おすすめです。
すげーわ。それいいわ。一斉化。読書とかで、読書もまた読書会みたいなのもあるだろうけど、一斉化すごいな。
タイキ君の曲も同じような気がするけどね、私。なんか一つの発露な気がするけど。歌?
確かに。感じてることとか。
メロディーに乗せて出すっていうのもさ、あれも何者とか関係なく、ただ自分の思ったことを発露するみたいなことじゃない?
タイキ 確かに。それを例えば5人で持ち寄ってやるみたいな感覚があるもんね。
そうそうそう。
タイキ 面白い。
でも一方でそれを誰に言われるんでもなく、一人でやってるタイキさんもめっちゃすごい。わかります?このすごさ。
タイキ でもやっぱり共有したいし、なんか逆に言うとフィードバックっていうか、もらっていろんな視点を知りたいし、やっぱり他者と関わることってめっちゃ大事だと思って。
タイキ 本とかも含めて。そう、それこそ。ちょっとそういうのもコミュニティじゃないけど、どんどん自分で作っていきたいなと思い出すタイミングだったんで。
めっちゃいいハウです。
タイキ ありがたい。
ありがたがられた。なんだ。
タイキ オープニングありがたいオープニング。
大きな株は抜けるのか?
ではまずはじめに、それぞれ持ち寄った話題、つまり株の種を発表して、今日抜く株を決めていきましょう。みんなどんな種を持ってきたでしょうか。石橋ちゃん。
石橋 はい、私はですね、気づいていることの大切さに気づいた件という株を持ってきました。
また哲学的な。
タイキ いやでも、なんか前も一回、違う株で出したかなと思うんですけど、なんかお二人と話してて、めっちゃ印象的なのはやっぱその、自分のアンテナに敏感だなってすごい感じるんですよ。
例えば、あ、そうこの前も話したと思うんですけど、その本を読んでる時にこういう本読めない時期あるよねみたいな。
ので、二人で分かる分かるみたいな話をしてて、そういう発想をしたことがなくて。
あれみたいな。でも確かに毎日絶対夜本を読むって決めてるんですけど、確かにめっちゃきついなと思いながら読んでることあるよなみたいな。
で、無意識的に私その課してることが多すぎるなと思って。
タイキ なるほど。だからここできつい、後でよく考えたらきついけど、その時はもうちょっとわからない。
タイキ そう、きついとかないなみたいな感じで読んでたんです。っていうのがめっちゃ印象的で。
それってこう、でもそれが良いとか悪いとかじゃなくて、常に結構気づいてるからそういう感覚がある、が分かるんだなっていうので、それについて話したいなと思います。
面白い。じゃあ自分が持ってきた種は、バッシーのオープニングとちょっと似てて面白かったんですけど、
自分が持ってきた種は、移動について考えている件ですね。
アイリーさん 移動について考えている。
不思議ですよね。最近テーマが移動なんです。
これあれなんですよね、アイリーさんが前オープニングで話したテーマから考えだしたんですけど、
広島に行った話があったじゃないですか、実際に行ってみないとわからないみたいな。そこからすごい考えてて、自分って今会社入ってるんですけど、
サラリーマンなんですけど、結構自宅で仕事をすることとかも多くて、かなり気づいたらやっぱり定住じゃないけど、
同じ場所にいることがかなり多くて、煮詰まっちゃってるなーみたいな。でもやっぱり楽だからなかなか動けないみたいな。
楽立ち、常にいる場所で安心だからみたいな感覚が強くて。
でもやっぱりアイリーさんの話を聞いた時に、移動して実際に感じることも大事だしってなった時に、
なんか今のこのモヤモヤ感とか頭打ち感ってやっぱり移動してないことによるのかなと思って、
ちょっとこう移動してみることだったりとか、あとは移動した時って何が良かったり、逆に何がデメリットだったりみたいなことを考えているんですよ、なる。
だから、なんかやっぱこう、移動ってどういう意味があるのかなとか、
あらためて棚下ろししたいというか、それでちょっと持ってきました。
だから最初のバッシーが言ったコミュニティを作るっていうのも、他のコミュニティに移動するとかじゃないですか、普段の生活から移動する。
その時にすごい良いものが得られてる。でも移動しなかったら、そこの感覚とか環境には触れないじゃないですか。
だから移動って本当に大事なんだなって思ってるっていう件。
面白い。
私ね、前回の株でも、前回の株で石橋ちゃんが出していた、手話で表現することの難しさにぶち当たってる件は、なんか聞きたいし、私がこれを聞いて、また私にとってもヒントがありそうだから、聞きたいなと思ったんだよな。
確かに。なんか前回ちょっと繋がる気もしたんですけど、意外にお金に振り切りましたもんね。
