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2022-01-15 25:46

#304 「女性の視点」で歴史を学ぶことで夫婦関係を改善させる

女性側の視点で歴史を流れたとき、ぼくは見落としていたものがたくさんあることに気がつきました。


生理休暇や育休がどのようにして生まれたのか?


女性側の視点で詳しくお話しします。


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アツの夫婦関係学ラジオです。このラジオでは、妻との関係のエイム、男性向けに夫婦関係改善のヒントになる発信をしています。
今日はですね、女性の視点で歴史を学ぶことで、夫婦関係改善に役立てるということで話をしたいなと思うんですけど、どういうこと?って思うと思うんですが、これはですね、近々ちょっとノートの方で僕、記事をアップするんですけど、
女性がどうやって生理休暇とか、産前産休制度とか、育児休業というものを歴史の中で割とっていったのかってことを、僕ちょっと調べたんですね、最近。
それがですね、僕にとってすごい大きな出来事になったんです。何かっていうと、自分とは異なる性、つまり女性の視点から歴史を見つめ直したんですが、
今までそういった視点で歴史を見てなかったなって思ったんですよね。歴史だけじゃなくて、自分の働いている環境とか、会社とか、家庭とか、家族とか、自分の両親とか、そういった関係とか環境においても、女性側からの視点で物事を見てなかったなって、
これがですね、女性側からの視点で見ることによって、男女は見ている世界が違うってよく言うじゃないですか。だけど僕そんな生やさしいものじゃなくて、住んでいる世界そのものが違うなって思ったんですよ。
今日はそういったふうにですね、僕は思うようになったそのきっかけ、つまり働く女性の歴史ですね。これについて今日はちょっと簡単に話をしたいなって思っています。
まず最初に簡単に言うと、1930年頃の日本の歴史から始まりまして、現代まで話を、90年代まで話をしていくんですけど、このおよそ60年間の間で、女性の生理休暇とか産休とか育休というのが生まれていったわけなんですね。
そこについてちょっと話をしたいなと思います。まずですね、1930年代というのは日本は日中戦争を経て、第二次世界大戦に向かいつつあったんですね。戦争が日中戦争も戦争ですし、その後の第二次世界大戦も大きな戦争だったので、
何が起こったかというと、成人男性がどんどんどんどん兵隊になっていくんですね。徴兵されていっちゃったんですよ。男性がいなくなると何が起こるかというと、仕事をする人が減っちゃったんですよね。つまり日本の産業界というのは人手不足に陥ったんですよ。働く人がいないという状況になっちゃって、
これどうしようとなった時に女性の職場進出というのが国策として説明られていったんですね。これは聞いたことある人もいると思うんですけど、国民動員計画というのがあって、1942年に生まれたんですが、この国民動員計画によって女性ができる仕事については男性は働いちゃいけないという風な法律ができたんですね。
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ちょっと今では考えられないと思うんですよ。女性限定だぞ、この仕事は。男性はやっちゃいけないという風に言われて、そうすることによって女性の職場進出をどんどん後押ししていったんですよ。
具体的に何かというと、事務の補助であったり現金水筒係、店員、外交員、就勤人、改札係、駅の改札で昔パチンパチンパチンパチンと切手を切ってたんですよね。今の若い人は絶対知らないと思うんですけど、僕は子供の時もあったんですよ。
駅の改札、あの頃の改札はスチール丸出しの銀色だったんですけど、改札口におじさんが一人立ててホッチキスみたいなやつを持っててパチンパチンパチンパチンパチンと切手に穴を開けていくんですよね。
あれは昔1942年頃は女性しかやっちゃいけないって言われてた。多分この仕事だと思うんですけど、改札係って書いてあるから。あと車掌さんね、電車とかバスとかの車掌さん、これも女性しかなれなかったんです、この当時。
