はじめてのお便りがきました
MAYO
Beside the Seaside
プロデューサー兼、家業アトツギの永野真代です。
MISAKI
アートディレクター兼、デザイナーの髙橋美沙紀です。
MAYO
私たちは偶然にも、40歳というタイミングで、東京と茨城の海辺の街との
二拠点生活をするようになりました。
この番組は、そんな二人が人生のA面、B面、C面について
あれこれと語る、言語化雑談番組です。
MISAKI
稲刈りに行って、全身筋肉痛になってきたよ。
MAYO
急だね。
MISAKI
稲刈りに行ってきた。
MAYO
お疲れ様です。
MISAKI
手作業なの。
MAYO
そうだよ。何を想像してたの?
MISAKI
手作業なのは想像はできてたんだけど、
ただ、刈るっていうことだけを想像してたの。
それをさ、ある程度まとめてくくって、
MAYO
天日干し的な?
MISAKI
そう、天日干しまでするって知らなくって、
何よりもそのくくる作業がめっちゃ重労働だなっていうのが
今回わかったっていうね。
それを想像できてなかったっていう。
MAYO
何でこの歳になってやろうと思ったの?
MISAKI
農業と、というか農業だけじゃないな、
一時産業とデザインっていうのにちょっと今興味持ってて、
パッケージとかね、ブランディングとかっていうのを
ブランディングデザインっていうのを含めてちょっと気になってて、
で、自分でも畑とか持てたらビジネスできるかなとか、
ちょっとぼんやり考えてる。
食うに困らない程度のね。
大規模にやるつもりはなくて、
「稼ぐ農業」とかはやるつもりないんだけど、
なりわい的にね、
余ったら売るとかそういうぐらいのノリで
ゆるくできたらいいかなってちょっと思ってて。
MAYO
いいね。
やろうよ、じゃあ茨城で。
MISAKI
なんとか米、って??
MAYO
ブランド米までいく!?
すごいね、ハードルが。
あの、美沙紀さん。
お手紙が届きました。
MISAKI
この番組にですか?
MAYO
そうです。
MISAKI
嘘でしょ!?
奇特な、奇特な方が。
すごいね、第1号だ。
MAYO
そうなの
MISAKI
ちょっと嬉しいね、なんかね。
MAYO
超嬉しいね。
すごく嬉しいので読んでもいいですか?
MISAKI
どうぞどうぞ。
MAYO
お二人様、エピソード0拝聴させていただきました。
偶然ですが、二人とも同じ歳のようですので
縁を感じながら聞かせていただきました。
これからも頑張ってください。
個人的には諦めるのではなく、
歳が深まると自分自身の分かりみが深まるのだと思っています。
40歳近くになると自分に向いているのか不向きなのか
自分への分かりみ、理解が深まるので
物事に対して諦める前に自分に合っているかどうかが
瞬時に判断できるようになり
心が楽になるのではないかと思いながら
お二人のラジオを拝聴させていただきました。
まずここまで。
この後質問もあるんですが
まずこんな感想をいただきました。
ラジオネーム、ジャガイモ男爵さんです。
MISAKI
ジャガイモ男爵ありがとうございます。
MAYO
ありがとうございます。
MISAKI
分かりみが深まるね。
諦めるより良い言葉がありそうだよねって言ったやつだよね。
MAYO
です。
MISAKI
確かに。
自分に対する理解が深まるから
あらかじめ向き不向きが分かるし
分かっているから
例え向いていないことをやるにしても
自分に過度に期待しすぎないというか
そこで自分でハードルを下げられるから
楽にできるようになるっていうことなのかもしれないね。
MAYO
そうだね。
つながっている気はするよね。
諦めるか分かりみが深まるかどちらかじゃなくて
どちらもつながっている気がして
諦めるって、多分、美沙紀さんが言ったのって
自分自身に対するってことだよね。
MISAKI
そうそう。
MAYO
あ、違うな。ごめんなさい。
他人からの目かな。
あれ?どっちだった?
