1. care-radio(ケアラジ)
  2. 介護してたときの話
介護してたときの話
2024-08-19 55:34

介護してたときの話

介護職時代の話を取り止めもなく。意味あるたくさんの出会いがあったことが財産。


なぜかモノラルで録音されたので左耳でしか聞けません!

感想

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00:00
はい、始まりました、ケアラジです。 ケアラジは、仕事か地育児勉強など、日々忙しい現代社会のスピードを少し緩め、
ケアの視点から様々な論点を考察するラジオとなっております。 ということで、
今日は8月19日、月曜日というところですね。
なんとなく、ちょっとずつ夏が終わって、
朝晩は、ちょっと秋っぽい空気も入ってきたなという感じがしますが、
日中はまだまだ暑いなということで、
まだまだ暑い残暑が続くかもしれないですが、
なんとなく、ちょっと飽きめいた感じもして、若干ホッとしたなというところではありますね。
そんなところで、
緊急報告としましては、
仕事的には若干薙ぎの時間というか、 コマコマやることはもちろんあるんですけど、
新規案件に向けた動きだったりとか、
あとは定常的に行っているものですかね、メンテナンスであるとか、
福岡のコンテンツサポートのプランに、今3社かな、
関わらせていただいているので、 主に経営者の方にインタビューしたりとか、
日々そのコンテンツを一緒に作って、 事業を発信していくとか、集客するとか、
そういうところのお手伝いをさせてもらったりとか、
ウェブページの制作案件に向けて、 デザインを始めるところが2社あるので、
ちょっと今、海の殺し身というか、 主に作り始めるときっていろんなインプットをするんですけど、
リサーチを今かけて、どんなデザインがいいかなとか、 コンテンツどんなものが必要なのかなとか、
そういうところをちょっと詰めていっているので、 薙の時間ではあれど、考えることがたくさんあるなとか、
いうところですかね。
はい。仕事としてはそんな感じで、 あとは相談員の業務としては、
日々日々お一人お一人クライアントさんの面談をしたりとか、
就労以降に行くとかね、 そういうフェーズにある方がいらっしゃったら一緒に
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見学に行ってみるとか、
企業さんにちょっとお話をしに行くとか、 職場体験というのをお願いしたりしているので、
そんなのをお願いしている企業さんにちょっと訪問して、 どうですかねと、最近の状況だったりとか、
何か受入に際して何か不都合であるとか、 こうやったらもっと良くなるポイントありますかね、
みたいなことを伺いに行ったりとか、 そんなことをさせていただいている。
今日この頃って感じでね。
いるので、何か大きくトピックがあるかというと、 そんなこともなく、
日々の業務の中で、 新しい案件に向けての準備が始まっているぐらいの感じで、 今やっておりますところですね。
でですね、今日何か話したいなと思ってはいて、 何がいいですかね。
なんとなく2つテーマがあって、 1つは介護のお仕事の話で、ちょこちょこしているんですけど、
それをがっつりテーマとして扱ったことがなかったので、 介護のお仕事の話と、
あとはなんとなくなんですけど、 そのパートナーシップというかね、
誰かと一緒に暮らすことみたいなテーマで、 何かお話できたらいいなと思ってはいるんですけど、
どっちがいいかな。 決めてから喋れよって感じもしつつ。
そうだな、ちょっと介護の話をしてみましょうかね。
うまく喋れるかわかんないし、 何を喋りたいかもいまいち定まってはないんですけど、
僕のキャリアでいうと、
ファーストキャリアがシステムエンジニアで、 大学4年間で卒業して、
大阪でずっと暮らしてきたんですけど、 そのタイミングで就職して、
僕は東京に行くわけですけども、
東京で丸5年間システムエンジニアとして働いて、 最後の2、3ヶ月は就職してるので、
5年弱ってことになるんですけど、
パニック障害というものになってしまったんで、
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どうしようかなと。
当時長女も生まれていたし、 多分2歳ぐらいだったと思うんですけど、
マンションも当時25の時に長女が生まれたんで、
で、ちょっとしてから家を買ってですね、 東京の国立というところに、
それこそ5年ぐらい住んだのかな、 もっとか5、6年住んでたんですけど、
