっていう
こと言われることがあって
また明日行きますよっていうだけで喜んでくれる
それがまさに目薬
僕はあなたのこと見放してませんよ
見てますよって態度を
ベッドサイダーに行くっていうアクションで示すことも
処方の一つなのかなっていうのは
それは結構数年の医者経験で
なんとなく感じることではあるね
なるほど
それを理解する一個の助けとして
ホールディングっていう概念が出てきたじゃないですか
書いてあった
小児科医であり精神科医の
ウィニコットさんという方が提唱した
ホールディング抱えるっていう意味ですけど
これもちょっとおもろいなと思いまして
ここ書いてあったのはね
患者さんの状態を解釈したりするんじゃなくて
患者自身が自分で発見できるような
関係性コミュニケーションするっていうのが
ある種プロフェッショナルな接し方なんじゃないか
みたいな書いてあった
つまり治療
キュアは医師は
キュアを差し出すことができないのだという態度に立って
ケアしましょうみたいなことが書いてありましたね
これはでも結構
精神科医に独特の考えかも
循環器がさすがにもう
ケアをさ
キュアを求められるからさ
詰まったものがあったら治せってなっちゃうからさ
それをホールドすることはできないなっていうとこもあるけど
あるけど
でも治した後の患者さんの不安だったりとか
治した後の
どう患者さんと付き合っていくかとかそういったところは
確かにホールディングは大事になってくるかもしれない
確かにね
さっき言ってたところでいくと
プランが立つ範囲と立たない範囲というのもありそうだね
こういう
立たない範囲に対しては
今みたいにもしかすると
自分自身の問題として
キュアしてもらうような
なんか態度が必要なのかもしれないですね
そうだね
なるほどね
これはでもちょっと実際に
実践してる人の声を聞いてみたい部分でもあるよね
このあたりはね
僕らは想像でしか語れないところかもしれない
これも精神科医の力が
必要だねこれはね
いずれにしてもこの人の病の
最良の薬は人であるのだという提示は
なんか非常に
新しいものがありますね
これは本当に実践しようと思った
まさに研修員のときがしてたんだよって思ったよ
逆にね
自分が何もする意味がなかった時代
その研修員の時にさ
1:12:01
どう治療するか分かんない
目の前の患者さんにても知識がないからさ
どうするか分かんないからとりあえずベッドサイトに行って
なんか何を
どんな治療方針に立てるか
上に伺わないと分かんないから
上の先生に聞かないと分かんないから
そうなんですね辛いですよね
こんなことあったんですか
何が大事かも分かんないからとりあえず全部聞いて
全部に合図をつけて長いこと
ベッドサイトにいたという時期はあったんだよね
だから
それは何してたかというと
自分自身を処方してたあの先生何でも聞いてくれる
とかあの先生に話したら笑ってくれるとか
逆に
上の先生に言えない
上の先生に言えないことを当時24くらいの
若造に
喋ってくれるおじいちゃんとかおばあちゃんとかいて
これまさにこう自分自身を
人間を処方してたんだなっていうのを
言葉にするとそういうことだったのかなっていう風に
思うね
なんか今聞くとさっきの
混沌のことを思い出しますね
知性が
蓄えられていけばいくほど
何かを殺してしまって
自分の中の何かを殺してしまってる可能性があるかもしれない
何かのプロになる
プロになるということは何かに対して
素朴な目で見る
っていうことを捨てなければいけない
どうしてもあるわけじゃないですか
そうだねそうだね
これを使い分けると言うと
ちょっとポジティブK-POPっぽいけど
ある種放棄するみたいな態度が
ネガティブK-POPエリティの中には含まれているのかもしれない
まさに
初心に変えるって言葉が結構大事なのかもしれないなって思った
そうね
さっきの精神科医がどういう風に
ネガティブK-POPを使うのかみたいなところにも書いてあったよね
赤子のように患者さんと接するみたいな
赤子の心で患者と対峙するかって書いてある
そうなんだよね
いやいやいや
だいぶリアルな現場の話とつながって
面白いところで終わりました
