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あづの自分らしいキャリアを歩むラジオ。この番組は、中1・小1、2人の子供を育てるアラフォーフルタイム会社員のあづが、自分らしく心地よい働き方や暮らし方を選択していく家庭や思考などをお話ししています。
はい、おはようございます。今日は10月8日日曜日です。三連休の中身ですね。皆様いかがお過ごしでしょうか。
きっと気候もいいので、お出かけを楽しまれている方も多いんじゃないかなと思いますが、我が家は中学校1年生のお兄ちゃんが連休明けに中間テストということで、お兄ちゃんを置いてどこかに遊びに行くわけにもいかず、私と娘は近場でちょこっと遊んだりとか、
あとは気分転換にお兄ちゃんも連れて外食に行くっていうぐらいの楽しみ方で連休を過ごしております。
前回の放送で、そのお兄ちゃんが中学校で友人関係のトラブルがあったというお話をさせていただきました。
その後、次の日からも普通に学校に通っていますし、家でも元気に過ごしているので、まずは一安心かなと思っています。
私も少し落ち込んでいた部分があったんですが、皆さんからたくさんのコメントをいただいて、すごく励みになりましたし、もっとこんなふうに子どもと接していこうみたいな気づきとかもあったので、本当に皆さんには感謝しています。
コメントいただいた方、ありがとうございました。
今日はキャリアのお話をしたいと思っています。
第20回の放送で、これからこのスタイフでやっていきたいことについてお話をしているんですけど、その中の一つに、キャリアについてお話をする対談をやっていきたいということを宣言しました。
実際にこれからやっていこうと思っているんですけど、そもそも自分のキャリアについて、この自分の番組の中できちんとお話をしたことがなかったなと思っています。
なので今日は、私のキャリアの現在地ということで、私がこれまでどんなキャリアを歩んできたのかと、今実際何に悩んでいるのかというところをお話したいなと思います。
少し長くなってしまうかもしれないので、お時間があるときに聞いていただければなと思います。
では早速なんですが、私は就職超氷河期と言われる時代に就職活動をしていました。
本当に何社受けたかなというぐらい、たくさんの会社を受けた記憶があります。
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私は本当は旅行業界で働きたいなって思っていて、そこを中心に受けていたんですけど、結局ご縁もなく、最後の方はとにかく就職できればいいやっていう気持ちになっていました。
もしかしたら正社員というのも難しいのかななんて、もうちょっと自信もない状態だったときに、私の父からこういう会社があるんだけど受けてみないという形で、とある会社を紹介してもらって、そこの会社の試験を受けて、やっと内定をいただけたという感じです。
それがある食品メーカーなんですけど、そこに就職をしまして、そこから20年近く、今現在もそこで仕事をしているという状況です。
なので自分が望んでいた業界でもなかったですし、営業職というのも希望していたわけではなかったので、私これ続くのかなと思っていました最初は。
結婚したら辞めるかもぐらいの気持ちで、最初の頃はいたなと記憶しています。
なんですけど、その会社がですね、とっても人も良くて環境にも恵まれて、同期や先輩、上司も素敵な方ばかりで、とってもいい会社だったんですよね。
なので、どんどんどんどん仕事をするのが楽しくなっていて、気づけば今に至るという感じなので、正直自分が一番驚いている感じですね。
最初は営業として仕事をしていましたが、私は割といろいろな部署を経験させてもらえているなと思っています。
例えば開発とか、あとは営業のサポート部門も経験しています。
あとは企画業務もやらせていただきました。
今はまた営業に戻っているんですけど、社内では割といろいろな職種を経験できている人ではないかなと思っています。
20代はとにかく仕事にコミットしていたかなと思いますね。
本当に30になる手前で結婚をして、第一子を出産しました。
1年半くらいの育休を経て仕事に復帰しました。
復帰した時はバックオフィスの仕事で、営業サポートの仕事を時短勤務で続けていました。
初めての子育てということもあって、後は元夫ですけど、仕事が忙しくて帰りも遅かったので、
ワンオペで日々やっていたので、とにかく日々忙しく、もう私は2人目なんて考えられないっていうぐらいでしたかね。
