お気に入りの絵本の紹介
こんばんは、幸せを数えてひと息つくラジオ。
この番組は、出張セラピストの私、ゆいが、東京の下町からお届けするおやすみラジオです。
今日はね、ちょっと前にやろうと思ってた、お気に入りの絵本の紹介したいと思うの。
なんかね、絵本好きなんですよね、昔から。
昔からっていうか、何だろう、割と若い頃からね。
子供の頃はもちろん好きだったんだけど、大人になってからも結構絵本好きで、
特にお気に入りの絵本を紹介しようかなと思って。
紹介しようかなって言ってもね、あの多分、かなり有名作品だから、
知ってる人もいっぱいいると思うんだけどね。
紹介しようと思って。
あのね、何の本かっていうと、
シェル・シルバースタインさんっていう方の書いた絵本なんですよね。
僕を探しにっていう絵本と、あと大きな木っていう絵本。
自分探しの物語
知ってる人多いんじゃないかなって思うんですよ。
めちゃくちゃ流行ってたから、流行ってたのよ。
いつだったかな、高校生か大学生になってからだったか忘れたけど、
そのくらいの時に買ったんですよね。
この前もさ、高校生の時の話したんだけど、
あの、その時には言わなかったんですけど、
あの、何て言うんでしょうか、
恥ずかしながらなのかな、分かんないけど、
あの、割とね、
私、ビレッジバンガードに入り浸ってる系高校生だったんですよ。
伝わるかな、伝わるかな、
そういう感じだったんですよね。
入り浸ってるってほどじゃないけど、
なんかよく行ってた買い物に、
高校からね、町の中心部に遊びに行って、
遊びにっていうか、だいたい一人で買い物とかよく行ってたんだけど、
パルコがあってね、今もうなくなっちゃったんだけど、
熊本のその中心地にパルコがあって、
その中にビレッジバンガード入ってたんですよ。
だから、そこにね、よく行ってましたね。
でも、高校生の時じゃないのかな、
だから、そんな高校時代を経て、
大学生になって、
で、大学の時、
大学2年生か、なんかそのくらいの時に、
大学の近くにショッピングモールができて、
で、そこにもビレッジバンガードが入ってたから、
そっちで買ったんだったかな。
でもとにかく、この僕を探しにという本と大きな木という本は、
ビレッジバンガードでおすすめされてた絵本だったんですよ。
あそこね、一応本屋さんだからね。
本屋さんで、私は本をね、買ってたわけ。
他にもね、結構いろんな本買ってたんだけど、
最初に買ったのは、この僕を探しにっていう絵本で、
これは、
中身を読むわけにはいかないから難しいんだけど、
自分の中身を、
埋めてくれる何かを、
探しに行く、
まるこい僕の物語なんでしょうね。
なんて言うんでしょうか。
そうそう、自分の欠けている部分にぴったりはまる、
何かが、誰かが、いるんじゃないかって、
探しに行く物語で、
結果的に、
見つけるんだけどね、
そのぴったり当てはまるかけらを見つけて、
見つけるんだけど、
それが、
幸せなことか、
それが、
それが、
幸せなことか、
みたいな、
そういう系よ。
説明下手くそだな。
説明下手くそなんだけど、
そうですね、
そういうお話なんですよね。
自分探し、
一応タイトルがね、僕を探しにだから、
最初その買った、この本を初めて読んだ時は、
自分探し的なね、物語なのかなって、
思って、
あとは、だから、
自分に欠けている何かを、
探しに行く、
何かそういう、
愛の物語なのかな、
みたいな、
自分に欠けている何かを、
埋めてくれるパートナーを、
探しに行く的なね、
そういう意味で、
恋愛って言っていいのかわかんないけど、
愛的な何か、
そういう物語なのかなって、
思って読んでたような、
気がするんですよね。
でもこの、
結論、
結論っていうか、
結末、
結末を見ると、
結果だから、
自分探しの物語として、
読むんだとしたらね、
結局、
その欠けている部分を、
埋める何かを、
見つけることで、
自分を、
見つけられるっていうわけでは、
なくて、
まあ、自分は、
自分だ、みたいな、
なんかそんな感じの、
終わり方なんですよね。
その、欠けている部分があっても、
自分は自分だ、
みたいな、
絵本だからさ、
特にこのシルバースタインさんの絵本は、
そうなのかもしれないけど、
解釈、
どういう風に受け取るかっていうのは、
人それぞれだと思うから、
当時の私は、
そういう風に受け取った、
っていう話なんだけどね。
他の受け取り方をしている人ももちろん、
いると思うから、
これはこういうお話ですって、
断言することはできないんだけど、
まあ、
そういう風にも、
受け取れるような、
