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2024-07-08 29:06

#2-3 モラハラからの独立?憧れの人との結婚生活はなぜ終わったのか?【ゲスト回ユカさん&サチヨさん】

雑誌で見かけた憧れの彼と結婚したユカさん。幸せなはずだった結婚生活は妊娠を期に大きく変わっていく。


前編の今回では、ユカさんの結婚生活の変化とそれにともなう働き方の変化をうかがいます。


DV、モラハラ、離婚、経済的独立などでお悩みの方には参考になるはずです。



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ユカさん(yucca)


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サマリー

彼女は、大好きだったはずのパートナーと、なぜかうまくいかなくなった経験があるのではないでしょうか。本日のゲストは、憧れの男性と結婚したものの、結婚生活が大きく変わってきたと語っています。恋愛、出産、そして仕事、これらが夫婦にもたらすものとは、一体何なのか。データ企業からの引き抜きで役員になったが、収入が半分に減ってしまい、家庭生活に苦しむユカさん。彼女は独立を考え、パートタイムの仕事を経て、ホテルインフィットネスで働いていますが、単調な仕事内容に限界を感じ、起業を決意しています。夫によるモラハラから独立した結婚生活の終わりや、自分自身の変化について話すゆかさんのエピソードがお話ししています。

結婚生活の変化
大好きだったはずのパートナーと、なぜかうまくいかなくなった。そんな経験はありませんか?
本日のゲストは、憧れの男性と結婚したものの、結婚生活は大きく変わってきます。
恋愛、出産、そして仕事、これらが夫婦にもたらすものとは、一体何なのか?
こんにちは、夫婦関係学ラジオパーソナリティのアツです。このポッドキャストでは、多彩なゲストを招きし、家事・育児、キャリア、セックスレス、不倫、
離婚など、様々な葛藤をサバイブするためのナレッジをお伝えしていきます。
今回は、離婚と再婚を通して働き方を大きく変えていった、ある女性のお話です。
今回は、ユカさんのお話をお伺いしていこうと思います。
ユカさん、もう一回だけ自己紹介いただいていいですか?
子供は、今中学2年生の双子の女の子がいます。
離婚したときは双子の子だったんですけど、今はもう一人子供が増えて、1歳11ヶ月の女の子がいます。
離婚したのは、37歳くらいのときなんですけど、元夫とは15年間一緒に暮らしていて、
付き合ってた期間とかも入れるともっと長いんですけど、都内で暮らしていて、
結婚したのが35歳のときで、そこから2年間かけて、朝廷と裁判まで、離婚にたどり着いたという感じですね。
結構、離婚に関して、本当に悩んでる方の参考になるお話がお聞きできるんじゃないかなと思うんですけど、
ゆかはさんが最初に結婚されたときの、結婚から離婚までのお話をお伺いしてもいいですか。
そうですね。本当に大恋愛っていう感じで、私からすると本当に大好きだし、運命を感じた相手だったので、
私、長野県生まれて育って18歳から上京していたんですけども、1年後くらいに出会って、
当時は雑誌とか結構読んでたんですよね。読んでたりとかしてて、
雑誌に出てくるモデルをやってたっていうのが後で分かって。
元夫さんくらいですか。
