1. ゆうこ|読書ラジオ
  2. 読書ラジオ『ベスト・エッセイ..
2024-01-30 18:07

読書ラジオ『ベスト・エッセイ2023』中編

いつも聴いていただきありがとうございます。

⭐︎本紹介
ベスト・エッセイ2023 https://amzn.asia/d/1Lta7Tc
(配信の冒頭部分は本の説明文・あらすじを読み上げています。)

⭐︎自己紹介
https://stand.fm/episodes/63c3432660a5d6684a4fd590

#読書 #読書ラジオ #読書感想
#エッセイ
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/63650fb3b4418c968ddbd7ab
00:06
こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は、ザ・ベストエッセイ2023続きということで、前回、ベストエッセイの中から私が付箋を貼った作家さんのエッセイを紹介しました。
北山治虫さんの、『あのすばらしい愛』
沢木孝太郎さんの、『ただそれだけで』
小川さとしさんの、『ぼくらの第二次世界大戦』
細間ひろみちさんの、『伏線と回収』
坂井潤子さんの、『オンラインアグネス登場』というエッセイでした。
そして今日はですね、残りの1,2,3,4,5,6編について後編ということで、私の好きなエッセイ、付箋を貼ったエッセイの話をしてみようと思います。
前半は結構反響をいただいて、コメントくれる人もいて、なんかすごく嬉しかったですね。
なんかベストエッセイってだけでね、どんなのがあるんだろうってちょっとワクワクされる気持ちもあるのかなーなんて思います。
で、前半でちょっと言ってなかったんですけれども、
ベストエッセイの想定がね、私すごく素敵で、
表紙はね、背景がオレンジ色が貴重で、
そのオレンジ色の背景を線にして、
女性がですね、横を向いて横顔をね、描かれているんですよ。
で、ショートカットでね、どこかこう凛として、
その窓出しは、目の前のものというよりか少し遠くのものを見ているような気もするんですよね。
で、ベストエッセイの帯がありまして、
薄い白い紙で半透明なんですよね。
で、その半透明の帯にだいたい表紙の3分の2ぐらいを覆っている大きさなんですけれども、
このベストエッセイに掲載されているエッセイストンの名前がああいう順に書いてあるわけです。
で、この帯がですね、ちょうど想定の女性の横顔の、
鼻から下を覆う形で帯があるんですよね。
2023年というと、コロナが語類に移行して、
マスク生活が解除された年とも言えるかもしれないですよね。
まさにそれは、この本の表紙はですね、それを表しているかのようで、
03:01
この帯がまさにマスクのようで、女性の口を覆っているんだけど、
この帯を外すと、女性の口元から下がすべて見えるようになっている。
そんな仕掛けもあるのかなと、かんぐってしまいましたけれども、
すごく素敵な想定だなぁなんて思います。
はい、ちょっと最初から横道に反れてしまいましたが、本編に行きます。
続いて私が付箋を貼ったのは、内田俊樹さんですね。
この人の漫画がすごい好きでですね、何年前だろう、10年前とかもっとかな。
子育てをしている時だったと思いますね。
まだ赤ちゃんの子育てをしている時ぐらいに、内田俊樹さんの漫画を読んでましたね。
タイトルは隠れマッチョ。
例えばホームセンターに行って、ネジのコーナーの男性店員に、
これ使えなくなってと古いのを見せると、
これは見てわかるように、このネジ穴が潰れてしまってて、
みたいにこう、眉間にシワを寄せながらね、スピーチを始められた経験がある。
それって、この内田俊樹さんが何を感じたかというと、
私の方がお客さんのはずなのに、
なんかこっちがその店員さんの技術とか知識っていうものをふんふんはんはん聞いてあげて、
関心しないとなんか先に進まないような気がして、
自分がお客さんのはずなのに、こっちが接待しているような気になってくる。
あとは、タクシーの運転手さんもそうだと。
タクシーに乗ると運転手さんから自分語りをされたり、説教されたりする。
で、そういうトークの浴びすぎで、内田俊樹さんはすっかり、
それもまた一興と思えない人間になってしまった。
心からめんどくさい。これは男特有の何かなのではないか、みたいな。
