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Days of Life with Games
Bright Bit Brothers
どうも、ワンピー川崎です。
どうも、ツーピー長谷川です。
この番組は、かつてゲーム少年だったワンピー川崎とツーピー長谷川の2人が、
ゲームにまつわる様々な話題で、古きを訪ねて、新しきを知る番組です。
はい。
ということで、ブライトビットブラザーズSTAGE123です。
やっていきましょう。
今回のテーマは、
プレイステーション。
これは予想してた人いるんじゃないですか、これ。
え、なんでわかっちゃうんですか。
長谷川さんの大好きなやつや、今回。
数字、数字。
1、2、3といえばね。
プレイステーションといえば1、2、3。
これね、当時からお約束になりましたけど。
発売日なんですね、これね。
そうですね。
1994年、平成だと6年ですね。
12月3日発売ということでね。
何かにつけて、この1、2、3をプレステは絡めていくようになるんですよね。
そうですよね。これやっぱり、源を担いでるんですよね。
ということでね、今回はゲームハードの話ということで、
プレイステーション。
中には、そんなレトロゲームなの?っていうね。
感覚的にそう思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
発売が94年ですから、ほぼ30年。
そうか。そうですね。
ほぼ30年前です。立派なレトロゲームです。
そうですね。
初代ポリゴンコンシューマーゲーム機がレトロゲームとなっております。
今回、長谷川さんの方が色々調べてくれたんですけども、
かなりね、色んな逸話とか話すことが多いハードだと思いますので、
早速本編に行きましょうか。
今回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
プレイステーションはですね、さっきも言ったんですけど、
94年、平成6年の12月3日生まれというかね、発売だったんですけど、
最初は39,800円もしましたね。
そうです。覚えてますよ。
高いなって思ったのは覚えてる。
やっぱり今までのニンテンドーのハードなんかは、
25,000円で高いと言われてましたから、
それのさらにはるか上を行くね。
ほぼ4万円という値段で売られてたということで。
ですよね。
当時、なかなか強気な値段というか、
やっぱり子供のものじゃないというのが値段にも現れてた気がしますね。
日本の景気が良かったですかね。まだマシだったかな。
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それもありますけど、やっぱりね、ソニー側の意図としては、
それまでって、ニンテンドーの家庭用ゲーム機の商売のコンセプトというか、
ハードは儲からなくてもソフトで儲けるという売り方をしてたので、
実はハードは売れても利益がなかったという有名な話があるんですが、
それに対してソニーはですね、そんな売り方はしないと。
最初からハードでも黒字を出していくというつもりの値段設定みたいなので、
だから、おそらくニンテンドーのハードも本気で売ればもうちょっと高い値段になってたんじゃないかなという感じなので、
決してプレイステーションが当時として高いというよりは、ニンテンドーが安かったんだと思いますね。
なるほどね。そういうとこにも出てると思うんですけど、
プレイステーションっていうのは色々それまでと違うことをやったハードで。
そうですね。ある意味コンシューマーゲーム機の歴史のターニングポイントではあると思います。
そうですね。一番大きなところはやっぱり3Dグラフィックを実現した初めてのゲーム機というかね。
そうですね。
家庭用でポリゴンが出るっていうね。
あとはやっぱりメディアじゃないですか。ロムカートリッジからCD-ROMと。
そうですね。
もっと前にPCエンジン、CD-ROM、ROMというものがあったんですが、
ありましたね。
一般的にはそこまでメジャーじゃないということで、
一般的にはやっぱりプレイステーションがゲームをCD-ROMで遊ぶことを一般化したと言われることが多いですね。
そうですよね。
CD-ROM、ROMはあくまでももともとのPCエンジンがあってのっていう感じだったんですけど、
プレイステはもう乗っけからですからね。
っていうのもやっぱり特徴だと思いますね。
だから3Dに特化したハード性能を持っていて、独自のコントローラーの形をしていて、
これも当時は結構話題になったんですよ。
本当に私たちが見たこともないものばっかりだったんですよ。
そうなんですよ。なんでこんなトッキみたいのが出てるんだろうみたいなね。
今までのゲームコントローラー、いわゆるゲームパッドは、
やっぱりファミコンで見慣れているものとしては平べったい四角の板にボタンとコントローラーが付いていると。
PCエンジン、メガドライブも、メガドライブはちょっと丸っこい感じのデザインで変わってはいたんですが、
それでも今までのコントローラーの延長って感じだったんですけど、
プレイステーションはより立体的。
そうですよね。握りやすさとかいろいろ考えたのかなっていうのが。
プレイステーション、人間工学に基づいて。
そうそうそう。そういう感じ。人間工学感ありますよね。
そうです。ジョイボールと一緒です。
で、実際遊んだ時に本当に疲れにくいんですよ。あれが。
僕も覚えてるんですけど、発売直後に、これちょっと都内の方ならわかると思うんですけど、
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昔上野の駅前に大きいおもちゃ屋さんがあったんですよ。今もあるんですけど。
そこでデモをやってて、触った時に絶対に握りづらいと思ってたのに、
持ちやすいって思ったのは覚えてて。
そう、あれでみんな写真とかだけ見た時は変な形と。
これなんか持ちにくいんじゃないのと。逆なんですよね、これ実は。
そうなんですよ。
実はファミコンのコントローラーが一番疲れる形なんですよ。
確かにね。
今持つとわかりますけど、今のコントローラーって結局プレイステーションの延長なんですよね。
そうですね。
いろんなハード。
板型のコントローラーって持ってるとすごく疲れるんですよ。
スイッチを、スイッチ本体のままで遊んでる方にはわかると思うんですけど、
すげー疲れるんですよ。
指で支えながら指で操作しないとダメなんでね、板の場合は。
そうですね。
そうそう。
あの膨らみの部分がすごく重要であると。
で、さっき川崎さんが言ったようにCD-ROMメディアということで、容量も大容量になって。
一気に増えましたね。
で、低価格。
そう。
少し前にスーパーファミコンの会をやったと思うんですけど、
あの頃は特にROMがすごく高くなっていたので、またゲームの価格が落ちたなっていうイメージもありました、当時。
本体こそね、確かに高かったんですが、ソフトはね、5800円ぐらい。
そうですね。
うん。
だから、5000円台に戻ったなっていう印象があったんですよね。
だから、スーパーファミコンになった時にみんなソフト高くなったなって思ってたんですよ。
で、プレイステーションでファミコンぐらいの値段に戻ったわけですね。
でも、そのソフトの中身自体はすごく未来のゲームというかね。
そこのインパクトもなかなかすごかったんですよね、やっぱりね。
はい。あとそうですね、セーブデータを外部記憶装置であるメモリーカードに。
そうでしたね。
まあこれは他のハードでも似たようなことは知ったんですけど、最初から付いてて。
これも結構特徴的だったなと思ってるんですよね。
それが最終的にね、いろんなカラーの展開をしていくとかね。
