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ということで、今回と次回で竹取物語のさわり、あらすじに入っていこうと思います。
1、かぐや姫の老いたち。
これは正直、みなさんご存知のとおりなので、あまり話すことがないんですが。
竹取のおきなというね。山に入って竹を切って、それで籠を作ったりして、それをなりわいにしてる人。
わりと比較的貧しい人。
いつも竹林に入っていくと光っている竹があって。
ここが、よく子供的な悪ふざけで、竹を切って中でかぐや姫も切られちゃうみたいな冗談を言うことがあるんですが。
描写としては切ってるっていう表現はなかったっぽいんですよね。
だから切れている竹の中に入っていたのかなというようなイメージがありました。
前回に話してる1983年のSFっぽいやつのときは、
竹の子みたいなカプセルみたいなやつの一枚がめくれたところに中が見えていて、かぐや姫がいるみたいな表現で描かれてましたね。
なのでやはり、切ってる竹を怪しく思って切るというニュアンスではなさそうかな。
もともとはかなり貧しい家ですね。竹取のおきな。
拾って育てるという形になって、おうなというおきなの奥さんが主に育てるんです。
最初の表現ではとても小さかったので、
かごに入れて育てたみたいな表現が出てくるのがかわいらしいなーって思いましたね。
このあとはあんまり紹介しないんですけれども、
いろんな人の名前で、実はこういうイメージがよく出てくる話で。
かぐや姫の名前をつけた人が、美室戸のインベの秋田という人なんですけど。
新職の方ということらしいです。美室戸のインベっていうのは。
ミがお身をつけのミに、ムロトは室戸岬とかの室戸ですかね。
インベが難しい方の斎藤の斎。下のところを示すようになっているものに、部署の部。部門の部という意味ですかね。
インベっていうのは、部っていうのは、門部署とかの部と同じだと思うので。
斎の字が、これは司斎とかの斎。
要するに宗教的なものを司る人のことを指しているので、
美室戸のインベっていうのが新職の人だなということでいいかと思います。
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その方が名付けた名前がかぐや姫なんですが、
正式には名代竹のかぐや姫という名前だそうです。
名付けと前後しますけれども、かぐや姫を沖縄が拾ってからは、
沖縄が竹を取りに行くと、その筒の中に黄金が詰まっているという現象が多発するということがあって、
これで沖縄はお金持ちになりますが、
これ沖縄が切ると黄金が入ってるっていう表現なので、
他の人が真似してもどうにもならないんだと思うんですけども。
こうやって沖縄は裕福になります。
かぐや姫は成長して美しく育っていくという感じになりまして、
2番目の孔子たちの旧婚というタイトルのところですが、
美しく育って評判になって、我も我もと身分の高い人から低い人までみんな旧婚するというか、
見てみたいものだ、会ってみたいものだ、妻にしてみたいとなっていくんですけれども、
かぐや姫はかなり人前に出ない、当時の女性なんで当然と言えば当然なんですけど、
早々お目にかかることすらできない状況にあります。
本人も結婚とかする気があまりない感じなので、
一目でも見たい、会いたい、会って仲良くなりたいということで、
かぐや姫に会おうと、夜に家の門に穴をうがち、入って中を覗いて心を焦がすということが起こったというような。
ちょっと言い方を多少変えてますが、こういうニュアンスのことが起こっておりまして、
夜に穴をうがって入るというところで、
このことに由来して、旧婚することを夜配というふうに書いてあります。
現代的には夜配って、もうちょっとひわいなニュアンスになるんですけれども、
古典的に言うと、通い婚みたいなニュアンスになるんですかね。
それが一般的だったので、夜配は夜配うっていうのは、夜に配うって書くのは多分そうだと思うので、
それの由来がこれだというふうに竹取物語に書いてありますが、
この後も、この故事に由来してこう呼ぶっていうのがいっぱい出てくるんですが、
まあとにかくゆずば臭いのがいっぱい出てきます。とはいえ、一つ目はこんな感じでしたと。
で、なかなか会えないと、皆さんね、その穴をうがったところで会えないということで、
どんどん諦めていくんですけれども、それでも諦めなかった5人の勇者がおります。