最初は上京したときは会社の寮が住吉というところにありまして、
東京の江東区というところですけど、 住吉というところに住んでまして、
半蔵門線が確か通ってたんちゃうかな。
東京の地下鉄のこともほぼほぼ忘れかけてますが、
そこに2年間だけ住めますという寮だったんですね。
寮といっても会社がマンション借り上げているだけで、 家賃をちょっと持ってくれるというところでね。
2年間経って、引っ越さなあかんということで、
当時仲良かった同期と一緒に下北沢に引っ越して、 それもお金なかったんでね。
普通はみんな貯めてるんですけど、 家計の管理が崩壊してたので、
なんとか最後のボーナスをね、 全額引っ越しに突っ込むみたいな感じで、
それもトラックも一緒に借りたんですよね。 同期と借りて、そこに荷物を突っ込んで、
友達にも手伝ってもらって、 下北沢まで車で移動するみたいな、
そんな引っ越しをして、
で、下北で、
その時僕めちゃくちゃ働いてたので、 もうほぼほぼ寝に帰るぐらいの平日はね。
もう夜まで働いて、寝てすぐ仕事行くみたいな感じで、
土日はね、やっぱり仲良かった同期と、 下北沢っていろいろ演劇があったりとか、
食べるところもいっぱいあったりするんで、 そういうのは楽しんではいてたんですけど、
もう一回ね、ちゃんと居ますみたいなって 思うような街であるんですけど、
当時は別に、何でしょう、 街の一員としてなんかやるというわけでもなく、
とにかく会社と家の往復で、 土日ちょっとね、おいしいもの食べに行くとか、
まあそんなことでやってて、
09:00
ちょっと話だいぶずれましたけど、
で、まあまあ半年ぐらいして もう結婚するってことになったんで、
そこを出て最初に住んだのは、 最寄駅は国立なんですけど、国分寺市で、
で、そこに住んで、多分1年ぐらい住んだ後、 もうマンション買って引っ越して、
国立にずっと住んでたっていう感じなんですけど、
で、話戻すと、なのでSEの話ありましたけど、 パニック症がなっちゃったんで、
退職するっていう流れになってて、 本当に働けなかったんで、
そのフルタイムでとかって、 もう無理だってなってて、
うん。
で、奥さんが、
僕が上京した後も、奥さん大阪で働いてて、
介護職だったんですね。
もともと副市計の学校に行って、 介護職ついてたんですけど、
で、結婚するってなったんで、 奥さんの方に東京に来てもらうってことになって、
そうですね。来てもらって、
最初に住んだのが国分寺でっていうことなんですけど、
そうだな。
なので、話ぐだぐだなんですけど、 ちょっと頭働いてないんですけど、
で、辞めるってなった時にね、
もうこっち来てから子供が生まれて、
多分1年ぐらいはずっと子育てに専念してたと思うんですよね。
でも、保育園に預けてっていうタイミングで、
最初いつも子供どうするか問題があるんですけど、
いつもうまいこと会社の人が対応してくれることが多くて、
仕事来てほしいから、ちゃんと証明書すぐ出すよみたいなね。
会社の方が、奥さん自身が資格をしっかり持っていたりとか、
結構仕事ができる人なので、そういうふうに計らってくださる場合が多くて。
最初はある程度働かないとそういう就業証明とかなかなか出してくれなかったりするんですけど、
福祉業界ならではというか、もう出すからとにかく来てくれっていう話になりやすいんですかね。
12:04
東京でも介護の仕事を始めてて。
僕がパニック症になって、日々何してたかというと、
家事をやってたんですよ、主にね。朝ごはん作る、夜ごはん作る、長女の送り迎えをする。
その間の時間は何をしてたかというと、
家にいてた時もあったんですけど、僕の記憶だとずっと歩いてたんですよね。
国立って、ちょっと歩いたら玉川があるんですけど、
玉川までずっと歩いて、玉川沿いを歩いてしばらくね。
帰ってきて、昼ごはん食べてとか、そういう給食期間を送ってたのかなとは思いますね。
でもどうしようかなと思ってたんですけど、
割と奥さんがすぐ働いた方がいいんじゃないっていう考えの人で、
僕自分一人だけだったらこうはならなかったと思うんですけど、
割と発作とか結構起こる状態ではあったんですよ。
美容院とかよく行けなくなったりするって言うんですけど、パニック障害の方は。
でも、歯医者に行けないとかもあるし、なんですけど、
僕の場合は結構無理やり行ってたんですよね。
ちょっと危険だったかなと思うんですけど。
で、歯医者行って補佐を来たりとかありましたけど、顔真っ青なんで大丈夫ですかとか言われたりしながら、
仕事もそんな感じで早く始めた方がいいんじゃないっていう、よしわるしだと思うんですけど、
