はじめに:事実と感情の切り離し
ウィークエンドの黄昏時、CAFEBAR いってらっしゃいへようこそ。
マスターの一佐です。
ここは、仕事のこと、人間関係のこと、子育てのこと、恋愛関係のことなどで、疲れた方が一休みしていく、ラジオ上のCAFEBARです。
今日もこのお店を出る頃には、少しでも元気になってくだされば幸いです。
先回もお話ししたんですが、最近私がハマっているというか、意識している事実と、自分の感情を切り離すということについてお話ししてみたいかと思います。
子どもの生意気な言葉遣いと親の感情
私も今、子育て真っ最中で、自分の子どもが言うことを聞かない。
私の子どもは今、小学生なんですけれども、だんだん私が達者になって、いろんな言葉を覚えてくる。
自分の子どもの言葉遣いとかがやるせなかったりとか、なんでそんな言葉遣いをするんだ、なんでそんな言い方をするんだということに向かってきて、ちょっと怒ってしまう。
そういうのが実は結構あります。
特に男の子なんかだと、生意気盛りというか、これからどんどんどんどん中学生になるにつれて生意気になっていく年頃ですので、
そういった新しく覚えた言葉とか、ちょっと悪風の言葉を使って、親を怒らしたりとか、周りをちょっとハラハラさせたり不快にさせたり、なんていうのは結構男の子なんかだとよくあるんじゃないかと思います。
子どもの未熟さという事実を見る
そういった時に僕が最近心がけているのは、あくまでもやっぱり今の子どもがまだ10歳前後のですね、本当に年幾泊もない子どもなんだと。
知識も全然ない、言葉の語彙もない。
要はそういうまだですね、人間として未熟、知識としても未熟な本当に子どもなんだという事実をですね、自分の感情と切り離して、まずその子どもがまだ全然未熟なんだっていうですね、その事実を注意してみるようにしています。
そうするとですね、不思議なことに、嫌な言葉とか、何か自分がちょっと向かってくるような言葉使いをするんですけれども、それはまだ言葉の語彙を知らない。
全然ですね、言葉を発することによってどういう影響があるか、それを聞いてどう思うかっていうような、そういう影響とかも知らない、言葉を使うことを楽しんでいる、喜んでいる、ただのまだ小学生の子どもなんだと。
まだ10歳いくばくもない子どもなんだっていう風に思えば、それはしょうがない。親として向かってくる、何とか怒って言うことを聞かせたい、そんな言葉を使わせなくさせたいっていう親としての思いはあるんですけれども、事実だけ見れば子どもはその言葉を覚えたばっかり使いたい。
その影響も知らない。全然まだまだ人生経験もない。まだまだ未熟な子どもであるという事実だけ見れば、そういう言葉使いをする、そういう悪い言葉を使いたがるのもしょうがないのかなという風にちょっと思うわけです。
感情を重ねることによる怒り
どうしても事実に自分の感情をそこに重ねてしまうと、自分はそういう言葉を使ってほしくない。自分はそういった言葉よりも違う言葉を使ってほしい。その言葉を発することで相手がどう思うか、そういうこともきっちり勉強してほしい。
世の中ではそんな言葉を使う人は嫌われるよとか、いろいろ人生経験を経てきた大人ならでは、それによって痛い思いをしてきた大人ならではの、やっぱりそういった感情とか思いとか、親としての思いはあるんですけれども、それを重ねてしまうとどうしても怒ってしまうというようなことにつながってしまうので、
それは切り離して、ちょっと自分を上から優待離脱するような俯瞰的な部分から見てみて、それは自分の感情である。それは切り離して、子どもが現在どういう状況であるかという事実だけ見て、ちょっと判断してみよう、対応してみようという風に思って、なるべく寛容寛大に子どもに接するようにしています。
結論:事実を見て寛容になることの重要性
ということで、今日は子育てにおいて、子どもが悪い言葉を使ったりとか、何かちょっと親として許せないような動きをした時に対して、ちょっとその子どもの今置かれている状況というのを事実として切り離して、自分の感情と切り離して見てみることで、子どもに対して寛容寛大になるというのが大事じゃないかなという事について、
お話ししてみました。すみません、ちょっと取り留めもないお話になってしまいましたが、今日もお聞きいただきましてありがとうございました。今日お話ししたことが皆様の何か、人生の一条になればとてもうれしいです。それでは皆さん、今日も一日いいことがありますように、いってらっしゃい。