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自分に優しくする™︎ラジオ。この番組は、DoでもHaveでもCanでもない、Beの私たちを祝福しようもコンセプトに、しなやかな筋肉のような心を目指す番組です。
皆さんこんにちは、パーソナリティのソフィです。
今週は、アーヴィング・ゴフマンのスティグマの社会学を補助線にして、スティグマとは何かを整理していきます。
スティグマとは単にラベルを張られることではありませんでしたね。
社会や他社が持っている、この人はこういう人だろうという期待された人物像と、実際に認識された属性とのズレによって発生する社会的反応です。
今日は、そのズレについて話していきます。
特に、普通からズレたとき、何が起きるのか。
まず、普通という言葉について確認します。
ここで言う普通は、社会の中で説明なしに通用している人物像のことです。
大人なら働いているだろう。
健康そうに見えるなら、大きな問題は抱えていないだろう。
明るく話してるんだったら、深刻な傷はないだろう。
こういうだろうですね。勝手な。
このだろうが、社会の中では普通として働きます。
そして、この普通は多くの場合、説明されません。
みんなそうしてるから普通。
当然、親なら当然とか、働けるなら当然。
こんなふうに、当然とは説明されないまま基準になります。
でも、この基準から外れる属性が見えたとき、相手の中で認識が組み替わります。
例えば、明るく話してる人がいる。
話が面白くて、知的に話せて、ユーモアがあって、人前でも話せて、仕事の話もできる。
でも、その人に精神疾患の診断があると知る。
すると、相手の中で何かが変わることがあります。
診断名を知った瞬間に、それまでの人物像とは違う、別の問いが立ち上がる。
良い悪いの話をしているんじゃなくて、その時に本当は無理をしているのだろうか。
どこまで話していいのだろうか。
配慮が必要なのだろうか。
今まで見えてた姿はどう理解すればいいのだろうか。
ここで起きているのは、単なる情報の追加ではなくて、
普通だと思っていた人物像が組み替えられるということなんですね。
例えば、無職であったとします。
大人なら働いているだろう。働ける年齢なら収入があるだろう。
社会参加しているだろう。自分の生活を自分で支えているだろう。
こんな普通があると思います。
ここに、無職であるという状態が見える。
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すると相手の中で認識が変わる。
なぜ働いていないのだろう。働けないのか。働かないのか。
何か事情があるのか。生活はどうしているのか。
ここでも、無職そのものがスティグマなのではありません。
無職という状態が、大人なら働いているはずという普通とぶつかった時に、
スティグマとして作用する可能性が出てくるということです。
ここで大切なのは、普通からずれた人だけが説明を求められるということです。
働いている人は、なぜ働いているのかを毎回説明しませんよね。
あとは、精神疾患の診断名を明かしていない人は、
なぜ診断名がないように見えるのかを説明はしません。
でも、普通からずれたように見える人は、説明を求められることがあります。
なぜ働いていないの?
なぜ生活保護を受けたの?
なぜ病気なの?
なぜそんな経験をしたの?
そんなふうに、ここに非対称があることがわかります。
普通の側は、説明を免除されます。
なぜなら普通だから。
普通からずれた側は、説明を求められる。
これは、ご不満的にかなり重要で、
社会の中で誰が説明なしに通用し、誰が説明を求められるのか、
そこを見る視点でもあります。
そして説明を求められる側になると、
人は自分についての情報を管理しなければならなくなります。
言うか言わないか、どこまで言うか、どんな言葉で言うか、
誰に言うか、いつ言うか。
これは、また明日詳しくお話しする予定です。
今日はその毎段階として、普通からずれるとは何かを考えました。
普通からずれるというのは、実際にその人が間違っているという意味ではありません。
決してそうではありません。
その場で、当然視されていた人物像に収まらなかったということです。
何も収まらなかったから、悪いとかいいとか、そういうことじゃないんですね。
問題だとか、そういうことじゃなくって、
社会が持っている物語がその人の現実を収容できなかったということなんですよ。
ここ間違えると自分を責めてしまいますので気をつけてください。
私は普通ではないのだろうかとか、私は説明される側なのだろうか、
私は何か問題を持っている人間なのだろうか、
私は相手を戸惑わせる存在なのだろうか、
でも立ち止まってください。
その普通は誰が作ったものなのでしょう。
大人なら働いているはず。
これは誰にとっての普通なのか。
明るく話せる人には深刻な問題はないはず。
これはどんな人間理解なのか。
静止疾患があるならこういう振る舞いをするはず。
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これはどんなステレオタイプなのでしょうか。
ここを問う必要があります。
自然に存在する絶対的な基準ではないんですよね。
ここで言う普通とは、ある社会、ある場面、ある関係の中で
説明なしに通用している概念というか、期待ですよね。
こうであろうという。
だから普通からずれた時に必要なのは、すぐに自分を問題にすることではありません。
全然自分を責める必要はないんですよね。
まずその普通を観察することなんですよね。
何が普通とされていたのか。
私はどの期待から外れたのか。
その期待は妥当なのか。
その期待は誰の都合で作られているのか。
その期待は私の現実を収容できるほど広いのか。
こう問うことです。
例えばメンタルヘルスの話で言えば、社会にはまだ強い普通がありますよね。
私も過去の回で精神疾患への偏見という回を配信しました。
どうぞそちらの方もお聞きになってください。
感情は自分で管理するもの。
苦しみは見えないところで処理するもの。
働けるなら働くもの。
人に迷惑をかけないもの。
例えばこんなふうな普通があるから、精神疾患の診断名やトラウマ経験は、
時々相手の中の人物像を変えてしまいます。
でもそれはその人が間違っているからではありません。
社会の普通が複雑な現実に追いついていないことがあります。
明るく話しながら傷を持っている人がいます。
人前で話しながら内側では崩れそうな日があります。
働きたい意思がありながら働けない時期があります。
人間の現実は普通という物語よりも複雑です。
だから私は普通からずれた自分をすぐに問題として扱いたくありません。
まず普通の方を観察してみます。
その普通は誰を想定しているのか、誰を含んでいるのか、
そして誰を外に置いているのか、ここを観察するのです。
さて今日の結論。
スティグマは普通からずれた人の中にあるものではありません。
社会や他者が持っている、こういう人であるはずという普通の物語と、
実際に認識されたその人の属性とのずれの中で発生します。
だから普通からずれた時に最初にすることは、自分を責めることではありません。
その普通が何でできているのかを見ること、
普通に収まらない自分をすぐに問題として扱わないこと、
明日はここからその情報管理の話に進みます。
普通からずれる属性が見えた時、人は説明を求められます。
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では、自分の情報をどこまで開示するのか、そして沈黙するのか、
そのお話に移っていきます。
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それではまた次の配信でお会いしましょう。
ここまでのお相手はソフィーでした。