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こんばんは、そしてお目覚めの方はおはようございます。自分に優しくする™︎ラジオソフィーです。この番組は、都内某所の1LDKをキーステーションに、世界へ発信しております。
一回行ってみたかったの。さてさて、今日は群れない人の戦略という話をします。
これ、ノートの記事にシリーズで、前書きから第10章まで連載として書いていました。
これね、なんかちょっと誤解されやすいかなと思ったんですけど、群れないって言うと、なんかこう冷たいとか、ひねくれてるとか、
強調性がないとか、なんか拗ねてるとか、割と雑に処理、処理、
処理されがち、なんかすごい噛んじゃうの。最近ね、あの一発撮りで無編集でBGMをつけずにやってるんだけど、
結構久しぶりに喋ったら滑舌甘くなってて、なんか今までは、あの全部文字起こしとかした時に、
誤字雑字なかったんだけど、なんか発声とか滑舌とかなんだけど、
ちょっと自然に喋ることを意識したら、めちゃくちゃ誤字雑字になってて、まぁいっか、すぐ脱線しちゃう。
いやだからね、群れない人の戦略ですよ。でね、なんでこのタイトルで、このテーマで書いたかっていうと、
なんか自分自身が、なんか症状として、社会が怖いとか、なんか人が怖いとか、
なんか信じられないとかあったり、なんか昔から、小学校の時からとか、なんかトトを組んだりするのがすごい苦手だったんですよ。
で、なんかそういう人いるかなと思って、でもなんかそういう人はそういう人なりに生きていけるだろうかっていう問いをね、立てたんですよ、自分で。
でも人って昔から所属することで生き延びてきたじゃないですか。所属の欲求とかもあるし、
でまぁ、群れそのものは安全を与えるし、情報もくれるし、孤独のね、不安も和らげたりする。
だからなんか、どこかに属していることがいいこと、みたいに扱われやすいし、実際メリットもあると思ってて、
これ自体は別になんか何ら問題はないんだけど、ただなんかここに一個、見落とされがちなことがあるんじゃないかなって思って、
意外と群れってそんな無償で安全をくれるわけじゃないんじゃないかなって、
つまり群れには群れのコストがあると思ったんですよ。
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目に見えにくいけど、かなり高いコストがあって、なんかそのコストを全然平気で払える人もいると思うんですけど、お得意な方は。
例えば空気を読むこともコストだったりするし、苦手な人にはね。
あと誰が決めたのかわからない暗黙のルールに従うこと。
名文化されてない期待に応えること。
波風立てないように自分の違和感を飲み込むこと。
あとはその場の秩序のために自分の感覚を後回しにすることとか。
なんか全部思い当たるコストなんですよね。
でもなんか不思議なことにそういうコストって払える人が大人だねみたいな、なんかそういうふうに呼ばれたりして、
逆に違和感を持つ人が面倒な人、面倒くさい人、協調性がない人みたいに見られることがあるけど、
なんかそこに違和感を持って発言できない環境ってそもそも健全じゃないんじゃないかなって思ってるんですよ。
なんか心理的安全性が担保されてないんじゃないかなと思ってて。
だから私はここちょっと、なんていうのかな。
意外と現実を、なんかおかしいと思っている人の方が意外と現実を見ている場合もあるから、
例えばルールが曖昧な場所であったり権限の所在がはっきりしない場ね。
言ってることとやってることが違う人がいる場。
人によって扱いが違う場。
みんな仲良くと言いながら実際には声の大きい人だけが得をする場。
なんか結構声でかい人の意見通りやすいじゃないですか。
こういう場所に入った時に、なんかやっぱすぐになじめない人もいるんじゃないかなと思って。
なんかでもそれって社会性が低いとかじゃなくて、危険察知が危険察知能力が働いてるだけのことがあったりするんじゃないかなと思ってて。
でもその感覚って意外とかなりまともなんじゃないかなって。
その群れない人って別に人が嫌いなわけじゃなくって、
ここよく誤解されるんだけど誰とも関わりたくないとか、愛情とか愛着がないとかそういう話じゃなくって、
雑な接続コストがかかりすぎるっていう見積もってる、そういうことを知ってる人だけだと思ってて。
もちろん個人によるんですけど。
