はい、ありがとうございます。
僕はずっと朝倉さんといえば、日本における創業者出身VCの代表格だと勝手に思っているわけなんですけれども、
最近は、朝倉さんはやっぱりVCの人みたいな感じで、もうVC歴何年くらいですか?
そうね、どこからカウントするかなんだけど、いわゆるVCっていう意味だと2年なんですよ。
あ、そうか。ザファンドは。
一応、グロースキャピタルで、ザファンド作ったのが2019年なんですよね。
だからそこからカウントすると、もう6年弱っていうことなのかな。
ですよね。なので、割と投資家としての朝倉さんを知っている人が大半だと思うんですけれども、
僕、実は一番最初に朝倉さんと出会ったのが、2012年の、13年かのインキュベートキャンプの審査員で来られていて、
僕はそのとき、ペライチを創業する前でキャンプに出てたんですけど、
そのとき、たぶん、もしかしたらちょろっとお話ししたかもぐらいの感じだったと思います。
特になんか、メンタリングしてもらったとかではなかったと思うので。
そうですね、審査員。
2日目の審査員で来られてて。
あれ?ファブリック東京の森君とかが出てたか。
その前の回です。
その前の回か。
なので、しかもそのときに、オフレコ情報でミクシーの社長になるみたいな話を。
どうしたのかな。
いや、スタッフというか、運営者の誰かがしたっていう感じだったと思います。
なるほど。
っていう感じで、そうなんだと思って、当時見ていたのを思い出したんですけど。
それで言うと、やっぱりずっとそこからミクシー、今ご自身で自己紹介あったとおり、
ミクシー、それからスタンフォード、それからザ・ファンド、シニフィアンみたいな形で、
そこから十数年ですね、やられてきたと思うんですけども。
そういった、もともとはネイキッドテクノロジーを創業したってことも知らない方も多いので、
ちょっと今日は清香時代の朝倉さんにフォーカスして話を聞きたいなと思っているんですが、
まずはですね、今日は一番最初は直近の活動についてちょっといろいろ教えてほしいなと思っているので、
アニマルスピリッツ、ここ2年ぐらいの話からちょっと伺っていこうかなと思っております。
そもそも、アニマルスピリッツをザ・ファンドでやられていた中で立ち上げようと思った経緯とミッションみたいなのって教えてもらえますか。
もともと2019年からグロースキャピタルザ・ファンドっていうのを運営してきていて、
このファンド自体は2023年にもう全部資金を使い切ったんですね。
そうした中で次どうするのかな、またレートステージのグロースキャピタル2本目立ち上げるのかなとかいろいろ考えてたんですけれども、
だんだんやってるうちに、やっぱり少し遡って、
しだわりからやった方がいいんじゃないかなっていう、そういう問題意識を持つようになったんですね。
手短になるべく背景をお話すると、もともとグロースキャピタルザ・ファンドを始めたときは、
今でこそスモールIPOとか上場ゴールって結構いろんなところで言われるようになりましたけど、
2018年とか当時もキーワードとしてはあったんだけど、そこまで今ほど問題視されてはいなくて、
ただこれめちゃくちゃ問題だなと。
何より自分自身がMixiっていう会社の代表になったときが時価総額180億円だったので、
このサイズだと本当どうにもなんねえなっていうことを結構体験したんですね。
Mixiの場合はそれなりに2000億円くらいの時価総額で上場して、そこからもう10分の1になっちゃったっていう会社なので、
若干背景は違うんだけれども、100億台とかで上場してても本当に厳しいなってことは分かっていたから、
だったらもうちょっと大きいサイズ感で上場できるようにした方がいいよねと、スタートアップ全般。
ただ一方で日本って未上場の段階で数十億、ないし100億以上の資金を獲得できる機会って2017年、18年って本当に限られてたと思うんですよね。
そうでしたね。今となってはですけどね、もうやっぱ当時はそんなに選択肢がなく。
そうなんですよね。
そうなってしまうと、そもそも資金調達できないんだから上場せざるを得ないじゃんということになってしまうので、
なるべく日本の未上場のタイミングでも数十億、ないし100億以上の資金調達ができる環境を作っていこう、
そういった目的を持ってザファンドを作りました。
結構似たようなファンドが増えてきたりだとか、海外の方がわーって入ってきたこともあり、
ある種予備物としては一定役割果たせたかなというふうに思っているんですけれども、
一方で例えば数十億単位の資金調達をするのにピッチをいただく方でも、
蓋を開けてみたら本当に財務産票以外定量的なデータないとか、
事業計画が例えばハードナンバー、ベタ打ちのエクセルを出してくるとか、
