1. 自分にやさしくする™︎ラジオ
  2. 第4章 精神疾患への偏見の原因..
第4章 精神疾患への偏見の原因 Ep.105
2026-04-03 19:54

第4章 精神疾患への偏見の原因 Ep.105

spotify youtube
【今回のテーマ】精神の旅:神経と理性の間にある「余白」を考える

今回はこれまでお話しした「身体」「感情」に続く第3のステップとして、「精神とは何か」というテーマを深掘りします。「精神」という言葉は脳科学、心理学、哲学、そして仏教など、分野によって捉え方が異なり、非常に多層的な概念です。今回の配信では、私なりの仮説として「精神とは神経反応と理性の間にある『間(ま)』である」という視点をお話します。



【こんな方におすすめ】



「精神的に弱い」と自分を責めてしまう方



メンタルヘルスと人格の問題をどう捉えるべきか悩んでいる方



感情や神経の揺らぎと、どう付き合っていけばいいか知りたい方



精神とは神経の振り幅そのものではなく、その振り幅とどう向き合っていくかという「可能性」のことです。 今回の配信が、誰かにとって心を軽くするヒントになれば幸いです。





・神経学から見る精神と人格の切り分け

・刺激と反応の間にある「自由」

・精神疾患に対する偏見を解体する・診断名は説明であって人格ではない



【パーソナリティ】

ソフィ(MC・ラジオDJ・ナレーター)

協力:RKB毎日放送株式会社 Podcast Lab. Fukuoka



📮お便りの宛先

https://forms.gle/hsUyfFr5bU4b8mMYA

▶▶X

https://x.com/sophieauthentic?s=2

▶▶『自分にやさしくするするカード©️(GENTLELY CARD)』販売

⁠https://podlabfukoka.base.shop/items/126446150⁠

▶▶コミュニティrooom『Inside  Feed』

⁠https://rooom.listen.style/p/begentlewithyourself⁠

各種プラットフォームにてフォローボタンを押して次回配信をお待ちください!