いや面白いね
面白いね
時間もあるので
一旦4章締めましょうかね
はい
はいでは最後5章ですね
5章は
身の上相談とネガティブK-POP
アビリティということで
最後はちょっと軽めの章ではありますけれども
ここまでね
脳の特性というところから
分かりたいという気持ちが
どうしても抑えられないんじゃ
っていうところから入ってきて
実際にその分かりたい気持ちみたいなところが
医療現場の中で
どういう風に咀嚼されていくのか
あるいは医師に何が求められているのかみたいなところを
3,4章で見てきました
最後第5章では
秘者でもあります
秘製が実際にね
会議用意として精神化を
やられているわけですけれども
彼が日々の診療の中から
どういうことを感じているのかという
かなりリアリティのあるお話に
ぐいっと引き寄せられていきますよ
というところでございます
最初何の話から
入るのかというところですが
彼も大学でお勤めされてたりとか
あるいは会議をして
自分自身のクリニックを
持ったりとかっていうさまざまな
経験をする中で
パブリック公的な場所から
1:15:01
プライベートな私的な場所に
どんどん移行していくに従って
よりその診断
診療の中身が
身の上相談的になっていくという経験を
されたよというお話から
入るわけですけれども
これはどうですか何か実感としてあるのかしら
そういう話っていうのは
全然あるこれ別に大学であっても
だけどまあ俺はまだ今
若干32だし見た目も
若く見えることもあって
医者としてはいいことなのかもしれないけど
話しやすいと言われるのね見た目が
だから結構患者さんは
身の上相談とか
いわゆる
カラザでいうと雪かきして腰痛めたけどどうしようかね
みたいな話をされたりとか
正直循環器には
全く関係ないようなことを
どんどん聞いてくる人はいるよ
なるほどね
結構環境に依存するものなの
それとも山上のパーソナリティにするの
依存してる気がするけどどうなんだろうね
パーソナリティもあると思う結構
別にいろいろ言ってくることを
突っ跳ねる先生もいるんだけどあんまり突っ跳ねないから
はいはい
まあまあ別に
突っ跳ねて関係悪くないのもやじゃんって俺結構思っちゃうタイプで
意外とそこは出さんなんだけど
はいはい
別に話聞いて損することねえよみたいな
そうそうそう
なるほどねいやいやそうなんですよね
その中でこの彼が実際に
接している受診者の人たち
8人ぐらい紹介されてるんですけど
これなんかどうでした
AさんからHさんまで
8人紹介されてましたか
あったあった
正直循環器の
ベッドサイドだったり
外野でみたら全員不定収索で
片付けてしまうなっていう風に俺は思ったよ
ああなるほどなるほど精神科の
受診者の
収索というのは基本的には
循環器にとっては不定収索であると
そうそうそう
多分ここで言われたら
はいはいわかりましたわかりましたじゃあ
血液検査の結果説明しましょうかという風に
言ってしまうような話だよな全員という風に
思って思った
どうミンティ逆に気になる人いた
いや気になる人というか
全員のやつをざっと
読んでいくとこの場で
一人一人ピックをしていかないんですけど
例えばね一人目のAさん
大工やってたけど大工の仕事が
なくなって仕事がないことに対して
イライラしてるという状態で
やってくるわけですよね
それでちょっと欲打つ状態みたいな
患者さんが来ると
この人に別に仕事をあげられるわけじゃない
と言うんだよね仕事を
あげられないからそれは
どっかに登録したらいいんじゃないですかとか
言いながらこうやっていなしていく
みたいなそういうコミュニケーションをやって特に何も解決
そうみたいな
患者さんの事例がもう8つ
バーッと並んでるわけですよね
これを見て何を思うって話
なわけだけれども結局
維持に解決できる問題
っていうのは非常に限定的なんだなっていう
非常に当たり前のことに気付く
わけだよねこれ
いやそうなのしかも精神科の先生ですらこれだぜって感じじゃない
いやそうだね
そうだね精神科だからこそ
これが彼らが
1:18:01
日々向き合うことになっているのかもしれない
ああそっかそっか
そうなんですよ