自分っていうのは何なのか、
みたいなね、
そういうのに、
気づかせてくれるような、
絵本、
なんですよ。
今でこそね、
読む人、
読む年齢によっては、
当たり前のことしか、
言ってないじゃんっていう感想になる、
可能性もあるんだけど、
私がこれを読んだのは、
高校生か、
大学生なりたての、
20歳前後の頃だったから、
その頃の私にとっては、
すごく、
印象深い、
心に刺さる、
絵本だったんですよ。
なんかね、こういうのが刺さりやすい、
お年頃だったのよ、きっとね。
そう、だから、
この絵本すごく好きで、
当時ね、
高校生の時だったかな、
なんか、高校の文集みたいなので、
この絵本を紹介したような気も、
しなくはないなぁ。
だったら、
余計にですよね、
高校生ぐらいだったら、
ちょうどそういうね、
自分みたいなものを、
探したい時期、
アイデンティティが、
まだ確立してない時期で、
そういう悩みもあっただろうし、
みたいなね。
だから、すごく好きで、
大人になって読むとね、
これを読んだ上で、
大人になった私なんで、
ちょっとね、他の人とはまた、
感想違うのかもしれないけど、
これを読んだ上で、
大人になって、
自分は自分でいいんだとか、
安っぽい感想なんだけどさ、
感想とかレビューするの、
ほんと下手くそでね、
ほんと申し訳ないんだけど、
そんな感じだったり、
やっぱりなんだろうね、
自分に足りないものを埋める、
ものとして、
かけらを扱うこと、
自分の足りない部分を、
埋め合わせる存在として、
誰かを扱うこと、
っていうのは、
なんですかね、
一見その、
足りない部分を埋めることができて、
満たされるような感じがするんだけど、
それが果たして幸せなのか、
自分にとって幸せなのか、
誰にとって幸せなのか、
っていうことでもあるし、
自分にとって幸せだったとしても、
相手にとっても同じように幸せなのか、
とか、
そういう関係性は、
二人にとって幸せだって言えるのか、
とかね、
そういうことを、
すごく分かりやすく書いてくれている、
絵本だと思うので、
これを高校生の時に、
読んだんだとしたら、
やっぱり当時から、
そういう問題意識みたいなのが、
私に根付いていた、
ってことだと思うんで、
そういう意味ですごく、
今の私に、
ものすごく影響を与えた、
絵本っていうか、
そんな感じで、
無償の愛のテーマ
すごく好きな本ですね。
そうなんですよね。
流行ってなかった?この絵本。
今も流行ってるのかな?
分かんない。今30代後半ですけど、
同世代ぐらいの方は、
流行ってませんでした?
すっごい流行ってた気がしたんだけどな。
僕を探しに、
っていう絵本でした。
もともとの英語のタイトルがさ、
The Missing Piece
なんですけど、
まあね、
足りないかけら?
失われたかけらとか、
足りない部分とか、
そういう感じじゃん。
だからそれを、
それが、
僕を探しにっていう風に
訳されてる時点でも、
そこに一種の
フィルターがかかってるような
気はしちゃうんだけど、
まあでも、
そういう意味でもね、
絵本ってそういうのもいいですよね。
いろんな角度から、
いろんな感情が
湧いてくるっていうかさ、
いろんな方向に
考えることができて、
すごく好きな絵本なんだよね。
もしね、
読んだことない方いたら、
ぜひ、
一度手に取ってみても、
いいんじゃないかなって、
思いますけどね。
わかんない。
人によっては、
なんだこんな当たり前のことを
言いやがってって思うかもしれないけどね。
そうそう。
そんな感じの絵本ですね。
あとはね、
大きな木っていう絵本、
これも同じ作者の方の
絵本なんですけど、
これは、
この大きな木っていう作品は、
かなり賛否両論あるらしいけどね。
まあ絵本だからやっぱり、
受け取り方、
人それぞれで、
読んだあとの感じ方とかも、
人それぞれだし、
どんなメッセージを
受け取るかっていうのもね、
人それぞれだと思うんだけど、
この本もかなり好きで、
この大きな木っていう本を、
初めて読んだ当時の私は、
これが無性の愛ってやつか。
感銘を受けた
記憶がありますね。
その無性の愛。
見返りを求めずに
与える愛。
みたいな。
これは、
一本の大きな木と、
一人の少年の
お話なんだけど、
この大きな木がね、
少年にいろんなものを
与えていくんですよね。
少年の欲しがるものを、
見返りを求めずに、
自分のことを削りながらも、
与えていく。
少年はどんどん大きくなって、
大人になっていって、
木から離れていっちゃうんだけど、
それでも、
木は
幸せだったのか?