こうやって国によって女性の就業を後押ししていったので、ホワイトカラー色における女性の割合がどんどん増えていったんですよね。さらにその当時の企業における女性の定年というのは30歳だったんですよ。30歳が多かったらそうなんですね。
なんで30歳かというと早く結婚していなくなってほしかったらしいんですよ。いつまでもいられると給料も上げるわけにもいかないし、大事な仕事は男性にばっかり集中していたので、若いうちに働いて結婚したらもういなくなってくれってことで30歳だったわけなんですが。
戦争がどんどん進んでいくにつれて、若い女性だけじゃなくて30代40代の女性もどんどん増えていくんですよね。夫が戦争で亡くなってしまったりとかして働くようになったりとかするので、そうなると30歳以降になっても働く人が出てくるので定年を男性と同じ55歳に引き上げる会社も出てきたりしました。
戦争によって女性の働くことの待遇というのが一時的に引き上げられたというのが戦争中の出来事だったわけなんですよね。
そして終戦間近の1944年には航空機工場などのブルーカラーの仕事にも多くの女性が強制的に進出させられるようになったんですね。無理やり活かされたそうなんですよね。若い女性たちが。
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だんだんこういうふうにですね、選挙がどんどん悪化していくと国民国家というナショナリズムにどんどん染まっていくんですよね。日本人とか日本国家というものに強い意識を感じるようになっていく。
感じさせていったわけなんですけども国家自体が。そして息子を戦場へ、娘を工場へと送り出すようになったと。
当時ですね、厚生省のある役人はこういう発言をしていました。
父母は息子を兵隊として捧げるように誇りを持って娘さんを生産戦線に送っていただくよう、働かぬ娘は恥ずかしくて家にいられないくらいまで徹底させたいというふうな発言をある役人がしていたと。
これぐらい女性の職場進出を国が無法無理やり強制的に後押していたという状況なんですね。
このようにして1945年には300万人もの女性が働くようになったと。
この時に農業組合に婦人部というものが作られて、婦人部による活動によって女性の待遇改善とかがどんどん進んでいったわけなんですね。
節創が終わった1947年に農業基準法によって生理休暇が初めて認められました。
これはこの44年頃の婦人部たちの活動によって生理休暇が暫定的に実施されていたことがきっかけだったわけなんですね。
この生理休暇って僕は男性からしたら詳しく分かりづらいと思うんですよ。
生理になると体調不良になるから休むんだよ、休まなきゃ辛いんだよねっていう感じだと思うんですけど、
明治時代以前の日本人の男性っていうのはもっとその知識がなくて、なんか血が出てる穢らしいみたいなそういう感覚でしかなかったわけなんですよね。
これが明治の西洋化によって生理中はどうも女性っていうのは体調不良になるっていう知識が外国から入ってきたんですが、
一般大衆まで広がらなかったんですよね。
それが大正時代の末期に職業婦人ということで女医とか女性教員、看護婦、産婆、保健婦などの知的専門職に就く女性がどんどん増えていって、
労働と母性、そして母体の保護ということを訴える声がどんどん多くなっていったわけなんですね。
そうやって小学校の教員とかバスの女性車両たちによって労働組合による月経時の給付要求が起こり始めていくというわけなんですが、
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これが決定的な転機となったのは戦後のGHQによる日本の占領だったんですね。
GHQは日本を民主化させるための原則として男女平等を掲げていたんですね。
その当時女性労働者たちによる働く女性の環境改善の要求がどんどん強くなっていて、
さらにアメリカにとってはまずいことに共産主義者による労働闘争が激化していたと。
対ソ連対策として日本の民主化を急いでいたGHQは1946年3月に整理休業を補償することになったというわけなんですけど、
この背景にはアメリカの女性官僚と日本の女性官僚たちによる活躍があったと言われています。
GHQの女性局員だったマリア・ミード・スミス・カース、マリアさんという方が率いた形で、
あとGHQが関与して作った今の厚生労働省の元にあたる農務省があるんですけど、
そこの女性官僚たちと各都道府県にいる婦人少年地方職員室と呼ばれる部門の女性職員たちが、
