価値観の再評価
皆さん、おはようございます。わだきなこです。久々にワイヤレスマイクを使って放送を撮っております。ドライブしながらのワイヤレスマイク収録、ちょっと懐かしさを覚えつつ撮っていこうと思います。よろしくお願いします。
さて、今日のトークテーマは何ですけど、その違和感や価値観は捨ててもいいかもしれないというお話でやっていこうと思います。
私は2歳の男の子と女の子の子育てをしながら活動しております。漢方ライフコーチです。漢方の考え方と対話というものを使って、クライアントさんが本当にしたい人生を手に入れるためのお手伝いをさせていただいております。
現在はおかげさまで国内外のクライアントさんと仲良くやりながら、正規を立てさせていただいております。突然、ダミダミ声になってきました。すいません。
昨日、クライアントさんのお茶会というのをしたんですよ。毎月私がクライアントさんたちと集まって、そのとき考えていること、悩んでいること、あんまりガチッとテーマは決めるときもあるんですけど、決めすぎずにそのときの流れに合わせて、お茶会なんですね。
楽しみながら、そういうこと。そのとき考えていることをみんなで話し合って、私一人だけじゃなくてクライアントさん同士が関わるからこそ生まれるね。
本当に交互のセッションみたいな感じですね。それが結構楽しくてね。
昨日、いろんなテーマが出てきて、それは面白かったんですけど、そのうちの一つ、まずはアウトプットしていこうかなと思うのが、自分的に自分のここって良くないよねとか、自分のここって人と比べて劣ってるとか、
あとは、自分ってこういう良くないところがある。主にネガティブな要素を含んだ私の解釈っていうところ。
それって、もしかしたら、あなた自身の解釈がそうかも。もしくは他人の第三者の評価をそのまま素直にインストールした結果であって、実はそれだけが唯一無二の正解じゃないかもよっていうことが、その価値観っていうのは捨ててもいいやつかもしれない。
それを捨ててしまったほうが、あなたらしさっていうのは本当は爆発するんじゃないのっていうふうな、私の昨日の解釈ですね。
何があったかというと、とあるクライアントさんが昨日のお茶会でボソッとおっしゃった一言が、私すごく印象的だったんです。
それが何かっていうと、いやでも私と結構いらんこと言っちゃうんですよねとか、余計なことをつい言ってしまって、その場のみんなにちょっとえって言われて。
小さい時に学生時代ね、何々さんって、なんかこうちょっと天然だよねというか、その言い方が私の解釈ですけど、尊重に可愛らしいという意味の天然もあったかもしれないけど、
少なくともそれは話している時のクライアントさんの気まとっているオーラっていうものが、それを危機として話している感じではなかったんですよね。
どちらかというと、私のそういうところってどうやらネガティブなところ、よろしくないところ、ついついいらないことを言ってしまったり、どうやらみんなが求めていることと違うことを論点がずれているようなことをどうやら言ってしまうみたいでっていうふうにおっしゃったんですね。
それを詳しく掘っていくと、学生時代そういうことがちょこちょこあったと言って、天然と言われたりだとか、それこそご自身が余計なことを言っちゃうんですよねっていうふうにおっしゃってたんですけど、それが余計なことかどうかってわからないじゃないですか。
確かにその場にそごわない発言もあるかもしれないけれども、その余計なことって誰が決めたのっていう解釈だと思うんですね。
その時に、例えば本当に3人で喋っていたとして、自分一人がほっと言ったことがちょっとえっってなるようなことをやったとしても、実はそれって違う視点で物事を見ているからこその解釈っていうこともあるじゃないですか。
だから残りのAさんBさんとは違ったところで、でもこういう考え方もあるよねって言われたことに対してえっっていうふうに言われたことだったとしたら、それって余計なことじゃないと思うし、ずれてるようなことでもないと思うんですよね。
どういう出来事があってそういうラベリングをしてしまっているのかは本当によく掘ってみないとわからないんですけれども、昨日はお茶会3人で喋ってて、その当人のクランチさん以外のもう一人のクランチさんと、えっそれって余計なことかなと。
何ならとその方はね、私は結構自分がねつよつよだから、いや私はそうは思わないよって普通に言って、結構ブロックしたりすることもあるけど、でもだからこそ生まれる視点とかもあるんじゃないっていう話になって、それで最初に出てきたクランチさんが、あっそうかとなるほどかと余計なことじゃないかもしれないのかっていうところ、これがね一つの私としては新しい発見だったですね。
余計なことの再定義
っていうのが私も昔、仕事をするときに誰かのためを思って一生懸命自分は夢中になっているわけですよ。でもそれがいつもね、そのときに上司には言われてましたね、あの余計なことをするなと、そんなことをしなくてもいいと。それは上司の解釈なんですよ。だから上司の解釈までを否定するつもりはもうとはありません。
ただですよ。それでじゃあ私の仕事っぷりっていうのは常に余計なことをする、いらんことをする、価値のないことをするかといえば全然そんなことないんですよね。それは上司の世界から見て、そしてその業界によっては余計なことかもしれないけれども、その余計なことが私の仕事になってるんですよ。こうやって喋ることも含めてね。
だからそのクライアントさんがご自身でおっしゃった、ついいらないことを言うとか、ずれてることを言うとかね、確かにその世界の中ではね、当時のお友達の会話の中ではそうだったかもしれないけど、ちょっとね、企画的な解釈も加えると、そのクライアントさんが持ってる星パワーっていうのがね、資産がすごい高い星を持ってるんですよ。
だから普段から、例えば小学校1年生同士の会話でも、通常の小学校1年生とは違った目線、例えば小学校1年生同士の会話が地上だったとしたら、ちょっともうちょっと高いところから、山の上あたりからその現象を見ていると。
地上では見えなかった世界が、山の上からは見放しがいいから見えるからね。それをサクッと言えるっていうのは、それは余計なことではなくて、その方の資産が高いが故に出てくる視点、アングルっていうことなんですね。
それは誰かの悩みを突破することにもなるかもしれないし、時には価値ある鋭い指摘として、そのクライアントさんの将来のクライアントさんをお救いできることにもなる。
だから、それは全然潰さなくていい価値観だし、何ならむしろね、その余計なことって言ってたことは、それは塗ってしまっていいんじゃないか、その書き換えをする時期なんじゃないのっていうようなお話をしてたんですね。
入学さんを追加しました。
もしこれを聞いてくださるあなたが、自分のこういうところってイケてないんだよなとか、ついこういうところあるんだよなっていうところを振り下げたときに、そのなぜそう思うのかっていうところを振り下げたときに、誰かとの思い出がそこにあって、
自分はよかると思ってやってたけど、第三者にこれって余計なことだよとか、なんかずれてるよとかって言われた経験があって、その第三者の評価をそのまま自分の評価に上書き保存してる可能性がないかなっていうのをね、ぜひ振り返ってみてもらえたらなと思います。
ぜひやってみてください。
はい、ということで今日は短いですが、この辺で終わりにしたいと思います。またねー。