その周辺機器として結構プレステには欠かせないものだったなと思うんですよね。
というのが特徴であり、ハード性能だと思うんですけども、
これの開発の経緯っていうのが結構変わってまして、
ご存知の方も多いかなと思うんですけど。
そうですね。なんかプレイステーションのその経緯ってすごく当時というか、
その発売後にもインタビューされたりとかいろんなところで特集されてるんでね、
結構有名な話も多いと思うんですけども。
知らない方もいらっしゃるかなと思うんで、少しまとめてきたお話をすると、
1989年にスーパーファミコンのCD-ROMドライブ拡張機器の開発として始まったプロジェクトが、
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開発コードネームプレイステーションなんですよ。
そうなんですよね、これね。この辺りもすごいドラマチックですよね。
一応、任天堂とソニーの共同開発事業ということになってるんですけど、
結構これが任天堂としてはそんなに望んではいなかったみたいなんですね。
それはなぜなんですかね。
やっぱりスーパーファミコンが完全に天下を取ってたので、
ただCD-ROMっていうメディアには興味があったんだと思うんですよね。
どちらかというと、ソニー側からやりましょうよとすごく打診されて、
任天堂としてはのき先を貸すみたいな感じで、
CD-ROMメディアの部分だけじゃあやんなさいよみたいな座組みを組んだんですけど、
ここが後で決裂にもつながっていくようなんですが。
正直その結果として見た場合にね、
任天堂とソニーでは家庭用ゲーム機に対するコンセプトとか、
目指すものが全く違っていたんですよね。
そうですね。
1991年に任天堂がオランダのフィリップス社と提携して、
別のゲーム開発を始めるんですね。
これがCD-ROMメディア関係だったらしくて、
ソニーとしてはそれはうちもやってるのにってことになるわけじゃないです。
ただ任天堂側としては、
スーパーファミコンのCD-ROMアダプターを開発するのは別に構わないですよという姿勢のままだったらしいんですけれども、
別のことを任天堂は任天堂でやっているということなんですね。
結局この計画っていうのは中断になってしまいまして、
スーパーファミコン互換機っていうのは世に現れてなくて、
これ確か一回、僕が知ってる限り一回ヤフオクから出てきたんですよね。
めちゃくちゃ話題になりましたね。
時期が当たって。
あれ本物なんですかね。
分からないですよね。
幻って言われてたのが実在したってかなり話題になったんですよね。
任天堂とソニーが作っていたハード自体が存在したということね。
そうそうそう、開発機を引き出した人がいて、
すごい値段をつけてて結局落札されてないんじゃないかなっていうこともありましたけど、
それは中断ということで。
その間にソニー側としてはゲームソフトの制作も進めてたらしいんですよね。
ハードを作るのにソフトがなければ検証できないので、
作るのはそりゃ作るんでしょうけど、
ちょっとデモの域を超えてたらしいんですよね。
それはいい意味でですか。
ちょっと任天堂側としては話が違うってことになるわけですよ。
なるほどね。
そこは許可してないのに。
あーなるほど、ハードは作るのはええけども、ソフトは聞いてないぞって。
王者の風格というか。
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これもっと細かい事情がいろいろあるらしいんですね。
アメリカ側の任天堂の人が今後CD-ROMがメディアの中心になっていくだろうということで、
日本の任天堂当時の社長に言ったらしいんですよね。
このままあの計画進めていくと、要はCD-ROMの部分はソニーに一輪させちゃってるってことは、
スーパーファミコンのソフトがCD-ROMがもし主流になった場合って、
軒先を貸したはずが思いやを乗っ取られますよみたいなね。
そういう座組だったらしくて、そういうこともあって中断になったんですけど、
任天堂側としては別の計画進めてたってのがあるし、
ソニー側としては許可を得てなかった領域までのソフトを作ってたということで、
うちうちで済ませたんでしょうけど、
特に大きな欠裂というのはもう表坂にはならないんですけど。
本当にね、結構時間経ってから出た事実ですね。
そうですね。
一応ソニーミュージックエンターテインメントとしては損失が出たと。
開発は進めていたんでね。
何にも収入はないわけですからね。
2年はやってますから。
で、これじゃ終われないということで、
1992年の経営会議でゲーム事業に進出しようということになります、ソニーが。
せっかくこれだけやったんやからと。このまま作ってしまえと。
92年の夏からもう正式にTSXプロジェクトということで立ち上げて、
その時に当時のソニーの社長が言ったいくつかの事柄の中に、
任天堂型コントローラーからの脱却っていうことがあったんですって。
同じものは作っても意味がないと。
新しいもの、違うものを作ろうと。
ソニースピリッツを感じますね。
そうですね。
1993年11月16日にソニーコンピューターエンターテインメントがセットリストされます。
後のプレスレーションの成功の鍵の一つだと僕は思うんですけど、
その鍵との関係っていうのはここで生まれるんですね。
どういうことかというと、ナムコと仲良くするんです、このくらいのタイミング。
そうそうそう。っていうかその前にナムコがちょっとね、任天堂とあんまり仲が良くなくなっていたというね。
そうなんですよ。
任天堂とはちょっとね、ファミコンの中期くらいからちょっとギクシャクしていて。
前ね、PCエンジンの時に話したから、ナムコはPCエンジンの方に力を入れててディスクのソフトはほぼ出してないというね。
そうなんです。
あの時期ですよね。
そうです。で、セガのハードにはソフトメーカーとしてのライバルっていうこともあるから、
そうですね。
メガドライバーの方たちはすごく感じてたと思うんですけど、
正直ナムコあんまり良いソフトをメガドライバー提供してない感じがあるんですよ。
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してない。
というナムコと組んで、ロンチでリッジとかは出ますし。
いやそうそう、あれはだからある意味本当にプレイステーション成功の鍵の一つです。
そうです。やっぱり鉄拳は必要だったし。
鉄拳とリッジは絶対いる。
そうなんですよ。
逆にナムコも、僕はスーパーフォミコン時代のナムコって元気がないメーカーだったんですけど、
やっぱりプレスで復権したイメージはあるんですよね。
なのでどっちもウィンウィンな関係なんでしょうけど。
おそらくソニーもナムコもお互いの良きパートナーを探してたんだと思うんですよ。
そして出会ったんですよね。
本当にこのタイミングしかないっていうね。
ナムコはナムコで3D技術を研究してて、
ソニー側はそれを必要としてたと。
ここは本当に抜群のタイミングでしたね。
そうなんです。
ナムコはですね、1980年代の終わりぐらいから次世代ハードを作ろうとしてたらしいんですね。
マジですか。
一応開発をしようとしてたらしいんですけど。
マジか。ハードに乗り出そうとしてた。
そうなんですよ。
確かに技術のベースはありますよね。
アーケード筐体作ってましたからね。
そうなんですよ。
言われてみればそうなんですよ。
エレメカとか作れるんだから。
出てたら絶対買ってるな。
そういう意味ではちょっとセガと近しいとこがあるので。
1993年にナムコの偉い方、数人がソニーに招かれて、
そこで見せてもらったのがプレステの原型になるマシンだったということで。
そのマシンスペックを見てナムコは、これはいいねと驚いて、
