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RKB毎日放送ポッドキャストラボ、自分に優しくするラジオ、パーソナリティーのソフィです。
この時間は、皆さんにホッとするひと時をお届けします。
しなやかな筋肉のような心を目指し、自分に優しくする練習を声で綴ります。
前回は、自己愛はよりよく生きようとする態度であるという風にして、アリストテレスとフーコーを用いてお話ししました。
社会的にどう生きるかを問う行為、そのものが自己愛だと言っているのですが、
これを聞き返してみて、自分の概要欄に、番組紹介のところに、
DoでもHaveでもCanでもない、Beの私たちを祝福しようという風にあるんですよ。
ここのCanというところ、それができたできないというものさしではからず、
そうしようとする行為、そうしようとする姿勢、そうしようとする態度、
私は態度価値と言って、夜と霧を描いたV.E.Frankelの態度価値というものを信じていて、
それもたびたび別媒体で配信している時にお話ししているんですけれども、
それを信じているんですよね。どういうような試みをしているかということで、
できたできないじゃないんですよね。できなくてもそうしようとしている態度がいいなと思うんですよ。
だから自分はそれを大切にしているんです。しかも、1日4回何時何時何時って言って、
連絡が入るんですよ。入れ墨のように自分に刻み込みたい言葉たちがあって、
それをタイマーで来るようにしてるんですよ。
例えばこのメッセージは、この言葉は、めっちゃ来てるのに、
自分と他人に愛を向けるものだろうかとかね、あとは選択をするっていうこととか、
いろんな言葉をまたご紹介しようかなと思うんですけど、
そういうふうにやって行動してるんですよね。行動っていうか、自分を管理してるの。
なぜかって言ったら、そうなりたいから。
今回はですね、なんか今日私すごい疲れちゃってて、元気ないでしょ?
元気なくないですか?ちょっと移動が多くて疲れちゃいました。
でもね、今日もやるぞ!ってことでね、好きなんでね、やっていきたいと思います。
ちょっとテンションが低いですがお付き合いください。
シリーズ第2回目の今日は、自己愛がないのはあなたのせいじゃない?っていうね、
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構想から考えてみる自己肯定感の正体、探っていきたいと思います。
自己否定をね、個人のせいにしないってなんか斬新な考えだなって思うんですけど、
自分の努力不足なんだろうかとか、性格の問題なんだろうかとか、
自分ってすごいネガティブだよなっていう評価ね。自分が下す自己評価ね。
それってどっから来てるの?って思って。
私の場合は、なんかPTSDとか患ってね、それは症状であって、
性格じゃない、人格ではないっていうふうに言われた時に、
もうパーンと解き放されたんですよ。解き放たれたんですよ。
あ、こんなふうに思ってる自分がいけないのかな?みたいに思ってたら、
だって症状だもの、みたいな。骨折したけど足痛いって思っちゃいけないのかな?
みたいなことなんですよ。骨折した人々が恥じらされてるっていう社会みたいな。
そういうふうに考えることもできるなって極端なこと言うとね。
で、今結構話題になってるっていうか、そこかしこで炎上してるんですよ。
そこかしこで炎上してるところとかもあって、なんか白熱しちゃいますよね。
みんなが癒されなきゃいけないというか、みんなが癒されたいし、
みんなに癒しが必要なんだと思うんですけど、
その社会構想から見たこの無価値観っていうものが、
やっぱ日本ってあるんじゃないかなと思うんですよね。
私は子供の頃は、小学校5年生ぐらいですかね。
カリフォルニアのロサンゼルスとサンフランシスコにいたんですけど、
ものすごい褒めてくれるんですよ。
あなたこの子は宝だわって言って、うちの両親にまでホストファミリーが手紙を書いて、
なんて素晴らしい子なのって。
それまで両親が私のこと本当にクズだなみたいな。
そんなクズだなって正面切って言ったわけじゃないですけど、
厳しい両親だったんですよね。
なのにこんな褒められて寝る前に腕子にキスしてくれるなんて、
どうかしらって思ったんですよね。
で、その後も、
欧州とか東海岸、ニューヨークとか住んで、
あとオーストラリアっても行きましたね。
住みましたけども、
個人をすごく尊重してくれますよね。
人種差別っていうのはこの際置いておいて、
でも、この女の子なんだからとか、
そういった価値観を強要されることはなかったなと思ってて、
例えば日本に限ると、女の子なんだからとか、
こういうね、なんか、私の場合で言うと個人的に賭けられた言葉は、
女の子なんだから勉強はいらない、
女の子なんだから25歳までに結婚しろ、
女の子なんだから、なんて言われたっけな。
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あ、靴を揃えなさい。
カイプロンアリーのグーっと言ったんですよ。
カイプロンアリーのグーって、
あ、なんて言われたっけな
なんか、あ、靴を揃えなさい
家族全員の靴を揃えなさいとかね
うーん、なんだろうな
なんか昨日もね、友達とそういう話してたんですけど
いいよねって、ご主人がね
あの、奥さんが自分でなんか個人授業始めようとしてるんだけども
なんかこう、そんなね、ぐわっとはいかないわけですよ
苦労しながらもやってて
自分の散歩をご主人がしてて
当番って決まってるらしいんですよね
で、あなた家にいるんだったら