別に何かを解決して
あげられるわけではないんだっていうことだし
結局精神科なんか
特にさ
ちょっとわからないですけど
環境的なさ
要因でなったりすることも多いんだろうな
とかって思う
そうするとさ
自分の内側から何か変わっていくというよりはさ
環境が変わったことによって
それがきっかけになっても何かしら
症状があるよとか不安に感じるよとか
ちょっとよく打つ状態だとかあると
すると結局周り変えない
ことにはさ
緩和しないじゃんみたいな
すごく感じたんだよね
そうだね
手術医と患者の関係だけでどうにかなるようなもんじゃないよね
そうそう生活習慣だったりとか
家庭環境だったりとか
仕事の
職場の関係だったりとか
本当にその人が
直接タッチすることのできないことが
原因で起きているみたいな
そういうことがめちゃめちゃ多いなと思った
んですよ
そうなんだよね
これを聞いてて思ったのがまさにこれ
ラジオのお便りコーナーかよって思った
これ見てて
ああ確かにね
確かにそうかもしれないですね
別にそのなんか
ラジオのお便りの機能は
まさにそれかもしれない
そうラジオのお便りコーナーだったり
これ新聞のさ
ちっちゃい投稿するコーナーあるじゃん
日々のグッズみたいな
そうそううちの旦那がどうだろう
どうだろうってそこじゃんって思ったんだよね
これ見て
確かにねそれはあるかもしれないね
直接何かして
することが
意味があるというよりはむしろそこで
レスポンスして
そこでなんかちょっとした対話が成立する
ということ自体にすごく意味があるみたいな
領域なんだね
でもなんでラジオだったり
新聞の投書欄が今
長い期間まだ廃止されずに
成り立っているかというと
そういったところに需要があるからってことなんだよね
多分ね
潜在ってことなんだよね
そうそう
投稿すること話すことが
その人たちにとっての何かしらの解決になっているから
未だにあれが存続しているんじゃないか
って考えたらこの母桐先生の
AさんからHさんの
全部この話聞いているのは
要はこの人たちにとっては
何かしらの一定の
治療ケアなのか給養なのか
わかんないけど果たしているのかなって思うよね
確かにねそう考えると
あれだね確かに
精神科のナースの野田くん
野田ラジオの野田くんですけれど
彼がラジオをやるっていうことの意味は
何かそういうところにあるのかもしれないね
なるほど
確かに野田くんは
騎士眼っていうのは自殺を
考えてしまう人たちに
ラジオを聞く処方をする
っていう風に彼は言ってたよね
そうだよね
まさにだなと思った
これを聞くということ自体が
すごくラジオ的だなと思ったし
1:21:01
そうだな
結構野田くんがやってる
メンタルエンターテイメント
メンタメンみたいなのはすごい実は
精神科っていうかと
ラジオとか
そういうツールは相性がいいのかもしれない
確かにね
これちょっと全体の
締め隠れに近しいところなので
そういう話題に
少しずつシフトしていければなと思うんですけど
この最後のセクションがね
身の上相談に必要なのがネガティブケーパビリティ対応
って話があってまさに今
登場したような
直接的な解決
つまりさっきの
SOAPでいうところの
Pを提示することができないような人に対して
どう接するのか
っていうところがさまさにネガティブケーパビリティ
なわけですよね
つまり解決方法を
見つけようにもそんなものはないんだ
特にその医療的に
何か施すことができることが
ないんだっていうときに
それに対して長尻を合わせにいくような
解決を提示するんじゃなくて
それを例えば
寄り添ったりとか話をただ聞くだけだったり
とかさっき日薬目薬
ってやったけど時間一緒に
見てるよっていう態度を示して
並走したりとか
みたいなことをするほか
耐えるほかないんだみたいなことがここでね
改めて確認されるわけなんですよね
そうだね
面白いのはこのハーキーさん自身も
ネガティブケーパビリティという概念を知らなければ
もしかしたらそういったことに
向き合うことから逃げ出してたかもしれない
ということだよね そうなんだよね
知ってるおかげで
この概念を知ってるおかげで
逃げずに
耐えれば答えが見つかる