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でもすごく仕事は楽しかったですし、忙しさの中にもやりがいを持って日々過ごせていたかなっていうことはあります。
子どもはだんだん年齢とともにだいぶ手もかからなくなってきたので、4歳くらいになってからですかね、
でもやっぱり2人目欲しいなって思うようになって、兄弟を作ってあげたいなっていうのが一番の思いだったので。
なんですけど、年齢的なこともあったり、しばらく年も空いてしまったということもあって、なかなか授からなくて、
これ以上できない期間が長くてもなぁと思ったので、最終的には不妊治療に踏み切って、
第二子を授かるという形で、うちは6歳差なんですけどね、やっと授かった2人目でしたね。
そこで第二子を出産しまして、今度は約2年間ほど育児休暇を取りました。
6歳差ということもあって、上のお兄ちゃんは自分のことはある程度何でもできるようになっている中での赤ちゃんのお世話ということで、
ただただ可愛いしかなくて、これが最後の赤ちゃんのお世話になるだろうなって思っていたので、
育児休暇を2年間取れて、しっかりと子どもと向き合う時間が取れたなと思っていますね。
ちょうどお兄ちゃんの小学校1年生の時に育児休暇が当たったので、小1の壁と言われるものも、
わりと家にいることができて、壁を感じることもなく過ごせていたかなと記憶しています。
ただこの期間に、私の場合はちょっと夫婦関係にいろいろあって、悩んでいた時期もちょうど育児休暇を明ける1年ぐらい前ですかね。
いろいろとありました。育児休暇を復帰して、しばらくはまた同じくバックオフィスで仕事をさせてもらっていました。
小学生と保育園児を2人育てながら、ほぼワンオペで日々過ごしているのは、本当に忙しくて大変なんですけど、
でもやっぱり私は基本的には仕事が好きなので、慌ただしくも日々やりがいのある仕事をさせてもらっているという実感はありましたね。
復帰して1年ぐらいですかね。離婚が決まりまして、引っ越しをしたりとか、子どもたちも学校や保育園が変わったり、ちょっとバタバタとした時期がありましたが、
なんとか新しい生活を家族3人でスタートさせました。
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そんな困難をしていたら、マネージャーの昇進の話がありまして、社内で。それはそもそも会社で女性の管理職を出していくっていう会社としての方針があって、
年齢的にもちょうど私ぐらいの人たちが、ちょうど対象になるということで、ご描きをいただきました。
家庭のことでいろいろあった時期なので、これでますます仕事が忙しくなることに対しての不安はもちろんあったんですけど、
何よりも、これから先、私が一人で子どもを育てていかなければいけないということなので、収入面のことが一番不安だったんですよね。
そういったことを考えると、ここで断る理由もないなと。
やりがいのある仕事を任せてもらえるということに対しては、ありがたいなって思っていたので、そこはお受けしてマネージャーという形で、今度は営業職に10年ぶりぐらいに復帰したんですよね。
最初は4人ほどの小さなチームのマネージャーだったんですけど、それでも初めてのことで、とにかく大変だった記憶がありますね。
周りはみんな男性で、会議の中では、自分の発言がどこまで影響力があるのだろうかって思うと、なかなか萎縮してしまって発言ができなかった時期もありますし、
特異先に行けば、名刺にマネージャーみたいな形で肩書きが書いてあるんですけど、女性ですごいねみたいな感じで、それは褒め言葉なのかみたいなことを言われて、ちょっと気にしてしまう時期とかも初めのことはありましたね。
あとはやっぱり、今までが時短勤務でやっていたんですけど、なかなかそうもいかなくなってきた時に、どうしても家庭と子育てにも影響が出てきてしまって、当時は家でも結構仕事をしていて、子どもたちとの時間も少なくなってしまって、やっぱり子どもたちの様子も一時ちょっとおかしかったなっていう時期がありました。
今でも思い返すとすごく反省してしまう時期なんですけど、私も必死、まだ離婚して間もなくて、新しい生活も始まったばかりで、仕事でもいろいろと内容が変わって、でもそれって子どもたちも大きく環境が変わったことなので、もっと寄り添ってあげるべきだったんだなって、今思うと思うんですけど、当時はとにかく必死でしたね。
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そこから1年ぐらい経った頃に、コロナが大流行したんですよね。