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:00
こんばんは、そしてお目覚めの方はおはようございます。自分に優しくするラジオソフィーです。お便りをご紹介します。
ねえ、なんか緊張しちゃう。はい、お便りが、
2025年。ねえ、古すぎる、あれながら。しかも紹介したかな、ちょっとわかんなくなっちゃって。
2025年11月20日にいただきました。
今、念のため言っておくと、2026年4月3日です。ソフィーさん、おはようございます。
台本なしの配信がとってもいいなと思っている1リスナーです。 なぜかというと、ソフィーさんの温度が、温度感がじんわりと伝わってくるからです。
時折、フフフと笑ったり、声のトーンから笑顔が見れるのが聞いてて心地いいんですよね。
えーっととか、あとそれからとか、 台本にない普通の会話の中にあるような言葉が好きです。
きっとF分の1揺らぎって言うんですかね。 なんかそんな感じを受けるんですよ。
これからも配信を楽しみにしていますということで、ありがとうございました。
めちゃくちゃ嬉しいです。 これからは、
もう来たらすぐ出す。来たらすぐ紹介するので、ぜひまたメッセージ送ってください。
さて、今日のテーマを発表します。
めっちゃ台それてる。
今日のテーマは、精神の旅、精神とは何か。
サブタイトルが神経と理性の間ってつけたんですけど、
2つ前の配信で、
本当は第4章として精神の旅について触れる予定だったんですけど、
飛ばしてしまったので、 ここでやりたいと思います。
やっぱり一度やりますと言ったことなので、
触れておきたいと思います。 どうぞ最後までお付き合いください。
今日は精神に入ります。
これまで体と感情について扱ってきたんですね。
バックナンバーを聞いてください。
なんかエピソードなんとかって言わなくてごめんなさいね。
体と感情について扱ってきたんですけど、
今回は精神ということで、
最初に言っておきます。この前も触れたんですけど、
03:04
精神とは何かっていうものをね、私はまだ完成した答えを持っていなくて、
今日は私の答えを渡す回ではなく、
問いの入り口として置いておく回にしたいなと思います。
なんか、やっぱなんで精神は難しいのかっていうと、
前にも触れたんですけど、分野ごとに何か意味が違いそうで、
私あの神経、神経、
神経、脳神経、何だろう、なんか神経の、
神経の先生とちょっと親しくしてまして、いろんな話を聞いてるんですけど、
神経学では気分と情動と認知という言葉が使われるんですね。
心理学、これもまた親しくしている先生がいるんですけど、
心の働きとか意識とか無意識っていう言葉が使われて、
私の大好きな哲学ではマインドスピリットソウル、
ソウルマインドスピリットかなというふうに分かれていて、
あとは仏教ですね。仏教は精神を固定した実態ではなく、流れとされているらしいです。
だからつまり、
先進という言葉はね、本当に一枚岩ではなくって、
なんか混乱が生まれがち。
なんで今日はそれを少しずつ解いていけたらなと思っています。
それではまず神経学的に見てみると、
精神という言葉はあまり使われないそうなんですよね。
使われるのは気分とか情動とか実行機能、認知。
今指折ってますよ。
で、例えば送局性障害はここに入るそうなんですけど、
気分の触れ幅が大きかったり、神経伝達の調整に特徴があるんですね。
ここで大事なのは病気は神経の問題であって、人格の問題ではないということですね。
症状は人格ではない。症状と人格を分けるということで、私自身は結構楽になったんですけど、
整理しやすくなったんで。
これは以前も話したかもしれないんですけど、繰り返しておきたいところですね。
ここから一歩進んでみたいと思うんですけど、神経学では刺激が入るとまず原始的な反応が起きますよね。
なんか反射みたいな、怖いとか嫌だとか嬉しいとか、
なんかそれはすごい早いと思うんですよ、反射なんて。
でもその後、前等・前夜っていう脳の部分が働くらしいんですよね。
06:03
ちょっと自分でちょっとこれは勉強したんですけど、例えば考えるとか抑制するとか、再評価する。
つまり刺激があって、トリガーとなる刺激があって、反応があって、再解釈して、
で行動っていう流れがあるんですけど、ここで重要なのは刺激と行動、一番最初の刺激と最後の行動は直結してないっていうことなんですよね。
その間に時間差がある。この時間差が私はマだと思ってるんですけど、
ここで一つ、神経学では私はマがあるっていうふうに、一旦置いておきますね。
で次心理学なんですけど、心理学のレイヤーでは出来事と、あと自動思考、
なんか私はロボットではないって思いたいんですけど、やっぱここも自動的に出来事と自動思考が働いて、
そして感情、行動っていうモデルがあって、ここで自分が自動思考だって気づくことが大切だとされてて、
気づいた瞬間自動だったものが選択可能になるんですよね。この気づきが私はなんか精神に近いんじゃないかなと思ってて、
理性でもないし、原始的な反応でもない。なんかその間にある余白。
マと似てますよね。なんか私の大好きなビクトール・フランクルっていう人がいるんですけど、
あの夜と霧を描いた人って言ったらわかるかな。ユダヤ人のホロコーストで生き延びたお医者さんなんですけど、
あとはそれでも人生にイエスと言おうみたいな本があるんですよ。
結構私は彼の態度価値っていうものに影響を受けてるんですけど、そのビクトール・フランクルは
刺激と反応の間には空間がある。その空間に人間の自由があると言いました。
この空間という言葉、私はこれを聞いた時なんかずっと心に残ってて、
だからなんかやっぱ精神はその空間なんじゃないかなっていうふうに思うようになりました。
さっき例えで出てきた、一例で出てきた送曲性障害では気分の触れ幅が大きくなって、時にねなんか衝動も高まるっていうこともあって、
その時間が狭くなるかもしれないんですけど、でもゼロにはならないんじゃないかなって。
ゼロになったらもう私たち何も選べないじゃないですか。で間があるから、触れ幅があっても戻ることができたり、調節する可能性が出てくる。
09:07
でここに私は希望を見てるんですけど、精神を気分と一緒にしない。精神は気分に対する向きの可能性であって、
精神と気分は同一にしない、同じにしない。精神は気分に対する向きの可能性であって、