そうなの、そうなの。
そうですよね。
話すことが多すぎて。
そうなんだよ。
確かに。だからあんまちゃんと踏められてなかったのは。
そうなの。
思いました。
でも前回のね、多分株聞いてない方にはぜひ聞いていただきたいけれども、その時にもやっぱりお金ってすごい広い大きなテーマだから。
お金の使い方についてって件だったんですね。
そうそうそうそう。で、だからやっぱりでもお金との向き合い方、もういろんな人がいるよねっていうところでも、なんかやっぱり石橋ちゃんがさ、やっぱりその誰に届けるかみたいな。
やっぱりすごくさ、ぱっとたぶん石橋ちゃんの中で想像してる人たちがいるんだろうなと思った時に、この表現の話でもなんか繋がると思う。
繋がると思う。
なーと思って。
めちゃくちゃ思いました。
本当はそっから広げたかったんだけど、お金に夢中で。
すっごい前よりしやすく真剣に話してほしかったね。
お金強いからさ、すごい引力あるから、もう大夢中になっちゃった。
もうそんなに余裕なかったもんで、石橋ちゃんの株をちょっと扱えたらいいかなと思ったんですよね。
全部話したいんだ。
めっちゃムズイぞ。
待って。
どうしよう。
でも私が築いてることの大切さは、あゆりさんが出してくださった私の株ともめっちゃ繋がると。
だから僕確かにバッシーの株めっちゃ話したかったんで前回。
一回やりましょうよ。
じゃあそうしよう。
いいんですか。
もちろん。
やりましょう。
じゃあ手放しで表現することの難しさにぶち当たっている件についてやらせていただきます。
ありがとうございます。
どっから話そうかな。
一回今自分が考えていることをワーって話しますね。
まず、私はめっちゃ負けず嫌いで、昔から。
それってめっちゃ加害性が高いなと思って、心理学の勉強をしたりとか、お寺の弟子入りして仏教哲学を学んだりとかして、
結構ベースのセットをリタにできるようになった。
自分が負けないことじゃなくて、みんなが幸せであることが私も幸せだよねっていう感じになりました。
それを踏まえて自分も発信とかをしたりしてます。
さらにただあることの喜びみたいなのもすごく最近わかってきたので、それもやったりしているんですけれども、
そうなった時に、大輝さんとかは例えば自分で歌を歌うみたいなのを楽しくできるじゃないですか。
自分が100楽しくてやってることってあんまないかもなみたいな感覚になってきて、
前回のお金の話もそうですけど、結構人にどう届けるかというか、人がそれで苦しくなる可能性があるのがすごく嫌で、
それをめっちゃ考えた結果、結構自分ができることってよりは、
媒介していくしかないのかなみたいな、いろいろ勉強してそれをアウトプットしていくことがあんまり苦ではないし、
それをやっていくのが自分の人生っぽいなみたいな感じに思ってきてるんですけど、
一方でやっぱドーンという感じではないというか、うにょうにょ考えて行動することしかしてない。
だからもうちょっと手放しでやっていきたいけど、そこに若干、何なんだかわかんないんですけど、
もうちょい楽しくなれる気がするし、もうちょいシンプルにいける気がするなみたいなことを考えているという感じですね。
なんか媒介していくって言ったじゃん。あれどういう具体的な感覚なんだろう。
なんだろう、例えば悩みに応えるってなった時に、自分の実感値として言えることもあるけど、
なんか積み上げられているものがめっちゃあるから、それを翻訳していく感じだなみたいな感覚があるんでしょうね。
っていう意味での媒介。
おだしょー 他人の悩みに対してってことか。
その積み上がっているものがたくさんあるってのはその悩んでいる人がってことか。
解決側。
だからその方法はなんか模索してるだろうから、なんかこうそういうのをいろんな手段を考えていくみたいなのは手だなと思って聞いた。
ありがとうございます。
あとそれに近くもなんか前回の株にもつながるんですけど、やっぱその今のベースが文章を書くとかSNSとかだからめっちゃ一人で考えてるんですよね。
それもめっちゃでかいと思ってて。
実感値じゃないですけど、肉体を通した実感値がかなり得られづらいというか、言葉でめっちゃ感謝してもらったりとか、本当に救われましたって言ってもらうことはあるんだけど、やっぱ生身ってめっちゃ大事。
移動にもすぐつながってくるんですけど、手って大事だなと思ったりもしました。
なるほどね。
前回の株は。
確かにテナルとリアルタイメンというか、そういった機会を増やすってめっちゃ大事な気がするな確かに。
でもなんかほら仕事もそうだけど伝える媒体がやっぱりデジタルな感じじゃない?