なるほど。
マジであるんですね。
じゃあこれ事業が全然ダメかっていうとそんなことは必ずしもないんだけど、
正直数十億通すのにこれじゃとてもじゃないけど、投資委員会通せませんよと。
中には一緒にじゃあちょっとブラッシュアップしようかって話して叩いたりしたことも、
一緒に作ったこともありますけれども、ただそこまで手を動かしてやったところでね、
じゃあありがとう、他の投資家さんから調達しますなったら、
一体自分たち何やってるんだって話になってしまうじゃないですか。
これは全然仕事と本来あるべきファイナンスのあり方っていうのが合致してないなと思って。
なんでかなってことを思うと、
やっぱり過去のアーリーの時の資金調達の成功体験の延長線上で、
そのノリでやってる人って結構いるのかなって思うところもあってですね。
特にディープテックとかに多いんですけど。
だったらもう少し手前の段階から一緒になって、
そういう事業計画作るとか、そこまで立ち戻らないと、
KPI設計するにしてもKPIってね、実際モニタリングするまで結構時間かかったりもするし、
そういうことまで立ち止まってやらないともう無理だなというふうに思ってやり始めたと。
実際自分たちグロスキャピタル運営していた側の人間なので、
そういったスタートアップの大きな資金調達の手伝うことって結構得意だと思っているんですね。
逆にやってた側だから、見てる側の人たちの気持ちだとか、
何見てるかってよく分かっているつもりでいます。
なので、だったらシードアリー側に立ち位置変えてやっていくのが、
いいんじゃないかなと思って始めたっていうのが一つ自分の思考のジャーニーですね。
なるほど。
今まさに立ち上げて2年ぐらいで、
ポートフォリオ見えてる限り15、6社ぐらいかな、投資されてると思うんですけども、
投資方針とか意思決定の仕方について聞いてもいいですか。
そうですね。今20社ぐらい投資をしてるかな。
私たちの経営理念として未来世代のための社会変革っていうことを言ってるんですね。
これは結構大事に思っているんですけれども、
未来世代って自分たちの子供だとか孫の世代、
そういった未来を生きる人たちが世に出るときに、
本当に良かったなと思える社会を強注してもらいたいと思うし、
このままいくとそうならないだろうなというふうに思っています。
そういう社会を作る原動力になるのがスタートアップだというふうに思っていて、
そういったとこにリスクマネーを提供したり、成長のご支援をするっていう、
そういうことをやっていこうというのが根本的な考え方なんですね。
逆にそれができないんだったら僕はベンチャーキャピタルってそんな未練もないし、
やってる意味ないなというふうに思っています。
その中でもう少し分解したときに3つテーマを挙げていて、
1つが国を守る。
これはもう日本がすでに迎えている超高齢社会をどうやって持続可能たらしめるかという課題。
2点目が地球を保つ。
これ気候変動とか循環型経済の実現とかも我々の現役世代でケリをつけなきゃいけない課題。
3つ目がフロンティアを開くっていう。
これも本当に今までなかった新しい産業を作っていくようなそういう領域。
こういった領域テーマに投資をしていこうといったことで、
セクターっていうようなこだわり方はしてないんですね。
結構幅広くいろんなスタートアップの方々を見ています。
一番初期的なものだと本当に資金調達今までしたことないようなスタートアップの方に
ご出資したこともありますし、チケットサイズとしては1500万とかそれぐらいでしたね。
で、大きいところだとシールありって言ってもありってどこまでがありなんだ問題あるじゃないですか。
ちょっとグラデーションありますからね。
ラウンド故障、シリーズAとかシリーズBとか適当すぎてあんなの全然信じてないし。
どこまでありって判断するかなっていうのはあるんですけども、
ただバリエーションで言うと2桁億円のところ、30億ぐらいのところもご投資したこともあります。
一応ファンドとしては1案件マックス1回のラウンドで5億円まで収支はできるというような
そういった枠組みになっていて、3.5億までやったことあるのかな。
1回の案件で。
そんな感じでやっています。
ファンドサイズが確か60億ぐらい。
そうですね、63億ですね。
なので、マックス5億ぐらいまでは出せますよと。
そうですね。
ありがとうございます。
そういう意味で言うと、そういった形で投資をして、
まさにさっきのテーマとちょっと被るんですけど、投資後の支援みたいなのはどういう形でやってるんですか。
これね、いいポイントで、
もちろんいろいろ手をうかがすこともあるんですけれども、
あんまり我々ね、
