スティグマとは何か:ラベルを超えた社会的反応
自分に優しくする™︎ラジオ。この番組は、DoでもHaveでもCanでもない、Beの私たちを祝福しようもコンセプトに、しなやかな筋肉のような心を目指す番組です。
皆さんこんにちは、パーソナリティのソフィです。
今週は、アーヴィング・ゴフマンのスティグマの社会学を補助線にして、スティグマとは何かを整理していきます。
スティグマとは単にラベルを張られることではありませんでしたね。
社会や他者が持っている、この人はこういう人だろうという期待された人物像と、実際に認識された属性とのズレによって発生する社会的反応です。
今回は、説明する前に判断されているというお話です。
これ見に覚えがある方いらっしゃると思います。
何かを話す前に、もう相手の中で自分の位置が決まっている感じ。
説明する前に、あの人ってこういう人だよねーと読まれている感じ。
こちらが何を知っているか、何を経験してきたか、どんな文脈を持っているか、そういうことを話す前に、見えている情報あるいは決めつけだけで、すでに扱いが決まってしまっている。
無意識の判断:無職、離婚、生活保護の例
この人たちが何を知っているか、その人たちの生活を知らないまま何かを思い浮かべます。
例えば、誰かが無職だと聞いたとき、私たちはその人の生活を知らないまま何かを思い浮かべます。
働いてないのかな?
無職だから働いてないんですよ。何をしている人なんだろう?働けないのかな?何があったんだろう?とか。
しかも、1ヶ月とかだったら笑えるっていうか、私無職だったんですよ、みたいな。
無職って、何て言うんですか、役所とかの欄に1回書くことはネタになるけど、3年無職ですとか言うとちょっと笑えなくなってくるみたいな。
この境界って何だろう?とか思ったりもしたんですけど、一つの具体例として働いてないっていうことね。
その時点でまだ何もわかってないのに、もうすでにいくつかの絵が勝手に浮かんでしまうんですよね。
そしてもう一つ、例えば誰かが離婚したと聞いたとき、今の時代ね、そんなに珍しくないかもしれないんですけど、
もめたのかな?何があったのかな?性格に問題があるのかな?とか、これもまだ実際のところ何が起こったかはわかってないんですよね。
でも私たちはすぐ勝手に物語を作ってしまいます。
あとは、例えば誰かが生活保護を利用していると聞いたとき、お金に困ってるんだな、とか制度に規制してるんだな、なんていう人もいますよね。
でもその言葉の内側に何があるかはまだわかってないんですよね。
もしかしたら、お外で寝なくてよかったって泣いてるかもしれないし、
誰にも怒られないで過ごせるんだって安心してるかもしれないし、
よしここから生活を組み立て直そうって気合を入れてるかもしれないし、
そういう具体的なことは生活保護というラベルだけでは見えませんよね。
でもラベルは入り口になることはあっても、そのラベルだけではその人の実態は見えません。
評価を手放し、相手の現在に留まることの重要性
私たちはラベルで瞬間評価をしてしまいます。
自立しているしていない、賢い賢くない、努力しているしていない、語っていい人、語る資格がない人、こういう勝手な評価が瞬時に出てきます。
私は評価を手放し、相手の現在に留まって話を聞くというボランティアをしています。
評価を手放すとはレッテルを貼らないこと、決めつけないこと、
頭の中で浮かび上がる自分の決めつけ、雑音を鎮めて話を聞くことなんですね。
その人にはその人の事情がある、その中で精一杯生きているのだから、
その人の現在に留まって評価をせずに聞くということなんですけど、
そうすると不思議と自分も癒されるんですよ。
やっぱり評価ってグッと緊張が走りますよね。
もちろん会社とかそういうアセスメント的な病院とかもそうですけど、
そういった客観的指標で評価するっていうことは必要なんですけども、
それ以外の日常生活の場面のことを私は言ってるんですね。
「無職」や「主婦」の背景にある多様な事情
ちょっと話を戻しまして、例えば無職ね。
この言葉を見た時にすぐ怠けている、社会から外れているっていうふうに読むんじゃなくて、
療養してるかもしれない、介護してるのかな、子育てが忙しいのかな、
生活を立て直している途中なのかな、転職の途中なのかな、休む必要があるのかもしれない、
何かを失った直後なのかもしれない、何かを始める前なのかもしれない。
こうやって具体的に見ていくと、無職という一語では補えないことがわかりますよね。
次に主婦です。ちょっとポンポンいきます。
この言葉も人によってはいろんな見方があると思うんですよ。
外で働いていない人とかね、家にいる人、いいなと思う人もいるかもしれないんですけど、
その内側を具体的に見ると、結構多くの判断があるんですよね。
よく言われていることですけども、もうちょっと各の各じゃない、いうのがたくさんありすぎますね。
ひっくり返し様々な判断が毎日の中にあるわけですよ。
でもそれは名字になりにくいし、職歴になりにくい、評価シートに乗りにくい、数字になりにくい。
それをね、何もしてないというふうに断罪する人もいるんですよ。
主婦は偉いという話じゃないんですよ。偉いかどうかではなくて、事情があって何かが行われているっていうふうに捉える。
資格や肩書きと経験の区別:見えない知見の尊重
ではもう一つ、資格や肩書きについて考えてみましょう。
例えばある人が美術が大好きで、世界中にある大小様々なミュージアムアートを自分で歩いて肌で感じて、経験値として積み上げてきた。
そして学芸部でも勤務し、学芸員さんにいろんなことを教わりながら、自分が持っている、探求している知識も深めていった。
そういった経験がある。
一方規模にかかわらず、美術館の学芸員なら私たちは聞き入れやすいです。大学の先生なら専門家として受け入れやすいです。
本も出している人なら語る資格があるように思います。
では肩書きが見えない人が話していたらどうでしょうか。
この人は資格がない、専門家でもない。語っていいのか、そういう問いを向ける人がいます。
もちろん専門性を確認することは大事です。信頼につながります。学芸員、研究者、医師、弁護士、教師、技術者、専門職には訓練があります。責任と積み重ねがあります。
決して、もちろん軽く扱いません。
ただし、ここで一つ分けたいことがあるんです。資格があることと経験があることは同じではありません。
資格があることは信用を可視化します。でも資格がないことは経験がないことの証明にはなりません。
肩書きがないことは観察していないことの証明にはなりません。
所属がないことは知見がないことの証明にもなりません。
私たちはここを混ぜてしまうことがあります。資格がない、だから知らないはず。肩書きがない、だから語ってはいけない。所属がない、だから信用できない。
でも、その人が何年も現場を見てきた可能性があります。
恋愛で情報は何でも取れるようになりました。しかし、場所、空気、動線、展示、会話、そういったことを経験値として積み重ねてきた人もいます。肩書きだけでは見えないことです。
語る資格があるかないかという評価にすぐ入る前に、この人は何を見てきたのか、何を観察してきたのか、どの文脈を持っているのか、どんな体験をしてきたのか、その事情があることを忘れないでほしいです。
スティグマが具体性を消す:内側の事情を忘れない
スティグマはこういった具体性を消してしまいます。
ラベルだけが前に出ると、その内側で何が行われているのかが見えにくくなってしまいます。
内側にある具体、つまり事情があるんです。
次回からは、こうした情報管理の負荷についてお話ししていきます。
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ここまでのお相手はソフィーでした。