じゃあもう家庭用のハードの開発はもう中止しようという流れになっていき、
ソニーさんの開発するハードに全面協力をしましょうという流れになっていくそうです。
なるほど。
これはもう本当にプレステの成功には欠かせない出会いだったと思いますよね。
間違いなくそうだと思います。
ロンチタイトルがいかに重要かというのをプレイステーションの初代は表してます。
そうですね。
ソフトメーカーもすごく強力なところとパートナーシップ的なものを結べて。
そうそう、衝撃のね。
みんなが任天堂のものだと思っていたタイトルが突然プレイステーションで発表されるというね。
そうなんですよね。
なんか僕の当時のイメージとしては、ソニーって垢抜けたイメージがあって。
ちょっとオシャレな感じしますよね。
家電メーカーですからね。
ウォークマンとかね、そういうイメージがどうしてもあったから。
で、そこに対してナムコも僕らが本当に小さい頃ってそういうシュッとしたイメージがあるメーカーだったじゃないですか。
わかりますよ。ナムコはすごいスタイリッシュなイメージありましたよ、やっぱり。
だからここの組み合わせはなんかすごく納得がいくというか。
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いきましたね、本当に。
で、実際じゃあプレイステどうなっていくかというと、最初の発表がですね、94年の10月27日にあって。
そんなギリギリあったんですね。
みたいですね。もっと前から少しずつあったかもしれないですけど、ここで発表されたのが、価格39,800円ですよということ。
で、発売日は今年の12月3日にしますということ。
で、サラドパーティーはすでに240社いますよということ。
ほんまかいな。
これちょっとね、わかんないところですけど。
240は言い過ぎちゃうんだけど。
で、初回出荷は10万台を。
わーささやかな数字ですね、今聞くと。
で、年内に30万台を目標としていますという。
いやー、なんか可愛らしい数字ですね。
すぐ売れるやんって今なら思いますけど。
当時のね、これ雰囲気ご存じない方に言っておきますと、非常にプレイステーションって出る前はもう負けムートだったんですよ。
そう、やっぱりサターンかなっていうね。
というかその、なぜかというとですね、ゲーマーの人たちがやっぱりゲームメーカーじゃない会社がゲームハードを作ったというところに対してのその不信感とか大丈夫なのっていうイメージが強かったんですよ。
そうですね。
やっぱり。
そう思ってましたね。
任天堂もセガもゲームを作ってる会社がゲーム機を出してると。
で、ソニーは言っても家電メーカーであると。
そうですよ。
で、ゲーム機が売れてるからって言ってそこに参入する気持ちはわかるけどもどうなのというイメージもあって、プラス実はソニーの前に失敗してる家電メーカーの実例があったんです。
3DOっていうね、松下パナソニックが作ったゲームハードっていうのがありまして、これがもう大ゴケしたんです。
そうですね。
で、その時にほら見ろと。そう簡単にいくら日本の家電メーカーが優秀とはいえ、こんな畑違いのところに何もわからずに参入したら失敗するんやと言われた後に。
満を持してソニーが参入してきたものですから。
それはやっぱり周りはもうちょっと冷ややかな目で見てるわけですよ。
ですね。
さすがのソニーでもこれまた失敗するんじゃないと。
そういう空気が当時ありました。ゲーマーの間には。
で、実際12月3日に発売されて、初回出荷10万台を完売。
素晴らしい。
3万9800円で売れるかいなって言ってたね。
ゲーム機がまたたくまに売れてしまった。
そうなんですよね。
これはやっぱりその宣伝効果もありますけど、ロンチタイトルの強力さだと思います。
Bright Bit Brothers
この時のプレステの型番がSCPH1000っていうね。
あー懐かしいですね。
型番とかって意識したのは僕プレステが最初かな。
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そうですね。
厳密に言うとPSPとかの方が意識したけど。
いや私もなんかプレステですねやっぱり。
プレステの時にこういうことを言ってるなと。
もっとね、マニアな方というか詳しい方はスーファミでも型番とか見てたのかもしれないですけど。
僕が意識したのはやっぱプレステですね。
そうですね。
で、ロンチソフトがまずリッジレーサーの向こうですね。
極上パロデュースが出て、これは異色なんだと思いますけど、コナミですよね。
で、SCからはクライムクラッカーズ。
あー懐かしい。そう、出てました。
あとタイムワーナーからタマっていう。
あったな。
ありましたよね。
むしろ僕はクライムクラッカーズよりこっちの方がなんか。
分かる。
あったなーって思って。
あとテクノソフトから熱血親子ってやつ。
覚えてる、そのロンチやってんあれ。ベルトスクロールアクションですよ。
そうなんですよ。
そうですよ、熱血親子。
で、EAから麻雀悟空転軸というね。
麻雀悟空ね。
激ヤバ麻雀。
ディスクシステムで出てたんですよ、最初。
あーそうなんですか。
麻雀悟空って。
あーそうなんだ。
昔ね。
というタイトルが出ていますね。
そうなんですよね。
この中でもやっぱ一際輝いてたのがリッチレーサーですね。
そうですね。
前これ何の回?ナムコの時に話したんですかね。何の時やったかな。
リッチレーサーのアーケード版なんですね、もともとね。
それが94年に出てるんじゃない?ゲーセンで。
あーじゃあ結構すぐ。
それか前の年かな。遅くても前の年には出てたと思います。
それがなんと家で遊べる。
で、画面見たらほんまに動いてると。
もうこのインパクトですよ。
これはね、当時衝撃でした本当に。
衝撃でしたね。
すごかった。
だからたぶんリッチレーサーが一番売れたんちゃうかな、ロンチタイトルでは。
でしょうね。
で、1994年はゲーム史にとってはやっぱりターニングポイントなんですけど、格闘技でもちょっとターニングポイントで。
この年バーディトゥードゥジャパンがありまして、あの人が来日したです。
これ前どっかで言ってたなこれもな。同じことを辿ってる気がするぞ。何の時やったっけこれ、この流れ。
ヒクソン・グレイシーが来日した年で。
格闘ゲームの時や。
何か言ってたな。
そうそうヒクソンね、来てましたね。
94は確かK-1グランプリも日本で流行って、格闘技ブームが来てたんですよね。
だからすごかったんです。日本のエンタメがめちゃくちゃ元気だったんですよ。
あらゆるところでね、ゲームに限らず。
すごかった本当に。
ヒクソンって言ったらあんまり格闘技興味ない人の名前ぐらいは記憶であるんじゃないかな。
そうですね、当時よう知らん人も何か言ってましたもんね、ヒクソン・グレイシーってやつが強いらしいって。
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なんせね、全試合1ラウンド決着で優勝で、トータル6分ぐらいしか戦ってないですからこの人が。
400戦無敗の男ってね。
というね、確か94年なんですけど、今回はね、格闘技の話はここだけです。
翌年1995年7月21日にSCPH3000という型番になりまして、29,800円になりました。
一気に1万円値下がりしたんですよね。
そうなんですよね。
これ何があったんでしょうね。部品の量産化とかかな。
そうらしいんですけど、やっぱり家電メーカーじゃないですか。
自分ところで安価にしていけるように最初は考えてあったらしいですね。
ということ?じゃあ最初の型番はちょっと特殊な状態の部品を使ってたけど、量産ベースに乗ればゆくゆくは値段は下げられるという前提だったってことですか?
