本質を見抜く裏技
本質を見抜ける大人ってかっこいいですよね。 ブッダも言ってます。
本質的でないことを捨て、大事なことだけに向き合うことで大きな果実を得られる。 職場での会議とか、友人と会話をしてても、的確に物事の本質を見極めることができる人って、とてもかっこいいじゃないですか。
で、この本質を見抜く裏技っていうのを模索していたところを、 ついに、ついに見つけましたんで、皆さんに物事の本質を見抜く裏技っていうのを、こちらを共有したいと思うんですけど。
この裏技のキーとなるのが、お弁当おむすびなんですよね。 7-11で去年の4月30日から発売されているお弁当おむすびというおにぎりを皆さんご存知でしょうか。
幕の内むすび、のり弁むすび、唐揚げタルタルむすび、チキン南蛮むすびとお弁当をテーマにした食材が詰められたおむすびなんですよ。
通常のおにぎりと違ってサイズは約2倍で、中に入っている具材も3,4種類まとめて入ってるんですよね。
まるでお弁当を食べているかのような満足感が得られる、そんな素敵なおにぎりで。 これがまあ美味しくて美味しくて、
すでに混ぜ合わさった状態のお弁当を食べるっていうのは少し行儀が悪いようなそんな気もするんですけど、
実際に食べてみると、それは美味しいんですよね。 お弁当を食べている時も結局口の中でねあの合体させているわけじゃないですか。
日本人は甲虫調味とかいう口の中で食べ物を混ぜて食べるのが得意とか、そんな話もありますから、
品性の話さえ置いておけば食べ物の旨みをね一番引き出した状態のおむすびっていう、そんな低品性ながら超高品質なおむすびなわけなんですけども、
このお弁当おむすびっていう商品一つとって本質を見抜く裏技っていうのにどう繋がっていくのかと申しますと、
ラインナップの一つであるねのり弁当おむすび、これを一つ例にとって考えると、このねのり弁結びには白身フライとタルタルソース、
イソベ揚げからし明太が入ったおむすびなんですよ。 ここでねおむすびを開発した人の気持ちになって考えてみてほしいんですが、
おにぎりっていう限られたスペースの中でいかにのり弁感を出すか、この一点に特に気をつけて開発されたはずじゃないですか。
自分がもしのり弁結びを考えるってなったら、絶対これいかに少ない具材を入れていかにのり弁感を出すかって、その一点のみに何週間も何ヶ月も使っていろいろ試行錯誤を重ねて作られたのが
のり弁結びなわけじゃないですか。 これってつまり、のり弁ってものの本質を考えることを意味してますよね。
おにぎりの中身を考えるだけで、物事の本質を見極める道筋となっているわけですよ。 これがお弁当おむすびが本質を見極める裏技となるっていうメカニズムです。
概念と食べ物の本質
ハンバーガーの本質が考えたければ、 ハンバーガーおむすびを考えるとね、
ハンバーグとレタスとマヨネーズ、これらがあればハンバーガーっぽいなってなるしね。 ここにトマトを入れると果たしてハンバーガーっぽさって出るのか。
じゃあトマトは本質じゃないんだなって。おむすびを1個返すだけで本質を見抜く道筋になっているんですよ。
でこれもしかしたら食べ物限定の本質を見抜く裏技なんじゃないかなってそういうふうに思われている方も
いるかもしれませんが、 これねあの確かに食べ物を介して本質を見抜くことにはなるんですけど
場所だとか概念とかそういうことにも適用できるっていうのが裏技たるゆえんなんですよね。 だからこれをディズニーランドおむすびにするとして、もしディズニーランド旅行で行きたいってなった時に
でも限られた時間で何をしたらいいか何を食べたらいいか、そう考えた時にディズニーランドの本質をどうせだったら食べたいよ
なってまあ皆さん考えるじゃないですか。 じゃあおむすびにしようってなるわけですよね。
ディズニーランドの本質、ディズニーランドおむすび言ったら チュロスとポップコーン、このあたりが入りますよね。
おむすびの中にチュロスとポップコーンが入っていたらディズニーランドおむすびに近づく感じがする。
でもチュロスとポップコーンだけで果たしてディズニーランドおむすびと言えるのかって自問自答してみて、これディズニーランドじゃなくてもあるよな。
じゃあディズニーランドにしかない本質的な食べ物ってなんだ。 やっぱそう考えた時に至るのがスモークターキーレックですよね。
チュロス、ポップコーン、スモークターキーレックが入ったディズニーランドおむすびってなったらもうこれはディズニーランドの本質を表していると言っても過言ではないですね。
あとは年末年始で帰省した方も多いと思いますけど僕もね帰省して僕の実家の本質ってなんだ。
大人になってから久々に帰る実家の本質ってなんだって考えた時に 田山家おむすびこれを考えるんだとしたらお寿司
あとゴーフル。あの親戚が毎回東京土産に持ってくるゴーフル。 お寿司とゴーフルは絶対にあるんですよ。
お寿司とゴーフルだけだったら田山家の本質とは言えないな。 そこに金麦を、金麦で炊いたご飯をお寿司
金麦はね田山家にとって必須アイテムなんですよね。家族全員飲むんで。 だから金麦で炊いたご飯で寿司とゴーフルをあの具材として包めば
田山家の実家これがあの本質として味わえることになるなぁとかね。
