現代社会における過剰な要求と自己の手段化
こんばんは、そしてお目覚めの方はおはようございます。
自分に優しくする™︎ラジオ、ソフィです。
最近ね、人間に求められる性能が多すぎるんですよ。
判断が早い、感じがいい、疲れない、止まらない、役に立つ。
もうこれ、だいぶ家電のレビュー項目なんですけど、って思うんですよね。
今日は、人間が人間のままでいるために、手段として使われることから降りる話をします。
今日から3回にわたって、新しいシリーズを始めます。
タイトルは、生き延びるための哲学。ちょっと固いかな?
うっかりするとカントが出てきそうなタイトルなんですけど、でもその通りかもしれない。
今日は哲学のお話をするんだけれども、哲学を置物にしない回です。
生活に効かなかったら、それはもう知識というより飾りなので、
今日は手段からの解法という話をします。
最近ね、Xでもインスタでも、これを折に触れて読んでいる。
一回読んでわかったつもりかなと思って、ちょっと時間を空けてね、読み直したりしてるんですよ。
どんな本かというと、東京大学の国文広一郎先生のですね、手段からの解法、その名もその通り。
これ読んでて、海に楽しむとはどういうことか。
カントの哲学をヒントにして、現在の、現代の病理に迫る。
白日の東大講義って書いてあるんですけど、新聴新書のね、シリーズ哲学講座、講和?すいません。
なんですけど、この本をね、何回か読み直しています。
でね、なんか教授っていう言葉が結構出てくるんですよ。
ふんわり、今を楽しみましょう、みたいな話ではないんですね。
もっと、なんだろう、細かなところをついてくれるっていうか、ちゃんとね、さすが、私が言うまでもないんですけど、現代の病理を見ているなと思って。
私は読んでいて、かなり思ったんですよね。
今の社会って何をしてもすぐ、それ何の役に立つのとか、目的を見るじゃないですか。
例えばね、休む、明日のパフォーマンスのため、本を読む、教養のため、散歩する、健康のため、寝る、生産性のため。
いや、いいんですよ、いいんですけど、ちょっと待って、みたいな。
こっちはただ寝てるんであって、明日の構成のプロジェクトを遂行してるわけじゃないんですよ。
で、なんか窮屈じゃないですか、だって生活してるだけで。
でも自然に、何かのためが強すぎると、何が起きるかっていうと、
人ってそのうち自分自身まで手段として扱うようになるんですよね。
早く決めなきゃ、役に立たなきゃ、止まってちゃだめ、迷ってちゃだめ、
常に前進、常に稼働、常に返答、みたいなね。
何でしょうね、これ。人間に求めるスペックが多すぎる。
しかも全部当然みたいな顔をしてきてね。
私これ、なんか早く決めなきゃ役に立たなきゃじゃないけど、
スタンドFMで1000回以上配信している中で、
起きなきゃから始まる1日っていうお話をしたんですよ。
起きることさえタスク、いやタスクなんだけど、
なんか苦しいなって思って、何々しなきゃ。
起きなきゃは一例に過ぎないんだけど、
なんかこう借り立てられるような生活をしてたなっていうのを思い出したんですよ。
本当に怖いのは、最初は外から来た圧だったんですけど、
そのうちそれが内在化、内面化することなんですよね。
私も別に誰かに言われたわけじゃないけど、
言われたりするけど、出過ぎてると、
起きなさいみたいなね。
誰かに急かされた。役に立てと言われた。
止まるなと言われた。
なんかその圧がだんだん中に入ってきて、
ある日もう誰も何も言ってないのに、
自分の中から何かが勝手に命令してくるんですよね。
はい教授、はい即答、はい前進、みたいな。
なんかもう脳内ブラック企業なんですけど、
でも本当そうなんですよ。
外圧がね、うちなる声みたいな顔をして、
平気な顔して住みつくっていうね。
もう厄介。
「手段からの解放」と自己への優しさ
で、私はここにかなり大きな問題があると思っています。
自分を手段として扱うって結局、
自分を使いつぶしてもいいものとして扱うことだと思ってるからです。
わかります?
