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あちらの奥のテーブル席に、ITに詳しい3人が、黎明期のインターネットについて語ってますよ。ちょっと聞きます。
場末のラジオ。
はい、場末のラジオでございます。今日もよろしくお願いいたします。
はい、今回もこの3人でお送りいたします。ハッシーです。
はい、佐藤さんです。
はい、小蔵さんです。よろしくね。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
はい、今回はですね、ちょっと趣向を変えましてですね、テーマがレトロPCということになります。
はい。
レトロPCって言ってもですね、今昭和レトロとか平成レトロとかがありますけれども、そんじゃそこらのレトロじゃありませんよっていう。
そうね。本物っぽいからな。そんじゃそこら。
そんじゃそこらだとね、MS-DOSがどうだとかっていう話になってくるんですけども、MS-DOSがどうとかっていう時代の話ではないですね。
うんうん。
はい、まあ、Basicとかね。
ああ、そうね。
その時代の、1980年代のPCについてちょっと話してみたいなというふうに思うんですけども。
うん。
はい、皆さんがパソコンに初めて触れたのはいつ頃ですか。
多分ね、自分が一番遅いと思うんだよな。
うん。
高校の3年の時だから。
年代。
18歳は今から何年前だ。35年前ぐらい。
うん。
だから、80年代後半ぐらいか。
80年代後半。
うん。じゃないかな。
うん。
それより前でしょ、皆さん。
そうですね、80年代後半だとMSXがもう出てて、88、88前世の頃ですかね。
うん。高校3年の時のコンピューターの授業にPC88があって、ドラえもんを書いていた。
ああ、そんな感じでしたよね。
そんな感じ。
高校のパソコンの授業ってね。
そうそう。
はいはいはい。
サークルとかね、カラーレッドみたいなやつとか。
はいはいはい。
そんな感じ。
そうそう。ベーシックだよね、確かね。
うん。
そうですね。
が、80年代じゃないかな。
使ったのはね、見たのはだいぶ前よね。小学校の5年とかそこら辺だと思うんだよな。
03:05
おお。
PC6000?61001とかかな。
そうですね、61001。
が欲しかったなぐらいだった。
触ったのは高校だよね、PC88くらいだよな。
ということで私はまだ若造です。よろしくお願いします。
いやいやいや。
まさに僕が初めて買ったパソコンがPC6001、61001だったんですけど、
小学校のときにたまたま本屋さんで見つけた、「こんにちはマイコン」という、
ゲームセンター嵐でおなじみの菅谷篤先生の書いた漫画ですね。
嵐が主人公で、お友達の一平太と一緒にサトルにパソコンを教わると。
そのときの題材として使われたのがPC6001で、それを見てパソコンが欲しいと言ったら、
新しいもの好きのうちの父親が唯一販売しているナショナルショップで買ってきたと。
なるほど。
ナショナルショップでNECのパソコンを買った。
NECを買うと。
え?言ってたんだね。
そんな感じでしたね。佐藤さんは?
私は最初触れたきっかけが、自分で買ったのではなくて、兄が買ったものだったんですよ。
兄さんは何を?
MSXだったんですけど、当時、水素学部いて音楽をやってたと。
それで、DTMってやつですね。
作曲系。あれをパソコンでやるっていうことで、ヤマハのMSXを使ったわけです。
ありましたね。楽器とかと繋がったんですね、確かね。
そうそう。だからそれ用の拡張ボードもあるし、FM音源もあるし、キーボードまで買ってたんですよね。
49円かな。
キーボードっていうのはパソコンじゃなくて鍵盤の方ですね。
鍵盤の方ですね。
これを私はプログラムでゲームするのに使ってたと。
なるほど。
佐藤さんはゲームの方だったんですね、音楽で。
そうそう。
なるほど。
MSXはゲーミングPCと言っても過言じゃないぐらい、ゲームの種類がいっぱいありましたもんね。
ゲームをしやすいようなプログラムになってましたんで。
06:04
そうだったんですよね。
そうなんだ。プログラムを打つっていうのは、ベーマガか何かを見てってこと?
