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2024-01-27 16:49

読書ラジオ『恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。』角田光代

いつも聴いていただきありがとうございます。

⭐︎本紹介
恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。 (角川文庫) https://amzn.asia/d/9Q7Zun0
(配信の冒頭部分は本の説明文・あらすじを読み上げています。)

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#読書 #読書ラジオ #読書感想

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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は、角田光代さんのエッセイ、『恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。』という本について話してみようと思います。
褒め男にクラッと来たことがありますか? 褒め方に下心がなくサラッと、しかし自分は特別だと錯覚させるくらい上手に褒める。
褒められてキャラが変わった女は数知れず。 ついに遭遇した褒め男の言葉に私はテンテンテン。
彼と別れた後、一人分のサワラを買った後のゾッとするような寂しさ。 手とか指や初デートに現れる男の本質。
恋愛や人生のヒント満載。 著者とゆるゆると語り合っているうちに元気になれる傑作エッセイ集。
ということで、これは
結構前のね、角田光雄さんがまだ30代の頃のエッセイなんじゃないかなと思うんですよね。
2006年だから何年前?もう20年近く前ですね。 そうだからねテーマも結構その
20代後半30代の人たちに割と関心がありそうなテーマだったりするんです。
あらすじにも、その著者とゆるゆると語り合っているうちに元気になれるとあるんですけど
エッセイのタイトルはすべて 語りかけている言葉なんですよね。
はてのマークがついているんです。 あなたの家は散らかってる?とか
褒め男に遭遇したことある? 男のどこにくっとくる?
こう言われて乗り気になる?
別れた後の寂しさにびっくりしたことありますか? かつてかっこいいと思った大人になってますか?
自分のイメージを知っていますか? タバコ吸いの人はわかってくれますよね?
あなたの真理は何ですか? 利き耳立てることありますか?などなど。
恋をしよう、夢を見よう、旅に出ようという、それぞれの章の中に、こういった疑問系のね
角田光雄さんに質問されるようなタイトルで、日々のエッセイが綴られていたりします。
なのでね、今の私が読んでも、ちょっとこのテーマ、自分にははまらないなというものがほとんどだったりするんです。
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もう私はそんなになんかこう、恋愛というかね、男性の気運に振り回されるような日常じゃないし、
自分はこの先、こんな風になって、あんな風になってみたいな、すごくこう、わくわくするような夢があるわけでもないし、
まあ旅に出たいなぁという思いはあるけれども、 あの、そこまでのね、30代のほどの元気はない。
なんか話してちょっと切なくなってきました。すごくシニアな話をし始めているような気がしますけど。
だからね、 当時の10年前の自分を振り返ってみると、
結構ね、痛いなぁって思ったりするんですよ、自分のこと。 痛々しいなぁって。
すごく焦ってたなぁとか、振り回されなくてもいいことにすごく振り回されてたなぁとか、
まだ何者かになれるんじゃないかなぁとか、 そこまでじゃなくても、何もしてない気がする自分にすごく絶望してたり、
こんなもんじゃないって空回りしてたり、 10年前の自分を振り返るとすごく痛々しい思いがするんです、私は。
角田光雄さんのこのエッセイを見ていて、少しそんな思いがね、甦ってきて、
じっくりとは読めなかったですね。 自分の触れたくない、
自分の思い出とか過去に触れるような気がして、 晴れ物にこう触るような感じがして、ちょっと読めなかった部分もありました。
でもこの、私はエッセイを、このエッセイを文庫本で買ったんですけれども、
あと書きにですね、 文庫化に際して、
角田光雄さんが、あと書きを追加されたところがあるんですよ。 文庫版あと書きですね。
このエッセイを2週間前、2週間に一度書かせていただいたのは、 もう4、5年ほど前のことだってことだったので、
ちょっと土台になって、なった角田さんが、当時の自分を振り返りながら、 書かれたあと書きになるんですけれど、
読み返すとずいぶん、若いこと、括弧、くだらないことを考えていたものだなぁと、ある意味感心する、
って言っているから、やっぱりね、やっぱりそういう感覚だよなって、ここのあと書きにすごく共感しましたね。
でも、今と、その4、5年前と何が変わったのかといえば、 あんまり変わってないって角田さんは言うんですよ。
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相変わらず早朝仕事場に出勤して、5時に終えて、約束があればそのまま飲みに行って、 友達と恋愛話に花を咲かせ、約束がない日は家に帰って晩食しつつ夕食を食べ、
2日酔いに苦しみ、くだらないことを考えては日々を過ごしている。 年齢だけは重ねたが、大人になった実感もなく、賢くなった気配もない。
ああ、これが私なんだなぁと思う。 なので、
10年前の自分とは、今は、 実際の日々の内容は、
全然違っているけれど、確かに私も、私であることには変わりないんですよね。
焦ったり空回りしたり、そういうのは10年間成長した分、
自分のことを知った分、ああ、これが私なんだよなぁという受け止め方ができているので、
当時ほど痛い振る舞いはしてないんじゃないかなと今は思うんですよね。 でも根本的にある私っていうのはあんまり変わってなくて。
だからね、 エッセイの面白さっていうのは、
その書かれている内容やテーマが、 今の自分にどれだけフィットするのか、
