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こんにちは、おはようございます。こんばんは。お疲れ様です。雑談ラジオ、仕事や家事や育児の合間に聴いてもらえたら嬉しいです。
今日は、先日配信した図鑑少年についての感想の回で、レターを頂きましたので、読んでみたいと思います。
ゆうこさん、こんばんは。図鑑少年の感想を聞きました。ゆうこさんの丁寧な本の読み方に感心しました。
というか、本当にすごいです。どうすればあんな風に本の感想を言語化できるんですか。 ゆうこさんのような人に読まれた活字たちは、きっと喜んでいると思いますよ。
ゆうこさんの配信を聞いているうちに、僕も大竹さんのファンになりました。
大竹さんの語り心文庫が以前から気になっていたので、今度見つけたら買ってみようと思います。
図鑑少年は僕はまだ読み終わっていないので、読み終わったら今度こっそり感想を配信します。
よかったら聞いてください。絶対聞きます。
またゆうこさんに読んでもらいたい本を見つけてレターします。これからも配信楽しみにしています。ありがとうございました。
ということで、レターありがとうございます。ご紹介いただいた図鑑少年の感想を話してみたんですけど、本当に紹介いただいてよかったです。
やっぱりね、自分ではなかなか見つけられない本っていうのがこの世の中にはたくさんあるんですよね。
だから、この本読んでみてって言われるのすごい嬉しくて、自分の読書の幅も広がるなと思うし、このスタイルを続けていく上でなんか一つの楽しみというかですね、なってるなと思います。
私も大竹さんのファンになりまして、語り心文庫ですね、私もすごく気になってます。
また大竹さんの本の感想とか配信で話していただけたら絶対聞きに行きたいと思いますので、ぜひお願いします。
ということで、そうですね、今回その最初に私の本の読み方とか感想の言語化についてコメントいただいたので、
私がこの図鑑少年をどう読んでどんな風に感想を話したかっていうのをちょっと振り返ってみようと思います。
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まずですね、足場になったのは、紹介いただいた時のレターですね。
大竹明子さんの図鑑少年という本を読んで感想聞かせてくださいとレターいただいた時に、その気配や匂いのようなものは覚えているっていうことが書いてあったということと、
何度も本棚を整理してきたが、なぜか手放せない本。
最後に私に読んでもらうとしたら、この本だと僕の直感が言っていますというふうに書いてあったところが足場になっていて、
このレターからですね、きっと、きっとというか、もしかしたら私の感性とこの大竹明子さんの感性がどこか近い部分があって、
繋がりのようなものを直感的にこのレター主さんが感じられたのかなというふうに想像しました。
で、匂いや気配は覚えている、なかなか手放せずにいたっていう部分で、思い出のようなもの、遠い昔の記憶みたいなものがこの本への思い出としてあるのかなというふうにまず思って、そこが足場になったと思います。
で、じゃあ読んでみようと思って、大竹明子さんっていう方Amazonで調べてみると、最近でも新しい本出されていたりするんですけれど、まずその図鑑書をね、調べてみると、
もう中古の販売しかなくてですね、少し時間届くまで時間がかかるということで、じゃあもう一冊何か読んでみようということで、大竹明子さんの原点になったような本という紹介がされていたアスワルトの犬という、こちらも中古なんですけど、この2冊を買ってみたんですね。
で、最初に届いたのがアスファルトの犬でした。アスファルトの犬は、大竹明子さんを知るにはもうぴったりの本で、大竹明子さんというのは若い時に、まずヨーロッパに行かれて、続いてニューヨークに行かれて、ニューヨークで何年か住まわれたんですよね。
で、その後東京に戻ってこられて、東京の都心部に住まわれていて、そのニューヨークと東京の話が書かれている。あとはご自身が経験した劇場だとか舞台の話が最後の方に書かれているんですよ。
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で、大竹明子さんの生まれが1950年とかかな、20代の時のニューヨークの話だったりするんですけれども、そんな、まあ私の母親と同じかちょっと上ぐらいの世代の女性ですが、
大竹明子さんの母親と同じかちょっと上ぐらいの世代の女性ですが、まあ私の母親と同じかちょっと上ぐらいの世代の女性ですが、
この本を読んでいて、その語り口というかですね、とても写実的なんですよね。自分が見たもの、感じたものをそのまま書かれている。で、どこかその視点っていうのがですね、ちょっと特徴があるなぁとか思い始めて、それが何なんだろうと思いながら読んでいった。
で、あと書きの最後の方になって、ちょっとどのページだったか忘れちゃったんですけど、自分の中の都市の目が開くような感覚があったっていうくだりがあってですね、
この人は何かニューヨークにいた時に経験したことで、自分の中の都市を見る目っていう、もしかしたら第三の目かもしれないですよね、が開いた新しい、今までとは違ったものの見方、感じ方をされるようになったんだなというくだりがあって、そんな風に思いました。
で、そうすると私の中のイメージで、なんかどっか妖怪みたいだなぁとか思ったんですよね。
ゲゲゲの鬼太郎って、皆さんご存知ですか?
