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はい、始まりました、ケアラジです。 ケアラジは、仕事・家事・育児・勉強など、日々忙しい現代社会のスピードを少し緩め、
ケアの視点から様々な論点を考察するラジオとなっております。 ということで、2024年、今、録音しているのは1月2日ですけども、
最初のケアラジを撮っていこうと思います。 とはいえ、あれですね、ちょっと2024年のスタートは、
いきなりちょっと災害から始まってしまうという、ちょっとびっくりしましたけど、
実家も大阪で、今住んでいるところも大阪ということで、何か旅行に行くわけでもないですし、
どっかに描いているということもなく、大阪の自宅で過ごしてたんですけど、
結構揺れましたね。大阪の方、結構揺れたなと。 ゆっくり、ゆらゆら揺れる感じが、
体感的には1分ぐらい続いたかなという気がしてますね。
皆さん、大丈夫でしょうか。ご無事でしょうか。 本当に、僕の知り合いで石川にいてる方ってほとんどいないと思うので、
大丈夫かなと思いつつも、石川とか新潟の方、本当大変かなと思いますけれども、
僕もちょっと何かできることがないかなと思いつつも、何もできないという状況は、
昨日から続いてるんですけども、本当に少しでも早く救助がなされて、
平穏な日々が早く戻ればいいなと思っているところです。
令和6年、野党反党地震っていう名前がつきましたね。
テレビで見る限りは、火災があったり、あとはそうですね、古い家屋が多いのかな、
火災もそうなんですけど、半壊全壊してるお家とかもあるのが映像として流れてきたりしているので、
本当に皆さん無事であればいいなと思っているところなんですが、
なんかすごいあれですね、やっぱり起きるんだなというか、
たまたまこれが今回石川の直下があったみたいな感じだったんですかね。
プレートが跳ね上がる形で、おそらくそれで津波が起きたのかなとか想像するんですけど、
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たまたま今回はこれが石川県だったというだけで、何回トラフもいつ起こるのかという感じですし、
やっぱり備えはしておかないといけないなと思いつつ、やっぱりこうなった時の何て言うんですかね、
僕大阪に住んでて、火災っていうのはほぼないですよね、ないに近い状態なんですけど、
情報がどんどん流れてきてて、できることないかなとか、普通に過ごしてていいのかなとかやっぱり思う方もたくさんいらっしゃったり、
僕もちらっと思ったりとかってあるんですけど、やっぱりできることとできないことがあると思うのでね、
自分だったら協力できるかな、これだったら協力できるかなみたいなことを自分のペースでというか、
自分のできる範囲でやることしかできないのかなと思いますが、寄附サイトが立ち上がったりとか、
災害の時はいろんなことが起きますけども、本当にね、各々のペースでできる範囲で災害被災地の支援をやっていけばいいのかなとは思ってます。
無理なくというかね、できてない自分に対してそれを卑下することないように、
みんなで声掛け合いながら過ごしていけたらなと思っている、そんな2024年のスタートでした。
そうですね、思えば東日本大震災の時は、大阪戻ってきてもうちょっとで丸6年になるのかな、
30代前半、31の時に多分大阪戻ってきたので、それまでは元々大阪で生まれ育ち、新卒で東京に出てシステムエンジニアやってたので、
東日本大震災の時も東京で割と忙しい時期だったような気がするんですけど、
普通に働いてましたね。東京は被害っていうことはなかったんですけど、やっぱり揺れはもうすごくて大変でしたね。
帰宅難民になったし、それこそ。僕当時品川で働いてたんですけど、
外見るとビルがこんにゃくみたいに揺れてたのをすごい覚えてて、
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初めて本当に自分の死というかね、これ大丈夫かなというか、本当に7階建てぐらいのビルで当時働いてたんですけど、
そこが抜けるんじゃないかなとか、天井側からすごいみしみしね、ほこりが落ちてきたりとか、本当に体感したことのない揺れだったんで、
あの時の恐怖心とかね、やっぱりかなりありましたし、
その後の生活っていうのも、家帰って帰宅難民になって、僕当時下北沢っていうところに住んでいて、
品川で働いててもJRはすぐシャッター閉めちゃったんですよね。
