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2023-11-24 26:39

読書ラジオ『愛するということ』エーリッヒ・フロムと『大豆田とわ子と3人の元夫』

いつも聴いていただきありがとうございます。
エーリッヒ・フロムとは
この本を読むに至った経緯、輪読会
身近なようで遠い。愛について語るのは恥ずかしい
フロムによる"愛"とは?
なぜ"愛"が必要か?
大豆田とわ子と三人の元夫 シンシンの名言
気になるテーマを見つけたら学ばずにはいられない

⭐︎本紹介
愛するということ https://amzn.asia/d/2wRBXqx
(配信の冒頭部分は本の説明文・あらすじを読み上げています。)

⭐︎ドラマ
大豆田とわ子と3人の元夫
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#読書 #読書感想 #読書ラジオ
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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本について話してみようと思います。
エーリッヒ・フロムは、ドイツの社会学者・精神分析家、1900年生まれ、ユダヤ系のシンフロイト派、フロイトサ派と言われている人だそうです。
その特徴としては、フロイト以降の精神分析の知見を社会情勢全般に適用したというところで、代表作としては、
ファシズムの心理的起源を明らかにした自由からの闘争とか、今回お話しする愛するということ、たくさんの著者を出されているんですけれども、
なんでこの愛するということという本を読んだかというとですね、私は月に1回、コーチングの仲間と一緒に臨読会というものをやっていまして、
私たちがやっている臨読会というのは、毎回課題図書があって、その課題図書を臨読会の事前に準備しておく。
臨読会の時間で約40分から50分くらいで、自分の課題図書の中の担当ページですね、1章はAさんとか2章はBさんと割り振られるんですけれども、
臨読会の40分から50分の中で自分の担当ページを読んで、最後10分くらいでスライドに要約してメモを書いて、最後それを共有して、みんなで意見を交わし合うというかですね、
理解を深めていく、ディスカッションするという、ディスカッションというか対話なんですけれども、意見を戦い合わせるわけではなく、こういうふうに理解しましたとか、そういうことを重ねて対話していくっていう臨読会をしているんですね。
今回の臨読会で課題図書になったのが、このエイリヒフロムさんの愛するということという本でした。
これはなぜこの本を課題図書に選ばれたのかっていうのは、そこまで深い意味はなくてですね、気になってた本だから、
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世界的ベストセラーの本だし、谷川俊太郎さんとか、アナウンサーの広中綾香さんとかが、その他にもたくさん、平野圭一郎さんとか、この本に対してメッセージを寄せられてたりして、話題性はあるんですよ。
そういう点から選んでみました。ということで、まずですね、私はこう、自分だったら絶対こう、なんていうんですか、手に取らない本だなと思うんですよね。
それはその、愛するということという本のタイトルに置いてあっても、結構通りすぎるなと思っていて、
それは何かなと思いながら読んでたんですけど、私の中にその、愛するだとか愛されるとか、愛というものに対する興味関心がそこまでないっていうのが一つと、
もう一つはその、愛というものに関する、関して誰かとこう話すっていうことが恥ずかしいっていう、その2点ですよね。
だから、あ、今回の臨読会、なんか本のタイトルに愛ってついてるけど、いや恥ずかしいな、興味もないし、出るのやめようかなと思ったぐらいでした。
なんですけど、やっぱり毎回参加することに意味があるかなと思うし、私が興味なくても、周りの人はね、違うかもしれないから、違った視点が、気づきが得られるかなと思って参加したんですけれども、
他の皆さんもですね、私とちょっと近い感覚でした。やっぱり、あの、どうなんでしょうね、愛することっていうことについて、自分の経験を話したり、自分の考えを話したり、他人とですよね、するっていうことは、ちょっと恥ずかしいことなのかなと思うんですよね。
私だけじゃなくて、みんなもそうなのかなと思いました。
で、2つ目は、愛というものに対する概念というかですね、愛と聞いて、それぞれが頭の中に浮かぶことって本当にマチマチだなということです。
よくある話としては、それは恋なの?愛なの?みたいな。恋なの?愛なの?問題ってあるじゃないですか。
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で、その違いも私にはちょっともうよくわかってないし、その自分が誰かを愛しているかとか愛されているかみたいなことを、日々日常の中でそこまで敏感ではないんですよね。
1個思うのは、私の子供に対する感情とか行為っていうのは、これは母としての愛なんだろうなというのはわかるんですけど、それ以外のことに関して、愛というのは何なのかって日常の中で考えることもないから、やっぱり関心事ではないし、
一生懸命考えたり、それを誰かと話したりするっていうことも、やれって言われるとちょっと恥ずかしい。
皆さんも私のような考えの方多いんじゃないかなと思うんですよ。どうですか?