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1人目が石造りの巫女。巫女ですので、皇太子の子ですから、王子なんですけどね。
で、もう1人、倉餅の巫女。これも同じく王子ですね。
で、次が宇大臣安倍の身牛。宇大臣だから相当くらいが高いですね。
身牛っていうのは、いつもこの字を説明するとき、僕はお身をつけと言いますが、
お身をつけの鬼、主人と書いて身牛。
まあ、身牛って漢字のニュアンスは、そうですね、ご主人ですね、漢字で表記するとね。
そして3人目、4人目が大南郡大友の美雪。大南郡は大南郡ですね。
大きい2人目に半分の半の友、大友。
美雪は、お身をつけの身に行くですね。
そして最後、中南郡の磯の神の丸たり。
石の上と書いて磯の神のとなって、
丸はマーとロが分かれてる感じですね。朝にお風呂のロで、マーロでたりは藤原の釜たりのたりですね。
という5人が残りましたというところまでが、貴公子たちの旧婚という章です。
サクサク言っちゃいますと、次。
3、5つの難題、仏の御石の八。
この残った5人に対してですね、かぐや姫は基本的には断りたいんです。
あまりにしつこくというかね、熱烈に旧婚してくる。
しかも最後まで残った5人ということで、ある種特別にこのような宝を持ってきてくれたら、あなたの妻になりますみたいなことを言います。
5人に対してね。
そのうちの1人目、石造りの御子に対しては、仏の御石の八というものを持ってくるようにと伝えます。
どっちかというと、仏の御石の八っていうのは、説明によると天塾にあると。
仏という表現になってますけど、釈迦のことらしくて。
お釈迦様がご飯を食べるための器みたいなものを、他の人から、お釈迦様は偉いので、豪華懸案なものをもらったんだけど、こんな立派なものじゃなくて、こんなんでいいんですよみたいな形で。
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御石の八なんで、石でできてる八ですね。
みたいなものに、それを変えたんだったかな?みたいなことがあって。
これがまた最終的には、包容されてしまうので、実際にはないものらしいんですね。
世の中にあるものというわけではないんだけども、この物語の中では天塾にあるという噂を聞いて、探しに行こうかという話になるんですね。
この5人のうちの最初の3人については、この人はこういう人なのでという表現が出てくるんですけど、石造りの巫女は心構えのある人というふうに言われてるんですね。
この心構えという表現が、たぶん現代のものとはちょっと違うのかなと思っていて、後々起こることから逆算的に考えると、決断力がある人ということかなと思ったんです、僕は。
何台も吹っ掛けられたけど、とりあえず実行に移そうっていうのが、たぶん一番早かったのがこの方なのかなと。
その程度の心構えにしかあまり感じられないんですよ、この後起こる出来事からすると。
というふうに僕は感じておりますということで、この人たちは何をやったかというと、とりあえず天塾に向かって旅をする手を取らないと信じてもらえないので、
身を隠します。で、3年ぐらい経つのかな、たところで、大和の国の都市の小壬の山寺に、要するにお寺ですね、田舎とか山奥のお寺の、
瓶鶴って仏様の一人、お釈迦様の弟子の一人の前に、墨とかすすのついたような黒い汚れた鉢があったので、これが仏のみしの鉢ですと言って持って行きます。
無謀です。そんな人なんですね。だからこういう浅はかな感じが、どのように心構えがあると言えるのかなって僕はちょっと思ったわけなんですけども。で、この手に入れたものをお渡しする時も、直接会って入って渡すわけではないので、箱かなんかに入れて人を返して渡すんですけれども、その時に、この時代なのでね、歌を添えるんですよ。
この時に添えた歌が、海山の道に心を尽くし果て、苗石の鉢、涙流れ木という歌ですね。
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海山の道に心を尽くし果て。遠いところに行ってきて、鉢を手に入れたよってことですね。
で、この手紙と箱に入った鉢が来て、さずかし光沢なる。まあ宝と言われるものなので、光沢があるだろうと思って開けてみると、蛍ほどの光もないということで、突き返しますね。