MISAKI
ちょっと待ってね。
あれ?
思い出すからね。
多分自分自身じゃないかな。
自分自身でこうありたいっていう姿と
自分の実力的な面で
どこかでやっぱり諦めて
部分的に諦めるんだよね。
でもそれでもやりたいんだったら
自分自身できるところでやっていこうって思うから
理想ありきじゃなくなってきたっていう感じかな。
理想に近づかなければいけないっていう
考え方がなくなったから。
MAYO
なるほど。
MISAKI
(さっき真代さんが言ってた)、他人目線って何だろう?
つながっているよねっていうのは?
MAYO
私、諦めるっていうのは
他人からの目線を気にした自分を諦める
っていう文脈で使ってたのかなと思って。
一方で分かりみが深まるには
あんまり他人目線っていうのはなくて
自己完結型の表現かなと思って。
MISAKI
自分の中での話だから。
私は自分の中の話として
これを受け取っちゃったんだけど
MAYO
これっていうのはどっち?
MISAKI
今のジャガイモ男爵の。
MAYO
そうだよね。
私もそこは一緒で
要は彼…なのかな、男の人なのかな。
MISAKI
男爵って言ってるからあれじゃない?
MAYO
男の人だね。
このジャガイモ男爵さんが言う
分かりみが深まるは
自己完結型なので自分だけ。
一方で諦めるって言ってたのは
すごく他者を気にした自分っていうのを
そろそろ卒業するっていう意味での
諦めるなのかなって思った。
MISAKI
そうか。そんな話も含まれてたっけ?
エピソードゼロって。
MAYO
そうそう。
MISAKI
そっかそっか。
そうだね。
気にしなくなるっていう話だよね。
MAYO
どっからかっていう。
そもそも諦められないかというと
そういう周りからの目線を気にする
冷水を自分で自分にぶっかけているようで
実は他人も気にしていて
そんな自分ってもう
そろそろ卒業しません?
みたいな話だったような気もしたけど
エピソードゼロでは確かに
そこまで喋ってなかったかもしれないね。
その次の次ぐらいかも。
MISAKI
他人の目線とかっていうのも話したもんね。
MAYO
そうだね。
だからそこまで議論を深めた上で
このジャガイモ断食さんの話を見てみると、どうですか?
MISAKI
何がきっかけかはやっぱりわからないけど
もうそれいいじゃんっていう風な
気持ちになるんだろうね。
MAYO
そうね。
なので多分どっちかじゃなくて
両立するのかなと思った。
MISAKI
自分の内部的に見ると、分かりみが深まるっていうのは、そうだね。
MAYO
そうだね。
MISAKI
で、やっぱり他者の目線
他者がこう見るだろうなっていうことについては
やっぱり諦めてから開き直りというか
MAYO
開き直りだね。
そうだね。
なんか見つかった気もするね。
そうだね。開き直りだね。
分かりみが深まるから、開き直れるってことだね。
MISAKI
そうかもね。
だから最初に言ったつながってるっていうのは
MAYO
そういうことかもしれないね。
なるほど。
素敵な視点をありがとうございました。
MISAKI
ありがとうございました。本当に。
MAYO
男爵さんからの質問も来てます。
お二人に質問なのですが
人生のターニングポイント
MAYO
人生においてのターニングポイントがあれば教えてください。
私は仕事を一度辞めたときがあります。
今考えるとそれがターニングポイントだった気がします。
ターニングポイントですって。
MISAKI
これ今パッて思い浮かんだのでもね
4〜5個あるんだよね。
ちっちゃいのから大きいのまで。
MAYO
なるほど。
MISAKI
一つじゃないなって思ってて、私は。
MAYO
それは分類できたり
優先順位というか重要度とかで並べられたりできる?