日本中のそういった女性職員が力を合わせて日本女性の社会的地位の向上に尽力していたと。
その成果の一つが生理休暇であって、後の男女同一労働同一賃金に結ばれていったというわけなんですね。
ちょっと話を戻すと戦後、戦争から戻ってきた男性たちがいますよね。戦争が終わって兵隊さんが帰ってきたと。
だけど職場には大量の女性たちがいるわけですよ。
これがいると失業問題に発展してしまうので、政府は今度は逆に女性を職場から排除し始めるんですよね。
女性しかなれなかった社長さん、これも女性を中心として人員の整理が行われていて、多くの女性が職を失っていきます。
こうやって立場がどんどん弱くなっていた女性たちは、40年代から50年代にかけてどんどん待遇が悪化していって、
その体制に対して声を強く上げ始めた時期なんですね。40年代、50年代は。
特に小学校の先生って女性が多いと思うんですけど、当時からもそうで、1948年には女性比率が50%を超えてるんですね。
当時の小学校の先生たちって妊娠していても体育の授業をやらされてたんですよ。
あと重い荷物を持ったりとかね、そういうことが多かったので、それから勤務中に授業中に先生が腎痛が起こって、
そこから産婦人会に直行するっていう事態だったらしいんですよ。
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そんなもんだので、女性教員の入山、相山、資山っていうのは34%に及んで、
そのために産休中は産休というのを取って、その間は他の先生が教授をしてくださいっていうのを法制化をどんどん訴えていったんですね。
これがすごい時間がかかって、1951年の段階で34%の資山、相山、入山があったにも関わらず、
その10年かけてやっと1961年に産休代替料理の配置が義務化されるようになりました。
その後、働く女性たちによる芽生えづらい活動によって、1975年についに特定の職場、女性が多い職場に限定されたんですけど、
学校とか医療施設、福祉施設、保育所などにおいて育児給食制度が法制度化された、これが育休の誕生だったんですね。
育休は1975年に女性が多い職場に限って初めて始まったと。
そして1991年になって、やっと職種とか性別を問わずに取得できる育児給食制度、現在の育休がやっと法制化されたという、91年になって。
なんで91年までかかったかというと、日本人の出生率がどんどん下がっていって、特に下がったのがこの89年とか90年とかだったんですね。
少子高齢化に対抗するためにやっと国が本号書を入れたのが91年だったというわけなんです。
今、ざっと駆け足でお話をしたんですけど、この女性たちの生理休暇、産休、代替教員制度、そして育休、これを取るために、
すごいこの女性たちの活躍があったなっていうのを、僕すごい実感したんですよ、下別で。
特に女性教員の産休代替教員制度というのは、この女性の先生たちが毎日国会に行ったんですって。
毎日国会の中に入って、国会の廊下に女性教員があふれかえて、議員バッジを預けている人間は誰一人に逃さないように陳情を続けて、
やっと産休代替法は成立されたというふうに言われています。
この時に国会議員の先生が女性生がたの情熱には負けたよとか、というふうな発言をしたという記録も残っています。
僕ら男性から見たら、全然この想像もつかないような活動というのが裏であったんだなとすごい感じたんですよ。
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これ今僕裏って言いましたけど、僕ら男性側からしたら、これって裏側の話だと感じますよね。
この戦争があったとか、日中戦争、第二次世界大戦、戦後のGHQの占領というのは、
僕らって男性側から見た出来事で覚えているんですけど、女性側から見た時の視点で見るとこんなにいろんな活動があったんだなということをすごい僕感じたんですよ。
今まで僕自身がそれって女性側の視点で世の中を見ていなかったことの現れだなと思うんですよね。
自分の家族とか会社、そして過去のこの国の歴史においても、僕は知らず知らずのうちに男性側の視点で世界を見ていたなというふうに思うんです。
こうやって日本の歴史を女性というフィルターを通して見ることによって、今まで見落としてきたものがたくさんあるなということを感じるんですね。