で、この時に変化をつけているんですね。返す歌ですね。
奥露の光を打にも、親様死を。小倉の山にて何を求めけむ。
あとちょっとやりとりがあった後に、白山に会えば光の薄るかと、鉢を捨てても頼まるるかな。というのが、さらに返ってきたほうかな。
これは今の2個目のやつは、石作りの巫女が返した歌。
鉢を捨てて、まだ求婚したと。
その通りです。星屋さん。
島の空の部分ね。鉢を捨てても頼まれるかなは、鉢はすでに捨てたが、鉢と掛けて恥を捨ててでも、あなたの心を頼みにしています。というような意味になりますね。
小倉の山にてっていうのが、かぐや姫のほうのやつに出てくるんですけど、小倉は地名の小倉とも掛かってるんですけれども、暗いという意味も掛かっているようですね。
光っていうところが来ているので、暗いという言葉が来ていると。
で、あんたどこ行って何持ってきたのっていう歌ですね。
そうですね。
で、ご指摘あった鉢は捨てたのにっていうところがありましたよね。
で、まさにご指摘の通りの振られてもいいよっているという状況で、振られてもいいよる厚かましさを恥を捨つ。
表記としてはひらがなの葉に血に点々で恥を捨つは捨てるという意味ですね。
で、恥知らずみたいなことですね。
はい、そんな感じで石造りの巫女は脱落します。
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次が蓬莱の玉の枝というやつで、倉持の巫女に蓬莱の玉の枝を求めました。
倉持の巫女は測りごとに長寿た人とされています。
で、蓬莱の玉の枝というのは東の海の蓬莱山にある銀の根、根っこね、銀の根、金の茎、白い玉の実をつける木があって、
その白い玉のついた枝を持って帰ってきなさいという指令が出されまして。
で、この人は石造りの巫女ほどアホではない。測りごとに長寿た人なので。
やはり、奈良の港から海に出る縁起もした上で、身を隠し工房を作ります。
で、優秀な工匠をいっぱい集めて、玉の枝を作らせます。
おー、頑張ってる。
で、これも、この工房も見つからないようにするし、工匠もそこに詰めて作るみたいな感じになりますね。
で、出来上がりますね。
また例によって歌をつけて、この玉の枝を送ります。
歌は、いたずらに見放しつとも玉の栄を、たおらでさらに帰らざらまし、という歌を作って。
まあどんな苦労をしてでも、この玉の枝をたおって、持ち帰らずにはいられないというようなことだと思うんですけれども。
で、ひめはね、もちろんこれ、もともと旧婚を断る口実として、無理なんだよふっかけてるので、持って帰るとは思ってないんですよね。
で、さっき言った石造りの巫女は、明らかに偽物を持ってきたから、簡単に断ることができたんですけど、
これはすごい、当時の日本のトップの工匠を集めて、年数もかけて作ってるので、
ちょっとこれが偽物だとは、さすがにかぐや姫も実物をもともと見たことがあるわけではないので、なかなか苦しいんですよ。
で、とりあえずバツナギでどんなところで手に入れたんですかとか、そういう話を聞くんですけど、それなりに巫女も答えていくと。
で、なかなか本当にピンチに陥ったところに、なんと作った工匠たちが、すごいきつい環境で作ったのに、まだ報酬くれないんですけどって言いにくいんですよ。
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他に払ってなかった。
そう、そしてしかもそれをかぐや姫に聞こえる場所で文句を言い出すということが起こり、ばれてしまうと。
ここはある意味かぐや姫ラッキーだったんですけれども、これを受けてかぐや姫の歌は、
まことかと聞きてみつればことの葉を飾れる玉の枝にぞありける。
という歌で、本物かと思って見てみたけど、言葉で飾ってるだけでしたねみたいなことですね。
で、いろんな意味で恥をかいたわけじゃないですか、このくらもちの巫女。
お金払ってないのにばらされてるとかも含めて、恥ずかしい思いをたくさんしたんですけれども、
このことを恥ずかしく思ったくらもちの巫女は、陰とんします。
世から隠れてしまいます。世の中からね。
人に笑われると思って隠れてしまうんですけれども。
で、こういう陰とんすることというようなニュアンスで、玉盛るというようになる。
玉の枝の玉ですね。
ただ、これちょっとどうなのって思って、玉盛るっていうのを普通に調べてみると、