だからね、この愛することということという本を読んで、私の担当ページはですね、この本の構成としては、1章から第4章まであって、目次を言っていくと、第1章は愛は技術かっていう話。
第2章は愛の理論。1、2、3とあって、1つ目は愛、それは人間の実存の問題に対する考え。宝塚、ご覧になったことある人はご存知かもしれないですけど、ベルバラっていう演目があって、歌でありますよね。
ああいい、それは道徳っていう。なんか、そんなこと思い出しちゃうんですけど、だから恥ずかしいんですね。こうやってこう、何て言うんですか、ちょっとちょけながら話してるっていう時点で、私相当恥ずかしいんだと思います。
2つ目が親子の愛。3つ目が愛の対象として、その中に有愛、母性愛、恋愛、自己愛、神への愛。第3章は愛と現代西洋社会におけるその崩壊。第4章が愛の修練ということで、私が担当したのは、第2章の愛の対象の中の自己愛と神への愛っていうものでした。
で、ここの内容を今なんか話すっていうのもちょっと、そこまでたどり着けないかなと思うので、今日は話さないんですけれども、まずこの本っていうのは、愛というのは、技術であるという前提から始まるわけです。
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技術なので、知力と努力が必要である。愛は快感の一種ではない。快感を経験できるかどうかは運の問題で、運が良ければそこに落ちるというようなものだろうか、そうではない。
だが、現代の人々っていうのは、間違いなく愛は技術であるという前提ではなく、愛は快感であり、落ちるものである。そしてそこに落ちるかどうかは、その経験ができるかどうかは、運が良いか悪いかである。
というふうに考えていると。だからといって、現代人が愛を軽く見ているというわけではなく、誰もが愛に飢えていて、そういった愛に関する映画だとかラブソングっていうものに消費していると。
そこら中に日々の生活の中に、愛に関する何かしらに触れていて、それがいわゆる一つのコンテンツだったりエンターテイメント、欲求みたいなものを満たす行動だとかものになっているにもかかわらず、本当に愛について学ばないといけないことがあると考えているっていう人はほとんどいない。
それは何を言ってるかというと、愛と言われて人々が思い浮かぶのは、自分が愛されることであると。誰かからその愛をもらえる、享受できるものである。そんなふうに思っている。
でもそうじゃなくて、愛っていうのは、そういう快感だとか経験だとか、享受できる何か商品のようなものではなくて、技術であって、そのためには学ぶことが必要だし、修練というかですね。
そのために自分を立したり、挑戦したり、何かのために時間を割いたりっていう、利他的な行動、その積み重ねが必要だし、何よりも愛というのは与えられるものではなくて、与えるものである。
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そんなふうにフロムさんは言うわけですね。
決定的な言葉としてですね、なぜ人に愛が必要なのか、なぜ人間は愛を渇望するのかというと、それは孤独から逃れるためであると言ってます。
人は孤独から逃れるために愛を求める。
それは、愛を求めるというのは、孤独から逃れるために誰かに愛されることを望みがちなんですけれども、真に孤独から逃れるためには、愛することをまだまだければならないし、それを実践しなければならない。
そういうふうにフロムさんは言うわけですね。
そういったことが書かれているわけです。
そこから愛の論理というものがどんどん語られていく本になるんですけれども、私も臨独会に参加したみんなも、最初のこの愛に関する現代人の考えを否定されるところ、フロムさんの前提から入るわけなんですけれども、そこで結構お腹いっぱいになっちゃってですね。
その後ついていけないっていう、そんなちょっと1回読んだだけでは、理解したとは言えない本なのかなと思います。
あとはですね、谷川俊太郎さんが言ってるんですけれども、この愛するということという本はですね、ご自身が若い頃に読んだそうなんですけれども、その時は観念的にしか読んでなかった。
再読してフロムの言葉が大変具体的に胸に響いてくるのに驚いた。読むものの人生経験が深まるにつれて、この本は進化を発揮すると思うとおっしゃってるんですけれども、まさにそれが私とか臨独会のメンバーにもきっと当てはまると思うんですよね。