そして冒頭で言ったように、男性と女性では見えている世界が違うとよく言いますけど、僕は男女は住んでいる世界自体がそもそも違うんだと思うんですね。
多くの人はそこに2つの世界があることに気がつかないんですよ。
もしくは目に見えているとしても、目に入るものがあったとしても、例えば女性がなかなか三期が取れないとか一期が取れないとかいうふうな現象がそこにあったとしても、
まあそういうもんだよねというふうに当たり前の光景としか受け取らず、そこにある違和感というものに気がつかない、違和感自体が発生しないのかなというふうに思うんですね。
男も女もみんな、僕ら男性は同じ世界に住んでいると思っているんです。
だけど僕ら男女はこの国の中で同じように暮らしていながら、実は全く違う世界を生きているんだということを僕は思うんです。
ということは僕の隣にいる女性、僕の妻も僕とは違う世界を生きていると、僕とは違う視点で世の中を見ているんだろうなと。
それを知ることによって男女間の理解というのは初めて始まるのかなと思うんです。
はい、ということで今日はこの国の歴史を女性画家が見たときの話ですね。
働く女性の歴史ということでお話をさせていただきました。
一旦ちょっとここで切りますね。
はい、ということでちょっと最後、緊急報告させてもらおうかなと思うんですけど。
今日話した内容って近々ノートであげるんですけど、その中で女性の介護問題についてもちょっと書いていて、
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僕の実際の知り合いであった話なんですけど、
自分の親が僕らと同じ年代の30,40代の方なんですけど、小さなお子さんがいらっしゃって、
自分の親から呼ばれたんですって。つまりおじいちゃんですよね。
自分の親から父親から呼ばれて、ちょっと話がしたいと呼ばれて実家に行きましたと。
行くときに相続問題とか相続するものどうしようとかそういう話をチラッとされたんですって。
結構土地があったりとか資産があったりとかするお父さんみたいで、
それを早めに相続させる話なのかなみたいな風でお父さんは話をしたらしいんですよ。
お前にこれを継がせろと思うんだけど、どうしようかみたいな相談しようかみたいな感じで呼んだんですが、
実際に行って話を聞いてみると、我々も介護が必要な年代になってきたから、
お前らがこの家に入って、お前とお前の嫁とお前の子供たちもこの家に入って、
俺たちの面倒を見てくれないかと。要は俺たちの介護をしてほしいんだと。
それをしてくれれば、これこれこれの資産はお前に譲ろうと。
あそこの土地はお前にやろうと。金額で言うとこの万円の資産もお前にやろうと。
どうだという話だったらしいんですよ。
めっちゃ生々しいなと思って話を聞いてたんですけど、
70〜80代くらいの農人が自分の介護をしてもらう代わりに金をやると。
金をやるから代わりに介護してくれと。
お前らちっちゃい子供もいるけどよろしく頼みよという話なわけですよ。
その方はそれを断って帰ってきたわけなんですけど、
ちっちゃい子供の面倒を見ながら介護をしてくれと。
これって対岸の舵じゃなくて、僕にとっても同じ話だし、
僕らと同じ年代、30〜40代で小さい子供がいる家庭にとっては
結構大きな課題だと思うんですよね。
自分の親が結構年をいっている場合って、
介護が必要になってくるって言われてるんですよ。
それに対して家族としては、
家族としては家族としては家族としては家族としては
大きな課題だと思うんですよね。
自分の親が結構年をいっている場合って、
介護が必要になってくる年じゃないですか。
その時に向こうから自分の子供による介護が望んでいる場合っていうのは
どうしても対立をすると思うんですよね。
それを受けてしまうと、介護と育児の二重負担が起こる。
これはきついですよね。
特に女性にとってはきつい話になってくると思うんですよ。
もしその家の中で、介護は嫁にやらせればいいだろうみたいな話になった時に、
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子供の面倒も嫁がやるべきだろうと、
なんでお前が見てるんだみたいな話をね、
ジジパパからされたりしたら、絶対夫婦関係悪化するし、
妻出てくるんじゃないかなって思うんですよね。
僕のおばあちゃん、僕の母の母ですね。