正気を失ってぼんやりすることというふうになってましたので、陰とんそのものにかかってるっていうよりも、
うまくいったと思ってるところがばらされて、
呆然としてるっていう状況なのかなと。
というふうに解釈しました。
続いて3人目。
ここからは巫女ではないんですよね。天皇の血族とかではないんですけれども、
ひねずみの革衣という章で、
ウダイジン・アベノミウシはひねずみの革衣ですね。
動物の革の方の革っていうのかな。
カレっていう字の右側ですね。
作りの方の革にコロモっていう字です。
これでカワギヌというのが読み方なんですけども、
後に出てくる歌ではこれを革衣と呼んでたりするのでよくわかんないです。
ウダイジンの人物としては財産が豊かで一族が繁栄していらっしゃる人というふうになっています。
ひねずみの革衣はもろこしにはないし、
もろこしにはないと。
普通そのようなものが実在するなら必ずもろこしにも入ってきているはずだと、
もろこしの商人は言います。
万に一つもろこしにはなくても天竺にはあるかもしれないというふうに、
もろこしの交易商の王家という人が語っています。
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この王家という人に頼んで買い求めるという手段を取りました。
王家が探したところを偶然にももろこしで手に入ったというので、
値段の交渉とかがあって、
いいねをふっかけられて払わないんだったら置くねえぞみたいなことまで言われたりとかして、
じゃあもうそんなんだったら絶対払うよみたいな感じになりつつ、
手に入れるんですね。
なので前者二人、巫女二人は花からかぐや姫を騙す前提だったんだけど、
彼はある意味成功法で言ってるわけですよ。
しかも手に入れたわけですよ。
で、歌を添えます。
限りなき思いに焼けぬ革衣。
保と乾き手。
けふこそはきめ。
限りなき思いに。
限りない思いに身を焦がすみたいなものを焼けると、
革衣が焼けないっていうのがかかってて、
いろいろつらいのの。
乾き手はよく百人衆のほうでも出てきたかと思うんですけれども、
服のたもとを使って涙を拭うのの、
たもとが乾くってことは泣いてないというかね。
そういうニュアンスの言葉なんですけれども。
今日こそはその革衣を着てもらおうという意味です。
最後のけふこそはきめというところはね。
物を、実物を、かぐや姫も見るわけなんですけど。
それが何宝であろうと何であろうと、
ひねずみの皮というのは、
火にかけても焼けないっていうのが特徴なんですよ。
なので火にかけようっていう話になります。
うだいじも自信満々だから、
別に偽物を持ってきたとかじゃないから自信満々なんで、
いいですと思って感じで。
姫は見えてない状況で、
おきなが間に入っている状況で、
おきなの目の前で火をつけるんですけれども、
あっさり燃えてしまうと。
つまり偽物を捕まされていたという状況になります。
でその話を聞いての変化が、
名残なく燃ゆと知りせば皮ごろも思いのほかに起きてみましょう。
これは燃えてしまったと聞いてみると、
燃やさないで聞いてみてもよかった、
見てみたかったねみたいな話みたいですね。
歌としては。
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勝手なことを言う人です意外と。
で、
この言葉の由来シリーズがここにも出てきまして、
望みを達せられずに張り合いを失ったと。
これはこの宇大臣安倍のみゆしさんですね。
でここから、
あえなし。
あえなく失敗するとかのあえなしですね。
が安倍とかかっていると。
安倍のみゆしなのでね。
安倍のみゆしって名前にすれば、
こっちでコントロールできるって話なんですけど、
作り手の方でコントロールできる話ではあるんですけど。
そんな形であえなく失敗と。
で6番、竜の首の玉。
この後の4人目5人目は大難問中難問なんですけど、
この人たちについては人物描写があんまり書いてないんですけど、
大難問大友のみゆきには竜の首の玉を書もう。
人柄については言及がないんですが、
竜の首にある玉というのはまさに竜の首にある玉なんですよ。
白く光ってるんだったかな、五色に光ってるんだったかな。
でこの大難問が言うには、
竜っていうのは、
もろこしにいるとか天竺にいるとか日本の国内にいるとかではなくて、
日本にある山や海から登ったり降りたりするものだと説明しています。