そうです。有名なカメラマンさんとすごく仲良くて、たまたま出てたっていうのは後から知ったんですけど、
私は本当に記憶にないんですけど、自分で言ってた言葉だけ覚えてて。
流行りの雑誌を見ながら、私、こんな人と結婚できたらいいなっていうのを覚えてる。
その後も結婚したんですか。すごいじゃないですか、それ。
そうなんです。それ、後から知ったんですよ、全部。付き合ったのを別に知ってて付き合ったわけじゃなくて、
お友達がこうやってモデルやってたんだよみたいな感じで言ってて、
え?みたいな感じになって、どんなモデルやってたの?とか言って調べていったら、その人だったんです。
なので、すごくシンデレラストーリーじゃないけど、自分は奇跡というか運命を感じたし、
しかも全然我もその人も違うのに共通の友達がたくさんいたりとか、
お互いの知り合いが夫婦だったりとか、すごい運命的なものを感じてたから、
大好きだったし、ずっと一緒にいるなって思ってたんですよ。
そこだけ聞くと、すごい良い話ですけど。
めちゃめちゃ運命を、この人しかいない。
本当にそうだし、でも子供を欲しいタイミングがお互い違ったりとか、
そこが徐々にずれみたいなのは初めて。
離婚というのは本当に考えてなかったんですよ、当初は。
本当に好きだったし、一応離婚危機はあったものの、そこを乗り越えて、
じゃあどうするって、それが25歳の時で、このまま結婚生活を続けるのか、それとも別れるかみたいな、ある意味選択だったので、
これは子供が欲しいなって、その時初めて思ったんですよ。
この人と一緒に生きていきたいし、これがある意味タイミングかな、みたいなのがあって、
そこでお互い話をして、だと思うんですけど、相手はどう思ってるかわからないですけど、
それで妊活をして、という感じで談をしたんですけど、
妊娠中、双子の妊娠後期から、離婚という言葉を初めて私の頭の中でチラチラと気が付き始めて、
妊娠してからですか?
そうです。妊娠後半で。
なんでですか?
私の中では、パパになる前に、妊娠したことで変わってくれるかな、みたいな期待だったんですよ。
今までの生活改めて。私は本当に、お互い子供ができるまでは長くなり過ごしてきて、
やっぱり好きなように、自由に暮らしてきたっていうのはあって、
だけど私は、母になるっていう準備が妊娠とともにできてくるんですね。
だけど、もともとは、それこそさっきのパパの話はないですけど、
本当に朝まで飲むとか、仕事もね、ちょうど忙しい時期というか、ノリに乗ってる時期だったっていうのは、
今思えば理解できるんですけど、本当にいろいろな部分で心感というか、
なんかこう生まれることがあったんですよね。
例えば今まで旅行とか、絶対2人で行ってたのに、何日間か行ってくるみたいな感じで、
2日間か?
2日間です。2日間置いて、私はもう行かないでほしいって言ってたのに、
バーベキューで行ってたのか、キャンプになったりとか、結構こう、
予定が変わっちゃうんですね。自分の都合で変えちゃってる。
とか、なんかこう不審感。女の影が散らすような感じがあったんですよ。直感ですけどね。
わかるんだよね。
離婚への決断
本当に違うかもしれないけど、でもなんかこう、
自分もやっぱりホルモンバランスが潰れたりとか、しかも双子、初めての妊娠、
出産で双子っていうのもあって、ともにいてほしいみたいなのもあったんですけど、
それで1回私プティエでしたんですよ。近くのホテルに。
妊娠中に?
