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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は、大竹昭子さんの『図鑑少年』という短編集について話してみようと思います。
都会に暮らす私が遭遇する小さな事件や出来事、それらは本当に起きたのか、それとも私の妄想なのか。
胸に迫る人や物、音や情景を辿って、現実と非現実の狭間をたゆたう24編。
新しい都市記単として話題を集めた作品集の待望の文庫化ということで、大竹昭子さんという方は、小説家でもありエッセイストでもあり、写真家でもある。
若い時にヨーロッパに行かれて、その後ニューヨークで生活をして、日本に戻ってきて、そのニューヨークや東京での生活をまとめたアスファルトの犬という嗅覚的都市探検というエッセイも残されている方ですね。
そんな嗅覚を持つ大竹昭子さんならではの視点で書かれた小説が、この図鑑少年なんじゃないかなと思います。
図鑑少年はですね、24編の短編なんですけれども、共通点は、私という女性の視点で描かれているということ、どれも都市を舞台にしているということ、そこで起きる少しだけ不思議な非現実的なお話であるということ、
どれもその語り口というかですね、表現は非常に写実的で、まるで目の前に私が体験する不思議な物語の映像が見えるようである、そんなところがこの短編すべてに共通することかなと思います。
私がこの24編の中で一番印象的だったのは、「赤い爪」というお話です。
これはですね、都会の中にある狭い急勾配の階段を3階まで上がっていった先にある、ものすごく暗い場での不思議なお話なんですよね。
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そこから外路樹が手に届くぐらいの近さのところにある、そこで主人公である私は不思議な男性のお客さんと出会うんですよね。
2人が何か交わるかというとそうではなくて、その男性は私がどこか見覚えがある男性ですごく良い時計をしていて、良いスーツを着ていて、ものすごく背筋が伸びていて、とてもその場には似合わないような風貌をしている方。
男性がトイレに行くんですけれども、トイレから戻ってきた時になぜかその男性は赤い爪、ネイルをしていたんですね。
で、そこからちょっと不思議な経験があって、そこでのバーの経験は夢だったのか現実だったのか、急行場合の階段をまた1階まで降りていくと明るい世界に戻ったというようなお話なんですよね。
で、この図鑑少年に収録されているお話はどれも1990年、今から30年近く前のお話、東京が舞台だと思うので、その30年前という時点でどこかこのお話はモノクロな感覚がある、ノスタルジックだなと思うんですよね。
で、その中でもこの赤い爪っていうのは、もし映像化するとしたらですね、ショートムービーにするとしたら完全にモノクロで作るだろうなと思うんですよ。
で、そこで出てくる赤い爪の部分だけ色をつけて赤い。そんなショートムービーができそうだなぁと思って、すごく印象的なんですよね。
で、私はこの図鑑少年っていう本をスタイフのフォローいただいている方から紹介してもらって読んだんですけれど、大竹晃子さんという方の大ファンになりました。
アスファルトの犬っていう、東京とニューヨークの自分の体験を書かれた本もあって、まず最初にそっちを読んだんですけど、東京もニューヨークも1980年とか90年っていうのは、都市開発が開始される狭間の時期でもあったと思うんですよね。
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昔ながらの部分を知ってる人が新しいものに作り変えられていく、もしくは上塗りされていくものを見ていくような、そういう変遷があって、
そこで、普段私たちが生活している中で自分が住んでいる場所だったり、普段通っている会社の近辺とかの情景というかですね、それこそどういう道があるのかどういう建物があるのか、
そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そういう状況があったりとか、そう
ような、路地の方に入っていたり
見つけられないような、不思議なものを見つけたり
そういった自分の、違和感を大事にして、その都市探検をされている
小さい時に、あの、私は
よく近所の公園とか山とか川を探検するような子だったんですけれども
そういった自分の子供のときの、持っていたその探検家の目っていうのを思い出しましたね。
私がよく思っていたのは、通学路から見る、まあ田んぼとか畑とか山、川
の中に入って、逆にその通学路を見るとどんな景色が見えるだろう
と思いながら探検してたなぁということを思い出しましたね。
何言ってるかわかりますか?