そういうちょっとリスクを抱えながらも、奥さんが紹介してくれて働いてた別の事業所ですね。
埼玉の浦和っていうところに一つ事業所があったんで、そこでアルバイトでもしたらどうみたいな感じで、
それを始めていったっていうのが、僕の介護職のスタートっていうかね。
それまでもちろん介護なんてやったことなかったですし、
奥さんの話聞いてたんかな、当時の記憶がほとんどないんですけど。
15:04
そんなところから介護の仕事を始めたっていう、全く縁もゆかりもない。
で、何をしたかというとですね、アルバイトは週1回だけにしてたんですよ。
まだその体が全然、しんどくなるかもしれないし、実際たぶんしんどかったんで。
だから浦和に行くのってどう言ってたんかな。
西国分寺っていうところまで行って、
えー忘れたな。
なんか乗り換えるんですよね。何千円やとかちょっともう今忘れちゃいましたけど。
乗り換えて、北浦和っていうところに行くんですけど、
結構だから行く道中も何回か発作起きたことありましたね。
で、週1回アルバイトして、
週2回かな、ちょっと忘れたんですけど、週2回は介護の初任者研修か、初任者研修というのがあったんで、
それを立川の学校に受けに行ってたっていうのが僕の復職ストーリーにはなるんですけど、
そんなことやってましたね。
結構その学校で仲良くなった子がいたりとか、ちょうど同い年の子がいてて、
その子すごい面白い子で、なんか元Jリーガーなんですよね、確か。
J3かJ2か忘れましたけど、
その子も結構仲良くなって、ある種初任者研修とかって10人ぐらいでやるんで、
ちょっとみんなで仲良くなったりするんですよね。
1回バーベキュー行ったんちゃうかなとかもやりながら初任者研修取って、
その後さらに上の実務者研修っていって、介護福祉士の資格を取るにも必要な研修があったりするんで、
それもどうするとかって言って、森そのままの流れで実務者取ろうと思うみたいなので、
でも仲良い人たちはみんなそのまま実務者まで受けてみたいな感じで、
若い子もいれば18歳とかで受けに来てた子もいれば、
僕より全然年齢上の50歳ぐらいの女性の方とか、
18:00
あとは旬ちゃんって元サッカーをやってた旬ちゃんだったり、もう1人ぐらい男の子いた気がしますけど、
試験の時は僕の家でみんなで練習したりそんなこともしつつ、
実際に介護の仕事を始めたっていう感じですね。
介護もいろいろあると思うんですけど、
特別養護老人ホームっていう、通称特養っていうとこだったり、
あとはグループホームっていってね、
特養もそうですけど、グループホームはどっちかっていうと、
独立型というお部屋がお一人お一人にあって、
共同生活をするっていうグループホームっていうのもあるし、
いろんな形態があるんですけど、
僕が言ってたのはいわゆるデイサービスで、
デイサービスなんですけど、
慈悲の宿泊サービスがついてるっていうような、
今は僕も介護業界離れてもうだいぶ経っちゃうんで、
今この形態あるかわかんないですけど、
いわゆるお泊りつきデイサービスみたいなのを、
4年ぐらい従事してたんですよね。
何を話せばいいかなと思うんですけど、
デイサービスなんで、車でまずお迎えに行くんですよね。
当然ご家族がいてて、
いてない方もいらっしゃるんですけど、
大体の方はご家族がいてて、子さんがいてて、
なかなか家でずっと見ることもできないし、
一人だとなかなか食事も取れないかもしれないし、
そんなこともあって、
どっちかというとデイサービスのレスパイトっていって、
ご家族のケアのためにデイサービスを使うっていう場合も多いんですね。
でもその中でもご本人が楽しく過ごせるようにとか、
充実して過ごせるようにとか、
そんなことを目指してサポートをさせていただくっていうのがデイサービスなんですけど、
なのでお仕事に行かれる方も多いんで、
お子さんもリタイアされてて、ご自宅にいらっしゃる場合もあるんですけど、
それでも認知症とか症状がひどくなってくると、
なかなか家の中でもストレスフルな状況があったりするんで、
その会ごとに応じて週2回とか3回とかね、
21:02
多い方集合とかにプラスうちはお泊まりもやってたんで、
そこは介護保険じゃなくて実費を出して宿泊していただくので、
多少お金をかかってくるんですけど、めっちゃ安くやってたんじゃうかなと思いますけど、
そんな中で僕は介護のお仕事をしてたっていうところですかね。
そうですね、そうなんです。
朝は結構早くて、お仕事行くんで、8時くらいに葬芸スタートみたいな感じでやってて、
車の大きさにもよるんですけど、
