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2024-04-03 16:21

エゴが出るギリギリで踏みとどまったり、はみ出したり【新社会人のときに知りたかったこと】

今夜は、4月から新社会人のリスナーさんからのリクエストにお応えして、幅允孝(はばよしたか)さんの『差し出し方の教室』をご紹介します。
社会に出ると、急に”プロとしての差し出し方”を求められます。自分の思いの伝わらなさや、説明の下手さに落ち込んだり、気負って空回ったりすることもある。仕事はずっとその繰り返しだけど、ごくたまに差し出したもの以上のものを受け取る嬉しい瞬間もあります。

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真夜中の読書会おしゃべりな図書室へようこそ。
こんばんは、KODANSHAのバタやんこと川端です。
真夜中の読書会おしゃべりな図書室では、
水曜日の夜にホッとできて明日が楽しみになるおテーマに
おすすめの本や漫画、紙フレーズをご紹介します。
第168話を迎えました。
今夜のお便りご紹介します。
ペンネームはるさんからいただきました。
バタやんさん、こんばんは。
毎週配信を楽しみにしています。
先日、大学の卒業式があり、無事に卒業することができました。
コロナ禍の影響で入学式ができなかった自分としては、
対面で大学生最後にお世話になった教授から卒業おめでとうと
言葉とともに卒業証書をいただけてとてもうれしかったです。
そうでしたか。そっか、入学式がなかった題なんですね。
ご卒業おめでとうございます。
さて、4月から私は晴れて小学校の先生になります。
僕の理想の教師像は、一人一人の性格や個性に合わせて
子供たちと同じ目線で一緒に考えたり、同じ歩幅で歩いたり、
走ったりして楽しいことはいっぱいあるよ、楽しもうよと言える教師になろうと思っていました。
しかし、バタやんさんの配信を聞くようになって
海をあげる、怪物、アーモンド、黄色い家、52Hzの鯨たち、
光のところに、光のとこにいてね、など、たくさんの方に出会って
子供たちが置かれている状況や環境で、その楽しむことができなかったり、
そもそもどのように楽しめばいいのかわからなかったりする子供がいることに気づきました。
また、させてあげたくても、今日と明日を生きることで精一杯なお母さんがいることにも気づき、
彼らに対して何もできないであろう自分の無力さや知識量の乏しさに落ち込んで
どのような言葉を選びかけてあげればいいかわからなくなって
自分の言葉が封印されたように出てこなくなってきてしまっています。
そうでしたか。そうですね、確かに言われてみると
そのラインナップを見るに苦しい状況の仮定の小説をご紹介したことが多かったかもしれないですね。
そしてたくさん読んでくださってありがとうございます。
そのため、今は彼らのような子供たちにそっと手を差し伸べて
隣で一緒に彼らが進みたいという思う道を考えたり探したりして
背中を押してあげつつ、不安になったら先生のところに戻ってきてもいいんだよと
子供たちが思えるような先生になりたいと思っています。
また、自分と一緒にいることで子供たちがついスキップしたくなってしまう気分になったり
笑ってしまうような月の明かりと太陽の明るさの両方が持てる先生になりたいです。
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外の世界は暖かいところがいっぱいあるよ。
確かな足取りで日向の道を歩きながら
空の青さに気づけるような明るくなってしまう本があれば教えてくださいといただきました。
ありがとうございます。
4月1日からもう小学校の先生として働かれているんでしょうかね。
実際に生徒さんたちが入ってきた新学期が始まるのは来週からのところが多いですかね。
希望に満ちたお便りをいただき、胸が熱くなりました。
さて、そんな春さんへ、今夜の勝手に貸し出しカードは
羽葉義孝さんの差出し方の教室という本にしました。
春さんだけではなく、リスナーの方の中にはこの4月から新社会人
あるいは新しいお仕事に就くという方もいらっしゃるのかなと思っています。
そんな方にもぜひ読んでもらいたいなと思ってこの本を選びました。
ではどんな本か、そしてこの本を通じて新社会人の方へ
私が差し出したいなと思ったことを解説していきたいと思います。
この本の著者、羽葉義孝さんは
文献書家、ブックディレクターとして有限会社バッハという会社をやっていらっしゃって
本好きのリスナーの皆さんはご存知の方も多いかもしれませんね。