自分を使いこなして、何て言うんだろう。
なんかすごいきつい言い方すると、
自分を奴隷化するというかね。
使いつぶして、それでいいっていうね。
自分に優しくする来生的な文脈とは、
ちょっとかけ離れてると思ってるんですよね。
例えば今日はしんどいとか、
頭が回らない、判断できない、
病気になっちゃった、不安も強い。
でも返さなきゃ、決めなきゃ、役に立たなきゃって、
なんかすごく現代的なんですけど、
かなり危ないなと思ってて。
なぜなら、今の自分を全く見てないからです。
正確に言うと見てはいるんですよ。
しんどいとかね。
あーまずい、もう無理ってわかってる。
それでもなお、使用を止めない。
そこが問題なんですよね。
私は自分に優しくするって、
ずっと気分の話ではないと思っていて、
アロマを炊けば解決する問題じゃないと思ってて、
なんかご褒美とかね、ふんわり癒しとか、
それが悪いわけじゃないんですけど、
そこに回収したくないなっていうのがずっとあって、
むしろ自分を雑に使用しないこと、
自分を批判し続けないこと、
そこが肝なんじゃないかと思っているわけです。
この雑にが大事なんです。
手段からの解放という言葉がここで聞いてくるんですよね。
「今日は決めない」という主権回復
私はこの本はね、人間を何でも目的と
手段の回路に入れてしまう生き方に対する
批判として読んだんですよね。
人間を目的と手段の回路に入れてしまう生き方。
それに対して批判していると。
何でも役立てる。何でも回収する。
何でも意味づける。何でも成果に変える。
それって一見ちゃんとしているように見えるけど、
そのうち人生からただ受け取る。
この本で言うと享受するっていう言葉なんですけど、
消えていくんですよね。
なんかポッドキャスト止まった原因も
ちょっとここにあるんじゃないかなって考えてて、
今日はちょっとそれは置いておくんですけど、
いきなりね、享受の話までは今日はしません。
そこを急ぐとそれこそ雑になるから。
いきなりじゃあ楽しみましょうじゃないんですよ。
そんな簡単な話なら誰も困ってない。
まず必要なのは手段になるのをやめることなんですよね。
ここで出てくるのは今日は決めないという言葉です。
今日テーマね。
私はこれただの保留じゃないと思ってます。
今日は決めないって今の自分を即答機会みたいに
使うのをやめることなんです。
結構これかなり大きいと思ってて、
だって現代って返事が遅いだけでちょっと人格まで
疑われる空気あると思うんですよ。
早い回答、早い決断、軽やかな処理。
全部できる人がちゃんとしてる人みたいな、できる人っていうね。
実際できるのかな。
よくわかんないけど、そういうふうに見えるじゃないですか。
いやいや、そんなの条件が揃ってる日にしかできないこともあるじゃないっていうね。
それを毎日標準装備みたいに求めるのは雑なんじゃないかなって。
だから今日は頭が回らない。
今日は決めない。
今日はこの件を動かさない。
今日は自分をこれ以上目的のために酷使しない。
こういうふうに決めるのは怠慢じゃない。
むしろ使用停止って決めることなんですよね。
もうこれ以上は無理に稼働させないよ。
そこから始まらない日があってもいいよねって。
私それはかなり重要だと思っています。
いきなり自由にならなくていいし、
いきなり教授の話とかしなくていいし、
いきなり人生を愛せとか言いません。
まず自分を道具、道具?
自分を道具化する道具みたいに扱うのをやめるっていう話はそこからなんですよね。
生き延びるための哲学としての「今日は決めない」
シリーズでおいおい伝えていきますけど、
ここまで来ると当然次の問いが出てきます。
でも自分が判断に向いてない状態ってどうやって見抜くの?っていうね。
ここ飛ばしたら話はキレイごとで終わってしまうので、
次回は今日は決めないは逃げではなく主権回復であるという話をします。
しかもちゃんと運用に落とし込みます。
思考停止、判断不能、追い詰められた。
そのチェックリストを作ったんですよ、自分のために。
すごいポンコツなんで、自分がね。
哲学を話してるのにチェックリストが出てくるっていうね。
そこまでいかないと生き延びる話にならなかったんですよ。
自分ごととしてはね。
ということで今日は、自分を手段として使い続ける回路から降りること。
それが生き延びるための最初の哲学なんじゃないかなという話をしました。
役に立つことが悪いんじゃないし、目的を持つことが悪いんじゃない。
でも何から何まで手段にすると、人は自分の命まで業務にしてしまう。
それってやっぱりまずいんじゃないかなって思ったんです。
さあ次は、生き延びるための哲学2回目です。
今日は決めない。
主権回復としての保留について具体的なお話をしてみたいと思います。
ぜひ次回もお付き合いください。
そして番組を気に入っていただけたらフォローしてくれると嬉しいです。
それではまた次回の配信でお会いしましょう。
またね。