今回のショーツは「僕たちは自由なのか?」vol.2のアフタートーク。
本編で導入されたフランクフォートの「二階の意欲説」について、徹底的にイジり倒します。フランクフォートは自分でブチ上げた説について自分自身で決定的にコミットメントできていなかった?!
「一階の欲求」「二階の意欲」「決定的なコミットメント」って何?という方は特集本編 vol2.「意志が弱い人は不自由なのか?」を是非お聞きください。
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📻カタラジオとは?📻
ひょんなきっかけで、突如ラジオをやってみたくなってしまった中高時代の同級生の二人。医師と企画者という異色で異職の二人が、新しい「概念」と対峙し、そしてインストールしていく様子をお届けする、概念獲得リアリティ番組です。
https://www.youtube.com/@catalradio
🤝出演 🤝
ヤマガミ:金沢在住の医師、不遜な方、ベシャり担当。
ミント:東京在住の企画者、横柄な方、ゆる進行担当。
サマリー
今回のカタラジオでは、フランクフルトの議論を通じて自由とコミットメントのテーマが掘り下げられています。二階の意欲説を参照しながら、決定的なコミットメントがもたらす自由の重要性が強調されています。このエピソードでは、決定的なコミットメントという概念を探求し、意思の自由とその制約について議論されています。特にフランクフルトの二階の意欲説に焦点が当てられ、彼のコミットメントの曖昧さについて考察されています。
カタラジオのテーマについて
カタラジオショーツ!
お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
今回は、Catalradio Shortsということで、
特集、そうしないことがあり得たかを読んでおります、
僕たちは自由なのか?のボリューム2のアフタートークでございます。
よろしくお願いします。
お願いします。
いやいやいやいや、いよいよ本編に入りましたということでしたが、
どうでしたか?久々の本編は。
いやー、心地よい疲労感がありますね、これ。
結構疲れたけど、本編ね、重い。
重いけど楽しい。
重いから楽しいね、これはね。
そうなのよね。
領域で言うと、法学の教科書を読んでるのかって思ったりさ、
数学への教科書を読んでるのかって思ったり、
いろんな分野に達していきながら、
頭フル回転で本を読んでる感じが、カタラジオだね。
いやー、そうですね。
これはなんか、ずけずけと、
素人が読んでいいのかみたいな感覚もありつつで、
自由に語らせてもらってますという感じでございますけれども、
そうね、確かに、
法律、もしくは責任みたいな、
あるいは罪か、みたいなところとの近接みたいなのが、
ちょっと気になりつつ、
さらっと導入されてくるみたいな感じがね、
この本書の特徴なのかなっていう感じはしましたね。
我々がやりたいこととしては、
あんまり法律とか罪とか責任に触れずに、
自由だけ上手いことを活かさないというのが、
我々の気持ちではあるけど。
まあね、正直なところそうだよね。
そう、おいしいとこ取りができなさそうな雰囲気が出てきたね。
そうですね。
これがこの本の語り口なんだなということをですね、
改めて認識しましたという感じですね。
しかしこのフランクフォートさん、何者なの?
