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2024-10-13 17:06

【読書ラジオ】『いのちの車窓から2』星野源

いつも聴いていただきありがとうございます。
待ちに待った星野源エッセイ。
アルバム「エピソード」を聴きたくなりました

⭐︎本紹介
いのちの車窓から2
https://amzn.asia/d/2Njs55C
(配信の冒頭部分は本の説明文・あらすじを読み上げています。)

⭐︎自己紹介
https://stand.fm/episodes/63c3432660a5d6684a4fd590

#読書 #読書ラジオ #読書感想
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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は、星野源さんの『いのちの車窓からⅡ』について話してみようと思います。
雑誌ダビンチ2014年12月越えにスタートした星野源のエッセイ連載、『いのちの車窓からⅡ』、その連載をまとめた、『いのちの車窓からⅡ』、前作から7年半ぶりの第2巻になります。
2024年9月30日に完工されたこちらのエッセイは、2023年までの連載原稿にプラスして4編の書き下ろしを加えた27編で構成されています。
芸能界のど真ん中で好きな音楽を自由に作ることができるなんて、嬉しく楽しくないわけがない。
第1巻が完工された2017年、星野源は逃げるは恥だが役に立つ。恋の大ヒットで大注目を浴びた。関係者があっけに取られるほどの大反響を受け、自分を取り巻く環境が変わっていく。星野源はその過虫にいた。
嬉しいことばかりだった。しかしその反面、昨年の2017年から私はおかしくなっていった。
仕事では楽しく笑顔でいられていても、家に帰って一人になると無気力になり、気がつけば虚無感と頭を抱え、何をしても悲しいのとしか感じずぼんやり虚空を見つめるようになった。
笑顔の裏で抱えていた虚無感、コロナ禍での日々、進化する音楽制作、大切な人との別れ、出会いと未来、愛しい生活について、約7年半にわたる星野源の日々と創作、周囲の人々、その思考と心の内側をまっすぐに綴ったエッセイ集。
日頃伝えきれない感触が、エッセイでは書けるような気がします。この本には7年間に起きた出来事や出会った人、その時々の自分の心の感触が記録されています。個人的にですが、単行本用に書き下ろした4つの新作が好きなので、ぜひ手に取って読んでいただけたら嬉しいです。
街に舞った命の車窓から2ですね。今回の装填もすごく素敵で、あの柔らかな光の中、広い部屋なのかな、ベッドに腰をかけて、一人の男性がアコースティックギターを抱えている。多分これ原作なんでしょうね。
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その手前には大きな薄いカーテンのような膜のようなものが多分風に煽られて揺れているというような、すごく柔らかな光の中にいるギターを弾いている男性という装填でね。
これ大きな窓なのかな、そこから薄いカーテンの奥にいるという見え方なんですかね。タイトル通り車窓からということで、窓の外から部屋の中にいる男性を見ている、そんな装填のようにも思えます。
命の車窓からというね、このタイトルの意味というのは、連載の第一回でね、前回の命の車窓から1の時に書かれている。
ちょっと引用すると、
だいたい何が起きていてもなんとなく窓の内側に自分がいる気がする。内側から外側を眺め、ただ見ている感覚。
パシフィックリムのロボットのように頭部のコックピットにもう一人自分がいて、自分を操ったり、勝手に動く自分の手足や股間を見たりしている。
よそ者の気分。人生は旅だというが、確かにそんな気もする。自分の体を機関車に例えるなら、この車窓は案外面白いということで。
この文章はいわば定年だったということでね、このエッセイでは書かれている。
自分の人生は大部分は基本、ただ大部分は基本的にただ受け入れるしかないと感じていたという。
肉体という乗り物に己という精神が乗っかり、内側から車窓を流れる景色を見ているだけだと。
そんな風にゲンさんはね、自分自身のこと、自分の人生や体についてそんな風に感じているということでね。
やっぱりこういった独特の感覚に惹かれるんですよね。
曲もそうだし、歌の歌詞もそうだし、ゲンさんの独特の認識、認知というものにやっぱり惹かれますね。
私は自分自身のことをロボットの内側に、例えばね、ヤッターマンのように目から、コックピットの内側からロボットの目を通じて外を見ているみたいな感覚を得たことはないけど、
何かこう自分を見ている自分というのは常に感じる部分はありますよね。
過去の自分も今こうやっている自分も、どこかでまたそれを見ている自分がいて、心はそのもう一人の自分が司っていて、
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こうやって喋ったり動いたりしている自分はどこかロボットのようでもあるし、本体はそれを見ている自分で動いている私は分身のようにも感じている。
操り人形とまでは言わないけど、どっちも私なんだけど少し役割が違うというような、そんな感覚は私は持っているので、
ゲンさんは車窓から見ている自分を感じているんだなという、そんな風に思いました。
このねいのちの車窓からの章では、また私の好きなフレーズね。
たった一人っていう言葉が出てくるんですね。
周りに人がいようがいまいが人間はずっと一人だという思いは変わらない。
誰にも預けることができないかけがえのない子を私は持っている。
これは確かに本当そうだなと思う。
私は自分は一人だと思っている。
一人でいるからこそ誰かと一緒にいることができるんだ、そんな風に思う。
ゲンさんと同じだなと思って嬉しく読みましたね。
このいのちの車窓から2を出す7年間の間に、ゲンさんは原垣結衣さんと結婚されているので、
その結衣さんのことを思って家族や仲間と過ごす同じ時間を、
同じく孤独である誰かと手をつなぎ時を分かち合う。
私たちは一つにはなれないし分かり合うことはできない。