ハンズオンって言葉を使わないようにしてるんですね。
これはどちらかというと、現体験として私、ハンズオンって言葉は好きじゃない。
部外者が、俺たちの方ができるからやってやるよっていう、
そういう、なんだろう、ちょっとこれは悪意的な解釈かもしれないけれども、
そういった何か願意を感じるじゃないですか。
まあ、そうなんですよね。僕らめちゃくちゃハンズオンって言葉使うんですけど、
一方で、あれですよね、つまり背景としては、
当然事業をやってる本人たちが、企業家たちが一番解像度高いし、
一番事業を手を動かしてやってるんだから、
外の人がどこ行ったところでっていう話なのかなっていうふうに解釈してるんですけど。
そうですね。本当にその通りで、
やっぱり事業のことって、
事業に取り組んでいる当人が一番わかっているはずですよね。
逆に言うと、たまにピッチ受けててやり取りしてる中で、
こっちの方が圧倒的に詳しい時ってあるわけですよ。
それはおかしいですよね。
システマティックに。
そうですね。
ありがとうございます。
次のテーマなんですけども、
まさに冒頭でお伝えした、
今、起業家出身っていうテーマで。
やっとその話になった。
やっとその話です。
もう一回言いますけど、
朝倉さんが起業家だったことを知らない人も
多いんじゃないかなって僕も思っていて。
周り聞いてて。
起業家時代どうだったかっていう話を
少し伺っていきたいなと思うんですが、
東大の在学中に
Naked Technologyを
共同創業されたっていう感じですよね。
そうですね。
そもそもその時の話。
その時どういうテーマがホットで、
創業メンバーどんな感じで、
どんなことがあったかみたいな話を
伺いたいなと思って。
だって中には20代の起業家の方って
MixiっていうSNS知らない方も結構いますからね。
本当ですよね。
最近Mixi 2っていうのが出ましたけども、
僕らでいうと、
懐かしい、熱いみたいな、
そういう感じなんですけど。
普段ポッドキャスト一緒に撮ってる
伊藤さんの20歳ぐらいなんですけど、
Mixiって知ってるって聞いたら、
昔あったSNSですよねみたいな。
そんな感じ。
それが普通ですよね。
Mixiとかと同じぐらいのノリなんだと思うけども。
あんまり自分でこういうの説明するのって
かっこ悪いじゃないですか。
基本そういう話したくないんだけど、
自分で言うのは嫌だなって思うけど。
解説しなきゃいけない。
最近もうそろそろちゃんと解説しなきゃいけないなって思いますよね。
確かに。
昔やってたスタートアップですか?
大学時代に、
共通の友人から、
共同創業メンバーみたいな人たちと
紹介されて、
当時はスタートアップやりたいっていうよりも、
未踏プロジェクトって今もある?
あります。
あるでしょ。
経産省の外閣団体がやってるのかな。
あれは確か、
オブジ内閣の時に始まったものだと思うんですけども、
ITの高度人材を育てるみたいな、
そういうプログラムですね。
研究テーマをいくつか出して、
採択されたら、
そういうプログラムがあって、
それに応募したいという人たちがおり、
みんなエンジニアなんですけど、
僕は全然エンジニアでもなんでもないんですけど、
ちょっと紹介するから一緒に考えてやってよ、
みたいなこと言われて、
よくわかんないけど、
一緒にやっていこうかと思ってたんですね。
当初はね、
みんな、
もちろんその研究テーマをやりたい、
実装したいという思いもあっただろうし、
端的に言うと、
結構当時は大きいお金ついてたんですよ。
すごくお金欲しいっていう、
めちゃめちゃ横島なとは言わないけれども、
そんな思い持ちながらやってたんじゃないかな、
というふうには思うんですけど、
別にスタートアップを作りたいっていう感じではなくて、
まず未到をチャレンジしてみようよと。
その中でひょっとしたら、
その研究テーマを生かして会社を作るっていうのもあるかもしれないよね、
そんな出発点だったんですね。
テーマはいろいろあるんだけど、
正直なんでもいいんだよね、
当時はクラウドとか、
これ2006年の話ですかね。
まだクラウド、
AWS全然日本に来てないですし。
ウィニーがあったことで、
ピアツーピアで何回やるかとか、
いくつかテーマを出したんですよ。
まだユビキタスっていう言葉が、
なんか響きが懐かしい。
つらいよね。
ユビキタスっていう言葉が、
どこでもあまねく広く行き渡るみたいな、
そんな概念だったと思いますが、
ギリシャ語なのかな。
スマホない時代の、
柄系でコンピューティングが
いろんなところに渡るよみたいな、
IoTみたいな概念も含んでたのかな。
よくわかんないですけど、
そういう時代です。
そういうキャッチーなバズワードを
用いて何回やろうぜみたいなことを