すごいね、なんか、
出ずっぱりじゃないですか。
これはなんかあれなのかな、
高崎さんがすごいをしてるからすごい登場してくるのかな、
どういう感じなのかね。
フランクフォート型事例って言うってことは、
他にも事例があるんだろうな。
まあ確かにね。
調べてはないけど。
フランクフォート型ではない可能性があり得たのかな、みたいな。
さらにメタ的なね。
メタ的な可能性。
こういう質問をかけるみたいな。
いや本当ですよね。
でもどうですか、この自由っていうテーマは。
改めてですけど。
面白くて、またこの自由ってカタラジオにすごいフィーダーバックしてくるテーマだなって思ったのが、
コミットメントと自由の関係
今日の話のとこでさ、同化の話があったじゃないですか。
同化ね、ありましたね。
二階の意欲説のところで出てきたやつですね。
二階の意欲説で、同化することによって、
真のコミットメントを、決定的なコミットメントを得ることによって同化できると。
同化するときに真の自由を得られますよって話だったけど、
結局いつもカタラジオってさ、テーマ本を選んでさ、
それをベースに進めて、我々がこう自由に、
まあいつも自由にっていうふうに我々が評判してるけど、カタラってるわけじゃん。
はいはいはい、確かにね。
でもこれって本当にそうだなと、
あの本に我々いつも決定的にコミットメントしてるわけじゃない。
うん、確かに。この本を読もうって決めるみたいなね。
そうそうそうそう。特殊ごとで言うと、
まあこれ以上合理的な塾を続けても、この本を読もうって決断は覆らないじゃない。
うん、確かにね。
だから我々がさ、いつもこの本の上で自由に語るっていうテーマに対抗版が押されたというかさ。
なるほどね。
そんな気持ちになったわけ。
あー面白いですね。
カタラジオが自由であるためには、
僕らが決めた二階の意欲であるこの本を読もうという目標と、
それからその本を読んで語らう内容が調和してないといけないっていう。
そうそうそうそう。
かつもう絶対覆らないっていう風にこう強い気持ちで、
この本に対して決定的なコミットメントをすれば、
我々は自由に語られますよっていう、
二階の意欲説カタラジオ版修正みたいな。
面白いですね。
このめちゃくちゃニッチな面白がり方してるから大丈夫かなこれ。
まじでここだけ聞いた人は意味わかんないですよね。
そうで思ったでも。
あー確かにね。
自由でやり続けられる。
今日すごい思ったのはめっちゃしんどかったですよ。
全体進めていくのが。
まずネタも本当なのみたいなとこもあるし、
それから一章二章の比重とかもそうだし、
その意味では僕が今すごい難しいなと思ったりとか、
ある種不自由さを感じてたのは、
このコミットメントが足りなかったかもしれないですね。
そういうことだね。
もっと読み込まないといけないのかもしれないね。
徹底的にコミットメントできてないから、
欲求の無制限の上昇が起きちゃってるんじゃない?
この話題も入れたらいいかな。
こっちの話題も入れたらいいかなみたいな。
ちょっと定時の一階の欲求がね、
ちょっと入り乱れてる感じで。
二階で止めましょう。
二階で止めましょう。
でもちょっとこの二階の欲求説は、
同じ概念獲得感があるよ、めちゃくちゃ。
あるし、これから結構な頻度で誤用しそう。
これ二階の欲求、間違った方向で。
意図的な誤用をしたくなりそうな要望集。
ナンバーワンですね、これはね。
使いやすいよね、この二階の欲が。
それお前の二階の意欲に反してんじゃないの?
簡単に誤用できそう。
いいですね。
まあ自由ですからね。
ということで今回は面白かったですね。
でもこれ最後までたどり着けるのかしら。
すごいなんか、
あれ、この自由の考え方どうなったの?