で、品川から帰れないっていうことで、ファミレスかなんか行って、ファミレスで時間を潰して、でもそれでも動かなさそうだっていうことで電車がになったんで、
結局後輩2人とGoogleマップを駆使して歩いてね、本当にたくさんの方が歩いてらっしゃいましたけど、帰るみたいなことがありましたね。
家はほとんどもう被害なくて、下北のほんとボロボロのアパートに住んでたんですけど、もう壁も薄いね、隣の人、家の人がどこに今いるのか分かるぐらいの、
今ご飯作ってんなーみたいな感じが分かるようなボロいアパートに住んでたんですけど、被害はほとんどなくて、壁掛け時計が1個落ちてたぐらいの感じでね。
でも今よく、今TwitterとかXを見てると、当時のやっぱり報道、自粛ムードというかね、被災地の方ほんとしんどかったんだっていう声を見たりしましたけど、
あのあれですよね、ポポポポーンのCMがずーっと流れてましたよね。あれで気が狂いそうになってましたみたいな、僕もほんとそうで、もうずーっとあれが流れてましたよね。
なので、自粛するのがいいのかどうかっていうのはまたちょっといろんな議論があるところだと思うんですけど、とにかく自粛というよりかはね、普段の生活をしながらお互い何かあったときに助け合うみたいなことがいいのかなーとは思うんですよね。
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だから今後何回トラフなんか起きたときは大阪も間違いなく被害を受けるので、そうなったときにね、自分たちも非日常であるけれども、やっぱり日常であるっていうところがあると思うんで、
いろいろちょっと考えはまとまらないですけど、とにかく日常をどう過ごしていくかっていう視点で、被災地の方は本当に大変だと思うんですけど、僕もなんだろうな、東日本のときはあまり何かできたわけじゃないんですよね。
本当に東京はすぐ、本当に何事もなかったかのように生活は戻ってきましたし、言ったらちょっとしばらくしたらもう普通に多分働いてたと思うんですよね。
でもやっぱり東日本大震災っていうのはまだ全然傷跡残ってるわけでしね、原発のこともありますし、なんだろう、やっぱり今10年以上たって語らないといけないというかね、そんな気がしてますね。
まあまあちょっとその話をね、またちょっと別途できたらなぁと思っていて、やっぱりなんだろう、その土地で生きてる人、でよくこういうのが、そんな土地で住んでるからダメだみたいなね、
あの、都市に移住させるような発想というかね、話す人もいて、まあそれは一理あると思うんですけど、やっぱりなんかその土地でしか住めない人もいるし、その土地に住みたいっていう人もいるし、
なんかそういうことってすごい大事な気がしていて、みんながみんな都市型の生活をしたいかというとそうでもないし、やっぱりずっと紡いできた歴史だったりとか、その土地に対する思い出だったりとか、そういうものって人にとってすごい大事だし、なのでそんなに簡単な問題ではない。
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と思うので、結構人がこう土地に住んで生きていくってどういうことなんだみたいなことはやっぱり考えますよね。
まあでも震災から、東日本大震災からしばらく僕も東京に住んでいて、で、そうですね、まあ大阪に関西に帰ってきたわけですけども、
まあ僕が関西に帰ってきたのはやっぱりこう母親が認知症になっちゃったとかね、あの父がクモマッカ出血で倒れたとか、自分の中で人を区切りついた仕事の中で、まあもうやりきったなというか、もう十分やりましたっていう感じで、っていうのもあったんですけど、やっぱり震災のことが頭にあったというか、
なんか大阪帰ろうって思ったときに、そういうやっぱり原発のこととか、もうなんか年型のなんだろうな、生活に対する限界、これはもう限界なんじゃないかっていうのも多分あったと思うんですよね。
で、その、まああの満員電車とかね乗ってたりとか、やっぱり交通門が麻痺すると本当に動けなくなったり、動けなくなるだけならまだいいんですけどね、本当にもう超満員電車でね、あれで僕おかしくなったんじゃないかと思うんですけど、本当にそれぐらいの人口密度というか、もうパーソナルスペースもクソもないですから、
なんかそういうものにやっぱり薄々限界を感じてて、こっちに帰ってきたっていうのもありますね。あるんじゃないかなって今振り返ると。
