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この時間はZoom Up、毎週水曜日は九州経済です。 今日は来年2025年の九州経済にZoom Upします。
長崎県立大学教授の鳥丸聡さんです。 鳥丸さん、おはようございます。
よろしくお願いします。
もうあっという間に終わりますね、今年が。
そうですね。先週、1年間の九州経済を振り返ったんですけれども、
来年については、全国的には戦後80年ということですから、
天下国家の方向性を、大書・後書から考える1年というふうになるかと思うんですが、
九州経済については、実はあれから50年というのが、大いに話題となる1年になりそうです。
半世紀を迎えるもの。
あれっていうのは何かというと、4つあります。
一つは3月ですけれども、新幹線ですね。
三陸新幹線が延伸されて、小倉駅・博多駅が開業したと。
当時は、光は西へっていうキャッチフレーズで、全国的な話題となったんですけれども、
今振り返ると、九州における福岡一極集中のきっかけとなる、
とても大きい出来事だったと言えるかと思います。
本来でしたら博多まで来ると、熊本・西鹿児島と、
整備新幹線として一気につながる予定だったのが、
1973年、第一次オイルショック。
この影響で国の財政事情が悪化して、急激な物価高騰があって、
さらに新幹線建設でリーダーシップを取っていた田中角栄首相の辞任が続いて、
新幹線どころじゃなくなって、整備新幹線計画は先送りにされてしまったっていうことですね。
その後、何とかまた復活折衝をしていったんですけど、
次は第二次オイルショックがやってきて、
それと国鉄、当時まだJRじゃなくて国鉄時代ですので、
経営再建問題で環境が厳しくなったっていうので、
もう完全に凍結っていうふうになったんですよね。
それによって博多駅っていうのは、
2011年3月に九州新幹線が全線開業するまで36年間、
新幹線の集着駅降下っていうのを発揮し続けたということになります。
国勢調査ベースで、福岡市と北九州市の人口、当時の人口を比べてみると、
1975年の福岡市の人口は102,000人。
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初めて100万人を超えた年です。
九州ナンバーワン都市の北九州市は106万人ということで、
当時はやっぱりまだ北九州のほうが多かったんですよね。
ところが新幹線が博多まで伸びてきた5年後、1980年には、
福岡市が109万人へと大幅に増えて、
北九州もその頃はまだ増えてはいたんですけれども、107万人にとどまって、
九州ナンバーワン都市福岡市となって、その後の方向性が固まったっていうことですね。
国の出先機関の多くが、熊本に拠点を構えて、
いつ新幹線来るだろうかと準備していたのが、
当面熊本まで新幹線来ないなっていうのが分かって、
博多駅の裏に合同庁舎があります。
あっちのほうにかなりシフトが進んで、
そうなると、巨人化権限を持つ政府出先機関が福岡市だったら、
東京本社の大企業が九州に一箇所拠点を置くぞってなったら、
熊本じゃなくて博多だろうなっていうふうになっていったっていうことですね。
じゃあ、もし整備新幹線が熊本までサッと通ってたら、
鹿児島まで通ってたら、九州の構造って変わってたかもしれないですね。
今の福岡の反映は、ちょっと違ってたかもしれないっていう。
だからある意味、福岡ってラッキー都市っていうところがありますね。
そういうことですね。
それとその後、急激なプラザ合意で円高が進みましたので、
博多港っていうのは、軽いものを輸入する港で、
北九州港っていうのは、鉄みたいな重いものを輸出する港だったんですね。
そうすると川瀬相場が円高になりましたから、
そうすると北九州港が頭叩かれて、博多港がどんどん入ってくるんですね。
これも影響したっていうことです。
それから50年前の二つ目のアレっていうのが、
日産自動車九州工場が神田町で生産を開始したっていうことです。
それも50年前になるんですか。
50年なんですよ。九州への進出決定っていうのは1973年だったんですけど、
エンジンを生産し始めたのが50年前の1975年。
敷地面積、なんと福岡ドーム34個分ってことですね。
当時の九州経済は、石炭とかセメントなんかに代表される素材型産業から、
