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「障害は個性化か?」という問いを問う
2024-01-02 29:45

「障害は個性化か?」という問いを問う

問いの立て方って大事だと思うんですよね。

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はい、始まりました、ケアラジです。 ケアラジは、仕事・家事・育児・勉強など、日々忙しい現代社会のスピードを少し緩め、
ケアの支援から様々な論点を考察するラジオとなっております。 はい、ということで、ちょっとテーマトークというかね、
今日、撮っていきたいと思うんですが、僕、若者支援をしてて、あと、ケアラジ聴いている方とか、僕のことを知っている人は分かるかと思うんですけど、
その関連でというか、また、障害に関する発言だったり、実際サポートだったりとか、また、障害のある若者のサポートを普段、仕事でもしてたりとかね、してるんですけれども、
その中でよく、障害は個性かどうかっていうことって、よく話題に出ることがあるなーっていうか、何か時に触れてというか、ちょこちょこ出てくるんですよね。何ヶ月か起きぐらいに。
で、そこで論争が起きて、みたいな、ずっと繰り返すキーワードなんですよね。障害が個性かどうかっていうことなんですけど、僕はこう思ってるみたいなことをちょっと話して、シェアできたらいいなと思っていてて、
で、僕の考えとしては、すごく簡単じゃないと思ってて、その障害は個性かどうかっていう問いの立て方がまず間違ってないですかっていうことはずっと思ってますね。
そもそもその問いが、障害は個性ですかっていう問いが間違ってるんじゃないですかっていう、そんな意味、間違ってるかわかんないですけど、問いかけること自体は別に間違いも、正解も間違いもないんですけど、その問い自体ってそんなに効果とかあるんですかっていうのが、僕の素直な感想で。
やっぱなんか問いっていうのは大事なんですけど、やっぱり世の中を良くしたりとか、なんか普段持ってないアングルを提示するっていうことに対して、有効かどうかっていう視点ってすごい大事だと思ってるんですね。
で、障害は個性かどうかっていう問いは、なんだろう、そこになんかあんまり寄与しないんじゃないですかとは思っていて、今日そんなことをお話ししようと思うんですけど、まず、なぜこの問いがあんまり有効ではないかというところで言うと、一つは障害も個性も今並べられているこの二つのキーワードがとても多義的で曖昧なんですよね。
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なので、そもそも比べようがないんですよ。障害と個性っていうものを比べようとしたときに、その障害はこうこうこうである、個性はこうこうこうであるっていう定義をしっかりした上で比較するんであれば、それは比較可能になると思うんですけど、障害も非常に多義的だし、個性っていうのもかなり広い言葉なので、
もうそもそもこの問いの立て方だと議論がしっちゃかめっちゃかになって、障害の捉え方、障害っていうのはもうとにかく障害なんだから障害って言われてるのであって、それを個性っていうのはおかしいじゃんっていう議論があったりとか、
でも他方で障害っていうのをちょっと広い意味で捉えてる人からすると、障害は個性って言えるかもしれないし、前提が整わないので、僕はあんまりこの問いの立て方自体あんまりよろしくないと思ってるんで、そもそもそういう問いの立て方がちょっとあんまり良くないんじゃねっていうのがまず一つ思うところです。
ですよね。障害っていう言葉からまずいくとしたら、非常に多義的なんですけど、競技の障害と抗議の障害に分けられると思うんですよ。
これをしっかり前提を共有した上で議論しないとどんどんずれてっちゃうんですけど、競技の障害からいきましょうか。競技の障害というとやっぱり何かしらの医療、医学的な診断があるっていうことですよね。
あたまた障害者手帳を持っている。要はこの日本という国に限定したときに、日本という国において社会的なサポートを受ける資格であったりとか証明のようなものを持っているっていうことを障害と表現することはできますよね。
これは競技の障害です。