そう、見込みはあったみたいです。
おーすごいすごい。
そこもやっぱりソニーならではの強さなのかもしれないですね。
なるほど。
この型番っていうのはS端子差し込み口がなくなったりしてる。
あーそっか。確かに初代のプレステは後ろに差すとこいっぱい付いてたんですよ。
いろんな端子が付いてた。それを省くことで低価格化にもなってるってことですね。
そうでしょうね。確かに部品が減ってるのかもしれないですね。
その後にSCPH5000になってですね、こっちは1万9,800円というかさらに安くなる。
すごいですよね。
2万円安くなった。で、どんどん売れるわね。
この頃にもうあれですよね、すでに100万台行ってましたよね、確か。
あー行ってたんじゃないですかね。
最初プレイステーションがこうスタート切った後にSCEが掲げたキャッチコピーが行くぜ100万台だった。
はいはい、言ってました言ってました。
CMで行くぜ100万台ってパッと出るんですよ。
でもやっぱり子供たちからするとですね、100万っていう数字ね。キャッチーな数字。100。
100万台って、もうあっという間に1年ぐらいで達成したんちゃうかな、あれ確か。
確かにね。
まあビッグタイトルがポンポンと出たことであっちゅう間に100万台いきまして。
だって1年ごとに1万ずつ値下げしてんすよ。
すごいな。なかなかないですよね、今考えても。
で、好調なんだなーっていうのを伺わせることが96年にはやってまして、
ザ・ベストシリーズってこの年にこのタイミングでやり始めてるみたいなんですね。
あったあった、そうやそうや。
だからこれより前に出てたソフトを低価格で再発売するっていう流れを作ったんですね。
これもですね、これができたのはやっぱりそのカートリッジではなくCD-ROMだったというところは大きいですよね。
そうですね。
これね、ROMってこのLSIを積まないとダメなので、安くできないんですよ、限度があるんですよね。
そうですよね。
ところがCD-ROMって本当にコピーすること自体はめちゃくちゃ簡単なんで、
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過去のデータさえあればポンポーンともう一回すり直して流通させれば、元の値段よりいくらか下げたって利益はあると。
ですよね。
しかも最初にハードを買ってなかった人からするとそれは新作なわけですよ。
そうですよ。だからハードも安くなってソフトも安いんだったらじゃあ買おうかなってなりますよね。
合わせてだって買っても2万ちょっとやもんな。
確かにね。そうですよ。スーパーに本体買うぐらいでソフトとハードが揃って。
これは驚異的やな。
もう一個この年にやっぱり好調なんだなと思わせるものが出てまして、11月22日にマルチタップ。
そうや。
コントローラー4台まで接続できる機器なんですけど。
そうですね。もともとのプレイステーション1はコントローラー差し込み口が2つ付いてて2人まで遊べたんですよね。
それを他人づプレイにするタップが出ると。
それだけみんなで遊ぶっていうこともあり得るハードになってるわけでしょうね。
おそらく任天堂に対抗したんでしょうね。やっぱりね。
その翌年の1997年4月25日に振動機能を持ったコントローラー。
ジュアルショック。
これも一応型番がありまして、SCP-H1150という型番が付いてるみたいなんですけど、これが出ますと。
その後のハードがSCP-H7000になっていくんですけど、これがどう変わってるかというと、値段は変わってないんですけど、画質が向上してるっていうのが一つ。
ああ、そっか。なんか言ってたな。さりげなく綺麗になってるって。
そうそう、言ってたなと思って、本当?みたいなイメージはあったんですけど。
で、あとディアルショックコントローラーが付くようになってるところ。
あ、そっか。標準搭載されてるんでね。
そうですね。
ディアルショックって確かアナログも付いたんじゃないですか?