4人ぐらい一気に迎えに行って、また帰って2便でもう1回行くみたいなスタイルでやってました。
運転手さんがいるような事業所ではなかったんで、本当に定員10名の小規模の事業所だったんで、
迎えに行って、ご家族が送ってくださるところもあれば、
もうご家族先に出ていらっしゃって、凄い準備をしっかりしてくださっているので、
ご本人と一緒に車に乗り込むみたいなことがあったりとかするんですけど、
本当にいろんなご家庭があったなっていうのが、すごい未だに思い出すっていうか、
それ自体が楽しかったとも言えるし、大変さでもあったと言えるんですけど、
本当にいろんな形の家族があるなっていうのは今思い返しても思うし、
あとはお一人お一人やっぱり全然違うんですよね。
例えば20代とか30代とかってほとんど、ちょっと30代ぐらいで差がついてくるかと思うんですけど、
まあまあ大きくは外れないなと思うんですよ。
同い年が集まったら、30代は30代なりの空気があるし、
20代なんてほとんどみんな変わんないと思うんですけど、
これが70、80、90ぐらいの方が来るんですけど、
同じ90でも全然違うんですよね。
これ面白いなと思うんですけど、
本当になんかヨボヨボのおばあちゃんみたいな感じの方もいれば、
本当に90ですかっていうような、もうシャキッとして全然会話も問題ないみたいな方もいるので、
24:00
これまでのもちろん人生の中での習慣とかもあるし、
あとはやっぱり個人差も大きいんじゃないかなと思うんですよね。
ご病気されたりとかそういうことがあるとね。
まあまあそんな感じで、
デイサービスなんでね、
そういうご家庭の事情も知れるというのは面白さではあったかなと思うんですけど、
やってましたね。
で、お泊まりもあるし、
ちょっとこのお泊まりデイっていうのはかなり特殊だと思うんですよね。
なので、普通デイサービスってね、ちょっと元気な方が来て、
運動してとか歌を歌ってとか、
食事を食べて、その食事っていうのもお一人お一人ちょっと形を、
メニューはみんな一緒なんですけど、
ちょっと刻み食がいい方がいたりとか、
とろみをつけないとご縁しちゃうので、
お味噌汁にちょっととろみをつけさせてもらうとか、
そういう個別のサービスをやったりとか、
当然皆さんお薬を飲んでるんで、
間違いないようにお薬を飲んでいただくとか、
そんなこともケアの一環としては入ってくると。
で、お迎えに行くときもいろいろやっぱりご家庭ご家庭のルールがあって、
ここに何番何番のキーボックスがあるんで、
そこを開けて入ってくださいっていう方もいれば、
ピンポンしてくださいっていう方もいれば、
本当に多種多様だったんで、
その要望をいかに受け入れつつ、
でも店員10人をいかに埋めるかっていう、
ビジネス的に考えると、
やっぱりそういう店員が10名なので、
10名埋めた方がいいわけですよ、当然。
これは稼働率とかって言うんですけど、
そこのバランスをとっていくみたいな仕事だったかなと思います。
もちろんできないこととか、
うちが合わないだろうなっていう方をそういうのをご説明してやるって感じなんですけど、
なんかそんな仕事を4年やってきたんだなと。
普通はちょっと話すごい飛び飛びであれなんですけど、
普通はさっき言ったみたいに元気な方が来て、
体操とかして帰っていくみたいなのがデイサービスのイメージとしてあるかもしれないですけど、
結構お泊まりをやってたりすると、
洋介護5の方が普通に泊まり目的で来たりとかするんですよね。
27:06
レスファイトとして。
これはすごい、じゃあ特養とか入ったらいいやんって思うんですけど、
なんかそこはね、いろいろあるんだと思います。
ご家族の中にも。
本当に施設に入れちゃっていいのかなとかね。
そういうカットが本当に見えるっていうか、
家で見たいっていう方もいるんで、
例えば8日泊まって、週末ご自宅に帰られて、
また家で泊まるっていうパターンもありましたし、
週末ちょっと一泊だけしてくださいっていうパターンもあったし、
やっぱりそこにはなんていうか、
言葉にできないような、いろんな感情があると思うんですよね。
そんなことで、なので結構例サービスなんですけど、
おむつ交換とかもやってましたし、洋介護5の方が来るんでね、
単位変換許したりとか、夜勤も入ってましたし、
そんな仕事をしてたんですよ。
当然運転もしないといけないんで、草芸も行きましたし、
レクの企画とかね、やっぱり楽しく過ごしていただきたいですし、
どっか外出とかね、してもらいたいですしね。
裏場の時はバラ園に行ったりとか、
いちご狩りとかも結構行ってましたよ、企画してね。