川の上にこう渡ってる橋を通っているときに、この川からこの橋を見るとどうなるんだろうとかね。
なんかそんな風に思って探検してたなぁと思ったんですけど、大人になったらそんなことしないですよね。
いつの間にかそんな興味関心なくなって、そもそも時間もないし。
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いつの間にかそうやってこう、こっちから見るとどうなるんだろうとか、そういった目だったり嗅覚みたいなものは
失われていったわけです。
大竹明子さんもニューヨークのある時にそういった自分の、ご本人いわく都市のまぶたとか都市の目、嗅覚っていう表現をされているんですけど、それが開かれた時があって、そこから写真や
自分の周りの出来事を残していくようになったと、そんな風に言われているんですよね。
この図鑑少年っていうのはまさにその都市の目っていうものが隠れたテーマになっているような気がしていて、
普段見てないもの、通り過ぎるものを見ようとする私の目ですね。
だからその不思議な非現実的な出来事が起きていく、その入り口に立つっていうことなのかなと思うんです。
もう一つは、もしかしたらこの都市自体は巨大な、得体の知れない大きな生き物であって、その生き物が持つ目、そのまぶたが開かれるところが不思議な異空間への入り口なのかもしれない。
それが現実と非現実の淡い、そういう歪みの中で私が経験した少しだけ不思議な物語。そんな設定なのかなというふうにも思いました。
あとは都市っていうのは、かつては海だったり畑だったり田んぼだったり、それこそ川だったりしたものを埋め立てて、コンクリートで塗り固めて、その上に建物を建てて、さらにその建物も倒されて新しい建物を建てていく。
そんな記憶を塗り直していくというかですね、上塗りしていって作られたのが都市なのかなというふうに思うんですけど、かつての古い土地の記憶とか、そこに暮らした人々の記憶、土地自体が経験したような記憶っていうものを
都度葬り去るような形で新しい都市を作ってきた。でも、どこか亀裂が入っているような気がして、壁紙が少しぺらっとめくれているような昔への入り口がちょっと見えていて、その壁紙をぺりぺりぺりっとめくってみると、昔への入り口がどんどん開いていって
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という葬ろうとしても葬りされないような過去っていうものがその都市の下には眠っている。そんなものが不思議な物語を起こすような、そんな空間の歪みを作っていたり、あとはその壁紙をぺりぺりぺりっとめくるような暴き立てる行為ですよね。
それをやっている私というのは大竹晃子さん自身なのかなと、そんなふうに思いながら見ていました。
30年前の話ということで、電話が混戦する出来事がこの中で書かれていたり、留守電、ボイスメッセージ、ファックス、宅配の取り違い、
なんていうように今、インターネット回線だとか物流網が整備されきった現代では、なかなか出会いをないようなものとかことが舞台になっていたりします。
インターネットとか物流っていうのはテレビのコマーシャルとかではよく光の線、光の道で表現されると思うんですけれども、そういった光の道が通るその場所だったりその周辺っていうのはすごく明るく明らかになっていくような印象がありますよね。
そういって、この30年40年ぐらいで世界、世の中っていうのは綺麗に整理されて、暗いところはないような状態まで明るく照らされるような、どんどんいろんなものが明らかにされていくような30年40年だったのかなと思うんですよね。
でも、この小説っていうのはそれが始まる手前の話なので、今は起きえないようなことだったりものが舞台になっている。そんなところに少しノスタルジックな感情を持ったりもしました。
あとは、この主人公の私というのは大竹晃子さん自身であって、大竹晃子さんが持つ都市を見る目、その眼差しで描かれたお話なのかなという話をしましたが、そういう大竹晃子さんが何を暴こうとしているのか。
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都市が葬り去ったものを少しずつ壁紙をペリペリめくるように暴こうとしている大竹晃子さん。それを見る読者の私の目っていうのは、大竹晃子さんがやろうとしていることを見ているようでもあり、
大竹晃子さんが何を暴こうとしているのかというと、大竹晃子さん自身が自分の中で何を暴こうとしているのかというと、大竹晃子さん自身が自分の中で何を暴こうとしているのかというと、
大竹晃子さん自身が何を暴こうとしているのかというと、大竹晃子さん自身が自分の中で何を暴こうとしているのかというと、
大竹晃子さん自身が自分の中で何を暴こうとしているのかというと、大竹晃子さん自身が自分の中で何を暴こうとしているのかというと、
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