それを分かっているからこそ私たちは手を取り合うのだって書いてる。
いいですね。分かり合うことができない。一つにはなれない。
本当にゲンさんのエッセイとか曲を聴いていたりすると、
自分の認識っていうものがどんどん強固になっていく。
ああそうだよな、そうだよなって。そういう思いがどんどん醸成されていく。
だからそういう意識がどんどん強固になっていく。
ああそうだよなって。そういう思いがどんどん醸成されていく。
だからそれを共感というのかもしれないんですけれども、
読んでて本当に違和感なくああそうだよなって思う。
毎回ゲンさんのエッセイを読むとそんな風に思いますね。
もう一つ印象的だったのは喜劇というタイトルのエッセイですね。
これはアニメスパイファミリーの主題歌をお願いされたときに、
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テーマは家族でお願いしますと言われた。
その前にゲンさんはファミリーソングと恋で家族をテーマに書いていて、
この喜劇を作るタイミングではゲンさんは結婚をしていたんですよね。
ユイさんとね。で、なかなか書けない。
そんな中、書いては消しを何日も繰り返していたところに、
ユイさんがね、散歩でも行かないって夜中に誘ってくれたんですよね。
で、お犬と一緒に三人で散歩に出て、
そしたら桜の木があって、夜桜がね、すごく満開で綺麗に咲いてたんですよね。
で、それを二人で見ながら、街灯に照らされた桜並木、
満開の桜並木を見ながら、すごい綺麗、綺麗だねって二人で言い合う。
その瞬間を歌にしたいなと思ったゲンさん。
でもゲンさん今まで自分自身の体験をそのまま歌にするということはしてこなかったんだけど、
でもそれを歌にする、これって新しい要素じゃないか。
自分の歌を作ればいいんだと思って、
少し恥ずかしいけどかけがえのない時を恥ずかしげもなく歌にしたっていいじゃないか。
そう思ってできたのが、喜劇という曲の歌詞なんですよね。
サビの部分は、「顔上げて帰ろうか。咲き誇る花々。こんな綺麗なんだって君と話したかったんだ。」という風に歌われていて、
これはまさにあの時の二人の夜の散歩のことを歌われているんだろうなと思いましたね。
こういうエピソードを読んでから、その喜劇の歌詞を一つ一つ読み直していくと、
それまでゲンさんがどういう風に自分を、世界の中で自分を認識していて、こんな風に生きていたんだけど、
君と出会ったことでこういう風に変わっていて、今は花を見てこんな綺麗なんだって君と話したくなっている。
そしてその命を繋ぐキッチンでふざけた生活は続くという風に。
なんかやっぱり独特のゲンさんならではの認知の仕方なんですけど、すごくなんかわかるなと思ってしまう。
今私はすごく忙しくて、珍しく未来に対する不安みたいなものを感じていて、
今この瞬間を心から楽しめずにいるなという気持ちにもなっているんですよね。
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もしかしたらこれ、明日には変わっているかもしれない。そんなことを忘れて、今が楽しいと思っているかもしれないんですけど、
なんかちょっと自分の心が揺れ動いている。それは年を重ねたことも影響しているだろうし、
今までの自分とはまた違った自分になろうとしている瞬間でもあるような気がしているんですよね。
またその自分が望む望まずに関わらず変わってしまおうとしているこのタイミングで、
ゲンさんのエッセイを読むことができて、本当に良かったなって思いますね。
前のエッセイの時はゲンさんが大病をされて、そこから這い上がってガムシャラに自分と世界を繋いでいくためにどう表現していくかというのを
石井フランにやっていた前作から、ヒットを経て忙しい日々で戸惑う部分がこの2ではたくさん書かれているんですよね。
ゲンさんが体験したように私たちも同じようにコロナ禍を体験して世界が大きく変わってしまったり、
今まで気づかなかった大事なものに気づかされる、そんな経験をしたなと。
それをなぞるように書いてあって、今までのゲンさんの7年間が綴られているのを見ながら自分の7年間を振り返るみたいなね。
そんなことをして今ここにいる、不安になっている自分がいて、じゃあ明日はどうなるんだろうみたいな。
それも自分というロボットの中で、ロボットの目を通して世界を見ている自分という風に捉えてみると、
なんだかとっても客観的に見えるというか、面白がれるというか、また明日から世界を楽しめばいいじゃないかって。
目から、車窓から見える外の景色ってどんなだろうって、そんな風に思うだけで、なんかそれだけでいいんじゃないかと思わせてくれる。
なんかね、ほっとするようなエッセイだったなと思いますね。
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また3が出るとすれば、もうダビンチの連載が終わっているので、3があるかどうかわかんないんですけれど、やっぱり定期的にゲンさんのエッセイを読みたいですよね。
そして、今の私はこんな風に思っていて、それはゲンさんの本とか歌を読むことでめちゃくちゃ共感して、これは私の歌でもあるとか、私のことが書かれているみたいに思う自分もすごくいて、
それはそれで全然嫌じゃないんですけど、そうじゃないこともどんどん試していきたいと思っていて、自分とは違う価値観の人と話してみたり、分かり合えなさを楽しんでみるみたいなことを今はすごくやりたい気持ちになっているんですよね。
だからコラボしましょうって言っているのもその一つなんですけれど、そうやってまた変わっていこうとしている私の7年後とかね、日々を重ねていって、何年か経った時にまたゲンさんのエッセイなり本を読んで、
私は2の時からこんな風に変わったなぁみたいに振り返れたらいいかもしれないなぁとそんな風に思いました。
はい、ということで今日はね、命の車窓から2について話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではでは。
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