そうですそうです。
振動プラスアナログスティック付いたんですね。
振動とアナログですね。
そう、アナログスティックも結構革命的だったんですよね。
確かに。
なんかあの頃アナログスティックが流行ってたんですよ。
64のアナログスティックとか、サターンのナイツと一緒に発売されたコントローラーにもアナログコントローラー付いてたんですよね。
なんかこう、デジタルじゃないアナログコントローラーっていうこの単語が結構話題になってた時期だったと思うんですよ。
僕なんかね、そこが全然ピンとこなかったんですよね。
ああ、そう。
デジタルなのにアナログって何なんだろうっていうね。
だからどういうことかっていうとね、今までの十字キーっていうのは、キーを押してるとオン、離してるとオフっていうこれしかなかったんですよね。
0か1しかなかったのが、アナログスティックっていうのはスティックを倒した角度によって強さが0から10段階まであるっていう判定ができると。
そうですね。
ということでゆっくり倒すとキャラクターが歩いて、思いっきり倒すと走るというこういうことがレバーだけでできるようになったと。
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これがアナログとそのデジタルの入力の違いですよね。
なるほど。
これによってゲーム自体もいろんなことができるようになったんですよ。
だからこの進化っていうのはもう必然だったんですけど、それはこう同時に起こってるのが面白いなと思って。
そうですね。
で、1999年はディアルショックのカラーバリエーションだったり。
あった、買ったな。
メモリカードのカラーバリエーションっていうのをシリーズ化していくと。
こういうことができるっていうのはもう普及したってことですね。
そういうことです。
付属品のバリエーションが出る、周辺機器のバリエーションが増えるというのは、もう本体が行き渡ってるということです。
そうですよね。あとはポケットステーションとかね。
出ましたね。そう、ポケステもこれすごいヒットしましたね。
これが本体価格3000円だったそうで、まあでもメモカでもあるって考えるとね、結構敷居が低かった。
メモリカードにボタンと液晶画面がついて、それ単体で実はちょっとしたゲームが遊べるというのが売りだったんですけども、でも一番売れた要因はあるタイトルですよね。
どこでも一緒でしたね。
そうですね、どこでも一緒、どこいつね。
これがいわゆるそのタマゴッチブームにちょっと乗っかれた感があるんですよね。
そうなんですよね。
タマゴッチがめっちゃくちゃ売れたときに、どこでも一緒がドカンときて。
これもうちょっとタイミング的にはソニーはいいタイミングだったなと思いますよ。追い風が吹いてるなと思って。
そうですね。
ポケステ売り切れてたもんな、だって。
そう、売り切れてた。
たぶんソニーもそんな売れると思ってなかったでしょ、あれ。
で、この1999年というのは、SEの利益がソニー全体を上回ったそうです。
ああ、言ってた。
ソニーって家電メーカーとゲーム部門は別なんですよね、会社としては。
家電メーカーからすると、ゲーム部門はおもちゃ作ってるようなところやっていうので、ちょっと冷ややかな目で見られてたらしいんですよ。
ところがそこの利益がついに屋台骨の家電を上回ってしまったと。
これは結構なニュースでしたよ、当時の日本の経済として見たときにも。
なかなかすごかったみたいですよ。
スピンオフ番組の方が元番組より人気あるみたいなもんですからね。
で、あの時ぐらいに一般の人たちがテレビゲームってすごい儲かってるらしいで。
ああ、そういう空気あったなあ。
ありました。
ゲームを作ると儲かるみたいな空気があったんですよ、あの時。
そうなんですよね。
それが良い方にも悪い方にもいくんですね、99年って。
僕のイメージって、日本全体のバブルってもうこのタイミングだとちょっと冷めてきてて。
でもゲーム業界のバブルってワンテンポ遅れてきてるんですよね。
だから言ったら親戚のおじさんとかに言われるんですよね。
ゲームって今すげえんだろみたいな。
いやもう99年ってもろそ。
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で、もう飽和状態になった時にゲーム開発会社がいろんなところに買収され出すという時代が来るんです。
これが99から2000にかけてなんでよく覚えてますけど。
その翌年ですね、2000年3月4日にプレイステーション2が39,800円で発売。
ああ、そうやったなあ。これも衝撃的やったけど出るやろうとはね、言われつつね。
なので一応プレイステーションの生産終了前にプレイステ2は出ているみたいですね。
そうですね。
じゃあプレイステ自体はいつまで続くのかというと、そのちょっと後、7月7日にPS1もすでに出ている。
15,000円で出して。
安っ。
これが9980円に値下げされますね。
その後、専用液晶モニター。
欲しかったよなあ。
買っとけばよかったなって思う。
あれめっちゃ憧れましたね。私の中ではやっぱPCエンジンLTなんですよ。
あれの再来やと思って。
しかも値段が全然安いから、LTに比べたら。
これが14,800円で出てっていう流れなんですけど、PS1っていうのはこれが結局2006年の3月に生産終了になります。
なるほど。
で、プレイステーションマシンの生産が終了ということになるという。
でもたっぷり生き長く活躍しましたね。
そうですね。
本当にすごいと思う。CD-ROMメディアのゲームハードという意味でも完全に地位を確立したなと思いましたね。
だから8年間。
当初、家電メーカーが参入したら失敗するというジンクスを跳ねのけて、本当に任天堂の画像を揺るがしたんですよ。
そうですね。っていうか覇権をほぼ取ってましたよね。
そうですね。一応今回はプレイステの話なんですけど、プレイステーションと対抗するようにセガサターンというハードが出てて、同じくCD-ROMで3Dもできてというハードがあったんですけど、
これはまたセガサターンの回でまた話しましょう。
この2つを比べて話しだすともう長くなるから多分。
最終的な売上台数としては、日本とアジアで2072万台。
すごいな。
北米で3967万台。
欧州で3961万台ということで、全世界で1億240万台。
そうですね。1億台超えたって言ってたな。すごいな。
これは国内の歴代ハード売上ランキングで、でも7位らしいですね。
じゃあもっと売れてるのがある。
当時としてはやっぱり次世代期戦争っていう言葉があって、
プレイステーション、サターン、任天堂64っていうこの3つの戦いをそう呼んでいたんですけども、この市場競争に勝利したということで。
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実質ソニーの独り勝ちというかソニーの勝ちだったんですよね。
そうですね。
ファミリーコンピューター以来任天堂が独占したと言われてたゲームハード市場でトップシェアになったハードです。
2大ゲームハードメーカーを追い抜いて。
そうですよね。
高校野球で言ったら初出場優勝ですよ。
ですよね。
すごいですよ。
だからヒクソンの名前を出すわけですよ。
なになに、またねじ込んできた。
でも本当すごいですよね。
そうですよ。
てかすごかった。本当に当時の熱量はね、本当プレイステーションフィーバーと言ってもおかしくないぐらいの盛り上がりでしたよ。
ポッと出ですからね。
本当にポッと出だし、しかもむしろみんな半笑いで見てたような状態でしたよね。
そうですよ。あんなひょろっこいやつが強いのかっていう。