客である私に俺の方があんたより勝っているというのをなぜチラチラさせるのか、
張り合う芯を間違えちゃいないか、ということでね。
さすが俊樹先生、絶望鋭い。
なんかね、そんな話があって、
で、それをですね、俊樹先生は、
私は男のそんな何かを隠れマッチョと名付けてみたってことで、
このエッセイが、タイトルが隠れマッチョなんです。
で、それはね、俊樹先生的にはすごい悪口のつもりでいたんだけど、
ある時もらった男の料理本の中に、
料理はマッチョの趣味なのだという、なんかいい意味で書いてあって、すごく驚いた。
06:02
で、その本はたくさんの人に読まれているっていうことで、なんか脱力しちゃったってことで、
とはいえ、上から目線になったり張り合ってしまったりっていうのは、不安な人が思わずやってしまう行為なので、
俊樹先生にそんなマウンティングを仕掛けてくる人が、
そうじゃない別の人にはね、すごい心優しいこともあると考えると、
そのトリガーを引いてしまっているのは自分なのかしらって俊樹先生が思った。
そう思わせてしまう私のそれって一体何なんだろうってことで終わっててですね。
なんかもう、そんな店員とかタクシーの運転手さんの些細なことをここまで広げて、
最終的に自分に、自分の内側に着地させるっていうのがすごいなと思ったんですよね。
いや、で、俊樹先生がもともと好きっていうのもあったんですけど、
なんか視点も鋭いし、広げ方も素晴らしいし、最後に着地させるのは自分っていうところがですね、
すごくいいエッセイだなと思って付箋を貼りました。
ということで、後半の1件目は内田俊樹先生の隠れマッチョというエッセイでした。
そして、続いて小池雅代さんのみなしごというエッセイですね。
小池雅代さんは詩人、作家でもあるそうです。
これは何が良かったかというと、書き出しがね、すごく共感してしまったんですよね。
誰にでも親がいるということが今更ながらに不思議に思われる。
みんな一人で生きていて一人で生まれたような顔をしている。私もそうだった。
若い頃私は天外孤独に憧れていた。
で続いて、ここ数年の間両親が続けてあの世に旅立った。
なんかあの、最初のね、みんな一人で生きて一人で生まれたような顔をしている。
天外孤独に憧れる。それはね、すごく共感しますね。
私もね、今でもどこかで一人で生きてきたっていう思いをすごく強く持ってるんじゃないかと思います。
なんかね、顔と口ではね、親のおかげでとかね、子供がいるからとかね、
友達が少ないけれども、私のことに心を裂いてくれる友達がいるからとか、
会社でもずっと見てくれる先輩がいるからなんて言うんですけど、
本音の本音のところでは私は一人で生きているときっと思っていると思うんですよね。
09:02
そういうところがすごく共感するなぁと思って、まずこのエッセイにこうグーッと引き込まれました。
で、このエッセイのお話はですね、
そのご両親が亡くなって実家の話があって、
実家には梅の木がある。毎年たくさん実をつけてきた。
毎年繰り返し繰り返し、花が咲いて、葉が生い茂って、葉が落ちて、また実がなって花が咲くの繰り返し。
いた人がいなくなることにも驚くが、変わらずそうやって花が咲いて実がなるということにも驚く。
私たちは毎年梅の木に教えられる。
そしてもうここにはいない自分の両親も、私と同じようにこの梅の木を見上げたに違いない。
ここにいない人の眼差しを感じる。私自身の目の奥に感じるということで、
きっと自分の両親もね、こうやって自分が立っているところに立って梅の木を見て、同じように感じたんだろうなぁと、
そうやって思うことで、ここにいない亡くなった両親の眼差しを感じる。
自分自身にもそうやって見ている自分を感じるし、逆に自分もそうやって親に見られているような気がするということなのかなと。
そして最初に繋がるんですよね。
一人で生きて一人で生まれたような顔をしているが、そうではなくてずっと繰り返し繰り返し梅の木のように花を咲かせて実がなるということをずっと見ている人もいる。
見られている自分でもある。そういうお話なのかなと思いましたね。
だからすごく深くてね、素敵なエッセイだなと思いました。
ということで小池雅也さんの「みなしご」というエッセイでした。
続いて、けんあんさんがね、お好きだと言っていた本村ひろしさんのエッセイですね。
命の時間、錯覚と行事というタイトルです。