僕の93歳なんですけど、
僕の母、つまり僕のおばあちゃんにとっての娘と喧嘩すると、
家に何か来ようとするらしいんですよ。
何か住もうとするらしいんですよね。
来たことないんですけど、
それは僕の母がいつも止めてるんですけど、
もういいわ、孫に面倒見てもらうわとか言って、
93歳のおばあちゃんが僕の家にやってこようとする時があるんですって。
やめてって言って、あそこにはちっちゃい子供がいるのよって言って、
うちの母が止めるんですけど、
こういう問題が多分日本中で起こってんだろうなって思うんですよね。
悩ましい問題でそれぞれの家族が考えていくしかない、
それぞれの家族が決断もそれぞれが下していく話だとは思うんですけど、
僕個人としてはちょっとご面子を守りたいっていうところなので、
自分、何だろう、これ多分家族の定義の話なんですよね。
自分の家族というのが自分と妻と子供だけなのか、
それとも介護が必要になった自分の両親、
そして自分の祖父母も自分の家族として見るのかと。
ファミリーアイデンティティって社会学では言うんですけども、
このファミリーアイデンティティの定義が広くなればなれほど抱えるものが大きくなっていって、
その時に抱える人が自分一人だったらいいんですけど、
自分一人では抱えきれなくて自分の妻を巻き込んだ上で抱え込むとなると、
自分の妻にとってのファミリーアイデンティティが
自分の夫の両親とか祖父母でない場合っていうのは衝突が起こるわけですよね。
だって家族と思ってないわけなんで、自分のファミリーアイデンティティに含まれていないから。
そういった問題もいろいろあるんで、
この介護と育児問題っていうのは今の日本における大きな問題だなって感じています。
また別の話でね、ちょっと話をしていきたいなと思っています。
はい、ということで最後ご案内です。
ノートのサークル機能を使って、
アスノ夫婦関係改善カウンセリングタイマスという名前で
妻との関係に悩む男性向けにアドバイスをさせていただいています。
これは心理カウンセリングとはまた別なものになります。
簡単に言うと、友人以上カウンセラー未満といった感じになるかなと思うんですが、
妻との関係に悩んだ時に、多くの人はネットで検索すると思うんですよね。
夫婦関係どうするとか、妻喧嘩起こってるとか、妻はセックスできないとか、
いろんなワードで検索すると思うんですけど、
大体役に立たないサイトばっかりに飛ばされるんですよね。
女性向けのメディアであったりとか、ニコン弁護士のサイトに飛ばされたりとか、
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役に立たない記事ばっかり出てきて、どうにもならないと。
どうしたらいいんだろうと。
いろんな本を読みますよね。
妻の話を聞きましょうとか、今の話、共感が大事ですと。
継承が大事ですと。
いろんな本が出てる。
それを多分読んだりすることになると思うんです。
それでも解決できないと。
自分の妻の場合はちょっと違うんだよなとか、当てはまらないなってケースが多いと思うんですね。
そんな時に、ちょっとじゃあどうしよう、カウンセラーかと。
カウンセラー1回1万5千円、2万円とか、カップルセラピー3万円、ちょっと高いな、どうしようかと。
そもそも何からどうしたらいいのか分かんないという場合があると思うんですね。
そういった時の、まず最初の窓口として僕は今活動をしてまして、
僕も同じように夫婦関係に悩んでいて改善できたんですが、
同じように悩んでいる方から話をたくさん聞くんですね。
改善できた方の話も聞きます。
そういったお話をもとに、じゃああなたの場合はどうしたらいいのかということを一緒に考えていきたいなと思うんです。
妻との関係に悩んでいて、真っ暗な暗闇の中をたった一人で歩いているような気持ちになることはあると思うんですね。
そんな時に僕が一緒に伴奏をして、その暗闇が抜ける出口まで一緒に歩いていきたいなと思っています。
妻との関係に悩んでいて、本気でどうにかしたいと思う方はぜひご連絡ください。
こちらのノートサークルのリンクは概要欄に貼っておきます。
はい、ということで、今回は最後までありがとうございました。
また明日お会いしましょう。さようなら。
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