でも一方で、もうちょっと広く障害という言葉を捉えることもできると思ってて、
うん。
それは生きる上での、何ていうか、阻害要因っていうんですかね。これすごい支援者っぽい言葉遣いになっちゃいましたけど、生きる上で何かこうハードリングになるようなものみたいな意味合いで障害っていう人もいると思うんです。
ここが揃ってないんで、
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抗議の方の障害で、障害という言葉を使ってたとしたら、障害は個性だっていうのは成り立つかもしれないんですよ。
要はそのハードルを乗り越えたことって経験になるんで、そういう経験というものはやっぱりその人を何ていうか、ある種個性づけるというか、意味づけるものであって、
なので障害は個性だっていう人は、僕は抗議で捉えてる人がこういう発言されることが多いんじゃないかなと思うんですけど、
でも前者の、抗議の障害で、もちろんその障害の当事者であったりとか、実際診断があったりとか手帳を持ってサポートを受けながら大変な思いをして生活されてる方からしたら、
障害は個性だって言われると、いやいやいやっていうことになるわけですよね。
なのでこの問いの立て方はちょっとあんまり良くないっていう話なんですよね。
やっぱり障害はこんなに大変なので障害って私たちは言ってるんですと。
なので個性って言い換えないでくださいっていうことですよね。
これはもう至極真っ当な主張だと僕は思っているんで、
なのであんまり繰り返しになりますけど、この問いが何か気づき遅れる問いではないなと思って、
僕はあんまり、何でそんなに個性に従るんだろうって思うっていうか、思いますね。
ちょっとなんかあれですね、大企業っぽいんですよ。
この障害は個性である、個性なんじゃないかっていう問いの立て方だったり、
こういうある種のキャッチフレーズ的なことって大企業言説っていうかね、
なんか一緒に乗り越えていこうぜみたいなノリですよね。
なんか大きなものに巻き込まれちゃうような感覚がすごいあって、障害は個性だって言われたときに、
でもそのあなたたちに言ってる障害は個性って、
あなたたちにとって都合のいい個性のことしか言ってないでしょって僕とかは思うわけですよね。
もちろん企業とか経済活動とか、なんだろう、
そういうある種、自分を商品化して経済活動に参加していくわけなんで、
それは都合のいいものというか、ガッチするものしか扱われないだろうというのはそれはわかる気はするんですけど、
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でも結局そういうことでしょってなっちゃうんですよね。
だからなんか大企業っぽいなっていう印象を受けます。
こんな気がしますね。
あとはちょっと個性の方、個性っていう言葉を掘り下げるとしたら、
なんでしょうね、これはねちょっとアメリカ病みたいなところありますよね。
アメリカだと本当にアイデンティティポリティクスが自分の質字だったりとか、
ある種の何かしらの身体的特徴であったりとか、
その他にもLGBTQって言われるもの、性的指向だったり、
というものを使って、
ちょっと党派性を帯びていくというか、それで意見を大きなものにしていって、
自分たちの権利を主張するっていうのがざっくりアイデンティティポリティクスだと思うんですけども、
それもどうなんだろうって思い始めてきたというか、
大事なことだとは思うんですよね、その権利運動というものが。
でも行き過ぎてないかって思うんですよね。
党派性というものが、それこそ議論の発展を生まないというかね、
AとBという党派があったとしたときに、
本当はAの党派がすごいクリティカルな発言をしてるかもしれないんですけど、
またBから見ると、それが見えなくなっちゃうというか、
党派をそういう派閥みたいなものを作って戦わせるとき、
そういった権利運動というのがあるし、見えなくするものって多分にあると思っているんで、
それがね、なんか行き過ぎてて、目的と手段が逆転しちゃってて、
なんかちょっとしんどいな、先が見えないなっていう気はしますよね。
元々、僕、個性ってあんまり重視してなくて、
人って変わるし、
ある種、アイデンティティ・ポリティクスって、その個性を固定化しちゃうことでもあると思うんですね。