ブックディレクターってどういうお仕事かと言いますと、
図書館とか病院とかホテル、カフェなんかに本をセレクトして
ライブラリーを作るお仕事なんですね。
羨ましいですね、素敵なお仕事。
地方に旅行に行ってリノベーションされた公共図書館とか
ホテルとかアートスポットなんかで、この本のセレクトはと思うと
バッハさんが入っていて、やっぱりと思うことがありますね。
この並べ方は誰か、ディレクターが入ってるんだろうなって
意識するようになったのはそもそもバッハさんの力が大きいというか
選書というお仕事自体は昔からあったんだと思うんですけど
空間のコンセプトを伝えるのに
ブックディレクションっていうお仕事がブランディングとして重要だっていう
文脈を作った功績はすごいなと思ってます。
でもなんというか、ただかっこいい、洒落てるだろうっていう感じでもないんですよね。
羽生さんのセレクトは何か温かみがあると言いますか
単に洒落た本を並べてるっていう感じじゃなくて
そこに意味のある本を置いているという感じがします。
本の並べって時には威圧感を与えますよね。
オラオラ洒落てるだろうとか、高尚だぞとかみたいなね
特に大きい写真の多い書籍なんかは
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ビジュアルで威嚇するみたいなところもありますし
マウントを取るみたいなところがありますね、本棚って。
そういう感じじゃないのが素敵だなと思っていたんですが
もちろん本が厳選されていて
心地よい分類で並んでいるっていうことによって
空間が格上げされる感じ
カフェとかラウンジとかの知的レベルがぐっと上がる意味はすごくあると思うんですけど
空間をディレクションするって
空間を支配するとか制するっていうことじゃないんだっていうのは
葉羽さんの精神にあるのかなって思ってたんですけど
その秘密が今回紹介する本のタイトルにある
差し出し方、差し出すっていう独特の言い回し言葉に
すごく現れているなって思いました。
そうか、葉羽さんは差し出すっていう発想だったんだなと
すごくがてんがいったんですよね。
差し出すという日本語は
教えるとか、おすすめするとか、支難するとかっていう言葉より
ずっと下から献上するようなイメージがありますよね
私の中の差し出すっていう言葉のイメージはですね
アンパンマンが自分の頭をちぎって出すっていう感じでしょうか
自分の一部をちぎってどうぞって
受け取るか受け取らないかを受ける側に委ねられているような感じもするかな
今いらないっていう権利も受け取る側にあるみたいなところがいいなと思います
それでこの差し出し方の教科書はどんな本かといいますと
そんな差し出し手である葉羽さんが
いろんな差し出し手のプロの方に話を聞いている対談集なんですね
博物館の展示デザイナーとか上野動物園の元園長さんとか
ワインバーのバーテンさんだったり
診療内科の先生、保育園の園長さんとかいろんな方々が出てきます
診療内科とか保育園とかには
この葉羽さんがライブラリーを作るお仕事を手掛けていることもあって
どんな本、どういう意図で選んだかっていう話が出てくるんですよ
それはそれで非常に興味深かったですし
あと子どもたちにどういう本を選ぶかっていう話も出てくるので
葉羽さんにぜひいいかなと思ってこの本を選べました
でも私がこの本の中に収められている対談の中で
一番心に惹かれたのはですね
実は最初の東京国立博物館の企画展示デザイナーの方の話で
アシュラ像をどう見せるかっていう話が出てくるんですけど
銅像とか仏像とかって
美術品として展示されるのと
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お寺の中とかにあって
信仰の対象として見られるのでは意味が違うといいますか
お寺から持ってこられて
ポンと単体で博物館の空間に置かれちゃうと
文脈から切り離されちゃうっていうか
光合しさが失われるわけですよね
お寺で見るより
博物館で見ると大体良くないって
この本の中に書かれてましたけど
私もアシュラ像を見たことがあって
弟がすごく好きだったんですけど
初めて見た時は小さって思った記憶がありますね
光合しさが感じられたかどうか
ちょっと覚えてないですが
博物館に置いた時に
お寺と同じような光合しさを出すために
ライティングとかスポット照明とかで
ドラマチックにショーアップ演出したらいいかというと
それもまた違うのではないかというのが
ここに出てくる展示デザイナーの木下さんという方の指摘なんですよ
それですごくハッとした言葉があったので