本当そう。
今じゃあプレステーって言えばみんなが知ってるハードですけど、滑り出しはどうなんて感じはあったんですよね。
あの時の3大ゲームハード戦争っていうのを生で見て感じられたのは本当に貴重な経験できたなと思いましたよね。
そうですね。
本当は90年代から2000年代にかけてのゲーム業界を体感できてるっていうのはめっちゃ幸せですよね。
あそこ絶対ゲーム史語る上で外せない時代じゃないですか。
そうですね。やっぱり2Dから3Dに移行するタイミングとこのソニーが出てくるっていうね。
アーケードからコンシューマーに移っていく過程とか、いろんなものが変わる時代だったんですよ。
確かに。
思い返してもすごい胸熱やし、いい時代に生きれたなって思いますよ。一番元気な時を過ごせたら。
日本の景気的にももうバブルと言われる時代でね。
もうなんか社会全体がアゲアゲな感じで、今と本当全然違う空気ですよ。
違いますね。
全然違うやっぱり。
じゃあソフトはどんなのがあったのかっていうのをちょっとお話しすると、対応ソフトっていうのは1997年から2004年まで出てて、
最後のソフトは2004年5月13日に発売したブラックマトリックスっていうゲームが最後なんですって。
それあれですね、サターンの移植ちゃうかな。
そうなんすかね、NECインターチャンネルですね。
これが最後ということで、それまでどれだけ出るのかっていうと3290タイトル。
うわ、すげえ、そんな出てた。出てたな、めちゃくちゃ出てた確かに。
出てましたね。
これもね、やっぱりメディアがCD-ROMっていうところも大きかったんですよ。
そうなんです。
ROMカセットってこんな出せないですよね、物理的にね。難しいんですよね。
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タイトルが増えていく要因っていうのも色々あるんですけれども、ちょっと調べてて、あ、そうだっけって思ったことがあって、
一般的なCD-ROMメディアとプレステ初代無印のROMってちょっと違いがあって、記録面、いわゆる裏って言えばいいのかな、が黒く塗られてる。
そうですね、特徴ですね、あれ確かに。
っていう特徴があって、僕ね、言われてみればそうだなぐらいしか思ってなかったんですけど。
私あれすごい印象的でしたよ。やっぱCDって言うと普通銀じゃないですか。
そうです、そうです。
それが黒でね、かっこいいなと思って。
確かに黒かったと思って。で、これ何でなのかなと思ったんですけど、よく分かんなかったんですけど、
海賊版とかも造品を見分けるためだったっていう話が一つ出てきて。
そうですね、なんかいろいろ理由があったみたいですよね。
確かにそう。でもプレステ2とかって黒じゃないですよね。
プレステ2はDVD-ROMになったので、CD-ROMとDVD-ROM両方使えるようになったんですよ、確かに。
だからこれプレステ無印ならではの特徴なんでしょうね。
そう、あの黒ディスクね、かっこよかったんですよ。
というそのCD-ROMですけれども、やっぱりそれまでのROMに比べてデータへのアクセスっていうところはちょっと劣るんですけど、読み込み時間というものが発生するんで。
で、カートリッジと比べた時にメリットもたくさんあるんですけど、大きなデメリットの一つがロード時間が発生するってことなんですよね。
これがやっぱりカセットに比べるとちょっと煩わしい部分だよね。
ただ良い部分の方がいっぱいプレステ以降のソフトが出て、まず大容量、そして低価格。
そうです。この低価格っていうのがユーザーだけじゃなくて、実はソフトメーカーにとってもありがたかった。
これが大きかったんですよ。
で、量産時間が短縮できる。
これね、スーファミ当時ってカセットが最初に売り切れると、次の二次出荷分作るのめちゃくちゃ時間かかるんですよ。
かといって最初にいっぱい作って売れ残ったらワゴンセールになってしまうということで、再販がすごく難しかったんですけど、それを安くしたのがCD-ROMなんですよ。
売れてなくなったらすぐ作れる。確かにヒットしました、なくなりました、1週間後にまた出ますぐらいの感じで出てました。
そうなんですよね。
いわゆるプレスが早いって言ってね。
そうそうそうそう。
あれはメリットでしたよね。
そうですね。ここがやっぱりプレステが派遣を取ったのとか、プレステ時代でいろんなソフトメーカーが立ち上がったっていうのに、やっぱりこの仕組みっていうのが大事だったみたいで。
めちゃくちゃ大きいですね。
ニンテンドーのハードでゲームを出そうとすると、ニンテンドーが持っているカセット工場に作ってもらう必要がある。ここで作ってもらうにはカセットを作ってもらうお金を払わないとダメなんですよ。
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これが意外とメーカーにとっては結構なお金を取られるということで、ちょっといろいろ話題になったりしてたんですが、なんとですね、ソニーはそこをメーカー取り分をだいぶ大きくしたんですよ。
みたいですよね。
そうです。これメーカーにとったらめちゃくちゃありがたいんですよ。例えば今までニンテンドーのハードで売れたものが10だったとしたら、プレステで売ると倍以上儲かるぐらいのメリットがあると。ということはどういうことかというと、売上本数がニンテンドーのハードで10万本売れるのと、プレイステーションで1万本売れるので、そんなに差がないぐらいの感じかな。
細かいところはあれとして、そういう利点はあったんですよね。
そうなんですよ。だから我々ユーザーにとってもソフトが安くなって買いやすくはあるけども、メーカーにとってもすごくありがたいというシステムだったんですよね。
だからCD-ROMになったことによって、大容量ってことでゲームの表現方法が変わったっていうのが一つ。あと、これソニーがやったってことで、もともと音楽業界に強いところなわけなんで、流通にも変化を与えたっていう。
これもう革命です。
そうなんですよね。この辺がやっぱりプレイステっていうもののヒットの要因になっていくみたいで、従来のトン屋制度と呼ばれていたものから音楽CDの流通システムにしたことによって、さっき川崎さんが言ったように追加注文分が短期間で納品できると。
これある意味、その任天堂のゲームの売り方っていうのが、いわゆる古い体制だったんですよね。任天堂からトン屋を通して卸しにカセットが行くという流れが一連だったんですが、それをソニーは無くしたんですね。
なので結果的に販売店的にも、在庫をいっぱい抱えておくっていうリスクが少なくなったので。
そうそう。無くなったら発注すればすぐに次が入ってくる。
そうなんですよね。ないんですかって言われても、いつになるかわかんないですというよりは、早く来ますと言えた方がいいでしょうし。
しかもね、デジキューブってコンビニでゲームが買えるようになったんですよ。
そうなんですよね。
これめちゃくちゃ革命だったんですよ。私からすると。それまではゲーム専門店に行くか、おもちゃ屋さんか電気屋さんみたいなところで買ってたんですけど、コンビニで買えるってことはね、いつでも買えるんですよ。夜中でも。
ゲームがコンビニで買えるっていうことが当時どれぐらい嬉しかったかっていうと、ゲームっていうもの自体がすごく一般化したイメージがあったんですよ。
あとは買えるところが増えたことで売り切れになりにくい。どっかのお店に入るからそこに行列できるっていうことも少なくなったし。
ゲームハード自体は売り切れ多かったですけど、CD-ROMのソフト自体はもう売り切れたらすぐ次入ってくるっていうんで、結局売り切れって商売としてはすごくデメリットしかないんですよね。