個性っていうのかな。
何か自分自身の一部を自分のアイデンティティとするっていうことの、
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いい面もあれば、悪い面もあるっていうか、
その悪い面の方では、そこをもう固定化しちゃうってことだと思うんですけど、
なんかそれでしんどくないですかって、やっぱりちょっと思うんですよね。
なので、なんか個性、個性っていうのもね、
なんかあんまり僕はピンとこないっていうか、
まあ、そりゃ個性はあるでしょうっていう感じなんですよね。
もうなんか、そんなに全面に出して大事に取り扱うものなんでしょうかっていう気がしてて、
なんか僕の中で個性ってこう、勝手に出ちゃうものな気がするんですよね。
一緒に、それよりもともに時間を、時間をともに過ごすことの方が大事だと思ってて、
ともに時間を過ごすっていう中で、
なんかA君ってこんなんじゃんみたいな、こんな風なとこあるよねとか、
何回やってもこうなっちゃうよねとか、
同じような失敗の仕方するよねとか、同じような成功の仕方するよねとか、
これが好きなんだよねとか、
そういうなんか個性って和立ちみたいなもので、
なんかやってみた結果、どうしようもなく出ちゃうものだと思ってるんで、
まあ、いいものではあると思うんですよ。
本当に、なんだろう、その人を形作るものの一つだし、
なんかそういうものがわかってきたときに、
自分ってものをちゃんと位置づけられるし、
あと他者からも眼差されるっていうことで、
個性っていうものはいいものだなと思いつつも、
なんかあえて取り出して、それを全面に出して、
これを育てないといけないっていうようなものでもないなと僕は思ってて、
それよりもなんか、とにかく一緒に時間を共にすること、
そこが抜け落ちたまま個性っていうことを育てようと思って、無理なんですよ。
個性を育てようってそもそも間違ってると思ってて、
まあ、なんだろう、パタナリスティックになんか上からガンガン教育するとかは、
さすがに個性を殺しちゃう側面あると思うんですけど、
でも勝手に出てきちゃうのがやっぱ個性だっていう僕は前提でいるので、
それはどっちかというとパタナリスティックな教育が悪いだけであって、
個性っていうのは無理くり育てようと思っても育たないよっていうかね、
ある種勝手に出てきちゃうもの。
勝手に出てきた時にどういう対応をするかのほうが大事で、
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なので、その時に何やくんってこうだよねとかこういうとこあるよねみたいな、
言語化を一緒にしたりとか、
自分で気づいていくプロセスっていうのはすごい大事だと思うんですけど、
個性を見ようと思うと見えないっていうかね、それよりも何回も繰り返しになりますけど、
時間を共にする、共に何かをやる、取り込む、
そっちのデザインのほうが大事だと思いますね。
何かこれやってみたいなと思えるとか、
そういう時間の過ごし方のデザインのほうがよっぽど僕は大事だと思っているので、
個性が大事でないという意味ではないんですけど、
取り出して何か扱えるような概念では本来ないはずなんですよね。
だから何か個性だ、個性だっていうのも何かよく分かんない。
で、さっきの話に戻ると、
その個性だ、個性だって言ってる人ってちょっと大企業っぽいなと思うんですよね。
何か個性的でありたいって思わされちゃってるっていうか、
その市場原理の中で、
個性的になりたいって言ってみんな同じ服着てるじゃないですか。
ザラだったりユニクロだったり、
ファッションっていうのはやっぱりトレンドがあって、
結局世間一般に通用する行動をまとうっていうかね、
そういうことだと思うんで、
個性、個性って言っててみんな無個性化していくっていうこの世の中ですけど、
だからそれでも同じユニクロ着ててもやっぱりA君とB君は違うわけですよ。
ファッションっていうのは僕も結構大事だとは思いつつも、
同じ行動をまとってもどうしても、
どうしても人は違うっていうのが個性だと思うんでね。
なのであえて、それが出てきたときにそれを承認する、
認めるっていうことの方が大事だと思いますね。
うんうん。
要は今世間で言われてる個性っていうのは、