MISAKI
わたし的にこの世界に行くって決めたときだと思うから
MAYO
美大受験を決めたときっていうのが一番でかいかな。
MISAKI
もちろん自分で会社を起こしたときとか
フリーランスになったときっていうのは
ターニングポイントとしてあるんだけど
それ以前にもっと根本のところで。
MAYO
それはどうして自分の人生で一番大きい
もしくは重要だと思う?
MISAKI
そもそも私は教育学部志望だったのね。
MAYO
高校生のとき?
MISAKI
そう。進路選択をするときに。
何か書いたりとか物を作ったりっていうのは
好きだったけど
それを別に何かにしたいっていうのは思ってなくて
思ってなかったから教育学部
教師になりたいと思ったから
なんていうのかな
その路線でいろいろ調べたりとかしたんだけど
そのときに教育学部でも
何の教科を専攻するかっていうのがあって
だったら美術かなっていうのがあったの。
っていうのも周りの先生とか見てて
こういう美術の先生とか技術の先生って
ちょっと浮世離れしがちだけど、
それでいいというように本人たちも思っているような
生き方に見えたのよ
一本芯が通ってるというか
MAYO
アーティストとはこうあるべし
こうで良いのであるみたいな?
MISAKI
そう。他人の物差しとかあんまり気にしないみたいな
そういう生き方ができたら幸せだろうし
そういう生き方が提示できれば
教育的にも子どもたちにもいいんじゃないかって思って
で、それで、専攻しよう
美術専攻にしようと思ったんだけど
そうなるとデッサンが必要だってなって
やったことないなって思って
進路選択エピソード 美沙紀の場合
MISAKI
絵画教室に行くの
じゃあデッサンちょっとやるかみたいな感じで
そしたらそこで絵画教室の先生が
そんな狭き門っていうのかな
潰しが効かないところを受験したってしょうがないんだから
美大受験ということにして
そこで教職も取れるからそうしなさいみたいな
アドバイスを受けるの
そこでそういう道があるんだっていうので
だったらそっちの方がいいかもって思って
美大受験を決めたんだよね
それが結構自分の中で大きかったかなって思う
その出会いがなかったら
そもそもこの世界に来てないし
この進路も選んでないっていう
MAYO
詳しくなってごめんね
美大受験と美術の先生になるのは
美大受験の方がまだ間口が広いってこと?
MISAKI
というより潰しが効くよね
美大受験って別に先生にならなくてもさ
こういうデザイナーであったり
あるいは例えば一般企業でも企画職とかがあるのかな
広報とかも行けたりするんだけど
教育学部の美術専攻っていうと
中途半端っていうか、実力的にもね
教育学部の美術専攻っていうことだから
デザイナーとしても通用しないしとか
教員になるとしても
わかると思うんだけど
学校に一人二人じゃん
そんな美術教師(の採用枠)なんて
じゃあそこに受かんなかったらどうするのっていうので
もう詰むよねっていう
MAYO
つまり間口が広いってことだよね
MISAKI
そうだね
MAYO
卒業後の間口が広いってことだよね
MISAKI
うんうん、卒業後の間口が広いっていうこと
MAYO
なるほどなるほど
いい出会いだったね
MISAKI
そうだね
思うと結構フラフラ生きてきてたから
MAYO
誰が?
MISAKI
私が
MAYO
高校生まで?
MISAKI
高校生だけじゃないね
今自分ができることとかを
ただただやってたら
周りの人が引っ張ってくれてっていうのが結構あったから
ターニングポイントでの出会い
MISAKI
その人たちに結構救われてるなっていうのを
今ターニングポイントっていうのを聞かれて思った
自分がどうこうっていうよりかは
その時々で重要なキーマンとなるような人がいたなっていう感じ
MAYO
他のターニングポイントにもそういうキーになる人がいたってこと?
MISAKI
そういたいた
MAYO
他には?
MISAKI
他に?
MAYO
いたってことは
他のターニングポイントの時にもこんな人がいたみたいなのってある?