テナルとマスに届けるみたいな感じになるからさ、かなり得づらいよね。そういう反省とかね。
間違いない間違いない。
確かに確かに。
このさ、さっきしばしちゃんが言ってたさ、人が苦しくなることが嫌って言ってたじゃない?
それと、お悩みを解決していくみたいな、相談に乗るみたいなのってつながってる?
また別の話?
いや、つながってますね。つながってて、なんかそれってすごい大事なことだから、お悩みを答えるって。
なんか自分のエゴが出ちゃいけないなと思って、だから表現とはまた別かもしれない。
だけど苦は絶対発誓したくないからめっちゃ色々勉強しながらやるみたいな感じ。
なるほど。
加害性ってことも気になった。
私も。
嘘?
負けず嫌いを加害性ともめっちゃイコールみたいな感じだったんですよ。
負けず嫌いだったから人を傷つけてしまうみたいな。
あるんだけど、なんか本当にそう考えたのは幼少期とかその、本当にあれ加害性を持っちゃって人をめちゃくちゃ傷つけて、かつなんか人を死なせたみたいな感じのトラウマぐらいあるんかなぐらい加害性と紐付けてたから。
負けず嫌いを。
負けず嫌いもそうだけど、なんかそう加害性?自分が害を加えた経験みたいな。
あれもめっちゃありますそれは。なんか、でも中学高校ぐらいまでメタ認知も全然なかったから、ほんとにもう負けず嫌いをそのままぶちまけるみたいなことをずっとやってて。
なんかもう負けたら大泣きするし怒るし、なんかお金の壁に穴あけるしみたいな。
なんかそういう自分に対するこう。
嫌なんだ。
それがめっちゃ人を幸せにしなさすぎたかもみたいな感じ?
でもさ、私、本当の意味で人が人を傷つけるってことってできないと思ってるんだけど、肉体的に傷つけることができても。
と思っているんだけど、だから、かつその理由がさ、負けず嫌いでじゃない。
で、負けず嫌いで人を傷つけられないと私は思うんだよね。
だから、加害性っていう言葉が出てくるのが、どういうことなんだろうって思う?
でも気持ちはめっちゃ分かった。中学校までの自分も僕は自分嫌いだったんですよ。
嫌いで、結構今もなかなか嫌いな状況だから、より良くなるために。逆に言うと黒歴史じゃないけど、すごい嫌な気持ちを逆に大事にしてる感もあって、あえて。
嫌いならまだ分かる。でも、加害だから。
もっと行きますね。確かに確かに。
確実に。
加害か、でも嫌いなんじゃない?
いや、怖い。被害を加えるのが怖い。
だから、この加害性みたいな言葉の使い方と、人が苦しくなることが嫌みたいなのが、私はすごい繋がってる感じがしてて。
これ、道義だと思ってます。僕も今話し切って。加害性と。
なんかそこ結構キモな気がするんだよな。
確かに。負けず嫌いが加害性になる理由は自分の中で、人と絶えず比較する。負けず嫌いが外に向いた時に他者比較をずっとすると、人を見下すとか、人に対して悔しいと思って、人を標的にするじゃないですか。
競争原理に持ち込む。
そうそう。他者を自分の視野の競争原理に持ち込むのが、でもそんなことって本当はないのに、そんなことをやっちゃうのが嫌だ。それでひどいことを言ったりとかする可能性がある。
可能性があるんだよね。傷つけてないじゃん、その時点で。害を与えてないじゃん。
迷惑をかける。
可能性があるってことでしょ。でもかけてないじゃん、まだ。
確かに。
ほら。
ちっちゃい時にかけたなって思う。
それは例えば?
例えば、まず親にめっちゃ迷惑をかけた。
それ何歳ぐらいの時?
いっぱいあります。小1の時100人種で、クラスで毎日やるので、クラス1位から落ちたくなさすぎて、半分保健室登校みたいな感じだったんですけど、毎朝学校に行きたくなすぎて、近所に先、鳴り響くような声で行きたくないみたいに言って、ぐちゃぐちゃしたりとか。
受験の時とかも、受験というフィールドで絶対に負けたくないけど、それ以外は全部投げ打ってて、家での態度とかも本当にひどくて、家のトイレの壁に穴開けたりとか、他者を気遣う余裕なんて1ミリもなくて、それで大変ご迷惑をかけした。
その時は確かに迷惑かなかもしれないけど、今の親の認知は全然迷惑だと思ってなかったり、なんならいい過去だなみたいな感じの解釈をしてるんじゃないの?親とか今。
あ、でもそれも、今は結局私がこうなったから良かったんですけど、ママと話す機会があって、ママ以外も含めて。で、ちっちゃい時の石橋ちゃん、私ってどんな感じだったの?って言った時に、ずっと自分と戦ってるように見えたみたいな。
で、それがめっちゃ苦しくて、その時はもし来世があったら絶対子供を産まないようにしようって思ったみたいな。
子供を産まないようにしようっていうのは、自分が?
あ、そうそうそうそう。
お母さんが?
そう、みたいなこと言って。
まずママもママで結構抱えてるものだったりもしたけど。
でもそれは、傷つけられたからっていうよりかは、自分が産んだ子が、自分自身と戦っていて、辛そうなのに、それに対して何もできない無力感からそういうふうに思ったんでしょう。
そうかも、それは確かに。
だから、それは傷つけられたからではなくて、
確かに。
母親として自分ができることの限界をその時に感じたから、そういうふうに言ったんだと思うよ。
確かにそうか。
それはそうか。
逆にバッシーが母親になって、そういうスタンスになった時に、たぶん心は器が広いから、そんなめっちゃ嫌うとかそういうことはないはずだから。
そういう切り替えをした時に、自分の視点、自分が気づけちゃった視点だけじゃなくて、逆から見てみたら、そんなこと思わんかぐらいな気持ちにもなる気がする。
確かに。あと家族もそうですけど、友達とかも嫌いな人を明確に作ってしまってて、自分でそれいっぱいだから。
こういう比較してくる人はむったい嫌いみたいな感じで、それめっちゃ態度に出したりとかしてたし、そこも確かに被害ではないけど、人にとってかなり迷惑な存在という感覚がありましたね。
あの時は。
そうそうそうそう。
それって相手も感じてるの?
相手も感じてたと思います。だから泣いちゃいそうだけど、仲間外れとかされることとかもあったし。
それはトラウマみたいになるよね。それはね。きついよね。
今の自分はそうじゃないって思ってるけど、でもそういう負けず嫌いの部分も変わらず持ってるから、またそういう可能性があるのがめっちゃ怖いみたいな。
出ちゃうかもしれないしね。
あーそこだよなぁ。
でもさ、その負けず、えっとこれはちょっと待って、話数を確認しよう。
84回でさ、プライドの大事さに気づいた件みたいなの、大輝くんのであって、
そこでも、その前にも賢いアピールをやめたい件っていうのも話したけどさ、そこでもあったけど、負けず嫌いみたいなのって、つまりはその自分の中で、
石橋ちゃんがすごく大事なポリシーがあって、それを守りたいがゆえに起きていたことだと思うんだよね。
だから、今ってその負けず嫌いな結果、人を傷つけた、自分が加害者になったっていうところがセットになっちゃっているから、
そうすると、本当に自分の、言ってみれば、本当に素直な発露、今大輝が石橋ちゃんに静かにハンカチを差し出して、
何度も何度も文字文字やってるなって思ったら、畳んで畳んで、そんなに畳み直して意味があったのかっていうぐらい畳み直して、
愛だね。
本当に気持ちわかるからちょっとね。
だからさ、そこのポリシーの部分が、石橋ちゃんの中でのシンプルに言うとネガなことになっちゃってるから、
そうするとさ、自由に手放しで表現できなくなって当然だなって思うわけよね。
本当に思う。
だからそこを分解できたらいいなって思うんだけどね。
確かにそうかもしれない。
今の自分がどうしていくかみたいなことをめっちゃ頭で考えてたけど、
意外と自分の今の認知を後ろを振り返って整理していくみたいなのが大事かもって思いました。
やっぱり仲間外れてないのはきつい。
俺も中学の時に、僕も中学の時にもう性格も今よりも本当に自己中だったので、
すごいいじめとかもあって、
で、それがやっぱり嫌で、今でも嫌われたくない自分がめっちゃ出てくるし、
なんならデフォルトそうでやっぱり。
だから漢字がいいとかもそこで装着したスキルである。
本当?そうか。
そうな気もするから、デフォルトマジで同じだと思うし、
だから尖った意見が言えない。なんなら嫌われちゃうし。
そこですごい苦しんでたし、今でも苦しむし、今後も苦しんでいく可能性があるから、
すごい気持ちがわかる。
逆にアイリーさんはないんですか?小っちゃい時のトラウマというか、こういうことがあって大変だったみたいな。
私はその、
5歳の時から習ってるクラシックピアノの先生の、言い方悪いけどちょっと反洗脳っぽいのがあって、
先生に気に入られる自分と、
要はクラシックピアノの世界だから超厳しくものすごい真面目な先生に気に入られる自分っていうのと、
そうじゃなくブラックミュージックとかヒップホップとか好きでギャルも好きな自分みたいなのとで、
完全に乖離しちゃってたから。
全然違う世界じゃない。苦しいですねそれ。
だからちょっと記憶があんまりないんだよな。
ちょっとこれ危ないぐらいちょっとなくて、
それってエッセイの話とも比べるけど、
確かに。
そこにピュアな気持ちしかなければ、それは批判にもならないというか、
その人の受けての苦しい認知が出てしまっただけ、みたいな。
うんうんうん、確かに確かに。
そう。
私も体験あるんだけど、
今振り返ってみると、
恐れが羽ぶるみたいな行動になってたよねって思う。
その子たちの。
思う思う思う。というか、それは。
完全に。
で、すごく未熟で、
自分が考えてることと行動が全くマッチしてないから、
未熟な時って、本当に小さい時ってさ、
だから、理解できない、
どういう風にコミュニケーションとっていいかわからないとかっていう風になると、
自分の領域を脅かされるようで、
それが羽ぶるみたいな行動になる。
で、思うと、
思うとさ、その体験もちょっと違って見えてこない。
自分が当事者として、
絶対やっちゃいけないことだと思うけど、
あまりにバカバカしすぎて起きちゃいけないことだと思ってはいるけど、いじめとかって。
だけど、その時の当事者としての自分からちょっと目線を上げて、
じゃあ相手の子は、前後とかの出来事とかを見たって、
想像した時にさ、
それかもなとかって思うと、
ちょっとその当事者としての自分の見え方が変わってくるというかさ、
トライダウンスというか。
そうそうそうそう。
羽ぶるとか、まあまあしょうもないです。
極論どうでもよくなるわけだよね。
そうそう。
なんか、なんていうのかな。
その子たちに羽ぶられてる私っていう形よりかは、
自分が光ってた結果、恐れられたんだなみたいな感じにさえ見えてくるというかさ。
そうすると、全然ストーリーの見え方が変わってくるなと思うのね。
なんかそういう意味でも、心に傷つけるって相当私は難易度が高いと思っているんだけど。
相手がきついてるわけじゃない気もしますね。
それはでも。
あるというか。
そうなんだよ。
それこそ心理学とか勉強してるから、
いろんなやり方が、
例えばその過去の記憶を思い出して、
相手の気持ちになってみようとか、
その身体感覚を感じてみようみたいなのは、
頑張ってやったりとかはしてたんですけど、
確かにそれで自分に戻してくるっていう作業は全然してなかったね。
相手はこんな気持ちだったんだなって思ったけど、
そこにいた自分を許すみたいなことを、
結局やってなかったなというふうに思いました。
だから、例えば私の先生で言うならば、
先生の立場になるみたいなことは何度かやったけど、
やっぱり簡単にその目線を変えられないわけよ。
間違いないですよね。
難しい。
しかも被害者になっちゃってるからさ、
そこから変えられないってことの立場を。
でもだからこそ何度も何度もやっぱり、
無理ない範囲で自分の余裕があるときに、
その視点を変えてみるみたいなことをやり続ける必要がきっとあって、
そうするとあるとき、
ああもうちょっとようやくほんと視点変えられたかなって言って、
自分の人生見直すと、
ああなんかこの人との経験があったおかげで、
私これだけの武器手に入れたわっていうふうにようやく立てるっていうかね。
そうすると感謝が出てくるんだけど、
そうそうだから、
無理してパッとそこで解決しようとしなくてもいいとは思うんだけど、
ちょっとずつ扱えるといいかもしれないね。
いやーめっちゃそうです。
結構ショートカット癖があって、
効率中というか。
ありますよね。
ありますね。
わかりますか。
わかります。
だからそれはって勉強して、
世界はこうこうこうだから、
自分はこうしたらハッピーだしみんなハッピーだよねみたいなのが頭でわかった通りになって、
結構日々の発信とかをやって、
で表現もそうあるべきと思ってたけど、
その前に自分をもうちょっと深く見なきゃいけない。
本当本当。
大丈夫だと思っちゃいけない。
いやそうだよ本当に。
意外と時間をかけるみたいなことが、
イコール自分の人生の色合いみたいな感じにもなってくるから、
結構ね、早く解決すればいいっていう問題でもなくて。
だからそうだな、
悩み解決のところも、
もっとそのバッシーが、
自分が解決し、
向き合って、
解決していくプロセスが、
それがもうバッシーオリジナルの、
与える存在になる気がしてて、
そういう意味でも向き合う価値とかある気がする。
確かに。
理論とかもすごい大事だし、
でもそれをもう活かして自分ごとに落としていくって大事なんだけど、
やっぱり自分ごとに落とすってことは多分大事で、
たくさんの理論とかたくさんあるけど、
そうだよね。
手放しに表現できるかどうか。
そこは嫌われたくないみたいな気持ちとか、
あとは人を傷つけちゃう。
それによって自分が阻害されちゃうとか、
そこがすごい根本な原因かなって思うから、
そうだよね。
嫌われない。
外に出してやっていくことばかりに目が向きすぎてたなって感じがします。
なるほどね。
まずベクトルを自分に向けるというか。
難しいよな、その塩梅。
だって外に発想って頑張るんでさ、
発してないじゃん、後に。
だからこの、いいと思う。
出して、打ち入って、出して、打ち入って、みたいな。
うん。
石橋ちゃんみたいに根本が優しい気持ちがあるから、
相手の視点にだけ立っちゃうと、
辛かったんだろうな、相手大変だよなって言って、
相手の気持ちになって、相手の気持ちもなんなら、
自分のところにインストールしようとして終わっちゃうから、
あの、しんどくなって当然っていうかさ、
でも、相手の気持ちも想像した上で、
でも、私とあなたは違う人生だからっていう、
やっぱりなんかそこに帰ってくることはすっごい大事だと思う。
で、私ってどうやって生きていくっていう、
生きたいっていうのを自分に問いかけるっていうのは、
すっごい大事だと思うね。
確かに。
なんか、あと自分がこうパッと表現できるのは、
なんかどっかしら胸張ってる部分もあるというか、
えーと、何かっていうと、
やっぱ肯定してくれる人がいて、
そこに目を向けると結構怖くなくなるというか、
なんかそんな気持ちがあるから、
僕は結構安心して出してくれる。
だから本当に少数でもいいけど、
認めてくれる人がいる。
なんか、それでしかないですね。
僕が嫌われるのは怖かったりするんですけど、
見え方とかも気にしちゃう人ではあるけど、
やっぱそうですね、自分の考えとかを保てるのは、
そういう存在かな。
場所も絶対いっぱいいるので。
そうですね。
人生はジャーニーですわ、本当に。
ジャーニーよ、ジャーニーよ。
本当に良かったと終わったら、