幸せじゃなかったのか?
みたいな、
問いかけがありつつも、
最終的に、
その少年がね、
木のところに帰ってくるんですよ。
で、木は幸せだった。
みたいな。
無償の愛の考察
そっかーって、
これが、
見返りを求めずに、
無償の愛を注ぎ続けるって、
こういうことなんだーってね、
素敵って思った。
思ってたと思う。
その、
当時の私ね、
高校生、
これはさすがに大学生になってから
買ったような気もするんだけど、
まあ、二十歳前後の
私ね、
そういうのに対する
憧れがあったの。
なんか、
愛する人に、
無償の愛を注ぎたい。
そういう愛を注げる人になりたい。
みたいな、
憧れがあって、
そういうものが、
なんか、
本当の、
愛なんじゃないか。
みたいなね、
そういう思想の持ち主だったんですよ。
その頃の私はね。
ただ、
そう、やっぱり、
この絵本の中でも言われてるんだけど、
何も見返りを求めずに、
愛情を注ぎ続けることが、
本当に木にとって、
幸せなことだったのか?
とか、
少年にとって、
それは幸せなことだったのか?
少年のためになってたかどうか?
って言うと、
ちょっと怪しいところがあるからね。
少年は、
ぱっと見、
わがままを言って、
それを木に叶えてもらってただけ。
みたいな感じだから、
それは本当の愛と言えるのか?
とか、
その、
あとは、
なんだろうな、
無償の愛を注ぎ続けていれば、
一度悲しいことがあっても、
いずれ報われるみたいなさ、
読み方もできると思うんですよ。
最終的に少年が帰ってくるからね。
だから、
そういう、
なんだろうな、
そういう風に思っちゃうのって、
ちょっと怖いなとかね。
今はまだわからないけど、
いつかきっと、
私の気持ちわかってくれるはず。
みたいな思想になっちゃったら、
ちょっと怖いじゃないですか。
場合によってはね。
ちょっと危険しそうかもしれない。
って思っちゃったりとかね。
自分はちょっとそうなりたくはないなとかね。
無償の愛って言うんだったら、
それを期待してたら、
それは見返りを求めてることになっちゃうから、
そういう風に期待してたわけじゃないのかもしれないけどね。
この絵本に出てくる木はね。
でも読み取り方によっては、
なんかそういう風に思っちゃったら、
自分が嫌だなとかね。
そういう風に自分が思っちゃったら、
嫌だなとか。
だから、
翻訳の違いと影響
無償の愛とは何かについて、
考えることもできるし、
それを注いだり、
注がれたりすることと、
幸せの関係性を、
考えることもできるし、
すごくやっぱり、
絵本だからね。
絵本だから、
自分の気持ちわかってくれるはず。
すごくやっぱり、
絵本だからね。
絵本だからなのかわかんないけど、
絵本ってそういう作品が多い気がするんだけど、
ものすごく、
考える余地がたくさんある絵本で、
特にね、
私がそういうのを考えるの好きっていう、
私が考えたいことについて、
考える余地をたくさん与えてくれる、
絵本なので、
すごく好きなんだよね。
そしてね、
この大きな木っていう本は、
バージョンが2つあるんですよね。
あのね、
私が持っている、
大きな木っていうのは、
本田金一郎さんっていう方が、
訳されている、
バージョンの、
大きな木なんですよ。
これ1900、
1976年に、
初版が発行されている、
バージョンの、
大きな木、
なんだけど、
で、
今はね、
2010年だったかな、
に、
村上春樹さんが、
訳されている、
バージョンの大きな木が、
出てるんですよ。
だから、
どうかな、そっちの方が多いのかな?