やってくれたっていいじゃないと
でも私もいろいろあるのよって言って
家事がね、あったりするわけですよ
で、その中でいろいろやっていていいよなって
遊びじゃんって言われたらしいんですね
これめっちゃあるあるで
遊びとか趣味じゃんって言われるんですよね
だからパートで働く以外はそうだし
勉強に上回ってないともう認められないし
でもキャリアが分断された人ってどうしたらいいの?みたいな
こういうなんかこう枠組みがあって
賃金も低くってなっていて
でもご主人も毎日こう
本当はもしかしたらですよ
これ私の憶測ですけど
奥様みたいに毎日好きなことして暮らしたいなと
で、まあ家事はあるにせよほどほどにして
もう少し楽しみたいなみたいな
会社やだなって思ってる気持ちもあるかもしれないじゃないですか
本当に人には人の事情があって
そういうことが出てきたのかもしれないけれども
こうしたね気づかないうちに
なんか評価の土台っていうのが社会によって
設計されていったのかもしれないなっていう考え方
だから全部全部自分で引き受けて
自分が悪いみたいに思って評価をしてしまうと
本当に生きづらい社会に
生きづらいこう自分みたいな感じで
発泡ふさがりになってしまうと思うんですよね
自分を愛せない人がいる社会は
それ自体が愛を持たない構造を持っている
っていうふうに言った人がいます
自己愛は個人の問題ではなく
社会の問題であるとしたんですね
ここで今日も一つ問いかけてみましょう
あなたが自己愛を持てなかったの時
本当に足りなかったのはあなた自身ですか
それとも社会の眼差しの方ではありませんでしたか
あとはあれですね
社会の眼差しまでちょっと考えられないでしょうね
あの時って言われても
なんかやっぱ詩や教作になってしまったりしますからね
そしてもう一つ
あなたの自己評価は誰の言葉でできている
ということです
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自己愛を築くために大切なのは
自己否定の声の出どころを知ることだと思います
これね私もあの結構何回もね
あれこれってパパがよく言ってたことだなって
なんかそれに気づいて
そことなんか分離することができて
ようやくちょっと楽になったかな
っていうのはあるんですけど
なんか自分が本当に望んでいたことだったのかなって
何々しなきゃもっと笑わなきゃ
もっと明るくしなきゃ
場の雰囲気を崩しちゃダメみたいな
こうしなきゃっていう
そういう言葉が浮かんできて
それって本当に自分が望んでいるかなって
誰かの期待や都合に沿った自分を
演じていただけだったのかもしれませんよね
今日はここで思考的補助線として
エーリッヒフロムに登場していただきましょう
エーリッヒフロムの書籍
読んでいる人たくさんいると思います
生きる勇気から
愛は能動的な力だ
自分自身をも対象とする生きるための意思である
つまり自己愛とは社会の声を突き抜けて
自分の声を再構成する力でもあるんです
これねだから
これって身内が言ってた
一番側でかけられてた言葉だな
自然に刷り込まれちゃったんだなって
それは自分が今でも
必要としてるのかしら
そう同意してね
自分はそれを選択するのかなっていうのを
今一度自分で引き受けて選択して
そして自分の声を再構成していく
私はこれがいいっていう風に
選び取っていくっていうね
選択していくっていう
あるいは自分が書けてほしい言葉
自分が自分に書けたい言葉を
自分で書けていく
そういうことによって自分を積み上げて
自分を作っていくじゃないかなって思います
私はこういう行為を本当に数年間
コツコツやってきましたね
そういうのを何時間おきに毎日タイマーで
目に見えるようにして
刻み込んできました
そして最後の問いかけです
あなたの自己評価は
誰の声でできていますか?
その声は今のあなたに
ふさわしいものですか?
今日はちょっと社会的な視点で
自己愛について考えてみました
面白いですね
なんかやっぱり自分って
社会と関わって生きているんだな
っていう風に感じました
心の内側の問題も
実は外側から埋め込まれていた
という可能性に
少しでも気づいてもらえたら嬉しいです
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私たちは一人で生きていません
そして誰のせいでもないっていうか
特定する
攻撃するような身近な人が
いるわけじゃなくて
その人たちも作られてるっていうことに
気づいて
じゃあどういう社会を
作っていくのかっていうことで
またねそこでいろいろ揉めますけど
難しいですね
とりあえず自分ができることは
自分に対して問うこと
それだけは続けていきたいなと思っています
自分の責任でね
そして次回3回目となります
最終回のテーマは
愛されなくても大丈夫という
静かな強さです
一緒に考えていきましょう
ちょっとね
この3回シリーズが終わったら
息抜き企画というか
息抜きしたいなと思っています
コラボもね
徐々に開始していきたいと思っています
それでは今日も
お聞きくださりありがとうございました
自分に優しくするラジオでは
あなたからのお便りをお待ちしております
宛先は概要欄のフォームより
お願いいたします
そういえば
昨日おととい
一通いただきました
横浜市にお住まいの
ミオさんよりいただきました
ソフィーさん
人生っていろいろあるよね
ということです
メッセージありがとうございます
本当ですね
そのいろいろ
聞かせてください
それでは
今日も素晴らしい日になりますよ
次は
U-BAN'S NEXT STAGE