そうです。ちょっと気づいてほしいと思ってプティエでしたけど、
全然心配してる様子もないし、そこが結構私の中で難儀みたいなのもあったけど、
結局そうは言っても、
出産して積み重ねていくわけですよ。いろいろな不審感とか、
どうして家族を優先してくれないなというか、
例えば双子の誕生日の時は一緒に過ごしてなくて、
夫の両親と私と子供たちだけで、夫不在のままのお誕生日だったりとか、
なんていうか、すごく抜け殻になっているような感じがしたんですよね、自分の中で。
そういう積み重ねがどんどんどんどんできていって、
私はお金を求めているわけではなかったけど、
もちろんある程度双子を育てていくための教育資金とかは貯めなきゃいけないけど、
かといって家族を全く名残にするっていうのは、それは違うなと思っていて、
なので寂しかったなって思うんですよね、当時の自分を振り返ってみると。
そうは言ってもずっと我慢してきて、
私も3年近くペンギョーシュフをやってたので、家にいたんですよね。
でも、子供もまだ小さい時って会話もしないから、
なんか本当に孤独、どんどん孤独になっていって、
それで自分も自分で社会とのつながりとか、大人と会話したいなみたいなのも徐々に欲みたいなものも出てくるし、
やっぱり孤独なので、両親が近くにいたわけでもないし、
夫の両親はドアとドアで40分くらいの場所に住んでたけど、やっぱりそんな頼れないしっていう中で、
子供ができるとまた違うコミュニティができていたりとかしていて、
そんなに深く心から心許せて話ができる相手もいなかったっていうのもあって、
やっぱり働くっていう方向に、自分も働きたいなっていう気持ちがどんどん出ていって、
最初は私も全然パートタイムでいいやって思ってたんですよね。短期で働いてみたりとかしてたんですけど、
徐々にやっぱり社員で働きたい。やっぱり短時間とかパートタイムってやれることが限られてくるし、
短長なんですよね。だから自分もその時はまだまだチャレンジしたいみたいなものもあったし、
あとは不安もあったんですよ。今思えば全然若いじゃんって思うんですけど、
やっぱりまだまだその時は子供がいると仕事辞める人がすごく多かったし、
一度職を離れてしまう人が多かったイメージがあるんですよね、今よりは。
そうだよね。
なので30になったらなかなか職見つかんないよみたいなのがすごくあったので、
再婚と働き方の変化
出社したのは29だったんですけど、そういう気持ちに芽生え始めたのは31、32歳ぐらい。
仕事見つけようと思って、さっきのさっちゃんの話じゃないですけど、自分に自信がなくなってるんですよ、社会と。
さっちゃんは本当に長く離れてるから余計だと思うんですけど、
私は本当に1、2年でもやっぱり長いし、2年29で離れて、
丸2年は妊娠後期でも仕事を辞めてたので、やっぱり不安だったんですよね。
働けるかなとか。
働き出したのはお子さんが3歳ぐらいの時からですか?
3歳ですね。
妊娠後期からだったので、2年半は仕事をしてなくて、
収穫をし始めたのが子どもたちが本当にもう2歳になる直前ぐらいな感じで。
最初は正社員の仕事で受験してたんだけど、
どこの会社も、最初からお子さん小さいのでもう少し大きくなったらどうですか?みたいな決まり文句なんですよね。
だけど、あるリゾート会社の面接に進んでいく中で、
全然お子さんいてもいいですよ、ぜひ来てくださいって言うので最後まで行ったんですよ。
5時面接ぐらいまで行って、そこで働きたいなと思って、元夫とか元夫の両親とかに話をしたんです。
そしたら、仕事もして家事もやって、子育ても全部できるの?みたいな感じで、
上からの視点から言われて、
私がまるでやりたいかのような感じになってるんですけど、
これは家族のためでもあるし、
この時、元夫の、今までずっとフリーランスでお仕事してきた人だったんですよ。
結構収入もあったし、しかも私も仕事してたので、
それなりに今思えば恵まれた生活してたなと思っていて、
だけど、ちょうど私が妊娠する1年前に、
フリーランスの大きな出版社があって、そこのフリーランスが全員切られて、
フリーランスなので、いろんなところでお仕事も契約ができるんですけど、
データ企業での役員時代から独立まで
ある会社のデータ企業から引き抜きがあって、そこの会社の役員になってほしいってことで、
役員になったものの、本当に朝から夜まで撤退とかもあるし、
本当に働いてて、だけど収入は半分くらいしてたんですよ。
え?役員なのに?