ベーマガはね、NEC系とかシャープ系のプログラムは多くて、MSXはあんまりなかったんですよ。
なるほど。
当時はやっぱりMSXに特化した本がまた細かく出てまして、MSXマガジンとかMSXファンとかね。
その辺りの本を買って、それのプログラムが書いてたのを打てたと。
なるほど。
そうなんだよね。MSXが出てきてからが、すごい企画が統一されたっていうのもあるけど、いろんなメーカーが参入してきましたもんね。
そうそうそう。ソニーとかね。
ヒットビットですね。
パナソニックもあった?
パナソニックもありました。
パナソニックは最初、ナショナルブランドでキングコングっていうのを出してたんですけど、その後パナソニックブランドでA1っていうのを出したんですね。
なんか緑っぽい人だった?キャラクターが。
キャラクターはどうだった?
ちょっとね、聖騎馬っぽい感じのアシュギーネっていうのがね、キャラクターみたいな。
そうなんだ。
名前出るな。
富士2はどうだったの?あの当時。
富士2もありました。
富士2は、FMX言って、FMシリーズで実はMSX出してたんですよ。
あ、そうなんだ。知らなかった。
へー。
あとはなんだろう。何が出てくるんだろう。
あとはね、トウシバがね。
トウシバか。
パソピアで。
パソピア。
パソピアなんか懐かしいね。
うん。パソピア7とかね。
いつも走ってる国道沿いのトウシバの電気屋さんのところに、
未だにパソピアって書いてるんですよね。
へー。
すごい。
懐かしい看板みたいなやつね。
パソピア置いてますみたいなんだね。すごいね。
そうそう。
パソピアってなんか木村一八だった?
木村一八。
木村一八か。親子で出てたっけ?
そうかもしれないですね。最初は岡田幸子とか。
そうそう。
やってましたね。
やっぱりトウシバと契約しているアーティストがコマーシャルやったりとか。
なるほど。
トウシバEMIかな。
タモリさんも出てなかった?
タモリはね、FMシリーズですね。
FMシリーズか。
すげー。
FM77とかね。
なんでそんなスラスラ出るんだろうみんな。
当時はやっぱりNEC、フジク、シャープ。この3つが3巨頭みたいな感じで。
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そうっすねー。
NECのPCシリーズと、フジツのFMシリーズと、シャープのMZシリーズですね。
MZね。
X1系ですね。
そうですね。MZの後にX1。スーパーMZっていうのが行ったはずなんで。
そっかー。
そっからX1。
はい、X1。そんな感じでしたね。
そこの他に、さっき言ったトウシバとかヒダリとかもベーシックマスターなんていうの。
なるほど。
で、バンダイがRX-7とかですね。
RX-78ですね。
RX-7は。
車だ。
アムロさんが乗ってる車でした。
トニーが最初に独自企画でしたSMC3-7。
あー、出しましたね。
成功、松田コンピューターと略された。
あー、なるほどね。
相当してたんだね。
それはその中じゃないです。
後付けかもしれない。
ただ一応CMは松田成功出てたんで、確かに。
ヒットビットのコマーシャルも松田成功でしたよね。
そうそうそうそう。覚えてる。
あとは、トミーがピューターを出した。
ピューターね。
日本語ベーシックを搭載していたという。
本当はちょっとポップな感じのデザインだったし、ピューターが欲しかったんですよ。
でも親が買ってきたのは6001だった。
良かったのかな、それで。
ピューターじゃないって言って殴ったりはしなかったですね。
結果として正解でしたけどね。
王道を行くですよね。
当時のMSXってどうやってモニターにつないでたの?