ゲゲゲの鬼太郎って、ちょっと物悲しい都会の生活の中で、あとは田舎の生活の中で、ふとした時にその妖怪の世界に迷い込んでしまう、みたいな人間のなんか悲哀みたいなものが書かれていて、
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ちょっと皮肉だなぁなんて思いながら、子供の時見てたんですけど、そのゲゲゲの鬼太郎の視点なんだなってちょっと思ったんですよ。
そうやって振り返ってみるとですね、都市もまた生き物であるっていう章があったり、ちょっと幻想的というか非日常的、非現実的、その現実と妖怪の世界の入り口のようなものを探している、そんな大竹明子さんが見えてきたような気がしたんですよね。
で、そこまで行くとなんか私と近いものがあるかもしれないと思って、思い出したのは、自分が小さい時に父親に連れて行ってもらった近所の球場、野球の球場があって、そこで迷子になったことがあったんですよ。
で、私は妹の手を引きながら、泣きながらお父さんを探してたんですけど、その時に子供の私にはその球場の大きな円形のドームみたいなものが妖怪の大きな目みたいに見えたんですよね。
怖えーと思って。お父さん早く探さないと、これみんな食べられちゃうみたいな、そんな記憶がすごいあって、もちろん自分の想像なんですけどね。
で、そんなことを思い出して、あ、なのでそういう感覚と近いのかもしれないなとか思いながらこのアスファルトの本、犬を読んだんですよね。
で、やっと図鑑少年が届いて読み始めてみると、あらこれは大竹晃子さんがニューヨークとか東京で体感した違和感とか、ちょっと非日常への入り口、そこのきっかけになるような電話の混線とか、
そういった出来事が元に書かれている話なんじゃないかなと思いました。
で、どんどん読んでいくと、感想でも話した通り、主人公の私というのはどこか大竹晃子さんのように思えていて、どれもその私という主人公の語り口で話されている。
これはきっと自分が経験されたことを小説に仕立てられたんだろうなというふうに思いました。
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そうするとこの私は大竹晃子さんでもあり、なんとなく私のようにも思えてくるなと思って、で、あの24編読んだんですよね。
で、読み終わった後、どの、どういう話を感想で話すかなと思った時に、やっぱり表題作の図鑑少年がいいのかなと思ったんですけど、読み終わった後の私の心の中に一番残っているのは、感想でも話した赤い爪だったんですよね。
で、それは、やっぱりその映像が私の中に出来上がっていた、モノクロのこの暗い場、窓からは街路樹が見えて、ちょっと手を伸ばせば届くほどである。
そこに、もしかしたら顔見知るかもしれない、知っている男性かもしれないような人が他人の顔をしてそこに座っていて、トイレから戻ってくると、なぜか爪が赤かった。
その爪の赤さっていうのは、また何か非日常的でもあり、またそこから異空間が始まっているような、モノクロの日常の世界に傷がついてそこから血が出ているような、充血した赤い目がそこにあるような、
本当に妖怪の世界だなという風に映像が鮮明に私の頭の中にあったりしたので、この話をしようと思いましたね。
で、じゃあ何を話すかなと思いながら、やっぱりここまで読んでくる中で、大竹子さんっていう人自身のことと私との感性の共通点だったり、
ニューヨークで経験された、この時代ならではの整理されていない街の状況だったり、それによって起こる小さな出来事、そこが全ての入り口になっている。
で、強くテーマとしてあるのは都市の目というものをもって小説を書いたり、エッセイを書いたりされているということ。そんなことを話そうかなと思った。
で、じゃあその私の話そうとしている、そういった感想だったり気づきっていうのは、他の一般の人から見ると外れ地にないかなというのはちょっと気にしてるんですよね、毎回。
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なので、他の方のブックレビューとかを見て、なんか遠からずだなと思ったり、完全に誰かをコピーしている感想ではないなという安心感を持ったり。
で、最後は後書きという部分で、おたけあき子さんが、私が街に溶けていくという、体感覚的な話をされているっていうのを読んで、実際この人はこんな風に街に存在されていて、その感覚でこの話を書かれたんだなぁと。
ふむふむ、なるほど。
で、最後に私というのが誰なのかもうわからなくなっているというような話をされていて、それは私がこの本を読んだ中ではちょっとよくわからない感覚だったので、これは何だろうと思いましたね。
で、その後、解説で堀江俊之さんという方が、私が誰なのかもうわからなくなっているということを、この短編集の一つのセリフを用いて、引っ越しという短編かな?の中に出てくるセリフで、「Do you know me?」っていうのがあるんですけど、
それを引いて、あとがきに書かれた大竹晃子さんの、私が街に溶けていって、私というのが誰なのかもうわからなくなる、という大竹晃子さんの感覚を解説されている部分があったんですよね。
なるほど、こういう読み方もあるのか。でも私はこういう読み方はしていないから、これはちょっと、新しいというか、自分の中にはない感想として、自分の中のパーキングエリアにちゃんと置いておこう、みたいなふうに思いました。
ここまで来ると、大竹晃子さんという方が自分と同じ、または近い感性を持っている人で、自分が経験したような、街に対する異空間的な違和感、ちょっと妖怪めいたものであるというふうに思っていることが、きっと私の中にあって、