でその竜を捉えて玉を手に入れろっていうのを従者たちに命令します。
でまあ無謀だよともともと家来たちは言うんですけど、
首獣だろ、従者だろ、いうこと聞けっていうノリで行かせようとします。
ただちょっといいところもあるのは、
旅立たせる従者たち、従者っていうか家来たちに
火災を分け与えて、ほぼ全部売っ払ったりして、
火災を分け与えるぐらいの感じで選別は送ってます。
ただ家来側からすると無謀極まりないので、
とりあえずお金とか財産もらって、
どっかに逃走するか隠れてやり過ごすかっていう感じになって、
誰も何もちゃんと探さないっていう感じになっちゃいます。
それをねみんなを家来たちを送り出した後は、
かぐや姫が家に来るってなったら、
こんな家じゃ物足りないから新居を建てようみたいな調子なんですよ。
家建てたけど、相変わらず家来たちは帰ってこないってなって、
谷羽の港というか浜というかに行って、
船乗りに話を聞いてみると、そんなやつ来てないよ。
27:02
龍の首の玉を探しに来たやついないかって聞いても、
そんなやついねえよ、いるわけないじゃん、はははみたいな感じなんですよ。
胃を消したダイナゴンは自ら海に出ます。
ひたすら海を進んだ結果、チクシの国の辺りまで行きます。
大阪から行って福岡辺りまで行く感じかな。
見つからないんですけれども、そこで嵐に見舞われます。
これはどうやら龍の仕業というふうな解釈がされます。
雷とか風とかっていうのは、龍によって起こされているというふうに解釈されて、
これは龍の圧倒的な力に完全に負けを認めて、
こんな無茶なことはしようとしないので許してくださいみたいな感じで言うと、
嵐が収まって、どうにかこうにか、今でいう兵庫県ぐらいまで、
張馬辺りまで帰ってくることができたんですけれども、
戦中で病気になったりもしています。
ちなみにメモによると、龍の首の剣で許しを求めるときに、
亀に祈ることを千回ぐらい祈ったらしいですね。
帰ってきたのは赤城の浜に帰ってきたそうです。
風病という表記なんですけど、風邪の病と書くんですけれども、
戦中で風病の発症が起きて、
お腹が膨れたり目がスモモのようになってしまった。
目が腫れてるんでしょうね。
こういう形でどうにかこうにか、自分の地元に帰ってきた大難語なんですけれども、
この事情を聞いて、これ無謀なことだっていうことがあったんじゃないかと、
自分の家族の家族の家族が、
この事情を聞いて、これ無謀なことだっていうことが身に染みただろうと。
大難語も。っていうのもあるし、別に大難語に使いたくなかったわけではないので、
隠れてた人たちは、家来たちは出てきたりします。
大難語を意外に勘内で、
お前たちが無理に龍の首の玉を取らなくてよかったと。
そんなことしたら大変な目に当てたはずだみたいなことを言うんですよ。
優しい。
意外に優しいんですけど、一方で、
かぐや姫は俺たちを殺そうとしたら、ろくでもない奴だって言い出します。
ただ別にだからといって、かぐや姫に何かをすることはなくて、
あの家には近づくなぐらいのことしか言わないんですけど。
ああ。
っていうようなことがあったんですけれども、それで諦めたという感じですね。
諦めたというか、かぐや姫を逆恨みしてるので、
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求婚する気も失せたというのに近いかと思います。
ああ、なるほど。
このさっき言った病状、病気でね、目がすもものようにっていう話が出てきたんですけど、
これを町の人たちが噂をしていて、
目がすもものように腫れたとはなってないですけど、
目がすもものように腫れたとはなってないですけど、
すもものようになったんだよみたいな話をしていて、
そんなすももは食べたくないねみたいな軽口を叩いていて、
思う通りにならないことを、
あなたえがた。
あなたえがた。
そのようなものは食べがたい、食べられないという意味のあなたえがたっていうのが、
あなたえがたっていうのが、
あなたえがたっていうのが、
思うようにならないことの方の意味で言うと、
あなたえは強調のあなたえですよね。
で、たえがたは耐えられないっていう意味のたえだと思うんですけれども、
これが食べるの方の言葉に由来しているというふうな解釈になっていて、
この辺の大胆さがうさぐさいなって思ったところではあります。
で、最後。
はい。