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売り切れてしまったらその間損失出るだけですから。いかに売り切れてる期間を短くするかっていうことでは、CD-ROMとデジキューブっていう流通はすごく機能的に働いてたなと思いますね。
なのでデジキューブだったり、そういう新しいのもありますけれども、やっぱり音楽CDの流通システムを導入したっていうことと、
その音を作るのもソニーミュージックエンターテインメントのCD工場でやれるっていう。これでもう生産コストが外に頼んでるわけじゃないんで、やっぱり圧縮できると。
そもそも流通網を持ってるんですよね。すでに音楽CD売ってたんだから。だからその頃よりはやっぱりおもちゃ屋だったり増えていくわけなんで、そういう意味では多分音楽関係の方にもいい影響は出たんじゃないかなと思うんですけれども。
あと製造原価が安いっていうのもありましたね。スーパーミュージック時代1万前後まで行っちゃってたのか、やっぱり5000円台まで戻ったっていうね。5000円台が基本だったんで、
なんかこのソフト高いなーみたいなのって特典がついてて分厚いとか、そういうの以外なかったですからね。
ないです。プレイステーションのソフトで高かったなっていうイメージ全然ないですよ。
ない。むしろ安いの出てる中だよね。ベストとかね。
そうです。本当にそう。
そっちの意識の方が。
だからあれですよ。プレイステーションで出てきたのがシンプル2000シリーズ。
そうですよね。
1500シリーズ。
あったあった。シンプルシリーズありますね。
あれはディスクならではですよね。
本当に買い手の我々としては遠慮い話なんですけど、やっぱりニンテンドーっていうのは品質重視で基準を厳しく設けていたと。
そうですね。
年間販売本数制限とかそういうのがあったらしいんですけど、
そういうニンテンドーに対してソニーは参入の敷居をすごく下げてたらしいんですね。
そうそう。おかげでいろんな今までゲーム作ってなかったところもバンバン参入してきて、よくも悪くもたくさんのゲームソフトが出たんですよ。
たくさんあれば買う方はその中から選べるわけですから。
それによって当たりショックみたいなことが起こるとハードメーカーとしては良くないんですけど、
プレイステーションはそこのリスクも分かりつつやってたと思うんですよね。
そうですよね。
もちろんね。
やっぱり自分のところが開発力がないから、そこを手厚くしていこうっていうのもあったみたいで、開発機材っていうものの提供とかもかなり破格にやってたらしいんですよね。
そう。開発機材が安かったっていうのも聞いたことあるな、それ。
それが8年間での3290タイトルっていうものにつながっていくんでしょうし、いろんな名作だったり奇作だったりとか出ますけど、いろんなものが出ましたね。
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思い返したら私やっぱプレイステ1のゲーム結構遊んでますわ。今でも手元に置いてるもの多いですしね。
まあね、だいぶコンパクトにしてきたんですけど、やっぱりこのくらい時間かかるような話だったんですけど、本当にプレイステーションはね、何度も言うんですけど革命だったので。
そうですよね。いろんな意味で今までないことが起こって、結果ゲーム業界にとっては本当にターニングポイントだったと思いますね。
ですよね。
あそこでプレイステーション出てなかったら、もうちょっとCD-ROMでゲームを遊ぶということは。
でもセガがね、セガサターンを出してたから。
そうです。
時代的にやっぱりあのタイミングだったんでしょうね。
そうだとは思いますね。でももう本当それこそセガが一番になる未来はもうあったかもしれないですけどね。
いやありましたよ。可能性はあったと思いますね。
はい。
本当にいろんな条件が重なってね、ソニーだっていろいろ工夫して頑張ってあの立場を築いたんだと思いますから。
もともとスーファミのチップとかはね、ソニーが音楽チップとかは作ってたはずなんで、そういうとこから始まってスーファミのね、CD-ROMキーはダメになったけど、そこでやめずに自分のとこで出してこういう結果になったというね。
だから結果としてはそのゲーム業界じゃない人たちが作ったからこそできたハードだし、そのできた流通とかその売り方。
そうですね。
もうね、やっぱ今までのゲーム業界の人たちからは多分出てこなかったんじゃないですかね、ああいうやり方っていうのは。
そうですね。まあ任天堂が覇権を握ったままだったら変える必要なかったわけだから。
まあそうですね。任天堂が変えない限りは変わってなかったかもしれないですからね。
そうなんですよね。ここで変わったっていうのも大きいですよね。
そうなんですよね。
どうしてもやっぱりポリゴンになったっていうところに意識が行くんですけど、それ以外にも本当にいっぱい変化があったんだなっていうのを改めて調べてみて思いましたね。
プレイステーション出た時って私ちょうど就職した年なんですよね。だからもう社会人だったんで、まあ39,800円でも買えた立場だったんですよね。
だからこれが当時学生だったりした人にはやっぱりちょっと手が出ないものだったので、買ったのはその後の人も結構いるんじゃないかなと思うんですけど。
僕は出てすぐじゃなくて、たぶん19,800円になったタイミングだったと思います。振動はついてなかったんで。だからSCPH5000を持ってたんだと思うんですよね。
私あの初代のやつで、後ろにいっぱい挿すとこあるやつ。いろいろだからプレイステは私の中ではすごく鮮明に記憶として残ってて。
ちょうど働き出した頃っていうのと、30年前つってもやっぱりついこの間みたいな感覚なんですよね。
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それはわかりますね。
だから今のデジタルゲームのイメージってあそこからずっと続いてるイメージなんですよね。やっぱりプレステ前、プレステ後っていう感じなんですよ。
そうですね。だからやっぱりレトロゲームっていう僕のイメージはプレステ前なんですよね。
わかる、そう。我々はそうですよね。
今の30代とか20代の人になるとまた感覚が違うんでしょうけど、40,50代の人からするとやっぱりレトロゲームはプレステ前っていうイメージがありますよね。
いわゆる2Dのドット絵がメインだった頃のゲームがレトロであるというイメージはやっぱり強いですよね。
あそこで未来が来たって思ったもんな。
ではそろそろエンディングなんですけども、今回も長谷川さんのレトロゲームプレイレポートあります。よろしくお願いします。
シャイニング&ザ・ダクネス。
そうですね。
なんか口に出すと気持ちいい言葉の羅列。
かっこいいですね。
やってますけれども、前回仲間が増えましたよって言ってたと思うんですけど。
そうですね。なんか幼馴染が2人増えたって。
はい。ビルボとマーリンを仲間にして王様に会いに行ったら、じゃあってことでドワーフの鍵っていうのをもらいました。
いいですね。もうゆうや物語ですね。完全に。
で、神殿の中に入れない扉があるんですけど。
ありますよね。
はい。正道の扉っていうのがあるんですけど、これが開けられるようになります。
ということでその奥に進んでいくと下に降りる階段があるんですね。
で、ここで力の洞窟っていうところに降りれるんですけれども、いくつかの洞窟行って、
試練を達成して戻ってきてねみたいなことを確かお城で言われるんですよ。