新しいバージョンの方がね、
お店、本屋さんとか行ったら、
そっちの方が多いのかもしれないんだけど、
やっぱね、
訳が全然違うんだよね。
デスマス調かどうかとかね、
そういう、
訳し方の違いもあるし、
なんて言うんですかね、
この、
私が持ってる、
私が最初に読んだのが、
その、
昔のバージョンのね、
訳だったから、
馴染みがあるっていうのも、
あるかもしれないんだけど、
どっちかっていうと、
昔のね、
本田さんの訳の方が、
シンプル、
な感じ、
なんですよね。
文字数的にも、
シンプルだし、
訳し方も、
例えば一番大きな、
大きな違いっていうか、
私にとっては大きな違いだったのが、
原文ではね、
ハッピーっていう単語が、
使われてるところを、
村上春樹さんの、
訳では、
幸せっていう風に、
訳してるんだけど、
この本田さんの訳だと、
嬉しいっていう風に、
訳されてるんですよね。
それ、
最近知ったんだけど、
原文読むほど、
熱心じゃなかったから、
最近調べて知ったんだけど、
だから、
幸せについて、
あれこれ考えたい、
私にとっては、
村上春樹さんの訳の方が、
ハッピーを、
幸せっていう言葉に、
訳してることで、
もうすでに何かこう、
思考が、
狭められてるような、
気がするんですよね。
なんか、
原文に忠実だとも言えるけどね、
なんか、そんな気がする。
原文見たわけじゃないから、
わかんないけど、
村上さんの訳の方が、
より、
忠実な感じが、
するんだけど、
ただその、私は、
あくまでも日本語訳の、
絵本として楽しんだからね、最初にね。
だからその、
嬉しい、ハッピーを嬉しいって、
訳された方が、
嬉しいと幸せって、
イコールじゃないじゃないですか。
だから、
より一層、たぶん、
幸せについて、
話してるんだろうなぁ、
って思いながら、
読んではいたけど、
木は嬉しかったって、
言われるのと、
木は幸せだったって、
言われるのと、
ちょっと違うじゃないですか、印象が。
嬉しかったって、
嬉しかったって言われた方が、
なんか、より、
余白が多いっていうかね、
考える余地が、
たくさん残されてるような、
気がして、
だから、
私はそのシンプルな、
訳もね、結構、
好きなんだけど、
そうやって訳で、
読み比べるのも楽しいし、
実際、原文はね、
ハッピーになってるわけだから、
ハッピー、
ちょっと英語話す方の、
ハッピーの感覚がね、
どういう感覚なのかは、
私には分からないから、
なんとも言えないんだけど、
そういうところまで、なんていうの、
シンプルゆえにさ、
細かい、
部分まで、
考えようと思えば、
考えられるじゃん?
で、本当に感じ方は、
人それぞれで、
そういう意味で、
絵本、すごく好きで、
で、特にやっぱり、
影響を受けた、
絵本?
かな?
かなり、
思い出深い、絵本、
ですね。
これもね、名作とされてるので、
知ってる方、
読んだことある方は、たくさんいると思うんだけど、
もしね、
読んだことない方は、
ぜひ、
って感じ。
大きな木の方は、
特に本当に、
絵本の魅力
人によっては、すごい悲しい話だとか、
木にイライラするとかね、
そういう感想になる場合もあるみたいだから、
あんまりこう、
気安くおすすめはできないんだけど、
一度、
読んでみてもいいんじゃないかなって、
思いました。
ヴィレッジヴァンガードも、
悪くないでしょ?
なんかね、目の敵にしてる人、
いたけど、
なんだろうね、
そういうとこ、
行く派と行かない派の対立みたいなのが、
大学生ぐらいの時、
あったような気がするんだけど、
私はね、悪くないんじゃないかなって、
思うんですけどね。
はい、じゃあ今日は、
そんな感じでした。
うまく紹介できたかわかんないんだけど、
私のお気に入りの絵本の話でした。
ということで、
今日は、そろそろお休みの時間にしたいと思います。
最後まで聞いてくれて、
ありがとうございました。
明日も、穏やかな一日になりますように。
おやすみなさい。