まあ、子供も2人いるし、当時は長女しかいなかったですけど、なんか子供のこととか考えるとやっぱり、大阪に帰って、東京にももちろん大事な先輩とか職場の先輩とか、友人はあんまり僕いないんで、あれですけど仕事関係の方とか、
いるんですけどやっぱりなんか帰ろうって思ったのはなんかそういう災害とか、あとはやっぱりなんか自分がずっと育ってきた土地へのなんか思いみたいなのもあったかもしれないですね。
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ずっと大阪で生まれて育ってきたんですけど、なんか僕あんまり馴染めなかった、馴染んでないんですよね。このなんか土地に馴染むっていうのすごいしょうが似合ってないっていうか、何なんでしょうねこれは。
なんかこう地元を大事にする気持ちみたいなのあんまなくて。でも多分、僕両親が島根県出身なんですけど、両親ともに。で、今でも僕本籍が島根なんですけど、だからあの戸籍当本とか取り寄せるとき若干めんどくさかったりするんですけど。
ルーツは一応島根にあって、なので地元の人じゃないっていうのももちろんあるんですけど、なんかもともと多分ずっともし自分がルーツが大阪にあったとしたらまたちょっと感情違ったのかもしれないですね。
まあそれはちょっとわかんないですけど、まあとにかくその大阪っていうものに対して、なんだろうな、地元だみたいなのあんまないんですけど、やっぱりどっちかっていうと大事な人、まあ親戚、親戚というかまあ自分の両親ですけどがいたりとか。
僕は姉が一人いるので姉がいるっていうのも大きいですし、あとは数少ない友達が、まあ大体みんな大阪にいるのかな。そんなに東京出てきたのは僕ぐらいで、周りの友達ってのは大体大阪に、しかも地元の。
僕、大阪狭山市ってとこでずっと育ってきたんですけど、そこにいる友達、大体狭山市かあと堺のあたりに住んでいる子たちが多いんで、まあでもそういうこともあるかなと思いますね。
そういう人たちがいる土地で、地元ってよりかはなんか大事な人がやっぱり生活をしている土地ではあるんで、どっちかっていうとその南川地はあんまり地元だとか帰りたいとかはもう全然なくて、むしろ豊中の方がすごいホーム感がありますね。なんか地元感があるとしたら豊中の方なんですよね。
まあすごい肌に合ってるんでしょうね。なんかわかんないけど。それも土地というよりかはやっぱり今の仕事を通じてだったりとか、活動、自分の活動を通じて知り合った人とかね、がやっぱり肌に合ってて、奥さんも結構振り回してるかもしれないですけどね。
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僕が東京出て行くっていうときは、奥さんはもうこっちで就職決まってたんで、学生時代からの付き合いなんですけども、奥さんの方はもう介護職として大阪で働いてて、なんかね、すごい僕、東京に出て行くって言ってたらしいですね。
なんかね、当時の話聞くと東京、東京ってずっと言ってて。で、なんかね、どこかで内田達郎先生が言ってたんですけど、たぶん小村寺で話してたのかな。
なんでみんな東京に行くんだっていうと、やっぱり査定されに行くというかね、東京ってこう、いろんな人が集まるわけなので、そこで自分の実力を試しに行くというかね、ある種健全な自己顕示欲も持ってたと思うし、自分がどこまでできるのかなっていうのは、確かに言われてみたらそういうのあったかもなとか思うんですけど。
そこで、なんだろう、22から31、2ぐらいまで過ごして、10年ぐらい戦ってみたわけなんですけど、通用する部分もあったし、でも別に自分ってそんな大したことねーやとかって、やっぱり最初思って帰ってきたと思うんですけど、楽しかったし。
東京っていうね、いろんな人がいたり、いろんな土地があって、面白い20代でしたけど。
でもやっぱりなんか違うなとは、ここでずっとやっていくほどの、なんだろう、野心とか、それこそそれをに耐えうること不な体とか精神力っていうのはやっぱりあんま僕なかったんだなーっていうか、そこまでモチベートされないっていうものもあるんですけど。
最終、SEは5年でちょっと体壊して辞めちゃって、で、その後はね、ケア職というか、そこからもう丸10年、何のかな、27の時に介護、高齢介護に入って、で今ちょうど37になったとこなんで、丸10年は多分ね、ケアに関する仕事をしてるんで。
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そうですね。