なるほど。
で、そのうちの一つの力の洞窟へ降りていって、奥の方まで行ったらですね、
酒場で出会ったというか、仲間にしたマーリンっていう魔法使いのおてんばな女の子が喧嘩してた相手、
頭がワニみたいな傭兵がいてですね、怪我してるんですよね。
でもすまないが、ちょっと町に戻りたいんで一緒に行ってくれないかみたいに言われるんですよ。
なんで連れ帰るんですけど、あってことは4人目の仲間になって攻撃してくれるのかなと思ったら何もしてくれないんですけど、怪我してるからしょうがないのかな。
で、町まで戻りまして、酒場でお別れするのかな、その時にちょっとヒントみたいなことを言っていくんですよね。
真実の玉っていうのがあって、それでダンジョンの中で見えないものを見通す力があるみたいなことを言うんだったっけな。
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そんなような話を確かしてくれるんだと思うんですけど、それはそれとしてもう一回洞窟に戻っていってですね、奥まで行くと力の洞窟なんで力のスピリットっていうものを見つけました。
で、これ持ったおかげだと思うんですけど、神殿の別の壁がですね、開いて奥の通路が出てくるんですよ。
これちょっと言葉で言うと難しいんですけど、神殿っていうものがまずあって、行けないとことか地下に降りる階段があって、降りていくと何とかの洞窟っていうのに行く感じなんですよね。
で、この開いた扉から奥に行って行けるのが勇気の洞窟っていうところに行けるんですよ。階段があってそこから降りていくと、そこに降りていくんですけど、ここがですね、鉄拳もちょっと強くはならんだけど、それより面倒なのが、全部じゃないんですけど床にMP吸い取る草みたいのが入ってるんですよ。
MP吸い取る草。怖いなちょっと。
歩ってるとMPが減るんですよね。なんで、それをちょっと迂回しつつ奥へ奥へ進んでって、勇気のスピリットっていうのが見つかりました。
結構普通に取れて、ただそんなに奥まで来てないからまだ奥があるだろうと思ってですね、ただMPがなくなっちゃうから、一旦引き返してレベルも上がったし、装備整えてもう一回降りてって、一番最深部の方まで行ったらタートルドラゴンっていう、カメみたいなやつが出てきてですね。
それは普通にボスなんですけど、これを倒したら真実の弾っていうのが見つかります。で、こっから先がどこ行ったらいいのかよく分かんなくてですね。
なんか久々の展開ですね。
どうしようかなと思ってて、この真実の弾はどっかで使うんだろうなと思うんですけど、全然分かんなかったんで、もうしょうがないんで攻略を見まして。
使うんだろうなと思うんですけど、どの位置で使えばいいのかがよく分かんないんですよ。
ヒント教えてくれる人もいない。
ちょっと見つかんなかったな、まだ。見落としてるのかもしれないですけど。
で、ちょっと攻略見まして、この地点で使うっていうピンポイントが分かったんですけど。
使うというのは正しかったんですね。
本当にどん詰まりみたいなとこに行ってですね、使うと壁がですね、目が出てきて、手が生えて、要はモンスターが化けてるんですよ。
塗り壁や。
そうそうそう、そういうこと。
なるほどね、面白いな。
って正体を表すって感じで出てきたんで、これを倒したらどくわけですよね。
面白いな、なるほど。
で、奥に行けるようになって、また降りる階段を見つけて、そっから降りてくると今度は英知の洞窟っていうものがあります。
いいですね。
今ここまでですね。
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そっかそっか、力の次は今度は頭脳なんや。
わかんないんでウロウロしてた間にレベルもみんな均等になりました。
いいですね。
ゲーム難易度自体はそんなに高くなさそうですね、やっぱりね。
高くないですね。
で、エンカウントはちょっとまちまちかな、多かったり多くなかったり。
戦闘はどんな感じですか?
戦闘はですね、僕の感触だと魔法があんまり使えないというか。
じゃあ殴り合い?
そう、殴った方が結局早くないかなっていう感じなんですよ。
ただ魔法が、例えばファイアボール的なね、炎フレームだったかなっていう魔法とか、攻撃系の魔法以外もヒーローもなんですけど、レベルがついてるんですよ。
なるほど。
魔法強くなっていくんですか?
強くなれば多分効果範囲も広がるし、威力も上がるから、現段階だと殴ってる方がいいっていう感じなんじゃないかなと思いますね。
なるほど、そりゃそうでしょ。じゃないとね、物理で戦うだけじゃちょっと物足りないでしょ。
そうなんですよ。
剣と魔法の世界なんでしょ。
ただ今、掘り出し物でスピアみたいのが出てきたんで、すごい無理して買ったんですよね。
で、僧侶のビルを持たせたら、主人公が持ってる剣がしょぼいっていうのがあるんですけど、主人公より打撃力今あるんですよ。
急に。急に活躍してる。
魔法使いの周りにもう似合いそうだなと思って、茨の鞭っていうの、これもちょっと高いんですけど、持たせたんですよ。
したらこれ全体攻撃してくれるんですよね。
出た。
全体、まああれか、カテゴリー攻撃っていうの。
はいはいはい。
グループ攻撃。
そうそうそう、してくれるんで、これも勝手がいいんですよ。
いいですね。
まあ主人公はね、ヒットポイントがすごい高いんで、頑丈っていうのもあるんですけど。
これから主人公しか使えないめっちゃ強い武器出てきますよ。
これからきっとそうなると思うんですけど、現状そんな感じで、あんまり魔法使わずに叩いててもいいかなっていう感じですね。
でもなんか順調に進んでる感じですね。
はい。ゴッドメリスの時とちょっと感じが似ていて、すごい手堅い作りになってますね。
この後どういうお話の展開があるかちょっと楽しみですね。
だから3Dダンジョンの入門編としてはすごくいいんだろうなっていう感じ。
当時もメガテンとかも人気あったんですけど、メガドライブの最初の方のゲームとしてロープレイとして出てたっていうのは良くて、結構多くの人が遊んだんじゃないかなと思いますけどね。
でもやっぱり3DダンジョンRPGってやっぱニッチですね。
本当に数えるぐらいしかないじゃないですか、全ハード合わせても。
やっぱり景色が変わらないっていうのがどうしても弱いところですね。
確かにね。作る方からするとそこがメリットなんですけどね。
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その分アニメーションだったりグラフィックに凝ったりっていう方にはいくんですけど、
長く遊ぶって考えるとちょっと飽きがきちゃうかなっていうね。ずっと壁見てるとね。
マッピングはしやすいんですけどね。
今はオートマッピング普通ですから、自分で地図描くことなんてないと思います。
ではいつもの告知お願いします。
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よろしくお願いします。ということで今回はPlayStationでした。
今回はいろいろ思い入れがありまして、たくさん話した気がしますけど。
やはりね、いつも話しますけど90年代は熱いですね。
いろいろと。その一番熱かった時にデビューをしたゲームハードってことでね。
いろんな意味で思い出深い方もたくさんいると思いますけど。
また当時買った時の思い出とかありましたらお便りいただけますと紹介させていただきますので、皆さんよろしくお願いします。
では今回も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。