MISAKI
ある
その美大受験して学校に行ったけど
ちょっと心配してるので
短大にしか受からなくて
でもその短大の先でいい教授に巡り合って
ちょっと「こんな学校出てもな」って結構
思ってて
モチベーション上がんねえなみたいな感じでいたんだけど
その教授とちょっと出会って
モチベーション上がって
最終的にはちょっと編入って手もあるから
考えてみればって
本当にやる気なんだったら全然
推薦してあげられるしっていうので
今で言う編入ロンダリングですけど
MAYO
様々なロンダリングがありますが
MISAKI
そう様々なロンダリングがあるけど編入ロンダリングもできて
今に至るみたいな感じだから
会社設立する時も、きっかけ作ってくれた人がいて
ありがとうございますって道に乗ってったって感じだから
自分だけじゃないなっていう
MAYO
ターニングポイントを振り返ると
背中を押してくれる人がいたってことですね
とっても感謝今でもしてますって
MISAKI
そうそうそうそう
あんまり言わないけどね
MAYO
言ってこ
感謝言ってこ
他のターニングポイントでの出会い
MAYO
真代さんは?
前のエピソードでも喋ったかもしれないけど
もう家を継げないって思って
で、よし、もう茨城を出ようって言ったのも
もしかしたらターニングポイントの始まりかもしれないけど
確かに今美沙紀さんの話聞いてて思ったのは
実は私はそこよりも
実際にメディアに就職した時かな
ずっとずっと夢に描いていた仕事に就くことができて
割とその中で歩んだ職種というかキャリアというかも
希望を叶えてもらってたから
その夢を全部描かせてくれた
その一連のプロセスがターニングポイントかな
MISAKI
また難しいこと言うね
ポイントではないってことか
MAYO
ターニングポイントの連続みたいなことかな
それをひとまとめに
人生のターニングポイントの大きさかな
キャリアでいうターニングポイントはやっぱり
メディアでの仕事
プライベートのターニングポイントはやっぱり
ちゃんと言っても結婚・出産
海外で出産して日本に戻ってきて
あまりにも日米の子育て環境の違いに愕然として
また作品作りにそれが活かされていく過程も
ひとつ大きなターニングポイントだったなって思うから
MISAKI
考え方が変わるっていう意味のターニングポイント
MAYO
考え方も変わるし
世の中の見え方も変わるし
自分が置かれた環境も変わったし
自分に対する見られ方も変わったし
様々変わりましたね
プライベートも仕事も共通して言えるのは
1点っていう感じじゃないかなっていう
ターニングポイントの連続した点が
ひとつの大きなターニングポイントになってるっていう感じかな
MISAKI
メディアの業界に入るまでもそんななかったんだ
まあでもそうだよね。ストレートな感じだよね
MAYO
失礼な
MISAKI
ジャーナリズムの業界に入りたいって思うまでに
いくつか選択肢があったのかなとかちょっと思ったんだけど
MAYO
例えばお花屋さんになりたいとかそういうことかな
MISAKI
違うな
でも進路選択の時には報道の道に行きたいっていうのが決まってたから
MAYO
そうだね卒業文集に書いてたもんね
書いてたから決まってたね
MISAKI
決まってたんだよね
それしかなかった?それしかなかった?
2回言っちゃったけど
迷わないのね
普通はあれもいいなこれもいいなっていうので
ある中で決められないとか
自分の得意なものが分からないとかっていう人がいるじゃない
MAYO
そうよね
親にはずっと反対されてたんですよ
メディアの中でも特にテレビ局に行きたいって言ってて
ひと握りの人しか行けない業界で
やりたいことをやらせてもらえるかどうかも分からない
運良く入れたとしてもとっても辛いよと
心身ともに辛そうな現場ですよと
本当に行くんですかみたいな
それよりはお医者さんとか弁護士
士業とかの資格を取って
どこででも働けるようにするのが
女性としては行きやすいよみたいなことは
母親からは言われたかな
MISAKI
あるんだねそういうのね
大なり小なりね
MAYO
だからそうかとも思って
それでずっと理系コースにいたんだよね
実は
MISAKI
そうなの?