言ってて、そうなんだと。
結局ね、
三島は3軒通ったんじゃないかな。
すごいな、そういうプロジェクトに。
ただその中で特に
注力してやってたのが、
ソーシャルグラフを活用したマーケティングエンジンを
作ろうって書いてて、
2006年の春だったんですけど、
それこそ、
FacebookとかMixiとかGreeが出たのって
2004年だったんですよね。
学生の中でSNS使うって
すごく当たり前
になっていて、当時は。
ちなみにこれね、後からそうじゃなかったんだってことに
気づくんだけど。
当然の体験で、周囲で
学生向けSNSを
作るみたいな、ちょっとした
事業ごっこみたいなのが流行ってた時期でも
あったんですね、2006年当時って。
そんな中でソーシャルグラフを活用
したい、
友達が好きなものはその友達も好きだろう
みたいな、そんな理屈で
マーケティングエンジン作ったら面白いんじゃないか
みたいなことで、
ミトーに応募して
採択されて、その開発を続けて、
で、
2つあるんですけど、
1つはこれやろうと思ったら
とはいえ実験しなきゃいけないじゃないですか。
自分たちでSNSを作ったんですよね。
これ今でも
覚えてるんだけども、
2つ特色があって、
1つは
当時あった、
世の中にあったSNSを
ベンチマークした時にやっぱりミクシーだったんですけど、
当時ってミクシー
日記っていうブログみたいなのを
書くんですよね。
ブログ書くって大変じゃないですか。
めっちゃ時間もかかるし、そんな万人が
できるもんじゃないよねみたいな。
パワーいりますよね。
で、もう
つぶやきでよくねって言って、
もう単文でよくないみたいな。
当時言ってたのは、
今日もまた夜にラーメン食べちゃった
みたいな。
ダメダメだねみたいな。
そんな本当にぼっそりしたことをつぶやく、
そういうSNS作ったらいいんじゃないみたいな。
ツイッター初期っぽいですね。
これ1つね。
もう1つのアイディア、これ僕じゃないんですけど、
他のメンバーが、
ガラ系大好き人間で、
携帯電話大好き人間で、
パソコンとかあんなんじゃないよ。
あんな場所縛られて思いも持ち運ぶとか。
当時デスクトップパソコンとかが主流の時代ですから。
そんなんありえないでしょみたいな。
携帯は携帯だと指き立つだって言ってるし。
携帯専業SNSというよりもこだわったんですよね。
結局ガラ系専用の、
当時ブラウザベースだったと思うんですけど、
SNSを作りました。
つぶやき完結型の。
今でいうとタイムラインみたいな。
これが確か2006年6月に出していて、
ツイッター出たの2006年7月なんですね。
これは冗談ですよ。
完全冗談なんだけど、
世界最初の
つぶやき型SNS。
これネタですけどね。
同じようなアイデアみんな持ってたと思うんだけど。
でもやってたのはすごいなやっぱ。
ただこれ誤算があって、
当時やってた連中って東大と慶応大学の連中だったんですね。
言うなればみんな結構イノベーター層で、
周りの人たち
すげーSNS使いまくってるわけですよ。
SNSなんかも当たり前だよねと。
周りの人たち見てると、
学生向けSNSとか作るの流行ってたから、
あんなに2番センジ、3番センジあるの
すげーダサいよねって思いがあって。
あくまでSNSは実験台だっていう。
ソーシャルグラフの実験をするための場だっていう風に割り切ってて。
別にこれが伸びなくてもいいし、
そんな注力しませんっていう。
こだわりを持ってました。
で、ただ蓋開けてみたら、
結構
ふと見た時に女子高生が使ってて、
こういうみんなの近況がすぐ分かり合えるサービスって
すごい面白いねって思ったわけですよ。
初め何言ってるのか分かんなくて、
は?って思ったんだけど、
よくよく考えてみたら、
この人たちはSNSっていうものが、
我々のサービスで初体験だったんですね。
ミクシーとかグリーとかあるけど、
言うても当時ってまだイノベーターのもので、
そんななんか浸透してなかったんですよ。
で、これ僕思ったのは、
当時自分たちの周りだけを見て、
東大系用の学生だけ見てて、
そんなもんもう当たり前だよね。
っていう風に思ってたんだけど、
それは全然時代ズレしてたなっていう
反省はありましたね、その時。
これがSNS作ったって話。
で、結局これ実験して
マーケティングエンジンは
できたんですよ、それっぽいもの。
で、それを商用化しようということで、
会社を最初立てたんですけれども、
その時ですね、
僕今でも覚えてるのが、
六本木のグリーに行ったんですよね。
ミクシーは当時まだ
あまりコンタクトとかなくて、
六本木の当時は、
今一覧とかあるところの横入ってった
ビルだったんじゃない?雑居ビルだったんじゃないかな?