この愛するということというのを、観念的ではなく、自分の胸に響くほどに、体に染みていくほどに読んで理解していく人生経験の深まりがないっていうことだと思うんですよ。
だから、この本から得られる対価というかですね、この本の価値っていうものを、本当に享受できているわけではないんだろうなと思いました。
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あとは、最初愛するっていうことを話すのは恥ずかしいよねって言ったんですけど、それも結構あるんじゃないかなと思っていて、私たち日本人が愛という概念というか言葉を知ったのって明治時代と言われてますよね。
その有名な話として、夏目漱石が愛という言葉を英語のloveを日本語に訳して伝えるために適する訳がないっていうことで、適切な日本語の言葉が見つからないってことで、
夏目漱石は月が綺麗ですねと訳したっていうぐらい、日本人にとって愛というものが直でピンとくる概念ではないっていうことと、私たちがそれを知ってからまだ何百年ぐらいしか経ってないっていうことなので、
私自身もそうだし、私の周りの人もこの愛っていうものに対する基本的な考えというかですね、文化的な部分からくる染み込んだ自分の理解みたいなものが多分等しいんだろうなと思うんですよ。
もしくはピッタリ言語化する術を持ってないのかなと思ったりします。
あとはキリスト教っていうものを理解できているわけではないので、そういった神の愛っていうものを概念としてさらっとしかきっとわからないっていう部分もあったりして、
そういうちょっとした日本人からするとハードルみたいなものがあって、フロムさんが言う愛するということというものをさっと理解するまでにはちょっとした訓練というか繰り返しの読書が必要なのかなというふうに思いました。
あとはですね、その愛っていうものに対する興味ですよね。
これがないと、こういう本を読もうとは思わないので、身近なところから自分の生活レベルの範囲でこの愛というものに直結するような何か自分の関心事みたいな、そういったものを見つけていって、そこからこう愛という領域に踏み込んでいって、
そういったものを見つけていって、そこからこう愛というものに直結するような何か自分の生活レベルの範囲でこの愛というものに直結するような何か自分の生活レベルの範囲でこの愛というものに直結するような何か自分の生活レベルの範囲でこの愛というものに直結するような何か自分の生活レベルの範囲でこの愛というものに直結するような何か自分の生活レベルの範囲でこの愛というものに直結するような何か自分の生活レベルの範囲でこの愛というものに直結するような何か自分の生活レベルの範囲でこの愛というものに直結するような何か自分の生活レベルの範囲でこの愛というものに直結
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見てるんですよね。で、1回目見た時は松高子さんが好きとか、岡田雅郷が好きとか、俳優さんが好きだったり、インテリアが素敵とか、洋服がオシャレみたいな、そういうふうに、割と薄っぺらい見方をしてたんですけれども、後半になるにつれて小田切女の高梨さんが出てきたあたりで思い出したんですよ。
そういえば最初にこのドラマを見た時に、なんで大豆田十和子は高梨と一緒にマレーシア行かなかったのかなって、なんで行かないんだろうって思ったのを思い出したんですよね。
で、2回目見た時もなんで大豆田十和子一緒にマレーシア行かないんだろうって思ったんですよ。
でもそこに中村新進っていう大豆田十和子の3番目の夫の岡田くんが言ったセリフで、そういうことかと思うものがあったんですよね。
で、それは何かというと、大豆田十和子がその高梨とマレーシアに行くっていうことにフラッと行ってもいいかなって思っている状態の時に、新進がなんで行くのって言うんですよ。
それに対して大豆田十和子は、あのやっぱり一人寂しいんだよって、誰かと一緒にいたいんだよ、愛されたいんだよみたいなことを言うんですよ。
それに対して新進が、人の孤独を埋めるのは愛されることではなく愛することだよって言うんですよね。
それってまさにこのフロムさんが言ってることじゃないかと、なんかたまたまなんですけど、あ、これフロムさんが言ってることだと思って、あ、そういうことだったのかって思ったんですよね。