より深い答えがより深い
ところに自分が行けるってことを知ってるからこそ
耐えることができるっていう
この概念この言葉にされることによって
耐えるときの
自分の中のモットーになるのかも
すね
確かにね
僕らも何かしらの領域では
今上くんのように専門医のように
専門の領域を持っていて
そこに対してズバズバ答えていかなければ
いけないシーンっていうのはあるかもしれないけど
そうではない領域に関しては
不定収束的なもの
というものがたぶん
存在しないんだよね
全人格的に起きてることから
受け止めるほかないっていう領域が
一方では全体にあるはずで
切り捨てずに
いかに受け止められるかみたいな
そういったことがありそうだよね
これも
医者に限って話じゃないよね
職場ミンティーもそうだと思うけど
誰かの悩みを聞いて
何かレスポンスするって職業において
絶対この自分の思ったこと
以外の質問だったり
訴えがくるわけじゃんそれをどう扱うかって
一つその人
その人の技術じゃない
その人の人間の
ネガティブ・ケイパブリティの深さが結構
仕事に出てくるかもしれない
そうなんですよね
すごい悩ましい問題だなと思うのが
例えば自分のことを考えると
例えばお医者さんは基本的に
1:24:01
来る患者さんを拒むってことは
基本的にないって思うんですよ
門が開かれてるし受診したいという
希望があれば受けさせてあげる
っていうのは当たり前のことじゃないですか
例えばそこに
ある種の営利企業的な
ロジックが働くと
この人は自分のお客さんなんだろうか
っていうなんか一個
ジャッジメントが入るなと思ったんですよ
なるほどなるほど
そうするとこの人は自分のお客さんではない
っていうジャッジをすることも
できるわけじゃない場合によっては
例えばさ
シンプルな話
こういったお仕事ってこれぐらいの
お値段がつくものですよってなるときに
これが見合いませんって言ったらお仕事受けません
みたいなことってのは往々にしてあるわけですよ
医者じゃないいわゆる営利企業だとね
はいはいはい
でもその時にやってる態度って
この人の要望っていうのは不定収素だ
って言ってるのすごく近しいな
と思ったんですよ僕は
なるほどね
見合いませんってのは
それは確かに営利を求める
企業のなんか態度としては
間違っちゃいないしそうしないと
潰れちゃうんだけど
一方でそのジャッジメントが
やってることっていうのは
不定収素を切り捨ててることと全く一緒だな
って聞いてたんだよね
職業倫理というか
俺の職能として解ける問題ではない
っていう
なるほどなるほど
それは
もしかしたら
何ていうの儲かる儲からないみたいな
軸はまた別にあるとしても
そういうことがあるってこと自体が
すごくチャンスかもしれないなって今思ったね
この話をしながらね
これは俺もミンティも
ネガティブ競馬の概念から
直接にフィードバックできてる感じがあるね
そうだね
そういう気はするんですよね
それってだから
僕が短期間で
あるいはお金をもらいながら
プランを立てることができないもの
っていうのを切り捨てざるを得ない
ってなってるんだけど
いやいや切り捨てない方法もあるよね
っていう多分
接し方だと思うんだよね
それは多分
すぐに断るんじゃなくて
寝かせる
耐え忍んでるとその人との関係続けてると
その人への提案方法が
ふとどっかで思いついたりとか
そういうことがあるってことかな
そうかもしれないし逆に向こうが
その期間に向こうの環境が
変わることがあるかもしれない
それとか
あるいは向こうが
いやいやいつも結局お願いできなくて
申し訳ないねって言いながら
ずっと気にしてますよ
っていうことで
その人が変わったときに声かけてくれるかもしれない
とかわかんないけど
そういうことにもなる
火薬みたいな話にも
すごいつながるなと思った
はいはい
だからなんか純粋に
シンプルにより多くの患者さんを
治療したい
みたいな発想ってあるじゃない
例えばだけど
僕におけるよりたくさんの
1:27:01
報酬を得たいですとか
よりたくさんのお仕事をこなしたいです
って普通に考えるとそんなに
不健全な動機ではないように思うけど
それだけじゃなくて