なんていうかパーソナライズのことだと思うんですよ。
あなたに沿ったサービスを提供しますよっていう市場側のメッセージだと思うんですけど、
結局ギデンズがイギリスのハイムダニティとかっていう話をしてましたけど、
フォーディズムというか、工業社会、工業家社会はそういうあらゆるものをマニュアル化して、
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効率化して資本をどんどん大きくしていったっていう工業社会のフェーズがあって、
そこから当然、ものが行き渡っちゃうと資本が増えていかないと利益率が上がらないっていうことになって、
新たに消費を換気していくためにいろんなマーケティングの手法とかが開発されて、
行動経済学みたいなものも発展し、いろんなものを耳も目もいろんな広告だったりとか、
消費を換気するような情報に僕らは囲まれてきてるわけですけど、
パーソナライズっていうのはもうその最終形だと思ってて、僕の中では。
なので、個性がないといけないと思い込まされてるんですよ。
その価値観が内面化してしまっているんですよね。
これは同じギデンズが再規制っていうことを言ってますけど、
社会が変われば僕たちの内面も変わる。
で、僕たちは内面変わったらさらにそのように社会も変わっていくっていう。
こう影響しあって社会ってどんどんどんどん変わっていくんですけど、
僕たちは個性っていうものがすごい大事だと思ってて、
大事なので私たちは市場からサービスを買って、
個性的にならねばいけないっていう、すごい思い込んでるわけですよね。
で、企業の側がパーソナライズしたものを売っていくわけです。
個性って大事だからって。
もう自然と思っちゃってるから、その再規制によって。
で、個性ってなんなんだっけっていうことをみんなわけわかんなくなっちゃってるっていうのが現代だと思うんですよね。
なので、もうどんどんどんどん回収されちゃうんですよね、個性って。
でも本来別にそんなに大事に取り扱うものでもなく、勝手に出てきちゃうものなんで、
わざわざ市場からサービス買って、個性的にならなくてもいいんですよって思うんですよね。
勝手に出てきちゃうもんなんで。
で、この前僕、ニューロダイバーシティゼミっていうところに入ってて勉強してるんですけど、
千住厚司先生って、もともとイギリスで研究してらっしゃって、自閉症Gとかの研究かな。
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で、ゼミの中でお話聞く機会があって、自閉症界隈では有名なバロン公園っているんですけど、
僕も書籍読んで、パターンシーカーとかって本書かれてますけど、
自閉症の研究で大きな影響を与えてる、バロン公園と仕事したこともあるみたいなことをおっしゃってて、えーとか思ってたんですけど、
その千住先生がおっしゃってた概念がほんとストンと落ちて、どっちかっていうと僕バイオロジーやってるんです。
って言ってて、社会学でもなくてね、発達理論みたいなことでもなく、バイオロジーをやってるので、
そのバイオロジーで考えたときには、生物の発達っていうのは、キャナライゼーションっていう考え方で生物の発達って捉えるんです、みたいな話をしてて、
キャナライゼーションってどういうことかというと、水路っていう意味らしくて、ざっくり言うと、
よく僕らが成長って言うと、グラフが描かれてて二次関数のX軸Y軸があって、右肩上がりに上っていくような成長イメージを描くと思うんですけど、
キャナライゼーションの考え方っていうと、水路が何本かあって、収束していく、水の流れが環境とか状態に合わせて落ち着いていくみたいなイメージで発達を捉えてるんだっていうことを話されて、
まさに個性もそうだなと僕は思うわけですよ。勝手にね、さっき輪立ちみたいな、いろいろやった結果見えてくるものが個性だとしたときに、
今のキャナライゼーションの話もすごいそれに近いことが言ってらっしゃるなと思って、最終動的にずっと動いてたものが落ち着いていく、揺らぎが落ち着いていって、
っていうのが、実は生物の発達なんだっていうことですね。なので個性ってそういうものなんですよ、たぶん。なので、改めて何か取り出して、鍛えるとかね、個性を鍛えるとか、そういうものではないんですよね。