それをきっかけに、原則在宅勤務っていう期間があって、それが本当に大変だったんですけど、仕事においては本当に良かったなって思っていて、在宅勤務になったことで子どもと過ごす時間が取り戻せて、仕事もやはり通勤時間がない分、仕事の時間を確保することもできて、
もちろん家に子どもがいるので、思うように進まないこともあるんですけれど、あの時期にコロナで、私としてはちょっと語弊があるかもしれないんですけど、良かったなというふうに思っています。
あとはですね、このコロナ禍で働き方が大きく変わったこともありますし、自分の中でいろいろな変化が起きたんですね。
人生の中でいくつかの変化点が皆さんにもあると思うんですけど、私にとってはとても大きな、ある意味パラダイムシフトが起きたって言っても過言ではないような出来事が、このコロナ禍でいくつかありました。
大げさかもしれないんですけど、まず一つ目は、おいしはるさん、わーままはるさんですね。
おいしはるさんに出会ったと言っても、実際に会ったわけではなく、SNSで見つけたということですね。
これは確かね、インスタグラムのフィードにおすすめの投稿で上がってきたのがきっかけだったかなと思ってるんですけど、読書記録を投稿されていたのがきっかけで、
興味を持って見るようになりました。フォローするようになりました。
そこからはるさんがボイシーをやっているっていうことを知って、それまで知らなかったんです、ボイシーというものを。
なのでそこからアプリをダウンロードして、はるさんのボイシーを聞くようになりました。
はじめははるさんのボイシーを聞くだけだったんですけど、そこからいろんな方に興味を持つようになって、本当に毎日、もう何時間とかですかね、聞くようになりましたね。
当時から今でも聞き続けている人としては、大郎さんとか、あとはDJのBさんなんかは、もうここ何年も毎日のように聞き続けていますね。
本当に間もなくして竹澤香穂さんもお勧めで出てきて、こんな方がいるんだと思って聞いたら、もうすぐにファンになってしまって、毎日のように聞くようになりました。
こういった形でボイシーってやっぱり人生を変えるってよく聞くんですけど、本当にそうだなって思うんですね。
それは何かって言うと、私今までは会社と家と、せいぜい保育園とその間の往復の生活で、周りにいる人もとにかくずっと同じ会社で勤めているので、そんなに大きな変化もないですし、
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こういう関係もそんなに広くなかったですね。あとは自分でSNSをやっていたわけではないので、本当に自分が狭い世界で生きていたんだと思います。
なんですけど、このボイシーを知っていろんな方のお話を聞くと、働き方っていろいろあるんだなっていうことを、なんか今更ながら知ったんですよね。
それはもちろん会社員としてっていう働き方や、会社員をしながらの副業、あとはそこから独立してフリーランスとして働くっていうような形。
本当にいろいろな働き方があって、人それぞれ自分で決めた道を歩んでいる方のお話が、私にはすごく影響を与えてくれました。
そこから本をたくさん読むようになったり、あとは自分塾手帳との出会い、これも大きかったかなと思います。
今までやっぱり私、他人塾で生きていたんだなとか、自分のことを全然分かってなかったなっていうことに気づけるようになったんですよね。
そうすると、今までは当たり前で仕事と家事と子育てと、なんとか日々こなしていく生活が、これは当たり前で、この先もこんなふうに続いていくんだろうなって思って、
自分が自分の人生を生きていたところに、なんとなく違和感を感じるようになったんですよね。
過去の私なら、たぶんこの違和感に蓋をして生活を続けてしまっていたと思うんですけど、今はその違和感をすごく大事にしたいなって思っているんですね。
本当に私がやりたいこと、私がこの先どんな人生を歩んでいきたいか、そういったことが見えてくると思っています。
今の会社はとても好きな会社で、今の仕事内容もとても責任感のある仕事で、やりがいも感じています。
ただ、私はやっぱり営業職ではないなっていうのを、ここ数年ずっとやっていて感じているんですね。
なので、本当は部署を移動したいんですよね。
ただね、今の会社の状況とか人の状態とかを見ていくと、この先数年は私は今のまま営業なんじゃないかなというふうに思います。
はい、あとはですね、とても会社が実は遠いんですよね。
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今、通勤時間にドワドワで1時間半ぐらいかかっています、実は。