行ってたし、
一年、北浦和が一年行って、その後に陣地移動があって、
国立で一年管理者をやって、
国立のことをやりつつ、最後僕、所沢に行って、
しばらく管理者として、そこが一番自由にやったかなという感じなんですけど、
お買い物会みたいな企画してやったりとか、
週1回ね、お2人ずつぐらい買い物に一緒に行ってっていうのも企画したし、
なんか本当に、竜舎さんの声聞いたりとかしながらいろんな企画作っていったなっていう。
恒例でやってた夏祭りとかはね、割とやってたんで、
焼きそば作ったりとかフランクフルト焼いたりとか、こんなこともやったし、
30:03
本当に生活に直結するような仕事だったなと思いますね。
そういう感覚ってやっぱり今にもつながってるなって思うんですよね。
何だろう、介護はこうあるべしみたいなので、ちょっと危ないというか、
よくスタッフの中でハレーションが起きたりするんですけど、
どっちかっていうと、いや、こうしないといけないんでしょうとか、
記録はね、一応介護保険事業の中で枠組みでやるんで、記録取っておかないといけないとかいろんなルールがあるんですけど、
いや、こうしないといけないみたいな人がいると、そういう意見ももちろん大事なんですけど、
そういう意見と、でもご本人にとってはどうなのみたいなところが結構ぶつかって、
組織内ではハレーションが起きやすいかなと思うんですけど、
割とそういうことが、何ていうか、お一人お一人が本当に大事だなっていうか、僕的には。
すごい面白くって、やっぱりその仕事が。
奥さんと未だに喋るんですよね。
あの介護の時あの方、あの人がああやったよなとか、あの人誰やったっけみたいな。
あそこに住んでるあの人、あの人みたいな感じで未だに喋ったりするし、
とっても人生に触れさせていただいて、皆さんやっぱりね、戦争体験されてたりとか、
実は企業の重役だったみたいな方もたくさんいらっしゃって、
そういう方のお話を聞かせてもらったりとか、
認知症だったりするんで同じ話何回もされるんで、
多分100回ぐらい聞いた話はもちろんあるんですけど、
まあでもなんかそういうのに触れさせていただいたっていうか、
そういう意味では本当にいい仕事だったなとは思いますね。
だし、その僕がやっぱりこれまた明日、明後日かな、
あのオムラジでオンエアされると思うんですけど、
あの青木さんと喋ってて、
そのシステムエンジニアの時って何が辛かったかというと、
そのやっぱりなんかリアリティがないっていうことがあって、
33:04
もちろん実態がないという意味ではないんですけど、
僕自身がこれでお金もらっていいのかなとか、
なんかそういうのを感じてたところがすごいあって、
それは多分要因の一つだと思うんですけど、
それでもストレスの一つになってて、パニック症がなって、
この介護の仕事をやった時にめちゃくちゃ、
一気に何か良くなるっていうわけじゃないんですけど、
すごい意味のあることをやってるっていう実感がやっぱりあったんですよね。
もちろん目の前にいる方が何もしないと亡くなっちゃうっていうのもあるし、
本当に日々お一人お一人に必要なサービスを届けるっていうことだったりとか、
その一言に要は考えて、いろんなケアというかね、
さっき言ったような玄関の開け方一つとってもそうなんですけど、
食べ方だったりとか好みだったりとか、
あとはお声掛けの仕方一つとってもそうなんですよね。
入浴解除とかするんですけど、
妊娠の方なんでね、
家でお風呂入らなかったりされるので、やっぱり出入りに来た時に入っていただくんですけど、
それもやっぱりその方を考えて声掛けしないと絶対入っていただけないっていうのがあって、
すごい試行錯誤するんですけど、ここに。
でも、もういいわ、帰って入るから大丈夫とかっておっしゃるんですけど、
ちょっと入っていきましょうみたいな感じで毎回毎日毎日そういうことをやるんですけど、
例えばですけど、
息子さんがこうやってちゃんと用意してくださってるんですよみたいな、
タオルとかお着替えとかが入っているカバンをお見せして、
あら、そう?みたいな感じとか、
それがでももう忘れ張るんで、毎週毎週それをやるんですけど、
そこにも一個その人のストーリーが滲み出てくるというか、
やっぱりそういうお子さんのことはすごい大事に思われているからこそ、
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そういう声かけが機能するというか、やっぱりそういうのってお一人お一人考えないとできないし、
そういう話をしたらもう終わりっていう方もいますしね、