それをちょっと紹介したいと思います
それは要するに僕の表現として
僕のエゴが出ちゃいけないっていう
ギリギリのところを問われます
そこの踏みとどまり方が大切と木下さんがおっしゃってます
エゴが出ちゃいけないギリギリのところ
踏みとどまり方っていうのがプロなんだなって思いました
ありのままでポンと置かれている
ありのままで見せますっていうんじゃなくて
写真に撮った時にどう見えるかとか
出会った瞬間だんだん見えてくる瞬間をどう演出するか
博物館という箱の中でどういう風に銅線を作るかってこととか
出会い方は緻密に計算されているんですね
でも過剰にこう見ろみたいなのを押し付けないさじ加減が
このプロの踏みとどまり方のなせる技なのかなと思いました
この本の帯にあなたの思い届いていますか
その距離を超えるのは一さじのおもんばかりとありまして
一さじどころか大さじのおもんばかりもない
押し出し方、切り取り方が今世の中にあふれているといいますか
それがキャッチだったりするんで
インパクトがあるっていう意味では
すごくたくさんの人に留守されやすかったりするんだと思うんですけど
そういったものは瞬間風俗で消費されていって
本当に長く心に残るのは
おもんばかりを持って差し出されたものなんじゃないかなと思ったりしました
さて今日はこの差し出し方の教室から紙フレーズをご紹介して終わります
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必ず伝わるコミュニケーションよりも
伝わりにくいものが何とか届いたという関わり方の方が喜びが大きいものです
加えて後者は他者をもう一度信じてみようという心持ちをも沸き立たせますとあります
これはこの本の後書きに書かれた箇所なんですけど
この本の前書きにもですね
僕がこの本で読者の皆さんに伝わるといいなと思っていることは
自分なりの伝え方を探す苦しみや喜びですとあります
そこがこうしているのかなと思ったんですけれども
お便りをいただいた春さんの先生というお仕事は
この自分なりの伝え方を探す苦しみや喜びがたくさんあるお仕事なんじゃないかなと思いまして
もちろん伝わらないこととか意図と違う感じで伝わっちゃったり
いろいろもどかしい思いもいっぱいされると思いますけれども
喜びも多そうですよね
この春から社会人、新社会人になった方は
先生とかお医者さんとかバー店さんとかホテルのホテルマンとか
ウェディングプランナーとかどんなお仕事であれ
急にプロとして差し出す側にならなきゃいけないってことじゃないですか
会社勤めをするとかどこか企業からお金をもらう立場になるってことは
お客さんとか患者さんとかっていうのは
新人であろうとプロとして頼ってきますし
お金を払ってるんだからとかいう気持ちもあるかもですし
でもうまく差し出せなかったり気負ったり
自分の説明のできなさに落ち込んだりすることもあるんだと思うんですけど
20年も働いてたって全然ありますけれども
自分なりの伝え方を探す喜びっていうのは
プロとして仕事をするっていうことの喜びの一つかもしれないなって
この本を読んで思いました
もう一箇所だけ最後に読ませてもらいます
それは痛みや苦しさに対する耐性をつけるあまり
喜びや楽しさについても鈍感になっている状態なのかもしれません
とあります
喜びや楽しさについて鈍感になっている状態っていうのは
子どもたちもそうかもですけれども
大人になればなるほど会社で働けば働くほど
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痛みや苦しさを受け流す耐性がどんどんついてきて
この喜びを感じづらく鈍感になっていくっていうのは
ちょっとあるなと思ったりしました
あるさんも生徒さんお子さんたちの
辛く苦しい背景に思いを寄せる一方で
その瞬間その瞬間に楽しそうだったり
嬉しそうだったりすることを見逃さない
一緒に楽しめたらいいんじゃないかなと思いました
こんな優しい先生に迎え入れられる生徒さんは幸せですね
ぜひお仕事頑張ってください
リクエストありがとうございました
さてそろそろお時間になってしまいました
真夜中の読書会おしゃべりな図書室は
皆様からの感想やリクエストをお待ちしています
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バタヨムからぜひメッセージをお送りください
それではまた来週水曜日の夜にお会いしましょう
おやすみなさい
おやすみ
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