MAYO
そうなの
ずっと理系コースにいて
医者になるかみたいな
別に理系の教科は嫌いじゃないし得意だし
だんだん高3まで上がってきたときに
めちゃくちゃ違和感を感じて、教室の
やばいみんな
医者か研究者になりたい人ばっかりだ
MISAKI
そうかもね
それか薬剤師か、みたいな
MAYO
そうそう
私違うみたいな
その時思って
この違和感はなんだろうと思ったら
やっぱり私メディアに行きたい、って思ったんだよね
で、親を説得して
説得材料として奨学金の給付型を申し込んで
その時かなり大きな額の給付型奨学金だったの
それももちろん書類審査や面接審査とかがあって
これに受かったらSFCに行かせてくれって言って
その奨学金自体も志望進学大学が絞られていて
その中に慶応義塾大学も入っていて
まず第一段階として給付の内定を受ける
だったらSFCに挑戦させてほしい
ダメだったら国立行くからみたいな
MISAKI
刻んでいったね
MAYO
刻んでいった。で、ていう説得をしたら
いいよって言ってもらって
もう意地でも受かるしかないみたいな
で、おかげさまで合格したって感じかな
だから、確かにそう言われると、
自分の中でメディア以外にやりたかったことはないが
学費を出してくれたり
自分の生き方を心配してくれたりする
親の意見も聞いてみようと思って
進路はふわふわとしてたかな
MISAKI
でもやっぱり自分で気づいて
じゃあどうこの道進めるかってなった時に
やっぱり対策なり解決策を講じて
つかみ取っていったっていう感じだから
結構そこも
そういうのって結構私自分的には
ターニングポイントとして
結構考えられるかもなと思って
その決断しなかったら
もしかしたらモチベーションの低い
医者になってたかもしれないしさ
MAYO
確かに本当だね
親を説得するっていう経験は
初めてだったかもしれない
美沙紀さん心配とか反対とかされた?
MISAKI
私はされなかった
MAYO
かっこいい〜お母さん
MISAKI
お母さんかっこいいというか
私が言っても聞かないって性格というのもあったし
あとは母自体が
自分がやりたいということを
経済的にさせてもらえなかった人だから
そういうのを自分ではしたくない
進路選択エピソード 真代の場合
MISAKI
っていう思いが結構強かったみたいで
MAYO
かっこいい
MISAKI
だから、基本的にやってみればっていう感じだったね
思うところあったのかもしれないけどね
MAYO
それで言うと父はそうだった
やっぱり職業選択の自由を祖父から
与えられなかったから
好きなことをやりなさいっていうのは
息子にも娘にも言ってきてたから
そんなに行きたいって言ってるんだから
行かせてやれよみたいなことを
母に言ってくれてた
MISAKI
やっぱりそうだよね
両親とさ、進路のことで
結構何回もぶつかってる友達とかを
見てると結構やっぱ
しんどそうだなと思ったね
MAYO
そういえば先生2人くらい家に来たかも
MISAKI
それは受験のことで?
