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RKB毎日放送ポッドキャストラボ、自分に優しくするラジオ、パンソナリティのソフィです。
この時間は、皆さんにホッとする一時をお届けします。
しなやかな筋肉のような心を目指し、自分に優しくする練習を声で綴ります。
人は、たった一着の服で、人生を語ることができる。
大事な日に着たシャツ、繰り返し洗った部屋着、なぜか捨てられない毛玉のついたセーター。
これは、そんな服にまつわる小さな話です。
着句5センチの記憶。
大学の入学式。私は福岡から上京して、スーツケースの中にはある一着の服を入れてきました。
それは、お宮参り、幼稚園受験から入園式、卒園式、小学校の入学式と卒業式、中学受験、高校、そして今日まで、すべての節目に着てきた服。
着替えるときふと思ったんです。
あれ、これちょっときついかも。
着が最後の5センチだけ上がらない。本当に5センチだけ。
会場まで1時間、外気温8度なのに汗かく私。
この5センチに私の18年間が詰まっている気がした。
食べたパンの数とか、寝る前に食べたプリンとか、全部着に記憶されてるんじゃないかって。
それでもこの服しか持ってきていない。
福岡から東京へ人生の節目に着るべき戦闘服はこれしかない。
ここで諦めちゃダメよって思って息を止めてあげたんです。
チャックを。
あげました。
あがりました。
苦しかったけど、ちょっとだけ姿勢が良くなった気がしました。
あなたの服にもそっと語りかけてください。
きっと静かな物語が返ってくると思います。
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なんてことない太ったって話なんですよ。
マジ焦りましたよ本当に。
めっちゃ急いでて。
やばいチャックあがんないと思って。
本当に焦って。
パッツパツなんですけど。
とりあえず入りました。
ガッチポーズしましたけどね。
今、ポッドキャスト始めてね。
喋り方、一人語り難しいなと思って。
今まで違う音声配信でやってたんですけど、
それって日記みたいなボイスログ的な。
ポッドキャストって資金が高くて、
ちゃんとしなきゃみたいな思っちゃって。
一人語りってどうやるのって。
試しに朗読してみたんですけど、
一つのチャックがあがらなくて太っちゃったよってことも、
いろんな言い方、表現があるなと思いましたね。
今回試してみて。
っていうか太ったんじゃない。
服が縮んだんだって思ってます。
今日はXで温かいメッセージをいただきましたのでご紹介します。
ラジオネームおばあちゃん配信聞いたよ。
収録ボタン押せたねっていうことでありがとうございます。
聞いてくれるの本当嬉しいですね。
タップしてその時間耳を預けてくれるっていうことで本当にありがとうございます。
もっともっと続けていくぞー!
ということで、自分に優しくするラジオ、
今日もやっていきましょう。
今日から3回にわたって自己愛について、
少し違う視点から考えてみようと思います。
第1回目の今日のテーマは
自己愛は内面の倫理なのか?
ということです。
ちょっと急に難しくなったかもしれません。
もうちょっと私は表面的なことよりも奥の奥の方へ
掘っていきたいなっていうのがあって。
第1章は
自己愛を感じるから鍛えるへという内容です。
自分を愛することってどういうことだと思いますか?
ちょっと漠然としてますよね。
ちょっと抽象的すぎますかね。
温かくすることでしょうか?
自分を肯定することでしょうか?
それらもね、確かに大切です。
でも今日はもう1歩踏み込んでみたいなと思いました。
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そこで引用したのはミシェル・フーコーです。
事故への配慮ということで
哲学者ミシェル・フーコーは
晩年の講義で事故への配慮という言葉を何度も語りました。
事故を愛するということは
自分をただ甘やかすことではなく
倫理的に鍛えることだというんですね。
フーコーはこう言います。
倫理とは行為の結果ではなく
事故との関係である。
つまり自分をよく生きようとする技術。
これを持っているかどうかが
事故愛の本質だという視点なんですね。
例えば私は無頓着で全部食事をウーバーで賄っていて
お金があってことがあるんですけど
やっぱりそこは自分を立施して計算して
コンビニに行っちゃダメだよって
スーパーに行くとかね、自炊するとか
自炊が必ずしも一人暮らしにとって
経済的に合理的であるかはさて大きいですね。
いろいろ自分を立施するとか
倫理的に見てどうかなっていう
そういう視点が必要だというふうに言うんですね。
ここでちょっと一緒に考えてみましょう。
あなたは自分にどんな倫理を持っていますか?
それは誰から、何から、どこから受け継いだものでしょうか?
さてここからは私が最もよく語ってきたことです。
事故愛はよく生きようとする態度である。
私たちはつい自分を大切にしよう
ということを感情の問題として捉えがちです。
でも実はそれって生き方の選択そのものなんじゃないかと
私は思っています。
ここで思想の比較をしてみましょう。
アリストテレスと風光について。
例えばアリストテレスは
良い性を習慣づけによって育てるものだと考えました。
つまり事故を磨くことは道徳というよりも
性の技術ということです。
風光はそれを現代にアップデートしました。
権力構造や規範に流されるのではなく
主体的にどう生きるかを問う行為が事故愛だと言っています。
私もそう思います。
事故愛は選び直せるんです。
何度も何度も選び直すこと
それこそが自分に優しくすることだと私は言ってきました。
この視点に立つと
自己肯定感が低いんですという悩みの答え方が
少し変わってくるかもしれません。
どうやって自分を好きになるかじゃなくて
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どうやって自分を育てていくかを考えてみる。
すると感情に振り回されることから
少しだけ距離を取れるんですね。
まとめに入ります。
事故愛とはよく生きようとする覚悟。
それは他の人からの評価でも結果の数字でもない。
自分とどう向き合い
どんなふうに日々を積み重ねるのかという
内面的な倫理の選択です。
最後に一つだけ問いを残します。
あなたはどんな生き方を選んで自分を育てたいですか?
自分を好きになるのは時間がかかってもいいと思います。
でも自分に誠実であることはいつからでも始められます。
そして最も力があるのがたった今、この時です。
次回は事故愛が持てないのはあなたのせいじゃない?
というテーマでお届けします。
ぜひお楽しみに。
今日も素晴らしい日になりますよ。