テーマの新鮮味を感じられるかっていうのは、 エッセイの面白さの一つなんだなぁというふうに思いましたね。
ただ、
角田さんはこう書いてるんですけど、 今より若い日に書いたものを読み返すと、その無知やそのミミッチさやその幼さに決まって恥ずかしくなるのだけれど、
私はこの本を読み返してももう恥ずかしくはならない。 40歳になっても私はこんな風であると開き直ったのかもしれないし、諦めたのかもしれない。
そんな等身大の自分自身の姿の一つなのかもしれない。 読んでくださった方々と共に年齢を重ねて生きることを私はとても嬉しく思いますということで。
やっぱり昔の書いた日記とか、 角田さんにとってはこのエッセイがそうだと思うんですけれど、
まあ、絶対恥ずかしい思いはありますよね。 当時を振り返るとね。
幼いなぁと思ったり恥ずかしくなったりするけど、 そういうのを受け止めていける、
開き直りのような諦めのようなものも、40歳になると身についてくるものかもしれないなと思うんですよね。
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そうすると何がいいかって、
自分以外の人のこともそういうふうに受け止められるようになるなって思うんですよね。 私は本当に
なんというかね、天上天下唯我独尊みたいな性格だったので、 あの人のあらとか至らなさみたいなことを認められない時期がすごかったんですよね。
自分に対しても厳しい分、人に対してもすごく厳しい時期があって、 そんな自分にすごく苦しんだ時もあったりするんですけれど、
今となっては、それが結構需要できるようになったなぁと思ったりするんですよ。 その中に当時の至らない、本当に不足ばかりだった自分も含まれているし、
今、いろんな人と話したり、一緒に仕事したりするんですけれど、
素晴らしい面もあれば当然、ふざけんなよっていう思いがこみ上げてくる、 そんな人もいるわけですよね。
それも含めて、受け止められるというか、
時には流せるようになった、
息中しなくなった、そんな自分にも気づいたりしますね。
そういう幼かった自分と幼稚だった自分と重ね合わせながら、 当時のこの角田光雄さんのエッセイを読めていたら、
今こうやって、お互いに大人になって年齢を重ねた今、 今の角田さんのエッセイとか、こういった跡書きを見ると、もっと深い共感だったり、
感動というかね、戦友のような思いがしたんだろうなぁと。 そういうところではね、10年前にこのエッセイに出会っておけばよかったなぁなんて残念な思いをしました。
そして書評家の藤田香里さんが解説を寄せられているんですけれども、 藤田さんはリアルタイムにこのエッセイを読まれていたんですよね。
当時はブルームブックスのホームページで連載が掲載されていたんですけれども、それを読んでいたというファンであることを公言して、
その上で一つ留意しておいてほしいことがあると書かれています。 それは、このエッセイは確かに笑っちゃうほどくだらなくてどうでもいいようなバカ話ばかりなんだけど、
それを書いてきた角田さんにとっては激動の2年間だった。 空中庭園が直木賞候補に上がってから半年後のことでもあり、
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婦人口論文芸賞を受賞したり、 すごく忙しくなった中で対岸の彼女で直木賞を受賞されたと。
そしてその直木賞を受賞された回、
当然エッセイにも直木賞を受賞という大ネタがあったはずの回で、角田さんが書かれたのは、
さっきのエッセイのタイトルで言うと、「利き耳を立てることありますか?」という章なんですよね。 それは病院に行った時に、
隣から聞こえてくる 看護師さんと入院患者の、すごくバカバカしいお話だった。
こんな時に、そんな話を利き耳を立てて聞いている自分。 すごくこう、
どうでもよくなったというか、 泣くのだけはやめよう、泣くのだけはやめようと思って一人、
不安な気持ちを抱えて待っていた病院の待合室で聞こえてきたバカ話に救われた気がしたというエッセイだったんですよ。
それはお母さんが入院されて、その後、あまり時間を置かずに亡くなられたんですけど、
直木賞を受賞のタイミングと、お母さんが入院されて、病院に呼び出されるという時期が重なっていた。
その時のエッセイでは、その病院の利き耳を立てたという、割と等身大のね、
角田さんの日常の話をエッセイに書かれた。 当時のその事情だったり、
知る余地もないわけなんですけれども、そういう裏話を聞いてから、このエッセイを読み直すとね、
本当に等身大の一人の30代の女性が、いろんなことに巻き込まれながら、苛まれながら、
それでも、誰かに語りかけるように自分の日常で感じた疑問とか、不安とか、
それでもこう、バカ話を織り混ぜて、笑い飛ばしていく、そういう明るさを持った、
語りかけをしてくれているエッセイなんだなぁと思って、この藤田さんの後書きを読んで、もう一回ね、私はこのエッセイを読み直したりしましたね。
なので、やっぱりエッセイって、その、繰り返しになりますけど、それを読む自分の、その時の自分の状態とか関心があるテーマによっても、
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ハマるハマらないっていうのはあるし、その書いてる、書き手の作家さんに対する思い入れというかね、
その、予備知識みたいなものがあるのとないのとでは、また、共感の度合いが全然変わってくるんだなぁと思いますね。
そして時間が経てば経つほど、なんかこう味わい深いというかね、若かった、幼かった自分を、この作者に重ね合わせて受け入れていくような気持ちにもならせてもらえる。
そんな、あの、味わい方があった本だったなぁと思います。
何年経っても変わらぬ自分がそこにあるわけで、誰かと、そんな、まあ等身大のね、自分と語り合ってみる、そんなことができるようなエッセイかなと思いますので、ぜひ読んでみてほしいなと思いました。
ということで今日は、恋をしよう、夢を見よう、旅に出よう、角田光雄さんのエッセイについて話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。ではでは。
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