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この時間は、Zoom Up。毎週水曜日は九州経済です。
先日、元福岡県知事の麻生渡さんが亡くなりました。
今日は、その麻生渡さんの功績にZoom Upしていきます。
長崎県立大学教授の鳥丸聡さんです。
鳥丸さん、おはようございます。
おはようございます。よろしくお願いします。
今日は3月26日なんですけど、実は今から16年前、2009年の今日、
福岡県だけじゃなくて、九州全体の21世紀前半の姿を決定づける、
未来の選択が発表されたんですね。発表したのは麻生さんなんですけど。
どんな未来の選択だったのかは後回しにして、
今月2つの重要な出来事がありましたので、振り返りたいと思います。
一つは今、田畑さんがおっしゃられたように、
福岡県知事を今から30年前の1995年から4期16年勤められた麻生渡元知事が、
今月15日亡くなられたっていうことですね。
本来だと先週のこの時間に麻生知事の功績を振り返らないといけなかったんですけれども、
知事選の直前という大人の事情もありまして、
今日振り返ってみたいと思います。
麻生知事の最大の功績っていうのは、何と言っても、
カーアイランド九州の基礎を作ったっていうことですね。
麻生さんが知事に就任する20年前から、日産自動車は神田町で創業していて、
豊田九州も知事就任の3年前に宮田町、今の宮岡市で創業を開始していたんですけれども、
豊田と日産が合わせても、せいぜい50万台体制だったんですね。
今ほどではなかったと。
当時、福岡県の総合基本計画の基礎調査を私が担当していまして、
知事が変わるとマスタープランを作り変えるっていうことになっていて、
中間報告書に九州の自動車生産100万台体制に向けてっていう一説を書いて、
県の企画調整課に提出したら、今50万台なのに100万台っていう目標値はいくらなんでも大風呂敷きすぎるんじゃないか。
埋蔵ですからね。
ちょっと却下されたことがあるんですね。
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30年前の日産トヨタって最終組み立て工場としての地位は確立していたんですけれども、
部品のほとんどは関東、中部、関西から持ち込まれていて、産業としての収穫度低かったんですね。
ところが麻生知事が就任された翌年に、議会で総合基本計画が承認されて知事が発表するときに、
100万台っていう目標値こそ示されなかったんですが、
北部九州での自動車産業収穫を強力に推進するっていう力強いコメントが出されて驚きました。
自動車産業を次世代の柱にするんだっていう本気度を示したときですね。
その後2003年には北部九州自動車100万台構想っていうのを発表されて、
2006年には北部九州自動車150万台生産拠点推進会議っていうのを立ち上げられました。
この間ずっと麻生知事の時代なんですよね。
今の生産キャパっていうのは目標通り150万台キャパにまで増えてて、
部品メーカーの進出も増えて、九州って世界有数の自動車生産拠点にまで成長したんですね。
これは麻生知事の功績で、シリコンアイランド九州っていうのは国策として、
全体産業全国に散りばめた中でも九州一つにまとまっていったっていうことなんですけど、
カーアイランド九州は麻生知事がぐいぐい牽引したっていう、その成果だと思います。
カーアイランド九州以外でも、例えばイチゴのアマオの品種改良だとか、
ラーメン用小麦のラームギンの開発後押ししたりっていう、
稼げる農業づくりっていうのにも尽力されたかと思います。
今月もう一つ重要な出来事があって、麻生知事が亡くなられてから5日後の今月20日に、
福岡空港第2滑走路の運用が始まったんですね。
第2滑走路つっても1時間あたりの離着陸回数っていうのは38回が40回に増えるだけで、
キャパは1割も増えないじゃないかとか、
日本の滑走路の間隔が210メートルと近いので自由度が低いっていうことなんですよね。
事情をご存じない若い方々からは、どうして福岡空港容量限界を克服するのに、
場所を変更してでも、例えば新宮沖に洋上空港を作るとかですね。
実際案がありましたからね。
こういう声があるんですけれども、