チューナゴン、イソノオカミのマロタリにはツバクラメのコヤスガイ。
人柄については言及ないんですが、
ツバクラメのコヤスガイっていうのはツバメの腹の中にはないのに、
子供を産むといつの間にかそのコヤスガイが巣にあるよと。
で、しかし人の目に触れてしまうとすぐ消えてしまうよと。
という謎の物体です。
コヤスガイって綺麗な貝があるらしいので、
コヤスガイ自体は存在するんですけども、
これがツバメの巣にっていうのがちょっとよくわからないって感じになってるんですが、
家来たちにツバメの巣が見つかったらとにかく知らせろみたいなことを言うんですよ、この人は。
大井塚さん。
食堂みたいな感じでいいのかな。
大きく宅に寮をですね、独身寮とかの寮ですので、
そういう建物があって、そこの柱柱にツバメの巣ができてますっていう表現だったと思います。
まず作戦としては、そこに足場を作って観察するものを置くという風に提案がされて、
実際にその高く足場を、ツバメの巣が見えるぐらいの高さまでの足場を作ってそこで人が監視すると。
という風にするんですが、それをやった結果、ツバメが怖がって巣に帰ってこないっていう現象が起きました。
で、うまくいかなくて、彼の家来じゃない人が提案で、
一人だけを選んで、荒く作られた籠っていう字ですね、
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を作って、それに乗せて一人だけを乗せて、
ツバメが子供を産むタイミングで、
ツナを引いて針かなんかに渡してあるんでしょうね。
ツナを引くかなんかして高いところまで、その高さまで上げて、
ずっとそこの高さにいてキープするんじゃなくて、
小安がいがあるだろうっていうタイミングでそこに持ち上げて取らせるという作戦に切り替えます。
で、ツバメが卵を産むタイミングについては、
しっぽをこういう風にしますよとかそういう話も出てくるんですけど、
その提案に従ってやるんですけれども、家来にやらせたらうまくいかないと。
で、もちろん身分の高い人なんで、こういうことがうまくいかないと、
どけや俺がやるみたいになりがちなんですけど。
さっきの大名言もちょっとそういうとこありましたけど。
で、中名言がやると、ツバメの巣に手を入れると何か掴んだと。
で、本人的にはこれはそうだろうと思って、掴んだから下ろせって言うと、
ツナが切れてしまってカナエの上に起こっちゃいます。
で、怪我をされます。で、救い出されるんですけど、
でも手はしっかり握っていて、手を開くとツバメの糞でございました。
っていうような形になっておりまして、手の中に甲斐がなかったことから、
機体に反することを甲斐なしと言うようになったというふうになってますね。
で、ダイナゴンはかぐや姫のとこに行ってないので、歌を作ったりはしてないんですけれども、
この件に関しては、この人結局死んじゃうんですけどね。この怪我が元で。
かぐや姫からその状況を聞いての歌が送られていて、
年を経て波立ち寄らぬ墨乃恵のマツカイナシとキクワマコとかとあって、
これに対する中名言の変化が起きて、
年を経てはずいぶん年が経ったけど、
波が届かないような墨乃恵のマツのように、
マツカイがないというふうに言われています。
で、これに対する中名言の変化が起きて、
かぐや姫からその状況を聞いての歌が送られていて、
この人結局死んじゃうんですけれども、
波が届かないような墨乃恵のマツのように、
マツカイがないということだと聞いたが本当か、みたいなことですかね。
怪我かくありけるものを詫び果てて死ぬる命を救い合わせぬ。
というのは、まあまあ死んじゃうんですけど、この人結果的には。
お見舞いの言葉をもらってありがたいというような趣旨だと思います。
ということで結構駆け足でしたけれども、
5人がかぐや姫を認めるために頑張ったり嘘をついたり、
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いろんなことをしたけれど、結局誰も敵わなかったというのが、
前半から中盤ぐらいの感じですかね。
というところで今回は本当に駆け足で、
これ聞いてた方早口すぎてわかんなかったかもしれないですけど、
触りの後半もお楽しみにということにさせてください。
はい。
はい、ということでここからは、
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