なので、なんだろう、そういう年型のっていうかね、労働集積型のスタイルというか、その中で戦っていく、勝ち抜いていくみたいなところがやっぱりちょっとなんか違うかなと思って。
ってなるとやっぱり東京にいる必要ってないんですよね。東京地元の人も多いと思うんで、そういう人は残るというかね、いる理由があると思うんですけど、僕言ってしまったら、すごい俯瞰してみたときに、
まあ査定されに行って、査定が終わり、結局そういうスタイルにつかれて、もういいやってなってたんで、東京にいる理由ないんですよね。
で、なので帰ってきたっていうことなのかなとは思うんですけどね。
で、今は若者支援の仕事をしてるわけですけど、この若者の就労支援だったり、サポートみたいな仕事をしてると、
なんだろうな、やっぱりそういう社会から、僕らはちょっと時代もあったと思います。今から15、6年前っていうことで、リーマンショックとかもあったはあったんですけど、なんだろうな。
まだそこまで、俯瞰してないっていうか、まあ別にバブル崩壊して、崩壊後にやっと物心つくぐらいの感じの僕らは年代で、
でもなんかそこまで、なんだろう、今ほど悲観的でないっていうかね、そんな気がしますね。だから、そういう査定されに行くみたいな、東京に出て行ってやったるわみたいな、
エネルギーは僕自体はあったわけですし、そこで潰れちゃうわけではあるんですけど、でもなんだろうな、やっぱりそういう、それを続けたとて、どうなんだろう、どうなるんだとか、
自分にとって別にメリットないじゃん、みたいなことをやっぱり今の若い子たちは思うでしょうし、これは今、そうそう、調査レポート書いてるんですけど、三角車さんと、東京のNPOの三角車さんと一緒に調査して、
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今、レポート書いてて、もう頭から湯気立ってるんですけど、そこでも書いてることではあるんですけど、やっぱり学校っていうものも査定システムなんですよね、あれは。
いろいろ変わってきてるとはいえ、基本的な構造としてはやっぱり査定システムなんですよ。点数つけられて順位がついて、それを何かうにょうにょごまかしてる感じするんですけど、そこの構造変えない限りは査定システムであることは変わりないと思っていて、査定されるわけですよ。
で、あれをやれこれをやれとか、夢を持てとか、あれをやれこれをやれ、いろんな大人たちの思惑が教育というものに詰め込まれちゃうんで、そこでとにかく疲弊したりとか、
まあ本当に疲れ果てて立ち尽くしている、しまっている若者。これだからね、僕ちょっと話も全然バラバラしててあれなんですけど、日本っていうのは、まあ今孤独孤立とかって言いますけど、孤独孤立はまだマシかもしれないんですけど、やっぱ言葉遣いですよね。
孤独孤立もそうかな。なんかあくまでもやっぱり問題は個人にあるっていうような言葉じゃないですか。不登校とか行きこもりもそうですけど、その人に原因があるっていうような言葉遣いですけど。
なので、なんだ、やっぱ社会的排除なんですよねっていうところは、ちゃんと僕ら世代の大人が言葉、そういう言葉を使っていかないとダメですよねと思ってて、やっぱりそういう競争とか査定システムに、もう疲弊してるんですよ。
なので、不登校状態、ただの状態ですからね。不登校児とかってなんかその子の、なんだろう、属性化のように語るんですけど、ただのその今不登校状態であるとかね、今引きこもり状態であるっていうことなんで、引きこもりの人みたいに言うのはやっぱちょっと変なんですよ。
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それを変と思わずにずっとそういう言葉遣いを続けてるっていうのが日本であり、日本の行政施策であると思うんですけど、それやっぱおかしいと僕は思っていますね。
これやっぱ社会的排除なんですよ。なので構造を変えずにね、不登校、心のケアをして、メンタルヘルスっていうのはすごい大事ですけど、そういう構造の変化を伴わない小手先の対策をいくらやったところで僕は一緒だと思っていて、やっぱり変えていかないといけないですよね。
なので不登校、引きこもりじゃなくて、今進行してるのはやっぱり社会的排除であって、古くから続いてるその工業化社会の中で作られてきたシステムがやっぱり今現状合わなくて、