繋がればいいわけじゃないし、人数が多ければいいわけじゃないし、
にぎやかだから健全とも限らないし、むしろにぎやかな場所ほど説明責任が消えたり、空気が暴力になったりすることもあったりするから、
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なんか群れない人は接続を拒んでるんじゃなくて、関係の質を選んでる人もいるんじゃないかなって。
これすごい大事なことだと思ってて。
なんでかっていうと、私たちは孤独は悪いものだとか良くないって教えられて、どこからか擦り込まれて、
孤独と孤立は違うと思うし、また孤独感も違うし、
実際に人を壊すって孤独そのものっていうよりも、やっぱ尊厳を削る関係だったりするんじゃないかなって。
私尊厳も自分のテーマなんですけど、
例えば自分の境界線が無視されるとか、説明のつかない圧力があるとか、
機嫌とか空気で物事が決まったり、断ったりすると冷たい人扱いされたり、
言語をすると消耗してしまうっていう人もいると思うんですよね。
こういう接続の仕方の方がよほど人を壊すことがあると思ってるんですね。
だから私は繋がることそのものを善とは思ってなくて、問うべきなのはどう繋がるかなんですよね。
ここでちょっと大事なのは、群れないことを美学にしすぎないっていうね。
一応何か書いてて反省とかもして、ここ結構重要で、群れない人の話をするとたまに私はここだからとか、
分かる人だけ分かればいいみたいな、そういう方向に行きやすいんだけど、
私はあんまりそれには乗ってなくて、できるだけニュートラルでいようと思ってるんだけど、
だってなんか群れないこと自体には価値保証がなくて、単にこじらせてるだけのこともあるし、
回避、どうしようもなくて回避する人もいると思うけど、回避だけで終わることもあって、
だから群れないことそのものを深刻化?何ていうか、あがめるとちょっと危ないと思ってるんですよ。
だから必要なのはここっぽい雰囲気ではなくて、群れなくても壊れない技術なんですよね。
なんです。だからここが今日の本題で、群れに依存しないならその分だけ別の能力がいるっていうことですよね。
例えば観察力であったり境界線であったり、自分の違和感を過小評価しない、
微小化しない力、あとは一人で回復する技術、一人じゃなくても依存先をたくさん増やして、
インデックスみたいなポートフォリオを持つとか、あと少人数でもだから信頼できる相手を見極める目。
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これがないと群れないことはただの孤立になって、逆に言うとこれらがあると群れなくても生きていけるんじゃないかなって。
私はここをかなり真面目に、コミュニティとかが乱立してるってこともあるし、
真面目に考える必要があるなって、自分の課題でもあるなっていうのがあって、
自分ができてるっていうよりも、番組とかノートとかXとかでもそうですけど、
全然万能感というか、自分ができていないからこそ言い聞かせてるっていうのもあって、
世の中って群れる人に向けて設計されてるんじゃないかなって思ったりして、
雑談が上手にできる人とか、場のノリに乗れる人とか、多数派のテンポに合わせられる人、
なんか言語をすることに違和感がない人とか、そういう人がね、
なんか自然に多数みたいになってる設計っていうか、なんかそういう状況になってるんじゃないかなと思うんですよ。
だから群れない人は自分の側で設計し直さないといけないと思ってて、
待っててもぴったりの環境が向こうから来ることあんまりないし、
ここで厄介なのが群れない人って、自分を責めやすい人もいるんじゃないかなって、
なんか馴染めないことで自分が変なんじゃないかとかね、
自分の感じ方が過剰なんじゃないか、考えすぎなんじゃないかとか、
みんなできてるのになんで私は空気が読めないんだろうとかね、
でもなんか私はそこも丁寧に見た方がいいと思ってて、
本当に適応できてないのか、それとも適応コストが高すぎる環境を見抜いているのか、
ここは全然違う話だから。
なんか社会人になった人もいれば、大学に入学した人もいればとか、
新しい環境に4月だから馴染めないっていう人も早速いるかと思うんですけど、
いやもうしんどいだろうなと思って。
無理して合わせてる人の方が健全に見えてしまうんですよね。
でも合わせた結果として自分の感覚が死んでいくなら、それは健全じゃない?