身を置く環境は大事かもしれないですけどね。身を置く環境によってその落ち着き方とか、水路の行く先、方向性っていうのは変わるかもしれないんで、それでも医学的な要因とか結構大きくて、最終同じとこに落ち着いちゃうっていうパターンもあると思うんですよ、環境の揺らぎが小さいと。
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まあでも個性ってそういうもんなんでね。
はい。ということで、結論がよくわかんなくなっちゃってきたんですけど、うん。でもなんか、元の問いに戻ると、その障害は個性ってどうやねんっていう、僕の問いは、うん、まあそんな、この問い自体にそんな意味ないんじゃんっていうことですね。
うん。っていうことです。なので、やっぱ障害は障害。で、僕はあの、ひらがな、障害の表記に関してもいろいろありますけど、僕は絶対漢字を使うようにしてて、うん。
どっちかっていうと、競技の障害として捉えることが多いので、障害の言葉、障害っていう言葉に関しては、で、実際手帳持ってる方とかと多くやっぱり接したり、その方がどう生きていくかっていう視点をしてるので、
ってなったときに、いや障害、これは個性だよって言えないじゃないですか。だって、うん、サポート受ける必要があるっていう証明を一緒に取って、これはどうしていこうかって言ったときに、個性だなんて言えるわけがなくて、うん、すごいなんか具体的ですよね。
僕がクライアントさんと話すときって、この特性どうちょっと対処しようかっていうことでしかないので、どっちかというとそういう時間を共に過ごして乗り越えていく、ハードルを越えていく。
で、なんとかその人が少しでも目指す生き方だったりとかに寄り添うっていうのもね、またあれなんですけど、一緒に時間過ごしていく。で、いろんな経験を一緒にして、もう未来ってわかんないんで、いろんな経験を一緒にして、うん、いく。
そのことの方が僕は大事だと思いますね。で、その中でまた新しい発見があって、もうその障害とかっていうことを、そういうレイヤーじゃない、その人と共通してるその人の特徴みたいなんとか、時間の中でこう見えてくるものっていうことの方がすごい大事で、だから結論は出ないですけど、うん、なんとなく。
その問いはあんまり有効ではないんで、論争もすんならやめようぜって感じですね。
それが、なんかディベートが好きな人は別にやりゃいいと思うんですけど、実際に、本当に障害手帳を持ってるとか、あった障害のある方の支援だったりとか就労っていう意味では、うん、あんまりインパクトのある問いではないなっていうのが結論ですかね。
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うん。それよりも、なんだろう、とにかく手帳はあるんだけれども、一緒に過ごせる時間をやっぱりデザインすることの方が大事だと思うんで、うん。
そして変わると思うんですよね。あの、なんだろう、本当にホールな一人の存在として、その人を見てもらうことの方がよっぽど大事なんで、障害を通してその人を見るんじゃなくて、うん、その方がよっぽど大事なんですよ。
まあ、その人を理解するために障害、障害だったりその診断、で、その診断っていうものを持つ枠組みだったりっていうのは、理解に一定の理解促進としての機能はあると思います。
ただ、それはその人の一部でしかないし、今見えてないものっていっぱいあるわけなんで、なので障害とか個性っていうものも似てるかもしれないですね。うん。症状でしかないので、特に精神医学の場合は、あの、出てきた症状を分類しただけなんでね。
どういう器上で起きてるかって一人一人やっぱり違うわけで、環境によっても違うし、なので僕はそっちの価値観の方を広めていきたいなと思いますね。
ともに過ごせる時間、空間をどうデザインしていくか、その理由をどう作っていくかっていうことを、今やってるつもりだし、でももうちょっとうまく表現しないとやっぱりインパクト出ないと思うんで、はい。
そんなことを考えていけたらと思います。やっぱり30分余裕でしゃべれちゃうテーマではあるなとは思いますが、別のことを考えていこうぜっていうところで、この回は終わりたいと思います。
それでは。
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