この第2滑走路建設を麻生知事が発表したのが16年前の今日、3月26日です。
なるほど、そこに。
当時のこのラジオ時間帯っていうのは、番組名が中西一世スタミナラジオ。
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当時木曜日だったんですね。
私当時木曜日担当していて、その日のラジオのメモを振り返ると、
テーマがですね、ついに未来の選択の時を迎えた福岡空港問題っていう風になってました。
カーアイランド九州をあそこまで強く推進した麻生さんが、
どうして空港については第2滑走路っていうですね、
ちょっとこうある意味表現悪いですけど、中途半端な道を選ばれたのかっていう理由を、
若い方々にはぜひ知っておいてもらいたいと思います。
当時は3つ案があったんですね。
新空港をどっか別の場所に作るっていうのと、
もう一つは今のままで北九州空港や佐賀空港なんかと機能分担していくんだっていうのと、
3つ目の案が第2滑走路を増設するっていう案だったんですね。
在海は強く推していたのは新空港建設案です。
なんだけど事業費が1兆円近くっていう風なのが課題になっていた。
市民県民からはこんな便利な空港を手放すのは許せない。
これが圧倒的多数だったんですね。
結果取りまとめ役だった麻生知事が選択したのは、
その両者の中間に位置する第2滑走路増設でした。
16年前の今日発表と同時に、在海からは抜本的な解決策にはなり得ないという声が聞かれて、
現状維持を主張していた市民団体からは、
もう一本滑走路を整備する費用がもったいないという声が聞かれて、
両方からの不満の声があったんですよね。
じゃあどうして麻生知事はこの第2滑走路案に決めたのか、
あるいは決めざるを得なかったのかっていう理由は簡単です。
半年前の2008年9月15日、リーマンショックですね。
世界同時不況。
おそらくリーマンショックなければ、
知事の決断は違ったものになっていたんじゃないかと思います。
世界中で貿易が蒸発して雇用の場が蒸発したって言われているとき、
しかも麻生知事が第2滑走路を発表する、
2週間前の東京証券取引所の株価って、
今の株価3万円台、後半時々4万円超えですよね。
当時7054円。
バブル崩壊後最安値の中での発表だった。
だから苦渋の選択とならざるを得なかった。
その16年前の今日の夕方、
実は私はJR九州の当時の石原進社長と一緒に、
知事公社にいました。
空港問題とは何の関係もないですね。
NPOやボランティア団体と企業が一つになって、
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より良い社会をつくる福岡県共同実践会議の委員長が石原さんで、
私は副委員長だったんですね。
東進省、県庁で本当は知事に手渡しする予定だったんですけど、
第2滑走路の発表日と重なったので、
秘書課の方で県庁はちょっと無理だっていうので、
知事公社に行ってくれっていうので、
夕方、知事公社で知事にその東進案を手渡したんですね。
そのときに私が、本日は50年に一度の決断でお疲れ様でしたと、
麻生知事に申し上げたところ、
鳥山さん50年は違うよって。
これからの100年先に向かう第一歩目の決断だよっていうふうに答えられたんですね。
やっぱすごいなと思ったのが、
世界同時不況リーマンショックで、
もう世界が萎縮しまくっている中で、
100年先に向けて、
今何をしておかなきゃいけないのかっていうのを考えての決断だったっていうことになります。
第二滑走路で時間を稼いで繋いでいって、
21世紀後半の九州全体の空港問題の次の一手っていうのは、
次の世代で考えてねっていうふうに委ねたっていうことになるかと思うんですよね。
ぜひそれを引き取って、次世代を担う若い世代の皆さんには、
21世紀後半の福岡空港のあるべき姿っていうのを考えてみたい。
3月26日じゃないかなと思いますと。
その未来への投資でもあったわけですよね。
鳥丸さんありがとうございました。
ありがとうございました。
この時間はズームアップ。
今日は長崎県立大学教授の鳥丸聡さんでした。
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