役員だけど、今でこそ多分有有事的だと思うんですけど、
立ち上げ当初なので、みんな身を削って、
社長2人、役員2人の4人で、とにかく会社を大きくしていくっていう。
最初は社員がいないので、今は多分100人とかいると思うんですけど、
どんどんどんどん大きくしていく中で、自分たちがやっぱり動いていかなきゃいけないっていう感じで、
焼けたと思うんですよね。
だけどやっぱり家庭は苦しいわけです。収入は下がる上にいないわけですよ。
すごく苦しかったし、この状態が続くのは私的にもやっぱりまずいなと思ったので、
それまで働いてたんですね。
そうです。もちろん自分が外に出てきたいっていうのもあるけど、
それだけではなくて、子どもたちの教育費を稼ぎたいなとか、
やっぱり余裕持った暮らしをしたいっていうのがあったので、
ここで働きたいなって感じで、自分の趣味だけでと思ってないし、
なるほど。でも頭暮らしは規定されちゃったんですね。
そうです。
それでも、やっぱり自信もないし、2年くらい社会と離れているから不安もあるし、
本当にできるのかなってどんどんそうなっていくんです。
例えば協力するよとか一緒にやろうよとかになればそうだよねって言って、
私もそういうふうに働くっていう選択肢はあったと思うんですけど、
その時の私はやっぱりそうかっていう。
お父さんお母さん、相手のお父さんお母さんも、
もうちょっと子どもたちが大きくなったらいつでも働けるわよみたいな感じで言うんですけど、
そこの企業に本当にノリに乗ってた企業で、今はもっと大きいんですけど、
ノリに乗ってる企業なので、なかなか入れないし、
私としてはもうラストチャンスぐらいな感じで考えています。
それが例えば今お母さんがすごく自分のやりたい仕事に就いているお母さんにそういうこと言われたらまた違うんですけど、
ほぼほぼ専業主婦でやってきてる、
ちょっと自分のお小遣いを稼ぐためにパートしてるみたいな感じのお母さんに言われても、
やっぱり自分の中では説得力もないし、
なんでそんな適当なことを言えるんだろうっていう、
私の人生なのにと思ったりもしていて、
すごく自分自身が認められてないんだなみたいな、
信じられてないんだなみたいな気持ちにもなって、
結局その仕事を諦めたんです。
亡くなく諦めて、パートタイムの仕事を探して、
パートタイムのホテルインフィットネスでの働き
パートタイムって言っても立ち上げメンバーみたいな感じの、
ホテルインフィットネス、会員制のホテルインフィットネスのお仕事があって、
ホテルの中にあるジムみたいなところってことですか?
そうです、そうです。
富裕層向けのフィットネスみたいな感じで、
本当に100周年、東京ステーションホテルの中にあって、
100周年で新たにホテルインフィットネスみたいな感じになって、
面白そうみたいな感じで応募したらよかったって、
それはそれで楽しく、2年半くらいお仕事させてもらいながら、
でもやっぱり自分の中の成長意欲というか、
それでもやっぱりパートタイムなのでやっぱり単調なんですよね。
単調だし、
同じことしかやらないですもんね。
与えられたことしかやらないですもんね。
そうです、そうです。
いろんな人と会えて楽しい反面、仕事内容は正直つまらないし、
やっぱりでも社会にいることで仕事には慣れてくる。
仕事には慣れるし、家庭の中で褒められるわけでもないし、
なんかこうやっぱ寄るよっていう形での報酬はすごく自分にとってもありがたいし、
子どもにも外食とかもくれられてあげたりとか、
そういう意味のいろんな余裕ができてくるんですよね。
だけどその中の家庭の中で最初子どもたちを預ける保育園が見つからなくて、
その当時待機児童がとても多くて、
何箇所か見に行ってもどこも何百人待ちとか、
そういう状態になったんで。
一箇所だけ6月にできたばかりの保育園があるから、
そこなら入れるかもって保育園の延長性ネットワークで、
延長性性のネットワークがあって、
もしかしたら双子別々になるかもみたいなところだったんですけど、
一箇所で預け入れが可能だった保育園があって、
認証?認可保育園?