行ったら、
2006年の秋だと思います。
9月とか10月当時、
若き日の20代の現入門
社長青柳さんが
対応してくださって、
こういうマーケティングエンジン
導入してくれませんか?
みたいな、
そんな話をやって、
緊迫感あったのを今でも覚えてますね。
それが、
Naked Technologyで
作って、SNSを作って、
話を持っていったみたいな話なんですけど、
その後、
青柳さんは一回就職されて、
戻るんですよね?
そうですね。
中見たちが始めたのが2006年の4月とかで、
この時は外資系ってもう
就職早いから、
僕もオファーもらってて、
泣いてあって、
巻き税行くことは決まってたんですね。
その間の
1年間ちょっとこれ手伝ってよ
みたいな感じで、もともと声かけられた
っていうのが始まりですね。
なんで、
定刊作ったのも僕なんですけど、
要は、僕以外全員エンジニアだったから、
エンジニアっぽくないことなんか大体僕がやります。
雑用テレビやりますね。
俺今でも覚えてるんですけど、
当時の定刊が、
決算日6月31日ってやってたんですよ。
やば!
後で資金調達する時に変えたらしいんですけど、
一応、アザブ十番の
交渉役場に行って反応してもらったのに、
節穴だなって後から思ったわけですが、
チェックとかされなかったんですね。
されてなかったですね。
すごいな。
そんな定刊を僕が作ってましたね。
作って、
1年やって、
他やってたメンバーみんな大学院生で、
大学院生やりながら
スタートアップをやっており、
僕は就職するわ、
いったんみたいな。
その後関係あるかどうかわからないけど、
頑張ってねみたいな感じで
いったん出たという感じですね。
で、金税で働いた後に
戻ることになるんですよね。
そうですね。
実際に戻るタイミングってどういうタイミングだったんですか?
コンサルティングファームってだいたい、
今はわからないですけど、
当時って3年ぐらいしたらビジネススクールとか行けよみたいな、
そんなことを言われる会社で、
僕もUCパークレーに
留学する予定だったんですね。
ビジネススクールにオファーもらって
行く予定だったんですけど、
まあけど、
3年経って
外に出るってわけだから、
場合によってはね、
留学しないで転職してもいいタイミングだし、
どんなとこがあるのかなと思って、
回ってみたんですね。
これが
2009年から
10年にかけての話で、
全然ないんですよ、当時。
ベンチャースタートアップって。
まずスタートアップって言葉もなかった時代なんですけど、
リーマンショック直後で
ほとんどそういう、
ベンチャー資金、
2010年が
年間ベンチャー投資額700億円の時代ですから、
今冬の時代とか見て
8000億ですけど、
本当にいない時代で、
いくつか見たな、
ちょっと懐かしい、トロップシッピングやってる
もしもって会社とか行ったな、
とか、
後々ちょっとこれ有名話題になりますけど、
ミログって会社行ったりとか、
全然ピンとこない。
あれですね、
後にエネチェンジ作られた、
これもなかなか
壮絶な会社でしたけど、
そんなとこ回っていて、
あとユーストリームとかも行った。
ユーストリームって懐かしいね。
ユースト懐かしいね。
日本上陸、あとアリババ行った。
アリババは日本の
ソフトバンクのほうで、
日本の会社のほうで、
なんか越境ECって面白そうだなって
2009年、10年頃。
アリババ行ったりはしてましたね。
あんまりピンとこなかったから、
就職するか、
留学しようかなと思っていたら、
その会社、
GITテクノロジーという会社が、
資金調達することは決まってたんですけど、
資金調達するんで、よかったら帰ってこないって言われて、
UCバークレーってね、
そういうアントレプレーナーシップとか
そういうの有名なとこなんですけど、
もともとそういうことを勉強したいから、
僕西海岸の学校しか起きてなくって、
UCバークレー行ってもそういうスタートアップの
勉強をしたいなと思ってたんですね。
勉強するよりもやった方が早いなと思って、
戻ったって言う。
そんな感じですね。
資金調達活動をしていくんですね。
資金調達は、
正確に言うと、
資金調達は既に前のメンバーがやっていて、
僕は最後に
直接は関わってない。
その後、会社経営、
代表になると思うんですけど、
会社経営ってどういうことを
やられてたんですか?