電子部品なんかの加工組み建て型への脱皮を模索していた転換期だったので、
自動車産業が来るぞっていうのでも大歓迎されたっていうことですね。
50年前の日産の進出があったからこそ、
91年のトヨタ、2004年の大発、2009年の日産車体九州。
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いつの間にか150万台キャッパーのカーアイランド九州が出来上がっていったと。
すごいのが生産額で見た場合、
かつて九州の最大産業っていうのは、なんだかんだ言っても食料品加工業だったんですよ。
それに次ぐのが電子部品製造業っていうことだったんですが、
今では自動車産業がその二つを超えて、九州最大の産業へと変貌を遂げているんですけれども、
その先駆けが50年前の日産進出と。
50年前の日産とホンダの立ち位置っていうのを考えると、
今のホンダ主導で経営統合しましょうかっていう話、誰も予想できなかったストーリーだと思うんですよ。
時代変わるなと。
三つ目のあれが、長崎空港の開港です。
長崎空港って世界初の本格的な海上空港。
大村湾のところですね。
私が記憶してるのは、国内的には新幹線の博多延伸のほうが大きいニュースだったんですけど、
世界的にはこの長崎空港が本格的海上空港として世界初だっていうののほうが話題になっていたように思います。
大村湾に浮かぶ小さい島ですけど、友人島です。
三島13世帯の方が暮らしていたんですが、移転していただいて、
そこを造成して建設された。
1975年時点では2500メートル滑走路だったんですけど、80年に3000メートルに拡張されました。
九州各県の今の空港を見たときに、熊本、大分、鹿児島も3000メートルなんですね。
ですが、いずれも福音、幅が45メートルなんですよ。
長崎空港は60メートルと広いんですね。
今の福岡空港や北九州空港も60メートルなんですけど、長崎福岡空港は2800メートル。
来年3月オープンする第二滑走路2500メートル。
北九州空港は今3000メートルの延伸工事をやってますけれども、今現在2500メートル。
ですから、現時点で長崎空港の滑走路面積は九州最大規模。
その割にはあんまり活用されてない。
もっと活用されるべきですね。
もったいないですよね。
長崎空港が立地しているのは大村市ですけれども、人口10万人弱ですが、
なんとかそかに悩む長崎県にあって、50年連続人口増加っていう。
へー。新幹線もね、駅できましたしね。
空港新幹線、それと高速道路インターチェンジですよね。
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それがそろって。
4つ目のあれから50年が、原火原子力発電所1号機運転開始っていうことですね。
九州で初めて原発が動いたと。
もう10年前に1号機は運転終了してて、福島第一原発の事故に定められたとおり、
40年の対応年数を迎えたところで廃炉が決定して、
今は2号機とともに、30年後の建屋解体撤去に向けて準備期間っていうことになっています。
現在九州で動いている原発っていうのは、
玄海原発、3号機、4号機、仙台原発の1号機、2号機、4つですね。
岸田政権でかなり前のみになってるんですよね。
国の原発政策も。
グリーントランスフォーメーションで変わりましたもんね。
九州で原発稼働50年っていうのを機に落ち着いて、
さあどうするの原発みたいなのも考えてみたいかなっていう感じですよね。
ぜひ来年は50年前の九州をご存じない方々と一緒に、
50年後の九州経済のあるべき姿っていうのを考えてみたいものだなって思います。
そうですね。
さて鳥原さん、来週のグラップはお休みということで、
今日が今年最後の出演ということで、今年も大変お世話になりました。
ありがとうございました。
今年も一年が大変お世話になりました。どうぞ皆さま良いお年をお迎えください。
鳥原先生も良いお年をお迎えください。
ありがとうございました。
ということでこの時間は長崎県立大学教授の鳥原さとしさんでした。
×少女隊の春のキーナと、
青井リノアです。
RKBラジオでお送りしているガールズパンチ。
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