もっと広い人を
お客さんにしたいんだと思ったときのアプローチって
やっぱちょっと変わってくる可能性あるなと思った
つまりその切り捨てない態度どこまでも
なるほど
なんかこのあたりはすごい
僕自身もすごい
ブックステップスだと来るところがあるな
って思って
結局
たくさん見るとか
たくさん獲得するっていうのは
同じ二次元
同じ次元の中で広げてる
平面の面積を増やしてる感覚だけど
ネガティブキーパーを獲得するっていうのは
レイヤー1個上げるというか
3次元に来るというか
もう1個上の次元に上がるような
そういう進化の仕方をするって思っちゃった
これ聞いてて
そのときに
二次元的な目標と
三次元的な目標っていうのは仮に
違うものとしてあったときに
そこの目標設定の
資座がちょっと変わるんだろうね
結局何のために医者やってるの
何のために医学者やってるの
ところにさ一段上がったときに
さっきのさおじいちゃん医師じゃないけどさ
全人格的に
あらゆる側面で
あらゆる時間軸で
医師というものの人生なんだと言ってやってる
みたいな人とそうじゃない人は
明らかに質的な違いがあるわけだけど
そこに行くためにはやっぱり
1個資座が上がってないといけない
上がってないといけないみたいなところがあるじゃないですか
そうだね
つまりこの前の頂点に
そうだね
生きてる我々の生きてる世界線は
今で言うと
三次元のところにいるわけじゃん
我々の人生ってのは二次元で面積広げるような
三次元を普通に生きてるとすると
自分の職業
医者って職業だったら企画者って職業を
その三次元のところに組み込むかどうかってところが
それはその人の価値判断基準に
よるのかなっていう
そうなんだよね
だからその
そうね
本当にそうでしかない
そうだとしか言えない
そうなんだよね
そうなんだよなっていう話を
リアリティがある話で最後
一個事例の引用で終わってるんですけど
インドネシアの精神病院の例がね
最後に登場して終わるんですけど
覚えてますか
このインドネシアの精神病院で
なんか研修みたいな感じで言ったのかな
ハーキー先生はね
この病院では看護師の数も少なければ
お薬も潤沢にないみたいな状態で
全然治療できないじゃないですか
っていう意見交換があったんだと
その意見交換の中で
いやそうだと
治せないかもしれないけど
トリートメントはできるよみたいなことが
返ってきたっていうんですね
この時のこのトリートメントっていうのは
直訳するとトリートメント自体もある
治療という意味があるよね
なんだけどこの時の響きは
どう聞いても
美容院のそれのニュアンスでしかなかったんだ
みたいな
じゃあすげえ面白いなと思ってて
1:30:01
そのいわゆるその紙につける
トリートメントのこと言ってるんですよね
このハーキー先生は
このニュアンスは治すんじゃなくて
それで一旦その
痛みをとどめてそれ以上痛まないようにする
みたいな関わり方でも
いいんだよっていうことを
このインドネシアの精神病院の人が言ったんだと
これはなんかその
直接プランを立てることができない
方針を立てることができない患者さんに対する
態度としてあるいは
方針を立てるだとしてもそれを実行することが
できない関わり方を
する時になんか全然
許容できる態度なんだなっていうのを
改めてここで気づかされると
いう感じがあるよね
そうだね
それ以上痛まないようにするってとこは重要だよね
そうそうそう現状維持なんだけれども
それはなんか積極的な現状維持も
あるんだみたいな
そうそうそう
耐え続けていれば
いつか光が射すみたいなそういう考え方
そうそうそう
だから今やれる最善のことをやる
みたいなことなのかもしれないですけど
このトリートメント
っていう発想が
この筆者にとっての
ネガティブケイバビリティという
一つの柱ともう一個
杖を成す概念として
料理になってるんだよってことをですね
5章の最後では
筆者の
ハーキーさんはおっしゃってます
というとこですね
そうだね
というところで
5章が終わりましたけれども
どうですか
3から5まで通してサーッときましたか
いやーしっさ深いというか
俺はもうまさに