タクシーの中でテレビ画面に流れる広告動画をぼんやり眺めていた時のこと。
〇〇を選んだ理由は120歳まで行きたいから。
ミネラルウォーターのコマーシャルでね、若いタレントが真面目に言っていると。
おっとそうかここまで来たかと思ったそうなんですよね。
それは幼い頃見た巨人の星という野球アニメ。
12:03
その中で主人公の星ヒューマの父親一徹が人生60年というがというセリフがあるそうです。
1960年代の終わりの頃の平均寿命についての一般的な認識は、もしかしたら人生60年だったのかもしれない。
その後何年後かに始まった別の野球アニメ、男ドアホーク教えの主題歌の作詞には、歌詞には、どうせ人生70年だという一節があるそうです。
あれ、巨人の星から10年伸びてるじゃんってことで、もうお分かりですよね。
今を生きる令和の私たちは人生100年時代と言われています。
冒頭のミネラルウォーターのCMで、120歳まで生きたいからというセリフは、人生100年時代を踏まえてのものなんだろうと。
それはもう夢物語ではなくて、120歳って割とリアルな願望としての年齢なんだろうと。
そういうことに思いを馳せると、120歳まで生きるとすれば、星ヒューマンのセリフ、人生60年からさらに60年がそっくり残っているかもしれない。
子供時代から一切も年を取らなかったかのような不思議な気分になってしまう。
そんな不思議な陳現象に出会ったというお話ですね。
すごいですね。
CMのセリフからここまで遡って、人生60年、70年、そこから倍の120年になったというお話をされているわけですね。
で、本村博史さんというのは佳人なので、新聞などの短歌の投稿欄に選写っていうんですかね、投稿される短歌を選んで掲載するという仕事をされていたときに、
作者の名前はともかく年齢の記入は必須ではなかったそうなんですね。
にも関わらず、年齢を書いてくる人っていうのは一定数いて、その多くが高齢者だったという話なんですよ。
例えばさらにその一部の人は、91歳2ヶ月というように月まで教えてくれると。
これは70代までの人にはほぼ見られなくて、それ以降の方だけの特徴ということなんですって。
だから80歳を過ぎると年だけじゃなくて月も数えるようになる。
15:07
そう考えてみると、自分たちが月を意識したのって、きっと赤ちゃんの時ですよね。
1歳2ヶ月とか、生後6ヶ月というように自分では意識していないけれど、周りの人たちは1歳2歳だけじゃなくて、その月数を数えてすごく大事にして命を見守られてきた。
そんな私たちも人生の終盤に再び、今度は自分の月ごとの命を凝視する心の動きっていうのがあるということを教わったというお話でした。
そして最後、ある方の短歌を思い出したということであげられていて、その短歌がすごく素敵でしたね。
止まるのが怖いと思うブランコを漕ぎ続けている老人一人。
ということで、国母キミコさんという方の短歌らしいんですけれど、このブランコの一漕ぎ一漕ぎが1年、1月、1日、いや命の1秒なのだろうということでこのエッセイが終わっていて、すごく素敵ですね。
何気ないテレビコマーシャルの1つのセリフから、こんな壮大な命の大切さというかですね、巡り巡って赤ちゃんの時に戻ってまた1月1月を数えていく、そういう人生、それをブランコに例える短歌を弾いて占められている。
いやー、お見事というか、上手という感じでしたね。すごかったですね。ということで、本村ひろしさんのエッセイでした。続いて残り3つですね。今何分だろう。結構喋ってしまった感じがします。
17分になっている。また分けますか。残り3つなんですけれども、今回前編の、前回前編だったので今回後編と考えてましたが、やっぱり中編ということでね、もう1回に分けてお話ししてみようと思います。
残り3つなのでね、その3つの中に私的ベストエッセイの中のベストエッセイも含まれているということで。なんかすごく引っ張ってしまっているような気がして、ちょっと心苦しいんですけれども、あまり長くなってしまっては聞くのも大変かなと思いますので、本日はここまでにしたいと思います。
ということで、この配信が気に入っていただけたら、いいね、コメント、フォローお願いします。励みになります。今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。ではでは。
18:07

コメント

スクロール