MAYO
そうそう。まず第一段階の給付型奨学金を受験というか
受けるときに
親も親で提出したり書いたりしなきゃいけない書類が
山のごとしだったようで
母親がめっちゃ忙しいのに
なんでこんなの書かなきゃいけないのみたいな
やだやだって言って
推薦書を書いてくれた先生が
書いてあげてくださいって
MISAKI
もう直々に…
MAYO
こういう将来を描いていて
そのためにはここを受けたくて
そのためには親に金銭的な負担をかけたくない
っていう思いで受けたいって言ってるから
書いてあげてくださいって
部活の顧問の先生がまずそこで来てくれて
先生がそうおっしゃるならって母親は書いてくれたのが一つで
そこで内定もらって
よしSFC受けるぞと
SFCも一般受験の前にAOでも受けることができて
MISAKI
そうだね
MAYO
そのときもやっぱり
大学は国立に行くっていう約束で
中高私立に行ったような感じだった
約束っていうこともないけど
行ってくれたら嬉しいなみたいな
MISAKI
あったねそういう
MAYO
うち三人兄弟で上二人が私立の大学ポーンって行っちゃったから
より国立よろしくみたいな感じだったのを
私立に行きたいって急に言い出したから
そこも母親うーんって言ってるところを
応援してくれる人々
MAYO
高2高3の時の女性の先生
先生が家に来てくれて
私添削してますと
MISAKI
AOの小論文みたいな
MAYO
添削して
すごくしっかり内容も固まってきたので応援してあげてください、って
先生たち優しい
だから、美沙紀さんの話につなげると
確かにそういうターニングポイントには人がいるなって
今でも感謝したい
MISAKI
でもそういう話を聞くと
やっぱ真代さんが動いたからっていうのもあるよね
そういうのを探してきてさ
だったら背中を押してやるかみたいなところも
押してあげるかっていうか
あげたいと思うしさ
MAYO
美沙紀さんの場合だと絵画教室に行ったこと?
MISAKI
行ったことかな
同じく美大受けるっていう友達が
小学校の時の友達がいたから
どういう対策してるの?って言って
今絵画教室に行ってるって言ってたから
ちょっと見学させてもらおうかなって行った時に
どういう進路を考えてるの?って聞かれて
そう、それはダメだね、みたいな
えーっ!?ていうね
でもそれも高3のさ
5月とか6月だったから遅いっちゃ遅いんだよね
遅いっちゃ遅いっていうかめっちゃ遅いの
受験生いるんだったら本当対策は
美大受けるって決めてるんだったら
対策はちょっと早めにしたほうがいいかなと
本当に情報が少ないけどね田舎は
MAYO
じゃあ、ターニングポイントって呼べるものは
まず自分の決断と行動ありきだけれど
そこに呼応して支えてくれる
応援してくれる人がいて
初めて人生のターニングポイントって呼べるぐらい
大きなイベントになるって感じかな
MISAKI
そういう大きな波ができるんだろうね
という結論です
でもこのさ
ジャガイモ男爵のターニングポイントでさ
MAYO
呼び捨て?
MISAKI
あ、そっか
MAYO
貴重なお手紙
初号機なのに
ジャガイモ男爵さん?
MISAKI
ペンゲームってさ、そうか
敬称つけんの?
MAYO
わかんない、ごめん
つけなくていいかも、ごめんごめん
MISAKI
ジャガイモ男爵さんは
ターニングポイントで何がどう変わったんだろうね
MAYO
聞きたいね
本当だね
MISAKI
仕事を辞めてさ
MAYO
本当だね
MISAKI
考え方なりちょっと変わったのかね
MAYO
ゲストで来てほしいね
MISAKI
急に呼びかけたら来るかな
MAYO
来るかな
ジャガイモ男爵さん、お待ちしております
MISAKI
ジャガイモ男爵さん
ちょっと会ってみたいわ、ジャガイモ男爵さん
MAYO
会ってみたいね
この続きを聞きたいよね
MISAKI
そうだね、なんか
お前はどうだったんだっていうね
MAYO
また、お前っていう
MISAKI
あなたはどうだったんだ
ダメだね、親しみを感じちゃうとあれだね
ぞんざいな扱いになってしまうのはよくないね
MAYO
でもBCサイドメンバーだよね
間違えた、BCサイドファミリーだよね
MISAKI
あれだね、そうだよね
ステッカーとか差し上げたほうがいいのかね
MAYO
そうしよう
お手紙いただいた方には
ミサキ特製デザインステッカーを
MISAKI
いるかいらぬかはわかんないけど
送りつけよう
MAYO
はい
今日はこのあたりで
締めたいと思います
番組では皆様からも
お悩みやエピソード、トークテーマを
募集しています
メールアドレス
MISAKI
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました
MAYO
それではまた次回