いろんなプロセスに使えるんですけど じゃあさらに発展させてさっき言った概念
概念の本質を考えるときにおむすびを挟んだらどうなるか。 生きることおむすびを作ったらどうなるかっていうことなんですよ
ここからやっぱねー ここからいきなり難しいですよね
生きることおむすび生きることっていうのを買う人に伝えるためにはどんなおむすびに したらいいのかって商品開発の人の気持ちになって考えるんですね
真っ白なおむすびをねまず想像してもらってこれ何を入れたら生きることを表現する ことになるのか
生きることってこれじゃあ心臓が動いていることを生きることだから 発とかね
ああいうのを入れたら生きることおむすびになるんじゃないかって考えるんですけど 発が入っているおむすびを食べて果たして生きることを感じられるのか
感じられないなと 人間の本質は実存だっていう実存主義っていう考え方があるらしくて僕も
ちょっとこの辺詳しくないんですけど 虫は生まれながらにして虫っていう本質を持ってそのまま生きるし
牛とか豚も同様なんですけど人間だけは人間だけは本質っていうものが生まれながら にして決まってなくて逆に何をしたかとか何をするかっていうのでその人の本質
っていうのが後から決定されていくっていう考え方っぽいんですよ 人間は何にでもなれるといろんな可能性を秘めているのが人間だそれが生きる
ことなんだっていうのを表現するんだったら 何かの種を入れるのが一番いいんじゃないか
ひまわりの種を あの梅干しおにぎりよろしくおにぎりの真ん中にトンッと置いてねそれを食べたら何か
資本主義おむすびの考察
こう生きることっていうのを感じられるんじゃないのかな 生きることっていうの可能性みたいななんかそれっぽい形に収められるんじゃないかって
そういう本質に近づけるかもしれないし 資本主義おむすびを作るとしたら中にやっぱ小銭とか
効果を入れるべきですよね 効果を入れるべきだしその効果を際立たせるために
白米じゃなくて泡でやっぱおむすびは作りたい 資本主義おむすびを食べた時に
泡の中からお金が出てきてね 果たしてお金とは何なんだろうかとかそういうことにね思いを吹ける
そういうことを考えてしまうようなそんな素敵なおにぎりに 資本主義の本質を捉えるまあアシストになっちゃうんですけど資本主義おむすび
っていうものを作ることができたり 究極的にはね美のおむすび美しさのおむすびっていうのを作れるわけじゃない
ですか 皆さんがそれぞれの中に持っている美意識っていうものの本質は何なのかっていう
のを漠然と何のアシストもなしに考えるのはなかなか至難の技ですから これおむすびっていうねフィルターを通すことによってどんなことが本質なのかという
が考えられるわけですよ 最近普通の暮らしを美学するっていう
学問としての美学を カイツマンで説明してくれている本を読んだんですけども
その中で v ログっていうのがなぜ美しいのか ブイログなんで見ちゃうのかっていう章があったんですよね
でその本の中では v ログが面白いのは その人の日常っていうのは多分いろんなことが実は起きているはずで仕事が忙しい
時であったりとかもしかしたら家族の音調子が悪くなったりだとか 子供が感触を起こしてだとか
そういうふうに外的要因みたいな常に変わり続けているはずなのに いつものモーニングルーティーンだとかちゃんとしたお弁当を作ってたりとか
綺麗に掃除をしてたりっていう自分の中の日常っていうものをきっちり守っているわけ じゃないですか
それは同じことを繰り返しているわけじゃなくて周囲の環境とか状況に合わせて 外的要因に適応してその日常を作り上げているわけじゃないですか
もしこれがいつもと同じことをしているってだけの人だったら忙しいときはできない ことが増えるし
逆に暇な時間が多いときは少しだらけてしまったりとかそういうふうに流されて しまいがちなんですけど自分の中でこの生活をするっていうのを選び取ってそのための
準備とか対策っていうのをしているっていうのが美しさにつながってなんだが見 ちゃうんだと
コンテンツとして魅力的なんだってそういう解説がなされていたんですよ だから
自分で選択して勝ち取ることっていうのがこれが美しさなんじゃないかなって なんとなく屋敷に流れるんじゃなくてでもここはこうしなきゃいけないって自分で
選択して勝ち取るこれが美しさなわけです ですから皆さんがコンビニに行って自分の好きなおにぎりをね
選ぶ もしかしたらいつも通りツナマヨを選ぶかもしれないし
その日は趣向を変えてチャーハンおにぎりをね買うかもしれない何にせよ自分でそこに 自分の意思が開催して選択して勝ち取ってあるんであればそれはもう美のおむすびと言えるん
じゃないのかな具材なんて関係なくて 選択して勝ち取ったおむすびっていうのは
誰もが持っている
美のおむすびなんだとまぁ僕はそう思いましたね そんなところですね
では皆さんもね何かこう本質を知りたいなと なんかもやもやして何もこう
道筋が見えないなって思ったらおむすびっていうのをまず返してこれをおむすびに するとしたら何が必要かなこれはいらないなっていう
その出社選択のためにおむすびをラーの鏡として何かご指針が欲しいときは活用して みてくださいはい
今日もちょっと変な話になりましたけどご静聴ありがとうございましたタイムでした