いろいろうだうだ言う前に、でもなんか暑いからちょっと足湯でもしましょうかみたいな感じで、
の方がうまくいく方もいるし、
そこ来たらもう忘れちゃうんで、足湯しながらもう頭も洗っちゃいましょうかみたいなこと言って、
そうねーみたいな感じになりはるんで、できるだけ嫌な思いせずにね、
補正って言って、清潔を保つようなケアをしていくっていう感じなんですけどね。
なので、そんな買い場食ってお給料もそんなに良くないですし、
だし、僕で言うと本当に、何だろうな、
365日休みなしとか、24時間、お泊まりもやっているんで、要は24時間稼働し続けているわけですよ、365日。
その中で、正月も当然ね、正月ってご家族は休みたいじゃないですか。
なので、僕らケアワーカーというかね、そういう時でもずっと働いているわけですよ。
そこは事業者のスタイルもあると思うんですけど、うちはそういうところで。
なので20代後半はですね、SEの時も実は僕、ゴールデンウィークとお正月は、
ちょっと大きめのプロジェクトをやっていたんで、
年のそういう休みの時にシステムの入れ替えをやるんで、入れ替えのための試験があるんです。
それを同じく正月にやるんですよ、システム止まっている時なんでね。
なので正月って毎年データセンターみたいなところに行って、
夜中から移行作業のリハーサルを始めますみたいなことでやってきていたんですけど、
それがなくなったと思ったら、次はもうそういうご家族のレスパイトのためにゴールデンウィーク、お正月関係なく働くというところでやってて。
20代はね、もう本当に、
うーん、なんかそういうどうなんだろうって思うところも、
39:04
今なんか客観的に見ると、いやおかしくないって思うところももちろんあるんですけど、
ブラックヤンとかってなるんですけど、
まあそれはそれでなんかすごい充実した時間だったなとは思うんですよね、お正月も。
お餅はね、ちょっともうかなりご想像の通り危険なんで、
でもなんかお正月楽しんでもらおうみたいな、
まあ服洗いやったりとか、
まあ実際できなくてもそういうことをね、はご板やったりとか、
まあできる方はね、できる方もいるんでコマ回しやったりとか、
で、夏祭りかな、全然ちょっと話変わるんですけど、
夏祭りで子どもたちが夏休みの時に、
スタッフのお子さんに来てもらったりね、
スタッフのお父さんが太鼓を教えてて、
で、スタッフにそのお子さんをね、
太鼓がやっぱりあるから持ってきてもらって、
で、子どもたちの演奏を見てもらうとかっていうのもやりましたしね。
なんかそういうの一つ一つが本当に貴重な時間だったなと思うんですよね。
で、その妖怪5の方とかって、
まあ全解除が必要なので、
まあ食事もそうですね、食事もそうだし、
もちろんもう食事全部ですよね。
ご自身で食べられる方もいたけど、
お二人妖怪5この方がいてて、
まあもう全解除なんですよね、食事もそうだし、
そうですね、全解除の方がお二人いてたんですけど、
で、子どもたちが太鼓たたいているのを見て、
もうなんか号泣してはるんですよね、そのうちのお一人が。
で、なんかもう普段なんか、
まあにこーとかはされるんですけど、
しゃべれないので、
ああ何考えてはんのかなとか、
もう下手したらなんか考える能力っていうかね、
がまあまあないんじゃないかなっていう風にも見えるんですけど、
でもなんかそういう、
お子さんが来て太鼓たたいているのを見てめちゃくちゃ泣いてはって、
ああなんかこれやってよかったっていうのをすごい思ったんですよね。
お子さん読んでよかったなとか、
なんかそれってすごい僕の中では意味があることというか、
42:01
なんか、まあもちろんプログラミングをして、
何かプロダクト作って、
っていうことに意味がないというわけじゃないんですけど、
もちろん意味あることだし価値があることだからこそお金が生まれていると思うんですけど、
なんか僕にとってはよっぽどそっちの方が意味があるっていうか、
なんていうか、働いている実感が伴うんですよね。
まあこれは脳の特性なのか何なのかわかんないんですけど。
うん、で、
まあまああんま長く話しても焦点も絞らずにただただ喋っているだけなんで、
あれなんですけど。
で、
まあその方は僕がいているときはずっと施設多分、
ずっと使ってくださってたのかな。
ちょっと忘れちゃいました。
他に映ったような気もしますね途中で。
やっぱりサービス値上げしないといけないというタイミングが来て、
もちろんめちゃくちゃ安くやってたんで、
お子さんとかもまあまあそうですよねみたいな感じで、
でもちょっと上がると厳しいですねみたいな感じで、