ミンティも当然ね色々こう
仕事の話で
フィードバックがあったと思うけど
俺はもう医療現場の話が多かったから
医療職業を鑑みで
常にいろいろ上級医の先生
それこそハーキー先生って大先輩なわけだから
医者としては
若造医師に
いろいろ説教されてる気がして
そうだなそうですね
って思いながら聞いておりました
かといって日常に
いきなり取り込めるかというと構造的に
そうもいかないわけでね
循環器という特性を考えると
むしろザクザク緊急に
その判断を下していってもらわないと困るよ
って当然あるわけで
それを捨てるわけにはいかないんだけど
でもそこで方針が立たない患者さんも
言っているわけで
そういう人たちに対してどう向き合っていくのかとか
僕にとってみれば
お客さんに一瞬見えない人に対して
どういう風に振る舞うのかみたいなところに対する
視差はめちゃくちゃあったんじゃないかなと
いう感じの参照でしたね
そうだね
いやいや視差深いね
視差深いですね
カタラジオ
はいお疲れ様でした
お疲れ様でした
いやいや
今日は長旅だったね
いや長旅だったね
主に病棟をミンティと一緒に
1:33:00
歩きながらっていうのをイメージしながら
病棟会社に一緒に来てたイメージ
確かにそんな感じは
ありましたねで病院を出て
ちょっと小さなクリニックに最後寄って帰る
みたいな感じで
どうだった病院みたいな感じ
どうでしたか病院は
これ先週チラッと読み始めたタイミングでね
あのSOAPですか
のことにチラッと聞いて
あ出たこれかっていう感じで
そうそうそうそう
なんかまあシンプルだけど
あの分かりよいよねやっぱり
ああいうツールというかさ
共通言語みたいなものじゃないですか
あそうそうそうそうそうなのそうなの
だからまああの看護師さんたちも
みんな俺たちのSOAPを見て
こういろいろ
ケアの方針に立てたりするし
病院の中ではめちゃくちゃ便利な
システムではあるよね
そうだよねそうだよねだからそういうものが
一定機能してるよっていう世界がある中で
そこからあぶれた場合にどうするのか
みたいなことが山上くんの
分野だと多分大事だし
そもそも精神科の
お医者さんにとってはそもそもが
そういう世界が中心にあるっていうことだと思うんで
だからそのあたりの
アプローチの違いみたいなところがよくわかったかなと
そうなんだよね
でも最近これ思い出すと一つエピソードがあってさ
ちょっといい話なんだけど捨てもいい
いい話だいぶハードル上げて
しゃべる話だよね
あのねさっき不定周遭の
不定周遭おばあさんがいたの
俺の患者さんで
胸が痛い胸が痛いってずっと言ってる
おばあさんで
でもその人はもうカテーテルをさ
一回捨てるのね
カテーテル捨てても大丈夫なことわかってるんだけど
胸が痛い胸が痛い風に言ってて
じゃあまたカテーテル
カテーテル直したときに詰まっちゃうってことも
ごくわずかな可能性であるから
じゃあカテーテルまたしますかって言ったら
するって風に言ったのよ
じゃあしましょうかって
じゃあしますねって言ったら
翌日に言ったらカテーテルしませんやっぱ怖いって風に言って
しないんですかって
しないって言ってわかりましたって
で翌日に言ったらやっぱカテーテル捨てくださいって風に言われて
これのやり取りを3回くらいして
何がまずいかって言うと
これするって言ったら俺だけじゃなくて
いろんなメディカルスタッフが動くからさ
動かされてるわけよこのやり取りの間に
看護師さんだったり機械を操作する人だったり
いろんな人が振り回されて
もう限界だって
結局カテーテルしたのよ
3回くらいの押すモードの後に
なるほど
して
何もなかったんだけど
何もないって言った後にもずっと胸が痛い胸が痛いって言って
なんだこの人という風にずっと思ってたのよね
ゆっくり
なんでこんなに喋るかと思って
カテーテルしまったけど結局何もなかったよって
よかったですねってマスクを外して
ニコって微笑んだの俺がね
そしたらなんか
向こうおばあちゃんが
可愛らしい先生やねって言ってくれたのよ俺のことをね
でちょっと場の空気和んで
ずっとその振動もあったからさ
ペギペギペギペギしてたのが
そう言われた瞬間に俺も不意をつかれて