だいたい同軸ケーブルのテレビアダプターが付いてるのが多かったですね。
そっか、ファミコンみたいなものか。
そうそう、ファミコンと一緒のやり方ですね。
6001も専用モニターはなかったので、テレビにつなげて。
うちの場合は同軸じゃなかったので、ネジで止めるタイプですね。
二股になってるやつをね。
すげー、今見たらきっとドットがでかくて滲んでるんだろうね、きっとね。
そうですね。
今見たらね。
すごいなー、やっぱ体験しとくべきだったなー、その時代に。
でも実際ね、パソコン自体が値段の安いもんじゃないですから。
誰しもがってものでもなかったですもんね。
そうね。
6001はでも89,800円だったんで、結構比較的安い方だったんですよね。
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当時15万とか、あれはモニターもセットだったからね。
パソコンだけどテレビにつながるってことでかなり安かったですね。
あれだよね、キーボードの。
MSXはだいたい6から8万とかですもんね。
そう、MSXは本当に驚異的に安かったですね。
そっかー。
キーボードの下にメインの基板が収まってるタイプだったっけみんな。
うん。
だよね、だからキーボードの大きさぐらいなんだよね、PC自体がね。
そうなんだ。
60シリーズが、マーク2が出てその後。
マーク2が漢字が使えるっていうのと、
あと音声合成ができる。
しゃべる。
その後にこの66001ってのが出たんですか。
あと同時期にMr.PCって言うんですね。
はいはいはい。
SRって。6601SRがMr.PCで、
61001マークとSRっていうのがもう一つ同時期に出たのか。
その辺から別になった。
別になった。
モジュラー型になった。
六本木PCっていう、Mr.PCは別名六本木PCとか。
六本木PC。
六本木PCとは。
六本木PCっていうとなんかよくわかんない。
よくわかんない。
あの当時赤外線でキーボードが繋がるようになってて、
無線で自由にできたみたいなのと、
あとはワインレッドみたいなカラーリングもあって。
あーなんかあったなー。
その辺がなんとなく六本木っぽかったんですけどね。
無線でワインレッドのカラーってことね。
バーブルの時期ですからね。
なるほど。
武田哲哉さんがCMしたやつ。
なんか今思い出しちゃった。
そうですね。
ワインレッドってその頃からあるのか。
そうなんですよね。
この辺が88とかはね、
みんなもうそういうキーボードと別な形になってましたね。
憧れたよ。
キーボードからくるくるくるくるくるって巻かれてるケーブル。
そうですね。
パソコンっぽいみたいな。
PCっぽいのか。
MSXのデータの保存は。
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初期はやっぱりカセットテープが。
カセットテープやっぱりデータレコーダーですね。
そうですね。
MSX2になってからがフロッピングか。
そうフロッピング。
僕のはもちろんデータレコーダーだったんですけど、
おじさんがMZ1500っていうのを持ってて。
QDっすね。
そう。QDって僕その当時フロッピーディスクだと思ってたんですけど、
あれはファミコンのディスクドライブと同じような形式で、
QDっていうタイプだったんですね。
クイックディスク。
そうなんだ。
本体についててやっぱりカシャっと入れると読み込みが始まってみたいな。
マリオブラザーズをやってたんですよね。
MZね。
スーパーじゃないですよ。マリオブラザーズ。
土管の人達ね。
そうそう。
ファミコンと違って穴がぐるぐるぐるぐる動いてたのが印象的でした。
穴が動く。
面白いな。
パソコンでマリオってできるんだってその時はちょっと思ったのと、
おじさんの足が強烈に臭かったっていうのを思い出しました。
そこ。
いいな。インパクトがあるのが2ついっぺんにきたんだ。
ファミコンじゃないところでマリオが動いてラーンとってやつですね。
そうですね。ファミコンと同時にちょっと匂いが蘇ってきました。
強烈だな。
おじさん爪痕残してるな。足田少年の心に。
なかなかないな。
そろそろ1回前半を送りましてですね。
後半もまたまだまだ出そうなのでレトロPCのお話に続けていきたいと思います。
今回はこんな感じで。
ありがとうございます。
抜粋のラジオ