週に1、2回在宅をできる日もありますし、営業なので直行直起などで時間の調整はもちろん可能なんですけれども、やはりね、この毎日時間にしたら3時間ですよね、通勤時間にかかっている。
もっとね、会社の近くに住めばいいじゃないかっていうこともあると思うんですけど、私の場合は今シングルマザーで、実は私の両親の家の近くに住んでるんですね。
なので、このサポートっていうのはやっぱりどうしても必要なんですよね。
となるとやっぱり住む場所は今のところかなというふうに思っています。
これだけ離れたところで仕事をしているので、何かあった時にすぐに子どもたちのところに駆けつけてあげられないっていうのもすごく引っかかっているところの一つですね。
なので、本当は私は家の近くで仕事がしたいなっていうのをここ最近は強く思っています。
転職を考えることももちろんあります。
ただね、やっぱりシングルマザーで1馬力で子どもたちをこれから成人まで育てていかなければならないので、やはりね収入面っていうのは、
今でももちろん満足はしているので、これ以上はもちろん望まないですが、2人を育てるだけの収入は必要ですよね。
なので、安易に転職っていうことにもなかなか踏み出せないっていうのが私の状況ですね。
はい、こういった状況なので大きくTYをするっていうことは、この部分に関しては難しいなと思っているので、とにかく小さなTY、小さなチャレンジを積み重ねて、
自分業っていうのを見つけていきたいなというふうに今は思っています。
はい、ということで、自分のキャリアの話だけで20分近く喋り続けてしまいました。
ここまで聞いてくださった方、ありがとうございます。私は新卒から同じ会社で働いていて、
私のキャリアの話だけで20分近く喋り続けてしまいました。
はい、ということで、自分のキャリアの話だけで20分近く喋り続けてしまいました。
はい、ということで、自分のキャリアの話だけで20分近く喋り続けてしまいました。
ここまで聞いてくださった方、ありがとうございます。
私は新卒から同じ会社で働いている人間なので、特に変わったキャリアの変遷があるわけではないですよね。
なので、あまり面白みがないかなと思うんですけど、
一つ大きいのは、これまで自分の働き方に全く違和感を持っていなかった私が、
ここ数年のいくつかの出来事で、私ってこれでいいのかなっていう違和感を感じ始め、
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本当はもっと違う働き方、暮らし方がしたいというふうに思い始めたっていうのが大きな変化だと思っています。
私と同じように、ご自身のキャリアについて悩んでいる方、キャリア迷子の方ってたくさんいるなと感じているんですね。
なので、私はもっといろんな人のキャリアのお話を聞いてみたいなって感じているので、
このスタイフでそんな対談をこれからやっていこうと思っています。
勝手に企画にタイトルをつけまして、キャリアの話をしようというタイトルでこれからやっていこうかなと思っています。
すみません、このタイトルは私が大好きな保志野源さんが、
昔、アイラという雑誌の対談企画で音楽の話をしようというのをやっていて、そこからちょっと真似をさせていただきました。
はい、きっといろんな方のお話を聞くことで、自分の中の選択肢が広がったり、気づきがあったり、
そんなことがあるんじゃないかなと思っているので、これからいろんな方とお話ができたらいいなと思っています。
ちなみにここでいつも私が言っているキャリアというのは、ワークキャリアだけではなくて、
人生そのもの、ライフキャリアのことをお話ししています。
なので、いろんな属性の方とお話ができたらいいなと思っています。
対談慣れとかも全然してないですし、インタビューとかそんなことできるのかっていう感じなんですけど、
ここはやっぱりとりあえずやってみるで、進めていきたいなと思っています。
一つ心配なのは、職業柄ワンオワンみたいにならないかっていうところなんですけど、
ちょっと自分も楽しみながらこの企画をやっていけたらなと思っているので、
少し前の放送で私とお話ししてみたいと言ってくださった方とはぜひお話ししてみたいと思いますので、
竹顔メソッドでダイレクトメール送らせていただきたいと思います。
ということで、すみません、とても今日は長くなってしまったんですが、
私のキャリアの現在地とこれから対談としてキャリアの話をしようという企画をやっていきますというお話をさせていただきました。
最後まで聞いてくださりありがとうございました。
それでは残り連休も皆様楽しくお過ごしください。
それではまた次回お会いしましょう。
ご清聴ありがとうございました。