自分にとって健全ではないなと思って。
結構私も何か合わせてて、家に帰ってドッと疲れたっていうことがあるんで、
私は群れない人の知性。
この群れない人の知性ってこのコスト計算の正確さにあると思ってるんですね。
だから何に入るかだけじゃなくて何に入らないかを判断する。
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そういう自分の判断基準を持つ。
これかなり重要だと思うんですよ。
どこでも人間関係を作れる人が強いみたいな価値観ってあるけど、
これは半分当たってて半分そうでもないんじゃないかなって思ってるんですよ。
本当に強いのは入ってはいけない場所を見抜ける人だと思うんですね。
入るのは危険ですよ。
それを察知できて実行できる、判断して実行できる人。
何でかっていうと入ることの失敗って後から回収するコストが結構大きくて、
仕事でもコミュニティでも恋愛でも人は入った後出にくくてそこに削られる。
だから入り口の判断って結構大事だと思うんですよね。
今日話をここまで聞いてくださって、
たぶんじゃあ具体的にどうすればいいのって思った方もいると思うんですよ。
ここから先は抽象論だけど役に立たないみたいな。
だからこのテーマについては続きとして、
群れない人が自分を守りながら社会と関わるための実効性のあるシステム、効果があって、
実効性って2つあるじゃないですか。
効果がある方と行動する方と、
その実務を有料記事なんですけど、ノートにまとめてあるんですね。
そこでは結構踏み込んで、
群れなくていい場面と完全に離脱すると不利になる場面の見分け方であったり、
自分の違和感が妥当なシグナル、
サインなのか過去の傷の反応なのかをどういうふうに見分けるかとか、
群れない人が持つべき最小限のインフラ、
人付き合いをゼロにしなくてでも自己侵食も起こさない距離はどうやって築いたらいいのかなとか、
群れに入らない代わりに何を鍛えれば生存可能性が上がるのか。
やっぱり群れは生き残る術としてもともとあったものだからね。
この辺りをかなり具体的に書いています。
無料で公開できるところは公開してあるし、
今日も話したけど正直このテーマは分かるで終わるとあまり意味がないんですよね。
実際の生活の場面でどういうふうに運用するかまでいって、
初めて武器になるから。
だからもし今日の話がこれは自分の問題でもあるなとか、
こういう技術磨きたいなとか、
ただの性格の話じゃなくて生き方のデザインの話なんだなとか、
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そういうふうに聞いてくださった方は続きの記事をぜひ読んでみてください。
たぶん慰めよりは役に立つと思います。
少なくとも私はそういうつもりで書きました。
やっぱり実効性のないこととか抽象的なことだけでは解決されないこととかもあるから、
埋めれないことは欠陥ではありません。
でも放っておくと孤立、
孤立、何て言ったらいいんだろう。
何て言ったらいいんだろう。
何か必要なのは個々の演出じゃなくて、
だから戦略、無理ない人の戦略って書いたんですけど、
戦略だと思ってて、自分をすり減らしてまで所属しなくていいし、
無理に、でもただ身を引けばいいっていうわけでもないし、
もう社会って難しい。
その間にある現実的な生存技術、
技術ですね。
それを私は考えたいっていうふうに思っています。
この番組では自分を殺に扱わないための視点や尊厳や境界線を守りながら生きるための考え方を扱っています。
よければノートの講読、そして続きが気になった方は、
記事の方もね、他の記事の方も読んでみてください。
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それでは、ここまでお付き合いくださってありがとうございます。
また次回お会いしましょう。
またね。