それを足場に感想を話していけるだろうと。そこには30年前の時代の背景もあれば、そもそもノスタルジックな語り口であるという部分から話していけるだろうなと思って、じゃあちょっと撮ってみようと思って撮り始めたんですよね。
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私は感想を話す時は、台本だとか文章を書かれてから話される方もいらっしゃると思うんですけど、それをやっていると時間もかかるし、飽きてくるんですよね。
自分で何回も同じ、自分の感想を目にしたり聞いたりするのって、自分が飽きちゃうので、やっぱり一発撮りだから続けてこれたなという感覚があるので、自分が何を話すかわかんないけれども、今私の中にあるキーワードで話してみようと思って毎回話してるんですよ。
話しているうちに壁紙の亀裂があって、それをペリペリめくるみたいな話をしたと思うんですけど、それはマイクを置いているその前の壁の壁紙がちょっとひび割れをしていたからなんですよね。
そういえば大瀧晃子さんもニューヨークの壁に貼られているポスターの話をアスファルトの犬でしてたなとか思い出して、壁紙をペリペリ剥がすみたいな、そんな話を録音している間に話したなという感じですね。
こんな風に本を読んで感想を話していました。
どうでしょう。
ネタに書いていただいたような丁寧な読み方だったでしょうか。
そしてそんなに大した言語感もしていないような気がしますね。
私がやっているのはやっぱり、文脈を何とか探っていこうとしている読み方なような気がしますね。
最初にも言ったような足場みたいなものを最初見つけて、キーワードを拾っていって、文脈ってどうなんだろうみたいな、そんな読み方なような気がしますね。
本の楽しみ方って人それぞれだと思っていて、ぐっとくるセリフにマーカーを引くだとか、ティッピングポイントみたいなところに付箋を貼るみたいな、そんな読み方もあるし、私もそうすることが多いんですけど、やっぱり文脈を繋いでいくキーワードとキーワードを自分の中で再構成してみるのが一番楽しかったです。
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で、それが実際この作家さんの後書きに書かれているものと、どうなんだろうとか、後書きじゃなくて解説で書かれている小説家の専門家の読み解き方と比べるとどうなんだろうとか、
書評だったりレビューを書かれている人との読み解き方と私はどうなんだろうみたいな、ちょっとその確認をしながら、えっと、なんでそういう確認をするかというと、この本を書いた絵とか書き方とか、
この本を書いた人自身だったり、作家さん自身だったり、この本を読んで感想を持つ人っていうのは、そこにやっぱり思い入れがあると思うんですよね。
それにすごい水をさすような感想を私は話そうとしていないかっていうのはすごく確認しているような気がしますね。
全く違うことでも別にそれはそれでいいと思うんですけど、ちゃんと自分の前提を明らかにしておきたいというか、こういう私だからこういう読み方をしましたみたいなことはちゃんと説明をして、
この本に思い入れがあるたくさんの人たちに水をさしたくない、大切な思いを怪我してしまうようなことにならないかみたいなことはすごく気をつけているような気がしますね。
どうでしょうか、わーっと話してみましたが、本の読み方とか感想って本当に自由だと思うんですよね。
人それぞれであってしかるべきなので、私と同じだなと思ってもらったり、私と全然違うなだったり、それはどちらでもいいなと思ってるんですけど、
できるだけ私はそれを自分の感性された言葉ではなく、わりとこの本を読んだ勢いでこの配信をやってしまいたいと思っていて、
綺麗な文章にするっていうことであればきっと書いた方がいいんですけど、そうじゃないからこそ続けていけるし、自分としては面白いなと思ってたりするんですよね。
なんでこういう読み方話し方をしているのかなというふうに思います。いかがでしょうか。
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なんか自分の読書を振り返る回にもなったような気がしています。
すいません、いただいたレターでなんか全然違う話をしてしまった感がありますが。
また、この本どうですかっていうことで紹介してもらえると嬉しいので、気が向いたらまたいい本紹介してください。
皆さんの方の本の感想っていうのもやっぱりすごく気になるし、それはその人がどういう人なんだろうという興味にもつながっていると思うんですけれども、
ぜひ本を読まれたら感想を話していただけると、私も聞きに行きたいなと思います。
そうやってなんか読書を楽しんでいける、そういう和というかコミュニティというかね、そんなつながりができていくといいなぁなんて思いますよね。
変にプレッシャーになったりとか、うまく言わなきゃとか、そんなことは本当に必要ないと思うんですよね。
こんな風に読みましたっていう表現を、レターだったりコメントだったり配信だったりとか、その人それぞれの自由な形で話してみるっていうのはすごい良いと思うんですよね。
意外と聞いてみたいと思っている人多いんじゃないかななんて思ったりします。
ぜひ一緒にこれからも読書を楽しんでいきましょう。
ということで今日は、すいませんまた本当に最近長々と話してしまっているんですけれど、
今日はいただいたレターのお返しと、私の本の読み方、感想の言語化について話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではでは。