そうですね。
100年ちょっと前の出来事って何なんですか。
よくぞお待たせしました。
これが本日のメインでもあります。
はいはいはい。
3つ目ということで、絶望的なハンデットを日本代表が作った100年前の出来事。
ということですね、冒頭のクイズの正解をここから一気に明かしていきますけど。
まず、一郎さん、昔の日本代表が世界でなかなか勝てなかった。
その理由っていうのは何だと思いますか。
いや、世界に比べて技術が劣っていたとか、戦術面で遅れをとっていたとか、
やっぱりサッカーの興進興復的な面が大きかったんじゃないかなと思いますけどね。
はい、さすがサッカー的な一郎さん。ほぼほぼ正解ですね。
最大の理由は努力不足とか、もちろん技術不足もあるんですけど、
チリであると著者は言ってます。
チリ?
チリである。
サッカーの本場であるヨーロッパから日本は約1万キロも離れてるんですよ。
まあ確かにね。向こうから見ると日本は敵地ですよね。
敵地ですよね。
これが何が問題かっていうと、強い相手と戦えないんですよね。
あ、そうですよね。
昔はやっぱり移動にも今よりも時間がかかりましたし。
時間かかりましたね。
やっぱり競合同士が締めくヨーロッパに比べて、日本はやっぱりポツンと孤立していて、
これがまあとんでもない犯罪だったと。
練習相手のレベル自体がもう違っちゃうからね。
違いますよね。
ただその孤立した時代にも、ちょっとこれ脇道取れちゃうんですけど、
早く海を渡った先駆者がいるにはいたんですね。
1977年に日本人で初めてドイツのプロリーグに渡った奥寺康彦さん。
あー、奥寺康彦さんね。
奥寺さん何がすごいかって。
当時ヨーロッパ最先立った戦術がいろいろあるんですよ。
例えばゾーンディフェンス。
人を追いかけるのではなく、自分の担当するエリアを守るという発想の守備を。
マークじゃなくてね。
そうですね。
奥寺さんその名前すら知らないまま、持ち前の感覚で完璧にこなす。
あ、当時からゾーンディフェンスを体現していた。
日本にいるんで知らないんですけど、いきなり行ったらできたんだみたいな。
そっかそっか。
でも周りがそうやってやってるから。
でも奥寺さんできちゃった。
できちゃったんだけど、かなり例外的で。
やっぱり国全体が1万キロのハンデをなかなか埋められなかった。
これを本当に埋めてくれたのは別の存在で、
ブラジル人戦争ですね。
これが100年前の出来事と繋がっていて、
1980年に笠戸までのブラジルへ移民があったものです。
それが正解です。
なるほど。
Jリーグ始まった当初、今もそうか。
やっぱりブラジル人選手が多いなっていう印象は結構あって。
ありましたよね。
ブラジル代表とかがゴロゴロって言ってたじゃないですか。
はいはいはい。
それがやっぱり日本とブラジルの古くからの縁で繋がってると。
だからプロ始まる前はそれこそ日系ブラジル人みたいな方が
かなりこっちに来てくれたというか、
それが本場のプロ意識を日本に見つけてくれた。
それこそセルジオ・エッチゴさんだってね。
そうですもんね。
そうです。
セルジオ・エッチゴさんってもうね、今じゃ解説で文句言ってるだけの
おじさんに思ってる人もいるかもしれませんけども、
かなり当時来た時はガチの。
そうですよね。
コリンチャンスだったかな、ブラジル人。
本物が来たみたいな。
そうですよね。
今でもそうですけど、ブラジルって今以上にある意味サッカーの名手でしたから。
その人たちを通じて南米流の高い技術や情熱が根付いた。
つまりヨーロッパとの地理的な範囲でを、
別な地理的繋がりが、ブラジルとの繋がりがカバーしたってことですか。
カバーしたと。
100年前に海を渡った日本人がいたから、
巡り巡ってJリーグの盛り上がりだとか、
技術の底上げに繋がった。
なるほど。
日本の場所は国土の場所は変えられないわけだから。
これも確かに自制覚ですよね。
そうです。
へー。
100年越しに伏線を回収したみたいな。
まあ、あの、半目で埋めてですね。
ただ一方で全体が底上げされたんですけど、
そのことによって、今なんて顕著ですけど、
ヨーロッパでプレーする日本人がどんどん増えていますよね。
まあ今回の日本代表もね、ほとんどが海外組ですからね。
海外組ですよね。
ただまあ、これって結構最近の話で、
例えば2006年、
ワールドカップではこの、
欧州組と国内組の対立みたいなものが。
2006年大会はね、切ないんですよ。
結果はね、そう。
中田秀俊が頑張ったんだけどな。
そうですよね。
自己主張する欧州組と。
なんかちょっと苦悩してる感じが見えましたからね。
空気の良くない組みたいな感じで。
まあそういうのは結構続いたんですけど、
その崩壊の危機を4年後、2010年に救ったのが、
さっきの話につながる日系ブラジル人の、
トゥーリオ覚えてます?
トゥーリオ。
田中マレックス・トゥーリオ。
はい。
東昌トゥーリオ。
東昌トゥーリオ。
やっぱり選手だけのミーティングで、
誰よりも熱くチームを一緒にまとめる。
熱いんですよね。
そうか。ちょっと溝ができてたの?トゥーリオが。
そうです。
熱く。
熱く。
演説をしてみたいな感じですか。
ブラジルがかなり日本を救ってるんですね。
なるほどな。
こういった痛みを何度も乗り越えて、
日本は独自のスタイルにたどり着いた。
結構ブラジルに助けられてるんですよね。
助けられてるんですね。
で、今はどうなってるかっていうと、
ただただ昔みたいに支持を待つんじゃなくて、
一応選手同士が意見を出し合ってまとめるっていう。
森康監督そういうタイプだって言われてますよね。
選手に意見を出させて、
それをボトムアップだったっていうか。
うまくいいとこ取りをして、
その集大成が覚えてますか、4年前。
2022年に優勝候補の強豪スペインを敗れましたね。
ミトマの1ミリですよ。
そうです。
今回はちょっと残念なことがありましたけど。
そうか、あの歴史的大勝利ね。
1万キロのハンデから始まって、
100年前の移民、ブラジルの絆。
全部繋がってスペインの勝利に結びついていったっていうことですか。
でもブラジルって日本サッカーの影の主役みたいなとこありますよね。