結局どっか違うところに施設か何かに入られたような記憶はあるんですけど。
で、ずっと見てきた方が一人いてて、
で、
まあその方を
僕は直接お見取りをしたんですよ。
本当にこれも不思議な感じだったんですけど、
介護のお仕事やったことある方はわかると思うんですけど、
この月1回ねこう締めて、
介護報酬の請求をするんですよ。
で、まあ例えば今8月なので、
9月10日までに
これだけ、このサービスをこれだけ利用されましたみたいなのを
国保連って言ってね、
県がやってるのかな、
やってる期間に請求をかけるっていうシステムを使ってやるんですけど、
僕はそれの仕事で、
まあちょっとこう、
言ったらケアの仕事も現場も結構入ったりとか、
送迎もしたりとか、
お風呂も入ったりとか、管理者やりながらも、
まあ割と多分僕現場入る方だと思うんですよね。
会社としてはなるべく入らないようにみたいな感じだったんですけど、
あの、夜勤の人がね急に飛んだりとか、
急に来なくなったりとか、
マジでそういうことが起こる業界なんですけど、
45:00
マジで?みたいなのとか、
長くやってた方が急に病気になっちゃって辞めちゃったりして、
まあそんなんもあって、僕結構現場入ったりとかも、
そういう時はね、するんですけど、してたんですけど、
で、
あの、なかなかこう、
もともとね、コンスタントに仕事やるのは苦手なんで、
まあその請求業務が残ってて、
でも休日出勤したくないからまあやってたわけですよ。
夜8時ぐらいまで残ってね。
で、
まあ終わって、
で、まあAさんとしましょうか、その人がね。
まあもうずっとお泊りしてくださってた方ね。
で、
まあAさん帰りますね、みたいな、
を言ったんですよ。
で、もうなんとなく僕、
それまでにもそのお見取りをしたこと、
まあお見取りまではしなかったですけど、
そういうちょっともう最後の時が迫った方っていうのは、
まあ多分2、3人ぐらいかな、
現場の中で見てきてて、
ああこういう経過をたどるんだなとか、
まあもちろん勉強で分かっている部分もあるし、
まあまあでもリアルに見ないとやっぱそうなると分からないんで、
で、なんとなく食事取れない感じとか、
その日の朝に、
久々にあの入浴会場、僕も入って、
で、こう、なんていうか便が急に、
まあその方すごい全然便が出にくい方で、
でもなんかお風呂解除しているときにバーって便が出て、
ああこれはなんかいよいよだなと思って、
まあそういう指揮が、
まあ最後禁止感というとやっぱり全部の筋肉が緩んでいくみたいなことが起きたりとか、
するので、その日のお昼に、
あの娘さん連絡して、
もう多分長くないと思うんでお顔見に来ていただいていいですかみたいなこと言って、
で、前に来ていただいてちゃんとこう最後の時間も作って、
でまあそれが分かっていたので、
まあ主治医の方にもね、
もう近いと思うんですみたいなことで、
まあ話取り付けてて、
で、そういうことをケヤマネにも伝えて、
で、その最後のときどうしましょうみたいな感じで、
個人的にはなんかあの、
ちゃんとドクターを見ている施設に入って最後を迎えた方がいいのかなと思ってのその回を持ったんですけど、
いやもうなんか最後は是非みたいな、
寺戸さんとこでみたいな、
あの、
いやそんな面倒くさいだけやんとかちょっと内心思いながらも、
まあまあ確かにね、
まあそんな見とるような施設じゃないんやけどなとか、
いろいろ自分の中で葛藤はあったんですけど、
まあそんなまでいろいろ準備はしてたんですよもうすぐに、
48:01
葬儀屋さんにもどうしたらいいですかとか聞いてて、
で、最後、
まあそういう朝そういう状態になって、
禁止感がちょっと起きてるなみたいなご家族来てもらって、
まあまあもう近日中かなと思ってその残業してて、
で、家さん帰りますねみたいな声をかけて、
で、まあ割とほぼもうそういうの見えてたんで、
常時そのSPO2って言って、
酸素飽和濃度っていうのをね、
あの皆さんコロナになってすごい話題になったんで、
あの皆さんあの、ご理解いただけるかなと思うんですけど、
でそれ指にね、
まあまあ常時つけといてくださいみたいな指示を出してたんで、
で、そう、
で帰りまーすって言った瞬間に、
嘘みたいな話なんですけど、
そのSPO2がもうグングングンってこう下がっていったんですよ。
80になって、70になって、60になってみたいな、
えーって思って、
いやこれはいよいよなっていうなって、
で、もう多分体感5分も経たないうちにそのまま、
あのー、最後本当にこうふーって息を吐いて、
あのー、まあ亡くなってっていうのがあって、