日本はこんだけ失われた20年とか言ってますけど、やっぱり工業社会のスキンをいくら回したところで誰も幸せになれないんですっていうことにいい加減気づきなさいよっていうことであって、
それは疲弊するんですよ。意味ないじゃんってやっぱり賢いことを気づくし、何やってんだって。でも乗っからないとなんか当たり前、それが当たり前みたいになってて、そういう意味のないシステムに乗っかっていくことにすごい自己矛盾を抱えるわけですよね、子ども若者っていうのは。
全く意味ないじゃんってわかってるけど、乗らないとすごいマイノリティになっちゃうっていうか、それがこの居場所ってものがこれだけ叫ばれるバックグラウンドだと思うんですよ。
なのでやっぱりこの社会的排除の問題を考えていかないといけないんですよね。イコールやっぱり構造を変えていかないといけないってことなので、そんなことを今ちょっと考えてレポートを書いているというところで、もう30分になろうとして、全く考えもなしにね。
はい。
はい。
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はい。
何だろう、つらつら喋っちゃいましたけど
そうですね、本当にいろいろある日本という国ですけども
やっぱり何だろうなぁ
僕自身そんなに器用な人間でもないですし
じゃあもう日本ダメだ、海外行こうみたいなそこまでの能力もないかもしれないし
でもやっぱり子供たちが育っていくこの日本という国を少しでも良くしたいなと思ってはいてて
そのために自分のできる範囲で少しでも何かしていって
少しでも日本が良い国になったり
僕が住んでる豊中っていうところが良いところになったり
少しでも若者が生きやすくなったり
そのことを目指して2024年は引き続きやっていきたいなというところですかね
本当にいろいろありますけど
多分今年地味な年になると思ってて
やっぱり本当に必要なことって地味なんだなっていうのが去年1年思ってたことで
今までは結構自分をバーンと意識せずと思うというかね
どっちかというと影響する、影響性みたいなところが多分個人の資質としてはあって
いろんなことをやっていくと
人を不穏にさせることもあったでしょうし
これまで大阪に戻ってきてからっていうのはあるんですよ、そういうところがね
これとこれって繋がるんじゃないみたいなところ
いろんな領域を行き交うと思っちゃうので
そういうことでもやるとやっぱり周りの人って不穏になるんですよ
僕の周りの人って
面白いじゃんと面白がってくれる人もいれば
この平穏な場を荒らさないでくれよっていう人ももちろんいてて
そういうものもなんか気づけるようにはなってきたし
なのでね、その
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でも必要なことを必要なところでやっていくって
やっぱ地味なんですよ
必要なことをやるって結構地味で
弾力もいるし
継続力もいるし
お金もいるしなんですけど
去年1年ね結構頑張ったなと思ってて
その遂行能力みたいなもの結構上がったなと思うんですよね
必要なことを今まではなんていうか
本当に自分のモチベーションが高いものに手をつけてやるとかね
やってたんですけど
必要なことでもしっかりやるみたいなことがちゃんと身についてきたなと思うので
今年はその必要なことをやる能力って
なんか当たり前のことを言ってるようで
僕の中ではちょっと最近ついてきた力ではあるんですけどね
どうしても自分の興味あるところにポンポンと越境して繋いで
自分としては必要だと思ってるんですけど周りから見たら
領域飛び越えちゃうと派手な動きに見えちゃったりとかあるんですけど
そういうことも踏まえて動いていくって感じですかね
それが意図してやったほうが良ければそういうことをやるし
すごい抽象的な話ですけど
でも俯瞰した上で今は半年はこれやっといたほうがいいなとかね
なんかそういう地味な力政治力みたいなものも
ちょっとつけていきたいなと思うんで
ちょっと水面下に潜るような
でもなんかじわじわ力はついてるみたいな
2024年になるんじゃないかと思うんで
けあらじはねずっと続けていこうと思うんですけど
ちょっとあんまり派手な動きはないかもしれないですが
そんな2024年に最後何言ってるかわかんないと思うんですけど
自分の中ではそういうふうに思ってて
ちょっと長くなりましたが
こんなことで2024年皆さんいろいろありますが
何かあれば声を掛け合って手を取り合って
幸せな日常を送れるようにお互い助け合ってやっていきましょう
それでは