認定。認可保育園。
だけどすごく高くて、高いし、
双子で通常だったら私も預けられない価格帯なんですけど、
区の補助があったりとか、
ほぼほぼパートの仕事のお金は全部そこに入れて、
本当にほとんど残ってない状態で、
それでもやっぱり私はそこに投資しようと思ったんだよね。
預けないと働けないなみたいなのもあったし、
頼れる人がいなかったので、
その時の私が本当に知識もなければ、
何のネットワークもないけど、
とにかくできる限りのことを今思えば、
ああ、やったな、みたいなのがあって、
それじゃまず借りを預けて、
働ける状態を作ったんですよね。
その時のお金もトッドに相談したら、
起業への転身とオンエンドメディアの立ち上げ
自分が働きたいんでしょ、みたいな。
出せないわけではないかもね。
そこからもやっぱり不信感が。
そうですよね。
そのお金を預けて、
ホテルインフィットネスで働かれて、
そこは何年くらいやられてたんですか?
2年半くらい。
その後は他の会社で働いたんですか?
2年半くらいの間の中で、
お母さんで自分で授業をしてる人と会ってたんです。
自分も子供向けのワークショップとかを
スタートタイムをしながら合間で、
子供と一緒に親子で物作りするとか、
職域をするとか、
そういうテーマを設けて、
私が講師を呼んで、
ワークショップをするみたいなことを始めてたんですよね。
その中で、いろいろなお母さんだけど、
例えばフリーランスで働いてますとか、
自分で会社経営してますとか、
そういうお母さんたちに出会っていくんですよ。
パートタイムをやりながら並行しているような。
出会いがあったんですね。
こんな働き方があるんだって私は思って、
全然考えてないんですけど、
起業するんです。
早いですね。
すごいよね。
本当に床書き業に結びつくのは。
一回整理したいけど。
お子さんが2歳ぐらいの時にファートで働き始めて、
2年間ぐらいホテルフィットレスで働いて、
お子さんを預けました。
起業されたのはお子さんが何歳ぐらいの時ですか?
5歳の時ですね。
5歳ぐらいの時。
その時、まだ離婚はされてなかった?
そうなんです。
全然離婚するときはなかった。
離婚する気がなかったんですね。
別居したいなとか、
ちらほらと考えるようになったものの、
まだ離婚まではっていうのは、
自分の中の気持ちとして、
いきなり離婚っていうのはやっぱり恐怖があったので、
別居したいってことは元々ずっと言ってたんですよね。
だけど別居するなら離婚したいみたいな感じで言うし、
なんでしょうね。
夫さんとしては別居すなったら離婚だけど、
ゆかさん的にはいきなり離婚は怖いっていうので、
とりあえず継続されてた。
で、お子さんが5歳ぐらいの時でしたっけ?
4、5歳ぐらいの時に起業された。
それはどういったビジネスだったんですか?
そのワークショップ的なものの延長線上で旅行みたいな感じのことをやりたいなって思ったんですけど、
まだ全然いろいろと考えたりとかしてるときに出会った経営者の人が、
授業が固まる前に器作っておいたほうがいいよっていうアドバイスをもらったんです。
何を作ったの?
器?
自分の?
会社。
会社を作ったほうがいいってこと?
そうです。
授業とかが決まる、こういうことやりたいみたいなのが決まる前に会社作ったほうがいいよっていう。
なんでそういうふうに言ったのかはわからないんですけど、
それをアドバイスとして私は受け入れて、ある程度のこれを授業にしていきたいなみたいなものを少し見えたところで会社を立て上げたんです。
早っ!すごいですね。
それは最初はお母さんで自分で授業をしている人たちにフォーカスしたオンエンドメディアで、
当初は広告収入を得るようなビジネスモデルで考えてたんです。
オンエンドメディアっていう言葉はそのときはまだまだ知られてなかったので、
今でこそ自社でメディアを持ってるっていう時代だったんですけど、本当に先駆けで、
私はライターとか広告とか編集とかそのあたり全然知識も経験もないので、
サイトを作ってくれた人の知人で、広告とライターの独立してる人がいるから、
その人じゃあ誘ってみるって言ったらやりますってなって、結局3人始めたんですよね。
それは子育てしているママさんをお母さんを応援するためのメディア。
そうですね。自分も事業をしてみたいなとか、逆に事業をしているけど横の繋がりがないなとか、
そういう方々を応援するオンエンドメディア。
ゆかさんの結婚生活の終わり
インタビューとかそういうことをやられてる方にインタビューして、取材記事をそのサイトに見せてみたいな感じですね。
取った商標っていうのも、結構日本ではまだまだそういうお母さんに事業してる人っていうのは、
そもそも起業家自体が少ない上に、女性ってなると本当に数パーセントもいないかなって、
今でこそ多くなってきてるんですけど、本当に少ないので、
ニッチではあるけれど、海外では一般的、結構女性が起業するのは日本に比べたら多いし、
10年くらい前ですか?今から?