一緒にしない方が楽だなって思うんですよ。
ここまで踏まえて、私の今の現在の仮説を言うと、精神とは神経反応と理性の間にある間であると仮定しました。
衝動でもなく、冷たい分析でもなく、その間でどう向き合うかを決める余白。
これは唯一解ではないので、でも今の私には一番しっくりする整理なんですね。
あとは精神疾患に対する偏見っていうのに触れておきたいんですけど、精神ってことでね。
精神疾患に対する偏見ってどこから生まれるんだろうって考えてて、
私はこの偏見、精神疾患に対する偏見を社会からなくしたいなって思ってて、
悪意からだけ生まれてるわけではないんだろうって思うんですよ。
整理していくと、ほとんどは混同、なんか今日滑舌が悪い。
ほとんどは混同、そこから生まれると思ってて、
その混同には3つあって、まず1つ目が神経の状態と人格を混同すること。
2つ目が症状と意志の強さを混同すること。なんか根性論みたいな。
3つ目は診断名とその人の全体、人格を混同すること。
この3つが重なると、精神疾患の人イコール精神が弱いみたいな、
短絡的なレッテルが生まれるんじゃないかなと思ってて、
最初の方に症状と人格を分けるって言ったんですけど、
神経の状態は人格ではないし、精神疾患の多くは神経の偏りだっていう本を、
本とかなんか文献とか結構見て、気分の調整の難しさだったり、
覚醒のレベルの変動だったり、抑制機能の揺らぎだったり、
なんかこういうのは、また単語からに来たぞ。
こういうのは脳の器官、内臓ですよね、の働きの問題だと思ってて、
12:05
血圧が高い人を見て性格が弱いとは言わないじゃないですか。
甲状腺機能が不安定な人を見て人格が未熟だとは言わないじゃないですか。
私、甲状腺機能更新書って言われた時があって、どうしようと思ったんですけど、
精神疾患になると急に人格評価に変わってしまうんじゃないかなって日々思ってて、
でもここに論理の飛躍があると思うんですよ。
症状と意志の強さは同じではないし、
例えば強い焦りとか欲打つがある時、
気合でどうにかできるのではないかという言葉が投げられることがあると思うんですよ。
でも症状は神経の減少なので、意志が弱いから起きるもんじゃないんだと思うんですよね。
もちろん態度の選択とか環境調整は重要だと思うんですよ。
でもそれは、症状が努力不足の結果、そういうふうに意味されることじゃないと思うんですよ。
ここを混同すると、病気の当事者は二重に苦しむことになるんじゃないかなと思って、
症状そのもので苦しんでいるのに、さらに人格、自己否定の苦しみが加わったりして、
偏見というのは症状以上に人を削るなって、メンタル削るなと思ってて。
だから診断名は説明であって全体ではない。
診断名は医療のための分野であって、
治療方針を決めるための枠組みなんですよね。
便利なラベルなんですけど、人間や人格を決めるものではないということですね。
診断名はその人の一部の状態でしかないんですよね。
その人の思想や倫理や関係性まで決めるものではないのに、
社会はラベルを人格まで拡張してしまうっていうことがあると思うんですよ。
ここで距離が生まれると思ってて、
私がさっき言ったように精神を的して捉え直すと、
再定義されるんじゃないかなと思うんですよね。
精神は神経そのものじゃなくて、理性の強さでもなくて、
刺激と反応の間にある余白。
この余白っていうのは、神経状態によって狭くなることはあっても、
人格の強弱とは全然別の次元だと思うんですよ。
もし精神をこんな風に捉え直すことができれば、
15:00
病気イコール精神が弱いっていう短絡的なレッテルは成立しないと思うんですよ。
神経の振り幅と向き合い方の可能性は別なんですよね。
しかも偏見がもたらすものっていうのは、
治療を遅らせるし、相談をためらわせるし、
症状を隠すようになる。
だから病院に行かないとか、若者とか結構そうだと思うんですよね。
認めたくないっていうのがあったりして、恥ずかしいことだとか、
メンヘラって言われるとか、すごいメンヘラって言葉が嫌いなんですけど。
で、最終的に社会全体の安全性が下がると思うんですよ。
結構アメリカだと、自分が住んでた時は、
学校でもいじめがあるといじめた子をね、セラピーに。
いじめられた子じゃなくていじめた子?
ちょっと問題って言ったらいけないな。
なんか抱えてるの?みたいな感じでカウンセラーに案内されるし、
なんか夫婦のセラピーとかも普通にあるし、
だからなんかそういうの取り入れてもいいのかなと思うし、
偏見って誰も守んないんですよね。
だからなんかさっき社会って言ったけど、
これは当事者だけの問題じゃないんじゃないかなって思って、
その社会の成熟度を表す課題なんじゃないかなと思います。
一般論として提案するならば、
精神とは何かって言ってたけど、
ちょっと精神疾患について話していますね。
精神疾患を扱うときね、
確認することを習慣にしたいなと思ってて、
それは3つあって、
最初に神経の状態の話かっていうことと、
2つ目に人格評価にすり替えてないかっていうことと、
最後に診断名でその人を完結してないか。
この3つを確認するだけで言葉も変わるし、距離も変わるし、
なんか関わり方が変わっていくと思うんですよ。
偏見をなくすってことは感情的に擁護することではなくて、
その概念の混同を解体していくことだと思って、
ラベルをラベルとして扱う、
その辺の整理ですよね。
人を状態より大きな存在として見ること、
宗教的に言うと愛の存在なんだみたいな、
みんなみんな同じ覚悟を持ってて、
風邪ひいてる状態の時もあったりとか、
18:00
でも別に人格とは関係ないじゃないですか。
そういうことかなって。
まだ精神をどう捉えるかは問いの途中なんですけど、
少なくとも精神疾患と精神の弱さっていう図式はね、
今みたいに丁寧に解体できると思ってます。
どうでしょうか。
あなたはどう考えますか。
まとめに入っていこうと思います。
今日は精神とは何かについてお話ししました。
でもなんか精神疾患について多く語ったかなと思ってます。
精神をどう捉えるかっていうのは、私の中でまだ問いの途中なんですけど、
少なくとも精神疾患イコール精神の弱さっていう図式はね、
丁寧に解体していくことができて、
そうすることでなんか楽になる人がいたらいいなぁと思っています。
それではまた次回お付き合いいただけたら嬉しいです。
またね。
19:54

コメント

スクロール