これはね、戻って別に代表になる予定
なかったんですけど、
いろいろひともんちゃくもふたもんちゃくもあって、
結局1ヶ月半後くらいに
代表になって、
やってたことは、
さっきの話で、エンジニアリング以外
全てですよ。
だから、
ゴミ出しから
資金調達まで。
みんなゴミ出すのに
チケット買ってこないといけないじゃないですか。
コンビニとかで。
買ってきてよって言っても、
オフィス来たくないですとか、
建て替えるの嫌だから
とか言っても、やるよみたいな。
そんな感じですよね。
代表取締役総務ってやつですね。
そうですね。
もちろん営業も
するし、
資金調達もするし、
あとなんか、
新しいサービス作んなきゃねってことで、
サービス企画の真似事みたいなのも延々やってたし。
当時、
見てましたよ、そういうスマホアプリが
これから来るぞって、
2010年頃、2010年、2011年で。
なので、海外のアプリとか
めちゃくちゃ見ましたね。
その頃で言うと、
iPhoneが出て、
日本で出てたぶん2,3年ぐらい経ってて、
Androidの端末も
いろんなキャリアが出し始めたくらいの時ですかね。
そうですね。
2008年にiPhone3Gが
日本で発売されて、
僕自分で買って、
なおかつそれをメインに使ってたんですよ。
めちゃくちゃ不便ですぐ落ちるし。
大変だったんだけど、
ソフトウェアのアップデートとか
そんなことできるんだ、すげえなみたいな。
やっぱりアプリってすごいなって思って。
当時なんてね、
結構本気でみんな、
こんなの広まるわけないじゃんって
本気で言ってたけど、
どう考えてもこれでしょって思ってましたよね。
2008年、9年頃。
だから今、僕、正々堂々すげえなって思ってますけど、
それと同じくらいの興奮を
当時感じて、
めっちゃ触ってて、
スタートアップいいなって思ってました。
正々堂々で言うと、
今日お送りしたアジェンダも
割とちょっとGPT手伝ってもらって作ってるんで。
できちゃうでしょ。
そうなんですよね。
これ自分で作ろうと思うと
数十分かかっちゃうやつが、
5分で発信できるみたいな。
このくらいのイノベーションが
起きてるっていうのが、
今、2025年現在だと
そういう感覚っていうのが
当時のスマホの感覚だったのかなっていう。
いや、そうですね。
僕、人生3回会ったのが
インターネットの衝撃っていうのと
スマホの衝撃と、今3回目
正々堂々の衝撃で、正々堂々の衝撃が
一番大きいかもしれない。
ありがとうございます。
ということで、
その後の話は、
これ話すとキリがないんで。
キリがないね。すみません、話長くて。
創業経験のあるVCとして、
なんかこう、
今日の話をちょっとさまっていただいて、
じゃあ、
ひるがいってスタートアップに提供できる価値って
どういうのがあると思いますか。
結構別物だと思うんですよね。
被る部分があるんだけど、
VCとスタートアップ経営者って。
だから、よくね、
ヘックスとかの煽り文言で、
VC、ベンチャーキャピタリストなんて、
お前らスタートアップ経営できるのかよって言うけど、
できるわけねえじゃんみたいな。
プロ野球選手にお前なんか
サッカーJ1でプレーできるのかよって言うのと同じくらいで、
全く意味ないことですよね。
逆にスタートアップ経営者はVCできるのかよって言うと、
これもできない。