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近くて遠いアメリカ。ここ数年、とある情報誌の取材で、東京の立川周辺に数え切れないほど足を運んだ。
昭和記念公園がかつて米軍基地だった頃の話や、玉川上水駅近くにも基地があった話を聞いた。
当時は基地で働く日本人も大勢いて、話をしてくれた中華料理屋店のご主人も、若い自分に基地内のレストランで料理の修行をしたらしい。
床屋の店主のお父様は、米兵の髪を切るために基地に通っていたという。彼らにとってはアメリカは目と鼻の先だったのだ。
立川市の隣、福生市には、今もなお現役の横田基地がある。この福生という地名が、僕にとって特別な意味を持つ時期があった。
それはかつて日本がバブル景気の熱気の中にあった時代。地方の大学生だった僕も、その浮かれたあぶくんの中でふわふわしていた。
肩幅が歩いているみたいなデザインのスーツを着て、姉からのお下がりの車に乗って、夜はディスコで前髪を立ち上げた女と遊んだ。
トレンディードラマの世界をなぞることに必死で、馬鹿らしくて空虚な日々だった。
その頃、むさぶるように読んでいたのが、村上隆と山田恵美の小説。空虚な日々を吐き捨てるように過ごす僕にとって、この二人が紡ぐ言葉が、ある意味でおもしのような存在になっていた。
そんな二人の作品に共通するのが、米軍であり、福生という町だった。いつしか僕は、遠く知らないこの町に、売れすぎた果実のような濃密でだらしない甘さを想像して、ある種の憧れのようなものを抱くようになっていた。
限りなく透明に近いブルー、海の向こうで戦争が始まるコインロッカーベイビーズ、大丈夫マイブレンド、これらの村上隆作品をひとまとめに語れるものではないが、当時の僕は、もっとまともで強い意志を持った男になりたくて、
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その答えを、この本たちの中に探していた。その一方で、いい男になるための教科書として読んだのが、山田恵美の小説だ。
ベッドタイムアイズ、ジェシーの背骨、ソウルミュージックラバーズオンリー、彼女の小説の中に出てくる男は、いい男すぎたし、簡単に真似できるようなものではなかったが、それでも少しは影響を受けていたのだと思う。
二人の作家の教えが、僕の一部になっていたのは間違いないと思う。そう思えるほどに僕は、二人の小説のほとんど全てを読んでいた。
それからしばらくして、僕は大学を辞めて上京し、さらにそれから数年後、六本木のデザイン事務所に勤め始めた。
その頃僕は、ある女性と知り合った。その人は米軍基地のそばに住んでいて、いつも黒人のボーイフレンドと一緒にいるような女の人だった。
ある時彼女に、「あんた、普通の日本人の男とは違うね。」と言われて、部屋に誘われた。
六本木から彼女の部屋までは、かなりの距離を電車で移動することになったのだが、途中、軽急船に乗り換えたあたりから、何人もの黒人男性が彼女に声をかけてくる。
その度に彼女は、「今夜のステディは彼なの。」と僕を指さす。
英語だったから本当はどんな会話だったのかはわからないが、彼らはみんな目を丸くして、「なんでこんなチンジプリンが。」と言いたげな顔で僕を見ていた。
実際のところ彼女が僕のどこを気に入ったのかは全くわからないが、僕は少しだけ誇らしい気持ちになれた。
二人の先生に教わってきたことが身を結んだようにも思えた。
その後も彼女からは何度か誘われて会っていたけれど、そのうち僕をもっと自分好みの男にしようと服を買ってくれたり、スラング混じりの英語を教えようとするので、なんだか煩わしくなってきて、僕は彼女を避けるようになった。
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彼女に会わなくなった後も、僕はブラックミュージックしか聴かなかったし、二人でよく見たスパイクリーの映画は何度も繰り返し見た。
ただ彼女にもらったティンバーランドのイエローブーツはもう履くことはなかったし、日焼けサロンに通うのもやめた。
こんがり焼いた僕の体が元の肌色に戻る頃には、村上龍も山田英美もすっかり読まなくなっていた。