みたいなことになるかな。
すごいそこが不安ですね、僕は。
そうなのよね。
正義すぼみにならないことを願ってって感じだよね。
今回はインプット会で、
次回はなんか盛り上がりそうだけど、
その後どうなってくねんっていうのは
若干不安ではある。
もともとこの本を読もうと思ったところからすると、
もしかするとこの1章、2章が何なら山場なんじゃないか
っていう可能性さえあるよね。
自由の定式化だからね。
今までやってこなかったけど、
一つの特集の中で、
例えば3回目、4回目ぐらいの収録から
本が変わるみたいなことがあっても
面白いかもなっていうのが今ふと思った。
決定的なコミットメントの探求
なるほどね。
だからその、
僕らが掲げたテーマに対して答えられないから
次の意欲、二階の意欲。
ご用、ご用、ご用だよ。
でも、例えばその第3回収録から
ケルケゴールの巣にある山を読むみたいなやつが
第3回くらいに来ても面白かったりするかもみたいな。
確かにそれめちゃくちゃハードコアだね。
途中からケルケゴールにシェイクトチェンジしていくみたいな。
確かに。
いや、これはね、
この時に決定的なコミュニケーションできてないっていう。
確かにね。
それはちょっと不自由ですよ。
それは意志が弱いし不自由ですよ。
意志が弱いね。
なかなか自由になれませんね、我々は。
ちょっとこれはいいおもちゃを手に入れてしまった感じがありますね。
やばいですね。
まさに無制限に次々本が出てくると
次の本読みたいって欲求が止まらなくなってしまうから、これは。
確かにね。
やっぱりちょっと決定的なコミットメントを
ちょっと一旦この本に関しては最後までやろうぜということでいきましょうね。
決定的なコミットメントっていい言葉だね。
これすごいロジカルな言葉で、
論理学の世界から出てきたような口調で書く定義がされてるじゃない。
ちょっと今回の回の中ではAとかDとか使わずに言ったけど、
本書の中では結構こういう者Sがとかそういう論理式みたいな感じで書かれてるじゃない。
そうなんよ。
だけどさ、これ決定的なコミットメントのところで言ってるのはただの精神論だよね。
そういうことだね。
だから俺もフランクファードを作れたなって思ったのよ。
急にメントリズムできたわと思って。
そうなんだよね。
なんかもっと頑張れみたいなことを言ってるの。
なんか気合い入れて意思を貫けみたいな。
初始観徹みたいなことを言ってるわけじゃん。
そうなんだよ。
フランクファード自身が決定的なコミットメントできてなかった説があるよね。
なるほど。
この二階の意欲説を論理で説明するってことにコミットメントできてなかったのがフランクファードなんじゃない。
確かにね。
これちょっと本編の内容に戻るけど、
その二階の意欲説に対する批判が上がったときに、
なんで二階の意欲説と区別されるべきなのっていうところの回答として、
さっきの決定的なコミットメントっていう応答があったわけですけど、
ここでヒッシャーも指摘してるけど、
フランクファード自身が時期によって答え方にぶれがあるよみたいなことを指摘してるんだよね。
お前の決定的なコミットメントはどこにあるんだみたいなことは、
ツッコミどころとしてはあるよね普通にね。
決定的なコミットメントとかどうかっていう概念が、
もはやフランクファードの3階の欲求である可能性があるわけだ。
もうすでに承知をしてしまってるっていう。
なるほど。
ちょっと誤用が過ぎると。
でもこれぐらい遊んで使えるほどには、
3階の意欲あるいは2階の欲求、1階の欲求みたいな概念がちょっとインストールされたのかなと。
だいぶインストールされた感はあるね。
反省と自由の関係
語呂上的にインストールできた感はあるね。
そうだね、ということで。
目的が達成できたんじゃないか。
そうですね。
いうことですよね。
はい。
ということで、ここからはこのモデル、手に入れたモデルを使って、
そもそものテーマでもあった決定論と対峙していくみたいなことになるので、
また3章4章を楽しみに読んでいきたいなと思います。
皆さんもぜひ一緒に読んでいきましょう。
はい、ということで。
なんかアフタートークも久しぶりですね。
楽しいね。
あとこれ、振り返り大事ですよ。
はい。
確かに。
これもありましたね。反省できるのは。
人間だからね、我々。
人間の自由はこの反省の上で成り立っているということなの。
でもこれは否定のしようがないなと思いましたけど。
そうだね。
はい、ということでアフタートークで自分自身の欲求を反省的に評価する能力を高めていきたいなということでございますね。
はい、ワードがよろしいね。
はい、ではではそんなところでまた次回も本編も含めて聞いてもらえればと思います。
はい。
はい、ではでは今日はこの辺で。
はい、ではでは。
13:25
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