そうですね。10年くらいですね。
10年くらいですかね。
海外で使われてる名称みたいなのを日本で取得できたので、
その取得した名称を使って、こういう働き方を広めていこうっていうふうに思って、
最初はそれで立ち上げました。
夫さんは何て言ってました?その活動に対しては。
すごい批判的で。
そうなんだ。
批判的で、たぶん私が外に出て楽しそうにしてるのを見てから、もらはらになり始めた。
全然それまではそんな感じじゃないし、
やっぱり恐怖なのかな。
自立してる妻が怖いみたいな。
恐怖なんじゃない?
今でこそ言語化できるようになったんですけど、相互依存だったなと思っていて。
お互いに依存し合ってた?
お互いっていうのは、私はすごく好きだった。
僕のことが大好きだったし、頼ってたんですよね。
付き合い立ての時は、やっぱり夫の方が都会生まれて東京生まれて東京育ちで、
すごいお友達関係もそうだし、
色んなものを本当に周りの人たちも素敵だし、
とにかく憧れの人が隣にいるみたいな感じの生活なので、
とにかくリスペクトだし、
変な話、追っかけみたいな。追っかけじゃないけど。
憧れの人だったり。
一緒にいつもいるみたいな感じで。
シンデレラストーリーみたいなもんね。
そこだけ聞いてるとね、完全にね。
自分自身の変化とビジネス
そこで終わっちゃうし。
だけど徐々に自分が母になって強くなっていくわけじゃない。
自分を持ち始めて。
自分が母になった時に、ふと夫を見ると、
やっぱり色んな違いを感じてしまう。
自分は母として、
わかる。
成長じゃないけど、
現実世界に向き合ってるんだけど、
なんとなくまだ、
いい意味で変わってないというか、
自分を生きてるというか。
自分だけの世界。
家族とか子供とか、
自立した父親とか、
自立した大人というよりかは、
個人の自己実現を追いかけてるみたいな感じだったってことですか。
そうですね。
頑張ってくれてるなんて思うんですけど、
家族は後回しだなっていう感じがします。
うまくバランスが取れていなかったのかなって今思えば。
もともと子供が欲しい欲しいみたいな感じの、
小本能な感じでもないし。
自分が大事というか。
そうですね。子供よりも。
でもファミリーとして、
子供のことも大事にしてほしかったんだよね。
一緒に大事にしたり、一緒にいたかったんだよね。
本当にそうだね。
私もそうだったな。
ゆかさんのお話、前半編となりました。
次週は後半をお送りしていきます。
来週は、離婚後の金銭的な問題をどうクリアするかですとか、
ゆかさん自身のビジネスの変化とか、
働くことに対する自分自身の考え方の変化などが出てくる回なんですよね。
個人的にもすごく刺激になったお話でしたので、
ぜひ楽しみにお待ちください。
ということで、今回も最後までありがとうございました。
この放送がいいなと思った方は、
番組のフォローと五つ星評価をぜひお願いします。
番組のご感想、お悩み相談、
そしてご自身の夫婦関係改善のストーリーをお話しいただける出演者の方を募集しています。
新たな経験が誰かの足元を照らす松明になると信じています。
またパートナーシップ内地に関する記事を、
火曜日から金曜日はnoteで、
金曜日は直接あなたにメールでお届けするニュースレターでお送りしています。
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概要欄にそれぞれのリンクがあります。
ではまた次回お会いしましょう。
さようなら。
29:06

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