そうですかってなっちゃって
1:36:00
すごいなんかね
いい空気が流れて
そっからその人の不定習操がなくなったのよ
なるほど
結局
この人の不定習操の原因って
手術師チームとの関係不良
俺たちが
わりと圧をかけるような感じで
その人に迫ったことが原因で不定習操が出てたんだ
っていう風に思って
これまさにネガティブ啓発だなっていうことを
思ったと最近はありまして
なるほどですね
例えばね
不定習操の原因の結果に対して
もしかしたらちょっと信頼がおけないとか
って思ってたのかもしれないしね
そういうことが
不定習操の原因になってたのかもしれない
そうそう
だからそこで手術師が打ち解けたってことによって
習操がなくなるっていうことがあって
これは
まさにそのSOPだけじゃ解決できない
共通をネガティブ啓発で解決した
HDAだなっていう風に
つい最近の話なんだけど
なるほどね
なんかでもそういうこと
今の話を聞くと
なんか結構ありそうな気がするよね
全然あると思うんだよね
めちゃくちゃありそうな気がするね
なんかちょっと不安で痛い気がするみたいな
そうそうそうそう
だからやっぱり
医者として人間を処方するってことが
大事なんだなってことを改めて
思い知らされました
なるほどね
それはちょっと深いですね
そうなんすよ
ネガティブ啓発そのものの話なのかどうかわかんないけど
確かにそういうものに対してどう向き合うかみたいなことを
考えたときに
ネガティブ啓発がないと向き合えないよね
そうなんだよ
もう完全にネガティブ啓発なしで
そんな胸痛いのが出てる人があって
突っ跳ねたらその人は退院しちゃってたわけで
そこでちょっとこう
ネガティブ啓発的な
関わりをしたからこそ得られた
次のステップなのかなっていう
それはなんか山上くんにとっては
例えば次に似たようなケースが起きたときに
3回の押し問答をなくすことはできるんですか
押し問答をなくすのは
それは難しい
それはもうその人が勝てるようにするとかしないとか
元々は結構不安が強い人だったから
そこをなくすのはもう
完全にキャラクターの問題だけど
その後の
最初からちょっと心を開いて
もっと待つような姿勢で
話していればもしかしたら
もうちょっといい関係でしゃべれたのかもしれない
答え決めてくださいって感じで迫ったから
すぐに答え決めなきゃってことで
意見をコロコロ変えるようなことになっちゃったのかもしれない
それはつまり
長尻を合わせにいくっていうことはそういうことなんだな
まさにそういうことだね
深いですね
じゃあちょっと次そういう不定周測があったら
マスク取ってにこって笑ってあげてくださいね
そうだね
ほほ笑みのドクターになるべきだね
かわいらしいお医者さんやね
かわいらしいと言われてしまいました
ということで
1:39:01
本日は第3章
わかりたがるのから始まって
第5章の井上相談とネガティブケーパービリティ
ということで
3つの章を読んできましたけれども
今回はかなり実際の医療現場に近いところでね
ネガティブケーパービリティがどういう風に
使われていくのか
あるいは活用されているのか
というところでできましたという
お話になりました
では次回の
どこまで読むかという話ですけれど
どうでしょう
ちょっと目次をパッと見てね
予告だけしておきますが
次は
今日3から5まで来たんで
次は第6章の希望する脳と伝統治療師
というところと
第7章
創造行為とネガティブケーパービリティの
2本立てできたいなと
思います
あと3本って感じかな
そうだね
さすがに10章あるだけあって
収録回数が多くなりますよね
そうね
まあまあまあいいんじゃないでしょう
楽しみながらやっていきましょう
はい
というところで
今回の収録はこんなところです
ちょっとなんか
日頃の我々の生活に
グサグサと刺さってくるような
3章だったんじゃないでしょうかね
はい
本日もまたよろしくなさそうですけれども
また次回も頑張っていきたいと思います
よろしくね
おやすみなさい
01:40:38
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