まあドラマなので、本当にリアルにそういうことを思ったかどうかとかそういうのは別として、このドラマの意図として前提にあったのは、大人が一人で生きていくっていうことに対してできなくはないんですよね。
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大豆田十和子は結構収入もあるし、建築設計デザイン会社の社長だし、すごい自立してる女性だし、なんなら3人の元徒がその辺にいつもいてくれるから、誰かともう一度4度目の結婚をして寄り添わなくたって一人で生きていけるんだけど、
お母さんを亡くして、友達を亡くして、そういった寂しさ、孤独っていうのはあるわけです。
それを埋めるために、高梨に愛されるっていうことを選びそうになるんだけど、それで本当に孤独が埋められるのかっていうところが、このドラマの持ってるテーマの一つなんだろうなと思ったんですよ。
で、結局大豆田十和子はマレーシアに行かずに、今の自分で生きていくっていうことを選んでいくわけなんですけれど、それでその大豆田十和子が誰を愛して自分の孤独を埋めていくかっていうのは、そのドラマの中では書かれなくて、
自分の孤独を埋めていくかっていうのは、そのドラマの中では書かれなくて、自分の孤独を埋めていくかっていうのは、そのドラマの中では書かれなくて、自分の孤独を埋めていくかっていうのはそのドラマの中では書かれなくて、自分の孤独を埋めていくかっていうのはそのドラマの中では書かれなくて、自分の孤独を埋めていくかっていうのはそのドラマの中では書かれなくて、自分の孤独を埋めていくかっていうのはそのドラマの中では書かれなくて、自分の孤独を埋めていくかっていうのはそのドラマの中では書かれなくて、自分の孤独を埋めていくかっていうのはそのドラマの中では書
好きなドラマの中に、そういったフロムの言ってる愛のテーマが実は隠されていたっていうことで、ちょっとだけ愛に関する私の関心というかですね、その学びの距離というかが縮まった、温度感が少し上がった体験だったなと思いました。
私はいつも興味がある事柄が出てくると、それに関するいろんな角度、視点の本を読んでいくという学び方をするんですよね。
いろんな本を読みながら、うろうろしながら、自分のリアルな生活での出来事と絡めていって、ぐるぐる混ぜていって、
拡散させながら、自分の中でストンと落ちていくところを模索していくっていう、そんなフラフラ読書っていうんですか、うろうろ読書っていうのをやります。
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で、ストンと一回落ちると、もう大丈夫一回、これでフィックスみたいな、また別のテーマを探し始めるんですけれど、それが、以前は仏教だったり、キリスト教だったり、仕事っていうものだったり、キャリアっていうものだったり、自己概念だったりしたわけですよね。
で今は、言っててちょっと恥ずかしい部分はまだあるんですけど、愛というものについて学ぼうとしている。そんなちょっとスタートラインから、つま先1個分前に出たなっていう現在地です。
いろんな本を読んで、きっとこのフロムさんの愛するということという本に立ち返るんだろうなと思うんですけど、そのいろんな本っていうものをですね、ちょっと今見つけに行く、そんなうろうろを開始したいなと思ってまして、
これを聞いてくださっている皆さんの中で、この本いいよというものがあれば、ぜひお勧めいただけたら嬉しいなと思います。
やっぱり恥ずかしいのでね、愛について語るっていうことが今も本当に恥ずかしいのでね、どこまでこのスタイフで話せるかっていうのはちょっと自分でも自信がなかったりしますが、学んだことは話していけたらいいなと思っております。
とはいってもですね、今トーイックの勉強とかもやっていて、なかなか読書の時間も今までよりちょっと取れなくなってきているかなというところもあるので、スピードはゆっくりのんびりと進めていけたらいいなと思っているところです。
ということで今日は、愛するということ、エリヒ・フロムさんの本と、大ままだとはことサニーの元夫の話にしてみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。ではでは。
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