本当になんかそういうのも含めて貴重な体験させていただいたなというか、
まさかね、そんなタイミングに出会えると思ってなかったんですけど、
でまあまあ、整えてた通りにいろんな各所連絡して、
あのー、8時、9時くらいだったんだね。
まだ先生も来られるということで、
来ていただいて、その死亡認定をしていただき、
みたいなことをやって、
で葬儀にも出て、
でまあとにかく、
まあ僕もいろんな思いがあって、
ご家族にもいろんな思いがあるんですけど、
やっぱりなんかもうちょっと見に来てあげたらよかったんじゃないっていう思いは
僕の中には消えず、
まああったんですけど、
まあとにかくその、
とにかく体がすごい綺麗だったということを褒めていただいて、
まあこんな状態でね、
あのー、最後迎えられてとても良かったと思いますみたいな。
でもまあ確かね、寝たきりなんでね、
あのー、浴槽ができたりするので、
まあそれもなんかすごい良いドクターを見つけて、
あのー、
ちょっとね、そこに行っていただいたりとか、
してかなり浴槽も、
まあひどかった浴槽も改善されたりとかね、
51:02
まあそんなことも、
やってのその最後の、
まあ声を聞けたんでね、
そこでもうなんかもうやり切ったってなったんですよね、
僕的には、
うん、いやもういいですってなったんですよ、
その、
土日も言ったら、
出勤することもあるし、
夜勤が飛んだとか、
トラブル耐えもし、
なんかブレーカー落ちたじゃないや、
なんか電気、停電しましたってスタッフが言って、
で停電したら当然あの、
当然というかIHだったんで、
もう食事作れないから、
朝始発に乗って4時台の、
で、
ご飯買って、
ねえもうしゃあないわと思ってコンビニで買って、
まあ高齢の方でも食べれるようなものをなんかバーって買って、
で行って、食事食べてもらって、
結局ブレーカーやったみたいな話もあったりとか、
あの、ブレーカー見ましたって言って、
いやブレーカーは大丈夫ですって言ってたやんみたいな、
結局ブレーカーやんみたいな話もあったりとか、
とにかくそういう、
自分の時間を本当に使ってそういう仕事をしてて、
で給料もまあそんなよくないですよ、
で、
まあそういうやりがいもなくはないから、
やってたんですけども、
そこでなんかもういいですってなったんですよね、
もうお見とりもできたし、
懸案事項なくなったみたいな、
で、分かりました、
もうはい終わりですってなって、
で辞めたって感じですかね、
で辞めたら辞めたで、
まあそっから、
まあ大阪に帰ってくるっていう流れはまたどっかで話すとして、
まあ、
そんな介護職人生でしたっていうとこですかね、
まあでも今の若者支援にももちろん通ずる話もあったりとか、
あの、
するんですけども、
まあ僕の中ではとても大事なお仕事であり、
いろんな出会いをさせていただいたお仕事でもあり、
本当に、
うん、
それはもう皆さん出会った方に感謝だなっていう気がしてて、
うん、
で最後やり切ったとね、
思わせてもらえた方との出会いも本当に感謝ですよね、
最後そういう機会を、
まあまあこれはなんかすごい、
あの、
すぴってくる話っていうかね、なんですけど、
まあ偶然とは思えない偶然ってやっぱあるもんで、
たまたま僕がその残業してなかったら、
54:02
そのタイミング出会えてないわけで、
Aさん帰るねーって、
あれを声かけに行かずにスッと帰ってたら、
出会えてなかったかもしれないしそのタイミングにはね、
Aさん帰りますねって言った瞬間に本当に、
SPO2がグーグーグーグーと下がっていったっていう、
なんか、
いやすごい体験をさせていただいて、
本当に出会った方感謝だなあと思うし、
めっちゃ笑い話もあるし、
しんどかった思い出もあるんですけど、
本当にたくさん意味ある時間を過ごさせていただいた、
4年間だったんで、
うん、とっても楽しかったなと思うんですけど、
もういいでしょってなったっていう話ですね。
これは業界の問題であり、
日本の社会構造の話であり、
いろいろあるんですけど、
でもなんかそう断罪しているマクロの話と、
なんかミクロの話としては、
本当にすごい瞬間がいっぱいあるよっていうような、
本当に僕にとっては大事な時間だったなっていう話、
結論ですかね。
はい。
誰が聞くねんって感じですけど、
一旦今日はこんなところで終わろうと思います。
暑い日がまだ続きますので、
皆さん健康には気をつけていきましょう。
それでは。
55:34

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